◆月◎日(怪奇! 裸コートババァ登場!)
『……などという、怪奇を通り越して恐怖体験真っ逆様な状況にならなかったのは好都合だろうと思う』
『仮にこの世界線──もとい、この周のシュリュズベリィが裸コートに身を包んだ筋骨隆々のババアであったのならば、俺は超光速でエーテルの海を駆ける光速ババアと死闘を繰り広げる事になっていただろうからだ』
『結論から言って、シュリュズベリィ先生の姿は極々見慣れた人間の姿であった』
『性転換した連中がここまであまり大幅な外見の改編が無かったから不安ではあったのだが、これも逆転の発想という奴だろうか』
『TSしたシュリュズベリィ先生は、衣装は元のデザインのまま、姿形だけがセラエノ断章の精霊ハヅキの姿に変わっていたのだ』
『いわゆる一つのロリババァという奴なのだろうが、口調はダンディなままなので、厳密にはロリババアと言えない。ロリダンディだが、名前などどうでもいい』
『因みに胸に絶対領域は無いらしく、平坦な胸にサラシを巻いて隠していた。きっとマニアにはたまらない姿なのだろう』
『なに、この周のセラエノ断章の精霊の姿? シュリュズベリィ先生の姿をしていたとも──ハヅキの衣装のままでな』
『この周のセラエノ断章の姿を一目見た俺は瞬時にセラエノ断章の精霊の全身像にゴッドフレスコを掛け、脳内の安定を図る事に成功した』
『次はゆっくりと時間をかけて、あの姿を脳内の記憶から消し去っておきたいと思う』
『この周のシュリュズベリィ先生も、彼を精霊化するのは自室でゆっくりしている時にほぼ限定しているらしい』
『自室で実体化させて何をしているかなんて、俺には怖くて聞く事はできない』
『以前にもミスカトニックに所属していた頃にTS周は存在したのだが、その時はどちらももう少しまともな姿をしていたと思う』
『裸コートでは無いが、臍出しルックでファンキーなファッションに身を包んだあの周のTSシュリュズベリィ先生』
『ハヅキは人型に変形できるトナカイか何かだったと思う』
『そうそう、バイアクヘー形態になると、まるっきりトナカイに引かせたソリになってたんだよなぁ』
『んで、講義の初めには『ハッピーかい?』とかなんとか。何故か医学にも造詣が深かった記憶がある』
『幸せな過去を振り返るのはよそう。人の目が前に付いているのは前を向いて歩く為に、だ』
『今周は大学にいる間は普通にのんべんだらりと学生する、って感じのコンセプトな訳だし、無理にシュリュズベリィ先生に関わり合いになる必要も無い』
『実戦民族学の講義にしても積極的にシュリュズベリィ先生に関わり合いにならなければいいだけの話だし』
『なにはともあれ、入学は果たした』
『講義の内容はソラで言えるし、質問をされた時の受け答えも完璧』
『大十字との接近遭遇までは時間が少しあるし、講義の合間の時間は何も考えずに街をぶらつく事にしよう』
―――――――――――――――――――
大学での講義を終え、放課後。
何も考えずにぶらつく、という考えの元に行動を開始した訳だが、早くも美鳥が脱落した。
何も考えずにぶらつく。
これすなわち無念無想の境地にて街をぶらつく事に他ならず、美鳥はそのまま見事に公園の怪しげなお菓子の屋台に吸い寄せられていったのだ。
これぞ大宇宙の、いやさ小宇宙の意思。
無念無想、一切の思考を宿さない美鳥の空と化した肉体を、美鳥の内に眠る小宇宙が操り、あの屋台へと誘導せしめたのである。
勿論嘘だが。
屋台の品ぞろえを見れば、自然界には存在しない様な不自然極まりないカラーリングの砂糖菓子が大量に売られている。
美鳥が吸い寄せられたところから見るに、発がん性物質な合成着色料とかがどっさり投入されたお菓子なのだろう。
ミッドナイトブルーとショッキングピンクとエメラルドグリーンとクロムイエローが螺旋を描くソフトクリームを購入した時点で、美鳥も一応正気には戻った。
が、食べきるのに時間がかかりそうなのと、一旦この店のお菓子の調査をしたいとの事で、ここで別れる事となった。
256色のゼリービーンズやゴムみたいな食感のミミズ型ハードグミという良く分からない商品に目を輝かせる美鳥を公園に置き、俺はアーカムの中でもそれなりに人の多いストリートに足を踏み込む。
ミスカトニック大学のみならず、ハイスクールの近くでもあるこの通りには学生や教師をターゲットにした店が多くあり、料理の質はともかく、選択の幅だけは無闇に広い。
大分前のループで聞いた話なのだが、ここら辺には最近開店した美味しいと評判のラーメン屋があるらしい。
その話を聞いた頃には既にニグラス亭に入り浸っていたので、あまり興味は湧かなかったのだが、こうしてこの通りに来てみると、なるほどと頷けるところがある。
帰宅途中の学生達の生み出す喧騒と共に風に乗って運ばれてくる香しい匂い……。
「こっちか」
匂いを辿り暫く歩き、俺はある一軒のラーメン屋の前に立っていた。
真っ赤な暖簾には筆字で『蓮蓮食堂』とある。
千歳さんはここを本気でアメリカとして描写するつもりがあったのだろうか。はなはだ疑問である。
とはいえ、店構えもそれほど仰々しく無いし、裏の換気扇から漂う匂いも悪くない。
入口の前には出前用と思しき使いこまれた自転車が一台。裏手に仕入用っぽい車が一台。
客が止める為の駐車場は無く、ここを徒歩か自転車で通る連中をターゲットにしているのだろう。
暖簾を腕で避け、扉を開ける。
「っぇらっしゃぁっ!」
威勢が良すぎて何言ってるか分からない挨拶はご愛敬。
食事時では無い為か、席はそれなりに空いていた。
店の外からでも感じられた香ばしい匂いはますます強くなり、その匂いを胸一杯に吸い込むだけで口内にぶわっと唾液が溢れ出してきそうになる。
店内に溢れ返る匂いは、二種類のスープが元になっていると思われる。
一つは強く魚介の風味豊かな塩系スープ。もう一つは香ばしい本丸大豆醤油を使用した醤油系スープ。
カウンター席に座り、店内を見渡す。
張り紙を見たところ、ここのお勧めは塩ラーメンらしい。
これは、極めて難解な問題である。
既にこの店内でラーメンの匂いを嗅いだ時点で、ここでラーメンを食べないという選択肢は存在していない。
問題は何を食べるか、だ。
個人的な好みで言えば、実のところ塩でも醤油でもなく、豚骨ラーメンが好みに合っていたりする。
濃厚なとんこつスープに、やや硬めの細縮れ麺。
可能であればにんにくに、紅ショウガも付けたい。トッピングはその時の気分次第で臨機応変に。
だがこの店に豚骨は存在しない。そういう店も決して珍しい訳では無いので、これは想定の範囲内。
では、このメニューの中で何を選ぶか。
チャーシューメンや、それ以外にもチャーハン、餃子に麻婆豆腐と基本的な付け合わせも揃っている。
が、ラーメンに限って言えば、基本となるスープは塩と醤油の二択になる。味噌は無いらしいが別に気にならない。
塩と醤油。
塩るべきか、醤油るべきか、それが問題だ。
この悩みは、きっと人が初めてラーメン屋に入り、死ぬ寸前まで繰り返される永遠の命題だろう。
箸置きを視点として、割りばしの両端に吊るされた二種類のラーメンが脳裡に浮かぶ。
俺の心の天秤は、今驚くほどの静けさと均衡を保っている。
この二つを測りに掛けた時、どちらかに傾ける為の要素を俺は内部に持ち合わせていないのだ。
完全なる均衡。
それは力が存在していない事を現しているのではなく、星を砕く程の互いの全力が完全に拮抗している事を意味しているのだ。
静かな均衡を保つ天秤、その周囲の空間には幾度となく爆発的な衝撃波が生まれている(イメージ)。
天秤に掛けられたラーメンの背後、黄金の鎧を纏った二人のアテナの戦士が見えてきた(イメージ)。
いけない、このままでは、百日戦争が勃発してしまう……!
「おじさん、おかわり!」
「っいよ! 塩一丁!」
ふと、二つほど椅子を挟んだ隣の席の客と目が合う。
その客は、満面の笑みを浮かべて、言う。
「塩、おいしいよ」
小柄な客だ。
耳の付いた様な黒い帽子に、腰まで届く緑がかった二房の銀色の髪。髪は先の方で勾玉の様な何かで止められている。
顔に浮かべた笑顔は天真爛漫。
服装はストリートファッションといった風のそれだが、健康状態が悪い様にも思えない。
両手を包帯でぐるぐる巻きにしているのは、おそらく彼女の中の流行なのだろう。
彼女は何時かこう言う日を待っている筈だ。
『もう後戻りはできんぞ、巻き方は忘れちまったからな』
と。
でも、それを言うまでに彼女はあの包帯の巻き方を完全に記憶してしまうに違いない。
毎朝毎朝、パジャマから着替えて服を着る前、机の中に大事に仕舞い込んでいた包帯を手に巻く作業が行われているのだ。記憶しない筈が無い。
それこそが、数学的な意味では無く聖書などにおける完全数である七、その二倍の年齢に達した時に多くの人が掛かる病にありがちな症例なのだから。
いや、今は客の心の病などどうでもいい。
「では、俺も塩ラーメンを一つ」
完全なる均衡は、この客の一言によって崩された。
醤油が気になったのであれば、またの機会に食べればいいのだ。
今日は、人に勧められたという理由で塩を選ぶ事ができる。
「あい塩一丁!」
折れの注文と店主の返答を聞き、客は嬉しそうに頷いた。
銀髪の客──見たところ、というか、声も含めて間違いなく少女だろう。
彼女の目の前には既にどんぶりが山の様に積まれている。
「ここの常連さんで?」
ラーメンが来るまでの時間潰しに、話しかけてみる。
「いや、今日風に誘われてふらりと。大当たりで良かったよ」
椅子に座り、脚をぶらぶらさせながら嬉しそうに答える少女。
風に誘われて、とか何となくカッコいい言い廻しのようではあるが、つまりは風に運ばれてきたラーメンの匂いに釣られてきたのだろう。
風の魔力を僅かに纏っている事から魔術師の類なのだろうが、風の魔術をメインで扱うには厨二病にならなければいけないという戒律でもあるのだろうか。
「そうですね、誘われる価値のある、良い風でした」
美味しい匂いがした的な意味で。
「深くないおサカナさん達の、いい匂いだよね」
そりゃ深いお魚さんだったら食用にするべきでは無いだろう。
「へいお待ちぃ、塩ラーメンんっ!」
今にも器ごと折神大変化しそうな掛け声と共に、注文の品が同時に届いた。
会話を中断し、やってきたラーメンに顔を向ける。
器から立ち上る湯気に顔を近づけ、呼吸器一杯に潮の香りを満たし、スープを一口すする。
マグロ節をベースにした、複雑で繊細な味わい。
これは、美味過ぎる!
しかもその美味しさはスープに限った話ではない。
極上のスープと共にあるのは、やはり極上の麺。
スープを多く纏う平麺でありながら、噛み締める度にありありと小麦の存在感が現れてくるのだ。
麺の仄かな小麦の甘味と魚介の風味を含む塩スープとは絶妙なかみ合わせ。
我を忘れて麺を啜りスープを流し込む。
胃が満たされ、しかし食べれば食べる程に空腹感が増していく錯覚。
錯覚、いや、今俺が感じているこの空腹感こそが現実となる。
「おかわりお願いします」
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
「ふう」
容量無限の胃袋があるとはいえ、食べるにはやはり少なからず時間がかかる。
なので、こういう場でのおかわりは九杯でいいと相場が決まっているのだ。
御冷で熱々になった口の中を冷ましつつ、再び店内を見渡す。
ふと視線を上の方に挙げると、有名人のサイン色紙(八月のダーレスというペンネームの様なものから、アーミティッジ博士の様な間違えようのない本名も見受けられる)と並び、一枚の大判の写真が飾られているのを発見した。
灰色の荒涼とした高原に立ち並ぶ幾つかの民家に、修道院。奥の方に見える山の上には縞瑪瑙の城が小さく写っている。
その写真の隣には、先ほどの写真に写っていた修道院の内部の写真。
神官らしい銀髪の少女が、七分の一サイズのアルアジフのフィギュアを手に、恍惚の表情を浮かべている。
背後の礼拝堂の椅子には、戦利品らしきものが詰め込まれたアニメイトやとらのあななどの袋が大量に積まれている……。
ここにきて、写真に写った土地の名前を思い出す。
「ああ、『蓮蓮(レンレン)食堂』って、そういう……」
ラーメンは美味しいけど、ここにはなるべく立ち寄らない方がいいかもしれない。
そこまで考えた所で、店内の風の流れの変化に気付いた。魔力の流れにも。
魔力の中心には、先ほど俺に塩を進めた少女。
少女の目の前には山と積まれたラーメンなどの皿、少女の手には、逆さにされて口を開いたガマ口財布。
財布の下には明らかに勘定を済ませるのに不足していると分かる量の小銭。
困った顔をした店主と、困った顔をしつつ、身体に人を殺すのには丁度いい量の魔風を纏った少女。
少女の狙いは明らかだが、俺は勘定を済ますと決めたので、店主を殺されるのは本意では無い。
少女が身に纏った魔風を軽く手を振りディスペル。
魔術をディスペルされて少女は驚いているようだが無視、店主に声をかける。
「店員さん、お勘定お願いします。そっちの人の分も」
「え、ちょ……」
一応、食べ歩きを想定していたので、財布の中には結構な金額を入れてある。
戸惑う少女に『ちょっと黙っててください』と視線を投げ、てきぱきと勘定を済ませていく。
文句は言わせない。
少なくとも、店員ぶっ殺して逃げるかー、なんてのよりは、見知らぬ相手に奢られる方がよほど常識に沿った行動だからだ。
―――――――――――――――――――
少女もまた、空腹感を呼び起されていたのだろう。
ラーメン七杯に加え、チャーシュー盛り、半熟卵三つ、海老チャーハン大盛り、角煮丼、水餃子二皿、焼き餃子にエビチリを頼んでいたらしい。
中古のPSPくらいなら購入できそうな代金を立て替える事となったが、貴重な美味しいラーメン屋を潰されるのを考えれば安い出費だろう。
店を出ると、少女は少しだけ申し訳なさそうな顔を向けてきた。
「これ、奢って貰っちゃった、って事でいいのかな」
お金返したいとかじゃないんだな。
金が足りないから店主殺すか、なんて結論に至ってる時点で予測はしていたし、当然と言えば当然か。
「いいんじゃないですかねぇ」
少女のかなり図々しい問いに、俺は投げやり気味に答える。
別に、金に困る心配は無いのだし、店主の命と腕の安全を金で買ったと思えば安い。
俺の答えを聞いて、少女はヒマワリが花開く様な無邪気な笑みを浮かべた。
「だよね! ありがと、ごちそうさま!」
欠片も悪びれた様子の無い良い笑顔。
ここまでさっぱりとした態度を取られると、怒るのも呆れるのも通り越して感心するしかない。
恐らく、この少女はどうしようもない程に正直ものなのだ。
ただし、人に対して正直なのではなく、自分の中の感覚に対する正直さ、誠実さ。
美味しそうな匂いがするからラーメン屋に入る。
美味しそうな予感がするからラーメンを注文する。
迷っている人がいたら、自分が美味しいと思った方をお勧めする。
金があったら払う。払えなければ踏み倒す。
恩を受けたのなら感謝をする。
あの店主を前にした時の困った様な表情は、金が払えない事に関するものではなく、美味しいラーメン屋を潰してしまう事を基因にした表情だったのだろう。
感情的な様でいて、非常に論理的だと言える。
彼女は自分の中でのみ通用する本能という論理に忠実なのだ。
それが外から見て倫理的にどうなのかはさておくとして。
「とりあえず、今後は財布の中身を確認してから入店してくださいね」
言って聞くとは思えないが、一応言っておく。
だが、少女は予想と反して俺の言葉に神妙な表情で素直に頷いた。
「うん、これ以上恩人に迷惑掛けられないもんね」
「恩人、って程のものでもないと思いますけど」
どっちかって言うと、さっきのラーメン屋の店主の命の恩人だという自覚はある。
飯おごって貰って恩人、ってのは何か違わないだろうか。
だが、少女は俺の言葉に対し、軽く首を振って否定した。
「ご飯を御馳走になるってことは、命を繋ぐ助けをして貰ったって事だよ」
一宿一飯の恩義、という奴だろうか。
とても食事代が足りなかったからと言って、魔術まで使用して店主をスライスチーズみたいに斬り裂こうとした人間と同一人物とは思えない台詞だ。
が、もちろんそんな事を口にする俺では無い。
結果として店主の命もあのラーメン屋も無事だった。それでいいではないか。
どうせこの少女と今後関わり合いになる確率は極めて低い。
彼女の道徳的教育レベルが極めて低く、これからの人生で突発的に犯罪を犯す可能性は極めて高い。
だとしても、俺と彼女の接点の無さから考えれば、俺が直接的に迷惑をこうむる確率だって極めて低いだろう。
なら、なぁなぁで済ませてさっさと解散するのが冴えたやり方というもの。
「まぁ、あなたがそう思うなら、そうなんでしょう」
お前の中ではな。
その俺の心の声は聞こえていないらしく、少女はうんうんと頷く。
会話は終了、これで解散という意思表示なのだろうか、少女は此方に背を向ける。
一度だけ振り返り、手を振ってきた。
「星の海を掛ける駿馬に誓って、この借りは必ず返させて貰うね」
ええぇー……。
俺は表情を取り繕うのも忘れ、全力で嫌そうな顔をしたのだが、表情が組み換わる頃には少女は再び前を向き、街の喧噪中に走り去ってしまっていた。
正直、関わらないで貰う事が最大の恩返しになると思うのだが、少女は全くそう思ってくれなかったらしい。
家路に付きながら思った事は、あのラーメン屋に行くなら、店内と周囲にあの少女が居ない時を見計らうしかないな、というものであった。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
さて、時は数時間流れ、場所は再び夢幻心母の内部へと移る。
悪い噂のせいで入り浸り難いと思っていたけれど、以外に噂は広まっていないらしい。
そこはまぁ、女子の派閥は結束も強いけれど、人数的な面で見れば規模は大きくなり難いという特徴が功を奏したのだろう。
ドクターを庇うグループは俺の事を避けている感じではあるが、それ以外のドクターと関わらない部分のグループとはそれなりの交流をしている。
これでも普段のループに比べると私的な部分での団員の結びつきは強いと思うのだが、難しい話だ。
大導師殿のカリスマッ☆が無ければ、このブラックロッジは空中分解しているのではないだろうか。
……当たり前か、そもそもブラックロッジの成り立ちからして、大導師のカリスマありきって感じだものな。
それなりに能力のある人材のスカウトは大体大導師様が前面に出てやっているみたいだし。
そんな訳で、今日も今日とてブラックロッジで悪っぽい活動に精を出す。
大学では大学生らしく、ブラックロッジでは社員らしく素直に振舞うのが今回の目的なのだ。
今日のテーマは、サイボーグ技術の習熟。
幸いにしてこの世界独自のサイボーグであるサンダルフォンのデータがあるお陰で、これまでに、精神面の不備のせいでパワード覇道瑠璃にすら勝てないヘタレのワンオフ高級サイボーグから、量産型のサイバーマンまで様々な分野に手を出す事が出来た。
ラーメン屋の帰りにふと思い出したのだが、先日の会合の時、ヘタレのTS体と思しき女を見つけた。
以前は彼独自のヘタレ思考とヘタレ戦術のお陰でカタログスペックを素直に吐き出させる事すら出来なかったので、今回は方向性を変えてみようと思っている。
美鳥が姉さんから機甲術のデータを引き継いでいてくれて助かった。
そろそろソフト・マシンによるより人間に近い使い心地の肉体を研究してみたいので、それに見合った身体能力、精神力を手に入れて貰わなければ。
そんな訳で、以前と同じ場所に与えられた夢幻心母内部の私室で少し寛ぎ、全身義体化手術のとっかかりを作る為の機材を製造、女ヘタレを探しに行こうとした、のだが。
この辺りをウロチョロと歩きまわる、大きめの魔力反応を感じる。
マップを広げるまでも無く、相手の力量や大まかな身体的特徴を掴む事は容易な訳だが、今回ばかりは難しい。
魔術師の生物としての特徴が、高位の魔術師になればなるほど人間から離れていくとはいえ、今回は全員がTSしているのだ。
男性的な特徴、女性的な特徴を基点にして肉体的改造を施していた魔術師であればあるほど以前とは構造が異なるし、見分けも付きにくい。
俯瞰マップを脳内に展開すると、近付いてくるアイコンは糞餓鬼さんのものであった。
思えばこの周では初遭遇だが、別に以前までの周でも殆ど絡みが無かったのでかなりどうでもいいタイプに分類される人だ。
風属性に強い魔術師ではあるが、ぶっちゃけ完全上位互換のシュリュズベリィ先生を取り込んでいるので、糞餓鬼さんから得られるものは何も無いのだ。
適当に挨拶だけ済ませて、改造人間素体(ヘタレ)探索を再開してしまおう。
トリプルスクリュー気味に捩子曲がった廊下の角を曲がり、糞餓鬼さんが顔を出すよりも早く此方から相手を発見する。
以前のループで見たのと同じ、ミニ四駆の肉抜き済みボディみたいな骨組みっぽい裾のついた黒のハーフパンツに同色のパーカー、頭部の前面だけを覆う不思議帽子に、ハンバーグラーを思い出させる目抜きのアイマスク。
小生意気そうなうすら笑いを浮かべた、性別が反転しているところ以外は何も変わっていない。
「お、居た居た。てめぇが大導師サマお気に入りの新人か?」
声がこれまでの時よりも明らかに高いという点に、腰に下げた丸っこい獣の頭の様なポシェット、極めつけに『蓮蓮食堂の塩ラーメンの匂い』が無ければ、完全にスルーしてしまう所だ。
「ええ、初めまして。貴方は逆十字の一人、という事でよろしいでしょうか」
平静を装い挨拶を返しつつ、思う。
万が一、という事もある。
食堂の少女と口調は違えど同じ声に、食堂の少女も所持していたポシェット、更に蓮蓮食堂の塩ラーメンの臭いがしたからと言って、必ずしも本人であるとは言い切れない。
よくよく見るとスニーカーは同じデザインだとか、髪色も少女と同じだとか、揉みあげっぽい部分の髪がパーカーの中に収納されているとか──、
そんなの、決定的な理由にはならないじゃないか……!
「おう、ボクはクラウディウスってんだ。ヨロシクな。んで、いきなりでワリィんだけどさ、ちょっとツラ貸せよ」
ほら、いきなり絡んできたぞ。
普段のループでは極々標準的な態度ではあるけど、仮にクラウディウスが先の少女と同一人物だとしたら、いきなりこれはキャラが違い過ぎる。
先の少女と同一人物であるのなら、
カツアゲ→連れ出すまでも無くその場で殺害して荷物から財布を奪う。
みたいな超短絡を起こすに違いないのだ。
因みに初遭遇の時にこのパターンで絡まれる確率は実に五分の一。それ以外は普通に挨拶してそれ以降一切絡みは無くなる。
人気の無い恐喝スポットにおびき出された場合でも、とりあえず適当にぶっぱして気絶させた上で記憶を改竄すれば、それ以降絡む必要も無くなる。
どっちにしろ絡む事が無くなるのはある意味必然だろう。
そんな訳で、これで逆十字との接近遭遇を一人分終わらせられると思った俺は、ホイホイとついて行ってしまうのであった……。
―――――――――――――――――――
所変わって、何故か夢幻心母内部の俺の私室。
あの後、何故か人目に付かない場所をクラウディウスに聞かれた俺は、完全に監視の目をシャットアウトする事が出来ると確信している私室へと案内する羽目になってしまったのだ。
試しにクラウディウスの自室ではだめなのかと聞いてみたのだが、基本的に研究者タイプの逆十字でも無い限り、自室は只の物置になっているので話が出来る環境では無いらしい。
因みに、口の中の歯に生まれる角度に関しては、空気中に散布されたナノマシン『が』念動力を使う事により、見えない力場で角度を埋めるという方法で対処している。
「さっきはごめんね? 恩人相手にあんな態度取っちゃって……」
無論、角度に関する何処へ向けた物でも無い解説は現実逃避だ。
廊下を歩きながら挑発的かつ上から目線が基本くさい態度で喋っていたクラウディウス。
彼、いや、彼女は俺の部屋に入り『本当に、ここなら余計な奴の目はねぇんだろうな』と念を押し、俺が頷くと同時に一気に態度を軟化させた。
アイマスクを外し謝罪する姿からは、とてもブラックロッジの逆十字という肩書は思い浮かばないだろう。
「いえ、理由はお聞かせ頂きましたので、理解しております」
「うん、流石に下の連中が居るとこで、逆十字のキャラを崩す訳にはいかないもんね」
でも、ごめんね。と言い、再び帽子の天辺が見える(アイマスクを取ると同時に一度帽子を外して被りなおしている。仕事中は帽子を畳んで被っているようだ)程に腰を曲げ頭を下げるクラウディウス。
そう、つまるところ、このループにおけるクラウディウスのキャラは、仕事時間中限定で本人が意識して作っているキャラクターであり、プライベートとは全く分けて考えなければいけないのだ。
最も、勘定が足りないから店潰して逃げよう、なんて考えの持ち主である以上、常識と良識の欠如っぷりはTS前とどっこいどっこいなのだろうけど。
「ところで、結局クラウディウス様は俺に何かご用が?」
「んー……」
俺の問いに、しかしクラウディウス♀は答えず、眉をハの字に傾けて唸り声を上げる。
「何か?」
「あんまり、プライベートでそういう口調は聞きたくないかな」
そういうものだろうか。
まぁ、仕事以外で敬語だの堅苦しい言葉を聞きたくない、という人は珍しくないのかもしれないが。
「あと、クラウディウスは役職名みたいなものだから、仕事以外では『ハイパボレアを歩むもの』って呼んでよ」
「本名とかあだ名とかじゃなくて、絶対二つ名とかそんな感じでしょそれ」
とりあえず口調を砕けたものに変えてツッコミを入れる。
むしろブラックロッジの関係者とは仕事以外でなるべく顔を合わせたくないというのがまごう事無き本音な訳だが、それを言うと叛意ありとみなされかねないので言わないでおく。
クラウディウス♀改めハイパボレアを歩くもの(以後脳内においては『かぜぽ』とする)は、俺の言葉に少し照れたように顔を赤らめる。
「あ、もしかして、僕の本名とか、聞きたい? でも、今の君じゃあ少し男気が足りないかなぁ」
「俺、心に決めた人が居るんで謹んでお断りします」
なんかかぜぽの上から目線が入った気がしたので、更に上から目線で押しつぶしておく。
更に腕を斜め下に伸ばし、
「お断りします」
手は平手で掌を下に向け、
「懇切丁寧にお断りします」
顔をかぜぽに向けたまま数歩後ろに歩き、
「やっぱり承ると見せかけて断固お断りします」
地球の重力を無視してゆっくりと残像を残しながらの宙返り。
「 お 断 り し ま す 」
背景に効果線を浮かび上がらせ、キメ。
これこそが全身全霊を掛けた否定の意思表示。
伝統と信頼のお断りしますのポーズ宙返りバージョン。相手は死ぬ。
「うっわムカつく。君、そんな事ばっかやってると女の子にもてないよ?」
当然、かぜぽはこめかみに青筋を浮かべ、しかし自分は組織的に見て上位に居るということから、表面上の余裕を崩さないように、ひきつりながらも笑顔を浮かべている。
「いいんですよ、誰にでも優しい人なんて胡散臭いったらないでしょう? それより、結局用事ってなんなんです?」
「あ、そうだった」
そう言い、かぜぽはわたわたと慌ただしく自らの身体を手で探り、その場でくるくると回り始めた。
この女クラウディウスことかぜぽも決して気性が穏やかという訳でも無いのだが、なぜだろうか、くるくる回るその姿は自らの尻尾を追いかける犬のようでもあり、やはりマスコット的な可愛さがある。
この周のブラックロッジ、中々にあざとい。
「ええと、はい」
ようやくポシェットの中から目的の何かを見つけたかぜぽは、俺に取り出したそれを手渡した。
札束だ。しかも、一般流通している中では一番に価値のあるもの。
ざっと見ただけだが、下手をしなくても新車が即金で買えるだけの金額はあるだろう。
札束の端に小さく血痕が付いている事を除けば、実に健全な金だと思われる。
だが、かぜぽの表情は不安げだ。
「さっきのラーメン代。これで足りるかな」
「数十人単位で宴会してもここまでは必要無いでしょう。ていうか、さっきのは俺の奢りだったのでは?」
札を束の中から二枚ほど引き抜き、お釣りを差し出しながらかぜぽに問う。
が、かぜぽはお釣りを握った俺の手をそっと掌で押し返し首を横に振る。
「あの後少し考えたんだけど、ボクって一応、ブラックロッジじゃ君の先輩で上司に当たるでしょ? 新入りの部下に奢らせたなんて、みっともないじゃないか」
「おぉ」
すげぇ、今までトリップした時に関わった連中の中で、一二を争う程に上司かつ先輩っぽい。
なんかこいつ少しだけ犬とかの群れるケダモノの臭いがするし、そういうのには拘るタイプなのか。
猿山とか犬の群れとかそんなのと同じ感じで。
「わぷ」
そんな事を考えていたからだろうか。
俺の意を汲んだ部屋の実験補助用の簡易AIが、万能マジックハンドに無香料のファブリーズを持ち、ぷしぷしとかぜぽに吹きかけていた。
顔に消臭剤を掛けられ、眼を咄嗟に瞑り顔を顰めるかぜぽ。
無香料の消臭剤ではあるが、消臭剤自体の匂いが鼻に来ているのだろう。
良い子のみんなは、消臭剤を人の顔面目掛けて噴射してはいけないぞ。
「ちょ、この、やめ!」
部屋の中に風が巻き起こる。
原始的な、それこそ未開の地でシャーマンなどが使いそうな自然界の流れに即した風の魔力。
吹き荒れる風はカマイタチを作り、ファブリーズを拭きかけてくる万能マジックハンドを一瞬で切り刻み細切れにした。
「うー……」
不満げな、『ボクは文句があるよ!』とでも言いたげな表情で唸られてしまう。
「いや、申し訳ない。この部屋は基本的に来客を想定してないから、AIの判断も大雑把なんですよ」
まるきり俺の思考をトレースして動くだけだし。
つまり、ちょっとケダモノ臭さが嫌だったんだけど、それを言うとこじれるよな。
「それならそれで、先に言っておいてよ。うぅ、変な臭いがする……」
パーカーの襟首を手で掴み、鼻をひくひくさせて匂いを確かめている。
鼻を馬鹿にしたままで返したら、また変に恨みを買って変な噂を流されるかもしれない。
そこで、液体操作だ。
真改の陰義だが、金神を取り込んであらゆる陰義の元となる『超』能力を備えている俺からすれば、再現程度は容易である。
乾きかけの消臭剤を空気中の微量な水分と結合させ、かぜぽの顔やパーカーから引きはがす。
地味な染み抜き作業の真似事でありながら、これで立派な、魔力でも字祷素でもない、純粋な宇宙的パワーの発露な訳だ。
だが、魔術師の目から見るとそういう力はやはり魔術的な物に見えるらしい。
「わわっ」
顔周辺での唐突な魔術行使に、かぜぽは目をぱちくりと瞬かせる。
消臭剤の臭いが消えた事に気が付いたかぜぽは、俺の事を少しだけ関心した様な眼差しで見つめてきた。
「キミ、結構繊細に魔術を使うよね。趣味?」
かぜぽが性転換クラウディウスである事を考慮すれば、これは『ちびちびとみみっちい真似ばっかしてんなぁ』みたいな意味なのだろうか。
言葉の裏の意味は計り知れない。意外に奥が深いではないかTS周。
とりあえず、このかぜぽは今のところ害がある訳でも無いとわかったので、社内での俺の評判回復の為にも、適当に仲良くしておいて損はないだろう。
「もちろん趣味ですよ。あ、そうそう、先程の無礼への詫びという事で、おやつでもどうです?」
空間的に断絶した亜空間を収納した冷蔵庫を開けながらかぜぽに問う。
「詫びは要らないけど、おやつの時間なら大賛成だよ!」
かぜぽはその場で跳び跳ねん程の喜色を顔に浮かべて賛成してくれた。
冷蔵庫内部の亜空間から茶菓子の盛り合わせを取り出しつつ、俺は思った。
クラウディウスの衣装からアイマスクを抜いて素直そうな少女の顔を入れると、途端に衣装に着られている感がとてつもない事になるなぁ、と。
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▽月▲日(餌付け)
『には、まぁまぁ成功したと思っている。自己評価ではあるが』
『これで、ラブには成らずにライクなレベルで好感を刻みこめた』
『もしも俺が大十字の側でブラックロッジと相対しても、かぜぽに直接被害を与えなければ正体をばらされる事はない筈だ』
『それもこれも、メメメの時の反省を生かし改良に改良を重ねたナノポマシンと』
『日本各地の銘菓と、ドイツ仕込みのチョコレートケーキのお陰と言っていいだろう』
『……ナノポマシン補正を抜いた一番人気の茶受けがビーフジャーキーであった事は受け入れ難いが、それ以外もまぁまぁ好評だったので良しとする』
『さて、ブラックロッジに来てからもう二月ほどの月日が経過してわかった事なのだが、TSしてもしなくても、逆十字はめったに夢幻心母には姿を現さない』
『たびたびラーメンを食べたり俺に菓子をせびりにアーカムに訪れるかぜぽと、その付き添いのカリグラ(♀)』
『ここ二月で接近遭遇に成功した逆十字はこの二人だけだ』
『ここで、かぜぽの次に遭遇した逆十字である、TSしたカリグラの事を紹介しておきたい』
『事前に言っておく必要があるのだが、俺はやはりカリグラともあまり深く接触した事はない』
『これまでのループでも挨拶をすれば返してくれる程度の社交性を持っている事を確認した以外では、会話すら碌に交わした事が無いのだ』
『そして、その程度の付き合いしかした事の無い俺でも分かるほど、TSカリグラはキャラが違う』
『彼女の事を一言で表すとすれば、豪放磊落』
『この周のブラックロッジでは珍しい肉体派の男性揃いの部下を多く持ち、その部下たちにはとても良く慕われている』
『マスクはしていない。全身を甲殻で覆われているものの、人間的な肌の露出も多い』
『普段の周との共通点を無理矢理に挙げるとすれば、やはり筋骨隆々であるという事だろうか』
『性に関して開けっ広げのフリーセックス主義で、部下の屈強な男は彼女の性的欲求を満足させる為に居るのではないかと噂されている程』
『女性的な柔らかさとは無縁の密度の高い筋肉質な肉体は、しかしその甲殻の間から垣間見える小麦色に焼けた肌のお陰で健康的なエロスを持っていると評判である』
『ブラックロッジの数少ない男性社員の間では、ティベリウスと並んで慕われつつも怖れられている逆十字』
『愛称はタカリグラさん。オーズの亜種コンボの様ではあるが突っ込んではいけない。逆に突っ込まされてしまうかもしれないからだ』
『このタカリグラさんが居る限り、俺はゆっくりと夢幻心母で実験もできやしない』
『まさか、この周のブラックロッジでは珍しい男だというだけでロックオンされるとは思わなかった』
『彼女を止める事ができるのは、男性社員人気を二分するライバルでもあるティベリウス(♀)だけだというので、今は大学で雌伏の時だ』
『時間を開けてタカリグラさんの気が変わるのを待つのも悪くない選択だろう』
『幸いにして、シュリュズベリィ先生は課外活動の真っ最中』
『美鳥も引き連れ、秘密図書館辺りでゆっくりさせて貰うとしよう』
追記
『書き忘れたのだが、水妖の気が極端に濃い日だけは彼女が居ても夢幻心母でゆっくりする事ができる』
『肉体改造の副作用で、水妖の気が濃い時のみ改造時のモデルとなったとある水妖の女王の姿になり、性的な追撃は成りを潜めるのだ』
『その時のカリグラの姿は黒髪金眼の喪服を着た小柄な少女。長い髪は頭の左右で輪にして、白い花の髪留めで纏めている』
『筋肉はしぼみ、骨格は全く原形を残さぬ程に変形し、まるきり別人のシルエット。というか、ほぼ別人として扱っても問題ないらしい』
『思うに千歳さん、あなた塵骸好き過ぎるだろう……』
『元の世界に帰ったら、存分にファンタスティカルートの素晴らしさを語り合いたいものだ』
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……………………
…………
……
この時代だと、コロッケに使われる肉は質の悪い屑肉ばかりと相場が決まっていたらしいが、結構良い肉を使っている。
流石に大学の図書館の館長ともなると、給料もそこらのリーマンとは段違いなんだろうなぁ。
ただ、肉の分量が多いというか、ほぼまるきり肉だけのコロッケというか。
「メンチカツじゃねぇか」
メンチカツじゃねぇか!
さして大事な事ではないので、二言目の叫びは心の内に留めておく。
アーミティッジ御婆ちゃんがわざわざ差し入れに置いて行ってくれたのに、文句を言うのは筋違いだろう。
大体、ここで比べられるのはコロッケとメンチカツだ。
どちらが高価かと言われれば、二十人中十一人程は『どちらかと言えばメンチカツが少しだけ高級な気がする』と断言する事は想像に難くない。
メンチカツを置いて行くと言われてコロッケが置かれていたなら拍子抜けもするだろうが、コロッケがメンチカツになったのであれば、どちらかと言えば儲けものと考えるべきだろう。
ホクホクジャガイモたっぷりのコロッケも悪くないが、ジューシーな肉汁溢れるメンチカツも悪くはない。
そう自分に言い聞かせ、メンチカツの衣の油が付いた指を舐めながら、机の上にページを広げた本を読む。
ハードカバーではない、日本の古い、紐で綴じてあるタイプのものだ。
同じ内容で、粘土板や石版、竹巻に記されているタイプの物も存在するのだが、そちらは持ち運びはともかく読む時にスペースを取るので遠慮しておいた。
少女状態のやや無口なカリグラさんに借りてきたのだが、これが中々に面白い。
カリグラさん本人の魔導書である水神クタアトとは比べ物にならないどころか、そこらの三文魔導書にも劣る力しか無いものではあるが、内容は今まで読んだことも無い記述ばかりで実に興味深い。
「東の島国へと移住した、〈深きものども〉の遠縁の異形、か」
恐らく、これは後に言う『わだつみの民』の事を指しているのだろう。
海水でも生臭い腐り水でもなく、澄んだ清い水を友として生きる淡水系の魚の民が彼らだ。
この書には、そんな彼等がどのような神を信奉し、どの様な生活様式を持っているか、どの様な歴史を歩んできたかという事に焦点が当てられている。
この書はここ数十年の間に書かれた物なのか、彼等が大陸の開発を嫌い、東の果てにあるという水の清らかな島国を目指し旅を始めた、という所まで彼等の歴史が記されている。
無論、その島国にしても現在進行形で発展を続けているので、決してその土地で長く繁栄する事はできないだろう。
が、それでも種としての延命を図ろうとする彼等の心意気には涙を誘われるものだ。
「む」
わだつみの民の歴史を大まかに辿り終えた所で、俺はある重大な事に気が付いた。
足元に置いてあったカバンに手を突っ込み、内部に展開した亜空間からある物を取り出す。
白く、ロボットの頭部の様なプラスチックと金属の複合体であるそれ。
その蓋を開けると、本を傷めない為の適度な温度と湿度が保たれている秘密図書館の内部に、一瞬だけ過剰な熱と湿気が立ち込める。
俺はそれを液体制御と大気制御で落ち付かせ、改めて蓋の開けられた内部をのぞき見る。
雪原の様な純白と、そそり立つ小さな粒、香り立つ仄か甘い匂い。
大地の恵みそのものと言っても過言では無いその煌めきに、俺は躊躇することなくしゃもじを付き立て、斬る様にして掻き混ぜる。
だが、決して粒を、米粒を潰したりはしない。
柔らかなそれをしゃもじで掬いあげ、同じく鞄から取り出した茶碗によそう。
更に箸を鍛造し、メンチカツ(アーミティッジ博士曰く『クロケット』というらしい)を掴み小皿に移し、箸の先端で振動波を叩き込む。
すると、冷めてやや固まり始めていた肉汁が内部で再びじゅわっとした感触を取り戻す訳だが、これが中々に難しい。
外の衣のカリカリ感が、暖め過ぎて内部から生まれた蒸気によってしなっとヨレてしまうのだ。
醤油とソースで迷うが、メンチカツはまだ結構な量がある。
美鳥は今日も別行動なので、唐突に食べられる心配をする必要も無い。
とりあえず一つ目は、という事でソースを垂らす。
「やっぱ、メンチカツには米だよな……」
いや、パンに挟んでも美味しいというのも理解しているのだが、やはり米が無ければ日本人は精神的に死ぬ。それほど重要な位置を占めるのがこの米なのだ。
折角差し入れを貰ったのだから、せめてよりおいしく食べるのが礼儀と言うものだろう。
「お前さぁ」
「は?」
ソースの掛かったメンチカツをご飯の上に箸で移動させ、さぁ口に入れようという所で、正面から声がかかる。
呆れのニュアンスを含んだその声は女性のもの。だが、言葉使いや響きはどこか男性的でもある。
一言で言うなら、レディース?だったか。女暴走族のヘッドとかに居そうな言葉使い。
視線は向けない。今はメンチカツと米だ。
そう思いながらメンチカツにかぶりつくと、噛んだ瞬間にソースと絡み合った肉汁が口の中に広が──らない。
今食べた物は、どちらかと言えばシーフード系に属するのだろうか、小ぶりの海老が入ったコロッケだった。
思い出すのはクロケットという物に関する知識。
内容物は肉やジャガイモに限らず、時には麺類を入れる事すらあるのだとか。
失念していた。内部を透視して改めるべきだったのだ。
「何、いきなり悔しそうな顔してんのか知らないけど、図書館は飲食禁止だろ」
視線を目の前の少し小うるさい女性に向ける。
高い位置で括ってポニテにした、少し長めの黒髪に、ややきつい切れ長の目。
造りとしては端整なのだろうが、日本人的な美しさというよりはガイジン的な造形の美系。
タッパも結構あり、ドレスなどで着飾ればそれなりに映えるだろうその女性は、こちらに胡乱な物を見る眼差しを向けている。
「へっはふほひひふははひはひへふほ」
「……褒められてんのは辛うじて伝わったから、さっさと片付けろよ」
言われるがままシーフードコロッケを咀嚼。
……シーフードだって分かってたら、醤油かタルタルにしたんだけどなぁ。
そんな後悔を表に出す事もせず、ご飯を掻き込み飲み込む。
「あのな」
言われた通りに片付けようとしているのだが、何故か目の前の女性は片手で頭を押さえて口の端をひくひく痙攣させている。
再び齧りかけのコロッケを口に運び、米と一緒に咀嚼をしながらそんな女性を見つめる。
なんというか、男性の時と比べて、余りにもキャラがぶれていない。
ボケた時の突っ込みとかはまだあまり体験していないが、それも恐らくは同じような突っ込みが帰ってくるのではないかと予測される。
「わたしは、『片付けろ』と言ったんであって、『完食しろ』と言った訳じゃないんだぞ?分かってるか?」
何か説教が始まりそうだが、当然彼女の言いたい事は理解している。
だが、食べかけのご飯を処理する方法としてはこれが一番効率的というか、無駄の無い方法ではないかと思うのだ。
何しろ、俺はあのメンチカツっぽいコロッケを温めてしまった。
二度温めると、今度こそあのコロッケの食品としての命は尽き果ててしまうだろう。
その事を考えれば、俺の脳内では片付けると完食するが=で結ばれてしまうのも仕方が無い事ではないか。
流石に、暖めなおしたコロッケ程度にド・マリニーの時計は使いたくないしな。
コロッケの残りとご飯を嚥下し、茶碗を鞄の中に放り込み、ペットボトルの茶で口の中をさっぱり洗い流してから、改めて女性の言葉に答えた。
「アーミティッジ博士がここに差し入れてくれたんですから、今この図書館は飲食オッケーなんですよ」
「いやいやいや、どう考えても『家に帰ってから皆で食べなさい』って事だろ。お前は人の言葉を都合良く受け取り過ぎ」
どうせ、この秘密図書館に湿気や菌にやられる本なんて殆ど無いだろうに。
性転換しても何も変わらないそのツッコミに、心なしか癒されている自分が居る。
多少性格のズレはあっても、ミスカトニックのこいつは何時だって変わらないツッコミ属性を持っているのだ。
日常生活において、メンタルに安定感がある人物はすべからく好ましい。
「そう堅い事を言わないで、アーミティッジ御婆ちゃんの特製クロケットでも食べながら話し合いましょう。ね? 『大十字先輩』」
TSのせいでキャラのぶれが激しいブラックロッジと比べて、ミスカトニック秘密図書館は平和だ。
皿の入った籠ごと差し出したクロケットに、迷いの表情を浮かべ、躊躇いつつもゆっくりと手を伸ばしてきた女大十字を眺めながら、俺の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
続く
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そして、五十六話。
食ってばっかですが、次回から本格的にラブコメろうと思うので、助走の回だと思って頂ければ。
ちなみに、元々五十五話と五十六話は二つ纏めて五十五話でした。
ほら、あれですよ。
二週間に一回の投稿より、二週間に二回の投稿の方が速度が速そうでいいじゃないですか。
途中までは『予告に描いたんだし、大十字がでるとこまでで五十五話にしないとなー』とか考えてたんですよ?
でも、よくよく考えると予告や宣言が上手く行った事の方が少ないなぁと思いまして。
自問自答というか、ほぼキャラ紹介なコーナー。
【シュリュズベリィ先生】
TSして幼女になる。
その外見から初見の生徒には舐められ気味だが、長く講義を受ければ受けるほどそのダンディさに骨抜きにされる。
胸にサラシを巻いている点を除いて、服装はまんま元の裸コート。
美少女の顔でやると色々問題があるので、眼窩が真っ暗なCGは出せない。
【ハヅキ】
TSしてジジイになる。
詳しい描写は避けるが、その外見を見た生徒は1/1D20程度の正気度を失う。
立ち絵は気合いが入っている。相手は死ぬ。
【蓮蓮食堂】
ラーメン屋。レンレン食堂が訛ってこの名前になったと言われている。
塩ラーメンが美味しい。
出自は怪しいが、食材自体はほぼ一般に流通している通常の食材を使用している。
【クラウディウス】
通称かぜぽ。
仕事中はキャラ造りの為に粗雑な口調と態度だが、私的な時間は多少言葉遣いと態度がまともになる。
が、善人という訳では無く、基本的には悪党。野生動物的な判断基準を持つ。
組織という群の規律などにはそれなりに気を付けているので、後輩や新人に対しては先輩ぶって世話を焼いたりする。
外見に関してはかぜぽで検索。衣服の一部デザインとか属性とかサイズとか似てるよね。
※備考
かわいい。
【カリグラ】
通称タカリグラさん。さんまでが愛称として定着している。
美人と言うにはゴツイ骨格をしているが、仕事以外ではきさくな性格の為部下からは慕われている。
性的に開けっ広げで、新人は大概この人に食われる運命らしい。
外見に関しては、知らない方が幸せな事もあると思う。その手の業界ではある意味伝説。
【水妖の気が強い時のカリグラ】
黒髪金眼で喪服の少女。
そもそも出番が少ない。
この状態の時はモデルとなった邪神眷属の女王の影響を精神にまで多大に受ける。
知名度を上げるため、魔術師としても素質の高そうな主人公にわだつみの民の風土記的な物を譲ってくれた。
出番も少ないが胸の盛りも少ない。
【わだつみの民】
清い水にしか住めないらしいので、〈深きものども〉に比べて生命力はやたら低いものと思われる。
しかし、水を操る力に長け、個体としての力は〈深きものども〉と比べてかなり高い。
が、所詮は絶滅危惧種である。
当SSでの出番はないので、彼等の事を知りたければ原作を購入しよう!
【ティベリウス】
男性人気が高く、恐れられてもいるらしい。
未遭遇。
【大十字九郎】
元から女顔だが、TSしたら余計に女らしい顔に。
詳しくは次回。
所で、今回一つの話を二等分した訳ですが、これには一つ大きなメリットがあります。
次の話しが出来上がった上で投稿するので、外れない予告編を書く事ができる!
あと、なんか連続投稿ってかっこいいじゃないですか。
それではではでは、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、
そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。
天狗の鼻が折れた、なんて言葉がある。
でも、その折れた鼻すら人より長かったりする事もある訳で。
秘密図書館の一件で中途半端な折れ方をしていた鼻、それは更に念入りにへし折られた。
次回
『東の国から来た後輩』
梅雨前線が戻ってきても、ラブコメ続けてます。