ジョセフ、そしてエレアさんと接触を図り一緒に食事をとり謎の助言者ごっこに成功、見事に何事も無く解散したあの日から、しばらくの月日が流れた。
気の良さそうな壮年の男性の手から俺の手に封筒が手渡される。中身は当然――
「はいお疲れ、今週の給料だよ」
「YAAAAAAAAAHOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!」
給料袋を握りしめ、膝を地面につき両腕を天に突き出したガッツポーズ、全身で喜びを表現。一週間の労働の成果が形となって俺の手の中に存在する!おお労働の素晴らしさよ!
「きみは本当に嬉しそうに給料を受け取るねぇ」
「あ、いや、仕事明けでハイになってるもんでつい」
しかも別に疲れているとかそんな理由でハイな訳では無く、なんとなく仕事が終わって嬉しいからとかそんな理由、ついでに明日からは休日だからという理由もあるが。
「で、あとどれくらい務められるんだっけ?一月位?」
「そうですね。そろそろ帰国ですからそんなもんでしょうか。」
「新しいバイトもそろそろ募集しなきゃねぇ」
「お手数かけます。じゃ、お疲れさまでしたー」
店長に挨拶し店を出る。握りしめた給料袋を懐の財布に仕舞いこみ、鞄を手にブラブラと歩きながら物思いに耽る。
今現在、俺は初日に立ち寄ったゲームショップで臨時の雇われ店員をやっている。と言っても毎日毎日働きづめという訳でも無く、週に三日程度だけ店番をやらせてもらっているだけなのだが。
数か月に渡る何もすることが無い生活というのも暇、更にお土産を多めに買う為にお金も必要ということでこの店のバイトをして生活にメリハリを付けているのだ。
貰った給料の一部は食費と隠れ家の改装に使い、休日には良いお土産が無いか市街地をぶらつきながら探索して時間を潰し、それでも余った時間はデモニアックを潰したり能力の練習に費やす日々だ。
――あれ以降ジョセフとエレアさんには接触を取っていない。新聞を見た限りでは無事にマルコ・ブラスレイターを撃破したのだろう。
そして先月、ゲルト・フレンツェンがレース場に乱入したデモニアックに襲われ再起不能。ついにアニメ本編の時間軸に入った訳だ。
「それでもまだ暇なんだよな、これが」
ゲルト編では特にやることは無い。次は市街地が壊滅してからの一週間が勝負になる。
ああいや違うな、もしかしたら市街地にデモニアックが大量発生した段階でどさくさに紛れてパラディンを取り込めるかもしれないと考えてはいるんだが……。
「ふぅむ」
その場合、高確率でジョセフと敵対するはめになる上に、ベアトリス辺りに発見される可能性もある。別にちょっかい掛けられる理由も無いが、何を仕掛けてくるか分からない辺りが厄介だ。
ペイルホースを取り込み、すべてのブラスレイターの能力を潜在的に保有している今、ブラスレイターと敵対するのは戦闘経験を積むという理由以外には意味がまったく無い。
しかし、既に手頃な崖から四桁に迫る回数飛び降りているにも関わらず一行に空を飛ぶ感覚を掴めていない今、空を飛べるブラスレイターであるベアトリスとの戦いを経験できれば、それは間違いなくプラスになる。
しかし、そこから芋づる式にザーギン辺りに目を付けられるのは面白くない。避けようとすれば避けられるような気もするのだが……。
考え事をしている内に市街地の端っこに到着した。目の前にはガルム――を微妙に改変しつつ複製したバイクが停めてある。
諸々のこちらの位置を特定できそうな装備をオミットしたこのバイク、今では変身前も後も立派に俺の脚を務めてくれている。あえて名前を付けるならガルム・マイルドとかそんなんで。
鞄からヘルメットを取り出し被る。あのジョセフも使っているタイプ、コートと一体になったヘルメットは色んな店を探したが見付からなかった。帰るまでには絶対に見つけてお土産にしたいと思う。
バイクに跨ってハンドルを握り、ゆるやかに速度を上げ走り出す。正直走った方が速いが、バイクにはバイクの風情があるのだ。難癖をつけてはいけない。
走り出して十数分で隠れ家に到着。バイクを隠して荷物を置き、教会の奥の住み込みの神父が生活するために存在したのだろう部屋に向かう。
この部屋にはベッドも何も無かったが、礼拝堂の長椅子をもぎ取り移動させ、テレビやなにやらもここに設置して今では立派な寝床になっている。
クッションを敷いた長椅子でくつろぎながらテレビのニュースを見るが、もうゲルト関連のニュースはあまりやっていない。
サーキットのチャンプの再起不能という事件も、世間はもう過去の話として処理してしまったのだろうか。薄情な話だ。
テレビを消して長椅子に寝転び、毛布を被り瞼を閉じる。この身体はあまり眠る必要も無いのだが、人間を擬態している間は眠ろうと思えばそれらしく眠ることができる。
危機が迫ると自動で起きる辺り寄生獣などの睡眠に近いものがあるのだが、この教会は人避けの結界と認識阻害の結界が張られているため物盗りもやってこない。野生動物はなぜか俺を恐れているため俺の縄張りであるこの教会には入ってこない。
結論として、化け物のような身体になった今でも、俺は思う存分睡眠を貪ることができるのである。おやすみなさい。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
重い……。いや、寝苦しくなるほどでは無いが、何かこう、違和感がある。かけた毛布が微妙に足りなくなっているのだ。隙間ができて少し寒い。
渋々目を開けてみると、毛布がこんもりと盛り上がっている。引きはがすと、パジャマ姿の見知らぬ少女がこちらを見つめていた。
「おはよ、お兄さん」
「……おはよう」
毛布の中からこちらに挨拶をする少女。未だ半分眠っている頭を無理やり動かし返事を絞り出す。時計を確認、現在時刻、独逸時間にて午前2時。当然独逸基準でも朝では無い。
「……」
「……」
無言のまま見つめあう。見知らぬ、と言ったがよくよく見れば知った顔に似ている。誰だったか……。
「なんだ、姉さんか……」
「はぇ?」
俺の呟きに間抜けな声を上げる少女――いや姉さん。より正確に言えば中学時代の姉さんの幻覚。リアルな幻覚だな、体温まで感じ取れるなんて。
もう近未来の独逸という世界観のブラスレイター世界に来て数か月、これだけの長い期間姉さんと離れ離れになるのは何時ぶりか。寂しさのあまりこんな鮮明な姉さんの幻覚を見る訳だ。
しかもこんな写真でしか見たことの無いような小さい頃の姉さんを鮮明に思い描けるなんて、俺の愛も業が深いというかなんというか。これからは姉さんの写真を眺めたり録音した姉さんの声を聞いたりしてうっとりする時間を増やすべきだな。
「おやすみ……」
「へ?ひにゃ!」
幻覚の姉を抱きしめ毛布を被り直す。大人と子供の中間の年代、抱きしめた感触はいつもの姉さんよりもやや全体的に未成熟。全体に女性の柔らかさを纏いつつも未だ端々に子供のような硬さがある。
あぁ、こういう感触も中々いいなぁ……。幻覚なのが惜しいほどだ。今は寒い季節だし誰かと一緒に眠るのは悪くない。何かがおかしい気もするが深く気にするほどのことでも無いだろう。
「ちょっ、や、お兄さ、むぐ――」
何時もに比べサイズ的にやや小さすぎるが、それも身体を丸めてより深く抱きしめることにより気にならなくなる程度のもの。腕の中でじたばたもがく感触は弱々しく、逆に眠気を誘う。
布団のような適度な重さが心地よく、俺は再び睡魔に身を委ねることに――
―――――――――――――――――――
「いや、その理屈はおかしい」
森に住まう小鳥や怪鳥の囀りにより目を覚ました俺は、起きぬけに昨夜の自分に突っ込みを入れた。
慌てて毛布を捲り上げる、居ない。しかし、もしかして夢だったのかもなどと寝ぼけた事を言うつもりは無い。あの少女は確かに存在した。
「うぅむ、うむ」
手をわきわきと動かし、姉さんのようでいてどこか違和感のある体温や匂い、やや未成熟で骨っぽくもありながら抱きしめた時にいい感じな感触を返す柔らかな肢体を思い出す。
「たまらん……」
歓声(※幻聴)が聞こえる……。思わず走り抜けてしまいそうな清々しさ。
いや違う!本題はそこでは無く、なぜ俺の毛布に潜り込めたかだ。そもこの隠れ家に使っている教会、ネギま世界の悪魔の力を使って認識阻害と人避けの結界、ついでに何と無く感覚で作った視線避けの魔法が張られている。
ツヴェルフか?認識阻害を使ったとしても写真やビデオには映るし、発見されていてもおかしくは無い。しかしエレアさんとの接触から数か月も経過した今になってというのも遅すぎる。
いや、そもそも接近してきたのが害意をもった相手であれば流石に起きるし、起ききれない場合は身体が勝手に放電するなり毒ガスを生成するなりして撃退しているはずだ。
寝てる間に寝ぼけたまま取り込んでしまったという感触も無い。無意識に取り込んだにしても流石に何を取り込んだかは自分で分かる。
大穴でただの物盗りだろうか。偶然に偶然を重ねて結界も魔法も通り抜けたパジャマ姿の物盗り少女が、金目の物を盗む前に少し眠くなって見知らぬ男(俺)のベットに潜り込み少し仮眠を取ろうとした、と。
……自分でもあり得ないとは思うが、侵入者が居たのは確か。とりあえず荷物が盗られていないかはチェックしておくべきだろう。寝室を出て荷物を隠してある礼拝堂に移動することにした。
―――――――――――――――――――
「おっはよーお兄さん! 昨夜は寒かったねぇ」
礼拝堂に入ると、昨夜の少女が朝食を作っていた。パジャマ姿では無くエプロン姿でテーブルに朝食を並べている。ちゃっかり自分の分も作ってあるようだ。
「朝食もうできちゃってるからさ、飯前に顔洗ってきなよ。さっぱりするから」
「……あ、うん」
そうだ、朝食前には顔を洗わなければいけない。俺は隠してあった荷物を一通りチェック、朝食に使用された食材以外の荷物の増減が無いことを確認した上で、ポンプ式の水道がある教会裏の地下室に移動した。
掌に水を溜め、叩きつけるようにして顔を洗う。水の冷たさで身が引き締まるようだ。しかし、凡ミス。
「タオル忘れた……」
荷物を確認したのだからタオルくらい持って来てもよさそうなものだが、今日の俺はどこか抜けているのかそのままここにやってきてしまった。
まあ、多少水が滴っていたからといって風邪をひくような身体では無いのだから気にする必要もないか。
「はいどーぞ」
と、背後からタオルを渡された。濡れていても風邪はひかないが濡れっぱなしは気持ちが悪いので顔を拭く。
「ありがとう」
「いえいえ~、どういたしまして」
振り返る。タオルを渡してきたのはやはり昨夜の少女。エプロンは脱いでおり、下はぴっちりしたホットパンツに厚手の黒タイツ、上はシャツだけとラフな格好。
「……」
「……?」
少女を見つめる。少女は俺に見つめられると不思議そうな顔で首をかしげた。
―――――――――――――――――――
「いただきます」
「いっただっきまーっす!」
礼拝堂に戻って朝食。サラダに目玉焼きにトーストという標準的な軽い朝ごはん。俺は朝に限らず米派なのだが異国の地故しょうがない。しょうがないのだが……
「和食が恋しい……」
「だねー。今日は休日だし、日本の食材置いてる店でも探してみますかー?」
こちらの何気ない呟きに、テーブルを挟んで向かいに座って目玉焼きを乗せたトーストを齧る少女が返してきた。
某天空の城のごとく一気にトースト上の目玉焼きを食わず、ちびりちびりとトーストと一緒に噛み切って食べている。何やら可愛らしさアピールも兼ねてそうなあざとい小動物的な食べ方だが、この食べ方が目玉焼きトーストの一番理屈に合う食べ方だろう。
大昔の某アニメ雑誌の読者投稿ページで、パンの上の目玉焼きだけを一気に食べてしまうところを目撃した美食倶楽部のツンデレが『乗せ物を先に全部食べたら意味がないではないか!』みたいな突っ込みをする四コマが掲載されたらしいが、この食べ方なら納得して貰えるだろう。
「あるかな、ここ独逸だぞ?」
「近未来のねー。しかもどっちかって言うと独逸ってーよりゴンゾワールドとか表現したほうが近い。見つかる可能性は低く無いよ」
「ふむ……」
悩む。確かに米や味噌、醤油があるだけでもかなり日本食らしくなるが、なんの当ても無く探し回るってのは頂けない。
頂けないが、そんなものは適当にうろつきながら考えれば済む話だ。飛行の練習のために一日中崖から飛び降り続けるよりは有意義な時間になるだろう。
「とくに予定も無いっしょ?お姉さんへのお土産も探せるしさー」
「そうだな、せっかく持ってきた飯盒を使わずに帰るってのもしゃくだし、ちょっと探してみるか」
「やた、おでかけだね!」
小さくガッツポーズをする少女。バイクでぶらつくならヘルメットを用意しなければならないか。俺のヘルメットの複製になるからデザインがほぼ同じなのは仕方ないにしても、せめてカラーリングだけでも違うものにしよう。
―――――――――――――――――――
そうこう話し合っているうちに朝食は終了。あまり早く出かけても店が開いてないので寝室に戻りテレビの前で長椅子に寝転びまったり一息。
とはいえこの時間では見るべきものも少ない。融合体の出現が多発しているとのニュースも流れている。ニュースばかり見ている気もするが、独逸のコメディやらドラマやらは今一肌に合わないというか。
「お、ゲルト特集」
「そういやそろそろ奇跡の復活の時期か」
「わくわくするねー」
この世界のニュースといえば、ビッチがデモニアックになってゲルトに生中継解体ショーされる事件は多分夕方だったはず、なのでこの時間帯はそれほど刺激的で面白い映像も流れはしない。
そもそもあの事件が発生する前に、新聞やニュースでゲルトがチャンプでは無く救世主として祭り上げられるのでそうそう見逃すはずも無い。
ビッチ解体ショーが放送されたら学校の周りを監視、マレク少年が学校でいじめっ子達を殺害、ジョセフを抱えて逃げるのを目撃した辺りで隠れ家を引き払って市街地のホテルにでも泊まると。
いや違うな。ゲルトのビル破壊がテレビで原作進行度を確認する最後のチャンスか。それからはバイトが休みの日も市街地に通わなきゃな。知らない間に街が壊滅していましたなんて間抜け過ぎるし。
「ねーお兄さん?」
「ん、何?」
テレビのニュースを眺めながら考え事をしていると、俺と同じくなんとなくテレビを見ていた少女が口を開く。何を言いたいかは分かるがこちらから言ってはやらない。
俺が寝転んでいる長椅子に座っていた少女は、寝ころぶ俺の頭を太ももの上に乗せて膝枕の体勢にし、俺の髪の毛を指先でいじりながら唇を尖らせ、いじけているような口調で続けた。
「もっとこうさ、『誰だお前はー!』みたいな派手なリアクションがほしいかなーって思っちゃったりするんだけど、なしてこんなに馴染んでるん?」
「ふむ」
まぁ平均的な突っ込み役なら礼拝堂で朝食を作っているのを目撃した段階か、そうでなければせめて食事中に会話を挟んでノリ突っ込み的にこの少女の正体を追及するのだろう。
と言っても、別にそういった普遍的なリアクションに悪意とか隔意を持っている訳では無い。俺が正体を聞かない理由はもっと単純だ。
「タイミング逃した。いまさら聞きにくい」
「じゃー説明いる?」
「ん……、任せる。できれば手短によろしく」
「んじゃ、買いものが終わって夜寝る前とかでもいいかな? 大体察してるんだろ?」
「まぁ、ね」
適当に答えながら、太ももの上で頭を動かし少女の下腹部に耳を当てた。内臓の蠢く音、血管の中を血の流れる地鳴りのような音が聞こえる。
顔を太ももに埋め匂いを嗅ぎ、体温を感じる。太陽の匂い、心地よい人肌の温かさ。
「くすぐったいっての」
反撃で耳を抓られた。少し痛い。少女の手首を握り耳を抓む手を離させて、少女の白く細い指をまじまじと観察する。
「人間みたいだな」
「……お兄さんもね」
顔を見合わせ、笑う。朝の時間は概ね穏やかに過ぎて行った。
―――――――――――――――――――
「いやー、買った買った」
「案外簡単に見つかるもんだねー」
小さめの背負い鞄いっぱいに味噌や醤油や米などを詰めて、俺と少女は意気揚揚と市街地を歩く。時刻は昼少し前、今から帰って昼ごはんを作っても早すぎるので、バイクを適当な場所に止めてゆったりと観光を楽しんでいた。
ここ数か月でなんとなく見て回ったことは何度かあったが、誰かと一緒にというのはこれが初めて。やや見飽きた感のある風景も、誰かとおしゃべりしながらだとまた違った顔を見せてくれるような気がする。
「いや、そういえばヘルマンがエビスビールのんでたんだよなぁ」
「酒瓶のラベルにも漢字っぽいのが書かれてたしねー」
バイクで市街地に移動してすぐに警察署に行き、暇そうにしている警官に日本からの輸入品を扱っている店が無いか聞いてみたら一発だった。
気の好い人だったからなのかどうなのか、地図を持ち出して懇切丁寧に店の場所を教えてくれた。おかげでお目当ての物は捜索開始一時間しないうちにすべて見つかって、こうして空いた時間を楽しく過ごせたのだからありがたい。
「これでお味噌汁も作れますよー。豆腐と長ネギサイコー!」
「しかも納豆と焼き海苔も買えた。素晴らしい……、上の上ですね!」
二人で無駄にテンションを上げる。やはり日本人の食卓にはまず米が無くては話にならない。逆説的に米があれば何も問題は無い。更にあぶらげや乾燥ワカメなども買えたので味噌汁の具もバリエーションを持たせることが出来る。
手に手を取ってキャッキャウフフとはしゃぎながら歩く男女二人。他人様から見ればこれはどう見ても――
「兄妹だな」
「なー♪」
笑顔で相槌を打つ少女を見る。昨夜脳みそが半分眠っている状態で見た時は中学時代の姉さんにそっくりだと思ったが、改めて見てみれば所々のパーツが俺に似ている。
姉さんは垂れ目だが、この少女は俺に似た軽い釣り目、髪の毛も一切重力に逆らわない姉さんの髪とは異なり、途中までストレートだが髪の毛の尖端がやや重力に逆らいはねているのは俺の癖毛の特徴だろう。
並んで立てばまるきり兄妹に見える。外見の歳もやや離れているので恋人には見えないし、恋人のデートと見るには少しノリもおかしい。
「まぁ、あたしは別に恋人でも構わないんだけどねー。どうよ?」
「ダメとは言わない、でもそれ近親相姦みたいなもんだろ」
「元からそういう願望あるくせにー」
うりうりと肘で脇腹を突かれる。それを言われると痛いのだがそれはそれ、これはこれ。人は心にいくつもの棚を作りあれこれと乗せておける便利な生き物なのである。
そうして少女とじゃれながら散歩を続けていたが、もうそろそろ隠れ家に帰ってもいい時間になってきたのでバイクを停めてある場所に向かう。
バイクに跨り、背負っていた鞄を少女に渡しヘルメットを被り準備は万端。あとは帰るだけとなった時、
「あ」
渡された荷物を背負い、ヘルメットを被ろうとした少女が不意に声を上げた。
「お兄さんお兄さん、ちょっと寄って欲しい場所があるんだけど、いい?」
「場所によるけど、遠いか?」
ヘルメットを被り、バイクに跨り背中に抱きつきながら少女は答えた。
「いんや、近い近い。ちょろっと用事があるのを思い出した。道順は指示するからその通りにヨロシクぅ」
最初に地図で道順を教えて貰った方が走り易い気もする。それはともかく、しっかり抱きついている筈なのに背中に当たる感触が物足りない。まぁ体格が体格だけにこんなものか、あの体格で胸だけデカいというのもバランスがおかしいし。
「仕方ないね……」
「急にごめんねー。でも、お兄さんにとっても無益な寄り道ではないから、さ」
―――――――――――――――――――
「病院?」
少女のナビで走り、たどり着いた場所は周囲を自然に囲まれた大きな病院だった。
「そ。現在チャンプが入院している病院だよ」
ヘルメットを外し、少女は軽く指を振った。――魔力が操作された感触、俺と少女を対象にした認識阻害か。
「面会の手続きとか面倒だしねー」
「で、ゲルトに会うのが一体何の益になるんだ?」
何度も言うがブラスレイターとの接触はもう戦闘経験を積む以外の意味を持たない。しかもこのタイミングだとゲルトはまだブラスレイターですらない、唯の怪我人だ。
ゲルトがブラスレイターになる前に何らかの手を打つ? それは無い。この少女が俺の想像している通りのものだとしたらそんな無駄なことはしない。
あくまでも真の目的は自己の強化。誰かを救うというのは俺のトリップの理由にかすりもしない。
完璧にただの気まぐれ、あるいは暇つぶしで誰かを救おうとするというのもあり得ない話では無いが、その場合俺に益があるというのは大ウソということになる。
「ちゃうちゃう、そっちはどうでもいいんよ。お兄さん、まだ空飛べてないっしょ? ここらでなんとかしょうかなーって」
「?」
駐車場にバイクを停め、話しながら病院の中に入る。訳が分からない。こんな病院で空を飛ぶ秘訣を知れる訳が――
「ぶっ!」
受付に褐色肌に変な髪型の眼鏡の女性――ベアトリス・グレーゼが居る。
三次元で見るのは初めてなのに分かるのかよなどという突っ込みが空しくなる超特徴的なカラーリングの髪だ。未来ではああいうのが流行っているとかそんな裏設定でも無い限り本人で間違いない。ペイルホースの反応もあるし。
そういえばゲルトが入院してる病院でゲルトのカルテを見ながらほくそ笑んでいる描写があったような無かったような……。
「落ち着いてよお兄さん、認識阻害の魔法は上手いこと働いてるからばれやしないって」
「っても、空飛べないのにいきなり空戦最高性能のブラスレイターに勝負挑むとか無謀過ぎる……」
本編中のあちらの攻撃描写と、こちらの運動性、装甲などを考えれば少なくとも死ぬことはありえないにしても、こちらの攻撃は当てるのも難しい。
いやまあ、経験を積むという意味ではそういう不利な状況での戦闘も経験しておくべきなんだろうが、骨折り損確定とかうんざりする。
「だーから大丈夫だってー。あれは今回はスルーだからさ」
しり込みする俺の手をぐいぐい引っ張る少女。階段を上りズンズンと病院の奥へ進む。ここから先は部屋代の高い個室になる筈だが……。
と、前方から歩いてきたXATの制服を着た男女とすれ違う。男は制服の上からジャケットを羽織り、女の方は制服の胸元を大胆に肌蹴させて着こなしている。
ヘルマンとアマンダ。今の時期に二人で病院とくれば――
「ゲルトの見舞いか」
「ホモじゃない、ホモじゃないんよ!」
「分かってるからホモホモ連呼するな」
あくまであれは男の友情的な物だ。ヘル×ゲルとか真面目に考える腐った奴は○ねばいいのに。
しかし結局ゲルトの部屋だ。ここでゲルト以外の何か――あ、そう言えばこの場面、なんかひっそりと出てきたような。
「お前は……」
部屋のプレートを眺めていると横から声をかけられた。不健康そうな顔色、珍妙なボディスーツ、かっこいいギミック付きのコート。結構うろちょろ動いてるのに本篇ほぼ寝っぱなしな印象が強い主人公ジョセフ君。
というか、何時の間にか認識阻害が解かれている。ジョセフと会うのが目的? 何のために? ともあれ気付かれたからには挨拶の一つもしておこう。
「お久しぶりですねジョセフさん。マルコの件ではお疲れさまでした」
「うわなにその口調きもちわるい」
茶々を入れる少女の頭をペシリと叩いて黙らせる。そのやり取りでジョセフも少女の存在に気付いたらしく、疑問の視線を投げかけてくる。
「その娘は?」
「こいつは、えーっとですね……」
さて、どう答えるべきか。こんなことなら隠れ家を出る前に説明を聞いて、他人に聞かれたらどう誤魔化すか程度は考えておくべきだったかもしれない。
妹、というのが一番適切な回答だとは思うが――
「あたしはお兄さんの家族だよ。よろしくな」
答えあぐねている間に少女が勝手に話を進めてしまった。片手を突き出し、ジョセフに握手を求めている。
ジョセフは差し出された手と自らの手を交互に見つめて複雑そうな表情をしている。今まで感染を防ぐために他人との接触を避けていた為、肌が触れた程度では感染しないと分かっていても腰が引けてしまうのだろう。
「感染の心配ならいらねぇよ。ほれ」
そうぶっきら棒に言い、少女は差し出していた手の掌をジョセフに見せる。そこには俺のものと同じ、悪魔の印もどきが刻まれていた。
「そうか、お前も……」
沈痛な表情で、おずおずとではあるがジョセフが少女の差し出された手を握り返す。握り返された少女も笑顔だ。しかし――
「!」
握手して数秒としないうちにジョセフが後ろに跳び退る。何事かと二人を観察すると、少女の手とジョセフの手に裂傷が。融合の途中で無理やりひきはがしたのだろう。
いや、何故融合?これはどう考えても少女が行った融合だろう。ジョセフを取り込むことには何の意味も無い筈。
「勝手に同情すんなよなー、誰も彼もがてめーの境遇を嘆いてるってもんでもねーんだからよ」
にししー、と意地の悪い薄ら笑いを浮かべた少女が手をひらひらさせながら後ろに下がる。
「…………」
「えーっとですね。悪気も悪意もありそうな気はするんですが、きっと敵意は無いと思うので見逃して貰えませんか?」
険しい表情でこちら(何故か少女だけでなく俺も含む)を睨んでくるジョセフに両手をあげて降伏のポーズ。
こちらの態度や、曲がりなりにも前回助けておいたのが功を奏したのかとりあえず警戒は解いてくれたらしく、向こうから話しかけてきてくれた。
「お前は、何故ここに?」
「あー、俺は得に用事は無いです。コイツがなんかここに寄りたいって言うから」
コイツ、と言った辺りで少女に目を向けるが、なにやら小指で耳を穿りながら退屈そうにしている。
「いや、あたしの用は終わったよ」
「だそうです。で、ジョセフさんはあれから順調ですか?」
「……まぁまぁだな」
「そうですか」
会話終了。……よし、帰ろう。気不味いし。
「じゃ、俺たちはこれで」
「待て」
呼び止められた。しかし止まらない。しばらく歩いて階段の前で振り向いて一言だけ言い残しておく。ただの気まぐれ、なんの意味も持たない忠告。
「見張るなら、しっかり見張ってあげた方がいいですよ」
階段を降り、廊下から見えなくなった辺りで認識阻害の魔法をかけ直す。これでもし追われても見つからない。
階段を降り、ロビーを歩いていると少女が投げやりな口調で皮肉を言った。
「ま、しっかり見張ったところで、救えるとは限らないけどねー」
「どつぼにハマってるからなぁ、状況的に」
ゲルト救済とか、かわいそうだがハッキリキッパリヴィジョンが欠片も浮かばない。それに映像でしか見たことの無い人をあれこれ苦心してまで助けようなんて殊勝な性格でもなし。
それにしても、結局病院まできてやったことはジョセフにケンカ売っただけというこの少女、いったい何がしたかったのか……。
「収穫はあったよ。あとで見せてあげるね」
「空を飛ぶ方法?」
「へっへぇ、あ・と・で♪」
はぐらかされた。まぁ何はともあれまずは隠れ家に帰ろう。
―――――――――――――――――――
昼やや過ぎ。隠れ家に帰って遅めの昼食。少し時間を置いて近場の崖に向かい変身、日が沈むまでひたすら飛行訓練という名の紐無しバンジー。
崖から飛び降りる→滞空中に空を飛ぶ姿をイメージする→墜落し地面にめり込む→崖を駆け上がり最初に戻るの繰り返し。正直そろそろあきらめてもいい気がする。
夕方。食材がもったいないので夕食は無し。特にやることも無いので夕焼けをぼーっと眺め、ふと辺りを見回す。……よし、夕日の沈むシーンだがYOKOSHIMAとかは居ないらしい。蹂躙救済説教ニコポ過去ポハーレムとか存在しない純粋な世界に感謝を。
夜。ニュースを少し見たが昨日と特に内容は変わっていない。外に出てぼーっとする。星座の類には詳しくないので日本との違いは分からなかったがまあ似たような夜空だ。
「お兄さん」
ぼーっと星を眺めていると、教会から少女が出てきた。昼過ぎに隠れ家に到着し昼食を作った後、なぜか唐突に一眠りし始めたのだが、ようやく起きたのだろう。
「遅よう。北極星ってここから見えるか?」
「お兄さんもお姉さんも星座に詳しくないよね?二人が知らないことは私も知らないよ」
「そういうもんなのか」
「そういうもんだよ」
振り向く、星の光に照らされた少女は、身体を徐々にブラスレイターに変化させていた。
「あたしはお姉さんの因子を元に、お兄さんのナノマシンで肉体を構成したモノだから。二人が知らないことは知らないし、二人が持ってないものは持ってない。『基本的には』ね」
「因子?」
「出がけに貰ったっしょ?しかもわざわざ口移しで。 愛されてるよねー」
その姿は下級デモニアックのものでも、ましてや俺の変身するブラスレイターもどきでもない。正真正銘のブラスレイター。
「お姉さんから心を貰ってこの世に生まれた、お兄さんの身体を構成するナノマシンの補助AI。それがあたしの正体さ」
「補助が必要な場面も無かったと思うが?」
「確かにねー。お兄さんは中途半端に使いこなせてるもんだから中々ピンチにならない。これじゃ出ようにも出られないから、どうにかこうにか肉体を無理やり構成してみたってわけ。おかげでこんなチンチクリンになっちまったわけだけど」
全身を覆う、鋭角的なフォルムの紫の鎧。頭部を包む、悪魔じみたデザインの兜。
小説の挿絵でしか見たことが無いが、あの姿は知っている。ブラスレイターのタイプ25『グラシャ=ラボラス』マルコ・ベルリの変身していたブラスレイターだ。
「かっこいいだろー? 病院でジョセフからペイルホースを取り込んで、マルコのペイルホースのログを引っこ抜いて再構築。人格は消して、力だけを奪った。あたしがサポートすれば、お兄さんはもっと上手く力を使いこなせる。でも――」
背部から暴力的な輝きの粒子をまき散らし、光の翼が具現化される。
「お姉さんはあたしがお兄さんの助けになるようにと思っていたみたいだけど、あたしは只でお兄さんのサポートをするつもりは無いんだ」
「報酬が必要って?面倒なやつだな」
「あはは!そんなに面倒な報酬じゃないから安心してよ!」
オリジナルに比べ幾らか小柄なその体躯には不釣り合いな、巨大な斧槍――ハルバードを具現化し、こちらに付きつける。
「力を示して。これからもその肉体で生きていくに相応しいか」
「――相応しくなければ?」
こちらの問いに、兜の下から笑う気配。
「その答えは――」
少女が翼をはためかせ宙に浮かびあがる。星空をバックに、ハルバードを振りかざし――
「――あたしが勝ったら教えてやんよ!」
稲妻の如き勢いで、こちら目掛けて襲いかかってきた。
―――――――――――――――――――
木々の隙間を縫うように森を走る。上空の少女――いや、敵からの追撃を避ける為に。
遥か上空、というほど高くを飛んでいる訳では無い。ギリギリでこちらの跳躍が届く程度の高さ、触手の射程圏内でもある。
しかしそれは手加減ではなく誘い。高く飛び過ぎればこちらは不用意に跳躍して肉弾戦を仕掛けてこないし触手も伸ばさない。わざと低く飛んで俺が思わず攻撃したくなる適度な距離を保っているのだろう。
「いやらしい奴……!」
こちらは速度を出せない。全力で走れば地面が爆発する音で居場所が余計に分かりやすくなる、そうなれば――
「ほらほらほらぁ!逃げてばっかりじゃあたしを倒せないよぉ!お・にぃ・さあぁーん!!」
俺の後方の、ややずれた辺り。羽根から打ち出された無数の光弾が一瞬にして木々を粉々に粉砕し地面を捲り上げる。ここら一帯の森が丸裸になるのも時間の問題だろう。
せめて地上戦ならどうにかできたのだろうが、最初のハルバードによる一撃、カウンターで腕を一本切断してやったのがいけなかったのか、ハルバードを再び具現化することもなく、上空から光弾による弾幕を展開しつづけている。
「くっそ、舐めるな!」
走りながら数十本の触手を展開、多方向に地を這うように広げ、上空の敵目掛け高速で一斉に射出。光輝く羽根を持つ敵は、こちらからは丸見えなのだ。
直進するもの、ジグザグに複雑な軌道を描くもの、同時に放たれながら時間差をつけたそれらが槍の如く敵を貫かんと襲いかかる。
しかし敵はそれを舞うように回避、追尾を続ける触手を翼から放たれる光弾で撃墜する。
放った触手はすでに本体からは切り離している。斬り離さなければ撃墜されても追尾を続けられるが、そのままだと触手の根元を確認され俺の場所を正確に把握されてしまう。
幾度となく放ったせいで見事に対処法を確立されてしまった。最初に放った時には鎧を削る程度には当てられたのだが。もう牽制程度にしか通じない。
「そんなんじゃ、あたしには届かないよ!」
そのくらいは知っている。致命傷を与えるにはもっと大きな打撃でなければ意味が無い。その為にも距離を、大技を出す為の時間を稼がなければならない。
走り、距離を稼ぎながらも目を凝らし上空の敵を見る。光の翼を広げ、悠然と飛びながらこちらを探す隻腕の鎧の騎士。そう、『隻腕の』。
敵の少女は俺の肉体から作られてはいるが、全てが俺と同じ性能という訳では無いらしい。最初に切り落とした腕はおろか、不意打ち気味に放った触手によって削られた鎧の一部もまだ修復が済んでいない。
回復速度は俺と普通のブラスレイターの中間といったところか。おそらく肉体の大部分を喪失すれば戦闘は不可能になるだろう。
普通に殺すことが可能なのかもしれない。手指の先程度の肉片からでも再生できるなどと言い出さないあたりはまだ良心的と言える。
とはいえ、跳躍して大鎌で切りかかるのは下策。というか最初に腕を斬り落してやった後、上空へ逃げる敵を跳躍し追いかけようとした時、空中で無防備な所を光弾で滅多打ちにされた。
しかもその光弾に撃たれた箇所は未だに煙をあげ続け、修復が済んでいない。おそらく光弾の組成を組み替え、むりやりこちらの同化能力を機能させることにより再生速度を落としているのだろう。
敵は基本的にマルコ・ブラスレイターの能力しか使わないが、やりようによってはこちらを殺すことが可能なのかもしれない。用心するに越したことはない。
今は当てずっぽうで光弾は当たっていないが、もし脚に直撃し動きを停められたら、そこで終了。負けた場合はどうなるのか、少なくとも俺に都合の良いことにはならないだろう。
光弾はどんどん正確さを増している。つまり時間をかければかけるほど負ける確率は高くなる。大分距離も稼げたし、ここらで一つ、勝負に出るか。
触手を出せる限界まで展開。そして体内に切り札を生成、チャージ開始。森を出て開けた場所に出て、上空の敵に真っ向から向き合う。
上空から敵の、少女の静かな声。
「もう、観念しちゃった?」
「いや、勝ちに行かせて貰う」
悪魔の印がある手を、真っ直ぐに少女に向ける。
「……お兄さんのそういうとこ、嫌いじゃないよ」
少女の、異形の騎士の翼が何倍にも膨れ上がる。そこから放たれる光弾の量も質も今までとはケタが違うものになるだろう。
「俺も、割と気に入ってたよ。一日だけの付き合いなのがもったいない」
一瞬の間。
「――いざ」
悪魔の印に、その下にある切り札にエネルギーが収束。印の中に専用の射出口が形成される。
「尋常に――」
膨れ上がった少女の翼、その鋭く尖った縁がこちらに傾ぐ。大砲の筒先のように。
「「勝負!」」
―――――――――――――――――――
夜の空に浮かびながら、あたしはお兄さんを追撃していた。
「くそ、いってぇ~……」
ハルバードでの突撃は見事に避けられ、御返しで片腕まで持ってかれちまった。
「なんだかんだ言って、接近戦じゃもうかなり戦えるみたいだね」
お兄さんを甘く見ていた。この世界に来てから雑魚ばかりを相手にしていたから調子に乗っていると踏んでいたけど、実際に相手にしてとんでもない思い違いだと分かった。
大概の場合、あのナノマシンを投与されたやつは力を使いこなせない。あくまでも自分は人間が改造されたもの、基本的には人間だっつう考えが根っこにあって、十全に機能を引き出せない。
時速数百キロで走れたとしても神経が加速せず、障害物に反応しきれずに激突するのが関の山だ。人間の神経では反応しきれないという思い込みが機能を制限しちまう。
「十数年かけて完全な融合を行ったおかげかな?」
でもお兄さんは違う。そういった常識的な思考が作られる前に肉体を改造された。お姉さんのかけた催眠のせいで表面上は常識的な思考をしていた、でもその裏ではこの身体を使いこなす下地がつくられてきたんだ。
普通の人間は反応出来ない、しかし、自分の肉体は普通ではない。この思考が、肉体の完全な変化を助けている。
普通ではできないが、普通では無い自分ならこの程度は出来る。普通の人間の中で生き、自分の異常性を見せつけられ続けてきたからこその自覚。鳴無卓也は普通では無い、人間ではない。異常な力を持つ化け物であるという無意識レベルでの理解。
自らが化け物であるという無意識での自覚が、化け物の肉体を完全に従えている助けになっている。
心まで化け物であることを表面上忌避しているみたいだけど、本質的には自分が人間じゃないことを受け入れている。
人間であることより、お姉さんの弟であることを重要視しているから。弟というポジションにいられるなら、どんな化け物にもなれる。
「ほんと、妬けちゃうねー」
眼下の森を見下ろす。速度を落としているからか派手な音はしない、それでも時折木々の隙間からこちらに背を向けて走るお兄さんの姿が見える。
一度光弾のシャワーを浴びせてあげたのに、気にした風も無く走り続けている。修復機能は落としてやったから治りきってはいない筈だから、装甲を撃ち抜けなかったか、行動に支障が無い程度のダメージしか与えられなかったんだろう。
化け物じみた装甲の厚さ、堅牢さ。あたしの放つ光弾は一撃一撃がブラッド・ブラスレイターの融合強化ライフルを軽く上回る威力(予測値)。原作で言えばブラスレイター化したウォルフ隊長も余裕で貫けるものなのだけど。
「でも――」
逃げてばかりじゃあたしは落とせない!
「ほらほらほらぁ!逃げてばっかりじゃあたしを倒せないよぉ!お・にぃ・さあぁーん!!」
光弾をお兄さんが居るであろう位置目掛け乱射する。外れたけど、四方から槍のような触手が迫る。やっぱり一方的に追いかけるのではつまらない。
身をひねり翼を振るい、なんとかかんとか回避。逸れた触手も追尾を続ける触手もまとめて光弾で迎撃。
お兄さんの眼には今のあたしはどう映っているんだろう。余裕を持っているように見えるか。遊んでいるように見えるか。獲物を嬲って悦んでいるように見えるか。
例えるなら猛禽?戦闘機? こんな毒々しい色の翼だけど、もしも天使みたいに見えているなら嬉しい、少し照れるけども。
いや、そんな余計なことは考えていないだろう。翼こそ存在するけど、ブラスレイターの飛行はそのどれにも似ていない。
きっと、見たモノを見たままに判断してくれる。何物でもない、何者でもない。このあたし自身を、あたし自身として!
ふと、森からお兄さんが出てきた。開けた草原、隠れる場所も障害物も無い。
変身したお兄さんが、全身を艶のない暗い色の装甲に覆われた人型の怪物が、逃げることも無く、兜越しの視線で真っ直ぐにこちらを見つめている。
「もう、観念しちゃった?」
そうじゃないことは明白、触手をありったけ展開し、こちらを射抜く視線は力に満ち溢れている。何かやらかすつもりだね?
「いや、勝ちに行かせて貰う」
不敵な言葉と共に、悪魔の紋章をこちらにまっすぐ向けるお兄さん。
不屈。力を得る為に、姉に付いて行く為に、いつまでも一緒にいる為に、お兄さんは絶対に諦めない。
目前に壁があれば、どうやってでも打ち砕いて先に進む。正義も悪も無く、力を力として振るい、只管に眼前の敵を撃ち滅ぼす。
確信した。お兄さん、貴方はあたしを、力を振るう資格を確かに持っていると!
「……お兄さんのそういうとこ、嫌いじゃないよ」
最大火力を持って答える。全力には全力、最大の攻撃力で、迎え撃つ。
飛行に割く力をギリギリまで落とし、すべてを光弾の精製に向ける。翼が膨れ上がる感触、全弾直撃すれば無事では済まない。
「俺も、割と気に入ってたよ。一日だけの付き合いなのがもったいない」
思えば、不思議なほどに馴染んでいたな。十数年来連れ添った仲のような、そんな錯覚を覚えるほどに。生まれて一年も経っていないあたしからしてみれば間違いじゃないけれど。
無言、無音――。
どちらともなく、開始の合図を告げる。
「――いざ」
お兄さんの悪魔の紋章に光が宿る。よく見えないけど、印の形状も変化している。何をするつもりなのか楽しみで仕方ない。
「尋常に――」
膨れ上がった背中の翼を、無数の砲口を持つ砲台と化したそれをお兄さんに向ける。
「「勝負!」」
見せて貰うよ。お兄さんの、本気を!
―――――――――――――――――――
光弾の雨が、いや、輝く砲撃の豪雨が降り注ぐ。
周囲の草原は砲撃により地面がめくれ上がり土が吹き飛び無残なクレーターをいくつも形成している。
しかし、俺の周囲は微妙に被害が少ない。限界まで展開した触手を地面に潜り込ませ周囲の地面と同化させ、俺自身も体内にガルムのバリア発生装置を生成しバリアを展開しているからだ。
とはいえ、完全に防げている訳でも無い。幾つかの砲弾は俺の身体を掠め、衝撃だけで容赦なく装甲を、肉を抉って吹き飛ばす。
チャージ中はやはり回復が遅い。抉れた脇腹の、肩の、脚の欠損を余らせておいた触手を無理矢理ねじ込み補填する。
――ここ数か月で分かったことだが、この身体には幾つかの欠点が存在する。エネルギー切れになることは無いが、一つの機能を全力全開で稼働させると他の機能の稼働効率が極端に低下するのだ。
だからこその融合捕食なのだろう。その欠点を修正する為にいつか、何らかの炉を取り込んで最大出力を底上げしなければならない。
しかしそれもいつか未来の話、今は間違いなくその欠点が存在しているのだ。――おそらく、あの少女にも。
その為の、飛行速度を落とさせる為の、最大攻撃力での真っ向勝負。
高速で飛行する少女は俺の攻撃では補足しきれない。何よりも速度を落とさせる必要があった。狙い違わず、少女は速度を落とす。
光弾を砲弾に、ばらまくような雑な爆撃を隙間のない絨毯爆撃に。そうする為に飛行の機能は限界まで制限され、高速爆撃機だった少女は今や、空中の一点にふわふわと浮かぶ固定砲台と化している。
「基本中の基本、肉を切らせて骨を断つ。変に装甲が堅くなったから忘れていたんだな」
触手を巻きつけ補強し、限界までチャージした俺の腕――内部に仕込まれた『プラズマ発生装置』はペイルホースの、ブラスレイターの力で融合強化済み。
砲撃に晒されながらもキッチリと少女に照準を合わせている。間違いなく当たる。当てる。
「勉強になった」
腕に内蔵された融合強化型プラズマ発生装置、そこから生み出される現時点での最大攻撃力。それは――
「これはその礼だ!」
超々高温のプラズマ火球。周囲を昼のように照らすその直径十メートルに迫る破壊力の塊は、その有り余る熱量で俺の手首から先を溶かし、しかし狙い違わず砲弾の雨を蒸発させながら少女に向かって突き進む。
少女は逃げない。逃げられない。肥大化した翼を元に戻すには数秒の時間がかかり、着弾までは数瞬も無い。
火球に呑み込まれる直前、少女は変身を解き、人の姿に戻る。
変身を解いた少女は、輝くような、満開のひまわりのような、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
―――――――――――――――――――
「……」
変身を解き、更地に、いや巨大な窪地と化した草原を歩く。
人間の姿に戻ると同時、焼け落ちて断面を晒す腕から、赤熱し溶け曲ったプラズマ発生装置がずるりと抜け、地に落ちる。
歩く、歩く。白み始めた空の下を。
一気にエネルギーを使ったからか、それともまだ少女の放った光弾を吸収しきれていないからか、砲弾で抉れた肩が、脇腹が、脚が、焼け落ちた手首から先が、無様な傷跡を曝している。
服は例によって襤褸切れ同然。この世界で購入した服の中ではお気に入りだったのだが。
「そこんとこ、どうやって責任とってくれる?」
「せ、責任って言われてもぉ~……」
目前に転がっている残骸――身体の大半を失った少女は申し訳なさそうに、再生途中であろう半ば以上ケロイド状に溶けた腕を動かして頬を掻いている。
顔は多少焦げてはいるが見れる程度まで回復している。おそらく真っ先に修復したのだろう。AIでも女性、顔には気を使う。しかしそんなことに気を使うならもう少し他の事に気を使うべきではなかったか。
奇跡的に無事だった、という訳では無い。最後の瞬間、変身を解いた少女はしかし、翼だけは具現化しっぱなしだったのだ。
とげとげしいブラスレイター形態から凹凸の少ない人間体に戻り、肥大化した翼の少ない推力でもって『下に』逃げた。
重力による加速、空気抵抗の少なさ、更に変身を解くことにより、変身状態を維持するだけの余力を翼の推力にプラスし、余波で身体の大部分を溶かされながら、見事ギリギリの処で生き残ったのである。
「あたし、こんな状態だし、もうちょっと労わって欲しいっていうか~……、ねぇ?」
「不許可。それなら俺の怪我はどうなるって話だ。ていうか、この方法でしか俺の力を試せなかったのか?しかも結果はこれだ」
これ、と言いながら身体の欠損部分、周囲の惨状を指差し追及する。
森はあちこちが爆撃を受けたように剥げてしまって地面がむき出し、周囲の草原――いやはっきり言おう、近所の牧場は半分以上がクレーターになった。
俺もプラズマ火球を放ったがあれは上空の少女に向けて放たれたので周囲に被害は出ていない。ほぼ少女一人の攻撃でこうなってしまったわけだ。
「あ、あれはなんてーか、その、テンションが上がりすぎたっていうか、あー、うー……」
消え入るような声で言い訳を始めるも、何一つ言い訳にならない。まぁたぶん取り込んだマルコ・ブラスレイターのログから闘争心的なものまで引っ張ってきてしまったのだろう。
サポート役の癖にそういうミスをする辺りいまいち信用できないが、まぁ姉さんと俺の相の子みたいなものらしいのでそんなもんだろう。
溜息を一つ。叱られた子供のように下を向いている少女の、半分焼滅してだいぶ軽くなった身体を抱えた。抱え上げると少女はキョトンとした表情でこちらを見つめる。
「で、サポートする気になったか?」
「――え、あ……はい!やる!やらせていただきます!」
一瞬呆けた辺り、本気でサポートの件は忘れていたのかもしれない。
人格面で大分不安が残るが、こんなんでもペイルホースからログを取り出していきなり空を飛んで見せたのだ。今まで一人では使えなかった能力の使い方にしてもなんとかできてしまうのだろう。
まぁ、なにはともあれ。
「まずは引っ越しだな」
教会の周辺から森林破壊が行われていることから流石に認識阻害の魔法でもごまかせなくなる可能性が出てきた。早々に帰って荷物をまとめて逃げるべきだろう。
というか、XATが今まさにこちらに向かって駆けつけてきているだろうし、急がなければなるまい。
「ご、ごめんなさいぃ……」
「いいよもう、どうせそろそろ市街地の近くに拠点を移すべき時期だったし」
「え、ホント?ホントにいいの?じゃあ今ちょっと落ち込んでたせいでこっちにXATとか警察とか消防が向かってるって無線を傍受したことを伝え忘れてたことも許しぐぎゃぁ!」
少女の回復途中の腕を骨ごと握りつぶすことで返答し、全速力で隠れ家に向かい走り出した。
走りながらふと気付いたことを少女に問いかける。一日一緒に居たにしては今さらな質問。
「お前、名前は?」
「そゆこと、今更聞くかなぁ……。無いよ、産まれたばっかだし。どうせならお兄さんがつけてよ」
「図々しい奴」
ムカつくので直感で付けてやろう。それでも聞き苦しくない常識的な名前になるが。サバ味噌とかレバニラとか変な名前付けたら呼ぶ方が恥ずかしい。
「美鳥、美しい鳥で美鳥な。はい決定。気にいったか?」
「みどり、ミドリ、美鳥……うん、うん!」
嬉しそうに笑っている。姉さんにそっくりな笑顔。これだけで許してしまいそうになる。
久しぶりに濃い一日だった。なんだか午前中と夜に比重が傾きすぎているような気もするが。
――もう少し、後ひと月もしない内にあわただしくなる。市街地でのデモニアック大量発生、アポカリプスナイツ、ツヴェルフ。
口元がにやける。楽しい予感がする。新たな力への期待が膨らむ。
「楽しそうだね、お兄さん」
「ああ、楽しみだ」
「その前に引越しだけどね」
「――言うな」
水を差され、テンションが少し下がった。これからXATに出くわさないように隠れ家に戻り荷物をまとめて、傷を癒し、拠点を探す。正直面倒極まりない。しかし――
「まぁまぁ、これからはあたしもお手伝いするからさ」
隣に誰かが一緒なら、その苦労も悪くないのかもしれない。
続く
―――――――――――――――――――
以上、主人公、新オリキャラと街に買い物に行くの巻でした。ゲルトさんは超スルー。
昨今のヒロインの嗜みの一つとして、主人公と一対一で血みどろの殺し合いをしなければならないというものが存在します。ヒロインたるもの固有ルートではラスボスを兼任するのが今最新のトレンドなのだと。
そんな理屈で言えば新キャラは早速ヒロインの資格を手に入れたことになりますね。しかしあくまでも真ヒロインは姉です。ガチで。
オリキャラハーレムではなく、ダンジョンに潜る時のパートナーの組み合わせバリエーションが増えたようなものだとお考え下さい。基本的に難易度の高い強制トリップは姉と組み、難易度の調節が効く自発的なトリップは新キャラと組む的な形で。姉は個人的な理由で能動的トリップには随伴しないので。
3Pは更に高難易度の場合のみになります。ああ、もちろん三人パーティーの略で3Pです。それ以外の意味は無いです。無いです。です。
なんでいきなり新キャラは戦いを挑んでくるの?新キャラの思考が支離滅裂なんだけどどうして?とか聞かれそうですが、一人称で進める限り理由とか本編で書けないです。主人公も姉も本人も知らない裏設定的な理由なので。とりあえず戦闘シーン書きたい気分だったからという理由もありますが。
ちなみに戦闘時の主人公の強さとかはその時のノリで変わります。テッカマンが核兵器の直撃に耐えるのにテックランサーの攻撃でダメージ受けるのと似たようなものです。仮面ライダーでもプレデターのシュワちゃんでも構わないんですがそんな感じで。
同じく戦闘中の主人公の考えてることとかもノリで書いてるので深くは考えないでください。色々突っ込まれそうなところがいっぱいなので。まぁ原作あり作品にトリップするSSの筈なのに原作キャラとの絡み極少、原作イベントほぼ皆無、そして大半をオリ主の日常だのオリキャラとのバトルに費やす謎構成って時点で突っ込みどころは満載なんですけどね。
でも大丈夫、次は一気に原作中盤にまで時を吹っ飛ばして原作ルートにほんのり絡めるのでご安心ください。しかし原作ルートに入ると原作登場キャラに無双かましたりXATの隊員をサクッと殺害してしまうかもしれませんので、このSSを読むのは自己責任でお願いします。
この作品に登場するオリキャラは全員、『悪に報いは必ずあるのだ!』とか言われると気不味い表情で視線を逸らしたり、何言ってんだこいつみたいな疑問の視線を投げ返したりするので。
そんな作品でもよければ、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス待ってます。