「なんで寝てんだ、こいつら?」
涙目のさよを引き連れて、クラスメイトに合流しようとしたわたしの目の前に、クラスメイトが倒れている。
音羽の滝の目の前。クラスメイトの三分の一ほどがスースーと寝息を立てていた。
すわ、関西呪術協会とやらの暴走かと思いきや、眠っているだけのようで数少ない理性を保ったクラスメイトが眠りこけるバカどもの頬を叩いている。
「お酒のにおいがしますけど……あっ、茶々丸さん、皆さんどうしたんですか?」
「あっ、さよさんに千雨さん。どうやら皆さん酔いつぶれているようです」
さよの問いに絡繰が答える。
「…………甘酒かなんかか?」
「いえ、あちらに」
そんなわけないだろうなあ、と思いつつ問いかけると当然のごとく否定された。
絡繰の指差す先を見ると、滝上に酒樽がくっついている。
音羽の滝に流れ込んでいた。寝ているやつらは、あれを飲んだのだろう。
わかり安すぎるそれにさすがに顔が引きつる。
というか魔法でもなんでもなかった。
そのままどうしたものかと、早乙女の頬を叩いている神楽坂を見ていると、巡回中らしい先生方がやってくる。
鬼の新田に瀬流彦先生。
誤魔化す神楽坂と先生の姿にちらりと視線を送り、しょうがないとわたしも皆を手伝うことにした。
第21話
ホテルにようやくたどり着く。
半分以上眠っていた輩はそのまま部屋で寝ているが、もちろん残りの人間はお約束どおりに騒いでいた。
わいわいとした騒ぎがホテルに響く。実に迷惑をかけそうだった。
「あー、疲れた。くそ、蛙に続いて酒樽かよ。てかあいつらもおかしいって気づいてただろ絶対。そのくせ、ばかすか呑みやがって」
「どうしましょう。酔いをさましてあげるべきでしょうか」
全員を運び終わり、ホテル内をさよと歩く。
さよが案の定人のいい台詞を吐いた。
「うーん、どうだろうな」
正直魔法使いに巻き込まれたわけだから、覚醒させるべきかもしれない。
だが、わたしはさよの言葉に首を振った。
「でもやめとこうぜ。半分自業自得だし、ほっときゃいいじゃんべつに」
「なんでですかっ、治してあげましょうよ、千雨さん!」
「だって、それは魔法使いだって宣伝して回るようなものだぞ。相手だって、そう言う意味でやったのかもしれない。いぶり出しのためにな」
たかが酔い覚ましで厄介ごとを背負い込む必要はない。魔術師なら放置すべきだ。
だがさよは納得できないのかふくれたままだ。
「でも、関西の人たちもひどいですよ。ただの中学生のみなさんも巻き込むなんて……」
さよが怒ったように言った。
ただの中学生という言葉には少し言いたいところもあるが、言っていることはわからないでもない。
「魔法使いさんは普通の人を巻き込んだらいけないはずなのに、やりすぎです」
「ひどいっちゃあひどいけど、効果的だよな」
「そうですか?」
「ぎりぎり遊びですむ範囲で一般人に手を出して、んでもって“たかが”カエルと酒でこの様だ」
肩をすくめる。酒にカエルにといろいろあったが、最終的には今日の騒動は怪我人ゼロだ。
いや擦り傷を負ったのが一人いたが、それでも所詮その程度。
「妨害としちゃばっちりじゃないか。落とし穴のそこがむき出しの土ならけが人が出てただろうし、つぶれりゃ紙に戻るカエルはむしろ嫌がらせというより向こうの気遣いだろ。酒の代わりに毒を入れたら全面戦争だろうし、親書云々の話じゃねえ」
「はあ、毒ですか……それはそうかもしれませんけど」
むう、とさよが膨れる。
「でもって、このまま適当に煽っておいて、隙を見て親書を盗めばいいってことだろ。エヴァンジェリンの言っていたとおりほんとに温いけど、予想の範疇だ。明日……は奈良の観光か。じゃあ明後日にでも先生が親書とやらを届けちまえば、もう問題も起こらないさ」
「うー。でもこうして油断させておいて、一気に悪の目的を達しようとしているのかもしれません」
また変なことを言い出すさよに肩をすくめる。
「なんだよ、悪の目的って。親書を奪うってだけだろ。被害が出るにしても先生までさ。手を貸してもいいけど、手を貸すほどなのかは疑問だね」
もともとわたしは手出し無用の立ち位置なのだ。
たかがこの程度の話で介入するわけには行くまい。
「でも眠っちゃった皆さんは起こして差し上げるべきだと思います!」
「明日には目が覚めてるだろ。静かでいいことだ。どうせ騒がしくなるだろうし、一晩くらい静かな夜もいいだろ」
「なに言ってるんですか! 修学旅行の一晩と言うのは、学校生活の一ヶ月に相当するんですよ!」
なぜか怒られた。
というかその理論はなんなんだ。根拠を示せ。
「でも正直面倒だしなあ……」
「マギステル・マギを目指す先生とつきあっておいてなに言ってるんですか。ほらほらっ」
背中を押される。
できれば眠っていてほしかったのだが、騒ぐさよを振り切ってまで放置はできまい。
はあ、とため息を吐いた。
もうばればれとはいえ、魔術師であることを示したくはなかった。
出来れば遠慮したいが、中々難しい天秤だ。たかが自分の保身がベットなのだし、さよに言葉にも一理ある。
先生と違って、わたしは魔術という技術だけを与えられた半人前だ。明確な線引きしかない身では文句も言えない。
ライン引きが重要なのだ。どこまでなら許し、どこからなら介入するか。それを間違えれば、自分はエゴにとらわれる。長谷川千雨は選択者になるべきではなかったのだ。
傍観者としての立場を明確にしていたからこそ、自分はいままで長谷川千雨らしさを保っていられた。
それが今ではこの様だ。
昔の自分に今のざまを見られたら鼻で笑われることだろう。
「わかったよ。じゃあ行くかあ……」
「それでこそ千雨さんですっ!」
「なんだそりゃ……」
笑うさよを引きつれて部屋を回るために歩き出す。
そもそも酔って寝ているといったってそれは一部だ。半分以上はおきている。
酔っていたやつらだって、よほど深酒をしていない限り眠り続けているということはない。精々今日の就寝が早くなるくらいのものだろう。
だから放っておいてもかまわないとは思うのだが、やはりこういうときのさよには逆らえない。
ああ、面倒くさいと思いながら、わたしはクラスメイトの部屋を回ることにした。
◆
遅延式の目覚めの魔術に、ネギから聞いた魔法を魔術で再現した眠気を晴らす覚醒術。
酒気払いは気休め程度。部屋を回りながら寝ているやつらに魔術をかけていく。
「すぐ起こしてあげないんですか」
「混乱しそうだしな」
そう尋ねてきたさよに答えながら廊下を歩く。
ネギをけしかければよかったが、あいつは教師なのでいろいろと忙しいだろう。
あいつが魔法使いなのは確実に西の一味にばれてるし、生贄としてはちょうど良かったのだろうが、しょうがない。
そんなことを考えながらあるいていると、先生と神楽坂がいた。
ホテルの片隅の休息コーナーで、カモを交えた二人と一匹が顔を突き合わせている。
「おや、千雨の姐さん方じゃねえっすか。これから風呂っすか」
こちらに気づいたカモミールが早速話しかけてくる。
「違うよ。うちの班は一番最後だ。あんたらは入ってたのか?」
「あー、うちももうすぐね。それより聞いたっ、千雨ちゃん! なんか今日のカエルとか、みんなが酔っ払っちゃったのってこいつの所為らしいのよっ!」
神楽坂が怒鳴った。どうやらその話をしていたらしい。
さすがに神楽坂も気づいていたのか。
「知ってる。神楽坂も聞いたのか?」
「うん。また魔法の厄介ごとね。あっ、それでね、わたしもネギを手伝おうかとおもってるんだけど……」
少し恐縮したように神楽坂がいった。
断られることを恐れているのだろうが、エヴァンジェリンのときと違って、今は純粋に助かる申し出だ。
「そりゃ助かるな」
「あっ、ホント?」
「ああ、もともと酔っ払いを運んだりしてもらったし、わたしもあんまり手を出すなって言われてるから、神楽坂が手伝ってくれるのは助かるよ」
「そうなの? 良かった」
ほっ、と神楽坂が微笑んだ。
わざわざ巻き込まれた挙句この台詞をはけるのだから善人すぎる。
「でも、手を出すなって言うのは? 千雨ちゃんも魔法使いなんでしょ」
「だかららしいぜ。なんか魔法使いは折り合い悪いから手を出せないんだと。で外国人で確執のない先生が特使役ってことだな」
「ふーん。手紙を届けるだけなのに、こんなことするの。やっぱ魔法使いってのは変なのばっかりね」
神楽坂以外は全員魔法使いなわけだが、神楽坂は自分の言葉に気がついていないようだった。
「姉さんがたはなにしてたんですかい?」
「ああ、クラスのやつらの酔い覚ましをしてた。さよが可哀相だってうるさかったからな。あとすこししたら起きると思う」
「あっ、そうなの? そりゃ良かったわ。このまま寝てたら明日悔しがりそうだったしね」
やはり善人の神楽坂が笑った。
「あっ、ありがとうございます。千雨さん、さよさん。そんなことまで……」
「発案はさよですよ。それに、手を出すなといわれても、サポートくらいならいいでしょうしね」
チョコチョコとよってきたネギが頭を下げる。
その仕草にわたしも微笑んだ。感謝されるのは悪い気はしない。
「本当はお酒とかも未然に防げればよかったんですけど……」
「まっ、しょうがないだろ。落ち込むなよ、先生が頑張ってるのは知ってるさ」
「エヘヘ。ありがとうございます」
なんとなくネギの髪を手で透かす。
その感触に微笑んでいると、落ち込んでいたネギも笑顔を見せた。
少しだけ二人で笑いあう。
「…………千雨さん。人前ですよ」
「ウフフ。いやー千雨ちゃん。やっぱ仲いいのねー」
「グフフ。いやさすが姉さん」
外野から声が上がった。
うぜえ。
というかただ笑いあっただけで、なんでそんなに言われなきゃならないんだ。
過剰に反応したネギが顔を赤くしてうつむいた。
わたしは笑っていた頬を引き締め、にやつくアホどもに向き直る。
「そうだ、千雨の姉さんもクラスの桜咲刹那ってやつのことなにかしらねえっすか?」
話の区切りにカモミールが口を開く。
桜咲刹那。もちろん同じ班員なわけで知らないはずがない。
そういって首をかしげると、なにやら物騒な話を聞かされた。
桜咲のスパイ疑惑だとかそんな話。
「スパイ? 桜咲がか?」
「い、いえ。まだ決まったわけじゃないんですけど、今日の新幹線で……」
くわしく聞くと、ネギが親書関係で接触を受けたようだ。
親書を奪われた騒動に絡んでいたらしい。
ツバメにいったん親書を奪われ、その後、忠告と共に親書を返された。
取り返したのか、桜咲が一度奪ってから返したのかはわからないが、結局返してくれたということはスパイどころかむしろ先生のサポートではないのだろうか?
首をかしげる。
「まあ、名前は知ってるな。あんまり話したことないけど、でたらめに強いらしい……魔法生徒で剣術家だとさ」
「や、やっぱり魔法使いなんですか? それと剣術ですか? あっ、あの名簿にたしか……」
「ああさっきのやつ。えーっと、神鳴流だっけ?」
いつも名簿を持ちあるいている先生から、名簿を借りる。そこには確かに京都神鳴流の文字がある。一応秘匿される流派だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
所属クラブは剣道部。いつも持っている長物のカモフラージュのためだろうか?
ルビーから聞いた話では、とんでもなく腕は立つらしいが、性格その他はたいして鋭いほうではないので隠し事がばれることに関してはそれほど心配しなくても良い猪タイプ……というわりと酷めの評価だったはずだ。
「ああ、やつは間違いなく、関西呪術協会の刺客っすよっ!」
「うーん、そうかなー?」
ヒートアップするカモミールとだんだん冷静になっていく神楽坂。だがわたしも神楽坂に賛成だ。
さすがにカモミールのそれは短絡すぎる。
「刹那さんも魔法生徒なんですね……」
「ああ……そうだな、ちょっと部屋に戻って話してみようか?」
「えっ? いいんですか、千雨さん」
「もともと同じ班だしな。むしろこんな状態でほうっておく方が怖いよ」
さよとは仲がよかったはずだし、それにたぶん本当にスパイと言うことはあるまい。なにしろ3-Aの生徒である。
「あら、ネギ先生。教員は早めにお風呂済ませてくださいな」
「ひゃいっ!?」
そんなことを話していると、しずな先生から声をかけられた。
しずな先生の足音に気づいていなかったらしいネギがおかしな声を上げ、神楽坂があわてて取り繕うように返事をする。
わたしとさよもそれに続き、しずな先生が去っていく姿を見送った。
「じゃあ、五班もそろそろお風呂だし、続きは夜の自由時間に聞くよ。OK?」
「は、はい」
姉御肌を発揮して、神楽坂がまとめた。
ネギにあわせてわたしとさよ、そしてカモミールが頷く。
「じゃあ、わたしたちはそれまでに桜咲に話を聞いておくよ」
「ホント、じゃあお願いね」
「ああ。それじゃさよ、お前も来てくれるか。わたし桜咲とあんまり仲良くないし」
「あっ、はい。もちろんです」
そして神楽坂たちといったん別れ、頷くさよを引き連れて部屋に向かう。
風呂の準備をするためにと神楽坂も部屋に戻った。先生も同様だ。
そうして、わたしたちはそれから数分もせずに部屋につき、
部屋で休む絡繰茶々丸とザジ・レイニーディに、桜咲刹那がすでに風呂に向かったという話を聞くことになる。
◆
まあ風呂の順番などというのはわりと適当に決められているものなので、クラス全体の時間帯さえ守っていれば、個人で自由に入っても問題はないのだが、さすがに困った。
別に神楽坂とニアミスしそうだとかそういう意味ではない。
あいつなら桜咲に先に会ったとしてもうまくやれるだろう。
問題はわたしが追いかけられないということである。
「なんでですか? ついでにわたしたちもいっしょにお風呂に入りましょうよ」
「わたしは令呪があるから、公衆浴場は使えないんだよ」
問いかけるさよにひょいと腕を掲げて見せる。
修学旅行中はずっと部屋風呂か、こっそりと時間外に風呂を借りようかと思っていたくらいなのだ。
「ああ、そういえば。でももう幻術でもいいんじゃないですか?」
「かも知れないけど、しなくて済むならしないほうがいいだろ」
温泉を楽しめないのは少し残念だが、逆に言えば、魔術を使って得られるものはたかがそれだけだ。
わたしはズルができるが、こういう傷を隠せないやつもいるわけで、魔法なんぞを使ってお手軽に解決するのは3-Aの人間としてはどうにも躊躇いがでる。
ちなみに最近とみに使っているのは夜の雑音封じの結界や人の肉体のパラメータを書き換えるゴニョゴニョとした魔術・魔法であるわけで、冷静に考えると日常に魔術を持ち込まないというわたしの信念などというのは、非常に適当なもののわけだが、そんなことをさよに言う必要はない。というか言えるわけがない。
「さよは風呂に入ってこいよ。ついでに桜咲がいたら話を聞いてくれ」
「桜咲さんには令呪を見られても問題ないんじゃないですか?」
「わざわざ見せることもないだろ。他のやつが入ってたら手間だしな」
身体測定のときは結局包帯で誤魔化したが、また同じ手を使ったらさすがに突っ込まれるだろう。
そんなことを話しながら廊下を歩く。
と、そんなことを話していたその瞬間、
「――――ひゃあああぁ!」
いきなり更衣室から叫び声が聞こえてきた。
タイミングがよすぎるというべきか。話にあがっていた近衛の悲鳴と桜咲の叫び。
さよと顔を見合わせてて、あわてて走る。
そうして更衣室にたどり着き、扉を開ける。
目の前に広がっていたのは、さすがに予想できない光景だった。
「な、なななっ!? わたしは先生の味方だといったでしょう。邪魔をしないでください!」
「えっ? 別に、そんな……」
「ま、まって二人とも。このかがおサルにさらわれるよー!」
「ひゃぁー、なんやの、これー?」
何事が起こったのかと、あせったわたしの目に、あまりにわかりやすい台詞をはく四人の姿が映った。
小猿に担がれる近衛と、素っ裸の桜咲に馬乗りにされるネギの姿に、さすがに思考をとめてしまった。
その隙をついて猿が近衛を担いだまま逃げていく。
今までの酒樽やカエルと違って、そこには明確な意思があった。
嫌がらせというより誘拐だ。
さすがにここまでくれば見逃せない。
思考を切り替え、わたしも魔術回路にアクセスする。この場にいる者たちなら、あとでなんとでも説明できるだろう。
しかし、そんなわたしやさよよりも早く、桜咲が近衛を追った。
かすむほどの速さで跳ぶ桜咲が近衛を担ぐサルを追いかけ、そのサルどもを吹き飛ばす。
申し訳程度のタオルさえ身につけず、素っ裸のまま刀を片手に走り出す。近衛を追おうとしていたわたしも、あまりの後姿に思わず赤面してしまう。
そんなたわけたことを考えるわたしとは裏腹に、桜咲は近衛に追いつくと唯一手放していなかった刀を一閃させた。
神鳴流奥義・百烈桜華斬
剣戟一発で、無数の紙型を吹き飛ばすのはさすがにルビーから評価される剣術使い。あれが気を使う剣技ということだろうか?
一振りの動きに百の剣閃。
無数の猿がきり飛ばされて紙に戻る。
近衛の名を呼びながら、ネギと神楽坂が追いついたときには、すでに全てが終わっていた。
いやはや、なんともすごいやつだ。
「せ、せっちゃん?」
「あっ、お嬢さま……」
近衛が顔を赤くして、自分を抱きかかえる桜咲を見ていた。
近衛の驚いたような顔に喜色がともる。
一枚絵のようなそんな光景。なかなか絵になる二人だが、そろそろ二人ともタオルくらいは身に着けろ。
あとネギは普通に見てんじゃねえ。
「な、なんかよーわからんけど、助けてくれたん? あ、ありがとうな。せっちゃん……」
「あ……いや……」
言いにくい言葉でもないだろうに、近衛がつかえつかえに感謝の言葉を口にした。
桜咲は露天風呂の外、雑木林のほうをにらみつけていた視線を近衛に戻す。近衛と同様、ぎこちなく言葉を返すそんな姿。
下手人がいるのかとわたしも意識を向けてみるが、さすがに仕込みの一つもなければ、人の気配は探れない。
がさがさという音と鳥の鳴き声。判断はつかなかった。
「――――ッ! も、申し訳ありません。失礼ッ!」
「せ、せっちゃんっ!?」
そのまま近衛と桜咲は素っ裸で抱き合ったまま黙っていたが、顔を真っ赤に染めた桜咲が近衛を手放した。
ハダカの姿そのままに駆け逃げる。
そのまま、桜咲は更衣室に戻ってくると、浴衣を羽織った。
顔は真っ赤で、目が泳いでいる。
つい十秒前まで、冷徹に刀を振るっていた人物とはとてもじゃないが重ならない。
なるほど、ルビーに腕は立つが御しやすいと評されるわけだ。
出て行く間際に、ようやっとわたしに気づいたのか、あせった顔で一礼を送られる。そのまま走って去っていってしまった。
強いけど抜けている。
ルビーの評価通りすぎるその姿を見送りながら、やはり桜咲は味方だったのかと、後ろで同じように驚いているさよとうなずきあった。
風呂場の中では桜咲の背中を悲しげに眺めていた近衛にネギと神楽坂が駆け寄っていた。
事情はあいつらから聞くとしよう。
◆
「――――で、中一のころせっちゃんもこっちに来て再会できたんやけど、せっちゃん昔みたく話してくれへんよーになってて……」
その後、近衛からどうやら桜咲が近衛の友人だったらしいことを聞かされた。
神楽坂にすら話していなかったという昔の話。それを語りながら近衛木乃香の瞳には涙が浮かんでいた。
話している間に今までのことを思い出していたのだろう。
一人きりだったという京都の屋敷での生活。
初めての友達だという桜咲との出会い。
一緒に遊んで、一緒に笑って、そして桜咲に守ってもらったという子供時代。
まなじりに涙をためながら喋る近衛の姿を見れば、それがどれほど大切なものだったかは明白だ。
きっと近衛にとっては何よりも大事なもので、だからこそ安易に動けなかった。
話を聞けば、近衛がおぼれかけて、それを悔やんだ桜咲が剣の修行に打ち込んだ。
そしてそのまま疎遠になって、挙句いまはほとんど話せなくなっているとのことだ。
しかしまあ、桜咲もさすがにそいつは不器用すぎる。
近衛は自覚がないようだったが、桜咲も嫌ってはいまい。
あの様ではバレバレすぎる。
近衛がちょいとばかし不憫だった。
「なんかウチ悪いことしたんかなあ……」
「それは木乃香さんは悪くないと思います!」
落ち込んでいる近衛の姿にさよが興奮気味に怒鳴った。
「えへへ、ありがとなさよちゃん。でも、うちはなんで避けられてるんかもわかっとらへんし……嫌がっとるせっちゃんに迷惑かけとるのは本当や……」
落ち込む近衛の姿に、なんとなく桜咲の事情が想像できる身としては罪悪感が沸く。
「そんなはずありません。ねっ、千雨さん!」
「わたしにふってもなんにも出来ねえよ。桜咲と喋ったことすらろくにねえんだぞ」
「……いや、ええんよ。愚痴聞いてくれてありがとな。あとさよちゃん。うちのために怒ってくれたんは嬉しいけど、せっちゃんに文句言ったりはせんといてな」
「なっ、なんでですかっ!」
部屋に帰ったら桜咲を問い詰めようとでも思っていたらしいさよがどもった。
「せっちゃんは悪くあらへん」
「でも話はするべきですっ! このかさんも言ってくれたじゃないですか。わたしに千雨さんとお話をしろって!」
さよがわたしにパクティオーを申し出た日のことだろう。
その言葉に近衛が弱々しく微笑んだ。
近衛木乃香は人のことには親身になれる。
人の苦しみを取り除き、その頑張りを応援できる、そういう人の上に立てるカリスマ性とでも言うべきものを持っている。
だがその性根は意外に臆病なのだろう。こいつはこれ以上桜咲に嫌われることにおびえていた。
あまりに大切だから動けない。
あまりに渇望しているからこそ、安易に求める失敗を恐れている。
だから、全てが自分の所為だと考える。
そんな見覚えのある悪循環。
そうして誰も口が聞けなくなった中、近衛が心情を搾り出すように口を開く。
「――――でもウチ、これ以上嫌われたくあらへんし」
そんな断定。
近衛の泣きそうな表情の前では言葉が出せない。
その言葉に篭った深い心情に、さすがに声がかけられなかった。
「木乃香さん……」
さよが口を結ぶ。桜咲に怒りを感じているようだ。
さよも気づいただろう。いまの近衛は以前のさよに近い。
だからこうして放っておかれている近衛にシンパシーを感じている。
近衛は中一の一学期からだといっていた。たぶんそのときから騙し騙しに、ごまかしごまかし耐えてきたその感情。
その感情が、ずっと誤魔化していた感情が、もう限界だとあふれている。
近衛はずっと耐えていた。
しかし、いまの近衛はそういう感情を自覚していた。
その原因は、きっとさよとわたしにある。
さよと一緒にわたしとネギを追いかけて、そのときのさよの様を見た。
いまの近衛はそのときのさよに影響されている。
平たく言えば彼女は、自分がやっぱり桜咲をあきらめてなどいないのだという、当たり前の心情を“自覚”していた。
近衛木乃香は言っていた。
再開した日に桜咲に声をかけ、そして素っ気無くあしらわれたといっていた。
振られてしまったといっていた。
そして彼女は、これ以上嫌われたくないからと自分から近づけなかった、と言っていた。
一年以上の時間を、一度無碍に断られたときから、絶え続けた。
だって、二度ことわられれば、その断崖が決定的になってしまうだろうから。
いまの近衛は、そのとき自分自身にした言い訳を自覚した。
桜咲と疎遠になって、それに耐えなくてはいけないなんて、それに納得するべきなんて、そんな理不尽。
それに耐えるべきだとした己の覚悟。それはただの言い訳だったと自覚した。
また仲良くなりたかった。
また笑い遭えるようになりたかった。
そういうものを自覚した。
わたしから疎遠になるとおびえていたさよの姿に自分を投影した。
自己を俯瞰しながら、そんなさよを応援した。
そしてその翌日にわたしと笑うさよの姿に微笑みながら、きっとこいつはさよとわたしに“嫉妬”した。
そんな静寂。そういう沈黙。
なにもいえない哀れな少女と、涙ぐむそんな彼女を取り巻く昏い沈黙。
桜咲の事情は知らないからなんともいえないが、さすがに適当な慰めを口に出来るものではない。
わたしもさよもネギも黙り。
しかし、
「桜咲さんはこのかのこと嫌ってなんかいないわよ。お風呂場ですっごい必死そうにしてたしさ、なんか事情があるんだって、安心しなよ」
あっけらかんと、神楽坂がその静寂を断ち切った。
あまりにあっさりと断言する神楽坂の姿に思わず笑みが浮かんでしまう。
いいね、こいつは。惚れそうだ。
事情を知っているただの小ざかしい魔術師よりも、こういうときはホントの友人のほうがはるかに強いということだ。
まっ、そりゃそうだ。
さよがわたしを誤解していたのと同様に、桜咲のあのざまをわたしたちは見ているのだから。
近衛がどう思おうが関係ない。
桜咲刹那が近衛を大切に思っていることは明白なのだ。
考えすぎて、伝えるべき当たり前の言葉に気づけなかった。
ならば、わたしたちは桜咲のアホを問い詰めてやればそれでよい。
近衛と桜咲が会話できる場を作ってやるだけで十分だろう。
こんな近衛に、あそこまで近衛を心配していた桜咲。
あんな様をさらす桜咲が、こうして涙を浮かべる近衛ともう一度友人になれないなんて、そんなことあるはずないのだ。
そんな二人が泣いたまま終わるなんて、この3-Aでは許されない。
そのときになって、近衛に問い詰められて涙目の一つでもさらして反省でもすればいいのだ。
だから、近衛を慰める神楽坂の姿を見ながら、わたしはこれからどうしたものかと考えることにした。
◆
その後、若干落ち着きを取り戻したものの、落ち込んだ様を隠しながら部屋に戻ると言い出した近衛を見送った。
「このかさん、さびしそうでしたね」
「うん……、普段のこのかなら、絶対あんな顔しないもん」
神楽坂とネギになんとなく合流したまま、ホテル内の廊下を歩く。
二人は浴衣姿、わたしとさよは制服のままだ。
どのみち、しおりで決められた風呂の使用時間には風呂に入れないわたしはいいが、さよもつき合わせてしまっている。
「やっぱり桜咲さんは絶対にこのかさんのことを大切に思ってますよね」
「…………お前ほど単純じゃないだろうけどな」
「わたし木乃香さんにいろいろとお世話になっているので、桜咲さんの件は応援したいです」
こいつは友情関係の話には厳しいのだ。
そしていまは近衛木乃香の友人で、彼女が泣いている原因を桜咲に見ている。
ほうっておくと桜咲の元へ特攻しそうである。
「そうだ、それより桜咲さんは結局どうなってるのよ? さっきなんか凄かったけど」
「ふうむ……、どうやら敵じゃねえみたいだが、やっぱり本人に直接聞いたほうがよさそうッスね、こりゃ」
「まあそうだろうな。さっきは近衛がいるから逃げちまったけど、あのサル見る限り魔法関係なんだろ。近衛がいなきゃあいつも話くらいはするだろうさ。なんで近衛を避けてるのか然りな」
ポリポリと頭をかいた。部屋に戻っているのだろうか?
「魔法くらい説明するべきですっ! 木乃香さんがかわいそうです!」
さよがヒートアップしている。いつもながらの魔法の秘匿に関しての甘い認識に頬が引きつるが、近衛なら、生まれなどを考えるに魔法を教えるという道は十分にありえる。
「ま、わたしたちが勝手に教えるわけにも行かないさ。でも桜咲のほうは先生から話をしてやりゃ、近衛とも話をさせられるだろ。頼むぜ、先生」
ぽんと横を歩くネギの背中を叩いた。
まあこいつなら上手くやるだろう。
「はい。あっ、でも、桜咲さんはどこにいらっしゃるんでしょう?」
「あー、そろそろ就寝時間だな。一応部屋に行ってみるか?」
「そうですね。えっと千雨さんと同じ班の方は茶々丸さんとザジさんでしたか」
「あの二人ならまあ大丈夫だろ」
適当に会話をしながらホテルの廊下を歩く。
結構騒がしかった。
当然のことながら、愛すべきクラスメイトが騒いでいるようだ。
今まで静かだったから忘れていたが、そろそろわたしのかけた覚醒の魔術が効きだすころである。
就寝時間に目がさめるのは皮肉としか言いようがないが、まあどのみち就寝時間に素直に寝ようなどと考えているものは一人もいまい。
各部屋に引きこもってわたしの知らないところで修学旅行の一夜を堪能してほしい。
そんなことを考えながら歩くと、案の定酔っ払っていた輩が部屋から出てきていた。
「はいはい、皆さん。そろそろ就寝時間ですよー。自分の班部屋に戻ってくださーい」
ネギが言うべきことは言うべきだと声をかける。
まあ妥当な言葉だ。
だが、さすがに納得できないのだろう。いままで寝ていたと思しき明石たちが騒ぎ出す。
「えー、わたしさっき目が覚めたところだよー」
「温泉に入ってないしねー」
「それは寝てた皆さんの責任ですわよ。……はー、しょうがありませんわね。先生、申し訳ありませんが、さすがにお風呂を抜くというのも可哀相ですし、わたしが責任持って皆さんを連れて行きますから、あと少しだけお目こぼしいただいてもよろしいですか?」
ギャーギャーと騒ぎ出す皆を委員長がいさめた。
酔っ払っていなかった委員長はすでに湯浴みを済ませているはずだが、人のいいことだ。
もっともそれを言えば、風呂に入りにきて、すぐさまUターンする羽目になったのに、文句の一つも言っていないさよや神楽坂も同様である。
「ふむふむ。やはりうちのクラスはこうでなくては」
「その評価もどうかと思うけどな」
いつの間にか横にいた長瀬に答える。
「たしかに、ネギ先生には迷惑をかけるでござるが、静かに初日の夜を過ごすようなみなではなかろう?」
いつもの飄々とした態度を崩さない長瀬に笑った。
ルビーの情報では、桜咲と同様、まあこいつもとんでもなく腕が立つらしい。
向かい合って戦う限り、わたしやネギどころかルビーでも相手にならないレベルだということだ。
精神面のほうも桜咲より目端が利くので気をつけるべし、との文字があった。教室でニンニン言っている様を見ているだけにどうも納得しがたいが、まあ本当なのだろう。
◆
その後、6班の部屋にも顔を出したが、桜咲は戻っていなかった。
事情を説明すると、同行すると言い出したさよと、さよに引きつられる形でこれまたついてきた絡繰を伴って、ホテルの中を散策する。
一応就寝時間だが、まあ先生と一緒だし、そこまで咎められることもないだろう。
そうして適当にホテル内を歩き回っていると、玄関でぺたぺたと入り口の壁にお札を貼っている桜咲の姿があった。
「いたいた、桜咲さん」
「なにやってるんですか、刹那さん」
神楽坂とネギが声をかける。その口調からは先ほどまでのスパイ疑惑は消えているようだ。
「これは式神返しの結界です」
札を貼り終えた桜咲が、息を一つはいて答える。
「へー、凄いですね。自動式の結界ですかあ」
「入り口が明確に設定されている建物には結界が張りやすいのです。その反面、建物の【室内】と定義されていない屋上やベランダなどには効きませんし、内側から扉が開くとそのまま進入を許してしまいますが」
さよの言葉に絡繰が答える。
桜咲を探しに言った際に、さよと一緒にくっついてきたのだが、ぺちゃくちゃと後ろでさよと喋っていたさまを見るに、これからの交渉には大して役立ちそうにはない。
エヴァンジェリンの肝いりで同行しているくせに、なぜこいつはさよとばかりしゃべっているのだろう。
もっとわたしがトラブルから離れられるように働いてほしい。
「えと、刹那さんも日本の魔法を使えるんですか?」
「ええ、剣術の補助程度ですが」
「なるほど、ちょっとした魔法剣士ってところか」
先生と桜咲の会話を聞いてオコジョがまとめる。
苦笑いをしている神楽坂を見るに、オコジョに驚いていない桜咲の姿にうちのクラスメイトへの認識を新たにしているのだろう。
「あ……神楽坂さんや長谷川さんには話しても?」
「あはは、もう思いっきり巻き込まれてるからねー」
「というかいまさら過ぎじゃないか?」
こいつも知らなかったのか。
エヴァンジェリンとの件はそれなりに大事だと思っていたが、学校的にはそうでもなかったのかもしれない。
「ではやはり相坂さんも……あの、エヴァンジェリンさんの?」
「いえ、わたしは千雨さんの弟子ですから」
薄い胸を張るさよ。絡繰は桜咲に目礼を送っただけだ。
それに頷く桜咲の姿を見るに、さすがに二人のことは知っていのだろう。まあ住処が住処だ。当たり前といえば当たり前である。
「長谷川さんもやはり魔法使いでしたか……」
「見習いだし、正確には魔法使いじゃないけどな。わたしとしては桜咲が知らなかったほうが驚きだけど」
まあ、興味がなかったのだろう。
同じクラスメイトといえど、自分に関係しなければ放置するスタイルっぽい。
その後話を聞くと、どうやら桜咲はどうにもふがいないネギをサポートするために動いていたらしい。
それをネギとオコジョが誤解して一悶着。まあわかりやすい流れだ。
「――――というわけで、わたしはお嬢さまに対してボディーガードの役を」
「じゃ、じゃあ刹那さんはやっぱり敵じゃないんですね!」
「ええ、もちろんです。たとえ相手が同門であろうと、わたしはいわば西を抜け東に走った裏切り者。でも、わたしの望みはこのかお嬢さまをお守りすることですから仕方ありません」
「だから、お風呂場であのおサルを……」
「はい。わたしは……わたしはお嬢さまを守れれば満足なんです」
桜咲が小さく微笑んだ。
「いやでも、あんたがこのかのことを嫌ってなくてよかったよ!」
ばしりと神楽坂が桜咲の背を叩いた。
こいつ本当に善人だ。感動する。
「うー、でもわたしは、それならなおのこと木乃香さんとお話しするべきだと思います。可哀相ですよ」
「相坂さん。……ですが、このかお嬢さまは西と東の対立どころか魔法のことすら伝えられておりません。わたしが勝手に事情を話すわけにはいきませんから」
「でも木乃香さんに冷たくするのは……」
「まーまー、さよちゃん。いまのところは、桜咲さんがこのかを嫌ってないってことがわかれば十分だって」
わたしと絡繰はテンションについていけていない。無言のままだ。
まあ、神楽坂の言葉も間違ってはいないだろう。近衛が狙われていたのは緊急を要する。近衛には悪いが、変に干渉してこじれるのもまずい。
重くなった雰囲気を吹き飛ばすようにネギが立ち上がった。
「よし! じゃあ決まりですね。3-A防衛隊結成ですよっ! 関西呪術協会からクラスのみんなを守りましょう!」
「えーなにその名前」
名前よりもそのテンションに突っ込め。
「へえ、見回りとかしますか、千雨さん」
「近衛を狙うってんなら、むしろ守りやすいよな。誘拐されても場所わかるし。というかなんで近衛なんだ?」
ポリポリと頬をかいた。
「どういうことでしょうか?」
桜咲が首をかしげる。
「無差別だった昼と違って、さっきの風呂場の件は近衛を狙ってよな? 桜咲、お前も近衛が狙われること自体はおかしいと思ってなかったみたいだし。理由あんだろ。協力するってんなら話しとけよ」
ボディーガードといっていたが、つまりそれは近衛に守られる理由があると言うことだ。
近衛は学園長の孫であるわけだし、魔法に関わっているいないに関わらず、重要人物なのだろう。
「あっ、えっと……」
「木乃香さんは関西呪術協会の長である近衛詠春さまの一人娘です。おそらくその関係ではないかと」
一瞬口ごもった桜咲のかわりに絡繰が答えた。
「呪術協会の?」
「一人娘? え、なにそれ、ホント、桜咲さん?」
一瞬黙った桜咲が観念したように首肯する。
「はい。確かにそのとおりです。以前より関西呪術協会の中にこのかお嬢さまを東の麻帆良学園へやってしまったことをこころよく思わない輩がいて……」
「ふえー、木乃香さんってそんなに凄いひとだったんですかあ」
「はい。故にわたしが陰ながらお守りを。しかしわたしも学園長も甘かったといわざるを得ません。まさか修学旅行中にこのような暴挙に及ぶとは……」
「そうか? 麻帆良に忍び込んで誘拐するよりよっぽどありえるだろ」
「それはそうかもしれませんが……」
桜咲が悔やむような顔をした。
「誘拐してどうする気なんだ? そうなると今度は親書がどうこういう問題じゃなくなるよな」
「はい。おそらくやつらはこのかお嬢さまの力を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているのではないかと……」
あまりの内容に神楽坂とネギ、そしてさよが絶句する。
わたしはそれを黙って聞いていた絡繰に目をやった。
「絡繰は知ってたのか?」
じろりと睨みつけた。
「じ、じつはそれらしきことは先日マスターとルビーさまから……実際に事が起こるまで口にするなと」
恐縮して絡繰が縮こまった。
「やっぱそうか。あのちびっ子め。楽観しすぎだ」
「じゃあどうしましょうか、千雨さん。やっぱりこのかさんのところに行きますか?」
ネギが問いかけてきた。
まあ近衛を保護しなくてはいけないというのは間違ってはいない。
しかし順当に考えれば、まずそれ以前にやることがある。
そう考えながら口を開いた。
「いや、桜咲が結界は張ったんだろ。近衛よりもまずは先生に言っておくべきじゃないか」
「ふえっ?」
ネギが驚いたような顔をする。
「いや、ネギのことじゃなくて、瀬流彦先生だよ。もしもの備えなんだろ?」
そう告げると、なぜか全員から驚いたような顔を返された。
知らなかったのか、こいつら。
「いや、ネギも知らなかったのか?」
「えっ、は、はい。あの、瀬流彦先生がですか? 本当に?」
「ああ。魔法使いだと。ルビーが言うには結界使いで、守りに専念すればかなりのものとか何とか。昼の騒動を見る限り、手は出さないつもりっぽいけど、近衛が狙われたんなら、話だけはしておくべきだろ。手伝わないってんでも、あとあと問題になるかもしれないし」
ギリなのか本当の親子なのかは知らないが、関東魔法協会の学園長と関西呪術協会の近衛の父親。
その二人の手紙のやり取りに乗じて近衛木乃香が狙われるとなれば、これをネギの責任としてしまうのはさすがに可哀相だろう。
そこまで話が大きくなれば現場判断というわけにも行かないはずだ。
それに、近衛が狙われたことでネギが責任を負われることはなくとも、報告をしなかったことを咎められえることは考えられる。
「は、はあ。それはもっともかもしれません」
「それに桜咲がいってるのが本当なら、これは学園長側の失態だろうしな。先生たちだって近衛よりメンツを優先することはないだろ」
もちろんです、と頷くネギに微笑み。どうするかと神楽坂に問いかけた。
「う、うん。わたしもそういうことなら……」
「じゃ、いこうぜ。そろそろ時間も時間だし、新田がいないといいんだけどな」
そういって、わたしたちはぞろぞろと連れ立って歩き出した。
◆
「というわけで、瀬流彦先生に話を通しにきたんですけど……」
「う、うん。いやー、まいったな。長谷川君、ボクのこと知ってたんだね」
「……ええ。一応魔法生徒とか言うのにもなりましたし、エヴァンジェリンから聞いていましたから」
「か、彼女からかい?」
思いっきり嘘だが、信じてくれそうなので頷いておく。
ちなみにその証拠になりそうな絡繰は同行に難色を示したため部屋に戻り、さよはそれについていった。
話を通すだけだし、先に部屋に戻っていることだろう。
さよは風呂に入っているかもしれない。そういえば絡繰は風呂に入るのだろうかと、横道にそれた思考で首をかしげた。
「そうか、じゃあ一応ここにいるみんなにはおしえておくけど、実はボクは生徒のみんなの護衛なんだ。もしもの場合ってことでね。ばれないようにっていわれていたんだけど……」
「いまさらじゃないですか? 魔法先生がついていなくても、生徒側には向こうから干渉してるんですよ。近衛が誘拐されかかったうえ、桜咲が相手の式神をぶった切って追い返してます。魔法使いってのだって、発動体と魔力をたどられればバレバレでしょう。いくら隠蔽しようとしたって、気づかれていないならまだしも疑われた状態で隠し続けるのは限度があります」
「く、くわしいね、長谷川君……魔法使いではないって聞いてたんだけど」
瀬流彦先生はタハハと笑った。
そして、一瞬だけいつもの気弱そうな先生としての顔を潜めて、真剣な目を向ける。
さすがにこうして隠れた護衛として同行しているだけのことはある。風格はさすがにネギやわたしと比べるべくもないものだ。
「じつは、木乃香ちゃんが狙われることに関しては学園長からもその可能性はありえるといわれてたんだ」
「……」
声を上げようとするネギと神楽坂を後ろ手で制する。
「でも、瀬流彦先生は手を出さないと?」
「うん。ボクは手を出さない。ボクの役目は生徒全員の護衛だ。木乃香ちゃんのことは……そうだね。もし本当にさらわれたのなら、もちろん学園側でも対応する。でもボクはそれにはやはり参加しないだろう。ボクや学園が動けるのは“浚われてから”だけだ。ボクも守るべきは君たち3-Aを含めた3年生全体で、特定の一人じゃない。申し訳ないけど、ここを違えてしまったら、学園の根底が崩れてしまうからね」
「で、では、お嬢さまの件は」
「うん。だから、さっき言っていた件は、正式に君たちに依頼したい。こちらから行動することは極力自重するように言われてるから、あまりたいしたことはできないけどボクも見回りの強化くらいはする。あと学園長への連絡はボクのほうからしておくよ。さすがに誘拐が実行されかかったとなると対策も練られるだろう。それで今日のところは護衛を君たちに任せることになっちゃうけど、それでもいいかな?」
「ハイ。お任せください」
文句のないらしい桜咲が頷く。
「学園長に連絡取ったらどうなると思いますか?」
「長谷川君……。そうだね、たぶんそれでも護衛を送ったりはしないと思う。関西呪術協会に木乃香ちゃんとネギくんがつければ、今回の件は終わりも同然だろうし、護衛を送るというの今回の件を根底から否定してしまう行為だからね」
瀬流彦先生がぶっちゃけた。
ネギへの信頼なのかは知らないが、随分なことだ。
「はあ、ずいぶんといい加減ですね」
「け、結構きついね、長谷川君……。もともと今回の件は本当に情報規制が厳しくてね。手は出せないし情報を集めるわけにも行かない。だからこそネギくんたちに頼んだんだよ」
「それ3-Aに全部任せるつもりだったって言ってるようなものですよ」
「ははは、まあ君たちのクラスは特殊だからね。最悪の事態にはならないと考えていたんだろう」
ため息を吐いた。桜咲がこっそりと護衛することも、どのみちこうしてわたしが絡むことも学園長は予想していたということだろう。
タヌキすぎる爺さんだ。
「先生たちはどうなんだよ、それでいいのか?」
「あっ、ボクはそういうことでしたら」
「うん。このかをわたしたちで守ればいいんでしょ。わかりやすいしいいじゃない」
こちらもこちらで特に文句はなさそうだ。
桜咲に不満などあろうはずもないし、部屋に戻っているさよと絡繰も近衛を守るという話なら文句は言わないだろう。
後で伝えておくことにする。
「そうか、本当に助かるよ。木乃香ちゃんはいまはどこに?」
「えっと千雨さん、わかりますか」
「んっ? あっと…………まだ部屋だな。寝てはいない」
一拍の間を置いて、ネギの問いに答える。
目を瞑って、魔力を送信。pingを飛ばしてリターンをはかるかのごとき、一般的な魔術の技能。
パラメータを確認するルビーの魔術。ちなみにルビーから誕生日プレゼントとしてもらった短剣は今回の旅行にも持参している。
「長谷川さん。お嬢さまの場所がわかるのですか?」
「あー、まあ場所と状態くらいはわかる。ちょっと酔っ払ってるけど、まあ大丈夫だろ。さっき部屋に行ったときは綾瀬と一緒に滝の水で晩酌するとかって言ってたから、さっさと寝ちまうんじゃないか?」
答えながら、滝の水をくんでおいたという水筒を当たり前のようにとりだしていた綾瀬の姿を思い出した。
「えっ……と。ば、晩酌かい……さすがにそれはボクの前では言わないでほしかったかなあ……あはは」
「あっ、いえ。その滝の水ですし、アハハハ」
ちょっと千雨ちゃんなにいってんのよ、と神楽坂に背中を叩かれた。
だが事実だ。そして、昼間のざまを無視した以上、瀬流彦先生に文句を言われる筋合いもない。
「ま、まあ今回は見逃すけど、ほどほどにね」
「それはウチのクラスメイトのほうに言ってください」
わたしがあいつらを御するのは荷が重過ぎる。
そんなマネができるのは委員長くらいだ。
「その、瀬流彦先生は親書のことは?」
「あっ、ネギ君……。うん、聞いてたよ。ゴメンね。昼間の件も含めて、君にばかり苦労させちゃうけど」
「い、いえ」
瀬流彦先生が頭を下げた。
その後、雑談交じりに方針を決めていく。
近衛のこと、明日のこと、関西呪術協会とやらのこと、そしてもちろんわたしたち自身のこと。
たいして緊張感もないそんな対話。
だが、そんなほのぼのとすらしていた時間が、突然切り取られた。
「…………ッ!」
最初の気づいたのは桜咲。
皆が会話している中、がたりと音を立てて桜咲が立ち上がり、視線を上に向けた。
二階にある皆の部屋。
その視線の先にはなにがあるのか。
もちろん近衛木乃香の部屋に決まっている。
ホテルの入り口に張った式神返し。
警報装置付きの結界とはいえ、それは絶対的なものではなく、中から開けられれば警報装置としてすら働かない。
つまり、桜咲の驚きと、その理由。
反射的にわたしも近衛木乃香の場所を確認しなおす。
「――――――ちっ、まずった」
「長谷川さん!」
「ああ」
やはりと桜咲がわたしを見る。それにわたしが頷いた。
えっ、と他のみながわたしのほうに目をやるのを横目にわたしは答える。
「近衛が誘拐された。いまあっちの方向に800メートルってところだ」
そして、その言葉が終わるよりも早く、桜咲がホテルの外へ飛び出した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ネギくんが呼び込んだわけじゃないですが、誘拐されます。その辺については次回。完全に忘れられている令呪ですが、一応まだ残っています。描写ゼロでしたが前回は結局包帯で誤魔化しました。
あと刹那さんは忠誠心がカンストしてます。学園長はお見合いさせるのが趣味らしいですが、たぶん木乃香がお見合い相手と結婚することになっても刹那は素直に祝福できます。見返りを求めない感じ。ぎゃくにさよや千雨は等価交換が原則の魔術師なので、見返りを求めないほうがおかしいと考えるタイプです。