ルビーとは、それなりの関係を築けたのだろうか。
結果としては、悪くもよくもなっていない。
もちろん仲良くなったというわけではない。
不干渉という意味である。
第2話 夢を見る話
ルビーが現れてから早数日。
宣言どおり、あの女は大筋を説明した次の日の朝にはわたしの目の前から消えていた。
朝起きれば、わたしはいつもどおりの布団の中で、昨日一晩妹への愛を語り続けてわたしの夜更かしの原因となった自称魔法使いの姿はどこにも見えなかった。
「……」
もちろん、わたしがそれに驚くことはない。ルビーは妹を助けるために平行世界を旅していて、この世界でも今までの世界と同様にこの世界の妹を助けるために動いているはずだ。重複存在を助けるという行為にどれほどの意味があるのかはわからないが、その決意だけは本物のようだ。
昨日の話が本当ならば、彼女は今頃、世界を回ってその妹さんとやらを影から助けるため奔走しているのだろう。
正義の味方。そんな陳腐なイメージか。
まあ、わたしとルビーとの関係はそのようなものである。
わたしは、世界の悪と戦うためにマスコットキャラを肩に乗せてほうきに乗る必要はなかったし、悪の手先に命を狙われる生活を送るようなこともなかった。
あの日の出来事としては、ルビーなどより宮崎とそこそこ仲良くなったことのほうが日常に大きく変化をもたらしたといえる。
まあ、少しばかり休日に遭遇して、話が盛り上がったからといって、それでその次の日から親友になるわけがない。
だが、わたしとしては変人だらけのあのクラスにおいて、おおっぴらな側の変人である早乙女と、隠れてはいるものの考え方は普通とはいえない系の変人である綾瀬との友人である宮崎は、実は非常にまともな考え方を宿していることを知れたのがでかい。
簡単に言えば、わたしもクラスメイトというくくりで偏見を持っていたということだろう。
わたしと宮崎は、大して関係が変わることもなく、目が合えば軽く会釈をして、帰り道に偶然あえば会話を交わしながら一緒に帰る、それくらいの仲に落ち着いた。
だが、それでも、クラスメイトとほとんど交流を持たない長谷川千雨にとってはそれなりの大事だったのだ。
まあ、つまり魔法使いとの遭遇は、わたしに魔法という世界観を植え付けただけで、日常そのものには本当にたいした影響を及ぼさなかったのだ。
さて、そのまま日常が続いた、と続けばいいのだが、そう上手くもいかなかった。
わたしはこの学園に潜む魔法使いを探そうともせずに、いつもどおりに学校に行き、そのまま帰宅してはネットアイドルとしてホームページを更新するという作業を繰り返していた。
つまりわたしは舐めていたのだろう。魔法の意味を。魔法使いという存在を。
ただ魔法が使えるだけで、とくにそれ以外は普通の人間だろうと、そう考えていたのだ。
普通の人間に特殊な技能。特殊な人間がいるだけだと。
銃を持っていようが、大金を持っていようが、日本刀を持っていようが、わたしのクラスメイトが一般人と根本的なところがほとんど変わらないのと同様に、魔法使いだって、その実は同じに違いない、と。
しかし、ルビーとあってわずか一週間で、わたしは魔法使いに関わることの意味を知らされた。
魔法使いを傍目に見るのとはまた別な、魔法に“関わる”ということの真実を。
そう、その日、何事もなかったかのように床につき、わたしは一応の約束に従って宝石のネックレスを手に巻いていた。
今思い返しても、それが起こった瞬間、わたしは寝ていたはずだ。
しかし、その出来事は確信を持って記憶している。
始まりは、手に持つ宝石の輝きとそこから吸い取られるわたしの“魔力”だった。
ルビーは、最初の日に言っていた。わたしの役目は魔力を吸うことであり、それを使って彼女の“目的”を果たすことである、と
わたしはとくにそれについて意識することもなく、
とくにそれにより、わたしが何か被害をこうむることもなかったのだ。
その日も別段直接的な被害を受けたわけではない。
ただ夢を見ただけである。
ただ夢を見て、それで終わり。
ただの夢、頭の中だけの自作劇。
そんな意識の中だけの情景で、
わたしは
――――ルビーの心の中にある地獄の風景を追記させられる羽目になったのだ。
◆
――わたしはただ夢を見る。
殺さなくてはいけなかった。
だから殺した。
――わたしはルビーの夢を見る。
殺したくはなかった。
だけど殺した。
――わたしはルビーの過去を見る。
殺すつもりなんてなかった。
でも、殺した。
――わたしはルビーの罪を見る。
わたしは百の人間を血に沈め、千の人間を地獄に落とし、万の人間を犠牲にし、
だけどわたしがそれを悔いることはない。
――そうして無限の死を経験し、わたしは最後にすべての始まりの夢を見る。
泥にまみれたその世界。
闇にまみれて、血にまみれて、死にまみれたその世界。
長谷川千雨は夢を見る。
そんな地獄の夢を見る。
わたしはそこに立っていた。
目の前には、ついにたどり着いた敵がいる。
わたしがずっと悲願としていた倒すべき敵がいる。
倒せる手段がある、倒すべき意思がある。
だが、わたしの心はズタズタだった。
だって、わたしが倒すべきだと願ったのは、ただひとつの理由があったためである。
だって、わたしが“そいつ”を倒すために世界中を回ったのは、絶対に譲れない理由があったためである。
そう、わたしが願った理由があって、
わたしはそのためにこの目の前に立つ男を殺そうと駆けずったのに
――――なあ、遠坂の娘子よ
その口でわたしにしゃべりかけるな、魔術師よ。
――――お前は何のために、ここにいる。
その口で、わたしの理由に干渉するな、蟲使い。
――――なあ、遠坂凛よ、遠坂の跡継ぎよ
貴様はいったいなにをしているのだ、マキリの蟲よ
――――遠坂の家名も捨てて、遠坂の誇りも捨てて、その果てに願ったものがこんなものか、遠坂の最後の名乗り手よ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ、その手を離せ虫けらよ。
――――なあ、遠坂凛よ、お主はそんなにこれが大事かのう?
その手で、桜に触れるな“マキリ臓硯”
腐った体、爛れた体。溶けた体、朽ちた体。
一つの死体に、千の蟲。
なあ、これはいったいどういうことだ?
なんだあれはなんだこれはなんだそれはなんなのだ。
なぜ、なんで。
なぜ、桜が死んでいる?
その死体を前にしてルビーは嘆く。
体中から血を流しながら、
目から血を流しながら、
口から血反吐を吐きながら、
呪いと魔術をつむぎながら、ルビーは叫ぶ。
妹に謝りながら、ルビーが嘆く。
妹の遺体を目の前に、己の無力さに歯噛みする。
彼女はただ、自分の無力に涙する。
彼女はただ、自分のおろかさに懺悔する。
ただその悔いを晴らすため、ただ目の前に立つ仇を殺すため、彼女は手に宝石を掲げ持つ決意を持ったその情景。
無数の蟲に囲まれて、長谷川千雨の内側で、カレイドルビーが泣いていた。
◆
「――――最悪の目覚めだ」
朝日を浴びて、ベッドの中で目を覚ます。寝汗がひどい。
起き抜けに感じたのは、たとえようもないほどの吐き気と寝汗でびっしょりとぬれた寝巻きの感触だった。
夢だということを納得させるために、体に穴が開いていないことを確かめなければならなかった。
夢だということを確かめるために、腕がまだついていることを確かめなければいけなかった。
わたしは、自分が長谷川千雨であることを思い出すためだけに意識を費やして、やっとベッドから起きたときには、数時間とたって、すでに昼を過ぎたあとだった。
幸い今日は休日か。そんな些細な記憶を思い出すだけで汗をかき、顔を洗いに洗面所に歩くだけで体中から悲鳴が上がる。
ふらつきながら、ベッドに戻る。
「筋肉痛か? てかありゃなんだよ、おい」
返事を期待せずに声を出す。冷静さを自覚させるためだ。
だが、それには予想に反して返事が戻った。
「フィードバックよ。魔力が枯渇して、貴女に肉体に影響が出たの。筋肉痛というか魔力のオーヴァーフローで筋繊維が断線したんだと思うわ」
あわてて声がしたほうを向いた。
「ルビーかよ。帰ってきてたのか」
「ええ、まあね。参ってるみたいじゃない」
「人生で最悪の目覚めだったよ」
「たかだが十数年の人生でなにいってるのよ。筋肉痛くらいでしょ」
ため息を吐かれた。まだガキであることは否定しないが、それでも、あまりに無責任な言葉に少し腹が立つ。
しかし、同時にあきれたようにいうそいつの声色で、あの夢にこの女が関知していないことを悟った。
死の情景、暗い世界、赤い世界、黒い世界、終わりの世界。
あれは否意図的か。
ため息を吐いた。
だとすると文句をいうのも気が引ける。
遠慮というわけではなく、あれはこの女にとっての存在意義そのものだったはずだ。それを勝手に覗かれたと聞けばさすがにこの女も笑ってはいられないだろう。
「うるさいな。てめえの所為じゃねえか。なんかあったのか? すげえだるいし、これがあんたの言ってた魔力を吸われたってやつかよ」
「ええ。一応目的のためにまい進してきたってところね。まあ、達成できたかどうかは微妙なところだけど」
どういうことか、と首をかしげた。あれだけの思いをさせられておいて、成果がないといわれれば、さすがに悲しい。
「この世界は違いすぎるのよねえ。ずれすぎてて、わたしの目的に会わないのよ。平行世界というか別世界過ぎるわ。あの子の因子を持ってる女の子はいるけど、別段平和に暮らしているし、マキリどころか遠坂がなく、魔法使いがあふれる世界に聖杯戦争どころか魔術がない」
「……目的って、桜さんを助けるってやつだよな」
少し躊躇したが、口を挟んだ。ルビーが目を丸くする。
「え、ええ。そうよ。わたし、桜の名前を行ったかしら?」
「やっぱりな。悪いがあんたの過去っぽい夢を見たんだよ。あんたがぼろぼろで、まわりもひでー有様だった。はっきりいって一生もんのトラウマだぜ」
軽く舌打ちをして、昨日の夢の話をした。
思い当たる節でもあるのか、ルビーはすぐに話を了解した。
「あー、夢か。貴女をそこまで引っ張るくらいやばかったみたいね。ああ、さっき言ってた今日の目覚めが悪いってそういう意味か」
ぺちりと頭をたたいた。
「それはごめん。昨日はちょっと大変でね。制御が外れちゃったみたい。あなたの魔力を吸い取ったくらいですむと思ったけど、共感しちゃったか」
「傷ついたってどういう意味だ?」
「わたしの魔力がなくなったから、足りない分をあなたから吸い取って治癒に当てたのよ。魔力を吸い取るということは間のつながりを強化するということだから、夢……というか、意識が逆流しちゃったんだと思うわ。ちなみに、あなたの魂が傷ついたらわたしから魔力を流せば治癒できるわよ。あんまりやりすぎると、あなたが人間から遠くなっちゃうから使わないほうがいいでしょうけど、わたしくらい技量があって、わたしを材料として使うくらいの気持ちでいれば、肉体が残ってればある程度死んでても蘇生させられるはず。この辺は聖杯戦争みたいな従者がほとんど霊的に同格に位置づけられる契約の利点ね」
こいつは、慰めたいのか、怖がらせたいのかはっきりしてほしい。
まあわたしが、突然半漁人に変身することもなさそうだし、早晩に死ぬ予定もないので、流すことにした。
「で、大変ってのは? 何かあったのか?」
「この世界を調べるために旅をして、その結果目的を失って厄介ごとを背負い込んだって感じよ」
はあ、と息を吐きならがルビーがいう。
だがその動作とは裏腹に落ち込んだような印象はない。むしろ浮かれているのを誤魔化しているようにすら感じた。
目的を失ったという言葉を吐くわりに、その口調に悲壮感は感じられない。
「目的ってのは桜さんのことか?」
こいつの口にした、世界を調べるという言葉に首をかしげながら問いかける。
「ええ」
ルビーがこくりと頷き、にやりと笑う。
「でも、桜の件に関しては解決してるわ」
その口から漏れたのは、なかなかに意外な一言だった。
派手な登場と、昨日のトラウマで、こいつは大魔王と一戦やらかすような旅をしているのかと思っていた。
たかが数日で解決されては、敵も立場がないだろうに。
表情を読み取られたのか、ルビーは説明を続けた。
「千雨、わたしが平行世界を旅してるって話は昨日したわよね?」
「ああ、旅というか召喚されながら移動してるんだろ。旅行と移動は別もんだって力説してたじゃなねえか」
「ああ、覚えてたんだ。まあ正確に言えばそうね。わたしの魔法は平行世界の移動ではなく、基盤の管理と運営よ。管理って言ってもメンテナンスじゃあなくてコントロールのほうだけどね。これもすごいリスクを背負ってやってるんだけど、その一番の問題っていうのが目的地を選べないことなのよ」
「それも聞いたな。わたしじゃなくてもよかったんだろ。召喚者はあんたに縁のある宝石を拾って一定以上の魔力を持っていれば誰でもいいとか……」
ふと浮かんだ疑問に言葉が止まった。
「……? どうしたのよ、急に黙って」
渋面をしたわたしにルビーが声をかける。
「魔力を持ってるとか言う台詞が自然に出ちまったことに絶望してただけだ」
軽口の態を装って誤魔化した。だが一応これも完全な本心である。
長谷川千雨は魔法なんて現象を信じたくはなかったし、有ったことを知った後も関わりたいとは思っていなかった。
関わらなくてはいけないといわれても、一般人の立場からこのルビーに関わっていたかったのだ。
たかが数日でこの騒ぎ。
そして、わたしはといえば、それに感化されたのかルビーに対して魔法なんて言葉を軽口に乗せるようになっていた。
純朴な女子中学生には影響力が強すぎる。
いい面でも、悪い面でも、である。
正直なところ、昨日の夢で発狂していないのも、わたしが日常からの乖離をあまりに自然に受け入れ始めていることも、こいつの所為だ。こいつの“おかげ”といってもいい。
わたしもかなりの順応性があるとルビーが力説していたが、それはこいつが余り深刻なことを言い出さないことが大きい。
魔力だのを、まだ遊びというか、大人の秘密を探る子供の気分で聞けていたからだ。
話術というか、影響力というか、ルビーは上にたつものとしての風格があった。あまりこいつにカリスマという言葉を用いたくはないが、まさしくそれだ。スキル:カリスマB+。
わたしがあまりに簡単に魔法なんてものに対して理解を示した理由の第一はそれである。
それが覆ったのが、今日の朝だが、それでも初対面からのルビーの影響が、まだわたしの精神を守っていた。
正直なところ、ルビーにあっておらず、またあの夢の中で自分がルビーの過去を追体験しているだけであることを早々に自覚していなかったら、あの夜を境に心が潰れるか発狂していた自信がある。
これは、ルビーにはいえないが、あの瞬間過去のルビー自身は気がおかしくなっていた。
それを自覚し、さらに客観視できたからこそ、わたしはあのような地獄の世界を脳に流し込まれても、こうして平静を保っていられる。
言い方は気に食わないが他者の発狂の様を、自身の安定剤としたのだ。
しかし、ルビーはというとその辺の意識はないらしい。
わたしがあの夢を見て、平常心を保っているのは、わたしのスキルによるところが大きいと評価しているようだ。
だから、わたしの軽口にルビーは肩をすくめただけだった。
「往生際が悪いわねえ。魔法使いに関わっといて」
「日常会話でポロリと出ちまったら困るだろ。いまだに宮崎に魔法使いに取り付かれてるなんてしゃべっちまったことに後悔してるんだ」
「ああ、そういえば、あった日に言っていたわねえ。大丈夫じゃない? 信じてない……というかあれで信じたらご同類でしょ」
「あんたの同業には目をつけられたくないし、宮崎が軽口でもその話題を出したらあんたのことが漏れるかもしれないだろ。というか、桜さんの件が解決したって言ったが、もう出てくってことかよ」
「あらあら、嫌われたものだわ」
「当たり前だ。で、どうなんだ」
肩をすくめた女に問いかけた。はっきりいって一番の重要事だ。
「桜本人はいないけど、桜の因子を持った人間はいるわ。この世界にもね」
「ああ、そういってたな」
ルビーはそういったわたしに、にこりと微笑む。
「でもあまりに外れている。この世界は違いすぎるのよねえ。ずれすぎてて、わたしの目的に直結しない」
「あっ?」
「桜は悲しんではいなかった」
「……いいことじゃないか」
「ええそうね。その子はずいぶん幸せそうよ。わたしの仇であるはずの蟲の使い手はそもそも虫など使わずに天寿を全うし、そいつと関わっていない彼女の家には魔術に関わるものはなにもない」
才能はあるみたいだけど、本人は気づいてないみたい、と微笑んだ。
真剣に語るその目に違和感を覚える。
だがルビーはそんなわたしに頓着することなく言葉を続ける。
「この世界は魔術がない。魔法と呼ばれる神秘の体系において、遠坂の系譜も間桐の系譜も存在せず、その子はただの一般的な人間として生きていた」
「……じゃあ解決じゃないか」
その言葉にルビーが笑う。
「違うわ」
「はっ?」
「わたしの願いは桜の救済。桜の仇討ち。桜の幸せを実行することであって、確認することではないのだから」
その言葉の意味が一瞬取れなかった。
「バカかよお前」
内容を了解した瞬間に声が漏れた。
「でも、わたしの目的にはそぐわないことに変わりはない」
「んな禅問答しても意味ないだろ、それじゃあ――――」
まるでそれでは、
「まるでそれでは、わたしが、桜の不幸を望んでいるようだっていいたいの?」
考えを読まれた。
そう、彼女の言を受け取るならば、それは一度桜さんが不幸にならなくてはいけないだろうということだ。
目を丸くするわたしをルビーはわらう。
「正義の味方が働くには悪がいる。必要悪ではなく純粋悪。外道に属する悪がいる。正義の味方はその存在のために悪を望み、桜の救い手はその矜持のためにほかならぬ桜の不幸を望む。バカらしい? ええ、分かっているわ、これは本当にバカらしいことなのよ。でもわたしは何もしないということは“出来ないの”」
その目をのぞき、わたしは言葉を失った。
それは狂信の目、それは狂気の目、それは理性を残しながら理性を捨てた悪魔の瞳。
あまりに唐突な変化に不意をつかれ、わたしの体がその瞳に飲み込まれる。
「ねえ、千雨、あなたはわかっているかしら、わたしは何もしないのは許されない。必要ないなら未来のために行動するし、いまは要らなくても、未来に必要になるかもしれないなら命をかける。そのためにはあらゆるものを犠牲にしてね」
あらゆるものとはルビー自身のことではない。それは他人のことだろう。桜さん以外のすべての人物、すべての生き物、世界のすべて。
世界すら桜さんとはつりあわないと告げるその狂気。
ああ、わたしはなんてバカなのか。
あの夢の中で、わたしは確かにあいつの姿をみたはずなのに。
あいつが狂っていた、その姿を目に焼き付けていたはずなのに。
わたしは、あの情景を恐怖したはずなのに、
「ねえ、千雨。人の夢を覗き見て、それでわたしを理解したとでも言うつもり」
あの夢で見たカレイドルビーは狂信の瞳を宿して嗤ってた。
殺してやると嗤ってた。
滅ぼしてやると叫んでた。
妹の亡骸を胸に抱き、その呪詛をつむぐその姿に、わたしは恐怖したはずなのに、
わたしはそれを忘れていた。
カタカタを震え始める体をかき抱くわたしに向かい、ルビーは言った。
「ねえ、千雨。わたしの望みについて、あなたはいったいどれくらい理解しているつもりなの?」
ぺろりと、彼女がわたしの頬をつたう涙のしずくをなめ上げる。
◆
ルビーはわたしを前に等々と言葉をつむぐ。
ねえ、千雨。わたしはあなたに説明したわ。
わたしの技術は移動であって、旅行でない。時間移動も世界移動も“旅行”には至らない受動的な行いよ。それは戻れないということ。それは影響を与えるということ。それは取り返しがつかないということ。
わたしの移動は、世界に依存するものであって、わたしが行うものではない。
それは目的地が定まらないということ、それは戻れないということ、それはわたしがただ現象に依存しているだけだということ。
千雨、わたしのこれは技術じゃないの。“現象”なのよ。
わたしは桜が死んで、その仇となった男を恨んだ。
そして、死に際にその男を殺すことだけを願って“わたしはわたしの身を世界に売った”
わたしはこの身を英霊という名前の掃除屋におとしめて、その対価としてこうして世界を旅する技術を身につけた。
意味がわかる? わたしはね、この身を空に上げた対価として“桜を救わないといけないの”
桜を救うために生きたわたしには、桜を救わないという選択は許されない。
意味がわかる? 長谷川千雨
あなたは言った、わたしの夢を見たと。
あなたは言った、わたしの過去の夢を見たと。
あなたは言った、あなたはわたしがすべてを投げ打つその瞬間の姿を見たと。
わたしは、あの瞬間から桜を救うための存在となった。
ゆえにわたしは桜を救わないと生きられない。
桜を救う願いが、桜を救わなくてはいけない呪いとなってわたしを縛る。
桜を助けなくてはいけないけれど、この世界の桜は平穏無事に暮らす一般人。
間桐臓硯を殺さなくてはいけないけれど、わたしの仇は善良な一人の好々爺として数代前に死んで墓の中。
困るのよねえ、聖杯戦争の真っ只中に呼ばれたほうがよほど楽……なーんていってしまったら、きっと罰を当てられてしまうだろうけど、それでもそう考えずにはいられない。
見守ってあげてはいるのだけれど、それではらちが明かないし、それでは寿命が尽きるまでわたしが離れる事が出来ないでしょう?
魔法少女のルビーちゃんはね、アニメの魔女っ子と違って、あらゆる人間に不公平。
だけど、桜にだけは公平でなくてはいけないの。
この世界の桜の幸せを願って臨終まで立ち会えば、それはほかの桜の幸せの定義と乖離する。
魔法は厳密、魔術は厳格。線引きは絶対の規範となってわたしを縛る。
だからわたしは困っているの。救う必要のない桜のために、わたしはいったい何をすればいいのかってね。
――――だからわたしは考えた。
彼女に力をつけてあげようと。
彼女に今後困ることのない状況をととのえてあげようと。
とっても無知な彼女のために、この世界について教えておいてあげようと。
さすがに不幸は望まない。だけど未来に備えて不幸を撥ね退ける力を与えるくらいならば、きっと桜の邪魔にはならないでしょう?
わたしはそのために力がほしい。わたしはそのための力がほしい。
今後、危ない目に巻き込まれるかもしれない彼女のために力がほしい。
今後、危険な目にあうかも知れない彼女のために保険がほしい。
わたしは桜に捧げるための力がほしい。
戦いはわたし一人で出来るけど、この世界での桜の救済にはきっとこの儀式が必要よ。
わたしが何を言いたいのかが、聡明なあなたにはきっとわかっているでしょう?
ねえ千雨。
これは正式な申し出よ。
――我が御霊を汝の下に、我が命運は汝とともに。
――――我が誓いの戒めに従い、この身を汝に預けましょう。
――――――我が契約は汝の魂と結ばれる。刻印はその腕に刻まれる。契約は世界に記される。
わたしの心がとらわれる。
カリスマとは突き詰めれば強制力に連なる呪いである。
催眠術にでもかかったかのように、手が伸びる。
わたしはやつの差し出した手に魅入られて――――
――――さあ、わたしの手を取りなさい。これより、あなたがわたしのマスターとなるのです。
◆
パシリ、とやつの手を撮った瞬間に、そのつかんだ手から紫電が走る。
同時に二の腕に痛みが走った。
その瞬間冷や水をぶっ掛けられたように、目が覚めた。
いまわたしは何を言った? こいつはいったい何を口にした?
冷静さを自覚する。
平静を保つことにかけては自信があった。
こいつだって言っていた。わたしには“そういう魔術を跳ね除ける先天技能”が備わってると。
だから、わたしは誤解した。
だから、わたしは慢心してた。
バカらしい。そんなことを言われたくらいで、自分はあらゆる誘惑を撥ね退けられるとでも思っていたのか?
ただほかの人間より、おかしさに対して冷静さを保てただけだ。
クラスメイトの奇怪さに気づいていただけで、わたしはただの人間だ。
多人数用、十把ひとからげの汎用魔法にほんの少しばかり耐性を持ってる人間ごときが、一対一の魔法に太刀打ちできるわけがない。
魔法使いがほんの少し本気になれば、それでもうわたしは抵抗できない。
後悔の念が頭を占める。
わたしはあわてて、ルビーの手を振り払った。
強張った体から力を抜いて、わたしはことさら平静を装って口を開いた。
「だからってどうすんだよ。桜さんを不幸に落としてから救うってわけじゃないんだろ、バカらしい。力を与えるだかなんだか知らないけど、桜さんに魔法の力でなんかするのはあんたの都合だ。それにわたしを巻き込むな。逆切れすんなよ、魔法使い」
その言葉に、ルビーがキョトンと目を丸くした。
「わたしに愚痴ってどうするんだってことだ。巻き込まないんだろ。いま、わたしに何をする気だったんだ、お前?」
へえ、とルビーがつぶやいた。
「驚いた、あなたホントに才能あるわよ。先天的な技能だけじゃなくてね」
「おべっかのつもりか? さっさと答えろ」
ルビーが肩をすくめた。
「マスターになってほしかったのよ」
割とあっさりと答えるルビー。
その飄々とした表情に違和感を覚えた。
「まて、わたしは宝石をとった時点で自動的にマスターになったんだろ」
いやな予感を胸に感じながら、問いかける。
「なったわ。魔力を貰うだけならそれでまったく問題ない。パスを通すだけだから手順も楽だし、手間もない。でもね、一緒に戦うとなったら、それじゃあぜんぜん足りないでしょう」
最高に不吉な台詞だ。
「どういう意味だ? 戦うってなんだよ」
「マスターの名の意味は二種類ある。上に祭り上げられるものと、下を従えるもの。じっくり説得していく気だったけど、この街を含めてこの世界はやばすぎる。魔術の大義名分がずれているから秘匿が秘匿の意味を成していない。だから早急に契約を済ませておく必要があったの」
街ではなく学園都市だ。心の中だけで突っ込む。
「魔法都市といったところね? 千雨はわたしと関わっちゃった以上、ある程度力を持ってほしかったのよ。でもいまから魔術を覚えても付け焼刃にもならないし、手っ取り早く済ませたかったの」
いやな予感が高まっていく。
そう答えるルビーの表情はあまりに普通の笑顔だ。
だが、それで安心できるというわけではない。
こいつは笑いながら嘘をつき、微笑み混じりに狂気を語る魔女である。
「いったでしょ。いうことを聞かせるにはハッタリからって。わたしの願いはそんな難しい縛りじゃないわ。わたしは桜を幸せにするのが目的だもの。幸せな子をもっと幸せにするくらい簡単なのよ。別段手が無いわけじゃないわ」
さっきの脅かしを全部ひっくり返すような言葉だ。舐めてるのかこいつは。
「だったら、さっきのはなんだったんだよ」
「初めの日にいったじゃない。びびらせておけば、後々が楽だってね」
飄々と語られるその言葉に目をむいた。
つまり、こいつの狙いってのは。
「桜を助けに来て、別件を背負い込んだ。異能は異能を呼び寄せる。一歩目までが長くとも一歩目を踏み出せばそこから二歩目まではとても短い。千雨。あなたはわたしと知り合った時点ですでに一歩も二歩も踏み出している。いまさっきの契約は海老で鯨を釣ったくらいに手ごたえばっちりだったわよ。千雨、袖をめくって御覧なさい」
それは初日にも言われた言葉だ。
その言葉に従って袖をめくり、数日前には、いや数分前には存在していなかったソレに絶句する。
「刺青?」
そこには“くすんだ色をした”三画で描かれる文様が刻まれていた。
先ほどの現象を思い返す。腕を差し出す魔法使いと、その腕を取ったこのわたし。走る紫電に、二の腕に走った痺れる痛み。
なんてこったい。同じような手ではめられたってことなのか。
「令呪よ。わたしの力を増幅させる文様魔術の最奥秘。“あの場”でもないのにこれを出現させるのは割りと大変なのよ。普通の魔法使いじゃあ、解析に百年、再現にもう百年、実現する場を整えるにさらに百年ってもんよ。召喚されたときに刻まれてくれていたら話は早かったんだけど、そうも行かなかったみたいだからね。こっそりと準備してたのよ。どれくらいこれがすごいことか説明してあげましょうか?」
自慢げに語る魔法使いを呆然とした目を向ける。
「……ふ」
「ふ?」
「ふっざけんなあぁあぁぁぁ」
思い切り殴りかかったわたしを一体誰が責められようか。
◆
赤子の手をひねるように取り押さえられたあと、話を聞くように説得された。
わたしはといえば、この洒落になっていない状況に胃がキリキリと痛むのを感じていた。
ピアスだって正直遠慮したいってのに、刺青だ。
親に貰った大事な体。女性としてそれなりに大切にしてきたというのに、二の腕に馬鹿でかい模様を刻まれた。
魔法使いが現れたときよりも、ある意味ではへこまされた。
ため息よりも涙が漏れそうだ。
未練がましく、腕をさすっていると、さすがに自重したのか、トーンを落としてルビーがしゃべる。
「ごめんねえ。それは消えないわ。わたしが消えたら消えるけど、まあまずそんなことはないでしょうね」
予想通りの返答に、もう半泣きだ。
しかもこいつはとくにそれを問題視している雰囲気がない。おかしいだろ。
「それは令呪って呼ばれる不可能を一時的に可能にする簡易発動型の魔術式よ。あなたが願えば発動するわ」
「……どういうことだ?」
本題に入ったようなので、落ち込むのを一時保留して問いかける。
「その模様に意識を集中してわたしに対して何かを願うのよ。一画一回。三回までならわたしに命令できるってわけ。ランプの精そのままね、尊敬すべき我が先祖のことながら捻りがないわあ」
「……何?」
おちゃらけた口調とは裏腹な内容にたたずまいを直した。
どういうことだ?
こいつはいま命令権と口にした。
それでは、こいつの言い分と矛盾している。
「きちんと教えろ。令呪っていうのはなんなんだ? わたしの魔力とかと関係するのか」
「なにいってるの? しないわよ。令呪はその文様のみで完結する。あなたがわたしに対して願うことで発動する絶対的な命令権。本当は聖杯戦争って呼ばれる戦いで使われる技術でね。再現するのはものすごい大変なんだけど、その分使い道は広いし、効果は抜群よ。わたしに対して願うことで令呪の力でわたしの力を増幅できるのよ。攻撃を死ぬ気で放てと願えば力は三倍、あなたが危ないときにわたしを呼べばわたしがどこにいても一瞬というわけよ。反対にわたしにあれをするなとか、これをしろとかも命令出来るわ。どんな内容だろうとね。もともとは反逆防止用って触れ込みだし」
絶句した。
別段物言いに驚いたわけではない、この女が語るその効果に驚いたのである。
「?」
ルビーが驚きを隠せないでいるわたしに不思議そうな顔を見せる。
「お前それはさすがに間抜けすぎだろ」
首をかしげたルビーにいう。
自覚がないのか、この女。
「それじゃ、あんたに悪い願いでもかなえられるってことか? どっかいけとか、わたしに対して何もするなとかさ」
侮蔑気味の言葉をつむぐ。
いきなり切れられるか、脅されるか、とも思ったが、ルビーはどちらも選ばなかった。
軽く微笑んだだけだ。
「あー、まあそれはあるかもねえ。いきなり死ねとか命じられなかっただけ、あなたの冷静さには感謝するけど、それはあなたがピンチのときにわたしを呼ぶためにも使えるからあんまり無駄遣いをしないほうがいいわよ」
「わたしが使わないだろうとかおもってるのか?」
その返事は肩をすくめる動作だった。
「千雨。わたしが桜を探していたっての話はしたわよね?」
「ああ」
「桜は見つかって、その子は幸せに暮らしていた。でもね、その子はあまりに普通だった。平行世界とはいえ、わたしの系譜だけあって魔術的な素質はあったけど、魔術師として育てられたわけではないから性格はぜんぜん魔術師向きではなかった」
「それで?」
「でもわたしが来た。わたしが来なければ彼女は魔法とは関わらなかったかもしれない。関わったかもしれない。でもわたしが来た時点で関わることは決定よ。だってわたしから干渉したのだものね」
疫病神みたいなものね、とルビーが笑った。
「あんたがよく口にする聖杯戦争とか言うのに巻き込まれている桜さんだったら助けになるのに……ってことか」
「ええそうね。聖杯戦争において桜に呼び出されていれば、わたしは彼女を救うことにとくに苦労はしなかったでしょう。内容の困難は別にして、その行動には迷いはないわ」
いいたいことがわかってきた。
自分を疫病神と呼称したのはそういう意図か。
「だったらわたしは不幸すぎねえか? 巻き込まれてこの様かよ」
「えーっとね。……うーん、それはごめんなさい。ほんとうはわたしが魔術をじきじきに教えてあげるって言うのが十分な対価のはずだったんだけど、千雨魔術を覚えたがらないんだもの、わたしはこの世界はあんまり知らないけど本当に珍しいタイプよね、絶対。悪魔も神様も魔法使いも、超人願望を持たない人間とは交渉しにくい。できるかぎり便宜ははかるから許してくれないかしら」
ルビーはさすがに適当な台詞は吐かずに、わたしに対して謝罪した。
「あー、しかし、刺青かよ。正直幽霊以上に困るよなあ、これ」
さすがにしつこいとも思ったが、あきらめきれずに服の上から文様が刻まれているであろう個所をなで上げた。
「でも、これはあなたのためよ。あなたが危ないことに巻き込まれたときを考えると、絶対に令呪は必要だわ。これがあればわたしが遠出していても、すぐに戻ってこれるし、あなたが助けを求めたときにすぐにわかる。念話じゃどうしても限界があるし、今まで魔術に触れたこと無いあなたが戦闘用の魔術を覚えるのはわりと難しいだろうしね」
「まあ、命あってのものだねだしな」
「そうそう。あって困るものでもないでしょ」
刺青彫られて困るものでもない、とはお笑いだが、悪気はないようだし訴えても聞きはしまい。
「しかし、交通事故で即死とかだと意味無いよな。この世界は強盗殺人や通り魔に襲われるよりも交通事故のほうがはるかに多いんだぜ、おえらい魔法使いさまは知らないかもしれないがな」
ルビーはその言葉に肩をすくめた。
「まあ、いいじゃない。吸血鬼や悪魔の類に襲われてから後悔するよりさ」
明るい口調で軽口をたたくルビー。先ほどから、ご機嫌だ。
失敗すると思っていたと言っていたし、その言葉通りこの刺青を刻む儀式が成功したことがうれしいのだろう。
「消えないんだよな、これ」
腕をさすった。
「まあまあ、ホントにすごいんだから。わたしも一回で成功するとは思わなかったけど、すごい技術なのよ。簡便さと効果がここまで高レベルで融合している技術はそう無いんだから」
「失敗前提だったのかよ……まあ嫌がらせでやったわけじゃないんだろうが、もう少し場所を考えてほしかったよ。水着どころか半袖も着れないじゃねえか」
ぎりぎり七分袖で隠れるか? もし手の甲にでも描かれていたらわたしはきっと暴動を起こしていたことだろう。
「わたしがいなくなるときには消えるけど、基本は消えないからねえ。使えば魔力光は消えるけど、痕が残るなら意味ないだろうし……」
「魔力光?」
「光ってるでしょ。一画使えば、一画ずつ光を失ってただの模様へと劣化するのよ」
…………えっ?
刺青が刻まれている二の腕に視線を落とす。先ほどの情景を思い返した。
ものすごい嫌な予感が浮かんだ。
ちらりとめくる。
その部分は当たり前のようにくすんだ灰色だった。
袖を戻して深呼吸。
ニヤニヤ笑っているルビーはこちらを見ていない。虚空に視線を飛ばして、饒舌に演説中だ。
さて再度目を落とす。
やはり灰色。魔力光なんて見えはしない。
一拍の空白。
「光ってなんかいないんだが」
そんな言葉を口にする。
その言葉に、ピシリと音を立てて空気が凍る。
わたしはそんなルビーの顔を見ながらため息を吐いた。
ああ、やっぱりこんなオチか。こいつ実力以前に抜けすぎだ。
「――――はっ?」
「だから、別に光ってなんていないぞ、この刺青」
「えっ……ちょっ、ま。嘘でしょ!?」
わたしの返事にルビーが飛び上がった。
さっき見てなかったのかこいつは?
改めて袖を乱暴にめくり上げ、そこにある色を失った三画の模様をみせる。
それを見てルビーは呆然と絶句した。
「ちょっとまってよ、まじ? わたし何かミスしたの?」
それはわたしがききたい。
わたしを煙に巻くハッタリではなかろう。本気で狼狽していた。
「おいおい、じゃあまさか」
わたしは刺青刻まれただけかよ、と呟いた。
そんな言葉も耳に入らないかのようにルビーはふらふらとよろけながらベッドに座る。
さっきの自慢話が哀れすぎる。
「ま、まあ失敗したならしょうがないだろ。あんただって難しいとか言ってたわけだし」
なんでわたしが慰めてるんだ?
「……あー、これで心配事が全部消えたと思ってたのに」
ルビーは本気でへこんでいた。
だが、それの役はわたしのものだろう。
結局それでは、わたしは役にも立たない刺青彫られただけではないか。
「うわー、成功したと思ってただけに落ち込むわね、これは。ごめんね千雨。やり直す準備しておくから……」
いつものわたしだったら、やり直す準備という言葉に突っ込んだだろうが、そんな気力はわかなかった。
ただ刺青彫られただけでは悲しすぎる。せめてこれが役立つ刺青に変わってくれることを祈りながら、へこたれているルビーにたいして力なく微笑を返す。
「まあ、期待しないで待ってるよ」
そんな言葉とともに、はあ、とわたしたちは同時に深く深くため息を吐いたのだった。
あれ、なんか涙出てきた……。
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本当は幕話が第2話になる予定だったのですが、分けました。幕話はなんとなく3人称で書きます。
本編は一応一人称で書くことにします。
令呪についてはさすがに失敗しますが、戦争やってるわけでもないし、ライバルもいないので、ルビーは結構好き勝手にやります。