相坂さよに泣きつかれた次の朝。
目覚ましが鳴るよりも早く、少し遠くから聞こえる騒がしい声に千雨が目覚める。
千雨は昨日から自分の胸元にあったはずの感触が無いことに気がついた。
相坂さよ。彼女が一緒にいたはずだったのだけど、と思考をめぐらす。
もう少し寝ていたかったが、上半身を起こしベッドの上でのびをして、千雨は寝ぼけ眼このままきょろきょろとあたりを見渡した。
しかしさよの姿は見当たらない。昨日同じベッドについたはずの相坂さよの姿が消えていた。
さよを寝かしつけたあと、明日菜の誕生日プレゼントを加工して、ふらふらになりながらベッドにもぐりこんだときは、そこにいたはずなのだ。
「――――んっ?」
と、きょろきょろとあたりを見渡していた千雨がうなる。
ルビーが現れたから数日だけ起こっていたその現象。部屋の中に、朝食の匂いが漂っていた。
鼻腔をくすぐるその香り。いまはもう安易に実体化できないルビーではありえない。
彼女が実体化を軽々しく出来なくなってから、また自炊を始めた千雨は、当然朝食の香りで目覚めるということはない。
あーもしかして、と千雨が寝ぼけた顔で視線を飛ばすと、その気配を感じたのか、はたまたそれをルビーにでも教えられたのか、ルビーとおしゃべりをしながら相坂さよが台所から姿をあらわす。
「あっ、千雨さん!」
ベッドの上で起き上がる千雨の姿を見て、さよが嬉しそうな声をあげた。
昨日千雨がくくったままに髪が後ろにまとめられ、腕まくりをした制服の上からエプロンを付けたその姿。
そんな彼女が手を腕の前で組み、ぴょんと跳ねる。後ろにまとめられた長めのポニーが同じように飛び跳ねた。
そして、千雨に声をかけたさよは駆け寄る勢いそのままにベッドの上の千雨の体に飛びついた。
ばふっ、とベッドの上で上半身を上げていた千雨が、エプロンをつけたまま抱きつく体を受け止める。
そんなさよと千雨の姿を、久々に朝方に見るルビーが微笑と共に見守っていた。
どうやらルビーの指示の元、朝食を作ってくれていたらしい。
朝ご飯に手間隙かけるタイプでもない千雨にとっては助かることだ。
まあきっと、わざわざルビーが実体化してまで手を貸したのは、もちろん千雨の朝食のためなんかではなく、
「おはようございます。千雨さん」
エヘヘと笑いながら千雨に抱きつき、その感触にくぅと嬉しそうに声を漏らすその少女のためだろう。
抱きつく彼女の後頭部を寝ぼけ眼で見下ろしながら、千雨はその小さな背中に手を回す。
あからさまな感情の発露と、その行為。
それを見て、長谷川千雨は安堵したように、息を吐き、
「ああ、おはよ。……さよ」
ハイ、という大きな返事をする相坂さよの体を抱きしめながら微笑んだ。
第18話
「ああ、逃げてえ……」
学校へ向かう道すがら、千雨がぼやいた。
「なに言ってるんですか、千雨さん。早く行きますよっ!」
さよのことは解決したといっていいが、昨日の騒動を忘れてよいはずもない。
いよいよ学校へ行くという段になって、さっそく怖気好きはじめた千雨をさよが引っ張る。
「はあー……。わかったわかった。ひっぱんなよ、相坂。逃げ続けるわけにもいかねえしなあ」
「逃げる必要なんでないです。問題になったらわたしも木乃香さんたちもちゃんと千雨さんの味方になりますからね。あとちゃんとさよって呼んでください」
「あー、悪い悪い。まあ相坂ってのになれちゃってるしな。それにクラスのやつらに変な方向で勘ぐられそうだ」
「変な方向?」
「お前の所業のせいで変な噂が立ってただろうが、忘れてんのか?」
ネギにさよにと、千雨は意外と3-Aの中で注目されてるのだ。
地味な日陰少女だったころが懐かしい。
視線に敏感な身としては忘れられるはずもなかったが、さよはたいして気に止めていなかったようだ。
何のことやらいまいちわからないかのように、首をかしげていた。
「そうですか。でも朝みたいに二人っきりのときは愛をこめてちゃんとさよって呼んでくださいね」
「お前冗談でもその台詞を学校で口にしたらひっぱたくからな」
冗談交じりだろうと、そんな台詞を聞かれたらシャレにならない。
以前からこんな傾向があったが、一晩でタガが外れたのかものすごい勢いでさよが壊れている気がする。
名で呼んでほしいと泣き喚くさよを見ただけに昨日は譲歩したが、千雨は不変を好むのだ。
さよの積極性に顔を引きつらせながらのろのろと学校へ向かっていく。
ちなみにさよの作ったルビー直伝の朝食は十分においしかった。
幽霊時分には料理などしていなかったが、エヴァンジェリン邸で茶々丸と一緒に家事手伝いを行い、着々と技術を磨いていたらしい。
正直なところ、熱心さがある分千雨よりもすでにうまい。
大して食材をそろえていないのに、よくもまああそこまで正統にうまいものが作れるものだ。
なにが楽しいのか、ニコニコと笑うさよを横目に見る。
(まあこいつはわりと大食いだし料理にも力を注いでるのかね)
最高の調味料はもちろん空腹で、落語的に見るなら塩である、などとこの期に及んで素で考えている千雨は、さよ特性の朝ごはんを思い返しながら、ぼけっとそんなことを考える。
千雨としてはとても休みたかったのだが、さよとルビーがいる以上、そういうわけにも行かない。
朝は早かったものの、昨日の夜更かしと心労で疲れている千雨が教室に着いたときはすでにぎりぎりの時間だった。
寝不足でボケた頭を揺らす千雨の手をさよが引っ張っている。
恐る恐ると扉を開け、教室の中をこっそりと見渡した。
HRまではまだ時間があるものの、他の生徒は集まっているようだ。
すでに来ていた木乃香が、千雨にくっつくさよの姿に安心したような顔をした。軽く木乃香が手を振ると、さよも木乃香の元へいく。ずいぶんと仲がいいようだ。
そんなさよを、離れた席からなぜかものすごく複雑そうな目をしたエヴァンジェリンが見ていた。
まあ、心労を取り払ったらしいさよと違い、まだまだ安心できないのはむしろ自分のほうである。
教室内にはほとんどの生徒が集まっている。
千雨はこっそりと視線を走らせたが、危惧していたような視線はない。
ひそかに安堵していると、木乃香たちから挨拶の言葉を投げかけられる。
おはようございます、と委員長。
昨日は大変だったわねえ。と明日菜から声をかけられて、
カラオケ楽しかったで、とさよと千雨に、木乃香から言葉が投げかけられる。
千雨は引きつった笑いを返しながら、それに答える。
そうして、適当に千雨は明日菜たちとの会話を切り上げて自分の席に進むと、今度はチアたちから視線が飛んだ。
大丈夫大丈夫、もらしてないよ。と美砂からアイコンタクトが送られて、
安心しなって。と円が口だけを動かして、
まかせときなよ。と言いたいかのように桜子がサムズアップしていた。
千雨は頬を引きつらせながらも、約束を守っているらしい三人の姿を見て安堵する。
昨日はこの三人にばれたことにかなり絶望していたのだが、結構まともだ。
千雨は心の中で、偏見を持っていたチアリーダーズに謝罪しながら、ようやく自分の席へ向かう。
「…………どうかされたんですか?」
「綾瀬か、いや、べつになんでもないが、何でだ?」
「いえ、明日菜さんや木乃香さん……それに柿崎さんたちとなにかあったんですか?」
当たり前だがばっちり見られていた。
「今日神楽坂の誕生日だってことで、それで昨日プレゼントを買いに出かけてて……そんでちょっと……たまたま運悪く……いや偶然、街中であっただけだけど……」
「ああ、そうだったのですか」
綾瀬が納得したようにいった。
だが、その横で先ほどまで綾瀬と雑談をしていた早乙女ハルナが口を挟んだ。
「今日はアスナの誕生日だもんねー。チアと木乃香たちがいたんだ」
「ああ」
「でも誕生日プレゼント買いにいったんでしょ? アスナもいたの? ……あっ、もしかしてネギくんもいた?」
ピクリと千雨が反応する。
何でここで一足飛びにネギの名前が出るのかがわからなかったからだ。
理屈に縛られる魔術師には理解できないそのジャンプ。
隠す意味を根こそぎ奪う、理論を飛び越えて答えを得る直観型の早乙女ハルナ。情報屋の朝倉よりも、百戦錬磨の吸血鬼よりも魔術師にとっては困り者。
こいつはこれだから困るのだ。
「いたけど」
戦々恐々としつつ千雨が言葉少なに答える。
「へー。ほかには誰がいたの?」
「チアと近衛と神楽坂以外だと、わたしに相坂、あとはいいんちょ」
「ふーん。チアたちといいんちょにさよちゃんかあ」
冷や汗をかきながら淡々と千雨が答えた。
「なんでそんなこと知りたがるんだ?」
いやな予感を感じながら言う。ハルナはその問いに得意げに鼻を動かした。
「いやー、この間の停電の日から、ラブ臭がね。絶対にネギくんが初々しいラブなイベントをこなしてるような気がするんだけど、どうも相手が絞れないんだよね。職員室に突撃して聞いたりもしたんだけど意外とガードが固くて」
肩をすくめられた。
んな得体の知れないパラメータで行動するな。つーか勘よすぎだろこいつ。
千雨の背中はすでにぐっしょりとぬれている。
「それ、この間も言ってましたね。のどかはどう思うですか?」
「うーん、こういうの、パルは間違えないから……」
さびしそうにのどかが答える。
そこに残念そうな感情はあっても、本気の悲哀がないのは冷や汗を流しながら会話を聞いている千雨にとってはほんの少しの救いだった。結構気にしていたのだ。
「明日菜たちとチアたちはちょっとね。いいんちょもいたって言うけど、いいんちょなら絶対分かると思うんだよねー」
「わたしもそう思うです」
ズズズ、と怪しげな飲み物を飲んでいた綾瀬夕映が頷いた。
たしかにいいんちょがネギ先生と付き合うことになれば、その日のうちに挙式の一つでも上げるだろう。
明日菜たちは同室だからうわさはあるが、そんな気配はない。美砂は彼氏持ちだし、円と桜子は怪しいところもあるが先生に対して興味本位の域を出ていない。
と、ハルナはここまで考えて、いまさらながらのことに気がついた。
「そういや、千雨ちゃんもいたんだ。さよちゃん繋がり?」
最近仲がいいように見えるものの、千雨が明日菜の誕生日プレゼントを皆でそろって買出しに行くとは思えない。用意するにしても彼女なら一人で出かけるだろう。
別段悪口や勘繰りではなく、純粋な疑問だ。偶然街中であったのだろうかと思いながら、ハルナが聞く。
同様のことを思ったのか、のどかと夕映も千雨を見る。
だが、そこには彼女らの予想を裏切り、言葉を発せないほどにあせっている数ヶ月前から付き合いのある秘密の多い友人の姿があった。
冷や汗を流して言葉に詰まっている。
冷静さを保つ魔術師が聞いてあきれるほどの未熟っぷりだ。
そんなあからさまな動揺が気づかれないはずがない。
そして相手は少ないピースから一足飛びで結論を導き出すタイプの早乙女ハルナ。思考探索型の魔術師にとっての天敵だ。
「あっ。……えっ……と……もしかして」
ハルナが目を丸くした。
残りの二人はハルナの思考についていけていないのか、突然のハルナの動揺に驚いている。
彼女は興奮しやすいように見えて心の中ではいつも冷静さを保つタイプの人間だ。彼女が本気で驚く姿は珍しい。
そんな彼女らをこっそりと静観していたチアたちと木乃香が手に汗握った。
ガンバレガンバレ! チ・サ・メ!
お前ら反省しろ。
そしてそれなりに罪悪感を持っている明日菜とあやかはさすがに手のひとつも貸してやりたいと思っているものの、助けようがない。
普段と違う木乃香の様子に眉根を寄せながらこっそりと話を聞いていた刹那はいきなりの展開に目を丸くしている。
意外と不良な彼女は机の上に乗せていた足を下ろして騒動に備えた。
木乃香のところから離れ、今は茶々丸と話していた相坂さよはというと、茶々丸の不思議そうな視線を受けながら、早乙女ハルナと長谷川千雨のどちらの味方をするべきか悩んでいる。
他のまったく気づいていなかった生徒たちまで、なんとなく黙って聞き耳をたて始め、自然と騒動の中心にいる千雨に視線を送る。
思考の伝播。百匹目の猿現象。ハルナの思考は明確で、3-Aの絆は深かった。
数瞬の停滞を経て、思い当たったかのように綾瀬夕映と宮崎のどかがその瞳を丸くして、周りの生徒もただなんとなくと、その真相にたどり着く。
以前からうわさのあったその少女。
部屋に二人でいたのが始まりで、パートナーとやらの関係でネギが執着したとの噂が流れ、ちょくちょくと二人っきりの場面を目撃されるその二人。
「あー。千雨ちゃん。もしかして」
そんな中、はじめに冷静さを取り戻したのはもちろんハルナ。
ものすごく申し訳なさそうな顔をした彼女が、黙りこくる千雨の耳に口を寄せる。
小さな小さなそのささやき。
ね、千雨ちゃん。もしかして、
――――わたしさ、すごくまずいことを聞いちゃった?
ざわざわと言葉が広がり、それが収まり声が消え、そんな薄氷のごとき静寂の中、千雨は自分のことを思い出す。
人に嫌われ、狼少女と罵られ、そしてその挙句“人の視線”を恐れてネットの世界に逃避した。
メガネをかけてネットに逃げて、最近といわず、彼女はずっと人の視線が苦手だった。
ネギに巻き込まれ、人に注目することもあったが、その性格は変わらない。千雨はネギが来てから起こってきたイベントでは毎回わりと真剣にビビッていたのだ。
凍るような静寂の中、こくりと千雨が頷いた。
どういうことかとざわめきが広がり、一瞬の無音を経て3-Aが絶叫に彩られるまであと十秒。
質問攻めまであと一分。
そして学園長室にネギと千雨が呼び出されるまであと半日。
平穏を願う魔法少女の長谷川千雨。
彼女が過ごす、修学旅行前日は、こうして幕を開けたのだった。
◆◆◆
予想通り騒ぎになって、放課後、予想通りに千雨とネギは学園長室に呼び出された。
からかい半分だったが、今では結構本気で応援している友人思いのクラスメイトは二人を半分同情の目で見送ることになった。
特に千雨が精根尽き果てていたのにすこし罪悪感を感じる。
彼女はこれまでこの3-Aですら孤立気味だったはずなのだ。
ちなみに当たり前というべきか。3-Aでこんな出来事が起こった以上、散々騒いで今日一日ほとんど授業にならなかった。
なにせ担任教師と生徒である。ネギが担任を外れるかもしれないなどという当然の話が騒ぐ生徒から出始めて、それを聞いておいて笑ってばかりもいられない。
明日からの修学旅行がどうなるかにいたっては、千雨は想像もしたくない。
騒ぎすぎて中止にならないだろうかと、クラスの皆はあれでも遠慮したほうだったらしいのだが、千雨にとってはどっちもどっちだ。
もうこの隠し事についてはあきらめ始めていたはずだが、それでもため息を隠し切れずに、千雨は学園長室の扉をノックした。
その後、千雨は千雨で学園長室でネギと一緒に奮闘するわけだが、同時刻におけるクラスメイトの様子は押して知るべし。
まあクラスメイトの認識と、その騒動を簡単にまとめるならば、
「大丈夫かなあ、長谷川。ほんとに退学になっちゃったりして」
「うわー、そしたら完全にあたしらのせいじゃん」
「だよねー。ネギくんもいなくなっちゃうのかなあ」
「ああっ、わたくしの責任ですわっ。千雨さんにネギ先生。なんとお詫びをすればよいかっ!」
「べつに平気じゃない?」
「アスナさんっ! なぜそんなに冷静なんですのっ!」
「だよねー。気楽過ぎない? うちはかなりやばいと思うけど」
「そーそー。最初にいんちょにばらしたのも明日菜だって話じゃん。ほんとにネギ先生が辞めちゃったらどうすんのー?」
「わたしがばらしたわけじゃないっての……うーん。でもネギもマジだったみたいだし……」
「そしたらうちがおじいちゃんに直談判したるわあ。うち、あの二人を応援しとるからね」
「でも長谷川とネギくんかあ。わたしまだ信じられないんだけど」
「ネギ先生ちょっとかっこよかったのになあ、ねーお姉ちゃん」
「もーネギ先生ってば手が早いんだからー。楓ねえもそうおもうでしょ?」
「……さすがに予想外すぎてなんともかんとも。真名はどう思うでござるか?」
「中学で退学はないだろう。先生のほうは大丈夫だろうし、修学旅行も問題ないと思うけどな。べつにいいんじゃないか? 自由恋愛だろ」
「ひゃー、クールだねえ、たつみーは。ネギくんだよ? いいのかねえ」
「わたしもそうおもうな。転校くらいはあってもおかしくないんじゃないか? 学園長が許さないと思うが」
「へっ? なんで学園長が出てくるの? 木乃香関係?」
「い、いや……別にそういうわけでは……」
「わたしもいいとおもうわよ。性別年齢問わず恋愛は自由だものね」
「……ちづ姉。さすがにそれはどうかとおもうな」
「やっぱり、間違っていなかったってことかあ、かー、もったいねー」
「や、やめようよぅ、パル。そんなこといってると怒られるよ」
「そうですね、ハルナは少し反省するべきだと思います。呼び出しがかかったということは、何か処分があるのかもしれませんし、もしかしたら明日からの修学旅行に影響があるかもしれません」
「それはちょっと困るねえ。ここでちうちゃんが来れなくなったりしたら、いいんちょたちも気にしそうだし」
「まー、ほんとにミスったわ。千雨ちゃんにも悪いことしちゃったし。………………くー。こっそり旅行中にでも問い詰めてから、からかえばよかったー」
「パル~っ!」
「くっくっくっ……、いや、退屈せんな。しかし本当にこうも早くばれるとは。あいつ知恵者ぶってるが、結構バカなんじゃないか?」
「笑ってないで、もしものときは助けてあげてくださいね、エヴァンジェリンさんっ!」
「わかったわかった。今日にでもあのバカに説教の一つでもしてやるさ」
「えーっと……茶々丸は知ってたの?」
「はい。先日の停電日にマスターとネギ先生が交戦してからだと伺っております」
「交戦? エヴァンジェリンとネギ坊主が戦ったアルか?」
「いやいや、どちらかというとエヴァンジェリンさんと長谷川が戦ったという意味ヨ。彼女はなかなかの女傑だからネ」
そんなクラスの様子を見ながら、いつものように無表情のザジ・レイニーディと、ほわほわとした笑顔を崩していなかった四葉五月の姿がある。
善人ぞろいの3-Aのいつもの騒ぎ。
とまあ、クラスメイトからの評価は大体こんな具合に落ち着いた。
学園長室に入り、クラスメイトのことを考えながら、千雨は思う。
一日中、好奇の視線にさらされながらも、きっとあの程度の詰問で済んだのは、明日が修学旅行だからに違いない。
ああ、いったいどうしたものか。
逃げるわけには…………いかないよなあ、やっぱり。
◆◆◆
「ああ、だからそんなに疲れてるのね、千雨」
「まあな」
寮の一室で、千雨から事情を聞いたルビーは笑いながら言った。
「でも修学旅行にはいけることになったんでしょ。よかったじゃない。魔法関係にだけ甘いのかとも思ったけど、そうでもないみたいね」
「まさにその魔法関係の延長って考えられてるのかもしれないけどな。さすがに今日始めて知ったことはないだろうし」
ベッドの上に倒れこんでいた千雨が答える。
「まさかこんなに早くばれるとは向こうも思ってなかったでしょうねえ」
「お前の言ってことが分かったよ。ばれることが予想できるなら、ばらすタイミングを考えるべきだった」
ばれ方としちゃあ最悪だ、と千雨が肩をすくめた。
「成長しないわねえ、千雨は」
「返す言葉もねえよ」
千雨が手を上げる。これでも反省しているのだ。
「まあ街にデートに繰り出したくらいなんだから、あなたも結局ばれることについては納得してたんでしょ」
「……どうかな。でもそうなのかもしれない。わたしは水面下でずっと気を揉んでいるってのは苦手だし……」
「普通は苦手よそんなもの。誰だって成長していく過程で経験をつめば耐えられるってだけ。あなたもまだまだ未熟ってことね」
「そりゃ分かっているけどさ」
魔術師だということが公にばれるよりはましなのだろうが、良かったとはとてもいえない。
ネギやさよには散々偉そうなことを言ってきたが、こういうことは人事だからえらそうに言えるのであって、自分の身に起こるとたいしたことはできないものだ。
自分の無様さを改めて自覚する。反省できない自覚に意味などないのはわかっているが、さすがに最近はひどすぎだ。
「ところで、当のネギくんはいないの?」
「まだ学園長室じゃないのか? いろいろあるだろうし。それにべつにばれたからって一緒にいる必要ないだろ」
「ふーん。そういう意味だけでもなかったんだけど……」
学園長室に呼ばれた以上、千雨の“魔術”について何かしら言葉あるかも、と思っていたルビーとしては肩透かしだ。
そんなことを口にしながら、ルビーがネギや相坂が先日魔術を施したランプを手に取る。
燃えた形跡のあるそれを眺めると、ルビーが微笑んだ。
「やっぱネギくんのは魔術って感じじゃないわね。こっちで言うところの“魔力”を使ってるわ。まあ当たり前だけど。……さよちゃんはその点さすがね。魔術回路が動いている。千雨製の体だけのことはあるわ」
「そうなのか?」
ネギのランプは火種が燃えつき、相坂さよのランプはうっすらと黒ずんでいるだけだ。だがルビーにはルビーの見方があるのか、相坂のほうを上等と評価した。
ちなみにさよの体が特別製というのは、魔術回路の有無のことだ。
体に組み込まれた魔術回路に加え、もともと霊体だっただけあり霊体接触用の加工、さらに暗示対抗までオートで備える特別性だ。彼女は魔術に特化している。
凝り性のルビー監督の下、さよを憑依させるためにと千雨が魔術的に加工をした英知の結晶。
「坊やのは、あくまで魔法を魔術の原理で発動させただけだからだな。それもそれで中々評しがたいのだが、本来は似て非なる技術の両立は難しい。傍系ならまだしもな。お前らが“回路”と呼ぶシステムのこともあるし、さよのものは魔術だが、坊やのものはやはり魔法だ」
そんなルビーと千雨の会話に割り込むような声がした。
ルビーと千雨がそちらを向く。
当然のことながら、その発言主はエヴァンジェリン・マクダウェルその人で、
「えへへ。そういってもらえるとうれしいです」
「さよさん……あの、紅茶がこぼれていますけど……」
その横には、ルビーのほめ言葉に頬を緩める相坂さよと、紅茶の入れ方をさよに指導している絡繰茶々丸の姿があった。
◆
「まあ、だれもかれも“あなた”のようにはいかないわよね」
「わたしは異なるなら異なるなりに対処できるからな。だが、わたしの“魔術”もやはりお前らのシステムとは異なる。魔力で魔術を発動させるのは、魔法とも魔術とも別物だ」
百戦錬磨を自称する吸血鬼がこたえた。
千雨は無言。というか意味がわからなかった。
同じく自分の上達をほめられるのは喜んでも、そのカテゴリには興味のないさよが千雨に紅茶を手渡す。
「千雨さん。紅茶入れました。飲んでください」
「あ、ああ。ありがと」
ずずいとよってくる相坂に礼を言って千雨が受け取る。
さよの笑顔がいまの千雨にはまぶしすぎた。
「えへへ。おいしいですか?」
「ああ、おいしいよ。ありがとな、さよ」
ニコニコと笑うさよにうなずきながら、感謝の言葉を返す。
幸せそうにさよが微笑んだ。
自分の心情を正直に出すようになった彼女は、子供っぽい扱いにむしろ素直な喜びを見せるようになっていた。
ますます幼児退行している気がする。
「で、エヴァンジェリンはなんか用があるのか?」
ごろごろと千雨に擦り寄るさよの髪に指を通しながら千雨が問う。長く美しいさよの髪が千雨の指と絡まっていた。
そんな、少女をはべらせる千雨の姿にエヴァンジェリンが微妙な視線を向けている。
いつもは常識人を装うくせに、このバカはこの状況に違和感を感じていないのだろうか? 実に将来が心配だ。
その横では茶々丸がむしろ感心している。
さすが千雨さんですね、とそんな認識。
「まあ、お前のバカさ加減についてちょっとな」
あきれ顔で千雨を見ていたエヴァンジェリンが口を開く。
あからさまな罵倒に千雨が怯む。心当たりがありすぎるためだ。
そんな千雨を、事情を知っている様子のルビーがニヤニヤと眺めていた。
一周回って笑いも枯れ果てたエヴァンジェリンの表情はむしろ疲れきっていた。
わたしは悪の魔法使いなんだぞ、本当は。
「千雨。お前もうすこしいろいろと考えて行動したほうがいいんじゃないか? 少し無節操すぎると思うぞ」
「…………あー、まあな」
ネギとのことだろう。
この件に関してはエヴァンジェリンに迷惑かけっぱなしということもあって、平伏しつづけるしかない。
「いや、もちろんそれもあるんだが……」
だが意外なことにエヴァンジェリンは千雨の返答に首を振った。
「んっ? 違うのか。じゃあ、なんのことだ?」
ぱっと思いつく心当たりがない。
エヴァンジェリンは少し口ごもる。
このまま説教されるのだろうかと身構えていた千雨が眉根を寄せた。
正直こいつには何もかも知られているだけあって、ぶっちゃけてしまえば、ルビーと並んで一番気兼ねしない相手だと思っていたのだ。
「その、だな。でははっきりと言わせてもらうが」
エヴァンジェリンが前置きとばかりに言葉を濁す。
気を落ち着けようと、さよの入れてくれたお茶を千雨が口元に運び、
「――――昨日の今日でさよにまで“手を出す”ってのは、さすがに“そっち”に旺盛な魔術師としてもどうなんだ?」
耐え切れなくなったのか、ルビーが腹を抱えて笑い出し、さよが真っ赤になってうつむいて、以前見たような展開に茶々丸が頬に手を当て驚いて、当の千雨はその言葉に口に含んだお茶を噴出した。
◆
「だから、んなことしてねえっ!」
顔を真っ赤に染めた千雨が怒鳴った。
意外と気の回るルビーが防音の結界を張ったことに、エヴァンジェリンだけが気づいている。
「なるほどな。さよが……」
そんな千雨の叫びに納得した顔でエヴァンジェリンがうなずいた。
「だからそういってるだろうが」
「だがなあ……さすがにこう連日だと忠告の一つでも送りたくなるんだよ。無断外泊の末、今日の朝にはいきなり生娘でなくなっているさよがお前と同伴だ。心臓が止まるかと思った」
朝のクラスでは馬鹿笑いしていたくせに、神妙を装ってそういった。実に性悪である。
うぐっ、と千雨が後ずさり、相坂さよの頬が染まる。
「いまのさよはわたしの保護下にあるわけだからな。いきなり外泊するようなら、手を出したバカに文句の一つも言いたくなるさ」
そういや昨晩はめんどくさがってエヴァンジェリンへ連絡をしていなかった。
だが、悪党を自称する吸血鬼の癖に、心配性の母親のごとき台詞を吐かないでほしい。
「っ! だからわたしはキスしかしてねえっ!」
エヴァンジェリンの言葉に再度千雨が叫んだ。
その台詞もどうだろうと茶々丸が首をかしげ、さよが頬を染めたままだ。
「キス程度で“こう”なるから問題なのだ。いいか千雨。以前に言ったな。吸血鬼は人の魂を視認して、処女や童貞の判断がお前らとは異なると。女同士でも男同士でも破られる魂の繋がりだ。オモチャを使って膜を破っても意味はないように、キスだけでも繋がりが生まれることはある」
一拍エヴァンジェリンが間を置いた。
エヴァンジェリン・マクダウェルは言っていた。
魂が視認できると、処女と童貞の区別がつくと、そして“その基準が普通の人間とは異なる”と。
「だがなそれは裏を返すなら、口付け程度で、魂の繋がりを得られるほどの関係であるということだ」
だから、こうして放課後になり、エヴァンジェリンが千雨の部屋にきているわけだ。
ぐっ、と千雨がうなる。さすがにそこは否定できない。
「わたしにとっては10のガキと耽溺にふけるよりも魂の交わりをもつことのほうが重要なのだ。離婚すればそれで終わりである結婚などより重視されるのが魂の架け橋だぞ。わたしに知らんところで、バカが自分の魂を安売りするならべつに良い。だがお前はわたしの下につき、相坂さよをわたしはすでに身内として認めているのだ。坊やと恋人だと言い切ったくせに、さよにまであまり変なことを教え込むんじゃないっ!」
冷徹で、人の生き死を一段高いところから語れるはずの吸血鬼。
かつて相坂さよの霊体に目を瞑り、さよの復活を関係ないと言い切ったその存在。
そんな存在が口にする台詞とは思えない。
千雨は半泣きで平伏しながら考える。
身内に甘くて、意外に一途な吸血鬼。こいつは意外と子煩悩にでもなりそうだ。
◆
お茶を噴出してから、精根尽き果ているような弁明の甲斐あって、ようやくエヴァンジェリンが問い詰めるような気配を和らげた。
「だがなあ、明日から修学旅行だぞ。お前本当に大丈夫か? 修学旅行にいく許しが出たところで、責任はわたしが負うんだぞ」
「うっ……それは悪かったけど……」
「ったく。いいか。あのガキの手綱はお前が握らなくてはいけないんだ。こんなにわかりやすく堕落し始めてどうする」
「……ご、ごめん」
「だから忠告しただろうが。その年でそんなのにはまるとだなあ」
「い、いや、本当に身にしみてるから……」
「駄目だ。ちょっと文句を言ってやらんと気がすまん」
勘弁してくれと千雨が呻いた。
魔法関係ではルビーが硬くエヴァンジェリンがゆるいのだが、いまこの場ではニヤニヤと笑って傍観しているルビーよりもエヴァンジェリンが百倍怖い。
まあエヴァンジェリンが正しいことはわかっているが、いまこの場にいないネギが恨めしい。
そんな二人の横では、茶々丸とさよが朗らかに談笑していた。
一触即発の千雨たちとはえらい違いである。
「というわけで、わたしは千雨さんに慰めてもらったわけです」
「そうなのですか。はあ、それはその……すごいですね」
「はい、すごかったです」
はふう、とさよが息を吐いた。
艶っぽすぎる。この娘も自分と負けず劣らずおかしくなっているのではなかろうかと、会話を漏れ聞いていた千雨から恐ろしいほど鋭い視線がとんだ。
しかし千雨はいまだに説教中だ。
余所見をするなとエヴァンジェリンが怒り、情けない声を上げて千雨が謝る。
そんな二人を思いっきり無視して、茶々丸とさよは朗らかに会話を続けていた。。
「そうですか。日曜日に千雨さんが」
「はい。木乃香さんと一緒にこっそりと。もうあの時はすっごく不安でついて行っちゃったんです」
「木乃香さんたちも……」
ネギとデートしていたという話に興味があるのか、茶々丸が言葉を続ける。さよが頷いた。
隣り合って座っているこの二人は実はかなり仲がよい。エヴァンジェリン邸で雑務を行う茶々丸と、居候という身分を自覚しているさよは何かと助け合うことが多いからだ。
「はい。もともと木乃香さんがネギ先生にいろいろとお話をして、それでお出かけしたそうですから。あっ、あといいんちょさんと美砂さんもですね」
「ええ。今日の朝にお話になっていましたね」
「そうですね。あの日はそのあと――――」
こうしてエヴァンジェリンに怒られる原因が出来たわけだ。
今朝のことと合わさって千雨が胃をおさえる。
そんな姿にまだまだ許す気のないらしいエヴァンジェリンからじろりとした視線が飛んだ。
この部屋は温度差が激しすぎる。
「――――いいか、千雨。お前も色ボケして流されているみたいだが、いくらあのガキが特別扱いされているといってもだなあ――――」
「ご、ごめんなさい……」
ニコニコと喋る横の二人とは裏腹に、千雨はもう完全に涙ぐんでいた。
◆
「と、もうこんな時間か。しょうがない。まだ言い足りないが、この辺で勘弁してやろう」
「…………」
「おい、千雨。返事はどうした」
「……あ、ありがとうございました」
うむ、とエヴァンジェリンがえらそうに頷いた。
「それでルビー、貴様はどうするんだ? 千雨にくっついてるのだからやはり向こうに行くのか?」
「まあ遠出に耐えられる体じゃなくなっちゃしねー」
ルビーが肩をすくめる。
「なに、エヴァったら寂しいの?」
「わたしとここまで対等に会話できるものなどすくないからな」
意外なことにエヴァンジェリンは明確な否定の言葉ははかなかった。
へえとルビーがうなり、少しの罪悪感をさよが見せ、気の毒そうな顔を茶々丸がして、千雨は旅行先までエヴァンジェリンがついてことないことにこっそりと安堵した。
「まー、わたしの後は千雨が継ぐし、今後は千雨と喋ってちょうだいな」
「こいつか?」
鼻で笑いながらエヴァンジェリンが言った。
ふらふらとしている千雨をみる。
甲斐甲斐しくさよが介抱しているその姿は、以前対等と認めたやったものとは思えないほどへたれている。
「大丈夫ですか、千雨さん。魔術で治しましょうか?」
「あんまり、魔術に頼るのはやめときたいけど…………でも、ちょっと頼む」
つかれきった声で千雨が言った。
「お任せください! えーっと」
頼ってもらったことに喜ぶさよが嬉しそうに千雨の額に手を当てる。
覚醒と精神力の回復を担う魔術である。
十四ワードの詠唱を経て、千雨の体に活力が戻った。
さよには単音で魔術を発動させられるほどの腕はない。
体や魔術回路はルビーと千雨のお手製なので、千雨やルビーの宝石なら起動キーのみで発動させられるが、通常の魔術にはやはり十ワード以上の詠唱が必要だ。
とは言ってもたかが十ワード。そして媒介の薬品等を用いずに生理システムに干渉できる魔術を発動させられるだけでも十分な成果であるのだが、格上を通り越して、いかさまやずるっこのレベルである千雨を間近で見ているだけに、さよとしてはまだまだ精進の必要性を感じている。
「はあ、で、どうなったんだ? あの爺のところにいったのだろう」
修学旅行にいけるようになったことしか聞いていなかったエヴァンジェリンが改めて問いかけた。
「あ、ああ……」
唐突な切り替えにまだふらふらとしていた千雨が口ごもる。
学園長室に呼び出され、まあ色々と話をされた。
やはりというか、なぜかというか。いや当たり前というべきか。当然のように責任はネギが取る事になったようで、自分は退出を命じられ、ネギを生贄にとして置いてきた。
だがそれも放課後のことだ。
まさか未だに学園長室にいるのだろうか。
「わたしは節度を持ってとか……まあそういうことを注意されただけだけど……」
ほう、とエヴァンジェリンがつぶやいた。あごに手を当てて考え込む。
「お前が下の立場になったか。まあ妥当というべきかもしれんが……」
「ほら、やっぱりばれてよかったじゃない」
その横でふわふわと浮いていたルビーが口をはさむ。
千雨がジト目を向けた。
「まあルビーの戯言はともかく、あそこまで大々的なばれ方をしなければ内々で手を打っただろうしな。しかし流石に修学旅行は半々か六分で、お前になにかしらの制限がかけられるかと思ったが……」
「へっへー。そうしたらエヴァもさびしくなかったのにね」
「ちっ、ルビー。貴様がさっさとこの呪いを解除する術式を完成させないからだぞ」
「何だ、やっぱりいきたがってるんじゃない」
ふんと、エヴァンジェリンがそっぽを向いた。
千雨とさよも驚いたような視線を向ける。
仲がいいことは知っていたが、かなり意外だ。
というか旅行に行きたがるエヴァンジェリンというのが意外すぎた。
「エヴァンジェリンさんはやっぱりいけないんですか? あの、わたしが幽霊だった時みたいに一時的にどうにかするとかも……」
「難しいのよね、正直。エヴァンジェリンの呪いってのはかなり厄介でさ。魔法の解呪は良くわからないけど、魔術的に見た場合、ネギ君のお父さんのあれは呪いというより構成自体は祝福に近いのよ。悪意なく発動させられる拘束のシステム。呪いを利用しているだけで悪意がない。呪いは明確に異物だから解除できるけど、力を与える術式は受け手が納得しちゃうからキャンセルしにくい」
「……祝福ですか?」
さよが首をかしげた。
「そっ。呪いは弾くべきものだけど、祝福ははじくという選択肢から存在しないからね。ゲームをやったって、毒消しはあってもパラメータ上昇を解除する魔法がないことを疑問に思ったりはしないでしょ? どれほど強力な、それこそ世界最高峰の解呪の魔術だろうと“解呪”という概念では祝福は消えないの。当たり前だけどね」
俗っぽいたとえを出してルビーが得意げに語る。
ウムウムとうなずいているエヴァンジェリンにも意味は通じている。こいつは意外とゲーム好きだ。
「まっ、ナギさんもさすがに世界最高だなんていわれてないわ。わざとなら策士すぎるけど、評判聞く限りそんな人でもないみたいだし。それにやっぱり、エヴァンジェリンが呪いのかけ手であるナギさんをいまだに恨めていないのも原因よね。エヴァ側に本気の憎しみがあるなら、千雨の魔力を使って魔術式を組めば解除できるかもしれないわよ。まったくエヴァったら一途なんだから、もうっ」
パシパシとわざわざ実体化して肩を叩いてくるルビーに、エヴァンジェリンが死ぬほど鬱陶しそうな視線を向けた。
「ルビー、しゃべりすぎだ」
「もー、照れなくていいのに」
ケタケタとルビーが笑う。
エヴァンジェリンは迷惑そうな顔をしたままだ。
逆に千雨は納得したように考え込んだ。
ルビーやエヴァンジェリンが本気で取り組んで解除できない呪いというのにはわりと疑問があったのだ。
ネギの血を吸って呪いをとこうとしたのも、呪いという概念からの解呪を狙ったわけではなく、ネギの血からナギの魔法への親和性を取り出すためか。
「まあ、でもそれだけじゃないわ。魔法としてだって、ちょっと分けわかんないくらい強力だもの。効果を単純にしてる分、違法な解除に対して厳しくなってるから呪いをつかさどってる精霊に対して干渉しようがないのよ」
そんな千雨の考えを読み取ったのか、ルビーが笑った。
そんな姿を見ながら千雨はこっそりと息をついた。
やはり先生の父親の封印とはかなりとんでもないものらしい。
まあ世界最強を自負する吸血鬼が、惚れているとはいうもののむざむざ十五年もとらえられているのだ。
複雑な封印は時間がかかるだけだが、強大な封印は理論だけでは難しい。千桁のパスコードよりも溶接した鉄の手錠の方が大変ということだろう。
順当に考えればさすがに実際は開封コードも存在するのだろうが、ルビーもエヴァンジェリンも見つけていないわけだし、そんな封印を片手までかけてしまうネギの父親とやらがやはり天才と褒め称えられるのも良くわかる。
天才の父親。天の血統。ネギが才能を持っていたからいいようなものの、普通だった重圧に押しつぶされてしまうだろう。
魔術と異なり継承されない魔法理論。才能だけが継承されたその息子。
そして、その才能を引き出すためのその■■。
考え込んでいた千雨が頭を振った。思考がブレていたことを自覚する。
「あの馬鹿が五年かそこらで解けるように区切を打っておけばよかったのだ」
「あなたが本気で説こうとしてもある程度の時間は解けないようにかけてたんでしょ。あなたは解く気もなかったみたいだけど」
「解く気はあった」
「少なくとも最初のうちは待ってたんじゃないの? ナギさんをさ」
ルビーが肩をすくめる。エヴァンジェリンが不機嫌そうに黙った。
だがそれは肯定と同義だ。
「それに時間で区切るとあの異空間で解消されちゃうじゃない。ナギさんもあれのことは知ってたんでしょ?」
「……“あっち”のことか」
「ええ。あんなことが出来るんだから、時限式の呪術なんて意味ないでしょ」
「流束から時間量を測るのではなく、太陽と月の動きから区切りを打てばいいだけの話だ。力はあるくせにナギが変なところで抜けているから……」
ぶつぶつとエヴァンジェリンがナギに向かって文句をいった。いつものことなのかルビーはニヤニヤと笑っている。
「エヴァンジェリンさんの別荘とかいうのですかあ。たしか時間が長くなるんですよね」
「はい。マスターの構築された術式により、外面上、時間軸が24倍まで伸ばされています」
さよの言葉に茶々丸が答える。
千雨もものだけは知っている。エヴァンジェリン邸の秘密の施設。エヴァンジェリン・リゾートのことだろう。
「はいったことないですけど、やっぱりすごいですよねえ。これって千雨さん的には魔法にはならないんでしょうか?」
「わたしに聞くなよ。どうなんだルビー? 魔術的には節約術とか生活の知恵と同一視されちまったりするのか」
鼻で笑いながら千雨が問う。
「そうねえ、あの空間はたぶん時間を延ばすのではなく、一時間かけて一日を作り出しているんでしょう。時間差付けて入っても問題ないってことは常時発動式ってことだろうし、一分を二十四分にするのとはまったく別物だと思うわ。基本が一日区切りなのも、最低でも一日出れなくなるのもそれが理由なんじゃない? 時間干渉というより時間の創造だと推測してるけど……まーどっちにしても魔法並みではあるけど、魔法じゃないわね。」
ルビーがあっさりと答えた。
かつて因果律に干渉する宝具があり、因果を逆行させる伝菌保持者が居たように、魔術においても時間干渉は至高の技術であるが絶対的なものではない。
「おい、人の別荘のカラクリを適当に答えるな」
「ゴメンゴメン。まっ、実際の術式はさすがにわからないわ。それでもさすがに別格だってことはわかるのよ。世界に干渉するどころか、異界を作ってるでしょう、あれ。外時間の流れから外れている。千雨とさよちゃんもあそこには入らないほうがいいわ。とくに千雨はね」
エヴァンジェリンが怒るが、大して気にした様子も見せずにルビーが言葉を続ける。
だがその内容は何度もいわれていることだ。
さよの体を作っていたときでさえ、ルビーはあの別荘には立ち入らせようとはしなかった。
今となっては別荘どころか、エヴァンジェリンの家にすら近づく気はない千雨がうなずく。
「で、千雨。修学旅行はいいとしてそれ以外のところはどうだったの? 魔法についての注意とかうけた? わたしのこととかばれたようなら、出向いていってもいいけど」
「ばれてるかもしれない。でも、わたしに文句を言うより、エヴァンジェリンの監督だからどうとか言われたけど」
千雨はつい数時間前のことを思い返しながら答えた。
学園長は長谷川千雨にほとんど罰を与えなかった。
まあ公式にみれば責任を取るべきは教師であるネギの方で、魔法使いとして見れば元凶はエヴァンジェリンであるので、納得すべきかも知れない。
ネギもネギで千雨が責任を負う必要は全くないと考えていたようなので、千雨はさっさと退出を命じられてしまったのだ。
かなり覚悟をしていった千雨としては拍子抜けするしかない。
頼ってばかりで、どうにも申し訳ないし、ネギがなにかペナルティーをもらっていたら手助けでもしてやろう、と考えていた。
「でも良かったです。千雨さんが来れないなんて、そんなことになったらわたしもどうすればいいかわかりませんでしたから」
さよが微笑みながら言った。今日教室で、千雨が修学旅行にいけることになったと聞いたとき、一番喜んでいたのは彼女である。
まあその場合はこの少女はひどい葛藤に苦しむ羽目になっただろう。
千雨としては非常にコメントがしにくい。
「はいはい。サンキュ、相坂」
ごまかし混じりにひょいとお茶請けをさよの口に突っ込んだ。
人に戻って数ヶ月。いまだに子供っぽいところを見せるさよがもぐもぐとそれを食べる。
幸福そうに微笑むさよを見ながら、千雨はどうしたものかと肩をすくめる。
そんな雰囲気の中、5人が会話をしていると、インターホンが来客を継げた。
すでに夕刻と呼ばれる時間もすぎている。
明日から修学旅行で、さらに今日のところはと見逃されている千雨のところをたずねるものなど、エヴァンジェリンたちのほかには当然その人物しかいなかった。
「こんばんは、千雨さん」
「ああ、先生。ずいぶんおそかったな」
玄関の前にたたずむその人物。
扉を開けた千雨の前に、ネギ・スプリングフィールドが立っていた。
◆
「はあ、親書ですか」
「はい。それを届けるように、と」
でも、とネギが言葉を続ける。
「わたしは手伝わないように。ですか。学園長も良くわかんないことしますね」
話を聞いた千雨もうなずいた。エヴァンジェリンが居るから、というわけでもないのだが、形だけは丁寧な口調である。
どうも対応が読めない。いや、読めすぎるがゆえに不安になるのだ。放任主義のレベルを超えている。
だけどあくどさを感じられないからまた困る。以前のエヴァンジェリンではないが、表立って悪ぶってくれていた方が対応は楽なのだ。
正義の味方を自任する気はないが、悪の組織は悪でいてくれなければ動きにくい。
「なるほどな。お前が修学旅行行きを許可されたのはそれが原因か」
「逆じゃないか? 関わらないようにって言われてるんだぞ、わたし」
「違う。関わるのは“何か”あったときだ。坊や以外の裏の人間は原則干渉を禁じられているが、平穏に終わらない場合生徒なら出張りやすいだろ」
そういう台詞は言ってほしくなかった。
噂がタタリを引き寄せる、というのはルビーから聞いた御伽噺の一つだが、不吉な軽口はやはり叩くべきではないのだ。
千雨はうんざりといった顔をする。エヴァンジェリンとの一件のようなイベントは、人生に一回でも十分すぎる。
「でも、これを関西呪術教会の長さんに届けるといわれただけですから。きっと問題なんておこりませんよ」
ネギが千雨を安心させるように笑った。感謝の言葉を返しながら千雨も笑い返す。
残念ながらネギの受け取った親書とやらは見せてはもらえなかったが、ネギの真剣さを見るに、かなり重要なもののようだ。
ネギも張り切っている。
「どうもあんまり向こうとは仲がよくないみたいっすね。東の魔法使いが介入すると問題になるとか」
「ふーん。で、ネギくんは正式に関東魔法教会に組みしてないからってことかしら」
「そ、そうっすね。でもこれは重大な役目ッスよっ!」
流石兄貴ッス、などとほざくカモミールに千雨が胡散臭げな視線を向けている。
当のカモは初対面となるルビーの姿にビビッていた。ルビーもルビーで以前から興味が合ったらしい喋るオコジョをぶしつけに観察している。
千雨としてはこの二人の口数が減って結構なことだ。
「でも親書を送ってどうにかなるものなんですか? それなら前からやればよかったじゃないですか。わざわざ修学旅行にあわせなくても……」
「なんでも正式に通達できないから修学旅行がいい機会だったとかで……」
さよの言葉にネギが困ったように答えた。学生の旅行を建前かカモフラージュに利用したということか?
「またそれかよ。先生の卒業試験じゃないけど、やな感じだな」
不機嫌そうに千雨が言った。
「それに親書一通でどうにかなるのか? 親書を送ることも出来ないってのに、その長さんとやらに親書渡したって変わらないだろ」
「意味はある。公式に認められるか否かが重要なのだ。表立って調整をすれば抗議があがるが、いったんルールを通して決まってしまえば納得せざるを得なくなる。西と東の確執なんぞにこだわる輩は儀礼と伝統を重んじるから、逆にそっちに筋を通せば文句を言わんし、組織としての対策も立てられる。トップ会談に跳び越し合意というやつだな。やられるとむかつく手だが、やる分には有効だ」
千雨の問いかけるような視線に対してエヴァンジェリンが答えた。
「ふーん。気に入らないけど、じゃあホントに届けるだけなのか。エヴァンジェリンのときみたいなのは勘弁してほしかったし、まあ安心かな」
「まー、あんなのそうそう起こらないわよ。普通はね」
「お前なあ、そういう振りはいらねえんだよ」
早々起こるといっているようなものだ。何か裏がありそうである。
「まあ命の危険はおこらんだろう。あいつもそこまで抜けてはいないし、そこまで行けば西と東の問題ではなくなるからな」
「あー西の長さんか。まあそうなるのかしらね」
どうやら知り合いのようなエヴァンジェリンの台詞に、ルビーが納得顔で頷いた。
有名人なのだろうかと千雨が首をかしげるが、ルビーもエヴァンジェリンも説明する気はないようだった。
「まあいいんじゃないか。エヴァンジェリンみたいなのが襲い掛かってきたとかならまだしも、修学旅行にごちゃごちゃしたのを持ち込まれるのはたまらないからな」
「ほう、いうようになったじゃないか」
フン、と千雨が鼻を鳴らす。
殺されたことに関しては、未だに文句はあるものの、しこりとしては残っていない。
ネギがニコニコとしてそれをみていた。
「まあな。それにさよもいやだろ。お前めちゃめちゃ楽しみにしてたし、そんなわけわかんないので潰れるのはさ」
当たり前のように千雨が言葉を続ける。
こういったところが、相坂さよの心をくすぐり続けているということの自覚はないのだろうか。
「~~っ! ありがとうございます、千雨さんっ!」
感激したらしい相坂さよがむぎゅっと抱きついてきた。
スキンシップというか抱きつき癖というか、ネギも似たようなところがあるが、時と場所を考えないと非常にまずい事態に陥るネギと違って、さよならばまあ問題あるまい。
千雨は自分の胸に顔をうずめるさよの髪を梳いてやる。
昨晩の泣き顔を覚えている身としては黙って受け入れる以外にない。
そんなさよの姿に苦笑しながら顔を上げると、ものすごい複雑な視線を飛ばすエヴァンジェリンの目があった。
「な、なんだよ」
「いや、お前が懲りない奴だということが良く分かった」
「えっと……いえ、千雨さんらしいと思います」
ネギが曖昧に微笑みながら言った。
「おい千雨。こうなったのはしょうがないと割り切ってやるが、修学旅行先では問題を起こすなよ。わたしが面倒なことになるんだからな」
分かってる、と千雨が頷く。責任とはその人物に対して背負うもので、その場の行動に関するものではない。
相坂さよに責任を取るといった身だ。
同行できなかろうが、千雨の行為はエヴァンジェリンの責となることを千雨はきちんと知っている。
そもそも千雨は周りの問題に巻き込まれていただけで、自分からことを起こしたことはあまりないのだ。
それを聞きながら、千雨に抱きつくさよがその胸に顔をうずめる。
千雨が苦笑しながら、背中をぽんぽんと叩き、微笑んだ。
「ったく。おい、ぼーや。お前のほうはどうだったんだ。爺からなにかしら言われたんだろ?」
「はあ、一応……その、注意を……」
ネギが口ごもった。
それを見て千雨が少しだけ眉根を寄せる。やはりいろいろといわれていたようだ。
だがネギはそれを口に出そうとはしなかった。
千雨がぽりぽりをほおを掻きながら、感謝の言葉を投げる。
その言葉だけで十分すぎると、ネギが微笑んだ。
エヴァンジェリンはそれを見ながら呆れ顔だ。
この三人だけでは、非常に不安だ。
だが、だからこそ、エヴァンジェリンは手を打った。
彼女がちらりと横を見る。三人をほほえましそうに見つめるその女性。
エヴァンジェリンに付き従って修学旅行を欠席しようとしていた、エヴァンジェリンに仕えているにしてはマトモすぎるほどにマトモなその少女。
エヴァンジェリンがそんな彼女に向かって口にする。
「ったく、ルビーも役にたたなそうだしな。茶々丸、こいつらを良くみておけよ」
「はい、マスター」
幸せそうに千雨に抱きつくさよにむかってうっすらとした美しい笑顔を向けながら、絡繰茶々丸がそれに答える。
気難し家のエヴァンジェリンから信頼を寄せられて、千雨たちのことを任すと告げられるその少女。
自分を信用していなさそうなエヴァンジェリンの言葉に千雨が苦笑いをするが、まあその言葉には文句を言うわけにもいかないだろう。
正直エヴァンジェリンが同行した所で、笑ってばかりでホントに本気で危なくなるまで手をかさなそうなところもあるし、今回の修学旅行にはエヴァンジェリンなどより彼女のほうがよほど頼りになるだろう。
3-A修学旅行第六班。
班長は絡繰茶々丸。
班員は桜咲刹那、ザジ・レイニーディ、相坂さよ、そしてもちろんさよに誘われた長谷川千雨の計五人。
これまでずっと修学旅行を見送り続けて、涙を呑んでいた相坂さよは千雨に抱きつきながらほほえんだ。
エヴァンジェリンが出席できないのは残念だけど、それでも不謹慎ながら笑みをおさえる事が出来なかった。
明日から始まる修学旅行。
麻帆良の外で、観光名所。一緒に行くのは友人たちとそして何より長谷川千雨。
それが楽しみでたまらない。
まあしかし、
楽しそうに、嬉しそうに、向こうでなにが起こるのかと、期待に胸を膨らませる相坂さよに抱きつかれるその少女、
彼女が抱きつく長谷川千雨はもう少し複雑そうな顔をしていたけれど……
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本来は前話とくっつくはずの解説回。
朝起きると昨晩同衾していた女子中学生が、制服エプロンで朝食を作ってくれている千雨さんの話。ネギをハブって新婚夫婦のごとき朝を迎えてますね。なんだこいつら。