わたしの部屋に、最近頓に見なくなっていたルビーが現れていた。
エヴァンジェリン邸に出入りするのはゴメンだったが、ルビーが出てきたら連絡を入れるように言われていたこともあって、エヴァンジェリンに電話をかける。
その結果、相坂のヒトガタが出来上がったということで、エヴァンジェリン邸に作業をしに行く必要がなくなったルビーに会いに、わたしの部屋にエヴァンジェリンと絡繰が足を運んできた。
第15話
「さっそく相談されたぞ。ネギ先生から」
絡繰の入れた紅茶を飲みながらルビーと魔術論理や呪縛解除の技術について熱論していたルビーとエヴァンジェリンがわたしの言葉に視線を向けた。
今はなにやら錠剤を片手に談義していたようだ。ルビーの手に赤と青の二色の丸薬が見える。それはかつてルビーに問われた質問を思い出させるシロモノだ。思考操作薬か何かだろうか、と考えて、どうでもいいと首を振る。
二人が問答を中断して、こちらに顔を向けるのを確認し、ネギがたずねてきたことを話す。
ルビーには話を伝えていたが、先日のことを含めてエヴァンジェリンにも説明した。
カモと名乗るオコジョのことと、パートナーを探すネギのこと。そしてネギを殺そうとしたエヴァンジェリンについての話だ。
「ああ、あの侵入者か。なるほど、そういうことか」
「オコジョ妖精ねえ……。念話じゃなくて声を出すのよね。会ってみたいわ、どうやってしゃべってるのかしら」
「捕らえればいい。あれの建前は不法侵入者だからな、学園側が見てみぬ振りをしている以上貴様がどうしようが誰もおおっぴらには行動できないだろう。お前や千雨と同じだな。まあそうはいっても捕まえるのなら秘密裏に行うことだ」
薄ら笑いを浮かべながらエヴァンジェリンが言った。
「で千雨。お前はどうすることにしたんだ。あの坊やをわたしに勝たせる策でも練ってみたか?」
「いや、先生の頼みは断ったし……」
ポリポリと頬をかく。
煽られて神楽坂にまで事情を知られてしまったが、それは先生と協力することとイコールではない。
見捨てる気はないが、向こうに加わる気もないのだ。
「あんっ? そうなのか」
「ああ。だってあんた殺しはしないだろ。内輪もめみたいなものにわたしが関わっても意味ないだろ」
「なめるなよ、長谷川千雨。わたしは不死の吸血鬼。人の敵、真祖だぞ」
「でもなあ。結局先生を襲ったときも殺さなかったわけだし、今だって殺してないじゃん。そもそもこの学校にくくられている以上、強行も出来ないんだろ」
「逆だバカモノ。封印さえ解ければ誰が好き好んでこの学園にいるものか。封印が解けた時点でわたしを止められるものなどここにはおらん」
「そうでもないわよ」
ルビーが割り込んできた。その表情はいつもどおり飄々としている。
「ほうルビー。やる気か貴様」
「千雨がやるならね。こうは言ってもほんとにネギくんを殺そうとするなら千雨も邪魔するだろうし」
そういってルビーはわたしに目を向けた。
こういうところでルビーは絶対に決定をぼかさない。はっきりと交渉に決着をつけることを是とする。過去の経験からだそうだが、勝手に決められるこっちとしてはたまったものではない。
こいつはあまりにわたしを蔑ろにしすぎである。強制的にわたしも巻き込まれている気がしてならない。
相坂がそんなわたしの心情に気づいたのか、こちらに向かって微笑んだ。慰めのつもりだろうか。それともわたしも仲間である、というサインだろうか。
自惚れかも知れないがたぶん後者だ。
「でも、まあそうだな。ほんとに先生を殺すって言うなら、わたしは邪魔するぞ」
相坂とルビーの視線に負けてしぶしぶとうなずく。
その言葉には予想通りにエヴァンジェリンからの冷笑が送られた。こいつはいまだにわたしがビビッていることを知っている。
「でも……本当に殺すのか? それがやっぱり信じられない。先生はほんとに抜けてるぜ。屋上にでも呼び出してナイフの一本でも使えばぜったいに殺せると思う。あんたが吸血鬼と知られてるいまでさえ、満月の夜を選んで、話し合いたいとでもいえば、のこのことついてくるだろうってレベルだ。わたしとしてはあんたがいまこうして殺していないってことが、すでにネギ先生は殺されないんだなって思っちまうんだが」
「はっ、貴様の薫陶がきいてるじゃあないか、ルビー。いいぞ千雨。良い思考だ。お前は本当に面白い人生を歩んでいるな」
「うるせえよ」
ふん、とエヴァンジェリンが小ばかにしたように鼻を鳴らした。
「だがな千雨。ルビーはもうお前の尻拭いはできないんだぞ。次にお前があのような行為をすれば、そのツケはお前か、その周りのものが払わされる。坊やを助けに来て坊やに救われる羽目になりかねんぞ。お前自体は気に入っているが、わたしの行為に茶々を入れ、そのあげく死にかけるようなら、わたしはお前を助けない」
「…………わかってるよ」
「分かっている気になっているだけだと思うがな。まあそのときになって後悔はしないようにすることだ」
エヴァンジェリンが茶でのどを潤すと、皮肉気に笑った。
「あの、エヴァンジェリンさんは本当に?」
暗くなった雰囲気を拭い去ろうとするかのように相坂が言った。
「坊やを襲うの決定だ。血を吸い、わたしの封印をとくためにな」
「だろうな」
肩をすくめて同意する。
相坂が眉根をひそめた。
だが、とエヴァンジェリンが言葉を続ける。
「だが、殺すのかといえば。…………そうだな、それはやはり難しい……千雨、お前の言葉は正しいよ。殺意すらない女子供は殺りづらい。さすがにあそこまで甘ちゃんだとな……」
ため息を吐くように、ポツリとエヴァンジェリンがつぶやいた。
長い生の中で成熟したその心情。わたしごときでは計れるものではない、万の感情が入り乱った声色だった。
ちらりと、横目でルビーの姿を確認する。
いつもおちゃらけているが、この場ではいまのエヴァンジェリンを理解できるのはこいつだけだろう。
わたしは悟られないように息を吐いた。そうして、ネギとエヴァンジェリン、そして自分とルビーのことを考える。
ネギとは色々とあったが、自分の命を懸けて助けるような間柄ではない。先生の命と自分の命なら自分の命を選ぶ。自分の人生は自分のものだ。
だけど先生は宮崎を救ってくれた。神楽坂にみられ、わたしにみられ、そんな危険を内包した行為を宮崎のために、条件反射で実行した。
ほれ薬の騒動を神楽坂のためにと、なにも考えずに実行し、それを責められて自分の人生を放棄しかけた。
だが最後にはあいつはそれをすべて許容した。あいつはそれを納得した。わたしはそれをすごいと思った。尊敬した。
だから、自分の命をかけない位置からサポートするくらいには長谷川千雨はあの少年に惚れている。
そう、わたしはネギのバカみたいな子供っぽさを、あまりに純粋なその精神を尊いものだと思っているのだ。
誰もが持っていて、ほとんどの人間がその大切さに気づく前になくしてしまう、そんなものの大切さ。
まあだけど、とわたしは思う。
そんな決意はただの言葉であることもまた事実。
いまの相手は心情論では立ち向かえない吸血鬼。殺気とともにナイフでも当てられれば、わたしの決意はすぐに覆っちまうに決まっている。
自分が安全な場所で唱える決死の決意ほど薄っぺらいものはない。
あの時は意地をはれたが、わたしの体はまだエヴァンジェリンに殺されたことを覚えている。
だからこうしていまだに完全にネギ側に立つこともできず、コウモリを気取っているのだ。
そんなことを考えていると、エヴァンジェリンはわたしの思考を読み取ったのか、口を開いた。
「千雨。あの日のお前の行動にわたしは関心はしたが、それはお前が誇りを重視したことにであって、命をかけたことにではない。お前はもう分かっているな? 命なんてのがどれほど安いチップなのかを。自分の命を捨て値で賭けるなんてのが、一番簡単な選択なのだ。お前は、まだまだ生き死にを知らないあの坊やの同類で、そしてすべてはガキの足掻きだ」
命を懸けてとか、自分の命を引き換えにだとか、エヴァンジェリンはそういうエゴを嫌っている。死の非情さとともに、生の苦しさを知る魔女の言葉。
だが、その言葉自体には不思議なほどの優しさがあった。
幾百年の年月を生きた、不死の生き物。
経験に裏打ちされた生死の概念。
殺さないとか、殺しにくいなどといってもエヴァンジェリンはやはり人を殺せる生き物なのだ。
言葉を返さないわたしにエヴァンジェリンが肩をすくめる。
「そうか。まあいいさ。そうは言ってもお前はどうせ聞かないだろうしな。その時はできる限り手加減はしてやるよ。ルビーに尻拭いばかりさせるのもなんだろう」
へたれとでも言われると思ったが、エヴァンジェリンは口を開かないわたしには何も言わなかった。
エヴァンジェリンは緊張したわたしと相坂をちらりと見てから口を開く。
「お前のことを神楽坂明日菜に押し付けたのは、ただのひやかしではない」
「……」
昼のことだろう。こいつはなんといっていたのだったか。
たしか神楽坂に向かって、パートナーがいなければネギが勝てないとか、助言者がいなければ勝ち目はないとか、そんな言葉を言っていた。
だがそれは可笑しいのだ。
煽っているだけならまだしも、最後にわたしを押し付けまでした。これでは助言だ。弱者に対する哀れみのつもりか?
しかし、それにしては自分と同格だとしているルビーを有するわたしを、ネギにつけようとした理由がつかない。
いまわたしはやる気になっていないが、本気でエヴァンジェリンをネギから排しようとすれば、ルビーとともに全力を持って先手をとっていただろう。
エヴァンジェリンが狡猾さを持ってネギを襲わなかったのは、その高潔さゆえだったのかもしれないが、長谷川千雨がエヴァンジェリンに対して先手を打たないのは、わたしの心情の問題ゆえだ。
少なくともエヴァンジェリンの益にはならないだろう。
まるで自分を追い詰めるようなその行為。
「邪魔をしたいならするといい。わたしもその方が気が楽だ」
達観したようにエヴァンジェリンが言った。なぜか悲しみが混じったその声色。
「あんた、ホントにぬるいわねえ。それでも大量殺人犯なの?」
「これでも大量殺人犯さ。お前と同じな。殺すなら殺す。殺す必要がないなら殺さない」
ルビーが言ってエヴァンジェリンが答える。
「殺せないの間違いじゃないの? ネギくん然り、さ」
わたしと相坂はそのやり取りに口を挟めない。
ルビーに向かってエヴァンジェリンが口元をゆがめた。
この二人は意外に仲がいい。
「わけがわかんねえよ」
ネギを殺す算段について笑顔で会話する二人に向かってポツリとつぶやく。
「邪魔して欲しいのよ、この吸血鬼はね。邪魔されて、死に物狂いで襲い掛かってくれば殺せるものね。明日菜ちゃんがキスでパートナーになるのを断ったみたいに、あの子たちには全く真剣さがないわ。殺されると口にはしているものの、殺されると思っていない。そんなのを殺せば、自分の矜持に傷がつく」
エヴァンジェリンは反論しない。
「でしょう? 子供女は殺さない悪夢の象徴、闇の福音、禍音の使徒を名乗るお嬢さん」
「…………」
ちっとエヴァンジェリンが舌打ちをした。
「言葉遊びにこだわるところがガキなのよねえ。殺したくないなら殺さなきゃいいのに」
その言葉をきくと、エヴァンジェリンがフンと鼻を鳴らし、立ち上がった。
「不快だ。帰る」
わたしと相坂が驚くが、ルビーは欠片も動揺を見せずに「じゃあね」と手を振った。
後ろ手にひらひらと手を振って、エヴァンジェリンが去る。
その後姿を追う絡繰が、わたしたちに一礼を残して消えていく。
表情をかえずに微笑むルビーはあまりにもいつも通り。
500歳の吸血鬼に年齢不詳の魔法使い。
わたしなんかが推し量るには重すぎる関係の二人だが、それでも未熟ながらに感じるものくらいはある。
きっとエヴァンジェリンはさらに不快になるだろうが、ルビーと彼女はまるで姉妹のようだった。
もちろん、どちらが姉かは言わないが。
◆
「相坂。お前は今日泊まってけ」
「っ! はいっ、もちろんです!」
「いや、そんなテンションあげるなよ。ただでさえ変なうわさが立ってるってのに……」
不機嫌そうだったエヴァンジェリンが去ったあと、相坂を泊まらせることにした。
連れ帰らなかったということはエヴァンジェリンも織り込み済みだろう。
追い出して、気まずい思いをさせてもなんである。
そのあと、わたしはルビーと今後のことについて相談することにした。
ルビーは明日にはまた休眠状態に戻ることになる。
エヴァンジェリンと敵対するにしてもしないにしても、ルビーの意見をきいておきたかった。
「さっきも言ったけど、殺しにくいんでしょ。子供はさ。」
「悪の魔法使いを名乗ってるけど、やっぱそういうことなのか」
相坂はあまりききたくもない話題なのか、口を挟まない。
「千雨も気づいてるみたいね」
「気づくも気づかないもないな。別にあいつ隠してないだろ。あのガキを本気で殺そうとしてないってことをさ」
「そうね。隠していない。隠す必要がない。甘さを見せているけど、所々で締めればいいと考えているのかもしれないけど」
「そうすると、先生の件では容赦をしないってことか? 無抵抗の子供は殺さないらしいし、むしろ手伝わないほうが安全かもな」
「半端に手を貸すのが最も悪い。そういう意味では千雨がネギくんと明日菜ちゃんの誘いを断ったのは正解ね」
「やっぱそうなるよな」
「まっ、そうはいっても千雨も甘い。ネギくんに合鍵渡してるでしょ?」
唐突な言葉に、一瞬詰まった。
「なんで知ってんだよ……」
「そうなんですかっ!?」
「驚くなよ相坂。お前も持ってるだろうが。あのガキがマジでやばくなったらかくまってやることにしてるんだよ。カギを渡したなんてばれたら洒落にならんから、誰にも秘密にしてるけどな」
しかたなしに口を開く。
エヴァンジェリンがネギを襲った最初の日のことだ。
ネギが本当にやばいときは助けてやろうと決めていた。安全圏にいようとしていながらの、自分のことながら、心情と背反するその行為。
やはりルビーにはばれていたようだ。
「でも、あいつからわたしに死ぬ気で頼られない限りわたしは何もしない。わたしから行動を始めるとたぶん収拾がつかなくなるし……」
「ええ。恐らくそうしたら千雨とエヴァンジェリンの戦いという形になる。やるならエヴァンジェリンを殺す気じゃないと逆効果ね。あーでも、封印が解けるくらいはっちゃけてくれるなら、千雨とわたし相手でも手加減してくれるかもしれないけど」
少しルビーが考え込んだ。
「でもまああの子がネギくんを殺すのは難しいけど、エヴァンジェリンは確実に“殺せる生き物”。いまの甘さが奇跡であって、そこを見誤れば明日菜ちゃんはまだしもネギくんや千雨は死ぬわ。だから、むしろ素人の明日菜ちゃんが手伝うからこそ、ネギくんに関しては安全になるともいえるわね。恐らくあいつはどんなに最悪でもネギくん以外は殺さないつもりよ」
ありえないわけではない。
「あの……エヴァンジェリンさんを殺すって……」
相坂が口を挟んだ。わたしは言葉をとめる。言うべきではなかったか。
わたしにとってはありえる可能性でも、相坂にとっては考えられない仮定なのだろう。
「ふう、まあ先生とエヴァンジェリンしだいだ。ルビー、どうするんだ? お前最近本当に出てこないし」
「調子が悪くてね」
「エヴァンジェリンさん、大丈夫でしょうか。なんか不安です」
「お人よしだな相坂。あいつは思いつめてあほな行動するような玉じゃないよ」
「そうですか……じゃあ、本当に大丈夫なんでしょうか。先生のどたばたは好きですけど、人が死んだりするのはいやです」
「わたしもいやだな。騒ぎもごめんだけどさ。でもエヴァンジェリンはすぐ熱くなるように見えるけど、理性的って面じゃあわたしたちとは比較にならないぜ。わたしはあいつが思いつめてなにか起こすよりも」
「よりも?」
「――――問題ということに関するなら、先に騒ぎを起こすのは先生たちのような気がするけどな」
◆◆◆
「先生からのラブレターだあっ!?」
「い、いえ。ラブレターかどうかは分かりませんけど。下駄箱の中に……」
赤い顔のまま宮崎が手紙を見せる。
予想ドンピシャ。
翌日の帰り道、玄関先でテンパっている宮崎に声をかけるととんでもないことを相談された。
曰く、ネギ先生からの手紙が宮崎の下駄箱に入っていたらしい。
どういうことか。
日本文化をどうも勘違いしている節のあるあのガキが何かやらかしたということか?
手紙を見せてもらうと、そこにはネギの名前とパートナーになってほしいという一文があった。
「……」
「あの、千雨さん?」
「んっ? いや、なんだな……この手紙はあのガキからか……」
「はあ……?」
宮崎が意図がつかめないといった声を出す。
わたしはどう説明すればいいのか絶賛混乱中だ。
こりゃ文面だけ見れば、どう考えても魔法使いのパートナーとしてのお誘いだ。
懲りてないのかと怒るよりも、これが本当にネギからの手紙なのかを疑問に感じる。
あれだけ釘をさしておいて魔法と無関係の宮崎にお誘いをかけるほど馬鹿ではあるまい。
まず確実にこれはネギからではない。
「そうすると……」
「あの……」
「ああ悪い。ちょっと考え込んじまった。えーっとこれからそこへ行くんだろ? 早乙女たちに見つからないようにな」
片手を挙げる。宮崎もソワソワとしているし、わたしがここで引き止めることもあるまい。
表だってついていくなど論外だ。理由を説明できない。
ネギ先生は本当は魔法使いで、自分を付けねらっている吸血鬼に対抗するためにパートナーを探しているから、その手紙のパートナーってのは恋人的な意味じゃない……などと馬鹿正直に説明すれば、わたしの正気を疑われるだろう。
また、偽物かもしれないから行くなと説得するにはわたしは事情をしらなすぎる。説得できない。
こういう悪質な悪戯をするやつはクラスにはいないから、たとえネギ先生からの手紙でなくとも、これにはなにかしらの意図があるはずなのだ。
これを回避して次の騒動を呼び寄せるならば、ここでその元をとめるべきだ。
宮崎をえさにして真相を釣るような真似だが、後手に回るよりはましのはずだろう。
立ち去る宮崎が校舎裏に消えるまで見送るふりをし、彼女の視界から消えるのを待ち、早速追いかける。
校舎裏につくと、まだ首謀者は来ていないようだった。
いつでも行動を移せるように魔力回路にアクセスしておく。
誰が何を企んでいようがここで何かをしでかすはずだ。ここが学園内である以上、それほど悪意のあるものだとは思いたくないが、以前宮崎が石段から落ちて死に掛けていることをわたしは忘れてはいない。
わたしは校舎裏の雑木林から少し離れたクチナシの低木の陰に隠れて宮崎の姿をうかがう。
ソワソワしている宮崎には悪いが、ここでネギから愛の告白が起こる可能性はほぼゼロと見ていい。
覗き続けるのも、こうして宮崎をおとりにしているのもかなりの罪悪感だった。
宮崎の様子を伺い続けるのも悪いような気がして視線をゆらす。
空に視線を移すと、何を考えているのか、ネギが空からやってきた。
肩にオコジョを乗せて、自分は杖にまたがっている。
本物のネギが現れたことにも驚いたが、それ以上にあいつが丸見えであることにびびった。不可視の魔法くらいないのだろうか。これでばれないってんだから、この学園の認識操作は有能すぎる。
とっさに木の陰に隠れた。
わたしに気付かずに校舎の影におり立ったネギは宮崎の所へ走りよる。
随分とあせっている。どうやら宮崎が何事かトラブルに巻き込まれていると思っているようだ。
ラブレターどころか、何一つ事情を知らないらしい。
「宮崎さん! 大丈夫ですか!?」
「あ……先生」
「あ、あの不良のから揚げはどこです!?」
「から揚げ……定食ですか?」
天然ボケがそろうと手に負えない。
ひとしきり意味のわからない言葉をやり取りすると、顔を赤く染めた宮崎がネギに向かう。
「あ、あの。それでネギ先生。わ、わたしなんかがパートナーで、いいんでしょうか?」
「へ……?」
頬を染める宮崎の顔と、間抜けズラをさらすガキを見るに、肩でガッツポーズなどをしている小動物が原因か。
随分悪質だ。宮崎をこうして囮に使っている自分が言えたものではないが、乙女心を何だと思っているのか。
わたしは隠れたまま話を聞き続ける。
ここで飛び出せば説明が厄介すぎる。
しかし事情をある程度つかんだ以上、このままほうっておくのは宮崎にわるい。
どうしたものか。
まとめて全員の意識を奪っちまうのが一番いいのだろうが、そこまでの決心がつかない。
わたしは苦々しい気分を隠しながらも、その光景をデバガメし続けた。
葛藤するわたしとは裏腹に事態はどんどんと進み、先生がオコジョの口車に乗せられそうになっている。
オコジョにキスを煽られるネギ。目を瞑る宮崎。
そして、
「――――っ! あ、あの、宮崎さん。すいませんやっぱりボク――――」
結局この騒動は、わたしが手を出すまでもなく、キスをしようとしていた先生が直前で宮崎をさえぎったところで止まった。
「えっ?」
光り輝く地面とそこに走る魔方陣。
先生に押しのけられた宮崎が目を開きそれを見て、驚いたような顔をする。
だが、魔力にさらされ慣れていないこともあってか、そこから発生する力場に耐え切れず宮崎はその意識を失った。
「コラー、この馬鹿オコジョっ!」
同時にわたしの隠れていた場所とは別の場所から神楽坂が飛び出すと、先生を煽っていた小動物を張り飛ばす。
神楽坂はわたしのことには気付いていないようだ。
「あんたねえ、子供をたぶらかして何しようとしてたのよ。ほら、お姉さんからの手紙見たわよーっ」
「うっ……」
「お姉さんに頼まれてきたなんて嘘じゃない! ホントは悪いことして逃げてきたんでしょあんたはーっ!」
神楽坂の手には手紙が……エアメールらしきものが握られている。
お姉さんというのはネギの姉のことだろうか? たしか名前はネカネだったか。
前にわたしの部屋に遊びに来たネギが、茶飲み話に話していた。話半分できいても理想の体現みたいな出来た姉らしい。
「しかも何これ、下着泥棒二千枚ってかいてあったわ」
「カ、カモくん。どーゆーことなの!?」
「あ、兄貴。これにはわけが、おれっちは無実の罪で」
「無実の罪?」
「じ、実はおれっちには病弱な妹がいまして……」
オコジョが説明を開始する。
わたしは隠れたまま、それを聞いた。
妹のために下着を盗み、その挙句ネギを頼って脱獄したとか何とか。
「……というわけで、尊敬するネギの兄貴をだまして利用しようなんて、俺も地に落ちたもんさ……」
それは無実じゃねえ。
というか結局なんで宮崎を狙ったか説明してねえじゃねえか。
かっこいいことを言っているが、罪状はやはり下着ドロだ。
だがその後、オコジョがネギの使い魔として手柄を立てたかっただの何だのという話を聞くと、お人よしの気があるネギは結局使い魔として雇うことを契約した。
言葉には意味がこもる。言質をとられた以上ネギはあの小動物に関する責任を負うことになるだろう。
あきれた顔をして神楽坂が一人と一匹を眺めているが、同感だ。お人よしすぎる。
だが内容としてみれば、あのバカな小動物の手綱を取る人物は必要だ。結果的には最善か。
その後、それを証明するようにネギは宮崎を屋内に運ぼうとしながら、オコジョに向かって話しかけた。
「でもカモくん。もうぼくの生徒を巻き込むのは辞めてね。のどかさんにぼくの振りをして手紙を出すなんて……」
「いや、すまねッス。兄貴。よかれと思ったんすが」
「でも、そういうのは良くないよ」
意外と頑固にネギが言った。神楽坂が少しばかり驚いたようにネギを見ている。
そして、ネギは宮崎を下駄箱まで連れて行くと、そこで改めて魔法を唱え、記憶を奪った。
当たり前のように、宮崎のどかから先ほどの記憶を奪い取る。
意外な気もしたが、これが当然なのだ。初歩というより義務のレベルで覚えさせられるその技術。神楽坂相手に失敗したとはいえ、こうして落ち着いて呪文を唱え、寝ている宮崎にそれをかけられないはずがない。
そうして、その後、彼らは宮崎が目を覚まし、さきほどのことをよく覚えていないらしいことをこっそりと確認して帰っていった。
そんな宮崎とネギたちの姿をわたしは隠れたまま見守った。
目を覚ました宮崎は、しょぼんとした顔で周りをきょろきょろと見渡している。
ネギ先生に断られたことを覚えているのかもしれないようだ。記憶を奪ったのではなく、宮崎は先ほどの件を夢だとでも思っている。
記憶を飛ばすよりはいいということなのかもしれない。
偽のラブレターの記憶を残しておくこともあるまいとも思ったが、それが先生の方針なのだろう。なら、わたしにいうことは何もない。
そして、宮崎とネギたちが立ち去るまでまって、ようやくわたしは姿を出して、寮へ向かった。
もちろん、帰宅するためである。
◆
部屋に戻っても誰もいない。
数ヶ月前まではそれがデフォルトだったのに、ルビーに相坂と最近はお客が多い。
なんとかHPの更新は保っているが、この忙しい中ではだんだんきつくなってきている。
衣装を自作する時間や新しいネタを吟味する時間は魔術の練習に奪われている。
ネトアの衣装に関しては相坂や、意外なことに絡繰などがいやにのり気で手伝おうかと声をかけてきたりもしたのだが、正直身内ばれしているだけでもギリギリなのだ。
ここで運営に関わられたりすればわたしは羞恥で動きが取れなくなってしまうだろう。
ベッドの傍らにおいてあったランプを手に取る。
【――――硬化】
自分自身に言い聞かせる言霊と、魔力で描く発動回路。
思惑通りに銅製のランプが強化される。これだけで生半可なことではへこみすらしくなるのだ。
工事現場にでも売り込みに行きたいが、持続時間は意外と短い。
ため息をひとつ吐くと、今度は火をともそうとして呪文を唱え――――見事に失敗した。
力場がおかしな方向に作用して、強化したばかりのランプがぐしゃりとつぶれた。
最近はこの程度の魔術には失敗しなくなっていのだが、情けない。
ランプを放り出すとベッドに転がった。
「あー、まじでどうしたもんかねえ」
あのオコジョにエヴァンジェリンと、ネギに降りかかっている問題は多い。
今日の一件を変にデバガメして、いらない心労を抱えてしまった。
そして同時に、ネギの技術も垣間見た。
わたしは保護者気取りでネギをガキだと評したが、あいつは公に教師と認められている存在で、生徒として教育を受けるわたしよりも、年齢以外あらゆる面で社会的には上の人物なのだ。
自分が保護者気取りで振舞っていたとはさすがに思わないが、手を出す必要があるとは感じていた。
手伝わないといいながら、頼られていると思っていた。
だが、それはやはり必然ではない。
それを今日ようやく気づいた。
正直なところ、わたしが関わらなくてもこの件は落着するに決まってるのだ。
当たり前のそんな話。
エヴァンジェリンの思惑についてもそうだが、この学園も、そしてネギ・スプリングフィールドもそこまで間抜けぞろいのはずがない。
わたしが関わることで“本来の流れ”より悪くなるのなら、わたしは関わるべきでない。
善意を持った人間が関わることが、必ずとも流れをよいほうに動かすとは限らない。
わたしは記憶を掘り起こす。
そう、かつての図書館島の出来事だ。
先生は変に暴走した生徒についていった。それは監視なのか善意なのかは分からないが、結局大きな問題も起こさずに帰ってきた。
あそこは以前ルビーが問題を起こした場所だ。わたしはルビーにあまり近寄らないほうが良いといわれていた。
おそらくわたしが行けば、いらない問題を起こしただろう。それはわたしの参加がおそらく悪影響を与えたということだ。
あの時はそれが分かっていた。
だが、いまは?
この戦いにわたしが参加して、ネギのためになるなんて、そんなことは分からない。無駄になるかもしれない、より悪くなるかもしれない。そういうバランス。
並行する正解、平行する思考、平衡した結末。
ヘイコウセカイをつかさどる魔女とその弟子の未熟者。
わたしの思考はおかしいか? おかしいのだろう。
舌打ちをひとつ。
こんなことを真剣に考えるほど馬鹿なことはない。
「まあいいや」
わたしはベッドから起き上がる。
今日はもう魔術の練習はおしまいだ。
こういう陰鬱した時に行う気分転換などひとつだけ。
つまり、
「――――オッケー、今日もちうはばっちりよーっ」
それはそれ、これはこれ。
ホームページの更新でも行おう。
◆
「というわけでですね。昨日ネギ先生と明日菜さんと一緒に茶々丸さんのあとをつけてたんですけど、結局ばれてしまってですね、前哨戦を。ああ、ネギ先生すごかったんですよ、なんか空を杖に乗ってビュンビュン飛んで……」
「まだ関わってたのか」
わたしは自分の中である程度整理をつけて数日後、わたしの部屋に遊びに来た相坂は昨日行ったネギの尾行についてを身振り手振りを交えて解説していた。
どうやら神楽坂に誘われたらしい。
驚いたが、同時に納得もした。面と向かって頼まれれば相坂は見捨てられまい。
エヴァンジェリンも相坂はさすがに傷つけないだろうし、ちょうどいい抑止力になるかもしれない。
「はい。ネギ先生は千雨さんにも来てほしかったみたいですよ。昨日も何度か……」
「それは断っちまったからな」
手を上げてさえぎった。この先この出来事に関わっていくにしても関わらないにしても、わたしが表立ってネギ先生の側に立つことはない。たとえ相坂の頼みだろうとだ。
「そ、そうですか」
「それで? 絡繰が人気者で、野良猫にえさをあげてるってのはきいたけど」
「あ、はい。それで茶々丸さんが川で流れてる猫を助けたり、野良猫に餌をあげてるのを見てネギ先生が茶々丸さんをやっつけるのはやっぱりダメかもって。あっ、そういえば、茶々丸さんがロボットだってことネギ先生も明日菜さんも気づいていなかったみたいですね。昨日それを話したら驚いてました」
「まあそうなんだろうな。クラスのやつも気づいていないというか、言われれば答えられるが自分からは気づけないみたいな状態になってんだろ」
認識誤認系にはいまだに拒否感があるが、ある程度の納得はしている。
だが、積極的に話したくもないので、相坂の話をさえぎった。
「わたしはそれよりも先生の魔法に興味があるな。エヴァンジェリンは氷の塊を飛ばしてたけど」
「先生は光の塊を飛ばしてました。光の矢っていうみたいです。一回茶々丸さんにあたりそうにもなったんですけど、ネギ先生がそれを戻してしまって、それで戻ってきた光で先生が吹き飛んでしまったんです」
「光ねえ……戻ってきたってことは光線じゃあなかったんだな」
どちらにしろ撃った後に戻せたということは弾速はわたしのガンドより遅いのだろう。
光である意味がない気がする。誘導性を重視しているということだろうか。
どちらにしろ、本気のエヴァンジェリンたちに正面から通じるようなものではない。
だが戻った魔法が先生を殺さなかったということはやっぱり予想通りだ。
前哨戦という概念もそうだし、こうしていま相坂が笑い話として話しているこの現状。
散々確認した話だが、絡繰たちが本気なら先生は死んでいたはずだし、先生が本気ならそのときに絡繰は動けなくなっていたはずだ。
先生は甘い。そしてその甘さが良い方向に作用している。
「それでですね。結局その戦いは茶々丸さんの負けということになってですね、逃げちゃったんですけど」
逃げたもなにも、こいつはエヴァンジェリン邸で会っているはずだ。情報は駄々漏れだろう。
「もともと先生だって殺す気はなかっただろ。気絶させて説得するか、そもそも魔法を打った後のことすらノープランだったりするかもな」
「ありえるかもしれませんけど……」
「まあエヴァンジェリンには話は通ってるだろうな」
「はい。それでネギ先生と明日菜さんの希望でおでこにキスをして、契約を。わたしもカモさんに進められたんですけど」
「契約しなかったんだな?」
「はい。千雨さんたちに言われてましたから。それに一応わたしはエヴァンジェリンさんの家に住んでるわけで……」
相坂がいう。
「絡繰じゃなくていきなり相坂を狙われなかっただけラッキーだな」
「うっ、ひどいです」
泣きまねをする相坂に肩をすくめる
まあ仲間だとは思われていないのだろう。
「絡繰も狙わない。相坂も狙わない。交渉もしないとなるとなあ」
「どうするんでしょうか、ネギ先生」
「まあ決まってるっちゃあ決まってるが……」
「えっ!? どうするんですか」
「そりゃあ、誰かに助けを求めるか、もしくは現実逃避でもして――――」
答えをいおうとすると、来客があった。
蹴破られるように開けられるドア。
わたしもそろそろカギを閉め忘れる癖をなくさないといけないか。
来客は神楽坂。はいってくるなり彼女は叫ぶ。
「千雨ちゃんいる!? ネギが家出しちゃったんだけどっ!」
だからなんでわたしに言うんだ。
◆
無理やり連れ出されて、捜索を手伝わされた。
学園裏の森に向かっている。アホみたいに広い。そしてバカバカしいほどに無謀だ。
つい数分前にネギにかかわらないと断言しておいてこのざまだ。わたしの決意がいかにしょぼいものかわかる。
襲われて絶体絶命のネギがとるであろう道などほとんどない。つまり頼れる人間に助けを求めるか、逃げるかだ。
正直学園長に泣きつく可能性が高いと思っていたから予想通りとまでは行かないが、神楽坂のところから離れようとする展開については予想できなくもなかった。
「靴は履いてないんだよな。携帯は?」
「窓からとんでっちゃったから。携帯も忘れていったみたい」
がりがりと頭をかいた。それはもう探せないということじゃないか?
「じゃあ地面に降りてはいないかもな。ずっと飛んでるんなら手が出せないぞ」
「魔法で探せないの? 千雨ちゃんも魔法使いなんでしょ」
「難しいな」
「そうなんですか? 千雨さんなら出来るんじゃ……」
「そうっすよ姉御。ここは出し惜しみはなしにしてくだせえ。先にエヴァンジェリンに兄貴が見つけられたらやばいっすよっ」
「わたしは飛べねえんだよ」
そういわれりゃあそうだなあ、と思いながら答える。
偵察用の使い魔を飛ばすくらいなら何とかなるが、それを学園にばれないように、という一文がつけばわたしでは荷が重い。
鳥を飛ばそうが、蟲を飛ばそうが、学園結界とやらにひっかっかてしまうだろう。。
ただでさえ以前ルビーの所為で監視が厳しくなっていたのだ。半分以上ばれているような立場であるが、正式に口実を与えることは避けたかった。
わたしは魔法使いに巻き込まれた一生徒というスタンスを崩す気はない。
「てかあと少し探したら帰っていいだろ。靴はいてないってことは飛びっぱなしだろうし、飛ぶときって見えなくなる結界とか張ってるんだろ? いや、もし張ってなかったとしても、わたしらじゃあ限界がある。それに魔法使いが遭難ってこたあないだろ」
「で、でもエヴァちゃんが……」
「そうっすよ。あいつらに先に見つかったら」
「あいつらが探しているようなら、わたしらが出し抜くのは不可能だ。神楽坂、魔法は万能みたいに思ってるみたいだが、万能同士には優劣がある。エヴァンジェリンと絡繰がいる向こうには太刀打ちできない。発信機のひとつくらい仕込まれててもおかしくないし、向こうが本気だってんなら、いまさらどうしようもねえ」
「でも、ほっとけないでしょ」
「そうですね。もう少し探しましょう、千雨さん」
ガサガサと藪を掻き分けて神楽坂が進んでいく。
うわー、とつぶやきながらも楽しげな相坂がそれに続き、のろのろと最後尾にわたしがついていく。
こいつらまとめて善人過ぎる。しかも、神楽坂はあれほどいろいろな目にあっても見捨てていないというのだから、ネギがどれほどのやつなのかも分かろうというものだ。
「千雨の姉さん」
「ん、なんだよ。いつの間にきやがった」
気づくとオコジョ妖精と名乗る小動物が肩に乗っていた。
「いやー、実はパートナーのことなんですが。おれっちが兄貴のところへ来る前に兄貴が一度断られたとかで……」
「まあな。でも神楽坂が契約したんだろ。もうあいつも無関係じゃいられないだろうし」
「ありゃ不完全契約ですし、あれもまとまるまでずいぶん渋ったんですぜ。結局キスも中途半端なままでしたし。どうも兄貴はまだ千雨の姉御のことを慕ってるようで」
「……」
「いやーどうっすか姉御? ここは懐の深さを見せる意味でもぶちゅっとムギュ」
後半の台詞はわたしがオコジョを握りつぶしたことで途絶えた。
深呼吸をひとつ。
大丈夫大丈夫。わたしはまだ冷静だ。
オコジョを放す。赤くなってはいない。魔術を習いはじめて、自己コントロールについては十分に鍛錬した。
「人の唇を適当にやる気はねえよ。そもそもわたしはネギ先生の頼みは断ったしな。先生も魔法のことで相談にのったからわたしをいまだに頼りにしてるみたいだけど、わたしは実際見習いもいいところだ」
「なにいってるんすかっ! そんなわけないっすよ」
なぜかいきなり調子付いたカモミールが叫ぶ。
いまの会話のどこに攻勢を嗅ぎ取ったんだ?
その答えは小動物の口から語られるとんでもない内容だった。
「おれっちみたいなオコジョ妖精には人の好意がわかっちまう特技がありまして」
「……なんだと?」
ぞわっと鳥肌が立った。思わず立ち止まる。
カモミールは肩にのったまま、耳元で言葉を続ける。
硬直したわたしは顔を向けられない。
その表情が予想できた。絶対にこの性悪はにやけ面を浮かべている。
「イヤー、兄貴は姉御にべたぼれですぜ。この間ののどか嬢ちゃんの件はホントにすいませんっした! いやー、まさか兄貴があそこまで一途だとは思わず。あの嬢ちゃんも相性がよかったものですからついつい。それに姉御。姉御が見習いなんてのは全然平気っすよ。魔法使いのパートナーなんてのは、相性が第一っすから。嬢ちゃんもいい感じだったんすけど、千雨の姉さんならばっちりもばっちりっすよ」
「……その、人の好意を測るとか言うのはマジなんだよな」
「あったりまえじゃないっすかあ。兄貴がべたぼれなのも、姉御が兄貴を憎からず思ってることもばっちりっグエエエェェッ!?」
これがこの小動物が調子付いてる原因か。
「いいか。このまま握りつぶされたくなかったら、そのことは神楽坂たちには絶対に言うなよ。ネギにあのオコジョはいつの間にか消えていたって伝えてもいいんだからな」
「い、いやだなー、姉御。脅かしっこはなしにしましょうや。顔を真っ赤にしていっても説得力が――――うそっす。ジョークっす。姉さんやめてください。あんこが出ちまいやすって。つぶれちまいますよ、いやほんとっ! ギャンッ!?」
グニャリと握って手を離す。
猫を抱いたことがある人間なら想像がつくだろうが、こういう動物の体は柔らかい。本気で握れば確実に中身が飛び出ていただろう。軽く握ったくらいで済ませたわたしの冷静に感謝してほしい。
地面を悶絶しながら転がる小動物を視界の端に、わたしは頭に手を当てる。
魔術の基礎。思考制御。自己分析。
平常心を保つように言い聞かせるが、頬のほてりが収まらない。
ああ、やばい。これを自覚するとどれだけ厄介かを知っていたから黙ってたのに、あのオコジョ。
頭にネギの姿を思い浮かべ、冷静にそれをみる。
大丈夫。あいつはたいしたやつだと思っているが、今わたしはあいつとキスしたいとは思わない。
抱き合ったことはあるし、だきごこちがいいとも思ったが、それを日常に組み込むことを望んだりはしていない。
最近の騒動でクラスのやつらにからかわれたりもしているが、あれは誤解だ。
からかいが増えたし、朝倉が頻繁に話しかけてくるようにもなったが、それも瑣末な変化の一部。
吊り橋効果、英雄思想、ヒロイン願望、ストックホルム症候群。いやこの場合はリマ症候群が正しいか。
大丈夫大丈夫、大丈夫。
長谷川千雨は冷静さを保つことには長けている。
「ですが姉さん。おれっちの鑑定だと、相性バッチリですぜ。変に意地を張らない方がいいとおもうっすけど――――」
呪いのガンドをぶっ放す。
病魔を送る呪いが、カモミールをかすり森の中へきえていく。カモミールはわたしの本気を見て取ったのか器用に手を上げて降参のポーズを行った。
「余裕じゃねえか、小動物」
「なんで姉御はそんなに嫌がるんですかい。兄貴がいい男だってのは百も承知でしょう」
「まあ将来性はありそうだけどな……ガキすぎだろ」
「姉さんだって似たようなもんじゃないっすか」
「この年齢で数年の差はでかいんだよ」
「数年後なら大丈夫で今はダメってのは理屈に合いませんぜ。姉御は“そういうの”にも詳しいんでしょう?」
カモミールが攻め方をかえてくる。まあ冷静に見ればネギが悪くない男だというのは明白なのだ。
悪くないどころか手をつけとくのに悪い人材ではない。
魔法使いの間じゃあ誰もが知ってる有名人で将来有望。顔もいいし、この世界でだって十歳で教師になった前代未聞の天才少年。
何よりとんでもなく素直で誠実だ。
だが、だからこそ問題なのだ。
あいつに適当に手を出せば、それは一生尾を引くだろう。パートナーなどになったら別れるにしても続くにしても、簡単に済むはずがない。
適当に関われる人間じゃないのだ。
「てかオコジョ。お前はなんでそんなにわたしとあいつをくっつけようとするんだ。宮崎やわたしをくっつけてもそこまで先生にメリットないだろ。お前も先生のこと考えるなら、もう少し考えたほうがいいんじゃないか。あいつ一回女と付き合ったらそれを一生引きずるタイプだぞ」
簡単に言えば、パートナーを神聖視している。
発想だけならおかしくもない。宮崎や委員長をはじめとするうちのクラスメイトの一部も似たような発想を持っている気がする。
同様にネギも一回相手にのめりこむとドロドロになりそうな気がするのだ。
パートナーというのは重要だといっていたし、こだわりすぎだ。
「えっ? いや、別に無理やりくっつけようなんてしてませんよ。えっと……そ、それはですね。そのー、いやー姉さん。どうしたもんっすかねえ」
「お前なんか嘘つこうとしてないか?」
しどろもどろになるカモミールの機先を制する。
びくりと震えるオコジョの隙を突いて再度捕まえた。
尻尾を握って吊り下げる。
「わたしは優しいから正直に言うべきだと先に忠告しておいてやる」
「いやー姉さん。おれっち尻尾の付け根はそんなに強いほうじゃなくてですね、この体勢って意外とつらいんすけど……」
「で? なんでわたしとあいつをくっつけようとしたんだ? 嘘ついたら容赦しないからな」
「そりゃもちろん、兄貴のためを思って」
「えい」
「いてぇっ!?!! すいやせん姉さん。うそっす! いや違った、嘘じゃないんすが、つい出来心で! 説明するッス!」
「じゃあもう一度だけチャンスをやろう」
にっこりと微笑むと、なぜかオコジョが青ざめた。
「イ、イヤー、ほんとに兄貴が困ってるのを見てらんないのも、妹の話も、兄貴と姉さんの相性がいいのもマジなんすよ……ただちょっと人々に愛とつながりを与えるオコジョ妖精としての役割を果たすとですね……あーっ、と上から謝礼が出るんすよ」
「謝礼?」
「イヤっほんのちょっと! たいしたもんでもないんですが! オコジョ協会からほんの5万オコジョドルほどっす! それにッスねっ! 別段金のためというわけじゃないんス! 兄貴のためにっ! のどか嬢ちゃんなら丸め込めそうだとか思ったわけじゃなくっ! ついつい出来心で! 許してくだせえっ!」
後半に本音が漏れている。だがわたしはそれを聞いて、思わずうなずいてしまった。
「…………ああ、なるほど」
「へっ!?」
「てか妖精ってのはそんなに組織立ってんのか。ちょっと意外だな」
何が後ろめたいのか、謝礼が出るという話をごまかそうとするカモミールだが、むしろそれなら納得だ。
妖精という名称にだまされたが、花の蜜を吸って生きてるわけではないということか。人間社会並みに成熟してるらしい。
どうも強引だと思った。
相性云々は無視するとしても、妹の話というのが本当なら悪いことを考えているというわけでもあるまい。
つまりこいつはネギの敵にはならないということだ。
「おっ? 姉御、怒ったりはしないんですか?」
「なんでだよ。そっちのほうがよっぽどわかりやすいよ」
わたしはため息をひとつはいた。
説得するにしても交渉しやすい。
「まあ話したからにはもうあんまりだな……」
「イヤー話がわかりますねえ姉御。そうっすね。姉御がパートナーになれればかなりいいと思ったんすけどねえ。こんなにも話がわかる方だったとは驚きっすよ。先に相談しとけばよかったっす。こんな美人で知恵も回るなんて兄貴が惚れるのもわかりますよー。いやー、やっぱり、ネトアでトップを張ってるだけのことは――――」
【重圧・突風】
「へっ!? ――――って、ぅああぁぁあぁぁぁっ!?」
交渉はできなかった。どうしてこいつが知ってんだ。
半分につぶれながら上向きに吹き飛ぶ小動物を視界の端に、わたしは頬に手を当てる。
騒いでいるが、飛ばしただけだ。死にはしまい。火でもつければよかった。
赤みの引かない頬を押さえながら、あのオコジョの厄介さを考えた。
なんでかしらないが、ネギにずいぶんと信頼されているようだし、抜けているようでかなり鋭い。裏があろうがなかろが、人の恋慕を計る能力は厄介ごとを生むだろうし、性格のほうもあいつは朝倉や早乙女の同類だ。
吹き飛んだまま、針葉樹の枝葉に突っ込み、そのまま消えていく姿を見て、ほんとにここで葬ったほうがいいのではないかと思う。
ため息を吐きながら耳を済ませた。
「千雨ちゃーん」
「どこですかー」
「もう、あいつまで行方不明になってどうすんのよ。ネギを探しにいけないじゃないー!」
「あはは、明日菜さん、千雨さんが迷子になるはずが――――」
「うぎゃあ、いてえ、やばいっス! しっぽが枝にっ!? 姐さんっ、兄貴っ! 誰か助けてくだせえっ!?」
「ってちょっとなにやってんのよ!?」
「カモさんっ!? どうしたんですかっ!」
「姉さんがたっ! た、たすけてくだせえっ!」
「なんでいきなり宙吊りになってんのよ。くっ、結構高い……ってきゃあ、暴れんじゃないわよ。ほらほらっ!」
「い、いてえッス。引っ張らないで、ちぎれるっ! 千切れるッス!」
「イタッ! ちょっと、なにすんのよっ!」
「うぎゃあ、姉さん待ってくだせえ、下に引っ張らないでっ! 釣り針引っ掛けたわけじゃないんすよっ!?」
「みりゃあわかるわよっ! くっ、この、もー、めんどくさいわねえ、このぉ…………えいっ!」
「――――ぎゃぁあぁぁあああぁあああ!」
いつまでもついてこないわたしを探しにきたらしい神楽坂と相坂の声を聞きながら、わたしはそこで立ったまま、ぼうっとオコジョの言葉を考える。
カモミールと名乗る小動物の言葉がよみがえる。
ネギが自分を好いているとか、わたしがネギを、とかそういう話。
くそっ、わたしがいったいなにをした。
◆
「……いるし」
寮の扉を開け、自室に戻ると、わたしの部屋の中でネギがひざを抱えて座っていた。
入れ違いだったらしい。
逃げるか、誰かに助けを求めるか。
なるほど。逃げたというわけじゃあなかったか。
意外と頑張っている。わたしとは大違いだ。
ネギはわたしに気づくと、半泣きになった顔を隠そうともせずに切り出した。
「あの……千雨さんに相談に乗ってもらいたくて」
そういえば前に相談に乗ると約束した覚えがある。
「ああそうだったな。合鍵使ったのか?」
「いえ、窓が開いてました」
なんだそりゃ、と息を吐いた。
「さっきまで神楽坂につき合わされてお前を探してたんだぜ。相坂とわたしと神楽坂でな。あいつらは一晩中探しそうな剣幕だったぞ。まあけが人が出て戻ってきたが……さっさと連絡入れときな」
携帯を投げ渡す。
ネギはそれを受け取ったものの、使おうとはしなかった。
まあわかっていたことだ。ここで簡単に帰れるようなら来はしまい。
「わかったわかった。で、なんだ、相談って?」
「うっ……」
「泣くなよ、ほら」
軽く抱きしめて頭を撫でる。
さらさらとした髪が指の間を抜けていく。
毒されてるなあ、わたし。
そのままネギが落ち着くまで待つ。
ぽつぽつと話し始めるのを聞いていくと、どうもネギはやっとこさエヴァンジェリンが危ない輩だということに気づき、それに神楽坂たちを巻き込んでいることを後悔し始めたらしい。
だがすでに吸血鬼と対峙していることを考えれば遅すぎるし、まだエヴァンジェリンとやりあっていないことを考えると後悔するには早すぎる。
これで先生が色々とふんぎって致死性のわなでも仕掛ければエヴァンジェリンは嬉々として本気の反撃をするだろう。
(しっかしあのオコジョは本当になあ……)
エヴァンジェリンが賞金首だと言うのは知っていたが、それを神楽坂もいる前で話しちまうとはうかつすぎる。
いや、神楽坂だけではない、ネギにだってもう少し考えて伝えるべきだっただろう。
胆力を求めすぎだ。
「じゃあ先生はどうしたいんだ? 神楽坂を巻き込んだのを悪いと思ったところで、いまさら全部忘れてくださいってのはひどすぎないか?」
「はい。でもエヴァンジェリンさんの件は魔法の件とは別で、完全にボクの事情です。だからエヴァンジェリンさんとの件だけはアスナさんを巻き込まない方がいいかと思ったんです」
「あいつは反対するだろうけどなあ」
「? なんでですか」
「あのなあ……」
当たり前のように聞き返すネギのほっぺたをつねり上げる。
こういうところがネギのゆがんだところなのだ。
自己陶酔とは別の形の自己を特別とみなす思考形態。
自分の状況が特殊すぎて、相手を自分の立場に置き換えたり、自分が相手の立場に立った場合を考えられない。
人間としての大きな欠点。天才少年の弱点だ。
わたしはため息を一つ吐いた。
「先生。わたしの命が狙われたっていったら信じるか?」
「えっ?」
適当な軽口。
真に受けたのか、先生はずいぶんと驚いたような声を上げると、そんなものがいるのかとわたしに詰め寄った。
「たとえばだよ。たとえば。わたしの体を素材の一つにして魔道を探求する化け物が、わたしを狙っているっていったら信じるかい? 吸血鬼が自分の餌を取る感覚で人を殺すように、魔法の材料集めに人を殺し、人をいたぶることでそいつの精神を操ろうとする存在がわたしを殺そうとしたといったら信じるかい?」
「そ、それはたとえば。なんですよね」
「まあね」
ごくりとネギがツバをのむ。
嘘ではない。それはわたしの身に直接起こったことではない。
思い出すのはあの光景。間桐桜が味わった地獄の記憶。
「そいつにわたしが狙われてさ、ネギ先生がわたしを一旦助けてくれたとして、でもその相手が強大で、そのあとに、先生に向かって関係ないから見捨ててくれて結構です、とかわたしがいったらさ。先生はどうするんだ?」
「えっ?」
ずるい質問だ。こんな風に聞かれて首を横に振るやつがいるはずない。
「まあこんなことを自分で言ってりゃ世話ないけどさ、先生はわたしを見捨てたりはしないだろ?」
「は、はい。もちろん、千雨さんを見捨てるなんて絶対にできません!」
ネギが思ったとおりの言葉を吐いた。
「だったら、そのときのわたしとお前の関係を、そっくりいまのお前と神楽坂に置き換えりゃいい」
はあ、と先生がうなずく。
「関係有る無しじゃなく、先生が狙われていることが神楽坂にばれた時点で、もう関係ないなんてのは戯言だ。相手が離れたがってて言い出せないとかならまだしも、神楽坂はそういうのははっきり言うぜ。お前のせいだとか、巻き込むなとか。あいつならその上できっと協力してくれるだろうけど、そういう悪態すらついてないなら、神楽坂は先生の事情に巻き込まれたことを絶対に後悔してないよ」
神楽坂明日菜は掛け値なしの善人だ。そして誇り高く高潔である。口調は悪いが、行動に悪意はない。見習いたいくらいだ。
ネギは納得できているのかいないのか、わたしの言葉に口を挟まない。
「だからさ、わたしを助けてくれるだろう先生と、神楽坂がいまこうして先生を助けようとしているのはきっとおんなじことなんだよ。そういうところをもうちょっと考えな」
おでこをピンとはじいた。ネギはぽかんとした顔のままだ。
長い台詞をまくしたてたので、お茶を飲んでのどを潤す。
「あの……でも……アスナさんはタカミチの事が好きだったはずですけど」
なにいってんだ、こいつ?
「あっ? よくわからんが、まあわたしがいいたいのはだな。あいつもお前を心配してるってことだ。借りはあとで返せばいい。神楽坂に頼るかはべつにして、話だけはしておきな。ここまで巻き込んで相談も出来ないようじゃあ、男が廃るぜ」
よく分かっていないらしいネギにすこし笑う。
わたしの言葉にネギは思案顔のままこくりとうなずいた。
◆
「そういえば、千雨さんはエヴァンジェリンさんと仲がいいんですか?」
そのまま二人そろって黙っていると、ネギがふと思い出したように口を開いた。
「相坂のとき言わなかったか? あいつの体を作るときに協力したってだけだよ」
「でも、さよさんは千雨さんはエヴァンジェリンさんと戦ったことがあるはずだって言ってましたけど」
むっ、とうなる。絡繰を一緒に尾行したことといい、意外と交流を深めているようだ。相坂から話だけは聞いているらしい。
しかし相坂も勘違いしたまま伝えたようだが、わたしのあれは戦いではない。ただのバカが一人で暴走しただけだ。
なんとなく想像がついた。もしかしたら、ネギがここまでおびえているのは、相坂からエヴァンジェリンとわたしのことを聞いたからだろうか?
たしかに、あの時わたしは死に掛けた。
エヴァンジェリンに殺されかけたとも取れるし、エヴァンジェリン自身も相坂の前でそのようなことを口にした。
あの出来事があったからこそ相坂との縁ができたし、恐怖こそ残っているものの、あの行為自体に後悔はない。
しかし、その辺を知らずにわたしが一度死んだという内容だけを聞けば、そりゃあネギだって不安にもなるだろう。
そう思いながらわたしは口を開いた。
「相坂からどこまで聞いたか知らないけど、わたしが死に掛けたってのは自業自得だぞ。エヴァンジェリンから本気で殺しにかかるようなことはないよ。だからいってるだろ。先生もそう心配しなくたっていいと思うって」
「――――なんですか。それ」
「えっ?」
予想外に硬質な声が返ってきた。
驚いてネギを見る。
先ほどまで、半泣きで話を聞いていたはずのネギがわたしを見つめていた。ミスった。こいつは知らなかったのか。
真情の変化というより、弱さを強さが上回るそんな切り替え。
以前聞いたことがある鉄の声。以前に見たことがある雷光を伴う瞳の光。
忘れていた。いつものへたれた姿にだまされているが、こいつは引かないところは引かないやつだ。
「あの、死に掛けたというのは?」
「あ、ああ。なんだ、いや、前にほら。桜通りの吸血鬼って言ってな。あいつ、人から魔力をちょろまかしてたらしいんだよ。別に怪我人も出てないから見逃されてたみたいだし、最後の犠牲者がわたしでな。ルビーって言う……わたしの師匠みたいなやつと協力して、いまはもうそういうのはやらないで済むようになったらしいけど。別にたいしたことじゃ……」
「教えてください」
「い、いや、ほんとにたいしたことないって。もう丸く収まってるんだ。あれは不意打ちだったから騒ぎになりそうだったから、あいつだってたぶん反省くらいはしてるだろうしさ」
「……」
誤魔化そうとしてみたが、無言でネギが続きを促す。
素直な顔はいつものネギだが、押しが強い。
引く気はないのだろう。
ぐっ、と詰まった。
なんかいやな雰囲気だ。こういうところは経験ではなく人格の差が出る。
天才で英雄の息子という重しにも耐えているこいつは、そういう意味じゃわたしなんかよりはるかに上だ。
それになにより、わたしはこういう雰囲気には弱いのだ。
プレッシャーに負けて口を開く。
「ああ、なんつーかな。吸血鬼に襲われて。なんだ、一応わたしも魔術師だし歯向かってみてさ、その挙句…………自滅しちまったんだよ」
思い出したくもない。平静を装った。
過去の情景を思い出しながら、無意識のうちに首筋をなでている自分の手に気づく。
何度も何度も確かめた。傷は残っていないはずだ。
それなのに、ネギからはそこに血を噴出したあの日の傷が見えるかのように硬質な視線を向けられた。
「そ、そういや、先生。あいつが行動を起こすのは停電日らしいぜ。交渉するにしてもその日までに決心する必要があるかもな。あと、本気で戦おうってのは考えないほうがいいと思うぞ。あいつ強いらしいし。それに、なんだ。先生もいやだろ。あいつと戦うのはさ。うん、それに――――」
耐え切れず、言い訳のような言葉をまくし立てた。
ネギは思案顔のままだ。エヴァンジェリンとの交渉について考えているのだろうか。
いったい全体なんなんだ、この雰囲気は。
その後、耐え切れなくなったわたしがネギに無理やり神楽坂に連絡を取らせ、部屋まで帰らせた。
ネギはわたしに一礼をして去っていく。意外と素直に帰っていくネギに少し驚き、それを見送りながら息を吐く。
手で額をぬぐえば、なにやらぐっしょりと冷や汗をかいていた。
神楽坂は女子中学生で、ネギはまだ小学生の年齢だ。
友達が一緒に下校してくれなかったと一晩を不眠で明かし、一言相手の言葉を聞き逃して無視したことを放課後まで気に病んで、周りが邪険にするからと遊び感覚のまま嘘つき少女を皆でいじめる、そういう年代のはずだろう。
わたしだってまっとうに成長しているとはいいがたいが、ネギはいくらなんでもおかしすぎる。人に頼らない固定観念と、責任を重く見すぎる偏執的なマギステル・マギへの強迫観念。
わたしがネギに決定的に溝を感じる理由はそこらへんに原因がある。
うちのクラスメイトたちは、あいつがガキであると子ども扱いをしてかわいがっているが、それはまったく逆なのだ。
正直なところわたしにしてみれば、ネギは子供っぽいどころか、大人びすぎている。
あいつとのきっかけとなった騒動をはじめとして、あいつは魔法使いであり、教師は副業。二足のわらじを履いている。
生前のルビー然り、日常に隠れ潜む魔法使いに求められるのは魔法使い外での優秀さだ。
英語のワークに、数学のプリント、漢字の書き取り。そんな宿題をわたしが溜め込んでいるように、やつだって普通の人間が必要とする仕事をこなした上で、魔法使いとして動いている。
うちのクラスメートを知っている身としては軽く受け止めちまいそうだが、これは実際ちょいとばかり異常すぎるほどの優秀さだ。
ルビーや桜さんの記憶は例外として、わたしはこの世界における他の一般的な魔法使いの子供を知らないが、あれがアベレージだとしたらわたしは生まれ変わったとしても絶対に魔法の国に生まれたいとは思わない。
あれで誰かに依存する姿を見せてくれれば可愛げもあるが、神楽坂などに頼る姿はあっても、本当にお互いを尊重し合うような仲のものがいない。反発を抱ける相手がいない。本来は親がなるべき人格のよりどころ。友人でも恋人でも、あいつにはすべてをゆだねられる存在がいないのだ。
前にあいつに話を聞いたが、姉や先生、幼馴染はどうも違う。ネギは姉や幼馴染は結局のところネギが守るべきものだと考えている節があるし、先生とはつきつめれば教育係。悪い言い方だが、どれほどネギの言う校長先生とやらが善人でも、ネギがその人物にすべてを預けられるほどの信頼を置くことはないだろう。
本来は親がなるべき当たり前の役どころ。偶像化されたナギという概念。理想の具現。目標の可視化、強制されるハードル。
しかし、それを行うべきはずのあいつの親は、名声とわずかな手がかりだけを残してネギの前から消えている。
あいつが歪になるのもわかる。
「だけどさ……わたしがそれを矯正するってのもね」
一人つぶやく。
わたしにはネギに固執する義理がない。
わたしがネギにこだわる必要はない。
だから、わたしがネギを助ける理由。
――――――――そう、そんなものだってないはずなのだ。
―――――――――――――――――――――――――――
ネギくんが決心して、千雨さんがぐだぐだ現実逃避しつづける話。そりゃ義理くらいじゃ関わらないよ、怖いもん。逆にネギくんは自分のことはへたれるけど、人のことなら頑張れます。
次回くらいでエヴァ編決着の予定。
あと忍者の人ごめんなさい。楓姉さんとはあわずにおわりました。変化がないようでいろいろ変わったつもりですが、ここら辺から本格的に変わっていきます。あと前回伏線っぽくネギ先生に渡していたのは合鍵でした。もう少し引っ張るつもりでしたが、あんまり意味がなかったです。意味もなく伏線立てるくせはどうにかするべきかも。
ただ、のどかのラブレターイベントに関しては原作と同じような対応をしたと思ってます。さすがに魔法のひとつも使ってなければあれを夢だと思わないでしょう。
次回も一週間後に更新できたらいいですね。