ルビーを毎日呼び出すにはわたしの実力は足りないらしい。
数日分の宿題を出すと、ルビーはいつものように休眠状態に入った。
わたしの体から少しずつ漏れる魔力をためるため、わたしの体の中で寝ているらしい。
水道からぽちゃぽちゃとたれる水をコップに貯めるかのごとく地道な解決法だ。
彼女にいつも助けてもらえるわけではない、自分のトラブルは自分で回避し、自分の望みは自分でかなえることになる。そんな当たり前の話である。
だが、とわたし長谷川千雨は独白する。
まだあのネギ先生が来てから二日なのだ。
ルビーでさえ大騒動が起こるまでにはある程度の月日があった。
この先生はトラブルメーカーとしてぶち抜けすぎている、とわたしはそんなことを考えて、そんなことを考えながら、
――――わたしは、自分の部屋に呼びつけたネギ先生の前でため息を吐くのだった。
というわけで今回はこんな状況に陥る原因となった、子供先生赴任二日目の出来事を語ろうと思う。
第7話 ネギ先生赴任二日目の話
その日の日直は宮崎だった。先生に記憶を消されたのだろう。自分が石階段から落下して、死のふちギリギリにあった出来事については忘れているようだ。さすがに覚えていれば、こうも平静を装うことはできないはずだ。まさかたまたま記憶が飛んだということもあるまい。
ぼうっとして1限目の始まりを待ちながら考える。
ネギ先生が扉を開け、上から落ちてきた黒板消しを、先生の後ろについていた委員長が受け止めた。
鳴滝が舌打ちをし、先生が入ってきたのを見た宮崎が起立を促す。
「おはよーございます!」
教室に生徒の声が響く。
先生が挨拶を返して、授業が始まった。
「じゃあ、一時間目をはじめます。テキストの76ページを開いてください」
ふむ、今日はまともな授業を期待しようと、教科書を開く。
英語の授業が始まる。
英文の朗読もなかなかに堂にいったものだ。
いや、もともとが英国人。日本語の扱いをほめるべきか。
魔法の力なのか、実力なのかは知らないが、さすがにただの十歳児というわけではないようだ。
「――――今のところ、誰かに訳してもらおうかなあ。えーと」
などと考えていたら、いつの間にか先生の朗読が終わっていた。
今のところもなにも何一つ聞いていなかった。周りの皆が目をそらすの見ながら、わたしも目を合わせないように教科書に視線を落とす。
「じゃあ、アスナさん」
「なっ……何でわたしに当てるのよっ!?」
生贄は神楽坂に落ち着いたようだ。委員長にでも振ってやれば万事うまく解決したであろうに、先生もまだまだ甘い。
神楽坂は案の定叫び声をあげた。
まあ、わたしもいまのはきっと知り合いだから当てたのだろうなあ、と感じていたので理不尽さに怒るも分からないでもない。
「えっ……だって」
「フツーは日付とか出席番号で当てるでしょ!」
「でもアスナさんア行じゃないですか……」
「アスナは名前じゃん!」
もっともな突っ込みだ。
「あと感謝の意味もこめて……」
「なんの感謝よっ!?」
「要するに、わからないんですわね。アスナさん」
「なっ!?」
委員長が口を挟み、顔を赤くした神楽坂が叫んだ。
漫才やってんのかこいつらは。
「では委員長のわたくしが代わりに……」
それに反発したのか、神楽坂は自力でやる気になったようだ。むっ、っとした顔をして教科書を開いた。
委員長に任せたほうが授業的にはいいのだろうが、まあそれは神楽坂のプライド的にも無理だろう。
神楽坂がたどたどしい訳をつむぐ。
わたしもあまり出来るほうではないので、べつだんバカにもできないが、ネギ先生が神楽坂を英語が駄目だと評したのをきっかけに、また騒ぎが広がっていく。
うーんこういうのを収めるのはさすがに高畑先生が得意だったのだが、その辺はまだ子供先生には荷が重いようだ。教師としては失格だぞ、いまのは。
「アスナは英語だけじゃなくて数学もダメですけど」
「国語も……」
「理科も社会もネ」
「要するにバカなんですわ」
柿崎が先生の発言を受けて口火を切り、綾瀬が煽って、超が続いて、委員長が閉めた。
そのテンポのいい会話を聞いて、クラスメイトが笑い声を上げている。
相手が神楽坂じゃなく、ここが2-Aじゃなかったら完全に虐めだ
あと一応突っ込んどくが、バカレンジャーは笑うな。
「いいのは保健体育ぐらいで」
オホホ、なんていうエセくさい笑い声とともに委員長がさらに煽った。
顔を赤くした神楽坂は昨日と同じように委員長に食って掛かるかと思ったが、自分の出来を知っているのか先生に詰め寄った。
先生の対応もすばらしいものだったとはいえなかったからな。
まあ、魔法先生などといっても普通の学校で授業をすればこんなものか。
などと考えていたわたしは甘かった。
あまりに、非常にとんでもなく。砂糖よりも餡子よりも蜂蜜よりも干し柿よりもはるかに甘くことをみた。
初日に神楽坂に魔法ばらし、二日目にしてこうしてわたしから呆れられている魔法使いの先生を甘く見た。
だってさあ。
「――――ハッ、ハッ……ハクション!!」
さすがに、突風とともにいきなり神楽坂の制服をぶっ飛ばすなんて展開を思いつくはずないだろう?
◆
そんなこんなで授業はまたもやほぼ潰れ、そのまま同じようなのりで残りの授業も進められていった。
正直なところ、万年ビケのうちのクラスの状況が、さらに悪化したようにしか見えない。
こんな冒険はもっと成績のいいクラスに持っていくべきじゃないのか?
ウチのクラスにばっかりイベントが起こりすぎな気がする。
お昼になり先生が出て行くと、いつもどおり騒がしくなった。
いつの間にか新しい制服を調達したらしい神楽坂は不機嫌そうな顔で頬杖をついたまま動かない。
目を瞑ったまま、ときたまぴくぴくと頬を痙攣させているところを見ると、おそらく想像の中でネギ先生をギタギタにでもしているのだろう。
そんな姿を横目で見ながら、購買で買ったパンを食べる。
「アスナさん、アスナさーん」
「また来たわね、ネギ坊主……」
そんなおり、突然くだんのネギ先生が教室に飛び込んできた。
ネギ先生はそのまま神楽坂に近づくと手に持っていたものをみせた。
こっそりと横目で伺えば、コルク栓のはめられた試験管だった。
中で怪しげな液体がゆれている。
二言三言言葉を交わし、神楽坂は教室を出て行く。
完全にネギ先生を拒絶しての行動だったが、空気が読めないのか先生はそのまま神楽坂の名前を連呼しながら追いすがる。
そのまま神楽坂は教室から出ようとしたが、先生の押しに負けたのか、教室の入り口をすこしすぎたところで立ち止まった。
「本当なんです! 騙されたと思ってちょっとだけでも」
「じゃああんたが飲みなさいよっ!」
いきなり神楽坂が振り向くと先生に試験管の中身を飲み干させた。
なかなか過激なやつだ。
それで気が済んだのか、神楽坂が教室の中に戻ってきた。
先生も追いかけながらやはりなにごとかを神楽坂と話している。
不機嫌そうな神楽坂には悪いが、仲がよさそうに見えた。
と、ちくりとポケットにしまったルビーの宝石が熱くなったような気がした。
気のせいかと思ったが、ルビーがらみで気のせいだと思って放置しておくとたいていのことが厄介ごとに繋がる。
ネックレスを教室で取り出して他の生徒に絡まれるのも困る。ポケットに手を突っ込んでみれば、やはりネックレスはかなりの熱を発していた。
さて、ちなみにルビーは最近は起きている時間より寝ている時間のほうが圧倒的に多い上、わたしが死にかけでもしない限り勝手に出てくることはない。
わたしが無理やり呼び出せば出てくるのだが、そこまでするべきだろうかという疑問でわたしは熱くなった宝石を持て余した。
死にかけでもしない限りでてこなくなった女を、宝石がすこし熱くなったからといって呼び出すべきなのだろうか?
だが問題が起こってからではまずいが、この部屋にはそのルビーと渡り合ったエヴァンジェリンがいるのだ。あいつが騒がないというのならあいつこそが防波堤になりそうなものだ。
そんなことを考えていると、わたしの楽観をあざ笑うかのようにさっそく問題が起こり始めた。
「ネギ君ってよく見ると……なんかすごいかわえーなー」
近衛がネギ先生を誘惑していた。
なんだこれ。
続いて柿崎を皮切りにクラスメイトが先生を誘惑していく。
プルプルと震えながら、嵐を横目にやり過ごす。
なんだなんだなんなんだ?
わたしは柿崎たちに服を剥かれようとしている先生を見ながら息をはいた。
体が震える、心が震える。
押さえられない激情を、震える体を押し隠す。
「…………」
おいおい、先生。それはちょっとやりすぎだろう。
誰にも聞こえないようにつぶやいた。
ストレスで胃に穴が開きそうだ。
バキリと、わたしの持っていたシャープペンシルが手の中で砕け、その破片がわたしの手のひらを切り裂いた。
◆
それからまた日が代わり、先生が赴任してはや五日。
わたしはいつものように屋上に上がって、数少ない友人と昼休みの雑談に興じていた。
「……なんか千雨さん昨日から不機嫌ですね」
「わかるか、相坂?」
相坂さよとしゃべっているところを見られるのはさすがに厄介なので、屋上の端に隠れてながら弁当を食べる。
誰かに見られたら誤解されること必至なので、声のトーンは落とすべきなのだが、感情の抑制が聞かなくなっている今日この頃。
不機嫌な返事は思いのほか怒気で荒くなった。
「わからないはずがないというか……」
そういって弁当箱の横を指差した。折れた箸が転がっている。先ほど衝動的にぶち折ってしまったものだ。
最近どうもストレスがたまっている。
「なんつーか、先生がな……。わたしの思い違いかもしれんから黙っているが、いろいろと思うところがあってさ」
「ああ、すごいですね。先日は神楽坂さんと一緒にお風呂に入っていたとか」
「……水着が爆発したらしいな。末恐ろしいよ。退治したほうが世のためなんじゃねえのか、あのガキ」
相坂は基本的に寮までは出向けない。学内限定の自縛霊だ。
だがその隠密性と時間を持て余しているという境遇から噂話の収集には事欠かない。そして女子中学生なんていうものは基本的にいつでもお喋りをしているものだ。
「ルビーも最近寝てばっかりだしな。先生のこともあるし、ちょっと相談したい」
「そうですね。わたしもルビーさんに最近はお会いしていません」
基本的に寮でしか現れないルビーと、原則的に学校にしか現れない相坂だが、ルビーとはわたしの依頼で相坂の実体化について相談に乗ってもらっているため交流自体はそこそこある。
ルビーなら相坂を外にも連れ出せるのだが、そのルビー自体が最近は出てこないのだ。
ずいぶんと学校外にいくのを楽しみにしている相坂のためにも、次にルビーが出てきたときはそのことを相談しようとも考えているのだが、毎晩から隔日となり、いまでは週一程度まで出現間隔の落ちたルビーにはわたしも会い難いのだ。
「あいつだんだん調子悪くなってるな。やっぱりわたしの怪我を治したのが原因だと思う……お前の前でいやな言い方だが、いきなり出て来なくなってもおかしくないような感覚があるよ」
「あ、そうですか……」
「そう沈んだ顔するなって。そうはいってもあの女が早々くたばるとは思えないし、いなくなるならなるで一言あるさ。それにそろそろ出てくるとおもうよ。今度出てきたら相坂にも教えるからさ、またどっか遊びに行こうぜ」
「えへへ。ありがとうございます、千雨さん」
こいつとの会話は本当に癒される。ささくれ立った心が癒すためとわたしはそのまま休み時間の終わりまで雑談を続けた。
チャイムが鳴り響き、さて、と弁当をしまい教室に戻ろうかと立ち上がった。
たしか次の授業はこの屋上でバレーのはずだ。
帰り際。屋上に向かっていく高等部の連中とすれ違ったのが気になったが、わたしはそれについて得に考える余裕もなかった。
◆
「で、なんだ。この状況は?」
授業で屋上に行くと、そこには高等部の連中が陣取っていた。
ダブルブッキングらしいが、神楽坂が荒々しく言いあいをはじめたところを見ると何かしらの因縁があるのだろう。
「ネギ先生がいらっしゃいますね」
横を浮かぶ相坂がそういった。
周りにクラスメイトがいるので返事は出来なかった。その代わり軽く視線を向けてあごを引く。
出来るだけ無視はしたくなかったからだ。
その感情を読み取ったのか相坂が笑い返してきた。
先生はじたばたと高等部の女学生の腕の中で暴れながら、自分が体育教師の代わりに来たことを告げていた。
ごちゃごちゃと言い争いが始まり、わたしはこっそりとその場を離れた。
屋上のすみで息を吐き、遠目で傍観の姿勢を取った。
右横に相坂が浮いている。そして左にはいつの間にかエヴァンジェリンが薄笑いを浮かべながら座っていた。
皆が最低限体操服かジャージを着ているというのに、こいつだけは堂々と制服姿である。
嫌そうに顔をゆがめると、エヴァンジェリンのほうから話しかけてきた。
「ずいぶんとそいつと仲がよくなったようだな、相坂さよ」
「は、はいっ!?」
軽いけん制の台詞に、相坂が律儀に驚いた。
「ああ、おかげさまでな」
「なに、そんなに感謝せんでもいいぞ」
わたしの言葉にエヴァンジェリンがえらそうに言った。
「はっ、はい。ありがとうございます」
「いや、待て相坂。おかしいだろそれは」
殺されかけたわたしは感謝の念などビタイチ抱いていないのだが、相坂はわたしとこうしてしゃべっている現状をそれはそれは大切にしているらしく、それつながりでエヴァンジェリンにも恩を感じているらしい。
「魔法の修行は順調なようだな」
「んっ? あ、ああまあ一応な」
わたしが苦虫を噛み潰したような顔をしていたためだろう。
エヴァンジェリンが話題をかえてきた。
「それは結構なことだ。まあせいぜい学んでおけ。魔法と異なりやつのいう魔術は世代で積み重ねるものだ。お前が学ばねばやつの力が無駄になる」
「へえ、お前らしくないな」
「ふん、忠告だよ。やつにはある程度借りもある」
エヴァンジェリンがいった。荒い口調とは裏腹に怒りの感情がこもっているようには見えない。
以前は殺しあうだのといっていたくせに、いつの間にかずいぶんと仲がよくなっているようだ。
「それで、あいつは次はいつ起きる?」
「んー、たぶんそろそろ出てくるとおもうぞ。早けりゃ今日かな。あいつがわたしに出した魔法の課題がもう残ってないし」
「そうか。ならいい」
軽く頷くと、それで満足したのかエヴァンジェリンは手をひらひらと上げながら去っていった。
「あれが聞きたかったのか、あいつ」
「エヴァンジェリンさん、ルビーさんとよく話していますもんね」
「この間出てきたときもずっと話してたしな。性悪同士ウマが合うんだろう」
返事はせずに相坂が笑った。
さて、エヴァンジェリンとそんな会話をしているといつのまにか今日の授業は高等部とのドッチボールということに落ち着いたようだった。
「ほらっ、長谷川もきなさいよ!」
「わたしはちょっと体調が悪いから休むよ。バレーならまだしもドッチボールじゃ人数いてもあんまり意味ないだろ。わたしは運動神経も悪いし」
「あんたねえ……」
適当に言い訳するとグチグチといいながらも神楽坂も納得してくれ、そのままサボりは認められた。
わたし以外にもサボりがいやに多かったからに違いない。
エヴァンジェリンと絡繰、ピエロとチア組。
チアはまだいいとして、竜宮に桜咲、長瀬といった麻帆良四天王までもがだらけた姿で見学組だ。あいつらを一人入れたほうがわたしを100人いれるよりよほどいいだろう。
だが神楽坂も彼女たちを説得できる自信はないのか無視したようだ。古菲だけで充分だと思っているのだろうか? 神楽坂らしくない気もするがどうでもいい。
きゃーきゅー言いながらドッチボールを楽しむクラスメイトを見ながら、ぼんやりとそれを見ていた。
ドッチボール部だろうが、トライアングルアタックだろうが、大人気なかろうがどうでもいい。常識的な平和な光景だ。
ついでにウチのクラスが負けて先生が貰われたほうが嬉しいのだが、さすがにそれは向こうが神楽坂を煽っただけだろう。ウチのクラスメイトも学校側もそんなことを許すはずがない。
そんなことを考えながら、わたしはぼうっとそれを見て――――
そんな惰性は先生の放った一撃が高等部生の服を粉みじんにするまでのつかの間のものだった。
同じようにサボっていたエヴァンジェリンからせしめたお茶の缶が、わたしの手の中でぐしゃりと潰れた。
そんなわたしの姿を横目で見ておかしそうに笑うエヴァンジェリンにも、横でおろおろと心配そうな声をかけてくる相坂にも反応せず、わたしはお茶を拭くと保健室に行くことにした。
午後はサボろう。わたしはそろそろ限界のようだから。
◆
数時間後。わたしは疲れた体で寮のベッドに座っていた。
だが眠るわけにもいかない。予想通り、ルビーはその夜に姿を現していたためだ。
わたしの寮室で、いつものようにぷかぷかと宙に浮いている。
課題だといわれた魔法の品々、わたしが直したガラス盤や、固くなったおんぼろランプ、それに火のついた後のあるロウソクなどを定めるルビーと、わたしは雑談を交わしていた。
「じゃあ、やっぱりあれは先生のほれ薬だったのか……」
「でしょうねえ。千雨に持たせてる宝石からレジストがかかったって言ってたし」
「でも、わたしは絶対呑まされてはいないぞ。というか先生が飲んでた。そのあと周りのやつらがおかしくなってたけど」
「へー、へんな魔術ねえ。ネギ先生か。ちょっと聞いた名ね。わたしのほうでも調べてみるけど、まあ大方服用者の魅力を上げるような作用でもあったんじゃない? ああでも千雨が反応したってことは周りの人間の精神を書き換えているのかもね。アスナちゃんに飲ませようとして逆に自分で飲むなんてお間抜けだけど」
皮肉気にルビーが笑う。
だがわたしはその笑いに反応できなかった。それを聞いた瞬間から吹き出ている感情を抑制するので精一杯だったからだ。
「……んなことできるのか?」
「んなことって?」
「精神を書き換えるとかだよ、魔法ってのはそういうこともできるのか?」
「そういうこともなにも魔術はそっちが専門よ。あなたにだって記憶を書き換える魔術を教えたでしょう」
「教わったけど、記憶と感情は別物だろ」
「記憶をいじれば印象も代わる、印象が変われば心のもち方もまた変わる。好きとか嫌いとかの感情と、昨日の夕ご飯になにを食べたかの記憶は、あなたが思っているほど異なったものじゃあないわ。精神というのはそんなに強固なものじゃあないのよ」
「記憶を……そうか。まあそういわれればそうだよな…………くそっ、なんかわたしの感覚も麻痺してるよ」
「初めて会ったのがエヴァンジェリンだから勘違いしてるみたいだけど、魔法はともかく、あなたに教えている魔術は精神や現象に依存する学問なのよ。火を出したり人を操ったりね。モノを生み出したり空を飛んだりするほうが例外よ」
「だからって先生がやったことはおかしいだろ。今日といい昨日といい、うかつすぎる」
「そうかもしれないけど、じゃあ千雨はどうしたいの?」
「っ……」
誰に向けたものでもない苛立ちで言葉が詰まった。
そんな魔術を行使する先生にも、それと気づかず漠然とルビーからそんな魔術を習うことを許容していた自分にもだ。
「気に食わないというのはいいでしょう。わからなくもないわ。でも知らないよりは知っていたほうがいい。嫌いだからと学ばないのは愚か者のすることよ」
わたしの逡巡を嗅ぎ取ったのか、ルビーが肩をすくめた。
「……ちっ、ふざけてるな、ほんと。今回ほどそう思ったことはないよ。人を好きになるとかならないとか、そんなのまでオモチャにされちゃあたまんないぜ」
ルビーの宝石がなかったらわたしはあいつの前にかしずいて愛を語ってたとでもいうのだろうか?
鳥肌が立つほどの嫌悪感だった。べつだん先生に悪意は持っていなかったし、あれがわざとだとも思っていないが、それでも嫌なものは嫌だった。
わたしはあまりの言葉に吐き気すら覚えていた。魔法使いから優越感を持って見下されているだけならまだしも、そこまでオモチャにされていいのか?
魔法使い以外の人間の立場がなさすぎる。
「でも社会だってなんだって、相手の思考操作くらいはするわ。かっこいい服を着てメイクをするのと代わらないでしょ。相手に飲ませなかったのだって、そのネギくんに分別があったんじゃないの?」
「……言い分はわかる。たぶんそうなんだろうな」
「魔術においてレベルの違いは意味がない。すべては“ある”か“ない”で語られるものよ」
「ああ、そう習ったけどさ」
平然としているルビーを見るに、これはおかしくない行為なのか? そんなはずない。
「まあそれが魔法使いだものね。子供のときから魔法使いだと自分の力に自覚を持てず、大人になって魔法を学べば自分の力を過信する。まあ、圧倒的に“その他”を凌駕できる力だからねえ。それは分別をもった大人が教育すべきことなのだろうけど。あの先生も修行中らしいしね」
「修行中?」
「魔法学園の卒業試験らしいわよ。エヴァンジェリンから聞いたんだけど、この学校で先生を務める課題がでてるんだろう、だって」
感情のメータが振り切れて反応も出来ない。
オモチャの次は実習用の小道具ってか? 思わず悪態が漏れそうになってそれを止めた。
さっきから先生に対する好感度がマイナス行進しっぱなしだ。
じゃあ、あの先生が未熟なのは必然だってか? んなの許せるはずがない。
だがルビーはそれを見破ったのか、わたしに言った。
「間違っていると思うならあなたが正せばいいでしょう。怒りなさい、殴りなさい。そして抱きしめて頭をなでてあげなさい。相手は子供なのでしょう。教育とはそういうもの、薫陶をさずけるとはそういうことよ」
はっ、だがな。教師はあのガキで、わたしは習う側なんだぜ魔法使いのカレイドルビー。
ため息を一つついて心を落ち着けてみれば、なぜか笑いが漏れてきた。
まあそうもいってられないか。
吹っ切れすぎて、どうにもおかしくなっちまったらしい。
そんなわたしの姿を見て、ルビーが声をかけてきた。
「なーんか千雨、めちゃめちゃ怒ってない?」
「ちょっとな」
「へ、へえぇ……」
嘘だ。怒っているという言葉が嘘なのではない、ちょっとという言葉が嘘なのだ。
ルビーもそれが分かっているのだろう。追求はしてこなかった。
わたしのはらわたは煮えくり返っていた。
もう“たとえ一晩だろうと”我慢が出来ないほどに怒っていた。
試験中だというネギ先生は誰からも助言を受けないことになでもなっているのか? 待てば誰かが仕事ができない新人にベテランが言うように、したり顔でアドバイスのひとつでもするのだろうか?
そんなのちょっと許せない。
「お前はこのあと予定あるのか?」
「えっ、えーっと……エヴァンジェリンのところに行こうと思ってるけど」
ベッドから起き上がってルビーに聞く。
なぜかおびえた様にルビーが言った。
ご機嫌伺いしているわけじゃねえんだからいちいちわたしの顔色を見ながらしゃべらなくてもいいだろうに。
「まあそりゃそうだろうけど」
「うん、あといつもの続きがあるから、あなたにも同行してほしいんだけど……」
「そっちのほうはキャンセルだ」
断る。わたしはそれより優先すべき行為がある。
むしろルビーにはわたしに同席してもらったほうがいいかもしれないのだが、まあいいとつぶやいた。
ルビーがこうして現界しているだけで御の字と見るべきだろう。
「じゃああと教室よって相坂にも会いにいってやってくれ」
表向きだけは冷静さを装ってそういった。
「わかったわ。さよちゃんのところに寄ればいいのね」
「ああ、あいつは奇特にもお前にあこがれてるみたいだし」
「そりゃ光栄ね。わたしから見ればあなたにこそあこがれているようだけど。……まったく。そろそろエヴァンジェリンのとこで、人形が出来るはずなのにね」
「へえ、そりゃいいニュースだ」
「まあ千雨の頼みだしね。じゃあ行ってくるけど……ちなみに、千雨はなんの予定があるの? さよちゃんもあなたが来ると喜ぶんじゃない?」
ルビーが言った。断られることを予想している物言いだ。
当然わたしはそれには頷けない。
なぜなら、わたしは
「いや、遠慮しておくよ。わたしはちょっとばかりやることがあるからさ」
やる必要ないことを、ワザワザやろうと思っているからだ。