驚きの出来事だって、何度も起きれば慣れるものだ。
なし崩し的にとはいえ、ルビーに魔法を習い始め、幽霊の相坂のためにとエヴァンジェリン邸に週一で通っているこの身である。まだ一ヶ月と経っていないが、それでもいろいろと常識が麻痺してきた長谷川千雨は、少々のことでは驚かないようになっていた。
そう。たとえ、
「今日からこの学校でまほ……英語を教えることになりましたネギ・スプリングフィールドです。三学期の間だけですけどよろしくお願いします」
明らかに年下の少年が、中学校の教師として挨拶していたとしても、である。
第6話 ネギ先生が赴任してきた日の話
わあーと叫ぶクラスメイトを尻目にわたしは頭を抱えた。
ありえないだろ、労働基準法に真っ向から喧嘩売ってるじゃねえか。
しかもなんだ“まほ”ってのは。どういう言い間違いだよ。魔法とでもいいたかったのかこのやろう。というかその言い間違いもどうなんだ? 今まで魔法を教えていたんでもない限りそんないい間違いはしないだろ。なめてんのか。
「……マジなんですか?」
「ええ、マジなんですよ」
そんな子供先生を送ってきたしずな先生に問いかければ、そんな答えが返ってくる。
しかもなぜに当日に本人から告知されなきゃいけないんだ。連絡入れろよ、委員長。
エイプリルフールにはまだ早い。
いやはや、人生はイベントであふれている。
ああ、神さま助けてくれ。
わたしが天に祈っていると、いつものように騒ぎが広がる。
かわいいだの、すごいだの。お前らもっと聞くことがほかにあるだろう。
耳を澄ませて情報を得てみればその先生は十歳らしい。ああ童顔の線も消えちまった。まあ分かっていたけどさ。
ウェールズ育ちで日本語も得意らしいが、それだけじゃあ教師は出来まい。
しずな先生が教師の資格を持っているというけれど、そんなもの到底信じられなかった。しずな先生も魔法とやらでたぶらかされているんじゃないだろうな、と嘆息する。
そんな中、ざわめきが一瞬とじて、先生の周りに空白が出来た。
今日は誰かと視線を向ければ、神楽坂が子供先生の胸倉をつかんでいた。
あのオッドアイでにらまれるのはなかなかにびびるんだ。ネギ先生も何事かと驚いているようだった。
そんな先生にむかって神楽坂が口を開く。
「ねえ、あんた。さっき黒板消しになにかしなかった? なにかおかしくない?」
黒板消し? と首をかしげる。
ああ、と思い返せば鳴滝たちが仕掛けたいたずらに引っかかっていたのだったか。
よく見ていなかったが、何かあったのだろうか。
だが、それを神楽坂が追求する前に、われらが委員長である雪広あやかと神楽坂のいつものやり取りが始まってしまったため、それを知ることは出来なかった。
◆
そして、神楽坂と委員長のやり取りが終わった後、当たり前のように授業が始まった。
赴任は今日じゃなかったのだろうか。いきなり授業はとっぴすぎるだろうとは思うのだが、補佐役らしく授業が始まっても教室の中にいるしずな先生からも反論の声はない。教育実習生ということだし、そういうものなのだろうか。
「あの、えーと……まず128ページの」
授業を始めようとする子供先生の背中を見る。
ものすごい違和感だった。
那波や長瀬が前に出て並んだとして、中学教師とその生徒だと分かってくれる人間はいるのだろうか。
だがちらりと視線を走らせても、この教室内にはそれをたいしておかしいとおもってるやつはいないのだ。
幽霊の相坂然り、吸血鬼のエヴァンジェリン然り、やつらならべつに非日常に目を瞑っていられるのもいいだろう。しかしこの教室の半数は普通の生徒で、彼女たちは魔法とやらで不自然さを感じていないに過ぎない。
いやはや、こんな日常を幼少から過ごしてたんだ、わたしが荒んじまったのもわからんでもないだろう?
「と、届かない……」
「センセ、この踏み台を」
べたな言葉を発する先生に委員長がどこから取り出したのかも分からない踏み台を差し出す。
委員長のやつ、じつは子供先生が来るって知ってたのか? そういやオックスフォード大学を出ているだのなんだの委員長自身がいってたな。情報を得ていたということか。
しかし踏み台を用意しておくとはずいぶん周到なことだ。その気配りをクラスメートにも分けてくれ。
そんなことを考えつつ教科書を開いた。
確か128ページといっていた。
しかし授業はまだ始まらない。
ようやく黒板に手が届くようになった先生が文字を書こうとした瞬間に神楽坂の席から消しゴムの破片が飛んだからだ。
目の前の席だ。消しゴムをちぎるところから丸見えだった。だが何が気に食わないのか神楽坂は消しゴムが先生の後頭部に直撃したことに首をかしげ、今度は二撃目を用意する。隠す気もないように二撃目からはゴムひもをつかって消しゴムを飛ばしていく。
……おいバカレッド。授業が分からんからといって妨害していい理由はないんだぞ。
そんな神楽坂の蛮行を雪広が告げ口し、少々性格に難はあるものの、ウチのクラスをまとめているというだけで、疑いようもないほどに優秀な委員長である彼女に向かって筆箱が飛んでいく。
そうして雪広と神楽坂が取っ組み合いを始めて、それを呆然と眺めているうちに教室にチャイムが鳴り響く。
「あ、終わっちゃった……」
物悲しげにつぶやくが、そりゃこっちの台詞だ子供先生。
いくらなんでも悲しすぎる。
進みが遅いどころかなにもしていない。
突っ込むのもめんどくさくなったわたしが128ページを開いた教科書となにも書かれていないノートの上に突っ伏した。
隣の席の綾瀬が声をかけてくる。
「どうしたんですか、長谷川さん。なにかおかしなことでもあったのですか?」
逆に聞きたい、何かおかしくないところがあったのか?
真実を知ってから逆に流すのが大変なのさ。
ふふふふふ、胃に穴が開きそうだ。
確かお前は不思議なことが好きだったよな、綾瀬夕映。
なにもかもぶちまけてやろうか、本当に?
◆
さてその数時間後、わたしはひとりの同級生とともに屋上に上がっていた。
「黒板消しが浮かんだんです」
歓迎会の準備とやらで騒がしい教室から抜け出して、屋上で相坂に子供先生のことを愚痴ってみると、相坂からそんな言葉が返された。
「黒板消しってあの双子のいたずらのか?」
「はい、扉を開けたときに落っこちてくるやつですけど」
「それがどうかしたのか?」
正直クラスメイトに黒板消しごときのいたずらを自重してほしいともおもわない。鳴滝姉妹の悪戯などというのは日常の代表みたいなものだ。
「いえ、それがですね。落ちてきた黒板消しがネギ先生にぶつかる直前に空中で止まったんです。神楽坂さんがおっしゃっていたのもそれが原因だとおもいます」
「……おいおい、まじかよ。やっぱ魔法か、それ?」
おそらくそうだと相坂が頷いた。
ネギ・スプリングフィールドは魔法使いである。
授業中に起こった神楽坂と先生との騒動を思い出す。あれはこれが原因か。
さらに相坂が言うには神楽坂も何か魔法に関わる体質を持っているらしく、魔法そのものに対しておかしいと感じられるのだそうだ。
ルビーのメモには神楽坂の名前が載っていなかったし、立場的にはわたしと同様なのだろう。
そして以前のわたしと同様に、本人は魔法そのものの存在は知らないらしい。だからネギ先生を問い詰めた。
とすると、わたしと違って日常を楽しんでいられるのは、やつの性格ということか。
そしてほかの魔法組はネギ先生の魔法には見てみぬ振りをしたということになる。
「なるほどな。十歳児が教育実習生なんていうからおかしいとおもったよ。やっぱり魔法使いか」
話を聞き終わってわたしは唸った。
まず間違いなくネギ先生は魔法使いなのだろう。しかしウチのクラスメイトには魔法使いがそれなりの数いるはずだが、神楽坂は今まで気づいたことはなかったようだ。今回いきなりばれそうになったのは神楽坂が鋭いのではなくネギ先生が抜けているのだろう。
見た目と第一印象どおりだ。あれを気に入っているクラスメイトの気が知れない。
はあ、とため息をつくと、相坂を見る。こいつは能天気そうな顔でほえほえと微笑んでいる。気楽なもんだ。
「どうしたんですか、千雨さん」
「どうもしないけどな。相坂はなんともおもわないのか? わたしらは魔法使い用の一施設に無断で使用されてるんだぜ」
こいつはわたしのため息の意味を了解したのだろう。あはは、と笑った。
「千雨さんがいいたいこともわかりますけど、魔法使いさんだってそれは分かっていると思いますよ。授業もきちんとやってくれますよ、きっと」
「今日の授業を見る限り望み薄だとおもうけどな」
あのざまでは間違っても有能ではあるまい。
高畑先生も教師としては優秀とは言いがたかったが、あの子供先生はそれ以上だ。この学校が魔法学園ということを差し引いて考えれば、天才少年という肩書きより怪しげなコネでも使ったと考えたほうが納得がいく。
いやそもそも高畑先生も魔法組か。
何かと問題の多いが麻帆良学園だが、厄介者は全員魔法使いなのかもしれない。
「高畑先生は優秀だとおもいますけど……」
「だったらウチのクラスが万年ドベの説明がつかないな」
わたしのつぶやきに律儀に反応した相坂の言葉に肩をすくめる。指導員としての優秀と教師としての優秀は別物だ。
人格者が優秀な教師とは限らない。そもそも月一隔週と出張するような先生は担任に任命されていいものじゃない。
とまあ、そんな会話で日常を愚痴ったあと、わたしは相坂とは屋上で分かれて寮へ向かう駅までの道を歩いていた。
相坂はネギ先生の歓迎会とやらに出るらしいが、わたしは遠慮した。
相坂を見れるものがいない以上、相坂はわたしに出席してほしかったらしいが、どの道人前でしゃべるわけにも行くまい。
行く気がないものに、義理で行くほどわたしは人がよくない。
ちなみにわたしは帰宅部である。放課後に遊ぶような友達もいないし、道草をする趣味もない。だから基本的にうちのクラスの連中とは下校のタイミングがずれている。それでなくとも今日はわたしを除くほかの連中は先生の歓迎会とやらで教室に集まっているはずだ。
だから、たまたま帰り道で宮崎の後姿を見かけたときはそれなりに驚いた。あいつの性格からして歓迎会とやらに出席しないとは考えづらかったからだ。
彼女は両手で十数冊の本を抱えてよろよろと歩いていた。
かなり重そうだし、その足取りがずいぶんと危なそうだとおもいながら、すこしその後姿をボウッと眺めた。
まあ手伝うべきだろう。そのまま教室に向かうとなればたいして参加したくもない歓迎会とやらに巻き込まれるかもしれないから途中まで。
まあ途中までで十分だ。重いといってもたかが本。よろよろしてても落として割れるようなものじゃない。傷はつくかもしれないが、それは宮崎の責任だ。
まあこの先にある“石階段”は危なそうだし、そこくらいはもってやったほうがいいかもな。
「おい、宮崎」
そんなことを考えながら後ろから声をかける。
宮崎は石段をゆっくりと降りようとしていたところだった。
だが、それは結果として最悪のタイミングだった。
あと一秒早くても、あと一秒遅くてもこんな羽目にはならなかっただろう。
あろうことか宮崎はよろよろとよたつきながら振り返り、そのまま手に積んでいた本が傾いて、
「あっ、千雨さ――――」
そんな返事を口にしながら、ばらける本に引っ張られその体は無意識に傾いていく。
――――――――えっ? というわたしと宮崎の呟きが重なって、
そのまま宮崎は石段から落下した。
呆然とした宮崎の顔が石段の影に消えていく。
おいおいおいおい、ちょっとまてっ! 何でここは手すりがないんだっ!
わたしは、一瞬の硬直の後、宮崎の落ちた階段まで駆け寄った。ふちに手をかけ下を覗き込む。ここは十数メートルの高さがあったはずだ。くそ、欠陥建築じゃねえか。
ルビーに習っていたにわかの魔法など何の役にも立たなかった。わたしは硬直することかしか出来なかったし、今だって何か有効な手が思いついているわけじゃない。
くそっ、冷静になれ長谷川千雨。わたしはそういうことに長けてるはずだ。
下はアスファルトだ。首から行けば即死は間違いない。だが足からなら骨折程度で済むかもしれない。横から肺腑を叩かれようがすでに死んでるとは限らない。
傷ですんでいればルビーを呼ぶ。あいつなら治すの手を貸せるはずだ。
魔法秘匿などを考えられるような状況じゃない。いまのは完全にわたしの責任だ。
「おいっ! 宮崎大丈夫かっ!」
わたしは下を覗き込み、状況を確認しようとしてそう叫ぶ。
「っ!?」
そして目に映った光景に絶句した。その情景がさすがに信じられなかったからだ。
落ちたはずの宮崎は空中で停止して、そこに新米教師で魔法使いのネギ先生が駆け寄って、そのまま宮崎を抱きとめたのだ。
とっさに反応できない。魔法使いということは知っていたが、このタイミングで現れるか普通?
ヒーローなみだ。そんな軽口も出るほどに、宮崎が生きていることに心のそこから安堵し、同時に衝撃で動きが止まった。
すぐに気がつく。
ネギ先生がどのような立場かは知らないが、見続けていてはまずいだろう。ばれたらまたぞろ厄介なことになりそうだ。
いまのは確実に魔法だった。相坂の言ったとおりだ。
宮崎さえ無事だというならまあ問題はない。学園内で魔法を使ってまで宮崎を助けたということは記憶を消すなどはしても殺すということはないだろう、とわたしは顔を引っ込めた。声をだしちまったが、先生からの視線はなかった。むこうもテンパっていたのだろう。おそらく気づいていない。
わたしはふうと安堵のため息をついて、こっそりとその場を抜け出した。
すまん、宮崎。
◆
部屋に戻るが、ルビーはいない。どこぞに遊びに行っているわけではなく、休眠状態でわたしの中に待機しているためだ。
ルビーは焦った様子を見せないが、症状は意外に深刻だ。
彼女は最近ではわたしに魔術を教えるときやエヴァンジェリン邸に出向いたときくらいしか、その姿を現さない。
彼女が出現できるのは数日おきに数時間だけなのだ。
まあわたしだって、部屋に一人で過ごしてきた身だ。
常に傍らに人がいるよりも一人きりのほうが気が楽だが、ルビーの夢に共有してしまった身としては桜さんのことについてとくに干渉できないでいる身にやきもきする。
そう、ルビーはわたしを助けてその力をほとんど振るえなくなったというのに、まったく焦る気配を見せなかった。
もうすでに準備はある程度整っているから焦る必要はない、というのがルビーの言だが、それでも初日から数日間の彼女のあまりに行動的な姿を見ていたために、どうしても違和感が残る。
まさか夜な夜な眠るわたしの体を操って出かけているんじゃないだろうかとも疑うが、それにしては筋肉痛どころか疲れのようなものもない。
うーん、といつものように唸ってから、まあいいかとパソコンに向き直る。
まっ、わたしが悩んでどうなるものでもないだろう。
◆
ちなみに、余談ではあるがルビーは魔法世界に言ったときに、コスプレ用に使えそうな衣装を見繕ってくれたらしい。
令呪で呼ばれたためにそれをわたしが拝む機会はついぞ与えられなかった。
わたしは自前の衣装を身にまとい、いくつかの写真をアップして、その反応にニヤついたあと、改めてそんなことを考えていた。
ずいぶんと惜しいことをしたような気もするが、コスプレとはあくまで想像。マジモンの魔法少女のコスチュームを引っ張り出して、万が一この魔法学園の人間にそれがばれたときにことを考えれば、衣装が手に入らなかったこともそれほど気にする必要はないのかもしれない。
それにインスピレーションのきっかけにはなっても、実際にコスプレ用の衣装に使えるかどうかも分からない。ルビーは魔法世界の騎士団の装備はなかなか可愛らしかったとのんきに評価を下していたが、ネットアイドルの頭を張っているちうさまとしては、まだまだ甘いといわざるを得ない。
中秋では名月よりも雨月が勝る、というやつだ。想像して作られた魔法少女の衣装のほうが本物の魔法少女よりもそれっぽいなんてのは当たり前だ。
ナースのコスプレに本物のナース服を持ち出せば引かれるだけである。
ゆえに、今回の件もわたしはまあそれほど惜しいとはおもっていない。……いやちょっと嘘ついた。
ルビーにはそういったものの、インスピレーションというものもあるし見れるものなら見たかった。
そんなことを考えながら、服を部屋着に直して、そろそろ夕食の支度でもしようかとしたときに、わたしの部屋にチャイムが鳴った。
女子寮はかなり近代化がなされている。不審者ということはないだろうが、当然いきなりドアを開けるようなことはしない。
いつぞやのようにドアの前に吸血鬼が立っているなんてこともありえる。
最近はとみに秘密が増えた身の上だ、厄介ごとだったときに居留守を使うことも考えインターホンから返事をするよりも前に、まず来客を確認した。
「ネギ先生に……神楽坂?」
かなり予想外だった。
時計を見れば、すでに放課後からは数時間が経過した時刻である。さすがに歓迎会のお誘いということはないだろう。
と、特大の心当たりに思い至る。今日の昼の出来事だ。
見ていたのがばれたのだろうか?
それがまず第一だ。
おそらく見られてはいなかったはずだが、相手は魔法使い。どのような手段で知ったのか分からない。
失敗した。無理やりルビーを起こしてでも相談しておくべきだったか?
わたしも魔法とやらに関わっていることを告げれば手荒なことはされないだろうが、知られるのは避けたかった。
魔法使いの冷徹さ。それをルビーと共有し、ルビーの教えを受け初めて実感した身としては他の魔法使いに関わりたいとは思わない。
魔法使いは閉鎖して生きるべきなのだ。
宮崎相手ならばわたしでも記憶を消せるが、魔法使い相手ではまだまだ未熟なわたしでは失敗する可能性もある。そしてこういうことは一度失敗すれば取り返しが効かない。
しかし向こうからコンタクトしてきて居留守はまずいだろう。
もし内容が今日の昼の出来事だったら、向こうにもある程度の確信があると見て間違いない。
ただ神楽坂が同行しているのだけがよく分からない。ネギに巻き込まれたということだろうか。記憶処置がされた様子もないし、むしろネギの保護者のようにすら見える。
ある程度心の中身を整えて、ドアを開ける。
二人は、軽くこの時間に訪問したことを謝罪したのち、話がしたいと切り出した。
「……どうぞ」
奥へ招くと、先生と神楽坂が入ってくる。先生は緊張気味、神楽坂は好奇心と若干の罪悪感が混じったような表情だ。目が合うと申し訳なさのこもった目配せとともに軽く頭を下げてきた。
神楽坂から頭を下げられる覚えがないわたしとしては反応できない。
適当に部屋の中に座らせえ、お茶を出す。
ちう関連のものについては、いつ踏み込まれても大丈夫なようにある程度の偽装は出来ている。
いきなりクローゼットをあさられでもしない限り大丈夫だろう。
「それでなんのようですか、先生」
「はいっ、あの。今日のことを……長谷川さんが見ていたって聞いて……」
「……」
目的語を抜きすぎだ。
ここでうかつに、あのことですか、などと反応して言質を取られるのも罵迦らしい。
言っている意味に気づかない振りをして先生に視線を固定する。
だが次に口を挟んだのは神楽坂だった。
「あーごめん長谷川。今日本屋ちゃんがあの階段から落っこちたときに長谷川上にいたでしょ。すぐに引っ込んじゃったけど。わたしも見ててさ、こいつを問い詰めたらいろいろととんでもないことをしゃべってくれちゃったんだけど、そのときあんたも見てたことをばらしちゃって」
ああ、さっき目配せはそういうことか。
お茶を飲む。つまりどういうことだ、説明にきたとでも言うつもりか?
「……宮崎を助けてくださったのがやっぱり先生だということは分かりました。本当にありがとうございます。怪我はなかったみたいですし、わたしは大丈夫そうだと思って帰ってしまったんですけど、見られてたんですね。御礼とご挨拶をするべきでした、申し訳ありません」
「いえ……当然のことですから」
照れたように先生が言った。
そんなお見合いのような雰囲気が続きそうだったが、神楽坂が口を挟む。
「んでね、長谷川。どっから見てたの? えっとさ、こいつがマホ――いや、えーっと。ほらっ、走ってきたところから見てたとか、杖を振り回してたところから見てたとか、呪文を聞いてたとか……」
「…………」
こいつワザとやってねえか?
これからさき秘密を持つことになってもこいつとだけは共有しないようにしよう。
こいつにばれればそのままクラス中に広まっちまうだろう。
尻すぼみに縮こまる神楽坂の声を聞きながら思考を回転させる。天然という範疇を越えている気がする。
「先生が宮崎を受け止めていたのを見ました。ずいぶん運動神経がいいんですね。あいつが落ちたのはわたしが声をかけた所為でしたので、もし大事になってたらこうしてもいられなかったと思います。あと言い訳のようですが、あの階段は手すりをつけるべきですね。そうすればあんなことは起こらなかったでしょう。先生のほうから学園長に言っておいてくれませんか。わたしが言うよりも影響力ありそうですし」
助け舟のつもりで口を挟む。われながらずいぶんと饒舌なことだ。
だが神楽坂の言葉を聞く限りこいつらはわたしも魔法に関わっているとは気づいていない。
このままだとなし崩し的に相手のほうからばらしちまいそうだ。
言葉裏に魔法を見ていないように装った。
先生と神楽坂があからさまにほっとしたような顔をする。
「そっ、そうですか。よかったー。マホ、いや、あの。じゃあ見てはいなかったんですね」
「……助けるところは見ましたけど?」
頭痛を抑えつつ、適当に返事をした。
こいつらがわたしが目撃したのかどうかを調べに来たのならこれで用は済んだことになるだろう。
会話を続けるとなんの弾みでばらしてしまうか分からない。
当然わたしがばらすわけではない。
ここで四苦八苦とごまかしに苦労するのはこいつらの役目だろ。
何でこんな苦労をわたしがしなくちゃいけないのかとため息を吐きそうになってあわてて抑制する。
「あー、じゃあ長谷川。今日は帰るわ。えーっとね、本屋ちゃんは怪我ないって伝えにきたのよ」
「はい、そうです。宮崎さんは大丈夫でしたので安心してください」
ああ、及第点だ。はじめっからそうしてくれ。
「そうですか。わたしもそれを聞けて安心しました」
帰ってください。とまでは口にしなかったが、意を汲み取ったのか、二人は立ち上がった。
玄関まで送ろうとわたしもそれに追従する。
「それじゃあ、先生、神楽坂。また明日」
「はい、それでは失礼します」
「じゃあね、長谷川」
そんな別れの言葉とともに玄関を閉める。
そのまま部屋に戻らず、なんとなく玄関の戸口で立ち止まっていた。
薄い玄関だ。別に防音もされていない。
だから当然のごとく、外から神楽坂の声が聞こえてきた。
「いやー、長谷川にまでばれてなくてよかったわね」
「はい。長谷川さん、魔法を使ってるところは見てなかったんですねー」
丸聞こえだった。
玄関の扉をぶったたこうと腕を振り上げ、それをかろうじて止めた。
よろよろと部屋の中に戻りながら、わたしの口から引きつったような笑いが漏れた。
…………出てって引っ叩いてやろうか、あのバカどもめ。
あー、もう金輪際関わりたくないぜ、本当に。
◆
「あはははははははははははははははははははははは」
馬鹿笑いをあげるルビーを横目にわたしはベッドにうつ伏せになっていた。
ルビーはわたしにしか聞こえない声を上げ、わたしにしか見えない腕を振り上げて、わたしにしか感じられない振動を立てて壁をたたく。
「いやー、よく誤魔化せたわねえ千雨」
「IQが40切ってなきゃ余裕だよ。最後にあれが全部ブラフだって言われたほうがまだましだった」
さらにルビーが馬鹿笑い。
ネギ先生と神楽坂が帰り、夕食を作ってさらにその後。
やっとのことで起きてきたルビーに放課後のことを話した結果がこれである。
「いやー、おもしろい子ねえ、その子供先生とやらは」
「まったくおもしろくねえよ。何で先生の自爆でわたしが巻き込まれなきゃならないんだ。魔法ってのは秘匿されるとか散々お前に脅かされといてありゃないぜ。いまだに信じられん。そもそも神楽坂にばれてたじゃねえか」
「この世界の魔法使いとやらは甘々っぽいからねえ。魔法は人のためにあるなんてうたってるわけだし」
つい最近も聞いた台詞だ。この世界の魔法とルビーの魔術。一般人を渦中に巻き込まないために秘匿される魔法と、己の技術だから秘匿される魔術の違い。
「ありゃあ間違っても目撃者は殺せ、とはいかなそうだったな。いくらあんたが甘いっていっても魔法使いってのはもう少し冷徹なもんだと持っていたよ」
「千雨は最初に会ったのがエヴァンジェリンだからねえ。まああいつは人を殺せる生き物だけど、それでも人を殺せるというだけで、わたしたちの世界とはまったく異なる考え方をしているんだけどね」
人を殺すという台詞にうんざりする。聞きたくもなかったが、こういう話になるとルビーは饒舌なのだ。説明好きというか分析好きというか、わたしに魔法使いの心得を教え込もうとしているように感じる。なんの意図だよ、一体全体。
「エヴァンジェリンも千雨にばれて襲い掛かってきたけど、それは自分のことがばれるのがまずかっただけで魔法がばれるような目にあってもあいつは無視するでしょう。逆にこの学校の魔法先生とやらは魔法ばれそうになったら対処はするけどそれに対して強行的な手段はとらないでしょう。それはなぜだと思う、千雨?」
「なぜだと思うって……魔法がばれるのが困るからだろ。であんたの世界は野蛮人ばかりでこっちの世界は甘ちゃんばかりだから」
「違うわ。わたしの世界では魔術が科学より弱かったからよ」
また変なことを言い出した。
わたしは適当に聞き流すことにしてベッドに横たわったまま耳を傾ける。
「わたしの世界では魔術とは科学とは真逆のベクトル。秘密の技術で人の恐れを利用する。引きこもってトカゲを鍋で煮る技術。だから鍋の中身がただの煮物だとばれればその力を失って、魔法の薬がただの水銀だと分析されれば、その信仰は破綻する。魔術とは多くの人に知られれば、それだけ力が分散された。それゆえに魔法とはたった一人の技術はその基盤を独占できるという意味で特別だった。魔術が大海に流れれば、それはきっと力を失い科学の前に屈することになると、すべてのものが知っていた。だから魔術師はその力の秘匿に必死になった」
「ゆえに敵同士でもこのときだけは共闘し、憎き相手を前にしてもこの大原則だけは貫いた。そしてその挙句に科学の力に追い越され、魔術師は一般人とは別の種類を持つ生き物として定義された。一般人とは別のベクトルを向く人の種類。決して人の上にたつことはない、人とは違う場所に立つ人のあり方。魔術師は己の技術を誇っても、その技術の種類ゆえに科学の力を手にした一般人を単純に下に見ることはできなかった。もちろん選民思考はあったし、あらゆる人間に門戸を開く科学を応用する魔術使いも存在したけど、魔術師の最終目的である“場”への到達を目指す限り魔術師はその弱さから一般人に隠れ住むことが前提だった。
過去より積み重ねられた技術を自分のためだけに使用し、秘匿するものを利用する魔術使いは軽蔑された。それは歴史よりも思想よりも自己の欲望だけを優先させる行為だから。科学と魔術を融合させる行為は、優れているように見えて未来の魔術基盤を破壊し、過去の魔術論理を消す呪い。ゆえに魔術と科学は相容れないものであり、それを利用する魔術使いは軽蔑を通り越して憎まれ、そして命を狙われた」
そんな長台詞を口にしてルビーは笑う。
「だけどこの世界は科学と魔法が同ベクトルを向いている。科学と魔法が融合し、魔法とは技術の種類であるから人に知られても磨耗はしない。ゆえに、この世界では純粋にプラスアルファの効果を与えられる魔法使いが一般人の上を行く」
そこまでいってルビーは指をピンと立てて得意げな顔をする。
「これはわたしも予想外だった。その力、その振るい手が悪意の方向を向いていなければ、おそらくこの学園はその未知を許容する。正義は己の正義以外を排斥する概念だけど、マギステル・マギは排除ではなく許容のために力を振るう立ち位置のようだから。だから千雨。あなたは嫌がったけど、魔術の概念に関しては、ばらすことを本格的に考えるのは問題ないの」
「よくわからん。つまり、なにがいいたいんだ」
「ええ、つまり何が言いたいのかというと」
「たぶんこの世界ではある程度ばらしておいたほうが安全よ。学園にばらすのがいやだというのなら、まずはそのお人よしそうだって言うネギ先生たちにでも、あなたのことをばらしてみたらどうかしら」
……ほう、なるほど。この長話にはそういう落ちがつくわけか。
もちろん、そうそう了承なんてできないけどさ。
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幕話は説明だけ、本編は先生が来て例のイベント起こして終わりました。
日常編のはずなんですが、自分でもびっくりするくらい微妙な回になりました。なんなんでしょうかこれは。
ただ、原作に沿うこんな感じの話はどうしてもまだ続きます。というかかなり続くと思います。一応習作うたってるので、いろいろと試行錯誤してみますが、どうなることやら。
あと、千雨もルビーもべつに犯罪者ではないので、安全を確認した以上、これから先魔法使いであることを魔法使いに隠す必要はありません。わざわざばれるまで待つのもあほらしいわけで……だんだんばらさない方向からどうやってばらすかにシフトしはじめました。魔法ばれのエキスパートも赴任してきましたしね。
次回も一週間後、あと次の幕話は書かないかもです。