氷のような冷たい美貌。
凜とした佇まいが相応しい体躯。
鴉の濡れ羽のような、艶やかさを持つ黒髪。
深淵を映すかのような底の無い、漆黒の瞳。
そして、身に纏うは見た者を恐怖に落とし込むかのような、闇の雰囲気。
その白魚のような指先で、黒地に白文字の書かれた板を裏返す事は無く、どこか寂しそうにそれは佇んでいた。
『軽食屋サグラダ 準備中』
魔女のような彼女の名前は、桜田コズエ。
本日も軽食屋サグラダの休業日である。
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「ルー」
この数日ですっかり耳に馴染んだ愛称で私を呼ぶサグラダから感じるのは、何かおぞましいものを見てしまった時のような嫌悪感でも何でもなく、親しいものを呼ぶ時のような、親愛めいたものすら感じてしまうような声色だった。サグラダがよく言うように、私とサグラダの今過ごしている状況は家族と言っても過言ではないようなもので、それを普通に考えたらその呼び掛けは自然なものと言って良いだろう。
けれどそれは普通に考えたらの場合だ。
私は竜だ。
ドラゴン。人間とは争い、時に手を取り合った歴史を持つ強大な翼。
それが、私だ。
そんな誇り高い生き物として生を受けながら、私は人間相手に敗北し、我が命の光が消え落ちるかという所をこの得体の知れない人間の、サグラダに助けられたのだ。後悔ばかりが我が身を苛むが、今となってはもう遅い。命を助けられたとあれば、それ相応の恩を返さねばならない。財であれ力であれ、サグラダが望むもののために、今この時私は生を繋いでいるのだ。
サグラダ。私を捕らえようとする兵士を一睨みで無力化し、脅迫して追い返した人間。里でも感じた事の無いような強大な魔力を惜し気も無く解放するその姿は、魔王と呼ばれて然るべきではないのだろうかと私に思わせるには十分だった。
しかし、サグラダがその、膨大な魔力を常に纏っているかと言うと、これがそうでもない。主に店の営業時間中(この店はどういう訳か只の食事処だと言う。心から馬鹿馬鹿しいと思うが、何かしらの考えがあるのだろう)や、来客相手への対応時以外、その最強の矛は収められている。よく分からないタイミングでの魔力の発露も良く見られるので、結局何をスイッチとしているのかは定かではないが、概ね間違っていないだろう。
さて、困った事に所謂スイッチの入っていない状態のサグラダは、粗野な私から見ても分かるくらいに温厚で上品な気配を持った人間だったのだ。物言い自体は言葉に慣れていない事からか素っ気無いものの、柔らかく持ち上がる口角などがそれをよく表していた。
ただ普段のサグラダを知る者がそれを見ても、決して安心は出来ないだろう。実際私だって出来ない。普段のあの姿を見ているからこそ、余計に私に微笑むその顔が恐ろしく見えるのだ。
「これには、何と書いてありますか」
「その話し方なら、ありますか、よりも、あるのですか、の方が良い。その方が似合う」
だと言うのに私は存外、上手くやっていた。
矢張り命の恩人だから、という事は大きいが、サグラダが私に持ちかけた表向きの方の理由である言語等の指導及びフォローをしっかりとしているというのも一因だろう。基本的に話が通じないという事も無いが、ちょっとした俗語などに関しての知識は薄い。字も人並には読めるが、しっかりと教育を受けて来た私には劣る。生活する分には何の問題も無いだろうとは思うが、店を経営する者がそれくらい出来なくてはならないものだと本人は主張するので、私としては何も言う事はない。
確かに今の状況は不本意なものではあるけれど、これはこれで悪いものでもないなんてほんの少しでも思ってしまった時点で、私はこの店長に絡み取られてしまっているに違いなかった。
「ルー」
「あ、あぁ」
呼びかけと共に差し出された手には、一つの封筒。
きっちりと並ぶ馬鹿丁寧な字で、それにはこう書かれていた。
「サグラダ」
「はい」
「それは、召喚状と読むんだ」
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「オラ、何がもう限界だ。まだ体動くだろ。知ってんだぞ。あはは、お前失点だな。失点だぞ」
我ながら本当に面白い事を言ったものだというのに、倒れ伏している部下はにこりともしないので不機嫌になる。だから私が隊長格なんて無理なんだって、もっとこう前線でシンプルに働いている方が性に合っているのに、何でこんな事してるんだろう。せめて小粋なジョークににこりと笑うぐらいの男気くらい見せて欲しい。
周りを睥睨すると何人かこちらの意を察したものが顔を引き攣らせる。本人達は頑張って笑顔を浮かべたつもりなのだろうけれども、これでは駄目だ。まだ何も言わない蛙のほうが笑っているように見える。
「お前ら、今後私を馬鹿にするつもりが無いのなら今のような馬鹿面を晒すな。これより休憩、私が戻ってくるまでだ」
モチベーションが下がった所で休憩を挟む。いちいち休憩なんて入れてたらろくな鍛錬にならないのではないだろうと意見した事もあったけれど、部隊にはそれなりの血筋の者も少なくない。つまりは親がうるさいのだ。数回体壊したくらいで死ぬ訳でもないのにがなり立てられるから、お願いだからこちらで規定する時間だけ休憩を入れてくれと懇願されてしまった。
そう言われてしまったらもう引き下がる他無いと思う。私だって下っ端なのだ。お願いという形を取ってくれた上には関心すら覚えた。そんなこんなでぱっぱと練兵場から離れて屋内に移動していると、事務担当の知り合いに手を振られる。あれ、こんな所で油売ってて良いのかな。事務には休憩なんて無い、只机とペンと一体化しなければならない仕事なんだよ……、と暗い表情で語っていたのに。
「さっちゃーん、お疲れ様ー。休憩?」
「お疲れー、こんなとこで油売ってて良いの?」
「違うよー。さっちゃん呼びに来たんだよ。緊急招集、すぐ集まれって」
「え」
緊急招集なんて滅多な事で発令されない。それなのにぼけぼけっと自分のペースを崩さずに言ってのける友人にまた分かりにくい冗談か何かとも思ったが、普段よりも幾分か鋭くなった視線にそうではないと悟る。しかし緊急過ぎるだろ、いくら緊急と名前がついているとは言え今すぐ集合なんて子供めいた事なんて無いだろうに。
「何か大事らしいよ。ほら、前竜をやっつけたって言ってたじゃん」
「え、ちょっと」
頭に浮かぶのは一生懸命に食器を運ぶ少女。
「そいでさ、竜のちょっと偉い人がアポ無しで突然来たんだってー。全く事務殺しだよー、多分この後私死ぬよー」
「あの」
「んでねー、その時の責任者だったさっちゃんにも同席願いたいだの言ってて。ほら、さっちゃん名前売れてるって事もあるんだろうけど」
混乱したままの私の事情など知ったこっちゃ無いとでも言うように、さっさと場所だけ告げて去っていく同僚を私はぽかんと見送る。そのふらふらした足取りから、事務仕事で忙殺されるのだろうと窺いしれた。
いや、いやいや、何よりもまずはあれだ。竜。そう竜だ。
竜の訪問なんて滅多にないレアイベント。元々引きこもりがちな竜の方々は積極的に他種族と交流を持とうとしない。中には例外と呼べるものも居るだろうが、お偉いさんとなるとこれまた別だ。そんなビッグなイベントに私も同席しろと名指しされるなんて、正直自慢なんていうレベルを超えてるだろ。
何故か、何て問うまでもない。間違いなく、あの行きつけの飯所でちまちまと働いているあの少女が用件だろう。
軍の一員としてどうかと思われるかもしれないが、私はこの一件を公へ報告していなかった。街の中で暴れられたらそれこそ大災害だろうが、私はなけなしの勇気を振り絞って店長に話を聞けば、新しい店員であり、悪いようにはしないとの宣言を受けた。流石にそれをそのまま鵜呑みにする気は無かったが、そもそも街の中に入り込んでしまっているのだ。手を出そうにもそれこそ大災害に発展してしまう。
あの店長の考えなど読める訳もない。一応信頼できる上層部の人間などに情報を流していたものの、それから動きが無いという事は私と同じように傍観という姿勢を取ったのだと推測出来る。随分お気楽な対応だとは自覚しているが、事はそれほど単純ではない。あの店長は、私が思っているよりもずっと複雑な立場にあると知ったのはそれからだった。
まぁ、正直言ってしまうと私みたいな脳筋がいくら考えても無駄だろう。
馬鹿の考え休むに似たりだ。
なーんて考えながら来客用の貴賓室へ向かっていると、じわり、と額に汗が滲んでいた。
あれ、と思ったのも束の間、きゅっと心臓が一度握られたかのような感覚。
え? と一瞬パニックに陥る。だってあれだよ、ここは紛れもなく私の仕事場で、いやいやおかしい。
そう、決してここは軽食屋サグラダではないのに。
「こんにちは」
背後から聞こえたその声に、背筋を伝っていた汗がたらりと落ちた。
ぎぎ、と寝違えた首を無理やり動かすように後ろを振り返ると、いつもの給士服姿の、あの、店長と私の勘違いじゃなければ竜の少女が佇んでいた。あのね、私はこれでも一つの隊を任された隊長なんだよと。ちょっと前は前線でブイブイ言わせてたイケイケガールなんだよ。それなのに何でご飯処の店長にこう後ろを易々と取られなきゃならないのかなぁもう!
「こ、こんにちは」
「ひとつ、聞きたい事があるのですが」
「あ、えぇ。どうぞどうぞ」
そんな私の内心も知らずに機械的に言葉を発する店長を見て、隣に居た少女が溜息を吐きながら口を挟んだ。
「召喚状が届いたんだが受付に誰も居やしない。んで勝手に入って来たんだが、こういう時どうすれば良いんだ?」
竜には人の顔かたちが中々区別出来ないと聞いた事はあったけれど、どうやらその通りだったようで、私が思いっ切り首を吹っ飛ばそうとした少女の問いに疑問を覚えるも、なるほど突然の事だろうから担当の人間が駆り出されてしまったのだろうと勝手に納得する。いやしかし、召喚状? ついに偉いさんが動いたの? でもそれなら私の耳に入ってもおかしくないだろうし。
どう答えるか迷ってしまった間に、何人かの人の気配を感じた。こちらに近付いている。こんな時で何だけれど、少し安心してしまう。だって私がそんな気配察知出来ないなんてぶっちゃけありえないような話なのだ。そう、これが普通、これが普通なんだと自分に言い聞かせる。
それに気付いたのか、少女が酷く嫌そうに顔を顰めると同時に聞こえてくる、ざわめきと、声。
「ルーデル!」
キャスピー様お待ちください、だのキャスピー様一体何処に、だとかいう言葉を置き去りにしながら一人の美青年が廊下の角から現れた。うわ、何か眩いくらい爽やか、新緑の髪が鮮やかだぜ。結婚してくれないかな、何て思った途端そのキャスピー様の顔が一気に曇った。別に私の考えが分かったとかそういう訳ではないだろう。
もう本当何か良く分からないけど多分全部何もかも、この店長のせいだ。
「ルーデル!」
「うっさい」
悲愴な、女であればそんな風に呼ばれたらくらっと来てしまいそうな叫びに少女はにべもなく返した。だがキャスピー様とかいう人も負けてはいない。明らかに店長に中てられてはいるものの少女へと駆け寄った。
多分、恐らく間違いなく、このキャスピー様が竜のちょっと偉い人だろう。礼儀だとかそういうものを私が気にする間も無く、店長すら置き去りにして少女が呆れたように声を漏らした。
「何でお前が来るんだ」
「何でって!? もう、本当に心配したんだよ!?」
「私なんかを心配する必要無い」
「そういう問題じゃないでしょ! 何でそんなに卑屈になってるの!」
あの訳の分からない程自信満々だったルーデルはどこにいったの、何て最早涙混じりでしゃがみ込んだキャスピー様を見て、もう礼儀だの何だの言ってられないような状況になっている事に気付いた。
今更追いついてきたらしい付き人か誰かが場の状況と店長の覇気に顔色を悪くしながらあたふたしている。もう何が何だか分からない。カオスだ。
そしてまぁ私としてもこんな状況はお望みでは無い訳で、こういった時の損な役回りというのは大抵私に回ってくる。
「キャスピー様。畏れながら、ここでは人目に付きます。そこに応接室がありますので、一度落ち着いて、座って話をしましょう」
「今はそんな場合じゃ……!」
「キャスピー。何言ってんだお前、見苦しいし汚い。さっさと移動しよう」
「そ、それでこそルーデルだよ!」
最早何も言うまい。
応接室に全員押し込み、キャスピー様の付き人には本人の希望により席を外してもらう事にした。何にせよ店長に中てられてしまうのだから、居ても居なくても同じだろう。
さて、半ば置いてけぼりにされてしまった形の店長と言うと、ソファーに行儀良く腰掛けて何やかんやで用意した紅茶をゆっくりと喉に通していた。私はそれを見て思わず、あの店長でも飲み食いするんだなぁなんて考えながら今の状況から現実逃避していた。
「それでは、あなたはルーデルを引き取ると」
「本人がそう望むのであれば」
感情剥き出しに店長を睨み付けるキャスピー様と、それを受け流す店長。
受け流すと言っても、あの膨大な魔力は垂れ流しだ。流石竜とでも言えば良いのか、ルーデルと呼ばれた少女は最早半泣きだが、キャスピー様はその目を逸らさない。私も内心半泣きだ。
誰か助けて下さい神様。
そうずっと祈っていたおかげか、膠着している現状を吹き飛ばすかのように、勢い良く扉が開かれた。
「魔女サグラダ! やーっと尻尾を出したわね!」
その神様は、いつだったか店長の迫力に半泣きになっていたお嬢さんだった。
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「静かにしろ」
「何を! あなたが人間にルーデルを叩きのめすよう指示したのでしょう!」
「報告書の方に目を通したが、確かに致死性の攻撃は無かった」
「それを信じろと!」
「……お前もルーデルの痛がりは知っているだろう」
ルーデルはすぐ泣く。些細な事で死ぬと言う。
その性格は、誰よりも僕が知っていた。
「ルーデルは私の思い通りに痛い目に合ったのだろう。そこでいつものように私達に泣きついてくれば良かった。そうなると私は信じて疑わなかった。だが、ルーデルの馬鹿は私の想像を遥かに超えていた。まさか人間が私達に逆らおうとは思わないだろう。人間に落ち度は無い」
「しかし!」
「キャスピー、お前が感情的になるのは分かる。そうだな、お前には一つ命令を与えよう」
「……何でしょう」
「そう邪険にするな。人里に行って、ルーデルの様子を教えてくれ。それを見て今回の件を判断する。カースティッチ家がついているとなると、私達でも中々手が出せない」
僕は、ルーデルの一番の友達だから。
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営業日誌
今日は何だか大変だった。お店も休まなきゃならなかった。
公的機関からの呼び出し。ルーが言うには恐らくルーが家に居る事が原因だと言う。やっぱり人を一人引き取るとなるとこの大雑把を形にしたような世界でも手続きは必要らしい。でも実際行ってみると受付は無人だしで、困っている所に常連さんが歩いているのを見つけた。(公務員さんだったんだ)
どうしようかと話しかけると、背の高い男の人が必死で、今にもルーに縋りつかんばかりに向かってきた。ルーデルは嫌がっているのに、それをやめない。その場は常連さんが取り成してくれたんだけれど、キャスピーさん(男の人の名前だ)は今度は私に矛先を向けた。とても怖い。
男の人に睨み付けられる経験なんて、今まである訳が無い。ルーの前だから平静を取り繕ったけど、内心半泣きで、誰か助けて下さいなんて思っていたら、何とピノちゃんが助けてくれた。
色々難しい手続きをやってくれるらしい。こちらの事には疎い私にとってそれは渡りに船だった。
キャスピーさんは、怖かった。ルーに聞いたら、いつも付き纏ってきたらしい。それも幼い頃から。
ひょっとしたら彼は、俗に言う、ストーカーってやつなんじゃないだろうか。そしてあの、ロリコンという奴なんじゃないだろうか。
私が、ルーを守らなければならない。
明日こそ普通にお店を開けますように。
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そろそろ更新しないとやばいと思って急いでかいたので今回随分あらがあります。そのうち大幅修正するかも
取り敢えず色々フラグを立てる回という事で
また今回からメールアドレスにホットメールのアドレスを入れときました
メッセぐらいしか使ってませんが、何か本当取り敢えず入れただけです