第六十九話【復讐】
「すまない、随分と君に寂しい思いをさせたね」
アンリエッタは息を呑んだ。
月光を浴びて煌びやかにその金砂の髪を輝かせるウェールズは、とても優しそうだった。
「僕ももっと早く君にこうして会いに来たかったんだけど、この情勢下ではそれも適わなかった。本当にすまない」
何度もすまないと謝罪をするウェールズ。
アンリエッタは体を、心を震わせ、発した言葉まで震えていた。
「ウ、ウェールズ様……!!」
寝間着に着替える前だった為、純白のドレスのような皇族としての正装そのままに、アンリエッタはウェールズの胸に飛び込む。
「アンリエッタ、悲しまないで話を聞いておくれ、今日君の所へ来たのには理由があるんだ」
「私、私がどれほど貴方を待っていたことか……!!」
アンリエッタはウェールズの胸の中に抱きすくめられるようにしてぷるぷると震えていた。
ウェールズはやれやれと、微笑みながらその背中を軽く叩いて落ち着かせようとする。
「私、本当に待っていたんですのよ? 本当に本当に────────」
────────待っていたんです♪
瞬間、ウェールズの体は横転していた。
「っ!? ア、アンリエッタ!?」
ワケもわからず床に転がされたウェールズは、信じられないものを見るかのようにアンリエッタを見つめ、美しいまでの……嘲笑を見た。
────────ボギッ!!────────
「うわぁぁぁぁああああああ!?」
その、あまりの美しさに見とれた一瞬、ウェールズの足はあらぬ方向へ曲がっていた。
「本当に待ちくたびれていましたのよ、レコン・キスタさん♪」
アンリエッタは本当に嬉しそうに床で転がり回るウェールズを見ていた。
「でも、よりにもよって、ウェールズ様に化けて来るなんて、本当に度し難いですわね」
一言一言を発していくうちに、先程までの嬉しそうな笑顔から、能面のような、輝きも……何も映さない瞳で、無感情にウェールズを見る。
「な、何を言ってるんだアンリエッタ!? 僕は……」
「お黙りなさい」
バキッ!! という音と共に、ウェールズが横になったまま自身の胸元に入れた手ごと蹴り飛ばす。
「うがぁぁぁぁああ!?」
彼の手の甲はみるみる青黒く変色していき、ポロリとウェールズの胸から折れた杖が出てきた。
彼の右手の甲は骨が“割れて”いることだろう。
「まぁ調査の足り無い侵入者様にお教えしてあげますと、あの方は二人きりの時は私を“アン”とお呼びになるんですのよ」
サーッとウェールズ……の偽物の顔が青くなる。
「もっとも、お顔の作りや物腰、声は大変良く出来ていて、流石は一級の“偽物者”とは思いましたけど」
「な、何故……?」
ウェールズの偽物は疑問で一杯だった。
何故ばれたのか。
いや、それは自分の失言のせいなのだろうが、だが彼女は言っていたのだ。
『待っていた』と。
「何ですの? ああ、何故私が待っていた、と言ったのか聞きたいのですか?」
簡単なことです、とアンリエッタは優しげに説明を始める。
実は開戦前に彼女が自らレコン・キスタと繋がる貴族の粛正を果たした後、上層部は急に慌てふためき、自らは潔白であると我先に言い始めてきた。
全てを鵜呑みには出来ないが、今王宮を相手にしてはまずいと悟る者は多くなったようなので、アンリエッタ一計を案じることにした。
曰く、大魚(アルビオン)を釣るための稚魚(末端員)釣りと称して、
『今こちら側に付くなら、“この国での身の安全の保障をする”からレコン・キスタの者は出てきなさい』と広めたのだ。
するとどうだろう。
意外なことに、何人かは自分の身の可愛さ故に本当に出てきたのだ。
アンリエッタは彼らを約束通り殺さず、こちらを裏切れないギアスをかけ、諜報員となってもらい情報の収集を図った。
先のタルブ村降下作戦時にいち早く動けたのも、この情報源があった故だった。
だが、アンリエッタの提示した“この国での身の安全は保障する”というのは、万一アルビオン陣営で下手をしても責任を持たないということだった。
そのことに、諜報員として引き抜かれた者達はよくわかっていない。
結局どちらにいようと傀儡であることに変わりはないのだ。
だが、彼らのおかげでアンリエッタは先のタルブ村戦を含め有益な情報の入手に成功していた。
もっとも、最近はその諜報員と連絡が取れなくなっていた。
考えられる可能性は二つ。
逃げたか、もしくはこちらのスパイとして見つかったか。
見つかったのであればスパイの末路は……考えるまでも無いだろう。
逃げた、とはギアスの件からもあまり考えていない。
その為アンリエッタは実質、彼らは処分されたものと思っている。
つまり、今の彼女……トリステイン陣営には有益な情報源が不足していた。
だからこそアンリエッタは新たな情報源、この期に乗じて侵入してくるであろう相手を待っていたのだ。
必ず来るとは思っていた。
こちらの情報源がカットされたこの期を、相手が見逃す筈が無い、と。
だが、その説明を受けても侵入者は何故、と疑問の言葉しか浮かんでこない。
何故、一国の姫がこんなに武闘派なのだ?
何故、呼び方が違ったとはいえ、欠片も自分がウェールズの本物であると疑わなかったのだ?
何故、この女は、侵入者が来て、こんなにも嬉しそうなのだ!?
侵入者の疑問は尽きない。
アンリエッタはうふふ、妖美に笑うとヒールの付いた靴を無造作に脱ぎ捨てる。
月光の元に露わになる白いストッキングの脚。
学院のニーソックスとは違う、その薄く白い様に、侵入者は自分の置かれている状況も忘れゴクリと息を呑む。
「まだ、不思議そうですわね? この際、何でも教えてあげますわよ? 幸い、“顔立ちだけ”はウェールズ様そっくりの貴方ですもの」
アンリエッタはベッドに腰掛けると、その脚線美を隠そうともせず、むしろ魅せるようにして彼の前に白く薄いストッキングに包まれた脚を向ける。
「ど、どうして、僕が皇太子かもしれないと、全く疑わなかったんだ……!! い、いくら呼び方が違うからって、少しの戸惑いがあったって……!!」
「ああ、何だ“そんなこと”ですか……」
アンリエッタは脚をゆっくりと伸ばし、侵入者の頬を撫でる。
月光を浴びる彼女は本当に無感動に無表情で、何も映さない“虚無”の瞳であるのに、声だけはやや楽しそうな陽気さが混じっている。
顔は笑っていないのに、声だけは嗤っている。
────────ゾクリとした────────
「簡単なことです、貴方からは“ウェールズ様分”が感じられませんもの」
あまりにも妖美で、あまりにも異様で、あまりにも謎。
だというのに、その侵入者は既に恐怖も、痛みも、不安も無かった。
「さぁ、まだ夜は長いのですよ侵入者さん、次は、貴方がお話しする番ではなくて?」
ただ、白い姫が、黒くも美しかった。
***
「アニエス」
「はっ」
空が既に明るみかけている頃、アンリエッタの部屋には二つの影があった。
一人は部屋主であるアンリエッタ。
もう一人は彼女が平民より抜擢し、新たに建設した銃士隊なる部隊の隊長だった。
アンリエッタが自身が行いだした政策の内の一つに、平民の地位意識向上があった。
平民でも、その能力によって高位職に取り立てることを是とする。
そうすることによって、国、引いてはアンリエッタへの平民からの支持は増加傾向にあった。
高位職はほぼ貴族である。
だが、貴族は総人口の約一割程度でしかない。
その為、数に勝る平民の口伝は瞬く間に広がった。
さらに彼女は、優秀な平民を高官へと取り立てたり、暇を作ってはいくつかの圧政をしいているらしい貴族の領地へ自ら向かい、その貴族への厳罰もしくは領地の没収を図った。
周りの貴族の反感は高まるかと思われたが、アンリエッタは、自分派の貴族に没収した土地を与えた。
他にも、反対派な者には経済的打撃を、賛成派には特権や年金の増加など、良い思いが出来る物を与えた。
これが、ますます今アンリエッタ派に付けば甘い汁が啜れると思わせ、彼女の派閥が増加傾向になるもう一つの理由だった。
無論徹底した反感も多く、中には直情的な者も皆無ではない。
だから、彼女はアニエスを近くに置いたのだった。
彼女は平民、それも女性の身でありながら良く鍛えられていた。
それはその胸に、一つの黒い感情を孕んでいた故でもあるのだが、それを知ったアンリエッタはボディガードにうってつけな彼女を気に入った。
アンリエッタはその黒い感情の中身を知って、内容は違えど境遇が似ている彼女とはわかりあえる、そう直感したのだ。
彼女が平民出身だというのも、アンリエッタの信用を促進させた。
メイジ……とりわけ貴族は一癖も二癖もある輩が多すぎる。
先日のレコン・キスタが良い例だった。
故に彼女、アニエスとアンリエッタは主従でありながら半ば共犯者という意識が根強かった。
お互い、自分の目的の為に相手の力を利用する。
欲にまみれた者よりも、よっぽど信用が置けた。
「つい“お話し合い”に熱が入ってしまって随分と時間がかかりましたけれど、ようやく纏まりましたわ」
「お疲れ様でございます」
「アニエス、今回の一件で私は例の件をすぐにでも実行に移すことに決めました。事態は思ったよりも急いだ方が良さそうです」
「と、申されますと、“王座”に着くおつもりなのですか?」
「ええ、近日中には私は女王になるでしょう。それと……“ようやく尻尾を出しました”わ」
「では……!!」
アニエスの瞳に、黒い焔が灯る。
「今回の一件、侵入者の手引きをし、裏で動いている者の中に、“彼”の名がありました。もっとも彼は流石に私の一存のみで裁ける程の相手ではありません」
「姫が女王にさえなれば……」
「可能でしょうが、それでは多大なリスクや無用な敵も生みかねません。ですが“彼”も今回の一件で“黒”な以上、ここは一つ舞台を用意して踊って貰おうではありませんか」
アニエスはギリリと歯を噛みしめ、己を抑制する。
本当なら、すぐにでも“奴”を……■■たいのだ。
「これから忙しくなります、今後も頼みましたよ、アニエス」
「……御意」
だが、自分が“奴”を知り、ここまでの権力をも手に入れられたのはこの姫のおかげ。
“奴”とは必ず機会を作ると口約され、今回何かまた一計を案じているようだし、事実これからさらに忙しくなるのは目に見えている。
ならば、ここはグッと堪え彼女の力になり、“その時”を待たなければ。
自分をここまで取り立て、怨敵に近づかせてくれた感謝の礼の為に、彼女は自身の感情を一時押しとどめる。
黒い、“復讐”という名の感情を。
***
一言で言って、ルイズは不機嫌だった。
ゴトゴトと揺れる馬車の中。
そこにルイズは三人で座っていた。
彼女は謹慎中の筈だった。
事実一日目は謹慎という大義名分のもとずっとサイトにひっついていられた。
誰にも邪魔されることのない二人だけの世界。
既に栄養失調からも快復しているルイズは、介護という名目ではない、自由な二人きり生活を最低あと二日は満喫出来る筈だった。
それが、彼女はどういうわけか学院の“愛の巣”を遠く離れ馬車の中に居た。
一緒に乗っている残りの二人のうち、隣に居るのは無論サイトだった。
これは是が非でも譲れなかった。
もう一人、向かい合うように正面に座っているのは、
「何よちびルイズ、随分と不満そうね」
ルイズの姉にして、幸せ満喫ライフを奪った張本人、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールその人だった。