第三十二話【金的】
(落ち着け、落ち着くのだジュール!!)
かれこれ数十分、ジュール・ド・モット伯はやや鼻腔を大きく開けながら桃色の髪の乙女の寝姿を堪能していた。
傷は治療した。
彼ほどの腕があれば、水の秘薬と掛け合わせ、重傷といえどあの程度の傷、治療するのはそう難しいことではなかった。
ジュール・ド・モット伯はトライアングルクラスの水メイジ。
その腕は確かに折り紙付だった。
「何と細い足なのだ……むふふふ!!」
治療を終えた彼の視線は、眠っている彼女のやや短めのスカートより伸びる二本の白い足に向けられた。
白い足には、足のつま先からふくらはぎ、膝という関節を越えて太ももの半ばまで履いている黒いニーソックスがあった。
ぴっちりと細い足に張り付いているニーソックスは、彼女のその美しい足の構造を遺憾なく表現していた。
「まさに、理想的なライン……!!」
モット伯はまた一つ感嘆の息を漏らし、その瞳に卑しい輝きを灯す。
彼の視線は北上し、腰、くびれの辺りで一度止まる。
「ああ、素晴らしいまでに小柄ではないか……!! ぐふふふふふ……」
むはっとまた一つ鼻腔を大きく広げ、その口から大きな息を吐き出す。
その後、彼の視線は一気に北上して桃色の髪の乙女、ルイズの顔に向けられる。
その唇は閉じられては小さく開き、薄く彼女の髪色に染まっている。
頬は荒れている形跡など微塵も無く、閉じられた瞳を隠すようにしてその長い睫毛が黒光りする。
顎はシャープに程よく尖り、体と相まって彼女をより一層細く見せていた。
「まさに真の美、これこそ最高の造形ッ……!!」
モット伯は興奮しながら視線をやや南下させ、
(そして、ああそしてッ!!)
彼女の肩よりやや下、女性特有の膨らみがあり男性を引きつける要素も多分に含む双丘、そうつまり胸に向けられた。
視姦、という言葉があるのならこういうことを言うのかもしれない。
彼女のそこは、彼女も預かり知らぬ程に成長していた。
モット伯はテーブルに置いてある書類をざっと見る。
それは昨年、一年生の際に行われた身体測定、その結果であった。
これは以前、彼が学院……オスマンに無理を言って入手した超極秘情報である。
彼女自身の記憶では、彼女は“以前”よりも1mmの増量に成功したはずだった。
毎日、朝に牛乳を飲んで、お昼に牛乳を飲んで、三時にクックベリーパイと一緒に牛乳を飲んで、夕食と一緒に牛乳を飲んで、夜寝る前に牛乳を飲んで自身を“マッサージ”してから眠るという涙ぐましい努力とは無縁の“飽くまで普通の生活”をしていた結果、
「随分と大きくなっているようだ……フフフフ」
その書類に書かれているバストサイズ、それよりも彼女の胸は成長していた。
モット伯は自身の観察眼に自信を持っている。
「2mm……いや3mm程は増えているな」
モット伯にとってこれは歓迎すべきことだった。
勘違いしている人間が多いが、彼は“オールラウンダー”である。
別に小さいからと言ってそれが彼の嗜好とは……、
「しかし、肩も小さく、小さな膨らみ……たまらん……」
それが彼の嗜好とは……、
「ああ、しかもこの顔、幼いながらに“女”を彷彿とさせるこの色気!! ああ、このミスマッチ!! 素晴らしィ!!」
それが彼の嗜好とは……それが彼の嗜好である。
さらにモット伯にとって、彼女が三女といえど公爵家の娘だというのも大きかった。
これは成り上がるチャンスでもある。
怪我をした女性を優しく介抱、そこから生まれるロマンス。
モット伯の頭の中は妄想率100%だった。
そうしてモット伯は何もかもが上手く行くと信じて疑わず、“当たり前”のように彼女の素肌、腕に触れた時、
「っ!!」
ルイズが飛び起きた。
***
寒い。
いや、寒いんじゃない。
足りない。
何かが足りない。
何が足りない?
ああ、なんだかもうしばらく“補充”していないもののような気がする。
足りない。
全然足りない。
枯渇している。
渇き、餓えている。
圧倒的に足りない。
壊滅的に足りない。
極限まで足りない。
足りない。
足リナい。
足りなイ。
タリナイタリナイタリナイ。
タリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイ。
瞬間、何かが触れて、タリナイ何かがマイナスの域にまで達してルイズは飛び起きた。
場所は自分の部屋。
目の前には見たことの無い……いや“以前”は見たことのある男、名前は……そんなことはどうでもいい。
「サイトは何処っ!?」
ルイズの第一声はソレだった。
部屋を見渡し、そこに彼の姿は何処にも見当たらない。
ならば彼は今何処に?
「……サイト? ああ、あの平民の使い魔かね?」
モット伯は突然起きたルイズに驚き、しかし最初に出てきた言葉が平民の使い魔といえど男の名前なことに苛立ちを覚える。
「そうよ、早くサイトを探さなきゃ」
ルイズはベッドから立ち上がろうとして、
「まぁ待ちたまえ」
モット伯に止められた。
「邪魔よ、私は今すぐにでもサイトに会いたいの、消えて」
それは嘘でも誇張でもなく、ルイズの本心だった。
だが、モット伯は我慢なら無い。
何故なら彼女を治療したのは自分(事実100%)であり、彼の頭の中(妄想率100%)では彼と彼女は相思相愛(妄想率200%)なのだから。
「君はまだ怪我が治ったばかりだ。ゆっくりしたまえ、使い魔といえど所詮平民じゃないか、捨て置いていても問題はあるまい」
「……何が言いたいの?」
だからなのかもしれないし、無知だったからなのかもしれない。
───────彼は禁句を口にした。
「いや、あんな君を護ることも出来ぬ使えない平民を気にする必要は無いのだよ、なんなら私が君の力になってあげよう。使い魔も……そうだな“もう一度別の物を召喚”してみるのはどうだね?」
瞬間、ルイズの顔面が蒼白になったのに彼は気付かなかった。
「いやなに、使い魔は死んでしまったならもう一度召喚するのもありなのだよ? 君は非常に運がいい、私に目をかけられたのだ、ああ礼など気にするな、その傷も私が善意で治療したのだ。君程の美しい女性が怪我をしたままというのは忍びない」
ルイズが震える手で杖を掴むが、モット伯は気にしない。
「それに君の言う役立たずは治療の邪魔だと言って“ちゃんと”この部屋からたたき出しておいたからね。あの平民と来たらこともあろうに私を信用しないのか中々離れようとせず苦労した『ドォォォン!!』が……?」
爆発。
モット伯はそれ以上口を開く事を許容されなかった。
あるいは、今ルイズの中で圧倒的に枯渇している“何か”もその一因を担っているのかもしれない。
だがこの世は表裏一体。
そうやって枯渇すればするほど、溜まり増えるものもある。
ルイズの部屋のテーブルは消し炭になっていた。
モット伯は何が起きたのか理解できない。
ここは彼女が自分に感謝し(妄想率300%)、泣いて抱きつき将来を約束するという場面(妄想率400%)のはずだ。
「貴方、私からサイトを遠ざけたの……?」
───────ゾクリ。
頭の中が暴走しきっていたモット伯が冷水を浴びたようにさぁっと思考が冷える。
その瞳は、既に光など宿していなかった。
あるのは何処までも何処までも昏い闇。
何も映さず、無制限に光を飲み込む“虚無”そのものだった。
モット伯は“波濤”を二つ名に持つ優秀なメイジだ。
水メイジだからと言って医療専門ではなく、それなりの戦闘もこなせる。
「私から、“また”サイトを奪うの……?」
その彼が、
「そんなことが、許されると思っているの……?」
為す術なく、
「……答えなさい、サイトは何処?」
杖を胸に突きつけられた。
今モット伯が理解できることは、先ほどテーブルを消し炭にした魔法をルイズがいつでも放てる状態だということだ。
タラリ、と背中に汗が伝う。
失言は即破滅に繋がるが、ことここに至ってもモット伯には貴族としての思考が根強いせいか何が失言なのかわかっていなかった。
「し、知らんよ、私は君の為を思って最善を尽くしただけなのだ、さぁ、その杖を置いて。ちゃんと優雅に話をしようじゃないか」
ポン、とモット伯はルイズの小さい両肩に手を置き、
「っ!! サイト以外の人間が気安く私に触らないで!!」
ルイズはモット伯お気に入りのその細い足を振り上げた。
「はぅ!?」
モット伯は足を内股にしてその場に座り込む。
モット伯の性別が危ぶまれた瞬間だった。
ルイズは醜いものでも見るような目でモット伯を一瞥すると、そのまま駆け出していた。
本当ならあの男にもっと鉄槌を下したい気持ちもあったが、それよりなにより今はサイトである。
彼の無事をこの目で確認しない事には、他の余分な事などに意識を割けなかった。