ガッツがウィンダムを立って十日程たった日の午後、グリフィスは王宮の一室にいた。
「お呼び立てして申し訳ありませんな」
「いえ、お気になさらず。それでお話とは?」
宮廷の片隅にある小さな一室で待っていたのは、かつてグリフィス暗殺を企てた矮躯の男。
フォス内務大臣その人であった。
「はい。ことは此度の戦功叙勲についてなのです」
「戦功叙勲についてですか?」
それについて何の話なのだろう?とグリフィスは首を傾げるような仕草を見せてみせる。
フォス大臣は特に表情を変えることもなく、あくまで吶々と話を続けた。
「はい。貴公率いる鷹の団は先の戦において目覚ましい活躍を遂げられましたな。
その功績により、貴公には将軍位とそれに伴う爵位が授けられることは、既にご存じの通りと思います」
「恐縮です」
「いえいえ、グリフィス卿のなした功績を考えれば妥当と言うものでしょう」
形ばかりの謙遜とその否定が交わされる。
たとえお互いがそれを形ばかりと知っていても、それでもなおこうした言葉は交わされて行く。
「お話したいこととは、グリフィス卿に新たに授けられる爵位についてなのです」
「ああ……下賜される領地についてですか」
フォス大臣が頷く。
この世界。封建制においての爵位とは領地の支配権と同義であった。
グリフィスは以前の城塞攻略の手柄により伯爵位を所持しているが、それは同時に伯爵領を下肢されたと言うことを意味する。
男爵領を下肢されば男爵に。子爵領を下肢されれば子爵にといった具合に。
グリフィスは騎士叙勲の際に子爵位を受けているため、現在は伯爵であると同時に子爵でもあるのだ。
このように爵位とは領地と同義であり、複数の爵位を同時に所持することも珍しいことでは無かった。
称号としての爵位を用いる場合には最も大きく重要な領地の爵位を用いるのが通例である。
「陛下は此度の戦功叙勲において、アリエス辺境伯の爵位を貴公に授けられるお考えのご様子」
――辺境伯とは、国境線上の緊張地における伯爵位である。
遠隔地であり敵地などと接する緊張地帯の領主であるため、通常よりも大きな裁量と高い独立性。広い領地が与えらる。
侯爵と同等、その地域の重要性によってはそれ以上とも見なされる高い爵位であった。
「それはまた、過分の栄誉と思うばかりです」
そう言って目を伏せ微笑むグリフィスを、フォス大臣が視線を向けて見上げる。
「……よろしいのですかな?グリフィス卿」
「なんのお話でしょう?」
「……御存じのこととは思いますが、先の戦は我が国の領土を大きく回復するものとなりました。
それと同時に軍における被害も大きく、戦死により断絶となった家柄も多くあります」
「痛ましいことです」
「これによって現在は多くの領土が浮いた状態。直轄地になる分を差し引いても、
功のあった諸侯をどのように封ぜられるかお悩みのことでしょうな」
「陛下の御苦労、お察しするに余りあります」
微笑みを絶やさぬグリフィスをフォス大臣は言葉を切って見つめた。
そして小さく息をはくと、フォス大臣は僅かに声をひそめて言った。
「……グリフィス卿をアリエス領へ封ぜられるよう、陛下へと進言した者たちがおります」
「それはまた」
グリフィスが面白そうに笑う。
「アリエス領は異教の地とも接する難しい土地。
国境線での小競り合いが絶えず、野盗の類も多い。しかし交易盛んにして重要な要地でもあります。
この地を円滑に治めるにはグリフィス卿と鷹の団の武威をもってあたるのが良策との言」
「確かに。妥当と言っても良いでしょうね」
「しかしいくら精強な鷹の団と言えど一騎士団。広大な領地の治安維持はそれだけで為し得るものではありますまい」
「そうでしょうね」
そう言って面白そうな笑みを崩さないグリフィス。
「これはグリフィス卿を遠地に押しやり中央から遠ざけようとする陰謀とも言えましょう」
「必ずしもそうとは言えないでしょうが、陛下へ進言をした方々はそのような意図を持っていてもおかしくは無いでしょうね」
「でしたら。……私の方から陛下に別案を進言させて頂くことも――」
グリフィスはその言葉を遮ってゆっくりと首を横に振った。
「お気遣い感謝いたします。ですが、それには及びません」
「……よろしいのですか?」
「所詮私は一軍人。国土の差配に口を挟むような立場ではありません。
それに最終的にお決めになられられるのは陛下ですから」
「将軍位ともなればそれは謙遜がすぎましょう。しかしこれは差し出がましい事をしましたかな」
「いえ、大臣の御心遣いには感謝します」
「なにこのような心配事しかできませんでな」
そんなフォス大臣に重ねて礼を言うと、グリフィスはその部屋を出て行った。
大臣はグリフィスが出て行った扉を見つめて思う。
(鷹は野に放たれるか……)
遠地へと追いやって遠ざけたつもりに成るような者達にはわかるまい。
ウィンダムを離れ、中央で権勢を振えぬことなど問題になるまい。
むしろ王都で煌びやかな飾りの騎士団となることなどより、遮るもののない地で鷹は空高く舞うだろう。
(私は本当にあの男に与し結ぶつもりだったのだろうか)
あるいは、飛び立とうとする鷹を恐れ押しとどめようとしたのだろうか。
宮廷の謀家として生きてきた自分が、自分の行動の意味を計りかねるようなことをするとは……。
あの時感じたグリフィスへの恐怖。
彼はまだ、それをどうすることもできずに心に沈殿させていたのだった。
その数日後。
グリフィスはアリエス辺境伯位の叙勲を受ける。
それに伴い鷹の団はウィンダムを離れ、新たな任地に移ることとなるのだった。
「グリフィス様!」
出立の準備を進め王宮の一角を歩いていたグリフィスに、声がかけられた。
「シャルロット様」
声を出した相手を認めてグリフィスが一礼する。
シャルロットはそんなグリフィスに近寄り、ドレスのすそを握りしめ俯いた。
「行ってしまわれるのですね」
「はい」
「いつごろ、お戻りになられるのですか?」
悲しみを隠そうともせずシャルロットはグリフィスを見上げて問う。
「それは……」
グリフィス困ったような表情でシャルロットを見つめた。
地方領主としてその地を治めるのは、戦争における出兵とは根本的に異なる。
勝利であれ敗北であれ出兵目的の結果が出れば帰還する出兵とは違い、
領主として領地の治安を維持し徴税を含めた様々な領地経営を行うのは終わりのない責務だ。
軍属の貴族は従軍中血族に領主を務めることができるものがいなければ代官を用いて領地の統治を代行させるが
騎士団を率いて軍事的な緊張をはらんだ要地を治めることを期待されて封ぜられた以上はそれを軽んじることはできない。
王都に来ることはそう難しいことではなく機会も多いだろう。だがそれは王都に「戻る」と言うことではないのだ。
シャルロット姫は決して暗愚ではない。
そうしたグリフィスの状況を解った上で、いや、わかっているからこそ彼女はこうして縋っているのだった。
グリフィスがシャルロットの手を取り跪く。
「王都に来た折には、必ず姫様にご報告に参ります。どうか……」
自らに傅くグリフィスを見て、シャルロットは悲しさに歪んだ表情を改めた。
精一杯の気丈さで、その手を差し出して言う。
「許します」
グリフィスがその手の甲に口付けをする。
そうして立ち上がり踵を返したグリフィスを、シャルロットは祈るような気持ちで見つめていた。
ウィンダム城下の表通り。
鷹の団が集結し、出立の時を待っていた。
「っかー!これで俺達も晴れて貴族様ってわけだ!」
「うん。そうだね……」
「なんだよリッケルト。しけた返事してんじゃねえ」
「だって、ガッツ結局間に合わなかったなぁって……」
「あのヤローのことなんでどうだってイんだよ!」
コルカスとリッケルトが、馬上で言い争を始める。
グリフィスの叙爵に伴い、鷹の団の千人長ら幹部も男爵位を授けられ、
アリエス領内部にある荘園地をグリフィスの裁量にて各幹部へと当てられることとなっていた。
「まぁしょうがないんじゃない。魔法使いってのが何処にいるのか知らないけどさ。
あいつが出てってからまだ一月もたってないんだし」
「そりゃそうだけどさ?ウィンダムへ戻ってきて僕らがいなかったらガッツだってガッカリするんじゃないかなぁ」
「そんなことは仕方がない。戦功叙勲式までには合流できれば良いさ」
キャスカがそう口を出し会話をまとめる。
グリフィスと鷹の団の白鳳位授与を含めた、正式な戦功叙勲式は王妃の喪があけてから盛大に行われる事となっており
まだ先の話であった。
今回の内々の爵位授与は暫定直轄地となっている領地、特にチューダーから奪還した土地などに対して、
喪中であれそのままにしておけないと判断されたための儀礼を伴わないものであった。
「へぇ~」
「……なんだ?」
自分を見て感心するように呟いたジュドーにキャスカが問う。
「いや、お前さんも丸くなったなと思ってね。
前だったらガッツが今いないってだけで激怒してた所だったと思うぜ?」
「仕方ないだろう。グリフィスが認めたんだ」
「……ま、そりゃそうか」
深く追及することを避けてジュドーはキャスカに同意した。
グリフィスはガッツが旅立ってすぐ、キャスカ達千人長らに死霊等が本物であったことを確かめた事や、
この先ゾッドの如き相手に遭遇した時にもガッツが行くことは必要であると説いていた。
しかしそれ以外の団員達にはガッツはゾッドの様な相手に対処するため一時的に団をはなれたと言う内容の説明であったため
ゾッドに負けたせいで修業の旅に出たやら山篭りをしにいった等と噂されているのであった。
戦場の神とも呼ばれる化け物相手に負けて悔しいから、爵位授与も放って山篭りをする。
そんな話が真剣に噂されるあたりが団員達のガッツに対するイメージを物語っていた。
そんな事を知る由もないガッツは――
「ハァ……ハァ……」
森の中、ガッツは息荒く剣を構え死霊達に対峙する。
とうに慣れた筈の死霊達の相手が今、予想外にガッツを苦しめていた。
出発時に乗っていた馬はすぐに死霊の餌食となった。
それは予想の範囲であった。多少なりとも旅の行程を短くできた。徒歩での旅は慣れている。
だが連射式のボウガンやすぐれた鎧、火薬、義手もなく、
何よりパックの不在とあの巨剣が無いことがガッツを苦しめていた。
「がぁあ!」
声を発しガッツは迫る骸骨を蹴りを放つ。
蹴りつけられた骸骨が吹き飛び倒れ、骨が崩れる。
ただ戦うだけなら死霊如きに後れをとるガッツではない。
だが――
「シィッ!」
手にした剣を振り骸骨共を切り払う。
その手にあるのはあの長く肉厚な特注のだんびらではなく、標準的な長剣であった、
死霊達の強さは大したことでは無い。
だがその剣にかかる負担は百人斬りの比では無かった。
何かに乗り移った死霊は媒体を粉砕せねば止められず、そうした戦いが毎夜夜が明けるまで続くのだ。
特注のだんびらですら早々に限界を迎え、ガッツは剣を補充しながら旅を進めるしかなかった。
大剣や戦鎚の類があればましで、最も手に入りやすい長剣は人外の物と戦うには不向きな武器だった。
御世辞にも使いなれたとは言い難く、また相手に対して有効とは言えない何時折れるかわからない武器で延々と戦う。
それはあの剣を使っていた頃は思いもよらなかった負担をガッツに与えていた。
鈍い金属音を立てて手にした剣が折れる。
「チッ!」
折れた剣を投げつけ、ガッツは荷物から予備の剣を引き抜く。
途中立ち寄った街で買いあさった何本もの剣。
ゴドーへ支払うつもりで余裕を持って持ち出した金銭も底を突きそうだった。
ウィンダムを出てすぐに状況のまずさに気付いたガッツは、ゴドーの元へと急いだ。
負担の大きくなった戦い。
それが夜を徹して行われ、僅かな睡眠を削って馬もなく先を急ぐ。
溜まる疲労と増えて行く怪我がさらにガッツの戦いを辛くし、悪循環へと陥らせていた。
(あと少しでゴドーのとこだ……そこまで持てば)
焦りを抑え込みながら、ガッツはがむしゃらに走り、そして剣を振る。
いつしか、ガッツにまとわりつく骸骨が数を減じて行き、最後の1体が砕かれた時。
幾手に馬上にある骸骨の如きものが姿を現していた。
「……あんたは」
有象無象の骸骨とは一線を画す存在。
かつてガッツに様々な示唆や助力を与えた、人外のものに仇なすもの。
髑髏の騎士。
「……因果を逆転せしめたか。踠く者よ」