帰った。 使用人にはお帰りなさいませと頭を下げられたが、さして心配もされていなかったようだ。半分無視するようにおざなりに返事をして自室に向かう。 廊下を進み、ドアを開ける。そこには。 掃除の最中だったのだろう、箒を持ったまま、呆然とこちらを見る少女。「ただいま、シャーリー」 その途端、少女の顔が歪んだ。ばたん、と音を立てて叩きつけるように箒を床に落として、シャーリーは僕に駆け寄ってきた。「ご主人さま……ご主人さまご主人さまご主人さまぁっ…………」 シャーリーは僕に抱きついて泣きじゃくる。いや、今はまだシャーリーの方が僕よりもやや身長が高いから、シャーリーの方が抱き締める形になってしまう。「本当に、本当に心配したんですよ……心配したのに一人で行ってしまわれて……お怪我はありませんでしたか?」「ああ。見ての通りだよ」「…………良かった。本当に、ご主人様が無事でよかった」 同じように、背後からも駆け足の足音が聞こえてくる。少しずつ速度を落として、そして。 後ろから抱き締められた。「お帰りなさいませ、ご主人さま。……言いたい事はたくさんありますけど、今は……何も……言えませんから…………このままで…………」 僕を背後から抱き締めているリーラの声にも嗚咽が混じっている。どうやら、本当に心配をかけてしまったようだ。 帰り着いた家では、信頼なのか無関心なのか、父には大して心配もされていなかったようだが、リーラとシャーリーには本当に泣かれた。正直気まずかった。 だが、帰る場所があるというのは嬉しいものだ。そう思う。 濁流のフェルナン/第九段 そんなわけで、前回の暴走の最終的な収支報告である。収益・火竜×たくさん・諜報員(潜入工作中)×1・土メイジ×1・ハーフエルフ×1損失・火竜×数十頭 客観的に見ても中々の数字である。ギーシュのところに諜報員を送り込めたのも良かったが、最大の収益はティファニアである。何といっても虚無なのだ。上手いこと始祖の秘宝を入手できれば、色々と使い道はあるだろう。 ティファニア本体をどうこうしなくても、ティファニア型ホムンクルスという手段だってある。メイジをホムンクルス素体にすれば、ホムンクルスも系統魔法を使えることは確認済みだ。扱いが特殊過ぎる虚無魔法でも同じ法則が有効かどうかはまだ分からないが、とりあえずいくつか細胞サンプルを採取しておく。 だが、一番扱いに困るのもティファニアである。ぶっちゃけどうしよう? アルビオンの王族で、ハーフエルフで、虚無の使い手。しかもギーシュと既にコネクションを持っている。総合して、ちょっとばかし火種が大き過ぎる。むしろ火種祭り。だからこそ役に立つという考え方もあるのだが。 虚無魔法、特にエクスプロージョンの火力は魅力的だが、かといって是が非でも欲しいというほどのものでもない。まあ、色々役に立ちそうではあるのだが。 とりあえず出会い頭にアイツの仕業だったのでついつい妨害してしまったが、正直なところ、何も考えていない。細胞サンプルだけでも当面は十分だったのだ。まあ虚無はサンプルだけでは再現できなかったとかだと面倒なので、サンプルとしては本人まるごとの方が上質には決まっているが、普通探すよな。 ぶっちゃけた話、ギーシュに持たせたままにしておいて、グラモン家次期当主はエルフに魂売っている~とかロマリアにタレ込んでやったら面白いかもしれないが、虚無の使い手である以上教皇が保護するだろうし……まあアイツが尻尾を握られるのは見ていて面白いかもしれないが、教皇が虚無の内の三つまでをゲットしてしまうのはまた面倒といえば面倒である。 まあ、幸いここはモット伯邸、女性の存在を隠すのはさして難しい話でもない。ティファニアの存在を父に隠しておくのは難しいが、いっそのこと、事情を話して父に預けて調教してもらうべきだろうか。淫蕩なエルフというキーワードにも少しばかり心惹かれるものがある。 しかし、よくよく考えてみれば我が父モット伯の持つ倫理観は基本的に典型的な(腐敗した)トリステイン貴族のそれである。王家とか教会なんぞからティファニアを供出しろと命令を下されたらあっさり従ってしまいかねない。というか、うっかり口を滑らして大事な情報を漏らしそうで怖い。使用人の口から情報が洩れる可能性だってあるし、ギーシュが敵の場合は主人公補正が奇跡を起こしそうで厄介だ。 とりあえず、ひとまずは仮死状態にして封印といったところだろうか。無論、マチルダさんも同じ扱いである。 ……待てよ? 一つ、妙案を思い付いた。 まあ、これに関しては後回しだ。ティファニアは貴重な細胞サンプル、研究が終わるまでは手放すことはできない。 さて、考えるべきことは他にもいくつか存在する。 まず、最初に考えるべき事は一つ。転生者対策だ。 あれだけ荒れ狂っていた衝動から解放されて冷静になって考えてみても、今の僕は純粋に能力不足だ。 現状において僕が使役する火竜の群なんぞも、ハルケギニアの軍隊相手なら十分な威力を発揮するだろうが、転生者相手では役者不足だ、というのが、この間の戦闘ではっきりした。 数十頭の火竜が本気を出していたかも定かではないギーシュに蹴散らされた。これでは、いかに相似魔術が量産に向いているといっても、少しばかり無理がある。第一、そもそも火竜ってのはゼロ戦にすら劣る程度の能力しかないのだ。どこぞの現代知識持ちのチート転生者にガンダムなどを錬金されたら、もはやどうなるかなど分かり切った話だ。 故に、早急に能力を強化する必要がある。 ちなみに、この間の火竜はまだほとんど使い切っていなかったので、現在ではその大半はラグドリアン湖の湖底へと沈めている。ラグドリアン湖の湖水は僕の本体であるので、端末を腐らせずに保管する事など容易いことである。 にしても、転生者、か。 僕やギーシュ以外にもいるんだろうか? いる、可能性もある。だが、当面の相手は所在が分かっているギーシュと考えた方がいいのではないだろうか。何といっても、ティファニアは僕が頂いたとはいえ、ギーシュは既にルイズを確保している。世界に存在する虚無の内の一角を手中に収めているのだ。 まあ、ギーシュと戦う必要も、これといって無かったりするのだが。ちなみに、うっかりギーシュと遭遇したら、僕は顔を隠したまま、自分がジョゼフ配下の暗殺者だと名乗るつもりでいた。アイツにそれを確認する手段はないし。 ちなみに、ジョゼフと言えばオルレアン公暗殺事件は、僕の知っているゼロ魔原作通りに、既に起きてしまっている。そう言えば、あの事件を阻止できた二次創作を、僕は何故かほとんど見た覚えがない。例えジョゼフが正気のまま登場する作品でも、だ。つまり、シャルロットがタバサになったという事。御冥福、南無南無。 ああ、そういえばギーシュについてだが。 僕が前後不覚になって家を飛び出している間、決闘騒ぎのあれこれで何やら謹慎処分になっていたらしい。あとルイズも。ギーシュはなぜか何やら甲鉄艦に乗ってアルビオンにいたけれど。貴族にとっての謹慎処分とは、部屋から出れない軟禁状態ではなく、社交界に出られない事を言うのだ。 家を飛び出している間の僕も対外的には謹慎扱いになっていたらしいので、向こうの処罰の程度も似たり寄ったりなのだろうが。貴族同士の決闘は禁止されており、しかも神聖な決闘に横槍を入れて一方をボコった、という無茶な状況の割には随分と軽い処罰だが、要は、面子さえ保てればそれでいいのだろう。僕もそれでいい。面倒だしな。 思えば、決闘騒ぎに関しては随分と人目を惹いてしまったように思える。おかげでギーシュの評価なんかがかなりガタガタと落ちている。ギーシュ自身に関しては特に、そもそもの始めから、彼の功績の派手さに比して貴族社会における評価がやたらと低かったのではあるが。 とりあえず、もう少ししたら謹慎期間が解けるので謝罪の一つや二つは来てもおかしくない状況ではあるものの、僕としては来て欲しくない。応対するの面倒臭い。 トリステイン貴族社会におけるギーシュの評価は「膨大な財産を消費して変な事やってる小僧」といった感じだ。前回のデモンストレーションでも、ゴーレム自体にコストが掛かる、ということで、ゴーレムの実用化もかなり見送られてしまったようではあるし。大砲単体にしておけばいいものを。 そもそもの原因からして、商売なんぞ卑しい商人か金に汚いゲルマニア貴族のやる事、というトリステイン貴族の固定観念もさることながら、駆け出しが悪かったらしい。グラモン家が買い込んでいる美術品、たとえば廊下や階段の隅なんかにさりげなく飾られている絵画とか壺とかそういった代物を景気よく売り払ってしまったから、なんだとか。 そういった芸術品というのは、現代日本の一般市民の目からすれば無駄の無駄、金に飽かせた贅沢に見えるのだが、甘い。貴族というのは、そういう部分で人を見るのだ。 どれだけ余計な部分に金を使えるかというのはつまりそいつがどれだけの財力を持つのかに通じる。相手がそういった高級品の価値を見極められるのであれば、それは相手が普段からその手の高級品に日常的に触れている、すなわちそいつが無理して金出して背伸びしていない事を意味する。 逆に、来客にさりげなく出される紅茶の質が落ちていればそれは相手がこちらに対する評価を落としたか、さもなければ相手自身の財力が落ちていることを意味するし、以前応接間に置かれていた壺が一等価値が落ちるものに代わっていれば、それは相手の財力が家財を売り払わなければならないところまで落ちていることを意味する。 たとえば、前世の地球、それも日本においても戦国大名の間では茶の湯が珍重されたが、狭い茶室の中で戦争の勝敗が決まる事があるというのは伊達ではないし、戦国時代において領地や刀と並んで茶器が褒賞として扱われた。要は茶器というのは刀と同じ、その国家における『財力の象徴』なのだ。重要文化財だとか学術的なあれやこれやだとか、そんなもの単なる付加価値に過ぎない。 戦国のボンバーマン松永久秀が織田信長から現代日本人にとっては何の役にも立たない茶釜“平蜘蛛”を停戦条件に要求され、松永久秀がその要求を蹴り飛ばして平蜘蛛に爆薬詰めて自爆ブチかましたのも、ただのうつけものの暴走ではない。松永久秀の財力の象徴である平蜘蛛を、織田信長が所有するという事実、それ自体が信長にとって凶悪な手札になるのだ。 要はその手の美術品やら何やらは、相手に舐められないために必要になってくるのだ。 そんな社会で名門貴族グラモン家が美術品を盛大に売り出して、貴族たちからすればわけが分からない投資を始めたら、グラモン家の次期当主がおかしくなった、というようにしか見えない。 それでもグラモン家というネームバリューがあるから静観しよう、という方向性に落ちついていたのだが、その矢先にこれである。グラモン家の名誉は、かなりガタ落ちした。まあ僕からすれば、ざまあ見やがれですぅ、といったところだろうか。それでも我がモット伯家とかそこらへんの並みの貴族からすれば十分強力なのであるが。 まあ、そんなこんなで、ギーシュ自身にはメイジとしてスクエアクラスの実力があるため神童と言われているが、内政・軍事面でのギーシュの評価はさして高くはないのだ。さもなくば、僕なんぞと並び称されているはずがない。 僕か? 内政面では外から見ればモット伯領が栄えているのは単なる偶然の積み重なり。軍事面においては、僕の軍隊は人目に見せられないからな。 にしても、決闘騒ぎといえば、あれからルイズの話を聞かない。まあ、ルイズ自身露出が少ないので不自然ではない、といえばそうなんだろうが……ああ、性的な意味ではなく情報的な意味でな。 まあ尻叩きくらいはされてても不自然じゃないが、ギーシュの主人公補正からしてルイズが持ち上げられていると面倒だ。まあ、どちらにせよ、謹慎処分くらいが妥当か? まあいいや。どうせルイズなんてどうでもいい、というのが本音ではある。「念のため、調査だけはしておくか。とりあえず、あまり派手でない程度に」 まあ、どうせ謹慎処分だけなんだろうが。「それにしても、火竜の強化、か……さすがに難しいな」 僕は館のベッドに寝転がりつつ思索を巡らせる。 強化させるには単純にホムンクルス化させればいいのだろうが、蛇や蛙、薔薇のような一般的なホムンクルスでは、かめはめ波の一発で諸共消し飛ぶ図しか頭に浮かばない。「……そんな強力な生物なんて、この世にいたっけかなぁ?」 安直に火竜型ホムンクルスにするという手もある。火竜は結構強力な生物だ。 だが、現状、ホムンクルスは、単純にホムンクルス素体の能力を受け継ぐのみならず、ある程度個体差はあるもののホムンクルス素体を寄生させて苗床にした生物の特性をも受け継ぐことが判明しているのだ。例えば、蛇型ホムンクルスの舌や蛙型ホムンクルスの腹部に人間の顔がついていたりするのが良い例である。 よって、ただのホムンクルスであっても、火竜を苗床にしている時点でそこそこの能力を発揮できることは間違いなく、また、火竜の能力を使用できる可能性は高い。 ならば、火竜型ではなく、他の生物のホムンクルス素体を使用する事で、より多彩な能力を持つホムンクルスを製造する事ができるのではないだろうか。 相似体系魔術は、こと量産という一点に関していえば最大の力を発揮する魔術だ。そして戦争は数だ、とどこぞの偉大な兄貴も言っている。相似体系=数=力、すなわち相似体系魔術こそ最強の魔術……なんてね。 火竜ベースのホムンクルスに関しては、納得がいくレベルの個体ができるまで試作を続け、十分なレベルの個体ができたら、それを相似魔術を使って増やせばいいだけの事だ。 ただ問題は、先程にも述べたとおり、火竜に見劣りせず、チート転生者相手に一撃で薙ぎ払われない程度の能力のホムンクルスが作れると期待できる生物がいない事である。 そんな風に考えていたときである。「ご主人さま」 ドアをノックして部屋に入ってきたのは、いつも通りのメイドだった。「リーラか。ティータイムには少し早いようだが、どうした?」「ええ、実は、以前から行っていた調査の一つが完了したようで、報告書を持ってきたのですが」 僕はアンドヴァリの指輪を利用して洗脳した人間を使って、そこそこ広い範囲に情報網を築いている。まあ、情報網といっても、指輪というチートを使ってすらジョゼフや教皇あたりの素チートどもには勝てないだろうが。そんなものである。「以前の件っていうと?」「ラルカスという水メイジの足取りについてです。こちらをご覧ください」 僕はリーラから書類を受け取って目を通す。 手掛かりがラルカスという名前、主な系統が水である事、重病を患っていた事、所属がガリアかトリステインである事、最後にミノタウロス退治を行っていたこと、この程度しかなかったが、名前が分かっていたため絞り込み自体はそれほど難しくなく、さほど時間を掛けずに見つけ出す事ができたようだ。「しかし、このラルカスというメイジが、それほど重要なのですか?」「ああ。今まで行き詰っていた研究の一つを完成させる鍵になるかもしれない」 僕は書類に目を通しながら簡単に言う。ゼロ魔の原作の外伝に登場した、自らの肉体を捨ててミノタウロスに脳を移植したメイジ。単純な戦闘能力では、ガンダールヴや虚無のようなチートを除けばゼロ魔原作における最強クラスに入るだろう。まあ、タバサに負けたが。 近くの町では子供の行方不明事件が多発しているようだ。候補地を見つけたらこれも確認させておいた。ゼロ魔の原作においてラルカスはミノタウロスの肉体の衝動を抑えきれずに、近場の町で子供を攫っては喰い、攫っては喰いを繰り返していたのを覚えていたための確認だが、やはり間違いはなかった。「鍵……ですか?」「ああ。例の……“キメラ型”だ」 僕が言うと、リーラは少しばかり考え込む様子を見せた。「……ご主人さま、その対象の捕獲は、危険が伴うのでしょうか?」「そうだな。確かに危険があるかもしれない。何しろ、敵は系統魔法を使うミノタウロスだ」「そうですか……それなら、シャーリーをお連れください」 リーラは意を決したかのように言う。やはり、この間の事で心配を掛けてしまったらしい。「シャーリーを?」「シャーリーは私と違ってホムンクルスですし、武装錬金も強力です。少なくとも足手まといにはならないでしょう」 そう言われて、もしかしたら自分がまだホムンクルスになっていない事に引け目を感じているのだろうか、と関係ない方に思考を飛ばしながら、少しばかり考える。「……そうだな。シャーリーの戦闘能力の実地テストもしていなかった事だし、試してみようか」 僕がそう言うと、リーラは安堵したような笑みを見せた。「で、ご主人さま、あそこがその鍾乳洞という訳ですね?」「ああ。そういう事だ」 僕たちは、数年前までミノタウロスが暴れていたというエズレ村から少し離れたところに存在する洞窟を監視していた。僕の中にあるキャスターの探査魔術で見つけたものだ。 ちなみに、僕は今まで一度もキャスターの能力を使っていないように見えるのだが、実は結構な頻度で使っていたりする。例えば、地下の工房や実験場などの施設は陣地作成スキルだし、ホムンクルスを作成するときの大型フラスコなんかも道具作成スキルで作ったものだ。ただ、活躍の場面が非常に地味であるため、目立たなかっただけである。「さて、どうしようかな……」 ミノタウロスの気配は洞窟の中に存在する。先程、アンドヴァリの指輪で洗脳した盗賊にミノタウロスを攻撃させたら、見事に系統魔法を使っていた。あれがラルカスで間違いは無さそうだ。 確か、原作ではタバサは、どうやってラルカスを倒したんだったか……いけない。何も覚えていない。まあ、そんなものだ。前世で読んだラノベとかも、能力とかの設定は結構頭に入っているのだが、どんなストーリーだったかとかそこらへんは頭から消し飛んでいる。記憶力の偏りというヤツだね。 しかし、本当にどうしよう。ラルカス本人の肉体や研究資料が必要なのだ。馬鹿正直に正面から突っ込めばどうにでもなる気もするが、あまり派手な真似をして、中の研究資料が木端微塵になってくれても困る。しかも戦場が狭い洞窟の中では余計に危険だ。どうにかして、敵を誘い出さなければならない。 もしくは、戦闘に持ち込まずに不意打ちでブチ込むか、だ。こっちにはアンドヴァリの指輪もある。ただ、これだと下手に暴れて戦闘になった時に困る。やはり、大事を取って誘い出すべきか。 正直言って、有効的な接触はあまり当てにできないんだよな。どういう仕掛けになっているのか分からないが、ミノタウロスの本能に精神を浸食されているから。ニコニコ笑顔で話している最中に不意打ちでオレサマ オマエ マルカジリと来られた日にはたまらない。不意打ちだろうが何だろうがとりあえず勝てない気はしないが、貴重な研究資料を木っ端にされたら洒落にならん。 ラルカスは単純に魔法が使えるだけのミノタウロスではない。凶暴な亜人であるミノタウロスを打ち倒す人の知性、戦闘技術。多少錆びついているかもしれないが、そんなものが彼の中に宿っているはず。そして、魔法を扱う精神力すらも強化されている。 それもまた厄介。知性を持たない獣であればただ暴れるか逃げるかの二択、僕とシャーリーが揃っている現状、逃げ道を断ってしまえば正面からの叩き潰し一択で片がつく。 しかし、人間の知性があるのなら、こちらの想定外の手段で足を掬う事も可能。魔法という汎用性に優れた戦闘技法を保有しているのならなおさらだ。 総合して、敵の利は、研究資料を置いた狭い洞窟という地の利、そして人間の知性と魔法という戦術的な選択肢の数。「だったら、その二つが使えない状況に落とし込んでやれば問題は……って、そんな状況作れるのか?」 考えあぐねながら無為に時間が過ぎる。やがて夜になる。さすがに少しばかり眠くなってきた。 空を見上げれば、木々の間から月が見えた。ハルケギニアの月、青い方のやつだ。三日月というにも細過ぎる蒼白いアーチが、ゆっくりと梢の間を通り過ぎていく。 木々の中を通り過ぎる風が静寂の中に葉擦れの音を奏で、その合間に鳥や獣の声が響く。 その時だ。「っ────ご主人様!?」 押し殺したシャーリーの声が、僕の意識を惹き戻した。「どうした?」「あれを……」 シャーリーが指さすのは、洞窟の入り口からのっそりと歩み出てきた巨大な影────ミノタウロスだ。「こんな時間に、一体どうして……?」 シャーリーが首を傾げる。僕も僕で似たような疑問を抱いていた。 僕は元から多数の隠蔽宝具を展開しており、たとえミノタウロスが人間離れした知覚力を保有していたとしても、僕たちを発見するのは不可能に近い。そして、それ以外でラルカスがこんな時間帯に外出するような理由など────否。「待てよ」 もはや薄れに薄れている前世の記憶が違和感を告げる。ラルカスの物語。雪風のタバサを主人公とする物語。それは一体どのような粗筋だったのか。「確か、タバサが盗賊に襲われたところをラルカスに助けられて────」 それで物語は終わったのだったか?「────ああ、思い出した」 僕とシャーリーは、おそらく街に向かって移動しているのだろうラルカスを尾行していた。 やがてラルカスはレビテーションか何かの呪文を唱えて街の城壁を乗り越え、街の中に入る。裏通りを身をかがめながら歩くラルカスの様子を、僕たちは教会の鐘楼に潜んで監視していた。「でもご主人さま、なぜラルカスはわざわざ街なんかに? 軍隊に見つかれば、捕らえられて殺されるかもしれませんよ?」「ああ、夜食のためさ」「……? 夜食?」 僕が言うと、シャーリーは理解できないといった風情に首を傾げた。「ほら、よく見てみろ。あいつが何をやっているか」 近場の家に忍び込んだミノタウロスが、やがて何か小さな塊を担いで戻ってくる。そして、来た時と同じようにして城壁を乗り越えて帰っていく。「あの……塊、もしかして生きています?」「ああ。もしかしなくても生きている。あのサイズの生き物というと、何だと思う?」「鹿? それとも犬……まさか!?」 ああ、そのまさかだ。街中に鹿はいないし、家の中で飼われる犬はメイジの使い魔くらいのものだ。「……人間、ですか?」「そう。それも子供だ。アイツはな、ミノタウロスの肉体に精神を喰われかけているのさ」 その子供が何に使われるのか理解したのだろう、シャーリーは目を丸くしているが、しかし、その表情に嫌悪の色は欠片もない。何となれば彼女はホムンクルス、食人衝動こそ存在しないものの、彼女はもはや人外。人喰いの怪物だ。「じゃあ、それだけ分かっているのに、どうして彼の後をつけたりしたんですか?」 そんなことは決まっている。「ここで仕留めるためさ」 都合よく標的が砦である家を出てくれたということ。これによって、ラルカスの地の利は失われた。 そして、ラルカスがミノタウロスの食人衝動に衝き動かされているということ。これによって、最後の希望である人間の知性すら失われた。 後は叩いて潰すのみ。 ラルカスを取り巻くようにして同心円状に彼我の相対距離数百メイル、それだけの間隔を開き、蒼白い光の壁が展開する。複製障壁。そこから溢れ出すのは膨大な水だ。ラグドリアン湖の湖水を転送し、複製して、周囲一帯にぶちまける。 たちまちのうちに辺り一帯が水浸しになる。直径数百メイルにも及ぶ深さ半メイル程の水溜り、戦場の優位としては十分過ぎるほど。 それは全て水精霊の手足だ。泡立ち、逆巻き、波濤を轟かせてミノタウロスの肉体へと絡みつき、その動きを制限する。 そこに、僕が姿を現した。放つ魔法はアクア・ボム、炸裂水球をその肉体の身で弾き返したミノタウロスは、僕を敵と認識したのかその瞳まで赤く染め、憤怒の吐息を吐き出しながら突進、波濤を蹴散らしながら走り込んだミノタウロスが巨大過ぎる斧を振り下ろす。 その斬撃を受け止めたのはシャーリーだった。その手に握られているのは、剣とも槍ともつかない異形の刃物。武器にこだわらず例えるのであれば、巨大なステーキナイフにも見える奇怪な武器。 その全長の半分が柄であり、かつステーキナイフにも似た緩やかに湾曲する刀身の長さは身長ほどという、長大な刃物。長大な片刃の刀身の裏にはスラスターにも似た縦長のノズルが取りつけられている。 それこそがシャーリーの、斬馬刀(ホースバスター)の武装錬金『ミッドナイト・プラグレス』。全長四メートルにも及ぶ巨大な長巻だ。 全長二メイル半にも及ぶ巨体から繰り出される斬撃の破壊力が斬馬刀の柄の一点に集約され、集中されたその破壊力は一トンを優に超えるほど、ましてやその巨体による全力の踏み込みによる運動エネルギーはホムンクルスの膂力を以てしても受け止めきれるものではない。いかに人型よりも優れた身体能力を持つ獣人型ホムンクルスとはいえ、シャーリーのウェイトは普通の少女とさして変わりない。しかしその重撃を、シャーリーは軽く片手で指を這わせただけの斬馬刀で微動だにせずに受け止めていた。 『ミッドナイト・プラグレス』の能力は『エネルギー保存法則の無視』、長大な斬馬刀に加えられる衝撃は斬馬刀に伝わることなく、ただ雲散して消えていく。これにより、斬馬刀の刀身を伝わる膨大な慣性をキャンセルしたのだ。あらゆる攻撃からエネルギーを消去する事によるほぼ絶対的な盾。その力により、シャーリーは戦車砲による砲撃だろうが、アルビオン大陸の崩落だろうが、あるいは核爆弾の直撃だろうが、斬馬刀一本で受け止められる攻撃である限り、あらゆる攻撃を弾き返す。 少女は長大な斬馬刀を指先で回転させ、踊るようにして体ごと回して振り回す。それは多少のぎこちなさこそあるものの、獣人型ホムンクルスの身体能力を生かして、流れるように刃を舞わし、己の体格を遥かに超えるミノタウロスの斬撃を跳ね飛ばした。 そも、長巻のみならず、大鎌やグレートアックス、ハルバートのような超重武器を振るうというのは、その重量をどのようにして運動エネルギーに、ひいては破壊力に置換するかという事であり、威力=重量×加速の等式が存在し、重量のある物体を加速するにはそれなりの膂力と溜めが必要である以上、超重武器による攻撃はどうしても鈍足に、かつ大振りになってしまう傾向がある。 それは、例えば身の丈ほどある大剣をナイフ並みの速度で振るう事ができたとしても同じ事であり、同等の速度であっても斬撃に許される運動力学的な軌道の選択肢はどうしても限定されざるを得ない。 だが、シャーリーはそんな重量などどこにも存在しないかのように長大な斬馬刀を振り回す。真横に薙ぎ払い、正面に跳躍して振り下ろし、断ち割られた地面に深々と喰い込んだ刃を横に振り、即座に切り返して再び薙ぎ払う。 その有り得ない機動を可能にするのが斬馬刀の武装錬金『ミッドナイト・プラグレス』の特性『エネルギー保存法則の無視』。単純だが奥が深く、強力な武装錬金だ。現在は相似魔術を利用して、他の道具や生体にその特性を移植できないか研究中である。 人外の反応速度で以ってシャーリーはミノタウロスの攻撃を受け止め、捌き、弾いていく。依然として効果を上げられない剣戟に業を煮やしたのか、ミノタウロスは魔法でも使おうとしたか後方へと下がろうとする。 だが甘い。敵は一人ではないのだ。いや、何が敵かといえば、この環境、水に満たされたこの空間こそが、ミノタウロスにとっての最大の敵。後退の一歩を踏もうとしたミノタウロスの体重を支える軸足、その真下の地面が、噴きつける水流によって突き崩されたのだ。 同時に周囲から押し寄せる水流に足を取られ、巨大なミノタウロスが飛沫を上げて地面へと倒れ込む。ミノタウロスもそれに対して抗いの咆哮を上げるが、無意味。渦巻く水がミノタウロスの口に鼻に押し寄せ、その体内を蹂躙し、制御を乗っ取っていく。 ラルカスの捕獲作戦、成果は上々である。 免疫の拒絶反応を無効化する水魔法についても、肉体に水の精霊を浸透させたおかげで、大体の事は理解できた。ミノタウロスの肉体に拒絶反応を起こさせずにメイジの脳髄を移植する手段。水の精霊の力を通して脳味噌の中のデータを読み取り、脳味噌にどんな感じで力が働いているかも分かったので、ほぼ完璧である。これさえ分かれば、前々から行き詰まっているキメラ型ホムンクルスの精製も上手くいきそうだ。 試しに興味が湧いたので、ミノタウロス型……というか、ラルカス型ホムンクルスを作ってみた。結果として、ミノタウロス型の肉体に、系統魔法を使うホムンクルスが完成した。 喜び勇んで火竜に使ってみる。キメラ型の試験も兼ねて、火竜型の因子を付与してみた。水の先住魔法で操り人形と化したラルカスの協力もあって、見事に完成。ラルカスは研究者としては中々に優秀なようだ。他の生物の要素も付け加えたかったのだが、初めてでそれは少し難易度が高いのではないかと考えたため、泣く泣く諦める事となった。 結果、基礎形態である火竜が変形して、ミノタウロスの顔を火竜っぽくして、火竜の爪、牙、角と翼を生やした形の怪物に変形するようになった。無論、ブレス能力も健在。一体どこのデーモンか不死のゾッドやら、といった感じである。まあこれで、何はともあれキメラ型ホムンクルスの実験も大成功である。 加えて、ベースがミノタウロス、要するに亜人型なので武装錬金も使える。ミノタウロスの肉体で発動させてみると、どうやら鉤爪の武装錬金のようだ。 ついでに、僕の肉体と同じく腕の骨をメイジとしての杖に加工して、杖を持たずに魔法を使えるようにしてみた。あと、心臓部には核鉄を封入した。核鉄+ミノタウロスの再生能力があるので、再生能力は特にスゴイ事になっている。まさに完璧である。 なお、火竜はホムンクルス化しても端末として機能するようだった。 わりと納得のいく試作品が完成したので、ラグドリアン湖の底に沈めてある端末の火竜をほとんど全部、相似魔術の《原型の化身》でこの型のラルカス型ホムンクルスへと改造する。大分戦力が上昇した。これなら、大抵のチート兵器と戦っても引けは取らないと思う。=====後書き的なもの===== ……やってしまった。 とりあえずルートAと内容ほぼ一緒なので、同時に更新。Aは生き残りの秘策について。Bはテファの処遇。 とりあえず次はAかBか。そろそろテファがいるいないの影響が出てくると思うので、どっちにするのかいっそのこと両方続けるのかは次で決める予定です。 どっちをかきたいのかよく考えないと。