空を舞う竜の大群。無数の翼のはばたきが重なり合って、その響きはもはや轟音に近い。空は曇り。雲に覆われて暗い色調の空が、まだ見ぬ不吉の到来を予告しているかのよう。 そんな中、僕は雲に紛れて浮遊大陸アルビオンへと接近しつつあった。竜の群に先住魔法を使わせ、雲を纏い、姿を隠す。「竜群は水の精霊の支配下にあるから、魔法を使うこちら側はメイジ一人と水の精霊、それから火竜の群、三つのパーツによって構成された群体生物のようなもの。一体一体ではなく、一個の群体として魔法を使う事で、飛躍的にその威力を上昇させる事が可能、か。この技は、結構使えるかもしれないな」 僕は眼下に、どこかの大貴族が建てた城らしき建物があるのを確認し、竜の神経を通して号令を下す。僕の一部である火竜たちが一斉に咆哮を上げる。数百頭の竜による、いわば疑似聖堂詠唱での先住魔法。 竜が纏う雲が燐光を纏い、少しずつ強烈な光と化し、やがて一条の閃光と化して眼下の大地へと滑落する。轟音を上げて着弾した雷は、しかし一瞬ではなく数秒間の照射を続け、停止する。 雲の中から水の精霊そのものである水蒸気の触手を飛ばし、眼下の城に探索の手を伸ばした。「大分燃えているな。生存者はゼロ、か。あれだけの威力の攻撃であれば当然だな。……こんなんじゃ足りないけれど」 竜群の眼前に赤く輝く障壁を発生させる。一辺百メートルにも達する赤い正方形の、“複製障壁”と呼ばれるそれは、グレン・アザレイの相似体系魔術の一つであり、“転移障壁”の応用。空間転移の転移先を同時複数設定する事で、入口を通った物体を複数の出口からコピーして出せる障壁である。それに自分が乗っている以外の全ての竜を突入させる。上空千メートルの雲の中に設定された十三枚の出口から次々と飛び出してくる竜の群は、十倍以上の数となってすぐさま僕に合流する。 だが、それでも足りない。あの化け物の恐怖から逃れるには、まだまだ力が足りないのだ。 だから、僕は人気の無い山岳地帯へと竜の翼の先を向ける。人がいない、といっても、それは人類に限る話だ。オークやオグル鬼などの亜人どもが、無数に棲息している地帯。火竜の飛行能力に物を言わせて上空から水の精霊の雨を降らし、その肉体を奪い取っていく。 ああ、でもやはり、足りないことには変わりない。こんなんじゃ、一撃で消し飛ばされて終わりだ。もっと、もっとだ、もっと力が────。 濁流のフェルナン/第八段「にしても、空を飛び続けるのにも飽きてきたな」 ひとまず、地上に降りる事にする。何か面白いものでも見つかるかもしれない。 いきなり火竜の群れが飛び回れば当然大騒ぎになるだろう。火竜の大半を雲の中に隠し、その中に複製障壁を浮かべてしばらくオートで火竜の増産を行う傍ら、僕は地上へと降り立った。「といっても、何もないな。森ばかりだ」 森なら、トリステインにもいくらでもあった。正直、これなら空の上にいても大して変わらない────「────あれは、村、なのか?」 普通、半径数キロの範囲に人が暮らす集落があるのなら気付く。僕にはランスロットの気配察知能力があるからだ。だが、それにもかかわらず気付けなかった。 その理由は簡単。「……誰も、いない?」 人の気配が無いのだ。 木々の葉擦れの音や風の音は届いてくるが、それだけだ。しんと静まり返って、物音一つしない。目につく中でとりあえず一番大きな建物の中を覗いてみるが、どうやら誰もいないようだ。得体の知れない何物かが潜んでいる様子もない。「テーブルに湯気の立っている料理でも並んでいれば、マリー・セレスト号みたいなんだろうが」 しかし、それもない。僕の独り言は木造の壁に虚しく跳ね返る。空が曇っていることもあり、無人の村はどこか不気味だ。 木目の浮き出たテーブルをそっと撫でても、埃の感触はほとんどない。どうやら、住民が消えたのはさほど昔のことではないようだ。「レコン・キスタも動き出していないってのに、気の早い連中もいたものだ」 にしても、ここはどういう建物なのか。実際に使っていた痕跡のある厨房もあるようだし、生活のための施設だというのは間違いない。だが、貧民が多産になるという傾向を想定に入れても妙に椅子や部屋の数が多い。 その椅子の大半は、体の小さい子供でも使えるように細工が施されているようである。 まさか────原作知識が頭をよぎる。まさか。「孤児院……か?」 まあ、ここが孤児院だとしても、原作に登場したあの孤児院だという保証はどこにもないのだが。 あらためて、孤児院のような建物を探索してみる。食料品や生活雑貨のようなものはどこにもない。家具だけがぽつねんと放置されている。まるで取り急いで引っ越しでも始めたような有様だ。「まったく、何が何だか……」 だが、何はともあれ、こんな訳の分からない状況に関わり合いになる必要などどこにもない。何が起こるかなど分かったものではないのだ。ぼんやりしていて面倒に巻き込まれないうちに、さっさと退散するのがベストだろう。「それじゃ、さっさと帰るとするか」 溜息一つついて建物を出る。上空に待機させた火竜の視界が妙なものを捉えたのは、その刹那の事だった。 といっても、さして珍しいものでもない。「フネ、か」 水上を航行する通常船舶とは違い、風石の力で空を飛翔するものを“フネ”と呼ぶ。ラ・ロシェールでもよく見たものだ。 相似魔術で発生させた転移障壁を使って上空へと空間転移、ヴィマーナの甲板に姿を現す。 火竜たちが捉えたのは巨大な影だ。僕の乗るヴィマーナと比べてやや大型の影。大地を覆う、というほどでもないが、巨大といえば巨大。だが、このアルビオンという土地からしても、さして珍しいものではない。 それが、全体を分厚い装甲板で覆われていなければ、だが。さすがに錆除けの塗装はしているようだが、メインの水魔法と比べるべくもないとはいえ、一応土魔法の心得もあるのだ。転生者絡みの謎素材でも持ち出されない限りは、金属か非金属かの区別はつく。「甲鉄艦か……」 地球で導入されたのは僕が知る限りでは明治維新の辺り、北辰戦争……だったか、もう戦争の名前すら忘れてしまったが、江戸幕府の残党が北海道で戦った戦争だ。新政府軍が使用して、土方歳三が海賊戦法で乗っ取り損ねた船だ、と司馬なんとかの燃えよ剣に出てた。ラノベや漫画以外で僕の記憶に残っている数少ない物語の一つ。 ゼロ魔原作でそれなりに活躍したレキシントン号とかも、僕の記憶が正しければ木造剥き出しの造りをしていた、はずだ。まあ、あまり良く覚えていないのだが。 となると、ああいうけったいなものを造るのはやはりギーシュくらいしか思い浮かばない。まあ、僕やギーシュ以外の別の転生者という可能性だって無くもないし、またそれ以外の突然変異的な天才の仕業である可能性だってあるだろうが、それはそれで脅威に違いない。「調べてみる必要はある、か」 あれこれ想像を巡らせるよりも、まずは調べてみるべき。実物が目の前にあるのだ。 だが、どちらにせよ、どうせ嫌な思いをするのは変わらないのだろうな、と。そんな風に思った。「まさか、またギーシュか……?」 ここ最近、やることなす事アイツに付き纏われているような気がする。無論、気のせいだ。アイツと関わり合いになったのはたったの二回。 あちこちで目に付くような気がするのは、おそらくアイツが原作知識を基に行動しているためだ。原作に描写された部分は、僕の記憶にもある程度残っている。「……っ」 不愉快だ。さっさと行動に移る事にしよう。 “王の財宝”の中の宝具を使えば、姿を消すぐらいはさして難しい事じゃない。空飛ぶフネの中に潜り込むのは、さして難しい事ではなかった。 大きさからすれば不釣り合いなほどに大量の砲を備え付けたその艦は、構造的には通常の戦列艦と大して変わりはない。まあ、旋回砲塔とか色々と細かい部分では違っているようだが。その上、どうやら飛行甲板までついているようだ。 鋼鉄の装甲板が張られた甲板には数人の兵士たちがたむろしていた。雑談したり、あるいはポーカーらしきトランプゲームをやっていたりして、当直らしき見張り台の船員以外は平和なものだ。一人だけツナギを着てウホッとか言っている奴がいたが、それは気にしない方向性。 姿を消したままトランプを覗き込む。前世の地球で見たものとはかなり見た目が違っている。それも当然、この世界のトランプは数字は同じ、しかしスートは剣杯杖金の四記号ではなく、系統魔法の地水火風だ。だが、僕はこの手のゲームをやったことはない。友達いないし。 まあ、前世でも似たり寄ったりだったけど、まあ、この世界にハーツとかソリティアとかスパイダソリティアとかはないからな。 正直、イラついてくる。何でもない談笑の光景にさえ苛立ちを感じる自分は末期だろう。奥歯の軋みを噛み殺す音は、足音消しの靴に遮られて虚しく消える。 いっそのこと、こいつら殺してやろうか、と思う冗談混じりの殺意に反応して、“王の財宝”から剣の柄が滑り出てくるが、頭を振って余計な考えを追い出し、周囲を索敵。今のところ、こちらに気付いた気配なし。音消し臭い消し気配殺しの宝具まで使っているから当たり前。 そのままサイレントキリングと洒落込みたくなるのは、パピヨンの性格でも伝染したからだろうか? まあどうでもいい。叩き殺すのは、敵だとはっきり分かってからでも構わない。 さして広くもない艦内を、敵を探して歩く。 甲鉄艦か、と頭を捻り、そういえば、ギーシュが何やらフネを建造している、という話を聞いた事もある。フネを使ったアルビオンとの通商で、味噌や醤油をダイレクトに売り込む事に挑戦しているらしい。まあこれがそのフネだとは限らないのだが、とりあえず頭の隅に留めておくべきだろう。上向きの階段があったのでとりあえず昇ってみる。 そこにあったのは、どうやら格納庫のようだ。旋回砲塔の陰、縦長の飛行甲板に直結したそれは、見方を変えれば小型の滑走路。専門知識が無いので本当に使えるかは分からないが、飛行機の発着にも使えそうだ。「零戦でも持ち込むつもり……か?」 滑走路の長さが足りなければ、優秀な土メイジが錬金して継ぎ足せばある程度は実用になるだろう。 まあいい。どうでもいい。零戦だろうが竜騎士だろうが戦闘妖精雪風タバサだろうが、好きなのを載せるがいいさ。敵に回ればその時は────「────どうしたものだろうな」 零戦の単騎性能はヴィマーナに乗る僕自身の性能差で勝てる。竜騎士の数は火竜の群れで圧殺できる。 だが、チート能力持ち転生者まで計算に入れようとすると、どうしても予測の幅が広くなり過ぎる。忍者凧からメカキングギドラまで、幅が広過ぎて想像がつかない。いっそのこと、全てチート飛行ユニットの記号一つで纏めるべきだろうか。 まあいい。それはその時に考えるしかないからな。 周囲を見回し、人がいない事を確かめて階段を下り、今度は一番下、船倉へと降りる。どこかで嗅いだ事がある強い匂いだ。具体的には、味噌や醤油。 実用化された甲鉄艦、貨物船としての運用、貨物は味噌に醤油。ここまでチートな現代知識利用。間違いない。間違いなくギーシュが絡んでいる。 さて、どうしてくれようか。そう思いながら腕に軽く力を込める。前世で見たゼロ魔二次を参考に、僕の全身の骨全てが杖、両手に宝具の武器を握っても魔法が使える。「はいはい湿度操作、と」 味噌の保存条件なんてよく分からないが、とりあえず限界まで湿度を上げてやる行為が味噌にとってありがたいわけがあるまい。 そう考えたところで、だ。 階段の辺りに気配、こちらに接近してくる。作業員かなにかか、と判断。「これは……?」 不審そうな声が上がる。女性の声だ。おそらく、この船倉に充満している不自然な湿気に気付かれた。まったく、子供みたいな嫌がらせなんてしなければよかった。糞、失策だ。 声から顔つきなんて分からないが、ギーシュ絡みだ、どうせ美人に決まっている。 不審を感じたのだろう、その何者かからディテクトマジックが飛び、船倉の内側を走り回る。どうやら、作業員はメイジらしい。まあ、倉庫の管理とはいえ、魔法が使えない人間に湿度の管理などできるわけがない。 一部の大貴族の皆様が見れば高貴なる魔法を倉庫番ごときに使用するなど何事、などと目くじらを立てられるかもしれないが、ギーシュなら平然とやるだろう。現代知識がある分、ある意味ハルケギニアの誰よりも効率重視の生物だからな。 だが、甘い。僕が使っている隠密宝具の中には、魔力による探知を無効化する宝具も────「そこに、いますね?」 ────無窮の武錬スキルが反応し、狼狽も唖然も関わりなく回避動作を起動、振り抜いた拳で風の刃を叩き潰しながら“王の財宝”から童子切安綱を抜刀して投擲し、続く連射を轟く五星ブリューナクを風車のように回転させて弾き飛ばす。「っ」 舌打ち、並んだコンテナの上を疾走しながら連続で飛来する風の刃を弾く。完全に捕捉されている。どういうことだ? 魔法を放つのはメイド服の女性、メイド姿のメイジといえばリーラを思い出すが、あいにく目の前の女は銀髪で、半顔焼け爛れたフライフェイスでもない。「貴方も理解しているとは思いますが、そこにいるのは分かっております。透明化を解除しなければ魔法も使えないでしょう? 逃げ場はありません。速やかに投降することを推奨します」 それこそ、甘い話だ。空間転移ならどこにだって逃げられる。だが、それとこれとは話が別。目の前のこの女を放置しておけるはずがない。「どこに隠れようとも無駄ですよ。水か風か、あるいは火か、どんな理屈で姿を消しているのかは知りませんが、風は世界に満ちるものです。“空気の無い空間”を見れば、貴方がそこにいることなど一目瞭然というものです」 それもギーシュの入れ知恵か、それとも彼女のオリジナルか。どうでもいい。とにかく迷彩は無駄、逃げても隠れても見つけられる。かといって迷彩を解除すれば顔を見られる。コイツはグラモン家の配下だ、この間の決闘騒ぎで、間違いなく僕の顔を覚えている。糞、どうすれば、どうすればいい!? こちらのアドバンテージは全て無意味、ならば色々とどうすれば、糞、思考が纏まらない。「大仰な鎧に仮面も、虚仮脅しですね。貴方からは、強者に特有の力の気配というものが感じられない。姿を消していたのも何か大層なマジックアイテムの力でしょうか? 所詮は借り物の力ということです」 っ、うるさい黙れ、全てお見通しか!? ああ確かにこれは借り物の力、大層なスペシャルアイテムの力だよ。それが悪いか!? 体内の水精霊に働きかけ、脳細胞の働きを鎮静化、外部から感情を押さえつけ、僕は無理矢理に冷静さを保つ。 つまりだ。迷彩は無駄。ただし顔を見られさえしなければいい。ならばどこぞのグリフォン隊長のように仮面でも被っていればいいのだ。“王の財宝”から手頃な物を取り出し、装着。 仮面は、二本の角を持つ鬼の面。 かつて日本最大の鬼種たる酒呑童子の誕生伝説において、祭祀用の鬼の仮面を着けたところ、そのまま取れなくなって鬼になってしまった、という伝承が存在する。この鬼面は、装着した者の肉体を「鬼」という概念で纏め、一体の「鬼」という存在として運用する、という能力を持つ。 故に、かつて源頼光に首を刎ねられた酒呑童子は、そのまま敵の頭蓋を噛み砕き、断ち落とされた己の頸を敵の肉体に繋げて蘇ろうとしたのだ。この仮面を着けた人間の肉体は鬼に変じ、魔術的な手段においてもその存在は「鬼」としか感知できない。 さらにその上から、ギルガメッシュ御用達の金ぴかの鎧に身を包む。全身を覆うフルプレートメイル。この鎧を纏うのはギルガメッシュの表面だけ真似たようで気に入らないが、“王の財宝”の中で一番高性能な鎧なのだ、背に腹は代えられない。 鬼面にこれでは明らかに戦隊ものにでも出てきそうな幹部Aだが、まあ気にすることはあるまい。 ああ、仮面をつけると気分も落ち着く、というのは、もしかしたら僕のチートの一環であるパピヨンの能力の一端なのかもしれない。だからといってあの素敵コスチュームを真似する気にはなれないが。まあハルケギニアであれば蝶々の妖精さんとしてあっさり受け入れられる可能性も無きにしも非ずだが。 まあどちらでもいい。とにかく、もはや僕は冷静だ。こちらの姿は見えている。だが、全く問題はない。相手の手の内が理解できたのなら、逆にそれを利用してやるだけ。元々、地力ではチート込みのこちらが遥かに上なのだ。 指を振ると同時に相似体系魔術の無数の銀弦が周囲に飛び回り、金ぴか鎧に鬼面の幻像を無数に生成する。それも、ただの幻像じゃない、同じ形の真空を伴った幻像だ。「っ、だが動いているのが本物というだけのこと!!」 風の刃が飛ぶ。だが、それもフェイク。唯一動いているのが本物だと誰が言った? 人型の空気と入れ替わる形の空間転移、大気を揺らす事無く背後を取る。 失策に気付いたか、相手は慌てて振り返る。だが、それこそ甘いというもの。相手の頭部に、僕の額から伸びた銀弦が突き刺さった。 相似体系魔術の最大の弱点は反応速度の緩慢さだ。ただでさえ分身する上に雷速すら遅いと嘲笑う円環体系魔術の圧倒的な手数の多さには遥かに劣る。なら、相似体系の最大の強味とは何なのか、と聞かれたら、僕は迷わず量産性と答える。火竜だろうがホムンクルスだろうが、複製障壁を使って一瞬で数を揃える事が出来るのだ。 だが、それだけが相似体系の使い方ではない。相似体系に置いて“化身”の名を冠する術《原型の化身》は、他人の肉体を術者に同調させる事によって人をあっさりと死に至らしめる。 そしてそれを応用すれば、精神自体を容易く掌握してしまうことも自由自在。脳の特定部位を相似形にして、神経部位を直接操作して洗脳する。それが相似体系魔術の一手、《掌握》だ。 朝、起床して身支度を整え、簡単な朝食をとってからメイドとして最初に行なうのは、ギーシュ様を起こす事だ。 廊下を歩く。綺麗な朝の空気を胸一杯に吸い込んで気合を入れる。乾燥した朝の空気は少しだけ肌寒い。だが、そんな空気が私は好きだ。 強く、そして優しいギーシュ様は皆に好かれている。同じメイドの中にも、ギーシュ様の事を愛している女の子は私の知っている限りでも何人もいる。だが、ギーシュ様を起こすのは私の仕事で特権だ。 ────っ、まったくリア充はウザいな。まあそれもこれも今日で終わるわけなんだが。 ギーシュ様は昨日も夜遅くまで鍛錬をしてらしたようで、もしかしたらお疲れになっているかもしれない。だとしたら、もう少し寝かせてあげてもいいと思う。 だが、今日はルイズお嬢様もお泊りになっているのだ。ギーシュ様としても、あまり無精なさっている様子を見せるわけにはいかないだろう。心を鬼にして掛からなければ。 ────だったらいっそのこと寝過させて無様なところを見せてやるってのはどうだ? ライバルのジャジャ馬が一匹減るかもしれないぞ? 駄目だ駄目だ。そんな事を考えてはいけない。ルイズお嬢様も魔法の才能が無いっていうのに、いつもいつも努力してらして、ギーシュ様の言う事もよくお聞きになっている。 ────それはそれは、健気な事だな。ったく、余計な事ばかりグダグダ考えてないで、いいから早くして欲しいものだ。 そうだ。いけないいけない。早いところギーシュ様を起こさないと。私はギーシュ様の部屋のドアを軽くノックする。返事が無い。やはりまだ寝てらっしゃるようだ。「ギーシュ様、朝ですよ。起きてください」 そっと揺り起こすと、ギーシュ様は不満そうに唸り声を上げる。まるで猫でも撫でているようで少しだけ楽しいが、起きてくれないのも困る。 ────だったら、ぶん殴ってでも起こしたらどうだ? いや、いっそのこと魔法でもブチ込んでみるとかさ。 とか、なんて物騒な事を考えているんだろう、私。今日の私は少しだけ、どうかしているのかもしれない。 とにかく、起きてくださらないと困るのだ。仕方ない。ここは最後の手段で行くべきだろう。私はギーシュ様の毛布に手を掛け、思い切って引き剥がした。 そして、硬直した。 ────捕らえた! とうとう見つけたぞお前の泣き所をな。予想はしていたがよりにもよってギーシュとは! ギーシュ様に抱きつくようにして眠るルイズ様だ。毛布を剥がされて寒いのか、仔猫のように身体を丸め、ギーシュ様に寄り添うように頬を寄せる。 まるで天使のようだ、と思った。ギーシュ様と寄り添って、二人で幸せそうに。 ────そうそう。分かるだろ? この光景が何を意味するか。 そうだ。私にだって分かっている。所詮、私はメイド、ギーシュ様は貴族だ。それも大貴族グラモン家の次期当主、ゆくゆくはルイズ様やアンリエッタ姫様と結ばれて、このトリステインの中枢を担う御方。貴族の地位を失った私なんかがどれだけ手を伸ばしても、絶対に届かない。届かせることなんて絶対に許されないのだ。 ────ははっ、だったら努力してみたらどうだ? アイツだって言っていただろう。報われない努力なんてないってさ。平民も貴族も同じ人間。そう、努力すれば、結ばれることができる“かもしれない”。 いや、そんなことは無理だ。私だって分かっている。ギーシュ様にとって、ルイズ様もアンリエッタ様も大切な御方なのだ。そんな二人の事を捨てて私なんかと添い遂げるようなことはしてはいけない。そんな事をしたら、皆を幸せにする、というギーシュ様の願いは、永遠に叶わなくなってしまう。 ────へえ、願い、ね。つまり、ギーシュはお前よりも願いを選ぶ、と、そういうわけだな。 それも仕方がないことだ。ルイズ様、アンリエッタ様、ギーシュ様のお父様、お母様、使用人の皆、そして他の多くの人たち、たくさんの人がギーシュ様の事を信じているのだ。その信頼を裏切るわけにはいかない。 ────そう。その通りだ。つまりギーシュはお前よりも“みんな”を選んだということ。つまり、そいつらのせいでギーシュはお前を捨てたんだ。 ああ、そうだ。あの人たちさえいなければ、私だってギーシュ様と結ばれていたかもしれない。だが、今はもう駄目だ。ギーシュ様に捨てられた今となっては。 ────なら、憎いだろう、そいつらが。ギーシュにお前を捨てさせた奴らが。そしてお前を捨てたギーシュが。だったらどうすればいいのかなんて、わざわざ教えるまでもないよな? ああ、そうだ。私は迷わず呪文を唱えると、風の刃を解き放つ。ギーシュ様とルイズ様が、無防備なまま肉片と成り果てる。頬に熱い感触を感じて指先で拭ってみる。涙ではなく、飛び散った返り血だった。 晴れ晴れとした気分だった。こんなに簡単だったなんて。これで、私を苦しめる原因なんてもうどこにもない。いや、まだ残っていた。私は左右に二体の偏在を呼び出すと、そいつらを連れてグラモン家の館を駆け回り、旦那様を、奥様を、使用人の仲間たちを、私設軍の人たちを、容赦なく殺戮した。 やれやれ、終わってみればちょろいものだ。どうしてこんな相手にビビっていたのやら。そんな風にも思う。「それで、そのエルフは確かにティファニアと名乗っていたんだな」「はい。正確にはハーフエルフだそうですが」 何やら、このフネの主は想像通りギーシュらしい。で、わざわざアルビオンへ交易にやってきたのは、ティファニアと孤児院の子供たちを目立たないようにフネに乗せてグラモン領に連れ帰るため、らしい。 あと、ついでに同じ村にいた村人たちも全員一緒に連れてきたとか。サウスゴータや旧モード大公に縁のある連中だったらしく、一応念の為とのことだ。 どうやら、地上で僕が見たのは無人になったティファニアの村だったらしい。 どっちにせよ大して代わりはない。ここでギーシュの手に第二の虚無が渡ったという事実を掴む事ができたのは大きい。この事を知らなかったら、最悪ティファニアの所在を嗅ぎ回ってアルビオン中を探し回った挙句そこには誰もいない、という事になりかねない。 まあ、ギーシュを張ってればいずれ目についた事かもしれないが。「どちらにせよ、いいタイミングだ」 僕は、気だるい表情でしなだれかかっている少女の頭をそっと撫でながら呟く。三つ編みを一本編み込んだ銀髪はよく手入れされていて気持ちいい。 メイド服の紺色のスカートからしどけなく投げ出された太腿に一筋赤い線が伝っているのを見て、少しやるせない気分がする。醤油やら味噌やらが積み上がった倉庫で初体験とは随分と間抜けな話だ。 まあ、どうでもいい話だ。伊達にモット伯家の次期当主なんぞやっているわけでもないのだ。もっと悲惨な顛末などいくらでも知っている。この少女はどちらかといえばまだ幸福な方だ。《掌握》にエモーション・カスタマイズとメモリー・カスタマイズ、アンドヴァリの指輪まで重ね掛けして、幸福な気分で初体験を終わらせられたのだからな。「じゃあ、そのティファニアを確保する。ギーシュの所在は?」「何か重要そうな話を、ティファニアに付きっきりで何かを話しています。何やら秘密を抱えて使用人には一言も話さなかった癖に、初対面の相手にはあっさりと話してしまうようですね」 どうせ脳内で信頼度に原作キャラ補正でも掛けているのだろう。僕も同じ過ちをしないように気をつけなければ。もう一度考え直しておくべきかもしれない。「なるほど、護衛付きか。じゃあ、護衛なんてやりようがないくらいに引きずり出してやるさ」 現在手元にあって僕の自由になる手駒は、まず僕自身。そしてこのメイドの少女。そして、火竜。手元にある火竜の群れの中から、数十頭を取り分けて、甲鉄艦を襲わせる。たちまち緊迫した足音や叫びが響き、ややあって砲撃の音が連続して響き始める。 このフネの艦体が本来のような木造船であるのなら、この数の火竜に襲われれば瞬く間に全体に火が回って瞬く間にこの船は松明のように燃え上がっているはず。この艦ががまだ原型を保っているのは、全体を金属製の装甲板で覆われているからだ。「君も戦闘に参加してくれ。火竜を援護する必要はない。むしろまだギーシュの仲間の振りをして、しばらく諜報活動に徹しておいてくれ」 言いながら懐から取り出したアンドヴァリの指輪を一環、複製障壁で増やした代物を、キャスターの魔術で少女の心臓の辺りにセイギノミカタに剣の鞘を埋め込む要領で同化させる。「はい……しかし、御一人で大丈夫ですか? 今のグラモン家で貴方の顔と名前を知らない人間はいないと思いますが」 やや心配そうに問いかける少女の言葉に、僕は少しばかり可愛げを感じて苦笑。「不確定要素の幅が大き過ぎるギーシュさえいなければ、他のヤツに苦戦するようなことはないさ。「火竜は適当な所で引き揚げさせる。場合によってはこのフネも撃沈するが、君を襲わせることはないから、落下制御で逃げるといい」「承知しました。……御武運を」 その言葉を背中に受けて、僕は再び姿を消そうとして、一つ思いついて振り向いた。「そう言えば聞くのを忘れてたけれど、君の名前は?」「サクヤ・アデライド・ド・アングラールです。あの、お気をつけて」 名前からしてまさかリーラの妹か何かか、などとどうでもいいことを考えながら、僕は飛翔して殺気立った兵士たちの頭上を通り抜けつつ、《掌握》でサクヤの頭から引きずり出した位置情報、そして探知用の宝具の索敵情報を基にティファニアの位置を探索する。 何やら頭上や足下では明らかに火砲によるものではない派手な衝撃音が響いてくる。ギーシュのオリジナル魔法かチート能力か。どちらにせよゆっくりしていてはいられない。 両手に構えた探索宝具が標的の位置を知らせる。近い。すぐそこだ。僕は正面に転移障壁を発動、正面にあったテーブルを蹴り飛ばして出現。 室内にいた多分後のフーケと思われる女性がもう一人の金髪の少女を庇うように構えた杖を咄嗟に抜刀したアロンダイトで斬り飛ばし、少女があたふたと杖に手を伸ばそうとするよりも速く両手の指全てに嵌めた複製込みのアンドヴァリの指輪の力で沈黙してもらう。 抵抗も出来ずに一瞬で仮死状態に陥った二人の内、少女が間違いなくティファニアである事を確認。耳も長いし金髪だし胸革命だし、外見的な特徴も一致する。ついでに《掌握》を使って脳内の情報をサーチして、彼女が間違いなくティファニアである事も確認。同時に、すぐ横で倒れている女性がマチルダ・オブ・サウスゴータである事も確認。 さあ、目的のものも手に入れた。ではさらば。ギーシュが戻ってこない内に姿を消させてもらおう。ティファニアとマチルダを肩に担ぎ、一応念の為、逃走経路を誤魔化すために外壁を切りぬいてから空間転移を発動、地表に降り立つ。 最後の火竜が撃墜されるのは、それとほぼ同時だった。「みんなをしあわせに、か。それはそれは、お優しいことだ」 無数の宝具で隠蔽されて木陰に座り、黒煙を噴きながら着陸地点を探す甲鉄艦を見上げながら、僕は呟いた。 《掌握》でサクヤの精神を覗いた時に、ギーシュの目的が見えた。 そのみんな、という言葉に、僕の存在は含まれていないのだろう。この世界には数多くの人間が存在する。前世において僕が読んだ“ゼロの使い魔”に描写されたのはその中のほんの一握りの存在に過ぎない。みんなという語がゼロ魔原作に登場した主要登場人物全てを指すなら、そこにそれ以外の人間は含まれず、彼らは目的のためにただ踏み躙られていくのみ。 無論、それが悪いとは思わない。 踏まえし道は修羅の道、それもまた一つの道だと思うのだ。何かのために他の何かを、あるいは何もかもを犠牲にする、というのもまた一つの価値観だと思うし、そのために道義を蹴り捨てるのも、そのために道義があると信じるのも、そのどちらも、物語として見る分には決して嫌いではない。 だが、それと利害とはまた別だ。人間関係は金から崩れる。世の真理である。 何かのために何かを犠牲にする。それは一つの生き方だ。だが、犠牲にされる側とて、大人しく犠牲にされてやる義理はない。「みんなをしあわせに、か」 それはそれは、ともう一度呟く。ま、せいぜい頑張ってくれ、そして潰れろ、と呪いの言葉を吐き捨てる。 あいつは、僕以外のたくさんの人間を幸せにするんだそうだ。まったく御苦労な事だ。付き合いきれない。 人間、自分一人を幸せにすることでさえ難しいのだ。だというのに他人を幸せにする? まったくお優しい事だ。僕にはそんな余計な趣味に割く労力はない。まあ、労力があっても対象がいないんだが。 だが、あいつはそれをやるそうだ。 翻って、自分はどうだ、と思う。馬鹿馬鹿しい。 僕は誰も幸せにしない。自分一人が安楽であればそれでいい。そのためになら、他者なんて何もかも破滅してしまえばいい。どうせ、他人にかけがえのない価値なんて存在しないのだ。 何かのために何かを犠牲にする。それは一つの生き方だ。=====後書き的なもの===== ……やってしまった。 とりあえず前回のアレもまた、一つの可能性ということで。 あれこれと考えている内に新しい展開が思いついて、どちらがいいのかも自分の中ではっきりと結論を出せないので仮掲載。 こちらのルートでもギーシュの能力を同じにするかはあまりはっきりと設定していません。 元々の流れは特に変更せずに地雷っぽいところだけ修正しようと思ったら、いつの間にやら別の流れに。スーパー転生者大戦をやろうと思わなければギーシュと直接殴り合う必要はないし、そうなるとわざわざフェルナンが一回殺される必要もないし、いくら狂乱しててもわざわざ正面からギーシュと殴り合う必要はないし、そもそもフェルナンの持ち味はこういう頭脳戦とも言い難いマンチキンな遠回し戦法だし。 まあ、それはそれとして。本日のフェルナンの収支報告 収益 ・メイド(※元ギーシュのハーレム要員)×1 ・ハーフエルフ(虚無属性)×1 ・土メイジ×1 損失・火竜(※一頭でも残っていれば再生産可)×数十頭本日のギーシュの収支報告 収益・孤児×たくさん・村人×数人 損失・ハーフエルフ(虚無属性)×1・土メイジ×1・メイド(※諜報員にされた)×1 フェルナンの戦果が前回とは雲泥の差。やっぱりフェルナンは正々堂々と戦ったら駄目だね。ギーシュの戦果は孤児と村人。ユニットとしては……使い道あるんだろうか?