サーペンスアルバス湾にできた潟の上に、キースが治めるサーペンスアルバスは存在する。
街中には運河が血管のように縦横に走り巡っている。
そこを人々がゴンドラを使って、血液のように循環する。
風光明媚な景観、活気溢れる人々の数々。
サーペンスアルバス、それはまさに海の女王と呼ばれるに相応しい体であった。
「ホント、まるでヴェネチアみたいね」
リスのように頬を膨らませながら、タエは、口をもにょもにょしつつ呟いた。
「にしても、美味しいわ~♪」
だが、タエの前では「海の女王」よりも「魚」に軍配が上がったようである。
先程、露店で購入した2cp(銅貨)の魚の塩串焼きを口に放り込む。
それも、頭から尻尾、骨、内臓と、タエは全て食べつくした。
口が少し汚れたのを、右手首で拭いさる。
非常に、雄々しい振る舞いだった。
「うん、ねー!
ここに来てから、ずっとお魚ばっかり食べてるよ」
タエの横に歩いていたノアも、満足そうに頷く。
ノアは頭と背骨、尻尾を残して、キレイに食べていた。
ちなみに、はらわたは苦くて食べられない。
お店で購入する際に、店主に取ってもらってから購入していた。
「んまー、でも、勇希はちょっと可哀想ね。
買い食いもままならいなんて。
一般人が権力なんて持つもんじゃないわ」
チラリ、と、タエは勇希の方へと視線を向ける。
そこには、サーペンスアルバスの人々から大歓声を浴びるキース・オルセンの姿があった。
キースはあちらこちらに向けて、笑顔を振りまけ、そして手を振り返していた。
だが、人の波は減る気配が無い。
その光景は、タエには、成田空港に来るハリウッドスターと出待ちのファンのように見て取れた。
「領主って、政治家だよね?
おにいちゃん凄いよ。
わたしだったら、絶対にできないもん」
少し悲しげに、ノアはうつむいた。
「あたしもよ。
絶対に無理だわー」
タエは食べ終った櫛を、自身のサックに入れた。
そして、鋭くも優しげな微笑を浮かべる。
キラキラと輝くそれは、まさに勇士(エインヘリャル)を見守る戦乙女のものだった。
「うちら2人には絶対できない。
でも、アイツを助けることはできる。
ううん。しなきゃいけないと思うのよね」
タエの言葉を聞いて、ノアは頷いた。
「うん。
そうだね、妙ねえ」
「でも、アイツにはナイショよ。
さすがに、ちょっと恥ずかしいわー」
キラキラと太陽の光を浴びて輝く、黄金の髪を、タエはガシガシと掻き毟った。
そんなタエを見て、一瞬、ノアは日本での穏やかな日常生活の事を思い出した。
○
運河沿いに建てられた、純白美麗な石造建物。
美しく、かつ威風堂々とした作りは、サーペンスアルバスの領主館と呼ぶに相応しいものだった。
その門前から館に向かうようにして、2列になって兵士達が直立していた。
兵士達の間を、黒のロングワンピース、白のエプロンとカチューシャに身を包む女性がキビキビと歩く。
「背筋を整えなさい。
あなたは髭を整えなさい。
槍の穂先が錆びています。倉庫から新しいのに変えなさい」
マリエッタである。
彼女は兵士達に視線を向けながら注意を施す。
「ホワイトスネイクは何もおっしゃらないでしょう。
だから何をしてもいいのでしょうか?
否、です。
我らが甘えていいことはありません。
失礼は決して許さない。
恩を仇で返すようなまね、決して、私は許しません」
マリエッタの冷たい眼光が、幾人かの兵士達に突き刺さる。
その視線を投げかけられた若い兵士達は、慌てて、自身の身なりを整える。
そんな光景に、ベテランと呼ばれる兵士達は苦笑する。
新人達が必ず経験する、これは何時もの事であったからだ。
「まだまだ言い足りませが、良いでしょう。
このままホワイトスネイクをお出迎え致します。
全員、その場で待機」
全ての兵士達のチェックを終えると、マリエッタは列の先頭へと立つ。
燦燦と太陽の光が照りつける。
時折、潮風が流れてはくるが、やはり暑い。
だが、マリエッタにはなんら苦痛ではない。
メイド服に身を包むマリエッタが、一番の厚着である。
マリエッタは完璧な姿勢のまま、キースが来る方角へと視線を送り続けていた。
「ホワイトスネイク――」
マリエッタは主の名前を小さく口にする。
誰にも聞こえない程の大きさで、だ。
そして、両手を胸にへ添える。
「ホワイトスネイク――」
マリエッタの声は、誰にも聞かれぬまま青空へと溶けていった。
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084 愛しさ切なさ悲しさ
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「いつも、いいって言ってるのになー」
キースは苦笑する。
視界に、頭を下げているマリエッタと部下達が勢ぞろいしていたからだ。
「着せといてなんだが、マリエッタのメイド服はサーペンスアルバスじゃ暑いよなあ」
この出迎えに対して、キースはマリエッタに「わざわざそんなことしなくてもいい」と告げたことがある。
だが、この事に関しては、マリエッタからは頑として譲ることは無かった。
暑くても、寒くても、マリエッタは出迎え続けたのである。
「こりゃ、夏服を早急に考えないといかんな!」
楽しそうに、キースはニヤニヤとしてしまう。
擬音であらわすならば、「うへへ」といった面持ちである。
「っと、いかんいかん。
そろそろ英雄の仕事をしないとなー」
小さく呟き、キースはマリエッタ達に向かって手を空に向かって突き上げた。
その瞬間、兵達からは大きな歓声があがった。
○
「お疲れ様でした、ホワイトスネイク」
マリエッタの侍従としての完璧な一礼。
それを受け取り、キースは「コキコキ」と首の骨を鳴らした。
「んー、疲れ……てはないなー。
大丈夫。
だって、俺、今回、何もしてないもん」
キースは金髪をポリポリと掻いた。
そして、少し照れくさそうにしながら馬から飛び降りた。
そんなキースに対して、マリエッタは目を閉じて首を横に振る。
何かを思い出すかのように――
「何も?
決してそのようなことありません。
民の為、ホワイトスネイク自らがご出陣されております。
その行為、我ら、どれほどの勇気希望を頂いているかわかりません」
いつものように、マリエッタは汗を拭くお絞りをキースに差し出した。
「あ、あー、その、ありがとな」
「褒めすぎだー!」と、キースは心の中で声を上げる。
自身が照れていることを意識したキースは、お絞りを受け取って顔を隠すように拭い始めた。
そして、耳の裏、首周り、わきの下と拭いていき、最後に両手をふき取った。
「あ~~~、たまらん」
キースが気持ちよさそうに声を上げる。
そんな時だった。
「まだ、そのクセ治らないの?
手と顔はいいけど、わきの下だけはやめなさいよ。
それをやっていいのは、社会で戦ってるサラリーマンの方々だけよ。
居酒屋で、何度も言ってるじゃない」
やれやれ、といった体のタエのツッコミが入った。
「タエ姉、いつもだよ」
微笑しながら、ノアがダメ押しの言葉を述べる。
「ったく、また言い続けなきゃいけないのね」
ノアの言葉に、タエは苦笑を浮かべた。
「ノア様、お疲れ様でした。
……そちらのお方は……?」
ノアに対してマリエッタは頭を下げる。
そして、マリエッタは視線をタエの方へと向けた。
眉を潜めて、その目は冷ややかであった。
「あー、あたしは――」
タエがマリエッタに向け、言葉を発しようとしたときである。
マリエッタの肩に、キースはやさしく手を置いた。
「あー、そうだ。紹介しないとな。
ハラガサキ・タエコ、タエって俺は呼んでる。
で、タエは――」
そしてキースは口にする――
○
キィ、と、音を立てながら窓が開かれる。
窓の先は、サーペンスアルバスが見渡せるバルコニー。
マリエッタは、静かに歩を進めた。
そして、後ろ手で音を立てないように窓を閉める。
「……」
ゆっくりと歩を進めて、ふと、マリエッタは夜空を見上げる。
「満ち潮の夜、ですか……」
マリエッタの視界に、大きな白銀色の満月が飛び込んでくる。
やさしく、穏やかで、冷たい。
そんな光が、今宵のサーペンスアルバスとマリエッタの身体に降り注がれていた。
「……」
ただ1人。
空に浮かぶ大きな月を、マリエッタは眺めた。
「……」
マリエッタは、今日の自身の仕事振りを振り返る。
朝起きてから、仕事を終える先程までの行動だ。
「……」
敬愛するホワイトスネイクとサーペンスアルバスの為、全力で取り組んだ。
ミスは何一つ無い。
完全な仕事であると自負がある。
「……」
明日も朝早くから、仕事は山のようにある。
いつもなら明日に備えて、既に、就寝している時間だ。
だが、マリエッタは寝られなかった。
身体の中心がゾワゾワするからだ。
「……」
マリエッタは煌々と光る満月を眺める、と――
「……あ……」
目じりから、一滴の水滴が流れた。
頬を伝って、落ちて、消えた。
「あ、涙……?」
マリエッタは驚いた。
墜ちた海の女王・サーペンスアルバスで、長年マリエッタは過ごしてきたのだ。
生きるため。
いろいろあったのだ。
涙など、散々流しつくしたと思っていたからである。
「あ、あ――」
意識しだすと、涙は止まらなくなった。
瞳から次から次へと流れ始める。
「ひくっ、ひくぅ――」
涙?
私が涙?
そんな、何を今さら?
幼少の頃、散々、涙を流しつくしたではないか。
この身体に、涙なんてあるわけがない。
マリエッタの頭の中は、グルグルとかき乱されている。
「な、なんで――?」
いや、マリエッタには理由がわかっている。
わかっているのだ。
だが、認めたくないのだ。
だから泣いているのだ。
まるで幼子。
「う、くっ、うくっ……」
マリエッタは嗚咽をこらえる、と――
きぃ、と音が聞こえた。
そう、これは窓が開かれた音。
「――!?」
慌てて、マリエッタは振り向いた。
右手で両瞳を拭い去って。
だが、その瞬間、また新たな涙が溢れ出してくる。
「あ……」
そんなマリエッタのぼやけた視界に見えたのは、黒水晶のような髪を持つ少女だった。
「の、ノア、様……」
ぼやけた視界に映し出されるノアの姿をみて、マリエッタは小さく呟いた。
「こんばんわ。
綺麗なお月さんですね……」
穏やかな笑みを湛えて、ノアはゆっくりとマリエッタ横へと並んだ。
「す、すみません――
こ、これは、そ、その――」
マリエッタは手で必死に目を擦る。
それは涙を飛ばすためだ。
だが、意識すればするほど、それは無くなってくれはしなかった。
「も、申し訳ありません――!
す、すぐに――」
普段の冷静なマリエッタはそこにはなかった。
右手、左手、両の手を使って涙を拭う。
「ううん、大丈夫だよ」
そんなマリエッタに向けて、目を閉じて、ノアは首を横に振った。
「だから――」
そして涙で濡れたマリエッタの手を優しくとった。
「ノ、ノア様……?」
マリエッタにはノアの行動がわからない。
反射的に、疑問系で思わず言葉を口にしてしまう。
そんなマリエッタに、ノアは指を絡めるように手を握り締めた。
「わたしにもわかるから……」
ノアは照れたような笑みをマリエッタに向けた。
「……あ……」
ノアの言葉を聞いた瞬間だった。
理由はわからない。
マリエッタの瞳の堤防は決壊した。
「うん……」
そんなマリエッタを見て、ノアは少しだけ手を強く握り締めた。
「―――――――――――!」
ウミネコの鳴く声。
寄せては帰る波の音。
虫達の音色。
そんな中、マリエッタの声が加わった。
それは親に置いていかれてしまった幼子の泣き声、だった。
○
この日のタエは浮かれていた。
先程、キースから秘蔵の白ワインをもらったからだ。
しかも、夜空を見上げれば綺麗な満月。
となれば、今のタエにやることは1つしかない。
月を肴にして飲むことである。
月見酒だ。
静かに満月を見ながら、となれば思いついた場所は屋根の上だった。
今のタエの身体ならば、全く持って問題ない。
スキップをするように、タエは屋根の上へと駆け上がっていった。
満月の光を浴びながら、潮風に全身を委ねて、タエはワインの味を堪能していた。
が、途中、マリエッタの嗚咽とノアの声が耳に届く。
「?」
タエは少し小首をかしげて、声の方向へ向かって屋根の上を歩いていった。
○
タエは、マリエッタとノアの2人から視線を外さなかった。
これは自身の義務だと直感したからだ。
正直に言えば、辛い。
だが、決して目を逸らさない。
右手に持っていたワイングラスを、タエは一口で飲みきった。
「ワイン、しょっぱいわね……」
タエの声は夜の闇に溶けた。
★
細かい描写はカットしまくりの今回のお話。
読み手側が自由に想像できる空間を残す、というコンセプト。
難しい……!!
○
次話からは新展開予定。
次の登場人物は久しぶりのアノ人です!