重々しい灰色の雲がついに泣き出した。
ポツリ、ポツリと、ダグアル平原へと水滴が落ちてくる。
舞い降りてくる水滴は量を増やしていき、シトシトと優しげで冷たい雨となっていった。
だが、雨などに気を向ける者は誰もいなかった。
キース・オルセンは片膝を地面へと付いている。
背中には、いまだに、スカイレンダー・ストームボルトダガーが突き立てられている状態。
その傷口からは唸る音が発せられている。
今、キースの身体の中では雷と風が吹き荒れていた。
時折、咳き込むと口からは血が吐き出される。
内臓の多くも傷ついている状態なのだろう。
マリエッタはキースの横に付いている。
今、彼女の目は涙が止まらなかった。
嗚咽は必死で堪えている。
だが、瞳からあふれ出る涙だけは滝のように止まらなかったのだ。
ダークエルフのラクリモーサも、濡れることもいとわずに立っている。
汚れることが嫌いな普段の彼女からは考えられないことだ。
動かない。
ただ、キースとマリエッタを見つめていた。
そしてラクリモーサは、その面持ちのまま、もう1人の男へと視線を移した。
ラクリモーサから視線を向けられた男、ロレイン。
ロレインは苦虫を潰したような表情を浮かべていた。
面白くなさそうに、不貞腐れたように、つまらなさそうに、右手にはダガー、左手にはナイフを取り出す。
そしてジャグリングをはじめた。
ダガーとナイフはお手玉のように、ロレインの右手と左手を行き交った。
「まさかのシナリオ展開だよ~。
メイドさんを殺されて、連れてきたエロエロさんは涙目!
ホワイトスネイクは、びっくり仰天の英雄パワー全開!!
って、そんな展開を考えてたのになー」
深い溜息をついてから、ロレインはジャグリングの手を止める。
そして右手には逆手でダガーを、左手にはナイフを握り締めた。
「めっちゃ痛いっしょ?
スカイレンダー・ストームボルトダガーはマスターと姉さんの合作品だもん。
ホワイトスネイク、もう死ぬよ?
だから、さ――」
そしてロレインは、猫を思わせるいつもの表情へと戻った。
「その前に、僕が舞台に上がってあげるよ。
ホワイトスネイクの最後の力、僕とマスターに見せてよね!
そうじゃないと、割に合わないよ。
今回の準備、ホントにコッチは苦労したんだから~」
ロレインは腰の重心を下げた。
右足を前に出して、半身の姿勢を取る。
「さ、エンディングまでがんばろっか~♪」
誰もが理解できる、それはロレインの戦闘態勢だった。
「ホワイトスネイク」
一色触発の状況。
動いたのはマリエッタだった。
膝着くキースに従っていたマリエッタが立ち上がる。
「全ては私の不徳の致すところ。
ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした」
言葉発しながら、マリエッタは袖で目を拭った。
袖で涙を弾き飛ばす。
そこから現れたマリエッタの表情は、目は赤いものの優しげな慈愛溢れるものだった。
「ありがとうございます。
ココロから、ココロから感謝申し上げます。
貴方のおかげで、私は人になれました」
そして、マリエッタはキースをかばう位置へと移動する。
それはすなわち、ダガーとナイフを構えたロレインの前に立ちふさがることになる。
「お逃げください。
ホワイトスネイクなら、サーペンスアルバスの寺院に行けば大丈夫だと信じております。
だからどんなことがあっても、ここは――」
マリエッタは、いつもと同じようにスカートの裾を持ってお辞儀をする。
その行為は、普段のメイド業務時と同様に完璧なものだった。
「私の命で、1分1秒でも時間を作らせていただきます」
両手を大きく広げて、マリエッタはロレインを睨み付ける様に立ちふさがった。
「あは!」
マリエッタの行動に、ロレインは嬉しそうに目を細める。
「いいねえ~!
どれだけがんばってくれるのかな?
ちょっと押したぐらいで泣いたりしないでよね、ね!」
チェシャ猫のような笑みだった。
それはいつまでも瞼にこびりつくような、酷く、嫌な笑みだ。
だが――
「ご安心ください」
マリエッタはロレインに対して、頭を下げる。
それは来客者に対するメイドのそれだった。
「腕を切り落とされても立ちふさがってみせましょう。
足を捥がれても、歯で噛み付いて歩かせません。
首を切り落とされたら、呪詛の言葉を投げかけて足止めさせていただきます。
ホワイトスネイクのために――」
一片の迷いも無い言葉だった。
マリエッタはロレインに対してぶつけていく。
だが――
「ふーん、じゃ、まずは右腕から言ってみよう~♪」
ロレインになんら痛痒を与えることは無かった。
前方のマリエッタに向かって、足を踏み出そうとした時だった。
「おいおいおい……
……
なんつーか、な。
勝手に話を進めないでくれないか?」
マリエッタ、ロレイン、ラクリモーサの視線が声の主に向かった。
それはホワイトスネイクこと、キース・オルセンへ――
「よっこらっしょ、っと……
……あたたた……」
キースはゆっくりと立ち上がる。
「妙のタイガードライバーの方がキツかったってーの」
「ホワイトスネイク――!」
「おりょ?」
「……」
マリエッタ、ロレイン、ラクリモーサの声が上がる。
三者三様の反応に対して、キースはマリエッタに笑みを向ける。
「マスター、姉さんねえ……」
キースはボヤキながら、口元の血を手で拭い払った。
そして、自身の背中につきたてられているダガーに手を伸ばす。
「ぐ、いててててててっ!!」
キースは自分自身の手で、一気にスカイレンダー・ストームボルトダガーを抜き取った。
抜いた後、傷口からは血があふれ出す。
さすがに、この行為にはロレイン達も驚く。
だが、当の本人はいつもと変わらない。
「くわー、いててて。
けど、ちょっとは楽になったなー。
あー、けど、血が足りないのかなあ。
貧血?
あれ、周りが黄色く見える。
こりゃ、徹Dをやった日の朝ってか。
やばいなー」
この場の雰囲気にそぐわない、緊迫感が無いキースの言葉だった。
3人にはキースの発している言葉の意味は理解できないが、キースが発する雰囲気に目を離すことができなかった。
(ちなみに、キースたちは徹夜で「D&D」を行うことを徹D(てつでぃー)と読んでいた)
そんなキースに、ロレインは嬉しそうな笑みを湛える。
「うはー、信じられないなあ!
スカイレンダー・ストームボルトダガーを引き抜いて、しかも、立ち上がっちゃうんだ~!
これだけでも、マスターに喜んでもらえるよ!
でも残念!
言い忘れてたんだけど、それちゃーんと出血性の毒塗ってあるよ。
シーフのたしなみは忘れてないからね~」
ロレインの言葉に、マリエッタは一気に顔を青ざめさせた。
「な――!」
絶句するマリエッタに、ロレインは朗らかで無垢とも言える笑みを向けた。
「だってさー、
こんなのとか使わないと、弱い僕なんて勝てるわけないじゃん。
だって、あのホワイトスネイクだよ?
こんなの当然でしょ?」
そしてロレインはキースへ視線を戻す。
当事者であるキースにはわかるような変化は見られなかった。
「ちなみに、当然だけどたーっぷり塗っておいたよ。
えーと、ずっと血が止まらないんじゃないかな?
何分もつかなあ。
あ、ちなみに、ミノタウロスは10分だったよ」
ロレイン、マリエッタ、キース。
この3人を見守っていたラクリモーサはため息をついた。
「貴方と私の価値観は平行線ね。
1億年経っても歩み寄れないわ。
これなら、私達とエルフが仲良く手をつなぐほうが現実的ね」
ラクリモーサは小さく呟いた。
そして、キースに視線を向ける。
「終わりかしら、ね……」
スカイレンダー・ストームボルトダガーの攻撃力は相当なものだ。
それはラクリモーサもよく知っている。
さらには、[狂乱双子(クレイジーツイン)]が使う毒。
その辺りで取れるような毒というわけではないだろう。
ラクリモーサはキースに向けて微笑をたたえた。
それは死に行く男に向けて、ラクリモーサができる一番の贈り物だ。
だが、その笑みは切なくさびしげなものだった。
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072 反撃
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だが、重々しい雰囲気は砕け散る。
「何この雰囲気?
10レベルオーバーのマスターファイターをなめんなよー。
言うなればグランドマスター、グラマスってやつ?
ああ、これ格ゲーの称号か。
さすがに頭は回らないな。
でも何はともあれ、なー。
お前さんが考えている以上に、マスターキャラの俺はヒットポイントあるんでね。
所詮、ダガーのダメージ。
まだまだ行ける。
あ、もちろん、楽なわけじゃないぞ。
ぶっちゃけ泣きたいぐらいには痛いし、吐き気もする。
けど、問題ない。
というわけで――」
キースは一息で言い切ったのだ。
さらに驚いたことに、手のひらでごみを払いのけるようなジェスチャーをロレインに向ける。
「逃げてもいいぞ?
マリエッタとニエヴェスさんはこっちにあるんだ。
ぶっちゃけ、こっちはお前さんに用ないんだよ」
この挑発行為に、ロレインは一瞬ポカンとした表情を浮かべてしまう
そして、大きく目と口を広げてしまった。
マリエッタは涙を流した。
それは先程までと違うものだ。
安堵の涙。
ゆっくりと一礼してから、キースの左斜め後ろへ移動する。
いつものホワイトスネイクだったから、マリエッタはいつもの位置へと戻ったのだ。
ラクリモーサも、このキースの立ち居振る舞いには苦笑していた。
そして小さく「ふふ、さすがはイル様と並ぶ英雄ね」呟いた。
「あはは!
おもしろいなあ、さっすがホワイトスネイク~!
何言ってるか、意味は全然わからないけど~!
まだまだ楽しませてくれるっていうなら――」
ロレインはどこから投擲用のナイフを取り出す。
「ハッ、ハッ、ハ――!」
瞬く間に3本のナイフがキースを襲う。
が――
「そんなんじゃ、ナイフの無駄だなあ」
キースは首を左に少し傾げて、顔面に向けられたナイフを事も無げに避ける。
残りの2本は心臓と鳩尾の位置へと向けられていたが、避けることもしない。
ソーラー・アーマーで弾き飛ばしたのだ。
「うへえ~」
このキースの動きに、ロレインは驚きと楽しさがミックスされた表情を浮かべた。
完全に防がれたが、気にした様子は無かった。
その態度に、キースは思い出したかのように口にする。
「あ、毒の効果を期待しているのか?
対戦ゲームでそんなプレイしたら嫌われるぞ。
ま、俺はやるけど」
そして、突然、ロレインに対して背中を向けた。
「ま、捻りが無くて悪いな。
挑発ってやつかな。
ほれほれ、完全に背中丸出しの無防備だぞー。
で、どうする?
このままずっとにらみ合うか?
ま、こっちは奥の手を用意してるんで、全然それでもいい。
けど、攻めてきたら、お前さんが希望している楽しいことは見せてやれる。
さあ、どうする?」
キースの背中からは、今も血が流れている。
だが、にもかかわらず、キースは余裕の笑みを浮かべていた。
「うわあ、ホワイトスネイクに乾杯!
さっきから驚きの連発だよ~!
すっごく面白い!
これならマスターも喜んでもらえるよ~♪
当然――」
ロレインから笑みが消える。
それは獲物を狩る者の顔だ。
一気に姿勢を低くして――
「行くに決まってるでしょ~!」
キースに向かってロレインは突進する。
その際に、ロレインは左手のナイフを投げ捨てた。
そして右手に握ったダガーの柄の根元に左手を添える。
それは、より体の奥へとダガーを突き立てるため――!
「もらったよー!」
キースの背中の傷口を抉るために突き立てようとして――
「え……?」
ロレインには理解できなかった。
全く理解できない。
なぜなら――
「不惑(まどいなし)ってんだぜ?
面白いだろ、これ宇宙忍者の技。
さすがに満足してくれるよなー?
剣を持った格ゲーキャラの技は懸命に練習してたんだなー、これが。
まあ、これだけじゃなくて、こっちに来ていろいろ実験したけど、大変だったなあ」
キースの言葉がロレインには全く理解できない。
今の状況が理解できない。
「き、君はバカなの……!?」
ロレインがたどたどしく口にする。
「ホ、ホワイトスネイク!?!?」
「……!」
マリエッタ、ラクリモーサも息を飲んでしまう。
今の現状を知れば無理は無い。
サンブレードの剣先が、キースの背中から突き出しているのだ。
その剣先は、突進してきたロレインの腹部へと突き立ったのだ。
「しょ、正気じゃない……!」
「お前に言われたくないなー、なんか」
ロレインは慌ててバックステップする。
勢いよく突っ込んだために、また、軽装備ともあり腹部から血が流れ出した。
だが、どうみてもキースの方が重症だと思われたが――
「あ、これ自爆技じゃないからな、ちなみ」
剣が突き刺さった状況で、キースは何事も無いように答える。
むしろ、先程よりも声にハリとつやがあるくらいだ。
「ど、どういう意味~、ちょっと教えて欲しいな~?」
腹部からは血と、額からは汗をにじませながらロレインは問いただす。
「これ、実は回復技なんだぜ」
キースは自ら突き立てたサンブレードを抜く。
すると驚くべきことに、血も出なければ傷跡もない。
しかも、スカイレンダー・ストームボルトダガーで傷つけられていた傷すらも見当たらないのだ。
「ヒットポイント全快!
体調万全。
さ、こっちはまだまだ行けるぞ?
なんなら今からホブゴブリンを全滅させてやるぞ?」
キースは腕をグルングルン振り回す。
そしてスクワットや足を伸ばす運動を開始する。
軽快な動き、見当たらなくなった傷。
回復技といったのは本当だったと、ロレインたちは理解させられた。
「あ、あはは、まるで悪い冗談だ……!」
「満足いただけたようで何よりだ。
TRPGってこういうのがいいよなあ。
マニュアルや文章の説明に矛盾が無くて、マスターが許可すればどんな行為もOKになるからなあ。
コンピューターゲームじゃ絶対ありえない」
[サンブレード(陽光の剣)]と[ソーラー・アーマー(太陽の鎧)]を使った回復手段。
これはキースがマスターにお願いして、マスターが公認したプレイだった。
まず、サンブレードには『与えるダメージが[光輝]の種別を得る』力が備わっている。
そしてソーラー・アーマーは『[光輝]を受けた際に、[光輝]分の体力を回復することができる』力がある。
そこで思いついたのが、自分で[光輝]のダメージを受けるということだった。
無論、どちらか一つが欠けたらできない方法である。
さらに今回は回復に加えて、攻撃も追加したのである。
「ほ、ホント、面白すぎてまいるよ~
あは、今頃、マスター大笑いしてくれてるかな~?」
腹部を押さえて、ロレインは3歩程後ずさりをした。
★
不惑(まどいなし)は3D格闘ゲーム『鉄拳』シリーズの吉光というキャラクターが使う技です。
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いろいろなアイテムの使い方がTRPGはできます。
ただ、それだけが言いたかった今回のお話でした。
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もっと早く話を展開させたい!
○
今回は難産!