胸甲鎧(ブレスト・プレート)の銅板は赤く輝いていた。
陽光を浴びたかのようなこの鎧は、神々しくも感じられる事ができる一品だった。
「おーい、アートゥロ。
悪いけど、バックプレート側を着けるの手伝ってくれ~」
そんな一品を前にしても、キースの態度はいつもと何ら変わることはなかった。
毎日着用する洋服を着るかのように、このブレストプレートを身に纏おうとしている。
「あ、りょ、了解っす、大将!」
キースの指示に従い、アートゥロは鎧の装着を手伝った。
だが、アートゥロの手は震えていて、作業は手早くとはいかなかった。
この鎧に対して、アートゥロは精神的に圧倒されていたのである。
アートゥロには魔力などに関する力は無い。
生粋の兵士である。
本来なら何も感じることはないのだ。
だが、そんなアートゥロでも、この鎧からは、他を圧倒するような迫力を感じていたのである。
「な、なんかすごい鎧っすね……」
かすれるような声で、アートゥロは呟く。
そんなアートゥロに対して、キースは表情を変えずに言い切った。
「正真正銘、俺の最強の鎧だからな。
なんか知らないけど、あいつ、ちゃんとした格好で来いって言ったんだ。
ご丁寧に準備時間もくれて、な。
だったら招待された客としては、目いっぱいおめかしするしかないだろ?」
次々と、今までにアートゥロが見たことがない武具を身につけていくキースに対して――
「こ、これが、マジなホワイトスネイクかよ……!」
知らず知らずのうちに口内に溜まった唾液を、アートゥロは音を立てて飲み込んだ。
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064 決意
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装備の着用を終えたキースは、あの、ホワイトスネイクそのものだった。
酒場で吟遊詩人が語る姿、教会の絵画の中で見て取れる姿、だ。
胸部を覆うブレストは、太陽の光のようにキラキラと輝いている。
さらによく見れば、胸の部分には紋様が描かれており、恐ろしいほどきめ細かい装飾が凝らされていた。
また背中に背負った盾などは、まるで鏡のようである。
傷一つなく、波紋の一つも無い湖面を思わせる一品だった。
戦うときに最も傷つき易い部分である手腕には、赤茶色のヴァンブレイスを身に着けていた。
精悍なデザインであるヴァンブレイスは、動き易さを最優先にされていると思われる形だった。
さらに目立つはブーツである。
この黒いロングーブーツは、キースがいつも着用しているものだ。
貴族が着用するようなエレガントな一品である。
これを、キースは履き替えることは無かった。
上半身が一部の隙も無い装備であることを見ると、足元はチグハグな感があった。
そして戦士の武器の象徴である剣に関しては、腰に二本挿していた。
長さからすると、ロングとショートの一本ずつであろう。
刃に関しては、飾り気の無い革の鞘に入れられているためにわからない。
握り手部分は大分黒ずんでおり、この二剣は使い込まれているのが見て取れた。
「あいつ、どうしてる?」
指輪とブローチを身に着けながら、キースはアートゥロに声をかける。
普段から装飾品を一切見につけないキースは、なんとも指輪が苦手だった。
こそばゆいような、くすぐったいような感じがしてしまうのである。
そのため感触を確かめるために、何度も手のひらを握ったり広げたりを繰り返す。
「あのクソ野郎ですかい?
あいつは、うちのアロルドが見張ってやす。
でも、本当に大人しく待ってるんです。
ホワイトスネイクが来るのを……ニヤニヤしながらっす……
……
……
正直、俺、何が何だかわからないっす。
おかしいですよ、あの野郎……
何考えてるのか、わかりゃしねえ……!」
お腹の底から吐き出すようなアートゥロの声に、キースは軽くうなずいた。
「同感。
俺達のような善良な人間にはわからないし、正直、わかりたくもないよなあ」
キースはため息を――
付こうとしたが、途中で、それを全て飲み込んだ。
アートゥロを目の前にして、その行為は、彼の期待を裏切るものと思えたからである。
そして、より一層の険しい面持ちを浮かる。
「けど、予想できることはある。
たぶんだけど……
……
……
……来る、な」
「……ど、どういうことですかい……?」
少々の間を空けられて告げられたキースの言葉に、アートゥロは息を呑む。
キースは小さくうなずいた。
「俺が行くっていうのは、俺自身は良いんだ。
ぶっちゃけ、簡単には死なないしな。
それよりも問題なのは、俺がいなくなったらってことだと思う」
「……あ……!」
キースの言葉に、兵士であるアートゥロは気が付いた。
アートゥロの様子に、今度のキースは大きくうなずいた。
「別働隊が必ずいる。
基本中の基本、戦力分散による各個撃破ってやつだなー」
「い、言われてみれば、戦術の基本っすね……」
「今回のことは、なんつかー色々不自然すぎるんだよなあ」
ずっと前に読んだ三国志をモチーフとしたマンガのことを、キースは思い出していた。
難攻不落の砦を守る将軍がいた。
敵対する部隊は、その将軍に対して挑発行為を行う。
挑発に対して堪忍袋の尾が切れた将軍は、砦から飛び出してしまう。
将軍がいない砦は、控えていた別の部隊にあっさりと落とされてしまうという件である。
詳細なシチュエーションは異なるが、それに近い状況に追い込まれていると考えていたのである。
「考えすぎでしたー、ってオチで終わればいいんだけどな。
あの男の言い方だと、本当に俺だけに用事があるようにも見えたし――
って、それはそれでキモイなあ。
男にモテモテ「ウホっ」な展開は、全力で勘弁してもらいたい。
けど、警戒しても損はないと思う」
「大将、ガキからお年寄りまで、みんなからモテモテっすもんねえ」
「含みある言い方するなあ、マジ勘弁してくれ」
「そりゃ無理っすよ、なんてったってホワイトスネイクなんすから」
逼迫した状況には変わらない。
だが、今、この瞬間だけでもアートゥロが微笑してくれたことにキースは安堵する。
それに合わせて、キースは自分自身も落ち着くようにと言い聞かせる。
そして――
「サーペンスアルバス迎撃隊隊長アートゥロ。
命令だ。
サーペンスアルバスを守れ」
簡潔な言葉だった。
だが、この時のキースの言葉には力があった。
重々しく、そして、それは勇気付けられるもので――
「かしこまりました、ホワイトスネイク!」
直立不動の姿勢で、完璧な儀礼を持ってアートゥロは答えた。
そんなアートゥロを見て、キースは満足げに破顔した。
「俺が戻ってきたら忙しくなるぞー。
まずは名前考えないとな。
それから飲み会だな?
って、そりゃ、マリエッタを説得か。
お金出してくれっかなあ?」
澄んだ笑顔浮かべながら、キースはぼやいた。
○
豪奢な室内に「ゴリゴリ」と音がなる。
薬草を煎じている音だ。
その行為は、この豪奢な部屋の中では不似合いなものだった。
続けて、ノアは別の草を投入して煎じる。
室内にはミントの香りが立ち込める。
「ん――」
ノアは満足げにうなずいた。
薬草学のスキル判定で、ダイス(さいころ)が最高の数値が出してくれたのだろうと思う。
それほどまでに、今、作った薬草は改心の出来だったのである。
そんな時だ。
「お~い、ノアいるかー?」
ドアの向こうから、聞きなれた兄の声で呼びかけてくる。
「いるよ、なーにー?」
椅子から腰を上げて、ノアはドアに向かう。
そして扉を開ける。
「今、ちょうどおにいちゃんに薬を――
……え?」
ノアは兄の姿を見て声を失った。
それはいつもの姿ではなかったからだ。
こちらのノアがはじめて見る、武具を身にまとった姿だったからだ。
「ど、どうしたの、その格好っ……!?」
しかも、問題は装備している武具である。
暖かな光を発する鎧を見て、ノアは息を飲む。
キースというキャラクターが装備する、光り輝く鎧は[ソーラー・アーマー]だった記憶がある。
そうなると、絶対に武器は[サンブレード]を装備するに違いない。
この組み合わせは、キースが[生き残る]ことを最優先とした組み合わせだ。
「はは、まーなあ」
驚くノアに、キースは苦笑いを浮かべる。
そして――
「時間が無い。
ノア、にいちゃんの頼みを聞いてくれないか?」
「え……?」
ノアに対して、キースは今での起こった出来事の要点を伝えた。
その内容を聞くにつれて、ノアの表情が険しく変わる。
「一人で、誘拐犯に付いて行くなんて……!!
そんなの絶対に危ないよ!!」
「うん、だよなあ。
さすがに、にいちゃんもそう思う」
キースとしては苦笑せざるを得ない。
「わ、わたしも付いて行くよ!
今のわたしなら、絶対に役に立てるから……!」
「ああ。
ノアがいたら、にいちゃん、楽できたんだがなー。
俺だけっていうのが、先方の条件なんだよなあ」
キースは、ノアの絹のような長い黒髪をそっと撫でた。
「隠れながら付いて行くよ、バレなかったら……」
「おいおい。
ノアはプリーストだろ? シーフスキルゼロじゃん。
一人じゃないって、バレたりした方がイロイロやばいから、な」
「……!!」
キースの言葉に、ノアは何も言い返せなかった。
悔しそうに、兄を見つめるだけしかできない。
そんな妹の肩に、キースは軽く手を置いた。
「だから、な。
ノアには、もっと大切な頼みたいことがあるんだ」
「え……?」
ノアに視線を合わせるように、キースは中腰になる。
「俺がいない間な。
この町が襲われるかもしれん。
にいちゃんの部屋にあったマンガ版三国志、ノアも読んだことあったろ?
今回のようなパターン覚えてないか?
大将おびき寄せて、で、違う部隊に本拠地を占拠させる」
「う、うん。
え、えと汜水関だった、かな……?」
「すげ!
よく砦の名前まで出てくるなあ。
ま、そういうことだ。
ノアはここにいて欲しいんだ。
んで、この街サーペンスアルバスと住人を守ってくれないか」
「お、おにいちゃん……」
「頼む――」
キースの言葉に、ノアは少し黙ってしまった。
どのぐらいの時間が経過しただろうか。
ノアは小さくうなずいた。
「悪いな、ノア。
安心しろ、マリエッタとニエヴェスさんはバッチリ助けてくるからな!
このチートボディで!」
笑いながら、キースは胸板を叩く。
だが、少し力が強かったのだろう。
キースは咽てしまう。
そんな兄を見て、ノアは少し微笑んだ。
「うん。わかったよ、おにいちゃん。
サーペンスアルバス。
おにいちゃんの好きなバンドのCDアルバム名の街、絶対に守って見せるからね」
「はは。
よくノア覚えてたな、サーペンスアルバス頼んだぞ~」
場を盛り上げるために、キースは笑った。
そして内心は心底、安堵の気持ちに包まれていた。
ノアは真面目な性格だ。
真面目すぎて、周りが見えなく事があるくらいにだ。
兄であるキースは、それが心配だった。
今回の事も説明すれば、ノアが「付いて行く」と言う事は予想できていた。
かといって、話さないという選択はもっと危険だ。
事件が解決するまで、どうしてもサーペンスアルバスは物々しくなるだろう。
しかも、自分(キース)がいないのだ。
自ずと、ノアは異変に気が付くだろう。
そうしたら、間違いなく、ノアは俺を助けに来てくれるだろう。
ノア自身の考えで、だ。
だが、それは危険すぎる。
ノアの体は強いかもしれないが、乃愛はただの女子高校生だったのだ。
[D&D]のゲーム中でもそうだったが、簡単にトラップ等にかかってしまう。
だから、逆に全部話すことにした。
隠したりしていて、後から知られたほうが、どんな行動をするかわからない。
なら、「サーペンスアルバスを守ってくれ」という言葉を盾にして、ここにいてもらうほうが安心だ。
こう言えば真面目なノアなら、絶対に勝手に動くことは絶対に無いだろう。
万が一、敵が何らかのアクションを起こしてきたとしても、専守防衛なら生存率は大幅に上がる。
そもそも、サーペンスアルバスが攻められるというのは推測にすぎない。
誰もこないかもしれないのだ。
そうすれば、よりノアは安全だ。
後は、俺が二人を助ければいいだけだから――
「にいちゃんに、ぜーんぶ任せておけって!」
余裕綽々といった面持ちを、キースはノアに対して向ける。
そして、キースはノアに対して背を向けて、あの青年が待つ場所へ向かうべく歩み始めた。
この時、この瞬間。
妹に向けていた親愛の表情は消えうせていた。
そこにあったのは怒った戦士の顔だった。
★
次話からおにいちゃん無双!?
いえいえ、それはダイス(サイコロ)しだいです。
実際にサイコロを振って、展開を表現したいと考えています。