一瞬で、訓練場は更なる緊張によって支配されてしまった。
キース・オルセンの言葉のせいである。
迎撃隊員達は何もできなかった。
この状況と空間が、彼らに何かをすることを許さなかったのである。
指先すら動かせず、呼吸するのが精一杯だ。
この緊張の空間を作った当事者であるロレインとキースの二人。
彼らは互いに視線を交差させていた。
ロレインのそれは、キースに対して品定めを行っているように思われるものだった。
また、珍妙な何かを「見つけて」しまったかのようにも見て取れる。
もう一方のキースは、ただただ、静かにロレインを見つめるだけだった。
そこに何かを「見てとる」ことはできない類のものだった。
どのぐらいの時間が経過したのだろうか。
一瞬だったかもしれない。
それとも、かなりの時間が経過しただろうか。
「ふぅ……」
最初に、この沈黙を破ったのはロレインだった。
彼の大きなため息が、この張り詰めた空間を少しだけ弛緩させる。
そして、ロレインはアートゥロに突きつけていたダガーとナイフを下げた。
「僕、この体勢になって殺(や)れなかったことないんだけどなー。
傷ついたよ~。
もう、引退しよっかなー」
「やれやれ」と肩をすくめるように、ロレインは苦笑する。
そんなロレインを見ても、キース・オルセンは変わることはなかった。
ただただ、静かにロレインを見続けていた。
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063 前哨戦
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笑みを絶やさないロレインだったが、内心では焦りを感じざるを得なかった。
焦りの要因は、勿論、ホワイトスネイクの言葉である。
先程、ロレイン自身が発した言葉に嘘は無い。
右手にダガー。
左手にナイフ。
二刀で、あそこまで追い込んだ場合、確実に相手の首をカッ切ることができた。
ナイフで内蔵をエグることができた。
多くの生き物に止めを刺してきた。
だが、ホワイトスネイクは事も無げに言ったのだ。
「右手首と左手首、それと首は取れるからな」、と。
それはすなわち、自分よりも早く剣を振るえるということだ。
しかも、あの距離、あの姿勢、あの状況からである。
ロレインは「ハッタリ」だと思った。
そんなことができるわけは無いと、自身の経験が伝えてきた。
それほど、自分のダガーとナイフの扱いは手ぬるいものではないのだから。
だから、実際にアートゥロを殺そうとした。
が、その瞬間だった。
ロレインの身体に、微かな違和感が走り抜けた。
脳、身体、右手、左手、腰、右足、左足、どこからはわからない。
だが、その違和感が告げたのだ。
「ヤメロ」と――
慌てて、ロレインは感覚に従うことにした。
ロレインの理性では「殺せる」と告げているが、どこからか「殺せない」との声も聞こえたのだ。
「(神速の剣の使い手かあ、姉さん、今回は骨が折れそうだよ~)」
ホワイトスネイクならやりかねない、今は焦ることはない、落ち着け――
と、今、ロレインは精神を落ち着かせようと(これでも)必死だ。
何せ、相手は、自身の主をも打ち倒した英雄なのだから。
ロレインの額から、一筋の汗が流れた。
それはロレインにとって、非常に不快なものだった。
○
ロレインがアートゥロに攻撃を行った時。
生粋の戦士であるキースは、ロレインの身体の動きから、それが「ブラフ」であると察した。
そのため、堂々と余裕を持って見逃した。
逆に、ロレインの行動を止めに入る方が、微妙な状況だった。
現状の装備では、アートゥロに傷を負わせないように動ける100%の確信が持てなかったのだ。
「(うへー、まじありえないんですけど~!?)」
だが楽観視は全くできない。
あまりの展開に、さすがにキースも困惑気味である。
しかし、それを面に出すことない。
それをしたら、ここまで積み重ねてきた「作戦」が台無しになるからである。
この「作戦」とは、勇希がキースとして、この世界に来てしまった直後から考えて実践していることである。
きっかけは、この世界でのキース・オルセンの風評を知ってからだ。
それはものすごいものだった。
当然かもしれない。
この世界、そして人々の命を、どん底の状況下から救い出すという偉業を成し遂げた存在なのだから。
その後、勇希は、人々にアンケートを取ったりもした。
質問の中に、冗談で「キース・オルセンはどんなモンスターを退治できると思う?」と入れたりしたのだが、
その回答を見たとき、キースは思わず飲んでいたお茶を吹き出した。
結果は、無双なゲームもびっくりな事ばかりが書かれているのである。
「(徳川のホンダムもびっくり結果だ)」
そして勇希は決断する。
ここまで来たら、人々が考えている[キース・オルセン]像を、より恐ろしく強い存在に仕立て上げてしまおう、と。
この「作戦」を実施するに当たって幸いだったのは、
[アイウーン・ストーン・オブ・パーフェクト・ランゲージ(完全なる言語のアイウーン石)]を所持していたことである。
このアイテムの力を発動させることによる[威圧]、[交渉]、[事情通]、[はったり]のボーナス効果は絶大だった。
人々の心中で、ますますキース・オルセンという存在は[英雄]としての格を上げていった。
それから、次にキースが取った手段は「自分で戦わない」ことである。
戦陣には立つが、自身の剣は極力振るわない。
このことで、各々の空想によって、キース像が膨らんでいくことを期待したのだ。
この「作戦」の目的は、相手が逆らう気力さえ起きないような存在と認識してもらうことである。
さらには、敵対するものが「キース・オルセンならやりかねない」と、勝手にいろいろ考えてくれるようになれば言うことない。
ちなみにこれは、勇希が読んでいた少年マンガを参考にしたものである。
(そのマンガはハッタリだけで、どんどんと成り上がっていくようなものだった)
○
ロレインは手にしたダガーとナイフを、くるくると手馴れた手つきで懐にしまいこむ。
それはジャグリングを思わせるような軽快な動作だった。
「んじゃ、ホワイトスネイクが説明しろって言ってくれたんで、
さっそく、極悪非道な誘拐犯から要求を発表させていただきますー」
改めて、ロレインはキースの目前に立った。
「もうわかってると思うけど、さ。
隊長さんの大事な大事な奥さんを、あー、あと、お腹にいるお子さんもだね。
お預かりさせて頂いております。
そして、奥方と一緒に、可愛いくて優秀なメイドさんもご一緒です」
笑みを絶やすことなく、ロレインはキースの顔をのぞき込むように告げた。
だが、キースの表情は変わらなかった。
ロレインは、キースが何らかの言葉を発するのを待つ。
しかしキースは黙ったままだった。
「ふーん。そうくるかあ。
あんまり楽しんでもらえる反応じゃないなー」
「しょぼん」といった体で、ロレインは肩を落とす。
が、それも一瞬。
再び、先程のように笑みをたたえて、大げさなアクションで言葉を続ける。
「さあ、希代の英雄ホワイトスネイク!
君はどんな行動をしてくれるんだい――?」
ロレインが両手を広げて、キースに対して行動を要求する言葉を告げてきた。
「なんなんだよコイツは??」
これが、キースの嘘偽りのない感想である。
それに生理的にも気持ち悪かった。
まるで、それは感情のこもっていない、テレビのクイズ番組司会者をキースには思い出させる。
「あー。
行動っていうかさ、お前さんさ。
何にも要求はないのか?
普通、こういう場合はそっちが身代金とかを要求するもんじゃないのか?
俺が、いきなり好き勝手にしてもいいってことか?」
キースは発言する言葉を、今、慎重に選んで発している。
何か激怒させるようなことがあっても、マリエッタとアートゥロの奥さんであるニエヴェスさんの身が心配だ。
かといって、全て相手の言いなりになることもできない。
この青年に精神的に有利に立たれては、こちらの今後の行動も取りにくい。
しかし、この相手の言動や行動から、「通常の人質を取られた側」の行動を取るのは逆に危険な気もしている。
さすがのキースも、今、このさじ加減には苦心していた。
「ああ、もちろんだよ。
そうじゃなきゃ困るぐらいだからねー」」
キースの回答に、ロレインは笑顔で返した。
「あのホワイトスネイクがどういう風に動いてくれるか楽しみだよ。
そうだねー。
いろいろな選択肢があるもんね」
ロレインは「うーん」と、わざとらしく考える振りをしてから――
「一つは、二人を無視すること。
サーペンアルバスのトップだもんね。
普通の領主ならこの行動かな?
誰も文句は言わないし、言えないと思うよ。
残念なことになるのは、たった二人だけだしね。
ただ――」
「ニコニコ」とした面持ちで、そして、少し口をゆがませる。
「二人は、まー、とっても素敵な状態になるだろうね。
でも、それでお終い……って、あ――」
と、そこまで言いかけて、ロレインは照れを隠すように頭をかいた。
「お終いじゃないね。
その後はこの場で、僕が、まー、彼女達と同じように素敵な目にあっちゃうぐらいかな?
特に隊長さんとかからさー」
カラカラと、ロレインはアートゥロに向かって嬉しそうに笑う。
「テ、テメエ……!!」
アートゥロはロレインの挑発を受ける。
再び、剣を握りそうになるが――
「隊長……!」
副隊長のアロルドが、そっとアートゥロの手首を握る。
「――!」
「お願いです、今は……!」
アロルドはアートゥロに懇願の眼を向ける。
「~~~!」
歯が砕けんばかりに、アートゥロは全てを飲み込んだ。
アロルドの眼を見て、長年連れ添ってきた副官の眼を見て――
「あはは!」
アートゥロとアロルドの様子を満足げに見てから、ロレインは再びキースに視線を戻した。
「で、もう一つ。
個人的にはこっちを選んでもらいたいな。
ホワイトスネイク一人でさ、僕と、一緒に付いてきてもらいたい場所があるんだ」
「……
……
……
俺に、一人で付いてきてもらいたい……?」
ロレインの言葉に、キースは復唱する。
それは確認と、さらには言葉の先を促すものだ。
「うん!
必死に準備してね、素敵なイベントを用意したんだ。
大変だったよ~!
でも、その分、ホワイトスネイクにも満足してもらえると思うよ!
それに――」
ロレインは大きく両手を広げる。
「これにクリアしたら、景品の二人はホワイトスネイクのものだ。
破格だよね、こっちは。
全員が幸せになれるルートだ」
「どうだ!」と言わんばかりのロレインの表情を見て、キースは小さなため息をついた。
「うさんくさい営業マンだ、あんたは」
「あは。
意味はよくわからないけど、お褒めにあずかり光栄です」
「意味わからないって自分で言ってんのに、その回答がうさんくさいっていうんだ。
ようするに、俺に一人で来てもらいたい場所がある、と。
んで、そのために二人を連れ去ったってことなわけだ」
そっちの好きなように行動しろといっておいて、結局、すぐに自分達の要求を突きつける。
こんなやり取りに、キースは、この青年に対する警戒のレベルを一段上げることにした。
「ふぅ」
一呼吸ついてから、キースは長くなってきた前髪を掻き上げる。
そして――
「俺、ゲーマーなんだけどさ」
キースは、ロレインに対して正面に立って言葉を返す。
内容については、この青年には理解できないだろう、とキースは思う。
だが、キースは言葉を続ける。
「けど、さ。
まあ、ガチの人から見たら、ライトゲーマーになるなー。
アドベンチャーゲームの場合、ルートは一つしかやらないし。
CGのコンプなんて興味ない方なんでね。
グッドエンドだけ。
バッドルートはやらない。
だから――」
腰に携えていた剣を、キースはゆっくりと抜刀する。
「違う選択を選びたいわけだ。
最適で簡単なグットエンドルートに行けるように、な」
「……へえ……」
キースの行動に、ロレインは意外そうな面持ちを浮かべた。
ロレインは自身の乾いた唇を湿らすために、舌なめずりを行う。
そして、再び、懐からダガーとナイフを取り出す。
キースとロレインの間の空間が、再び、緊張に支配される。
それは他の人間から見れば、空気が歪んでいるかのような錯覚を覚えるほどだった。
「いいねー。この展開も熱いなあ。
ちなみに聞かせてもらっていいかな?
どんな選択なのかな?」
「そうだな。
さっき、好きにしていいって言ったよな。
今さら無しとか勘弁な。
例えば――」
「――!!!」
ロレインの背筋が凍る。
油断したつもりは無い。
だが、ついて行けなかった。
眼の前のキースを見失ったのだ。
「うひゃあ!?」
刹那、右手に痺れが襲ってくる。
その瞬間、ロレインは理解した。
ホワイトスネイクが目の前にいたにもかかわらず、身体ごと消えるような動きを持って、
自分が手にしてダガーを正確にはじき飛ばしたのだ。
「っ、っとお――」
だが、ロレインも尋常では無かった。
空高く跳ね上げられたダガーに向かってジャンプする。
絶妙のタイミングでダガーをキャッチしたのだ。
さらに、そのまま後方に向かってバク転を行うことで体勢を整えた。
だが、キースの行動は終わらない。
バク転を行ったロレインの後方に、キースはいつの間にか立っていたのだ。
体勢を整えたロレインに対して、ゆっくりと背後から肩に手を置く。
それは「ポン」といった擬音がぴったりの、やさしい物だった。
「まあ、こんな風にして、お前さんを無傷で捕らえてな。
マリエッタとニエヴェスさんとの交換なんて、いい考えだと思わないか?」
神速。
キース・オルセンが世間一般で形容される賛辞のひとつである。
そのことを、ロレインは身を持って知った。
「あはは、そーくるかー!
あはは、今のはよかったよ~!
ゾクゾクできた!
こんなの何年ぶりだろ?
今のは、さすがにマスターにも喜んでもらえたなー!
でもね――」
ロレインは前方に向かって手を伸ばす。
地面に両手をつけて、倒立体勢になって身体をひねる。
そしてあっという間に、またキースと向かい合う体勢を取った。
「でも、ごめん。
それは止めた方がいいなー。
最悪の悪手なんだよ、僕の場合は」
飄々とした体は相変わらずだが、ロレインはキースに頭を下げた。
そんなロレインの言葉を、キースは「逃げの為」と判断した。
「そうか?
我ながら、平和的解決で良い案だと思ったんだけどな」
キースがさらなる追求の言葉をかけて、このフザケタやり取りで優位に立とうと考えた時――
「だって、僕、間違いなく姉さんに捨てられるもの」
「……
……
……間違いなく、ねえ……」
事も無げに発したロレインの言葉は、さすがにキースにも想定外だった。
はったりかも知れないが、どうにもこの青年の言動や行動を考えると、嘘とも断言できない。
自分から仕掛けたが、今の一手で、逆にまずい展開になっているような感覚。
そんな風に、今のキースには思えてしまい、思わず舌打ちを行いたくなるような思いだった。
唯一の収穫としては、おそらく、この青年の共犯者に「姉」がいる。
そして、その「姉」の元に、マリエッタ達が囚われている可能性が強いということぐらいだろうか。
今まで見られなかったキースの反応に、ロレインは苦笑する。
この青年には珍しい笑いだった。
「ああ、でも誤解しないで欲しいなー。
僕ら、とっても仲いいんだよ!
ただ、トッププライオリティが明確にあるってだけでね。
だから――」
ロレインはあごに手を当てて、いかにも考えますといった体勢になる。
キースから見ると、この青年が取る行動は、全てがどこか胡散臭いものに見える。
「姉さんが僕を見捨てる。
すると、君たちにとって僕は存在意義が無くなる。
まあ、邪魔な存在ってだけだね。すると、まあ、よくて厳重な拘束か、隊長さんに殺されるかー。
と、なると。
姉さんが、あの二人を……
……
……いやいやいや、ホワイトスネイク!
僕は親切心で言ってあげるよ!
それ、やっぱりやめた方がいいんじゃないかな?
奥さんとメイドさん、ちょっとすごいことになるよ?
最低限でも、心と身体の原型は止めてないよ?
姉さん、わかりにくいけど、あれでも僕のことは愛してくれてるからね」
笑うロレインの姿に、キースは舌打ちを抑えられなかった。
そして、剣を腰に納める。
「イベントとやらについては、もうちょっとぐらいは説明してくれんだろ?」
キースの言葉に、ロレインは嬉しそうに頷いた。
ロレインの笑みに、キースは嫌な気持ちでいっぱいだ。
この男は確信したのだ。
自分が、このイベントに参加するであろうと――
キースはロレインとのやり取りで、「失敗したか」と後悔の念を感じていた。
★
スポーツや格闘技なんかで一番好きな場面は、入場シーンから試合開始直後までだったりします。
気合を入れている人、相手をにらみつける人、静かにたたずむ人。
いろいろな人の顔が見られて、本当にたまりませんなー。
というわけで、そんなシーンを書いてみたかったのです。
まあ、ダラダラと長文になって、だめだめでしたが。
次の話からテンポのいい文章を書くことを目標にするぞ!