サーペンスアルバスに朝がやって来た。
海の向こう側に見える水平線から、ゆっくりと太陽が顔を出し始める。
それに伴い、多くのカモメ達も「ミャー、ミャー」と鳴いて大空への滑空を開始する。
それは誰にも等しく訪れる一日の始まり――
○
ベッドの上にある白いシーツ包まれた丸まり。
丸まりがもぞもぞと動き始める。
2,3分程続いただろうか。
「ふぁ……」
小さなあくびをして、にじみ出る涙を拭いながらノアが起き上がる。
そして「ピタピタ」と裸足のままで、ベランダへと続く窓を開けた。
早朝特有のヒンヤリとした風が、ノアの頬と長い髪を通り抜ける。
「ん――」
そのままベランダへとノアは出る。
ノアが兄から与えられた一室は、オーシャンフロントだった。
太陽の光が反射した、果てしなく何処までも続く大きな海が視界に飛び込んでくる。
そんな海から送られてくる風は、ノアの意識を急速に刺激させていく。
ひとしきり風を堪能してから、小さな声でノアは囁いた。
「クリエート・ウォーター」
すると、大きな水の固まりが、ノアの手の平の上に「フヨンフヨン」と出現する。
ノアはその水の固まりに手を入れて、顔を洗った。
何回か顔を水ですすぎ、完全に目が覚める。
そして残った水は――
「せーのっと」
大きく振りかぶって海へと放り投げられた。
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060 強くなるために
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まだまだ、多くの人々が寝ているであろうと思われる早朝。
キース・オルセンの屋敷内にある庭園を、ノアはのんびりと歩いていた。
「ん、あっちね。ありがとう」
時折、ノアは言葉を発する。
周囲に人は誰もいない。
端から見れば、独り言を発している様にしか見えない。
だが、ノアからすれば独り言では無い。
花や草木と、意思疎通の会話していたのだから。
そのおかげで、迷うことなく歩き始める。
何回か、植物達に聞くことで、
ノアは自身が探していた目的の場所にたどり着くことができた。
それは、敷地内に植えられていたイチイの木である。
「よかった。
このサイズなら大丈夫だ。
よろしくね――」
ノアは満面の笑顔で、そっとイチイの幹を撫でる。
そして――
「青田はそよぎ
しずかにただよう
花のうえ
我がからだ――
[トランスポート・ヴィア・プラント【樹木転移】]」
ノアが言葉を発し終えると、そこに、ノアの姿は見えなくなっていた。
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・[トランスポート・ヴィア・プラント【樹木転移】] LV6スペル
木(人間サイズ以上のもの)の中に入り、同種の木から出ることができる呪文。
両者の木はどれだけ離れていても構わない。
入り口、出口の木は生きている必要がある。
また、出口の木は、使い手のなじみの木である必要はない。
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○
イチイの木から姿を消したノアが、再び、その姿を現す。
やはり同じイチイの木の前である。
だが、それ以外の周囲は全く異なっていた。
鬱蒼とした森林。
多くの葉に遮られて、日の光が地面にまで届かないためにジメジメしている。
また、なんの生物かわからない不気味な鳴き声が「あちこち」から聞こえてくる。
つい先程までノアがいた手入れされた庭園とは、全くの真逆の場所だった。
当然である。
ここは[アルドガレン平原]に広がる[魔の森アルセダイン]。
森の民エルフも入らない、死と隣り合わせの場所なのだから。
「ん~~!」
だが、魔の森と呼ばれる場所にあって、ノアは気持ち良さそうに腕を伸ばした。
思い切り深い深呼吸をして、胸に森の空気を取り入れる。
そして――
「魂も宿らぬ骸、骸、我が許へ」
コマンドワードを呟く。
黒い光がノアを一瞬で包み込んでいく。
光が収まると、ノアの身体は漆黒の全身鎧に覆われていた。
夜も恐れるほどの夜。
ヴォイドクリスタル・ラフィング・デス・アーマー(虚無水晶の嘲笑う死の鎧)である。
「全てを貫く神槍、我が手に」
さらに続けて、ノアはコマンドワードを発動させる。
と、今度は空間がねじ曲がる。
小さな渦巻きが起こり、中心点から槍が顔を出してくる。
ノアは当たり前に、ねじれた空間から、とねりこの柄を握り締めて槍を引きずり出した。
「よいっしょ」
そしてノアは槍を振り回す。
軽々と行われるソレは、まるで演舞でもあり、そしてバトントワリングを想起させた。
だが、この槍はそんな優しい物ではない。
全てを貫き、神の城壁をも打ち壊し、光と返す、神槍グングニルである。
「うん、今日も絶好調」
フルフェイスのマスクの中、くぐもった声でノアは呟いた。
○
全身鎧に身を包んで、槍を片手に[魔の森アルセダイン]を疾駆する。
腕に自慢のある人間から見ても、それは考えつかないものだった。
そんなことを言おうものなら、頭がおかしいと心配されるレベルである。
[魔の森アルセダイン]は、気軽にピクニックに行けるような場所ではない。
人が通る道などは全く無く、獣や怪物、そしてどう猛な植物が襲いかかってくるのだ。
それに、全身鎧とは、着用して走れるようなものではない。
無論、防御力たるや、あらゆる鎧の中では最強である。
地肌が露出している箇所は一つもない。
だが、重量的にも最強の鎧だ。
人によっては、一度倒れると自分で起き上がることも出来ない程である。
だが、ノアはそれを容易く行っていた。
これはノアにとって準備運動であり訓練である。
走りながら、自身の調子を確認する。
ヴォイドクリスタル・ラフィング・デス・アーマーに身を包み、グングニルを片手に――
○
呼吸を乱すことも無く、
鬱蒼とした森の中を、30分程走り続けた頃だった。
「ん?」
ノアが足を止める。
そして周囲の草木に耳を傾ける。
「ありがとう、みんな」
近くに生えていたブナの木々にお礼の言葉を述べて、
ノアはゆっくりとグングニルを構える。
大地をしっかりと踏みしめて、いつでも対応できるように前傾姿勢を取る。
「来た――」
ノアの前に出現したのは紛う事なき怪物だった。
それは極限までにイボイノシシを醜くし、恐ろしく赤く充血した目を持つモノ――
「カトブレパス……」
ノアは目前の怪物の四つ足に視線を向ける。
それはゲームの知識で、カトブレパスと視線を合わせることが危険であることを知っているからだ。
足に視線を集中させたのは、カトブレパスの動きに反応する為である。
槍がメイン武器のノアは、敵の瞬間の動きがわかれば反応する(カウンターを取る)自信があるためである。
「Booo……」
ノアの存在に、カトブレパスも気づく。
ゆっくりした歩みの足を止めて、ノアの前に対峙する。
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◇カトブレパス(Catoblepas)
社会構成:独居性
食性 :雑食性
知能 :極めて低い
性格 :トゥルニュートラル
生態
・イボイノシシを醜悪にした存在がカトブレパスである。
・胴体は、巨大なむくんだバッファローに似ている。
足はゾウやカバにちかく、尾は長い蛇にも似ている。
・カトブレパスは赤く血走った目を持っている。
目からは[死の光線]を発生させる。
[死の光線]を浴びたクリーチャーは死亡する。
(しかしカトブレパスの首は貧弱の為に、死の光線を使用する可能性は低い)
・カトブレパスに天敵はいない。
[死の光線]と硬い皮膚を持つためである。
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ノアとカトブレパス見合いが続く。
が、それは突如終了した。
カトブレパスが大きなあくびをして、ノアを無視するかのように歩き始めたのだ。
カトブレパスはノアに興味を示さなかった。
「……お腹いっぱいだったのかな?」
だが、油断はしない。
ノアは完全にカトブレパスの姿が見えなくなるまで、グングニルの穂先を下ろすことは無い。
しばらく構えていたが、カトブレパスは突如引き返して襲いかかってくるということも無かった。
「ふぅ」
ノアは小さく息を吐き出した。
「いけない、時間押してる。
早く、朝のメニューを終わらせないと」
そして再び、ノアは走り始める。
○
緑色に濁った湖。
その湖面に、何事も無いかのようにノアは立っていた。
沈む事はなく、時折、足下に波紋が広がるだけである。
そして、ノアは手にしていたグングニルを構えた。
「たっ――!」
正面、何も無い空間に向けて、ノアはグングニルで突き出した。
空気が貫かれた音が響く。
突き終えた瞬間、ノアは後方にステップする。
「はっ――!」
そしてまた突きを繰り出し、今度は一気に前に走り出す。
水の上に幾つもの波紋が広がるが、身体が沈むようなことは無い。
「たあ――!」
今度は、グングニルを下から空に向けて振り上げた。
そして、さらに高速の連続の突きを繰り出す。
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・[ウォーター・ウォーク【水上歩行】] LV3スペル
一体以上のクリーチャーに、液体の表面をあたかも地面のように歩行させる能力を付与させる。
泥、流砂、油、川、雪なども対象に含まれる。
歩いている時の対象の足は、その液体に触れていないものと見なされる。
水中でこの呪文を唱えると、対象は水面に向かって浮上する。
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地下墳墓(カタコンベ)でのマクガヴァンとの戦い後。
ノアは早朝の特訓を始めた。
そしてこの特訓は、今までに1日も休むこと無く続けられた。
自分の身を、そして、大好きな人達を守れるだけの力を付ける為に、だ。
風を、空気を切り裂く音と、鳥の声だけがしばらく響き渡った――
○
朝の特訓を終えて、ノアは大きな石を探すために歩き始める。
大きな石に関しては、いつもすぐに見つかる。
植物達が教えてくれるためだ。
木々や草花に感謝の言葉を述べつつ、ノアは石の元へとたどり着いた。
そして、見つけた石に対して、いつものようにノアは呪文を唱える。
「ストーン・シェイプ【石物変換】」
呪文が完成されると、大きな石には石製の扉が作られていた。
「よいしょっと」
常人では動かすことが困難であろう分厚い石製の扉を、ノアは難なく開ける。
すると、石の中には空間が出来ていた。
空間の中央には、石で出来た浴槽が出来ている。
これも、いつも行っていることだ。
ノアは満足げに頷くと、扉を閉めて巨大な石製の閂を下ろした。
「ぷはぁ」
それから、ようやく、ノアはフルフェイスのマスクを外した。
○
「はふぅ……」
気持ち良さそうに、ノアは肩までお湯に浸かった。
そして、筋肉などまるでない腕や脚を「プニプニ」ともみほぐしている。
ノアはお風呂に入っているのである。
お風呂の水は[クリエート・ウォーター]で出したものだ。
水を湧かせるのには、[ヒート・メタル【金属加熱】]の呪文を使用した。
所有しているダガーに[ヒート・メタル]を唱えて、熱を持ったダガーを水に浸けたのである。
「今日はどれにしようかなあ」
浴槽から出たノアは、バッグ・オブ・ホールディングの中から小さな水筒を何本か取り出す。
この中には[薬草学]のスキルを元に、果物や薬草から作り出した、オリジナルのシャンプーが入っている。
こちらの世界に来て、ノアは薬草を煎じることが趣味の一つになっていた。
少しだけ考えて、ノアは、ミント系の香りがする水筒から液体を取り出した。
そして、長く黒い髪の毛にすりつけていった。
○
朝の訓練が終わり、与えられた部屋にノアは戻る。
そして、自身が所有している服の中で、一番お気に入りで、
毎日着用している女神エロールに仕える[大司教(パトリアーチ)]用の法衣に袖を通していた時だ。
「コンコン」と、ドアがノックされる音が聞こえてくる。
「はーい、どなたでしょうか?」
ノックの声に音に対して、服の身だしなみを整えつつ、ノアは扉に向かって返答した。
「おはようございます、マリエッタです。
お食事のご用意が整いましたので、お声をかけさせていただきました」
「あ、はい!」
慌ててノアは扉を開ける。
と、そこには、完璧な姿勢で頭を垂れているメイド姿のマリエッタが控えていた。
「おはようございます、ノア様」
「おはようございます」
ノアにとって、「ノア様」という言葉には全く慣れることはない。
止めてもらいたいな、という気持ちは多分にあった。
だが、マリエッタの雰囲気から「絶対に止めてくれなさそうだな」というのが正直な気持ちである。
そのため、一端、これは諦めることにしたのである。
「お早いお目覚めですね。
枕などがお身体にお合いしませんでしたでしょうか?」
「あ、いえ。
大丈夫です!
わたし、朝には強い方なんです。
ただ、その分、お腹がすいちゃって。
正直、もうペコペコです」
ノアの言葉とお腹を押さえる姿に、マリエッタは微笑する。
「ん、わ、わたし、変なこと言っちゃいましたか……?」
正直、ノアは、この世界のマナー的なものはよくわかっていない。
(日本でもマナーなんてよくわかってはいないが)
知らない間に、何かやってはいけないことをしたのかと心配になったのだ。
「いえ、ノア様にはなんら非はございません。
失礼いたしました。
やはり、ホワイトスネイクとノア様はご兄妹なのだな、と思いまして」
「え、おにいちゃんと?」
「はい。
先程、ホワイトスネイクも全く同じ台詞をおっしゃったので」
「あは。
おにいちゃんも朝は強いから」
そしてノアは兄を思う。
昔からおにいちゃんは夢中になったら、それこそ、文字通り睡眠時間なんかを忘れて没頭していたものだ。
また、寝たとしても、少し経ったら起き出してしまうのだ。
だから、今、きっと夢中なんだろうな、と。
「ホワイトスネイクもお腹をすかして、ノア様をお待ちになっております。
ご案内させていただいてよろしいでしょうか?」
一礼しつつのマリエッタの言葉に、
「はい、よろしくお願いします!」
笑顔でノアは答えた。
★
乃愛がノアに近づいてきた、これが表現したかった為だけの回になってしまいました。
「ノアも強くなっているよ」、ということを書いておかないと、この後が辛くなりそうでしたので。
色々と。
○
などど格好つけて書きましたが、
実際には、久しぶりに書いたノアに対しての、私のリハビリ回でしょうかwww
○
ストーリーには進展がありませんでした。
申し訳ありません……!