ゆったりとした動きで、イルが毛布から這い出てきた。
朝独特の、ひんやりとした清涼な空気が身体を包み込む。
イルは一つあくびをし、大きくノビをしてから思い切り朝の空気を吸い込んだ。
少しだけ寒くはあったが、脳が活性していくのが感じられて心地良かった。
「イルマさん。早いな。
ったく、依頼主がウチの2人組より先に起きるんだもんなあ」
見張り番の為に起きていたガストンは、苦笑しつつ、目覚めたばかりのイルに声をかける。
「はは、私と比べるのは可哀想だよ。
ルイディナ達、最初の見張り番してくれてるんだから。
もう少し、ゆっくり寝かしてあげてください」
寄り添って寝るルイディナとファナに、イルは自身が今まで使用していた毛布を掛けてやった。
毛布を掛けられた時、ルイディナは幸せそうな笑みを浮かべた。
ファナはルイディナの抱き枕状態なので、表情をうかがい知ることはできなかった。
「イルマさんにはかなわないな。
ありがとう、な」
ガストンは頭を下げて、イルに礼の言葉を述べる。
「それじゃ、俺は飯の準備でも始めるかな。
イルマさん、ちょっと待っててくれ。
水を汲んでくる」
「よっこらせっと」とぼやきながら、水袋を手にガストンは立ち上がる。
「もう日も登り始めてる。
特に何も無いと思うが、万が一、何かあったら大声出して呼んでくれるかい?」
ガストンの言葉にイルは笑顔で頷く。
「ええ、わかりました。
よろしくお願いします」
[アーケン]から[ケア・パラベル]へ。
ルイディナ達パーティと、イルとクロコの穏やかな1日がまた始まる――
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050 ケア・パラベルへ02
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ガストンが近場の川へ向かって、イルから姿が見えなくなった頃。
見計らったように、イルの下にクロコがやってきた。
(おはようございます、イル)
テレパスによる挨拶がイルに届く。
(ああ、おはよう。クロコ)
イルもクロコに挨拶を返すと、
あぐらの体制でいたイルの太ももに、クロコは乗っかってきた。
クロコにとっては、この位置はお気に入りの場所だ。
(昨日はどうだった?)
(近寄る敵対生物はゼロ。
イルの手助けどころか、私も何もする必要がありませんでした)
クロコの言葉に、イルは小さく頷く。
昨日の夜から今まで、彼女は見張り番をしていた。
ルイディナ達の見張りで見落としが無いように、と、クロコ自身が見張り番を買って出たのだ。
イルの使い魔であるクロコ。
彼女は夜目と聴力に非常に優れていた。
クロコの見張りや偵察の能力に対して、イルは絶対の信頼を寄せている。
(そっか、助かったよ。
おかげで、朝までゆっくりと寝ることができた。
ありがとう)
つやつやな毛並みのクロコの身体を、イルは優しく撫でる。
皺だらけの暖かい手による愛撫に、気持ち良さそうにクロコは目を細めてしまう。
十分にイルの手の感触を堪能してから、クロコはテレパスを返す。
(私はイルの唯一の使い魔です。
当然の事、お礼の言葉など必要ありません)
(それでも、だよ)
(なら、近々、別の形で返してもらいます。
たっぷりと)
(……
……
……へ?)
笑みを浮かべるクロコに、イルは「ゾクリ」としたものを感じてしまう。
なぜならクロコが要求するのはいつも――
(あ、あのクロ――)
(それではイル。休息に入らせていただきます)
言いかけるイルに、クロコは言葉をかぶせてくる。
このパターンになると、イルはクロコに何も言えなくなってしまう。
(え、ああ……
うん、ゆっくり休むといいよ)
(はい、おやすみなさい)
一礼をしてから、クロコはイルの太ももの中で丸まる。
そしてすぐに、気持ち良さそうに「くぅくぅ」と寝息を立て始めた。
そんなクロコに対して、イルは「やっぱり猫なんだなあ」と苦笑せざるをえなかった。
○
クロコが眠ったことを確認してから、音を立てないように、
イルは[バッグ・オブ・ホールディング]から、厚手の本を取り出した。
本の装丁はすすけており、重ねられた紙は変色を起こしている部位もある。
きわめて粗末な外見の本だった。
だが、価値を知るものが見れば、この本には値段など付けられる品では無いことがわかる。
これは[呪文の書(スペルブック)]。
それも、あの[終演の鐘(ベル)]の[呪文の書(スペルブック)]なのだから――
[D&D]の世界では、魔法は2系統に分けることができる。
僧侶系か、魔術師系か、だ。
僧侶系の魔法は、己が信仰する対象に[お願い」、または[命令]することにより効果が発動される。
そこには複雑な手順は無い。
[想い]や、[心の力]が、魔法の力となる。
だが、魔術師系は違う。
非常に複雑な手順である[詠唱]と、[動作]、そして[精神の集中]が必須なのだ。
これは通常の人間の精神では思いつけるものでは無いために、簡単に記憶できるものではない。
そこで魔術師は、忘れない為に[呪文の書(スペルブック)]を記すのである。
さらに魔術師は、魔法エネルギーを発するには特殊な[精神パターン]を心の中に描いておく必要がある。
この[精神パターン]についても、極めて複雑怪奇であり、通常の人間には想像不可能なものである。
そのため、[精神パターン]を脳内に刻み込むためにも、[呪文の書(スペルブック)]は用いられている。
呪文とは、その[精神パターン]から得たエネルギーを解放することである。
そして解放のトリガーが、[詠唱]と[動作]ということになる。
ちなみに[詠唱]などで解放された[精神パターン]は心の中から消費されてしまう。
そのため、再び、その呪文を使用するためには[呪文の書(スペルブック)]から、
[精神パターン]を心の中に刻み込まなければならない。
そのため、僧侶と異なり、魔術師は現在の状況を見極めた上で、
必要な呪文の[精神パターン]を、予習や復習しておく必要がある。
高レベルの魔術師であるイル・ベルリオーネとて、この作業を欠かすことはできない。
「これが[ドラクエ]みたいだったら、大分、楽になるんだけどなあ」
思わず、イルはぼやいてしまう。
だが、イルは、この[精神パターン]の選択(呪文の選択)の巧みさこそが、本来の魔術師の実力であると考えている。
そのため、なんだかんだと言っても、決して手を抜くことはない。
例えば、今、この場所は草木が多い場所だ。
ここで、使用できる魔法が[炎系統]のものしかなかったとしたら?
イルが使用する魔法では大惨事にしかなり得ない。
その場に合わせた魔法の選択が必要なのだ。
「おはようございます、イルマさん」
「……ん?」
イルが[呪文の書(スペルブック)]から視線を上げると、
そこには[クローク・オブ・コーシャス(慎重な者の外套)]に身を包んだファナが立っていた。
[精神パターン]の構築に意識を向けていた為に、声をかけられるまでイルは気がつかなかったのだ。
「ああ、おはよう」
イルは挨拶の言葉を返すと、ファナは嬉しそうな笑みをする。
そして、「ぺこり」と頭を下げてから、ファナはルイディナの元に向かっていった。
「ルーちゃん、もう朝だよ」
ファナは、毛布に抱きつきながら眠っているルイディナの身体を揺する。
「む~。
後、後、1時間だけ~」
「もう、ルーちゃんっ~」
そしていつものように、ファナ対ルイディナの朝の惰眠を巡る死闘が開始された。
○
「おはよ! イルマさん~」
真っ赤な髪をぼさぼさにしたまま、ルイディナは挨拶を振りまいてくる。
ちなみにルイディナの横にいるファナはというと、朝からの死闘で、すでにへろへろな状態である。
対照的な二人に、イルは笑みを抑えきれない。
「はは、よく寝れたようだね」
笑うのをこらえつつ、イルはルイディナに挨拶を返す。
「ん、も~ばっちり!
あたしってば、ホントにどんな所でも眠れるのよね~」
ルイディナは力こぶを見せながら、自信満々に答える。
「すみません。
ルーちゃんったら、昔からこうなんです。
でも、一度寝たら、中々起きてくれなくて……」
そんなルイディナに、ファナは疲れたようにがっくりと肩を落とす。
が、すぐに気を取り直して、イルに向かう。
「イルマさんは大丈夫でしたか?
よく寝れました?」
少し心配そうに、ファナはイルの顔を覗き込む。
ファナは老体であるイルの身体を心配してくれて、[アーケン]を出発してから何回も聞いてくる。
そんなファナを見るたびに、イルは優しい気持ちになれた。
「ファナ、ありがとう。
私は、これでも身体は丈夫なんだよ」
ファナの気持ちをありがたく思い、ファナの頭を撫でる。
イルはどうしてもファナの頭を撫でてしまう癖がついてしまった。
ファナが持つ雰囲気や言動、そして、頭のポジション。
存在の全てが「撫でて、撫でて」と言わんばかりなのだ。
「わ……」
少し照れるファナだが、まんざらでもなさそうに気持ち良さそうにしていた。
ほほえましい光景。
だが、それを不服なのはルイディナだった。
頬をぷっくりふくらませている。
「んー、なんだか扱いに差を感じるわ~。
イルマさん、あたしにも!」
「撫でろ! 撫でろ!」と言わんばかりに、ルイディナは頭を差し出してくる。
それを――
「そりゃ、差付くだろうが。
ファナは、ちゃんとイルマさんの気を使ってるんだから」
「フニャ!?」
ガストンは、ちょうど良い位置にあったルイディナ頭にチョップを入れる。
「ガストンさん、ちょっとホントに痛かったわよ~!
それにあたしだって、イルマさんの事を思いまくっちゃったりして、
ちゃーんと、気を――」
「使ってねえじゃねえか。
むしろ、スリングの使い方とかで、質問攻めにしてたような気がするが?」
「う!
ちょ、ちょっち、それ言われると……
たはは……」
今日は、朝から、なんとも肩身の狭いルイディナだった。
○
ガストンが準備した朝食を食べ終わり、各々が出発に向けて準備をしていた。
イルも荷物を片付けている時だ。
「ん?
イルマさん、それ何?」
ルイディナの視線は、今、イルが手にしている古びた本だった。
そう、イルの[呪文の書(スペルブック)]だ。
「これ?
なんて言えばいいかな。
仕事の書類みたいなものかな?」
「へえ、イルマさんの仕事!?
見せて見せて~!」
ルイディナがイルに対して、両手を差し出してくる。
本を見せて欲しい、という意思表示なのだろう。
一瞬、イルは「ぽかん」と惚けてしまう。
その後、笑いが止まらない――
「え、え、イルマさん、なに、なに!?
あ、あたし、なんかやっちゃった!?」」
突然に笑い出したイルに対して、ルイディナは戸惑ってしまう。
「ああ、ごめんごめん。
うん、ルイディナは興味を持っただけだから、何も悪くないよ。
はい、どうぞ」
イルは自身の[呪文の書(スペルブック)]をルイディナに手渡す。
そして、ルイディナはペラペラとページを開いて――
「むーりー!」
ルイディナは覗き込んで見たが、あまりの細かい字に一瞬で降参する。
「あはは、残念だ」
このルイディナの行為、他の魔術師が見たら、うらやましさのあまりに卒倒するであろう。
今、ルイディナは、[終演の鐘(ベル)]の[呪文の書(スペルブック)]を見ることができたのだから!
だが他の魔術師は、この[呪文の書(スペルブック)]を決して見ることはかなわない。
なぜなら、イルが許可しない相手が手に触れた瞬間に、この世から消滅するからだ。
それほどまでに、この[呪文の書(スペルブック)]には、イルによって凶悪なトラップスペルが幾重にもかけられている。
「え、ルーちゃんにも読めないの??」
イルの[呪文の書(スペルブック)]に、ファナも覗き込む。
「ア-、べー、ツェー?
……
ん、やっぱり難しいな……」
ファナも苦笑いをする。
が、この時、イルは表情には出さなかったが、少なからず驚いていた。
特殊な魔法文字で記載されているために、通常は、文字を読むことも困難なはずなのだ。
「ファナは、字は読めるのかい?」
イルはファナに尋ねる。
この世界の識字率は、日本と違ってさほど高くない。
文字の教育などは、生活に余裕があるものしか受けることはできないからだ。
「ルーちゃんに教わって、ちょっと読めるぐらいです。
書くことは全然ダメです……」
ファナは恥ずかしそうに俯いてしまう。
「たはは。
イルマさん、あたしが悪いの。
あたし、どうにも教え方って、よくわからなくて。
そもそも、あたし、なんで読み書きできるようになったかわかんないぐらいだし???」
ルイディナがおどけたように説明する。
ファナをフォローするルイディナに、「そっか」と、イルは穏やかに頷いた。
そして膝を曲げて、ファナと視線を合わせるように屈み込む。
「ファナ。
よかったら、私が字を教えようか?」
「え!」
イルはファナには、魔法の才能があるかもしれないと考える。
文字を教えて、ファナが魔法に興味があるようだったら教えても良いと思う。
この優しい子が、この厳しい世界で生きていけるように。
それにたとえ、魔法の才能が無かったとしても、
文字の読み書きができることで、損などは何一つ発生することはない。
冒険者を止めても、なんらかの仕事には就きやすくなるだろう。
「は、はい!
ぜ、是非!
イルマさんになら!」
イルの提案に、ファナは嬉しそうに何度も頭を下げてきた。
「お、すごいな。
こんなはっきりと言うなんて、ファナにしては珍しいな?」
ガストンは少し驚いた。
ファナは内気な性格であることを知っているからだ。
「え、う、うん……」
ファナは少し照れたように頬を赤らめた。
そんなファナに対して、ニヤニヤしながらルイディナはファナのほっぺたを突く。
「あららん、ファナ照れてる~?
こりはもしかして。
ちょー、歳の差のカップル誕生!?」
「ちょ、る、ルーちゃんったら!!」
ルイディナにからかわれて、ファナの顔はリンゴみたいになってしまった。
可愛らしいファナに、みんなから笑いが起る。
思わず、イルも微笑んでしまうのを抑えられなかった。
★
今回は、魔法の説明部分を書くのに大分時間がかかってしまいました。
途中で力尽きそうになりました。
よかった、なんとか公開できて!(文章のクオリティは置いておいて)
魔法の考え方については、[AD&D]を参照させていただいております。
ただ、話の展開はあまり進めませんでした。
次話から、ちょっとした展開があるようにしたいと考えています。
○
ちゃくちゃくとハーレムに向けてフラグを建築中のつもりです。
○
ほのぼの成分を補給。
自己満足が強めになった今回の話でした。
○
気がつけば50話!