ごとごとと幌付きの馬車が不整地の道路を進んでいく。
馬車を引く馬は後ろの車に乗っている恐ろしい存在に怯えきっていた。
馬車の中ははっきり言って最悪を通り越して地獄のような空気が充満していたが、その空気を生み出している元凶は、ぼんやりとした顔のまま最後尾で幌の外に顔を突き出して空を見上げていた。
やがて、その桜色をした唇から歌声が漏れ聞え始めた。
常人では殆ど聞えないほどの、か細い歌声。
そして、常人よりも遥かに耳のいいマーチは、その歌の内容を聞き取った。
「(意訳*縛られた悲しみと 子牛が市場へ揺れて行く。
ツバメは大空高く スイスイ飛び回る。
風は笑うよ 一日中。
夏の夜半に笑っているよ。
力の限り 笑っているよ。
ドナドナドナ……)」
恐ろしく暗い歌である。
マーチにはその歌詞の中で市場に連れて行かれる子牛が自分たちのような気がしてならなかった。
歌っている本人が持つ悪鬼の如き力を考えると、全く冗談ではすまない。
戦慄する彼をよそに、歌は更に続いた。
「(意訳*「泣きわめくな!」と農夫が言った
「誰が、お前は子牛だ、と定めたんだい?
翼を持った誇り高いツバメのように自由に飛んで逃げてったらどうだ?」
哀れな子牛は縛られ、引かれて行って屠殺される。
何故かなんて分からない、理由なんて知りもしない
だけど自由を得るために、燕に飛び方を教わるんだ……)」
そこで歌は終わった。
そこにいた4人の中で唯一聞こえてしまっていたマーチはおもわず身体を震わせ、鳥肌のたった二の腕をごしごしと擦ってから、スキットルの中に詰まった酒を気付けに一口含んだ。
その歌から漂ってくる名状しがたい恐怖感に、彼のSAN値は急降下していた。
「おい、不気味で不景気な歌を歌うんじゃねぇ。盛り下がるだろうが」
「さーせーん。というか、まーくん聞こえたの?」
「聞きたかなかったぜ、そんな暗い歌」
「この歌はとある国であったそしきてきぎゃくさつをうたった曲で……」
「解説すんな! バカ!」
ぱかん、と思わず手が出てしまったマーチは、叩いたあとに「あっ」と呻いて思わず距離をとった。
馬車内の空気が凍りついたが、叩かれた本人は痛そうに頭を撫でてマーチの方を見るだけで、あの時のような恐ろしい事にはならなかった。
心なしか、その目尻には薄っすらと涙が滲んでいる。
「痛い、しゃざいとばいしょうをようきゅうする」
「……あんなに飲み食いしたのにか? 図々しいぜ」
「今ならそれをかえしてくれればゆるす」
「返すも何も、もともと俺んだろ!」
指差された二本目のスキットルを、彼はポケットに突っ込んで隠した。
そのどさくさに紛れて何とか回収したものだったので、そればかりは渡す気になれなかった。
ちなみに一本目のスキットルは彼女が空にした後に自分で水を詰めなおしていた。
それを自分もポケットに入れようとしたのだが、生憎と彼女が着ている服にはポケットが付いておらず(改造前の尼僧服になら付いていたが、魔改造を受けたそれには既に消滅していた)、暫し悩んだ彼女はなんと襟を開いて胸の間に押し込んだのだった。
流石にこれはマーチでも無理矢理取り返すわけにも行かない。
そんなわけで彼は二本目まで奪われてたまるかと、それを死守することにした。
「街に着いたら自分で買え、金は自分で稼げよ」
「おごってくれるって話は?」
「馬鹿、酒は嗜好品だろう。宿と飯代だけだ」
「えー……」
「だいいち! 金もないのに生きて行ける訳ないだろう、ずっと俺にたかり続けるなんてのは無しだぞ。宿代だって飯代だって普通は折半なんだからな、今回だけだぞ。冒険者ってのは金にシビアって相場が決まってる」
そう言ってひとくさりした彼の顔を、彼女は呆気に取られた顔でポカンと口を開いてみていた。
あんまりと言えばあんまりな顔に、彼はちょっと頭にくる。
「何だそのアホ面は、何が言いてぇ」
「だって……」
「だって、なんだ」
「それって、まーくん、わたしがお金かせいだらこれからはせっぱんしていっしょにご飯食べてくれるってことだよね? それに、お金かせげるようになるまで、食べさせてくれるって事だよね?」
「あ――――」
言われてみて気が付いた彼は、確かに自分がこの厄介な化け物を放り出して知らん顔をするという選択肢を放棄していた事に気が付いた。
今度は自分がポカンと大口を開ける羽目になった彼を見て、彼女はクスクスと可笑しそうに笑った。
「それに、たたき(強盗)でもするかとんび(追い剥ぎ)にでもなったら、はたらかなくてもたべていけるけど、まーくんはわたしにそういう事はしてほしくないんだよね?」
「あ、あー、えぇと」
しどろもどろになる彼を見て一層可笑しくなったのか、彼女はご機嫌な笑顔で彼の手を両手で握って微笑みかけた。
「まーくんって、ほんとうにひとがいいね」
「それを言うなら「いい人」だろうが!!」
スッパーン! と景気のいい打撃音を響かせながら、馬車はごとごとと街に向かって進んでいくのであった……。
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「よし、着いたぞ。下りろ」
「はーい」
騒ぎになるのを恐れた一行は、所定の馬車置き場から少し離れた林の中で下りる事にした。
ぞろぞろと馬車から降りた五人は、取り敢えず当面の方針を話し合うことにする。
馬車の中ではまだ戦闘の緊張が残っていたせいでろくに会話もなかったからだ。
ちなみにあの張り詰めるような緊張感はマーチのおかげで随分と和らいでいる。
「で、だ。ここまで来ちまったがこれからどうするよ?」
だらしなく木にもたれ掛かってマーチがそう切り出す。
ちなみにこうなった原因であるマインドフレイヤは、ひらひらと空中を彷徨う蝶々を目で追っていた。その右手がさり気無くマーチの上着の裾を掴んでいるのには、全員が見てみぬふりをする。
「……取り敢えず、貧民窟から入って盗賊ギルドに行こう。なんにせよ宿にこいつを連れて行くわけにも行くまい」
そう言ってスケルツォが全員を見渡すと、依存はないのか三人とも無言で頷いた。
そして次にやや慌てた様子でセレナが発言する。
「あのさ、その前にこのあ、足……? というか、触手を何とか隠さないと。立ってる状態だと丸分かりだよ」
「……たしかになぁ、おいマーチ、何か名案はあるか?」
「あ? あー……」
手で顎をさすりながら首を傾げると、彼は隣で相変わらず蝶々を眺めているアホの子を見た後、ふと思いついたように口を開いた。
「あれだ、縄で縛って、こう、折りたたんで、担いでいきゃあいいんじゃねぇか? ほら、戦傷で両足無くしましたとか言ってよ」
「採用」
「了承」
「決まりね」
「よし、ちょっと荒縄持って来い」
全員が迅速に動いた。
良く考えなくても酷い作戦であるが、誰も気にしない。
スケルツォが持ってきた荒縄は女の髪の毛を編みこんだ一品で、かなりの重量にも耐える中々の品物だった。
「おい、ちょっとスカート上げとけ」
「まーくん、パンチラしたくてもぱんつないよ」
「いいから上げとけ、このままだといつまでたっても街に入れねぇぞ」
「はーい」
「よっくらせっと」
「え?」
昼を少し過ぎたくらいの林の中、甲高いソプラノボイスの悲鳴が高く高く木霊した。
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組み付き判定…………抵抗失敗
移動力 が 0ft. に なった
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*歌詞参考
http://ingeb.org/songs/donadona.html