ガミジンによって率いられた総勢200余を数える野戦中隊が敵本拠地にやって来て目にしたものは、完全に要塞化された山肌と無数の馬防柵の群れであった。
事前に仕入れた情報と違う。士官たちは戸惑いと憤りに舌打ちを漏らしながらも、その手と頭は的確に動いてた。
敵アジトの全貌が拝める小高い丘に本陣を張ると、すぐさま戦列を揃えて戦闘準備に入る。
残念ながら今回は騎兵隊は本当の意味での予備戦力とならざるを得ない。
そもそも騎兵は木々の生い茂った山肌の真っ只中に突撃する事などないが、それでもその多量の馬防柵によって中隊の機動力が大きく減じた事は確かである。また物見の報告によると敵本部と思わしき山中腹に向かう道には多数の罠と伏兵が確認できるとのこと、またそれら敵の総数がこちらの予想よりも遥かに多い事が分かった。
様々な予想外の事態に緊張感の高まる中隊の兵士たち、そして士官達が招集に応じて集まった本部テントの中で顔を付き合わせる。
馬鹿正直に敵捕虜から手に入れたルートを通れば、これでもかと用意された罠と伏兵で痛い目を見ることが分かりきっている。
かと言って他のルートをいちいち開拓などしていられないし、そもそも地の利は相手にある。目に見えぬ罠が他のところに仕掛けてあるのはまずもって間違いないと思われた。
そうして額を突き合わせて唸る士官達が、今までむっつり押し黙っていた最高司令官に指示を仰ぐと、この場で最も階級が高く最も背の低いその人物は両腕を組んだままたった一言、単純明快な命令を下す。
「焼け」
――――――――――――――――――――――――――――――――
「四番発射!」
「四番、ってぇー!」
びゅうんという唸り声をあげながら、組み立て式トレビュシェットから放たれた火炎樽が敵中に飛び込んで爆発した。蝋でピッタリと気密された火炎樽は、中にたっぷりと詰められたナフサが着弾の衝撃で辺りに撒き散らさると同時に、まさに爆発的な威力で周囲の全てをなぎ払っていく。
それと同時に次々と放たれる素焼きの壺は中に煮え滾った松脂がしっかりと詰まり、決して水で消えない業火と熱を敵陣で解き放っている。ぐつぐつと煮える松脂を全身に浴びた盗賊は、まるで生きた松明のようになりながら逃げ惑い、最後には全身の皮膚と肺の隅々までを焼き焦がされて絶命した。
「五番発射!」
「五番、ってぇー!」
またひとつ、戦場に赤い花が咲く。
熱と、炎と、生き物が焼け焦げる匂い。
罠も、伏兵も、小賢しい策も、何もかも一切合切を蹂躙する炎の絨毯が広がっている。
宗教画に描かれる地獄もかくやと言わんばかりの光景――正しくこれぞ地獄絵図と言われる炎の祭典こそ、火炎旋風の二つ名で恐れられるミニスティ・“ミニマム”・ガミジン中尉の真骨頂であった。
たとえ摂氏数千度に達する炎と、戦場を丸ごと俯瞰出来るような距離にいてすら感じられる輻射熱に耐え切れたとしても、天まで届くかと思わせるような業火がもたらす無酸素状態は如何なる生物も逃れる事は出来なかった。
骨すら残すかと言わんばかりの執拗で容赦のない灼熱の攻撃は、時には味方のはずの同じ軍団兵からも恐れられ、影で「クレイジーガミジン」「インザニティック・パイロマンサー」と囁かれる遠因となっていたが、本人はそんな陰口も何処吹く風で「箔がつく」と笑い飛ばしていた。
そうしてまた新たな火炎弾が敵盗賊の根城である山肌の斜面を根こそぎ焼き払っていく。
事前に延焼を防ぐためにぐるりと周辺の木々を伐採しているとはいえ、借りにもその山はこの地を収める領主――帝国属州カムラン公国の主である大公爵の持ち物であるというのに、まるで頓着せずに煤と灰の山に変えていくその姿は鬼気迫る物すらあった。
その光景を眉ひとつ動かさず睨みつけていたガミジンは、やおら溜息を付いて踵を返すと傍らの下士官に命令した。
「……打ち方やめ、別名あるまで待機」
「了解!」
「私はテントで休む、あとの処理はいつもどおりにしろ」
「は……?」
全く予想外の言葉に思わずポカンとした顔で投石機部隊の少尉が聞き返すと、ギロリと睨み顔が返ってきたので慌てて敬礼して命令を復唱した。
その少尉の反応も無理からぬことではあった。なにせこれまで彼女は一度やりかけた仕事を中途半端な所で放棄することなど殆どなかったからである。
ガミジンはそんな伍長にもはや一瞥もくれずに再度踵を返してズンズンと――いや、ちょこちょこと小さい歩幅で、如何にも急場凌ぎな感の漂う仮設テントの前までやってきた。
テントの前で歩哨をしていた兵士を半ば無理矢理任務を解いて戸口から退かすと、彼女の体格に合わせたような小さいテントの中に入り入口近くのコート掛けへ脱いだ上着を三枚ほどかけ、テントの中心近くに車座に置いてある組み立て式の椅子に腰をおろした。
大きなため息と舌打ちと共に背中を大きく反らして草臥れた組立椅子に背を預けると、ずいぶん使い込まれたそれはぎしぎしと抗議の悲鳴を上げる。
彼女の正面にはテントの真ん中近くで赤々と炭火を燃やすダルマストーブの姿があった。極度の寒がりで知られる彼女は、冬場の戦場には絶対にこの重くて嵩張る暖房器具と大量の木炭を持ってきている事で知られている。
その才能が「炎」というたった一点だけに飛び出していることは、弱点でありまた天与の才とも言えた。
水や氷や寒さといった物に呆れるほど弱体化してしまう彼女は、その反面に熱や炎や熱さといったものに滅法強くなっているのだ。
その証拠に、常人ならば火傷がしそうなほど近距離に――殆ど抱きかかえるような至近距離にストーブを置きながらも平然としていられる事がその証左である。ちなみに炎と熱に無頓着なその性格のせいで何着も軍服を駄目にした前科を持つ彼女は、特注品である耐火繊維で編まれた服を見に纏っていた。
そして彼女はそのままぼうっとテント内に吊るされた周辺の地図を眺めると、殆ど無意識の動きで使い込まれた海泡石のパイプを取り出した。そしてそのまま流れるような一連の動作で腰の小物入れからパイプ草を取り出し、パイプの中にこれでもかと詰め込んで火をつけようとした瞬間に、背後から伸びてきた腕が彼女のパイプをひょいと奪い取っていた。
「あっ」
「吸いすぎです。今日はもうお止めください」
「ボルテッカ、いつ入って来た? 声くらいかけろ」
むっと睨みつけてそう問いただすと、相も変わらず彼女の副官は鉄面皮でひょいと肩を竦ませた。
「なんどもお呼びしましたが」
「……そうか」
嘘ではないだろう。彼女が最も信頼するその副官はそんなつまらない嘘を吐く男ではなかった。それにいつの間にか防寒具を脱いで入口近くのコート掛けに掛けているところまで見れば、入室してコートを脱ぎ、それから彼女の近くに来るまで気が付かなかったということだ。
それについては納得したものの、パイプを奪われたことに関してはまた別の問題である。彼女は不機嫌そのものといった顔で彼の手からパイプを奪い返そうとする。
しかしボルテッカも手馴れたもので、殆ど同時と言っていいタイミングでひょいとパイプを握った手を真っ直ぐ上に突き出した、そしてたったそれだけの仕草でもう彼女はそれを奪い返すことが出来ない。
何度かジャンプをして無駄な足掻きをしてから、さらに酷くなった不機嫌顔で遙か上にあるボルテッカの顔を睨みつけた。
「おい、返せ」
「どうぞ、お取り下さい」
「バカにしてんのか!?」
当然ながら彼女の身長ではどうあがいても絶対に取り返せない高さである。椅子の上に立ってもまだ届かないだろう。
そうして一頻り罵倒の言葉を投げつけながら取り返そうと揉みあって、唐突に彼女は今の自分がとてつもなく子供っぽくて馬鹿馬鹿しい姿をしていることに気がついた。
誰がどう見ても、今の自分はお気に入りの玩具を取り上げられて癇癪を起こす小さな女の子にしか見えない。それを自覚すると、彼女は羞恥と怒りに真っ赤になりながら再度折りたたみ椅子に腰を下ろす。
「私をからかいに来たならとっとと出て行け。まさかサボリに来たんじゃなかろうな」
「一体全体、何をそんなに苛立っておられるのです?」
困惑混じりのその問に彼女は苛立ちを微かに漏らして鼻で笑うと、ストーブの上でしゅんしゅんと沸騰して湯気を吹いていた薬缶を手に取った。そしてそのまま注ぎ口を咥えて中の熱湯をゴクゴクと喉を鳴らして飲み込み、薬缶を元に戻して「ぷはっ」と息を継ぎながら口元を拭う。
常人ならば火傷は免れない危険な行為だが、彼女にとっては人肌に温もった白湯を飲んだようなものだ。
そうしてチラリと傍らで突っ立っている副官を横目で睨んでから、その視線を再度赤熱する木炭に落とした。
「……そんなに分かりやすいか? 隠してるつもりだったんだが」
「自分には分かります」
「ほう」
「いえ、訂正します。自分にしか分かりません」
「……」
平坦な口調の裏に隠れた自負心を覗きみて、そして更にその言葉と自負心が一体何に裏打ちされているのかを考えて、彼女は小さくため息を付いた。
相変わらずその視線はじっと下に落とされ、手が触れ合うような距離にいる彼をまるでいないかのように扱う。
暫しの間、二人の間に気まずい沈黙が押し寄せる。そしてその沈黙に先に耐えかねたのは彼女の方であった。
ちらりと傍らで直立不動のままむっつりと押し黙る副官を見て、手袋を抜いだ手でガリガリと頭を掻いてから溜息を一つ。肩口までで切り揃えた髪の毛をポケットから取り出した髪留めで留めた。
「一体、どうしてイライラしてると思う?」
「はて……なんでしょう」
そう言って彼は右手に彼女のパイプを持ったまま器用に自分の顎を撫擦ってみせた。
そうして暫く考えたあと、ポツリと独り言のように彼の言葉が漏れる。
「さて、アノ日はつい一週間ほど前に終わりましたし……」
「ちょっと待て」
聞き捨てならない言葉に、彼女は首元まで真っ赤になったまま椅子を蹴倒して立ち上がった。
しかし勢い込んで立ち上がった彼女も、もしかして自分の早とちりかも知れぬという意識があったため、怒鳴る前にグッと一拍置いてまずは問いかけることにした。
「一応、聞いておいてやろう、アノ日ってのは何のことかな?」
「……中尉、純情ぶらなくてもいいですよ、正直似合いません。見た目はそれでもとっくに三十路過ぎ――」
「シャラップ!! というかなんでお前がそんな事まで把握している!?」
「むしろどうして把握していないと思っているのですか?」
「――――」
そのまま絶句した彼女はパクパクと酸欠状態の魚のように口を開閉させ、意味の取れない呻き声のようなものを思わず漏らしながら、真っ赤になった顔を両手で隠すように覆った。そして耳先まで朱色に染めて俯くと、小刻みに肩を震わせながら小さな声で何やら呟く。
その間ずっと今まで鉄面皮で押し黙っていたボルテッカは、そこで初めて頬を綻ばせると、彼女の小さく尖った耳元から細いうなじまでを、まるで壊れ物を扱うようにそっと無骨な軍人の手で撫でた。その手は、今まさに自分自身の顔を覆っている彼女の両手に比べてみれば、その違いは一目瞭然である。
ガミジンは軍人とは言ってもその職は魔術師であり指揮官である。実際に敵と戦うことは当然あるが、その際に使うのは魔力であり呪文であった。それに比べてボルテッカはまさに叩き上げの軍人であり、兵士であり下士官である。戦う際にも使われるのは剣であり両手であった。
長年の軍歴による酷使で巌のように硬くなった両手であったが、彼女はその無骨な感触が好きだった――。
ほとんど表面を撫でるだけのようなフェザータッチに、彼女は息をなんとか整えて――しかし顔は真っ赤のままそっとその手を握って面を上げた。
そうして小さく微笑む彼の顔を見て自分の顔も綻びそうになるのをグッと堪え、無理矢理に相手の顔を睨む。
「突然おかしな事を言うな……任務中だぞ、ボルテッカ。兵士に聞かれたらどうするんだ、弛んでるぞ」
「うちの中隊の連中なら全員知っていることです」
「馬鹿者が……ケジメの問題だろう」
そう言いながら、徐々に引いてきた顔の赤みを隠すように視線を逸らし、彼女はさっき自分が蹴倒した椅子を組み直してその上に腰掛け直した。
チラリともう一度傍らに立つ彼を仰ぎ見て、大きな溜息をつきながらダルマストーブの扉を開けて新たな木炭を放り込んだ。
「いつまでそうやって突っ立てるつもりだ? 適当に座れ」
「ご命令なら」
「そうだ、命令だ」
「では」
苦笑を漏らしながら素手で赤熱する木炭を弄っている彼女を横目に、ボルテッカは自信も折りたたみ椅子に腰を下ろした。
標準以上の飛び抜けた体格の彼からすれば、まるで玩具の椅子に座っているかのような滑稽さがそこにはあった。そして当然ながら折りたたみ椅子は今にも壊れそうな軋み音を立てて抗議の悲鳴を上げたが、悲しいことにその悲鳴に耳を貸すような人間はその場にいない。それに、彼が鎧を着ていたとすれば軋み音を立てる間もなく押し潰されたであろうから、きしんだだけで住んだのは幸運であったかもしれない。
「では、教えて頂けるんですね?」
「……なあ、どうして私が裏に兵士を伏せなかったと思う?」
質問に質問で返された彼は、しかしながらそれに不満を漏らすことなく頭を回転させる。
実は彼がこのテントにやって来たのはその件も大いに関係しているからである。今回の任務はそもそも殲滅任務ではない。これまで盗賊に奪われた数々の貴重な品々の行方を探るための手がかりを手にいれる事は勿論のこと、殺されたであろう人々、奴隷として売られてしまってであろう人々、それらの追跡調査のために情報を得ることが求められていたはずであったのだ。
だから要塞化されたアジトを前に士官達は頭を悩ませたのだし、どうやって攻略しようかと知恵を絞ったのだ。
しかし、そんな彼らを前にしてガミジンが下した決断は火攻めという容赦のない殲滅戦である、当然ながら反対意見がでたが「任務内容の変更が通達された」という彼女の言葉にわざわざ否を唱える事は出来なかった。その通達がどんな物なのだとかいったことを管々問い質すような者はいない、それは一士官の領分を超えたものだ。
それでもやはり捕虜はとった方がいいだろうと、一人の士官が敵が逃亡するであろう山肌の裏側にある獣道に兵士を配置しようと提案したが、それもまた彼女に否を突きつけららて引き下がらざるえなかったのである。
そしてボルテッカはその否定に理由がない事に首を捻っていた。そうしてわざわざ彼女が一人になる瞬間を狙ってやって来たのだと容易に想像がつく。
「…………我々は奴らを逃がさなければならない」
「……惜しいな、それじゃあ50点だ」
「及第点に届きませんか、ではどうして――」
そこで彼は思わず言葉を切った。
眼前のガミジンが恐ろしく不機嫌な顔でギリギリと歯軋りをしながら、真っ赤に燃える木炭をへし折ったからである。
ボキりと二つに折ったそれを更に握力をもって握りつぶすと、噛み締めた歯の隙間から無理矢理搾り出すようにして彼女はその理由を語った。
「特憲の糞共がッ! 何様のつもりだッ」
「な――特務憲兵が?」
「そうさ、御丁寧に軍団司令部の命令書までもってなッ!」
「特憲が、なぜ……」
驚愕のあまり大きくなりそうな声を何とか抑え、彼はなんとかそれだけの言葉を口にした。
「はっ、知るか、知りたくもない。あんな犬っころ共が何処で何しようが私の知った事じゃない、ああそうとも知りたかないね、それが私の鼻先じゃなけりゃな! なぁにが特務だ、生っちょろい青瓢箪の、皇帝の狗が、偉そうに! さんざんドサ回りをやらせといて、最後の最後の目玉だけ横から掻っ攫いやがって! フザケるなクソが! 私らはテメェらの小間使いじゃねぇんだよボケッ!! クソったれの尻穴野郎が!!」
「ちゅ、中尉! 中尉! それ以上は危険です」
「畜生、クソ、クソ、バカにしやがって! ああぁあ、イライラするっ、ホモ野郎のベッドでケツ振ってりゃあいいテメェらと違って、こちとら現場で毎日泥まみれで血反吐まき散らしててるってのによぉっ、それで最後の手柄だけテメェらのものだってぇぇえ? そんなの許せるかぁ? 私は納得いかねぇぇえッ! フザケやがって! クソったれ! あの私生児のホモやろ――」
「ストップ!」
「んんんー!!」
「……大体の事情は分かりました、取り敢えず物騒な台詞は控えてください。何処に耳があるか分かったものじゃありませんから」
そう言ってボルテッカがそっと口を抑えていた手をどけると、彼女は忌々しげにその手を打ち払ってから椅子を立ち上がった。
「特憲共が私をわざわざ監視してるって言いたいのか? アホぬかせ、あの玉無し共がなんでわざわざ軍団兵のいち中尉を監視なんてするもんかよ。はなから見下してやがるんだ、自分たちは皇帝様から直々に下賜された命令を遂行するお偉い立場だって、腐って鼻が曲がるような自尊心で立ってるような奴らだぞ。自分たちが命令したら、私らみたいな「身分の低い」兵士風情は黙ってハイハイ頷いてりゃいいんだとよ」
「……そう言ったのですか、そいつらが」
「ほとんどそのままな。特憲ってのは、前から鼻持ちならないエリート共が揃ってやがったがよ」
そこまで言って、彼女は忌々しげにストーブを蹴りつけた。
「いつの間に、あの血も涙もない人でなしの巣窟は、自尊心ばかり豚みたいに膨らませた似非エリートが蔓延るようになったんだ? ええ? 信じられるか? 聞いてもいねぇのにべらべらと、散々いらん事をインコか何かみたいに空っぽ頭丸出しで喋りやがった。あんなボンクラ、どうやって特務になったんだか。信じられん」
「……ジェラルディン皇帝のお気に入りでしょう。コネで入ったんでは」
「コネ! はっ! 特務に入るのにコネときた! コネで特務には入れるようじゃあそこも終わりだな。ちっ、あーあ、早く死なねぇかなぁ」
「例の特憲が?」
「いや、皇帝」
ごふっ、と軍曹は吹き出して、こんどこそ血相を変えて彼女の肩に掴みかかるとその顔を触れ合う寸前まで寄せた。
「滅多な事を! 誰かに聞かれたらクーデターか内通かと思われますよ!」
「うるせぇな、テントは防音だ。けっ、誰があんなろくでなしのアホを敬うか。クーデターだと? ああ、起きろ起きろ、転覆しちまえ、先帝のシュルード(賢明)帝ならともかく、誰があんな馬糞に膝を折るかッ。ローゼッカー元帥が「ついてきてくれ」って言ったら、なあ、お前だってやっちまうんじゃないか? え?」
「………………ノーコメントでお願いします」
「へっ、目を逸らしたって現実は動かねぇんだぜ。見た目は立派で綺麗だが、あのアホのせいで帝国はボロボロだ。元帥がいなかったら今頃……いや、やめよう」
「……そうですね、やめましょう。不毛だ」
「シヴァルリ(騎士)皇子殿下が生きてりゃ今頃は……」
「だから、よしましょうって」
そうしてどちらともなく疲れた溜息をついたのを見計らったかのように、テントの入口から従兵の呼ばわる声がテントの中に入り込んできた。
「ボルテッカ軍曹、来て頂けませんか!」
「どうした」
「おかしな二人連れがやって来まして、冒険者だとは思うのですが何やら言っていることの脈略がなく怪しいので、一時的に拘束したものかどうかと。それになんと言いますか、風体も異様で怪しく……」
「わかった、すぐに行く」
「はっ!」
彼が立ち上がり、かけてあったコートに袖を通す。
その間ずっと彼女は新たな燃える木炭を両手で弄びながらその姿をぼうっと眺めていたが、彼がいよいよテントを出ようとしたその背中に向かってポツリと言葉を投げかけた。
「ディックはいま強行偵察中だとよ」
「ウィンターズ中尉が?」
「混沌の王国(Kingdom of Chaos)にな」
「んなっ…………」
絶句。
どんな時にも殆ど表情筋を動かさないボルテッカ一等軍曹が、その時ばかりは驚愕の顔で固まる。
キングダム・オブ・ケイオス。彼らの属する帝国と国境を接する国の中でも最高ランクの警戒度を誇る仮想敵国、そして東の大国である連邦とだけ唯一正式に国交がある閉鎖的な国である。帝国開闢以来から続く緊張関係であり、その緊張が緩んだことは一度としてなかった。
国とは名ばかりでその実態は無数のクリーチャーと異次元生命体が渦巻く狂気の土地であるというのが定説だが、少なくともラ=ガレオを頂点に戴く混沌神殿の本拠地であるクシュ=レルグがそこにあり、そしてそれら混沌の教徒を束ねるカオスプリースト達が一定の法と秩序を敷いているのは間違いない。
そして、天地開闢以来一度として混沌の生物たちが本当の意味で人類文化圏の国家と融和したことなどなかった――其故、100年ほど前に限定的とは言えかのクシュ=レルグと国交を持ち大使館まで作ってみせた連邦は、その当時、ほとんど歴史のない弱小国にも関わらず各国から一目置かれる存在となったのだ。
閑話休題。
連邦とは微かながら接触を持つに至ったが、相変わらずかの国の閉鎖性と危険性は高いままである。南方戦線で矢のような催促があったにも関わらず、軍団司令部が頑として混沌の王国と国境を接するヘルハイム北方に張り付く第三・第四軍団を動かさなかったことから見ても、その偏執的なまでな防備体制が伺えた。
そんな言語を絶する魔境の、更にその奥深くに押入る強行偵察。
自殺行為という単語すら生ぬるい壮絶な任務である。
なんと言っていいか分からず「ひょう」と喉の鳴る音をたてるボルテッカに、彼女は謎めいた微笑を投げかけた。
「……何かが起こってる、この帝国で、私たちが視る事の出来ない深い深い所で、何かが動いている。特務のイロハも知らんアホに無理矢理にでも特憲のバッジを貼りつけてほうぼうに送り出すような、クソったれの何かが動いている」
「――何故、何故それを私に?」
舌が痺れそうなほどの強烈な苦味を感じたように、ボルテッカがもどかしげに問いかける。
困惑の混じったその顔には「Need to know」の原則が頭の中に飛び交っている事は容易に想像がついた。
そんな彼に向かい、彼女はさっきやられた攻めてもの仕返しにと、にやりと笑ってこう返したのだった。
「むしろどうして私がそれをお前に秘密にすると思ったんだ?」
――――――――――――――――――――――――――――――――
真っ赤な顔でテントの布を打ち払いながらボルテッカが現れると、外で待っていた兵士はてっきり彼が激怒しているのかと勘違いすると、真っ青な顔で踵を揃えて敬礼をした。
「軍曹! 申し訳ありません、お取り込み中でしたか」
「どういう意味だ」
「は――?」
「いや、何でもない。案内しろ」
「了解しました」
中隊で一番おっかない一等専任軍曹の雷を恐れるように、案内の兵士は首を竦めながら彼の前を案内するために小走りに進む。
そうして彼ら二人が中隊が陣取る最も後ろにやってくると、二人の番兵に向きあうように件の冒険者らしき姿がボルテッカの視界に映った。
「なるほど、確かに奇妙な二人だ」
まず片方、身長は5.5フィートといったところか、縦よりも横に膨らんだ体型でその全身は頑丈そうなハードレザー製の鎧と要所を覆った鉄の具足に覆われており、更にその上からボロボロになったマントを羽織っていた。
ただそれだけなら単なる一山幾らの冒険者なのだが、まず目を引いたのはその頭部を覆う兜だった。全面に飛び出た鼻と口、そして後頭部から飛び出る四本の角。俗に「犬の顔」と呼ばれるバシネットのドラゴン版ともいうべき兜であった。しかも鱗や牙などかなり細部に渡って作り込まれているのが遠目にもよく判るような、職人芸の逸品である。兜というよりマスクといった方がいいかも知れない。
そしてその寸胴の冒険者が持つ武器もまた、彼の目を惹いた。右腰の鞘に収まっているのは刃先が緩く湾曲した蛮刀で、この辺りでは余り見ないタイプの段平である。そして左腰には頭部を上にしてリングホルダーに収められた鎚矛が収まっている。斬撃と打撃、異なるタイプの攻撃方法を準備しておくのは用心深い熟練冒険者を思わせた。だが、更にその人影は右手に槍を携えている、槍の穂先は左右に張り出しのあるウィングドスピアー(十文字槍)だ。
刀の斬・鎚矛の打・槍の刺の三種類、もしそれらを完璧に操れるならば軍団兵でも数えるほどしかいない戦巧者だろう。
そしてその傍らに立っているのは身長8.5フィートはあるであろう、まさに雲をつくような巨人である。ボルテッカは未だかつて彼以上の身長を持つ人形生物を見たことがなかったので、これには流石に息を飲んだ。
全身を赤金色をした鎧で隙間なく覆い、目庇を下ろしたグレートヘルムは十字の形にスリットが入った、まるでパルテノン騎士団が身につけるクルセイダーズヘルムを彷彿とさせる作りだ。
その巨大な身の丈に合わせた特注品であろう、常人ならば展示用のレプリカだと勘違いしてしまいそうなほどの、馬鹿馬鹿しい大きさのハルバードを肩に担いでいる。腰にはブロードソードが佩いてあるが、巨人にしてみればショートソードのような使い回しだろう。さらに下半身を膝まで覆う佩楯と草摺には、おそらく手投げ用であろうと思われるフランキスカが数本ぶら下がっていた。
巨人の方は上から覗き込んでいるだけだが、龍頭兜の冒険者と番兵は互いに紙の上を指さしながら何やら言い合っている。
そしてその二人組の後ろで荷物を載せたまま呑気に草を食んでいるロバは、おそらく彼らのロバだろう。
「どうした、トラブルか」
駆け寄ってそう話しかけると、その場にいた全員が彼の方を見やった。
三人の中で一番大きな反応を返したのは困りきっていた番兵で、彼を見るなりあからさまにほっとした顔で生きを吐いた。
「あ、軍曹、申し訳ありません。どうもこいつら帝国公用語が片言で、連邦語とフィーンド商連語なんて俺分からなくて」
「ご苦労だったな」
そう労って兵士を下げてから改めて至近距離で二人を見た瞬間、ボルテッカは自分が大きな勘違いをしていた事に驚愕とともに気がついた。
(龍頭は兜ではなく本物か!)
ぎょろりと動く両目も鋭い牙も、何もかも剥製ではなく本物だった。
人間ではない、二足歩行の龍人ドレイク族の戦士である。
「お、おお、お前、分かるか? ここ、言葉分かるのか?」
吃音混じりのその言葉は兵士が言っていた通り連邦語である。
龍皇国の言葉ではなく連邦の言葉を話すドレイクという珍妙極まる存在にやや鼻白みながら、ボルテッカはその問に答えた。
「ああ、分かる。それで我々に何のようだ? 我々は現在軍事行動中だ、これ以上近づくと敵とみなすぞ」
「し、しし、心配するな、ただみみみ、道を聞きたいだだ、だけだ」
そう言ってドレイクはさっきそうしていたようにガサガサと地図を広げて彼に見せた。
おそらく様々な地方都市で購入した地図を無理矢理張り合わせたのだろう、縮尺や書き方がバラバラの地図がひとつになって帝国全土の地図になっている。
ドレイクはそのうちの一点、赤い星のマークが後で描き足されてその横に「ココ!」と一文が添えてある地点を指さした。
「こ、ここに行きたいんだが、こ、この先の、あの斜面か?」
「…………いや、随分北にズレているぞ。もっと南だ。今いるところは……」
ボルテッカはドレイクの指差す地点からずっと北寄りにある山岳地帯の端っこを指さした。
「ここだ、そこに行きたいなら……悪いことは言わんから一旦街道に戻って進んだ方が無難だ」
「な、なな、お、おおい! ぜぜ、ぜんぜん違う所、じゃ、じゃねぇかよォ! ア、アア、アダムスキィィ! や、やっぱり、俺の方が、ああ、あ、あってたじゃねぇかぁ!!」
激昂したドレイクはわなわなと怒りに震えながら背後の巨人に掴みかかる。
掴みかかられた方はボルテッカが持ったままの地図を覗き込みながら「やれやれ」とでも言うように肩を竦めてみせた。
「ま、こういう事もある」
「こ、ここ、こここういう事って、お、お前が、じ、自信満々にッ!!」
「おい、言い争ってる時間はないぞカミンスキィ、時は金なり、だ」
「え、偉そうに! だ、だだ誰のせいで」
「あーあーあー聞こえん聞こえん。すまんな、この兜は耳が聞こえにくい」
目の前でぎゃあぎゃあと言い争い始める冒険者を前に、ボルテッカは小さく苦笑を漏らしながら地図を差し出した。
「何にせよ、とにかくこの近辺から去れ。次に見かけた時は警告なしに射殺するぞ、あと――」
怒りに顔を歪めながら地面を踏み鳴らすドレイクに地図を渡しながら、最後にボルテッカはこの奇妙な二人組に忠告を付け加えた。
「こんなキメラマップを使ってたら行ける所も行けなくなるぞ。帝国の本屋でちゃんとした地図を買うんだな」
「ケッ、ごご、ご忠告、ありがとさん」
あんなバカ高いもんに金を払ってられるかとブツブツぼやきながら、怒りっぽいドレイクはノシノシとやって来た道を戻り始め、そんな背中を溜息混じりに見つめながら巨人はボルテッカに丁寧な礼を返して頭を下げた。
「それでは失礼します。御武運お祈りします」
「ありがとう。お前らも旅の神の加護があるように」
無骨な外見とは裏腹に柔らかな物腰で、巨人はズシズシと地面にめり込むような重い足取りでドレイクのあとを追った。
デコボココンビの後ろを荷物を載せたロバがとぼとぼ追って良く姿が、なんともシュールである。
「全く、対照的な図柄だな」
そう呟いた彼は、自分とガミジンの関係も似たようなものかと気がついて、ひとり静かに苦笑を漏らすのであった。