「こちらイーグル1、イーグル2応答せよ」
《ザザザちらザザ2――ザザザうぞ》
「イーグル2、聞こえているか? 聞こえているなら本騎の右翼につけ」
《ザザちらザザッザか? ザザザ、ーグル1、おうザザザザザ――》
「クソ!」
ウィンターズ中尉は思わず舌打ちと共に通信装置を叩き割りそうになり、慌てて自制心を働かせた。
最新式の魔導通信機という触れ込みだった筈が、たった100ftも離れた瞬間にこの有様だった。普段は温厚で滅多に悪態をつかない彼にしたって限度というものがある。
帰ったら絶対にこんな代物にゴーサインを出した馬鹿を縊り殺してやると心に誓い、さっきから雑音しか聞こえなくなった通信を一旦切る。
しようが無いので斜め上方に遷移しているイーグル2に向かってハンドサインを送る。
内容は「本騎の右翼につけ」、それを見たイーグル2はすぐさま翼を捻って風を切りながら彼のすぐ隣に滑り込んできた。
次のハンドサインは「超短波通信に切り替えろ」。
「…………聞こえるか?」
《イエス・サー、酷いもんですな。これじゃあ完全に孤立したも同然ですよ》
「お偉いさん肝煎りの最新式がこの様だ。やはり《ちびっ子(ミニマム)》・ミニーの忠告に従っておくべきだったな」
ウィンターズは腰元に添えつけられた通信機を指さしてそう言った。
視界の中のイーグル2は小刻みに肩を揺らした。どうやら声を殺して笑っているらしい。
《あのちびっ子中尉ですか、自分はてっきりあの人は根っからの戦場魔術師(ウォーメイジ)だと思ってましたが、意外と研究者肌なんですな……いや、単に見た目だけならジュニアスクールの生徒に見えますが》
「技研は前線から帰って来て欲しそうだが、本人にその気はなさそうだ……それと見た目云々はあれの前で口にしない方がいいぞ、以前酒を飲んでポロッと口を滑らせた少尉が股間を蹴り上げられていた」
イーグル2はやや大げさながらも実感のこもった悲鳴を上げて、鎧の上から股間を押さえた。
「素晴らしい動きだったぞ、アレの潰れる音が耳元で聞こえるようだった。ま、その少尉は賞賛する余裕は欠片もなかったようだがな」
《なんて残酷な》
「いや、俺はそうは思わんね。あの少尉は家柄が良いだけのボンボンで鼻持ちならんアホだったからな、せいせいしたよ」
《魔法の才能だけじゃなくて蹴りの才能まであるとは、神様は与える相手には惜しみなく与えるって話ですか》
「しかもあの身長であのけしからん胸は反則だな。残念ながら冬は厚着過ぎて拝めんが」
《ま、そしてその才能溢れる偉人からの有り難いご忠告に従わなかったせいで我々は全滅寸前なわけですが、ははははは》
洒落にならない悲惨な内容に関わらず、二番騎の声は明るかった。
それが捨て鉢になった為の明るさでない事は彼は承知だったが、場違いな陽気さに彼は思わず小さな悪態をついた。
彼は右手の親指で背中――正確にはこれまで通ってきた背後の空路を指差して言葉を続けた。
「コンプトン、やはりあの雷雲はただの自然現象ではないな」
《恐らくそうでしょう。あれとすれ違ってから既に100マイルは進みましたが、一向に空気中の拡散空電が収まりません。十中八九、ウィルオーウィスプの巣だったと思われます》
「クソッ! こんな調子では一個中隊も引き連れてきた意味がない」
《小隊単位で散開しますか?》
「駄目だ、国境付近ならともかくこれほど敵国領土の深部に侵入しての強行偵察中に隊を悪戯に分けるのは自殺行為だ」
《多少の被害は覚悟の上では?》
その言葉に思わず彼はギョッとして右翼で風を切る二番騎を見やった。
コンプトンの顔は竜騎兵[ドラゴンライダー]特注の特殊なフルフェイスヘルメットに覆われて窺い知る事は出来ない。
だが、その言葉に漂う真剣な様子に思わず彼は慌しく返信をした。
「本気で言っているのか? 俺はこの任務で一人も犠牲を出すつもりなどない」
そう強い口調で返すと、視界の中でコンプトンは手綱を握りながら器用に肩を竦めて見せた。
《分かっています。ただ、ソベル大尉ならそう仰るんではないですか?》
「そうだろうな、ただ俺はこの作戦に何の意義も見出していない。……もっと直裁に言うなら、全くの無意味だ」
《ええ、ええ、分かってます。ただ、大尉は俺たちがのこのこ帰って来て何の情報も持っていなかったらさぞかし落胆なさるんではないでしょうかね?》
「あんな阿呆は勝手に落胆させておけ、やつの胡麻磨りに付き合って俺たちが命を落とすなんて馬鹿馬鹿しい。お前も同じ気持だと思ってたんだが?」
《イエス・サー》
笑いを含みながら敬礼をすると、一度離れようとしたコンプトンは何かに気が付いたように戻ってくる。
《中尉、この様子だと敵は俺たちの侵入を警戒していたと言う事でしょうか?》
「……その可能性はある。ただ、さっきも言ったがここまで侵入した事は今まで無かった。あのウィスプが常時存在しているのか、それとも我々の侵入を警戒して設置されたのかは分からん」
《常に最悪の状況を想定せよ、そしてそれを打破すべく作戦を練れ》
「そうだ、しかもこの状態では各個に連絡を取り合っての有機的な機動など出切る筈も無い。そろそろ切り上げるべきだ」
《先にそう言って頂いてホッとしましたよ、いつ切り出そうかとハラハラしてましたから》
「ラズを呼んできてくれ」
《イエッサー!》
ばさりと翼を広げた飛竜がかなりのスピードで後方に下がっていった……ように見えるが、実際には速度が出ているのはウィンターズの方であり、コンプトンは空気抵抗をもろに受けて急減速しただけだ。
やがて後方に控えていた一騎が前に出てくる。
やや大型の飛竜に二人乗りで兵士が騎乗しており、手綱を握っているのがペルコンテ軍曹、そしてその後ろにしがみ付くようにして騎乗しているのが戦場魔術士(ウォーメイジ)のラズだ。
ウィンターズはハンドサインでもう少し近付くように指示をしてから通信を入れる。
「ラズ、撤退の指示を仰ごうかと思う……一応な」
偵察部隊は特に今のような敵地深部まで侵入しての任務中は高い裁量権が与えられている。いちいち本部に指示を仰いでいたら折角の好機を逃す恐れもあれば、同時に隊員達の危険度も増すからだ。
本来ならば指示を仰がずに撤退しても問題は無かったが、彼らの上官はどんな些細な事でも部下の失点にしてやろうとてぐすねひいて待っているような輩であったので、ウィンターズも苦々しく重いながら危険な長距離通信を行う必要があった。
この酷い拡散空電のせいで魔力通信は乱れに乱れて通信機は全く使えないが、厳しい修練と共に特別な絆で結ばれた魔術士の師弟は例え世界の果てからでも距離を無視して通信が可能である。……ただし、距離に比例してタイムラグが生じるし、そしてこの技術自体が魔導通信機が登場して以来ずいぶんと時代遅れで埃のかぶったレトロな技術になりつつあった。
「内容はこうだ『敵領奥深くに侵入するも、敵の妨害激しく通信困難。これ以上の作戦続行は危険と判断しこれより帰還する』頼むぞ」
《了解しました》
暫くラズが精神を集中して本部と連絡を取るのを待つ。
この方法で通信した場合、魔導通信機を使用した場合と違って盗聴の危険性は恐ろしく低い。
通信機も暗号も、それを研究すれば盗み聞きする方法は編み出せるが、この通信――ウォーメイジは「念話」と呼ぶその手法は非常に高度な魔法技術であり、ウィンターズは一度興味本位でどういった仕組みなのか同僚のミニー中尉に聞いてみた事があったが、分かった事は「全く分からない事が分かった」という閉口するようなものだった。
明らかに「良く分かりません」という顔をして、実際そう返したウィンターズに抗議を垂れた同僚は「お前の脳味噌が足らないんじゃなくて理解を放棄してるんだろ、え? 私に無駄な時間を過ごさせやがって、このクソが!」とカンカンに怒りながら罵倒された。
それはともかく、このような危険空域で確実な通信方法がたった一つだけあるのは大きな強みだ。
やがて、激しい悪態の声と共にラズが通信を繋いでくる。
「どうした」
《師匠は司令部におられて……その、当然ながらそこにはソベルがいました。奴が言うには「帰還の許可を与える前にどういった情報を得たのか確認したい」と》
ウィンターズも悪態をついた。
確認したい? 正気か? こんな敵のど真ん中から「こんな機密情報を得ました」と馬鹿正直に送信した場合のリスクを欠片でも考えていないのか。
例え念話通信で盗聴の可能性が低いと言っても、常にその可能性が存在している以上リスクは避けるのが当たり前であった。
「敵の盗聴の恐れがあるため伝えられないと言え」
《はい、分かりま――――》
「どうした」
ラズは突然空中を見つめて固まると、大きく息を呑んで切羽詰った声を出した。
《警告! 十一時方向より高速で接近中の敵編隊を捕捉! 数10、……いえ、15。速度――50ノット!》
「クソッ、種類は」
《連続的な空烈音を確認、蟲型……くそ、エアポケットだ……待って下さい……この音……黒蠅だ! 中尉、黒蠅です!》
「反転しろ! 急速離脱っ」
ぐるりと宙返りをして180度反転すると、その動きに続いて全騎が反転して後に続く。
突然のその機動に遅れたものは一騎もいなかった。
二人乗りのせいで一瞬だけ反転に手間取ったペルコンテとラズが左翼に付く。
《隊長、このまま最大戦速を維持しても国境から20マイルの地点で追いつかれますっ》
「分かっている、いざとなったら奴等と交戦する」
併走するラズがごくりと唾を飲み込む音が、サラサラと混じる空電に紛れて聞こえてきた。
《やるしかないですか》
「師匠にお別れの言葉でも送っておけ」
《縁起でもない! ……ソベルにも何か伝えますか?》
「そうだな「ばかめ」とでも送っておいてくれ」
《イエッサー》
恐らくラズはそのまま伝えるだろう。
その場合、本国にいる彼の師匠が四苦八苦しながらその伝言を「翻訳」する作業を想像し、ウィンターズはこんな非常事態にもかかわらず少し笑った。
「さて……今日も頑張って生きて帰るとするか」
魔法障壁によって弱められながらも身を突き刺すような風が吹き荒れるなか、ウィンターズは部下達を率いて一路本国へと飛んだ。
彼の得た情報はその目で見た本人ですら我が目を疑うような内容だった。ついさっきまで彼自身も何か見間違えか、或いは敵の幻術にでも嵌まったのかと半信半疑であったのだ。だが、つい今しがたその疑問は吹き飛び、この情報が敵にとって重大な意味を持つ物だという事が判明した。
15騎の黒蠅……つまり空の上でもっとも最悪なクリーチャーのひとつに数えられる蟲型モンスター・ベルゼブブの編隊が、自分の翅が千切れるような猛速で追撃をかけて来た。これ以上確実な証拠は他に無いだろう。
よっぽど自分たちは彼らにとって致命的な情報を握ったに違いない、そう考えてウィンターズは笑った。
そして、それと同時にその情報が持つ危険性に背筋が寒くなる思いもするのである。
「全騎、この空域で死ぬ事は俺が許可しない。石に噛り付いてでも帝都に帰還するぞ」