「で、もう一回聞くぞ。いったいテメェはどこから来た?」
「あっち」
「…………はぁ……」
「びーるもうない?」
「それで最後だよっくそっ!」
「じゃあぶらんでー」
「はぁ?」
「ぽけっとにはいってる」
「!!?」
マーチは右手で両目を覆うと「勘弁してくれよ」と嘆いてひとしきり悪態をついて、仕方なしに尻のポケットに入っていたスキットルを抜き出して差し出した。
嬉しげに笑って蓋を開け、中に入っているかなり度の強い蒸留酒をまるで水か何かのようにがぶりと一口飲んで、その整った顔にはまるで不似合いな仕草――まるで場末の酒場で管を巻く酔っ払いか、あるいは土木作業場の人足のように「ぷっはー」と袖口で口元を拭いた。
どうしてこうなった、そう言いたげな視線でマーチは目の前の物体を胡乱気に見る。
そんな彼を不思議そうな顔で眺めてから、真っ赤なフレアスカートを石畳の上に広げて座っているそれは何かに気が付いた。
まず驚きに目を丸くしたあと、自然な動作でスッと腕を彼の頭の上に伸ばした。
「わんわん」
「ッ!? 犬じゃねぇ! 狼だッ!!」
「わんわんおー」
「狼だ!!」
「おて! おて!」
「犬じゃねぇっつってんだろ!」
彼女は興味深そうな顔で、マーチの頭からぴょんと飛び出た二つの三角耳を両手で触る。
いつもならば犬扱いされた瞬間に相手の前歯をニ,三本は折っている所だったが、流石の彼も明らかに尋常でない様子のそれ相手に拳を使うのは躊躇われた。
そんな彼の葛藤を他所に、それはまじまじと両手の中で形を変える獣耳を物珍しそうに弄り回していた。
「ひと? わんわん?」
「……獣人だ、知らねぇのか。あと、気安く触るな」
「る・がるー」
「なんだそりゃ」
マーチはまたしても飛び出した意味不明の単語に眉を顰め、そしてそんな彼の様子に気が付いているのかいないのか、それは真剣な顔で相変わらず獣耳を弄繰り回す。
そんな彼を遠巻きにしながら、バラッドとセレナは表向きどうでもいいような雑談をしながら素早く指言葉で会話を交わしている。
「それにしても紛らわしい。カオス神殿の改造尼僧服なんて悪趣味な。またぞろ公都の変態共が両目を血走らせながら嬉々として鋏を入れたんだろうな、全く恐れ入る」
(なあ、あれ何歳くらいに見える?)
「裾のレースとか袖口の逆十字の刺繍なんて気合入ってるわよねー。色が紅白って事は結構上の階梯に進んだ神官のだと思うけど……」
(たぶん26、7くらいだと思うけど……なんだか子供っぽいというか――)
「どこの誰だか知らないが神をも恐れぬ所業ってのはまさにこれだな。そこまで位階が進んでたら直接神の声を聞く事も出来るくらいの力量だろうに。天罰ってのは本当にあるからおっかないんだぞ」
(……物狂いかな、言動も時々意味不明だ。現在と過去と空間の把握も出来ていない)
「そうかな? 混沌神って割と人間の事どうでも良さそうなイメージだけど」
(たぶん、そうね。街から紛れ込んだ?)
「はぁ……信者が信者なら神も神だな、何をしでかすか分からんってのが一番困る」
(あるいは3階のならず者共が連れ込んだか……ま、これがカオス神殿の手先っておちはなさそうだ)
「はは……混沌神は本当に教義が難解だからねー」
(……じゃあ取り合えず保護の方向で? マーチにもなついてるし)
その言葉に「ぷっ」と思わず二人して吹き出した瞬間に、偵察へ行っていたスケルツォが戻って来る。その顔は相変わらず緊張感が滲み出ていたが、幾分かその顔には困惑と安どの表情が浮いている。
「どうだった?」
「食堂から回廊を伝ってこの直線まで出てきた形跡はあった……が、それ以降がはっきりしない。たぶんこの水場まではやって来たと思うのだが……」
「確かか?」
「途中までは自信を持って言える、あの大蚯蚓が何十匹も同時に這い回ったような足跡はマインドフレイヤ以外にありえない。が……この直線は初心者とならず者が通り過ぎている、埃が殆どない上に足跡が無数にある。この水場まで来たとして……それ以降は正直分からん。唯一言えるのはもと来た道は戻ってないから、上階に上ったか地下に下りたか、だな」
「なるほど……」
重々しくバラッドは頷いて、いまだに耳を弄り続けられているマーチの方にさり気無く指を動かした。
(聞いての通りだ、運が良かったのか悪かったのか……取り合えず当面の危機は去った。そいつにも一応マインドフレイヤを見なかったか聞いてみてくれ)
(了解。おい……あとで代われよ)
(やなこった)
(地獄におちろ!)
やや乱暴に罵倒の言葉を指に載せたあと、彼はいいかげん鬱陶しくなってきた両手を無理矢理引き剥がした。
「おい、それ以上は止めろってんだ。それより、こんだけ好き勝手飲み食いしたんだ、俺の質問に答えてもらうぞ」
「はーい」
「取り合えず、俺はマーチだ。お前の名前は」
「……」
「おい、俺は名乗ったぞ、コラ」
「なまえしりません、まーくんしってますか?」
「知るかッ!」
「しりませんか」
そう言って、途方にくれた顔をする。
まるで迷子の子供か何かのようなその顔に、彼は深い深い溜息をついて肩を落とす。
いきなりあだ名で呼ばれた事に関しては懸命にも彼は無視する事にした。
「名前はもういい。で、お前は「あっち」から来たんだな?」
「うん」
「じゃあ聞くが、あっちからここに来る間、他に誰か――いや、何か見たか? 具体的にはモンスターだが」
「もんすたー……?」
「そう、直立歩行するイカ人間だ」
「かいじんいかでびる?」
「……おいおい、ちょっとおもしろいじゃねぇか。で、そのイカデビルは見なかったか?」
「みてない、いるの?」
「いや、見てないならいいんだ」
「ざんねん、しにがみはかせとあくしゅしたかった」
「はぁ?」
なにやら首を俯けながら「やめろーしょっかーぶっとばすぞー」とブツブツ呟いてクスクス笑い始めたので、これ以上は何も聞けないかと呆れた溜息を一つ。
もう一つ隠し持っていたスキットルを取り出して一口含む。
ふと視線を感じて目をやると、さっきまで思い出し笑いに忙しい様子だったというのにいつの間にか物欲しそうな視線を彼の持つスキットルに向けていた。
「駄目だ」
「ほしい」
「金払え」
そう言って突き放すと、やや慌てた様子でごそごそと体中を探った後、ばつが悪そうに頭を掻きながら「さいふおとした」と申し訳なさそうな声で返す。
「じゃあ駄目だ、やらねぇ」
「……ぶつぶつこうかんでどうでしょう」
「へぇ、何があるってんだ?」
「ぱんつあげます」
「ぱ……はぁ!?」
「ぬぎたてはかちがたかいって、さいとーがいってた」
「サイトーって誰だ!? と言うかやめ――」
全く止める暇もなく、立ち上がってその両手でフレアスカートをぐいっとたくし上げた。
あまりの事態に虚を突かれた四人は、その後の数秒間、目の前の光景が上手く認識出来なかった。
露わになったスカートの下には素晴らしい脚線美を誇る真っ白の生足――――などは一欠けらもなかった。
有ったのは十数本の成人男性の太腿ほどの太さはある触手――俗に蛸や烏賊と呼ばれる頭足類の足が腰から下にぞろりと生え揃っていた。
バラッドは今目の前に展開する事実が何を意味するのか理解して、死を覚悟した。
スケルツォは身体に染み付いた訓練の賜物か、毒の短刀を抜き放った。
セレナは立ったまま気を失い、マーチは相変わらず呆けていた。
そして、冒険者の間で「狂気の司祭」と呼ばれ恐れられるマインドフレイヤは、自分の腰から下に生える「足」を見て心底不思議そうに首を傾げたあと、申し訳なさそうな顔で眼下で呆けたままのマーチに頭を下げた。
「ごめんなさい、のーぱんでした」