まだ朝日が昇りきらないような時刻。真治は一人起きて、机に着いて大量の和紙と向かっていた。
「ノゥボゥアキャシャキャラバヤオンアリキャマリボリソワカ―――ノゥボゥアキャシャキャラバヤオンアリキャマリボリソワカ―――ノゥボゥアキャシャキャラバヤオンアリキャマリボリソワカ―――ノゥボゥアキャシャキャラバヤオンアリキャマリボリソワカ」
一目で高級と分かる朱塗りの持ち手をした筆を持ち、霊水で溶いた墨をたっぷりと含ませ、真言を唱えながら達筆な字をすらすらと書いていく。
今、真治は札を作っている。作り方は、まず富士山の霊水に三日三晩付け、その間ずっと霊力を送り続ける。この送った霊力で札の出来は決まる。その後、札を乾かすと神木の枝を削って出来た筆を使い、真言を唱えながら札を作成していく。見れば、『不動明王』や、『急急如律令』、『軍荼利明王』さらには『鬼子母神』など種類は様々だった。
「ふぁ……なんだ、まだやっていたのか」
気づけば、もう日は高く上り、昼頃だという事が分かる。作成した札の数は五百枚に上る。
真治は最後の一枚を書き終えると、伸びをしてからエヴァに向き直った。
「ああ、ようやくまともな札を使える」
「まともな札? お前が今まで使っていたのはなんなんだ?」
「あれは関西呪術協会が使っている札を横流ししてもらったやつだ。今までは集中力が足りなくて、三日三晩は無理だったが、そろそろ出来ると思ってな」
そう、呪符作成には三日三晩飲まず食わず、不眠不休で霊力を与え続けなければいけない。一瞬でも途切れるとやり直しなので小学生だったころには厳しかった。
その分、エヴァの別荘は最高の場所だった。人がおらず、集中でき、尚且つ時間をあまり気にしなくていいここは呪符を作るにあたって最適だった。
関西呪術協会の札は、普通の札に真言やらが込めてあるだけで、ちょっとした助けにしかならないが、この札は念を込めるだけで、魔法の射手の約三十発ほどの威力を発揮する。
しかし、作り方が困難なのと、札の出来が作った術者によって大きく左右されるので、とうの昔に作り方は廃れていた。
この札の威力を聞いて目を丸くするエヴァに、真治は苦笑した。
「昔は、一流と呼ばれる術者は皆自分の札を使っていた。札の出来がそのまま術者の力量に反映されるものだからな、自然と力が入っていた」
思えば、じいさん―――晴明は、札を作るのが上手かった。おそらく魔法の射手七十発分ほどはあっただろう。清明の後継、などと言われていたが、基礎的な部分では何一つ勝ててなかったような気がする。
「なるほど、な。確かにそれは厄介だ」
「いや、さすがに修行でこんなのは使わないさ。今まで通り横流しの粗悪品で我慢するさ」
「そうか。さて、向こうではそろそろ夜だろう。どうする?」
「……そうだな。帰るとするよ。爺さんも待っていることだし」
「そういえば真治はじじぃの義理の孫だったな。囲碁や将棋をするたびに自慢話を聞かされるのにはもう飽きた。……しかし、爺ボケしたじじぃの戯言だと思っていたが、ふふ、なかなか馬鹿には出来んな」
「そうか、じいさんと仲が良いんだったな、エヴァは」
「ふん、戯れに碁を付き合う程度だ」
「それでもさ。じじぃの少ない楽しみだ、って嬉しそうだったぞ」
「……ふん、そんなものはどうでもいい。ん? これは?」
気恥ずかしそうに顔を背けたエヴァは、山のように積んである札の中でも、異様を発している札を何枚か手に取った。
黒の墨で描かれてはいるが、見事な絵だった。
「ほう、朱雀、白虎、青龍に玄武か。……ん、これは分からんな」
「お、分かるのか。まぁ、俺の切り札の一つだよ」
ふと下を見ると、まだ他にも色々な札があった。真治の言う切り札とやらだろう。
「さて、俺はそろそろお暇する事にするよ」
さっさ、と手際よく札を何枚かずつに纏めると、入れてきた箱に仕舞い、その箱をかばんに入れて立ち上がった。
「そうか、来れる日は来るようにしろ。修行をつけてやる」
「ああ、恩に着る。じゃあな」
エヴァは、後ろ手にひらひらと手を振って出て行く真治をしばらく見つめた後、自分も立ち上がった。
「あ、真治お帰り~。どこほっつき歩いてたん?」
「お帰りなさい。真治さん。お邪魔しています」
家に帰り、玄関で出迎えてくれたのは見慣れた二人。流石に女子寮に行くわけにはいかなかった真治は、以前から使っている祖父の家をそのまま使っていた。もちろん、木乃香の部屋もある。
「ああ、ただいま。二人はどうして?」
「学園長に呼ばれまして。一緒にご飯を食べよう、と」
「そやで。待っとったんに真治が中々帰ってこうへんから心配しとったんやで」
刹那が自然な動作で真治のかばんを受け取り、木乃香は真治の手を掴んで引っ張っていく。
真治は、甲斐甲斐しい接待をしてくれる二人に微笑むと、木乃香の手を握り返し、刹那の頭を撫でた。
木乃香と刹那が腕を振るってくれた豪華な食事も終わり、今は各自湯飲みを手に寛いでいた。
テレビの前の、三人掛けのオードソックスなタイプのソファーに、真治を挟むようにして三人は座っていた。
今は、図書館探検部に行った、木乃香と刹那の報告を聞いていた。
「そんでな? 地下三階までしか行けへんのやけど、それがすっごいの。な、せっちゃん」
「ええ、簡単な罠とかもあって、軽いアトラクションのようでした」
「そうだったのか。小学校のときは地下には入れなかったから分からなかったな」
身を乗り出して、真治に寄りかかるようにして嬉しそうに話す木乃香と、肩をくっつけるようにして、穏やかに微笑みながら相槌を打つ刹那。正直、真治は二人に詰め寄られて内心ドキドキしていた。
ふと、木乃香がしばらく動きを止めたかと思うと、とん、と真治の胸に頭を置いた。
「あ……えへへ。せっちゃん、ちょっとちょっと」
「? なに? このちゃん」
木乃香に呼ばれた刹那が訝しげにしながらも、木乃香に導かれるように真治の胸に耳を当てた。まるで抱きつくかのような刹那の体勢に、真治の心臓はもう一段跳ねた。
「あ……」
「やろ?」
ほんのりと頬を染めた二人は、くすくすと嬉しそうに笑い合う。
「そんじゃ―――――やよ」
「―――え、ええ!?」
「やるのなら一緒に、やろ?」
「……わ、分かりました」
自分が二人にドキドキしてるのがばれた真治は、恥ずかしさのあまり、顔を手で覆いたくなった。せめて自分の前で顔を見合わせるのは勘弁していただきたい。
いつもならほっほっほと笑いながら見てる祖父もいつの間にか湯飲みごと消えていた。
「「えぃ!!」」
ふと、意識を他にやった真治の不意を突くような形で、両側の二人が胴に手を回すようにして抱きついてきた。
「えへへー」
「んぅ……」
嬉しそうな木乃香と艶やかな溜め息を漏らす刹那。二人の、柔らかな感触を感じた真治の胸の奥が、激しくざわついた。
しかし、自分に抱き突いて嬉しそうにしている二人の顔を見た瞬間、それは嘘のように掻き消え、代わりに暖かいものが湧き上がってきた。
真治はそれに逆らうことはせず、そっと二人を抱きしめ、ソファの柔らかい感触に身をうずめた。
近右衛門は、互いに抱きしめ合い、安心しきったかのように眠る三人にそっと近づくと、毛布をかけた。
そして、二人の少女に抱きつかれて眠る、もはや血の繋がった木乃香と同じように愛するようになった孫息子を見て思う。幸せに生きてほしい、と。
真治が今何をしようとしているかは知っている。そうなるように焚き付けたのも彼自身だからだ。しかし、ここまで気に入られるとは思わなかった。先ほど彼女から連絡があって、
『あれはしばらく私が預かる。なに、心配するな。私が面倒を見るからには、あれが望む高みを見せてやる。ああ、それと、私の修行には口出し一切無用。真治が泣きつくなら話は別だが、まずありえないだろうからな』
と、心底楽しそうな笑い声を残して電話は切れた。
エヴァは、良い子ではあるが、どこか容赦の無い一面も持っている。その彼女が本気になった。思わず、これからの真治の身を案じずにはいられなかった。
「ねぇ、あんた……長原だっけ?」
「ん?」
授業合間の休み時間。寝て過ごした国語の時間に未練は無い、とばかりにただ広げていただけの教科書を鞄に放り込むと、次の数学の教科書を取り出そうとしたところで、声をかけられた。
声に反応して、顔を上げると、日本では珍しいオッドアイの目と、西洋風の顔立ちをした少女がいた。たしか、木乃香のクラスメートで神楽坂 明日菜だったか。仲が良いようで、昨日かかってきた電話でも、何度かその名前は耳にしていた。
「神楽坂か。何だ?」
「え、あ、うーんとね。いつも木乃香が嬉しそうにあんたの事話すから、話してみたいと思ったのよ。今までは男子っていう事で話しかけ辛かったんだけど」
なるほど、と真治は頷いた。確かに、女子中で男子が一人だから、若干避けられている感はある。それでも木乃香や刹那、真名とそれつながりで楓、後エヴァと茶々丸、といった風に何気にしゃべる人は多い。
「とはいうものの、何をしゃべるんだ? 特に共通の話題が思いつかないんだが」
「あ……それもそうね。んー、でも、ま、あんたが悪い奴じゃなさそうって分かっただけでも良かったわよ。じゃあね」
明日菜は軽く手を振ると席に戻っていった。
真治はそれをしばらく見送ると、教科書を開いて正と負の計算を眺め見た。真面目に予習しているかのように見えて、その実考えているのはエヴァとの修行の事だった。
この間から何回か修行をつけてもらっているが、いつもぼこぼこにされている。高速詠唱と、それを可能にする魔力の運用。豊富な経験に裏打ちされた戦闘技術。どれをとっても一朝一夕で出来るものではない。エヴァは自分の事を固定砲台と言っていたが、あの近接戦闘術を見せられてはとてもそうには思えなかった。
「いつつ……」
昨日も学校が終わってから夜までの六時間、要するに六日間修行をつけてもらった。とてもためになるし、自分にとって良い糧にはなるのだが、エヴァは回復魔法が苦手なようで、怪我をしても自分で治すしかなかった。
今も、自然治癒を高めるお札を服の下に張って何とか誤魔化している状況だ。
「真治」
「ん?」
と、そこで二の腕に張った札の調子を見ていると、エヴァが近寄って来た。
「悪いが、今日の修行は無しだ。じじぃが何か用があるらしくてな」
「じいさんが? 分かった。今日は久しぶりに帰るとするか」
どうせまた囲碁でも打つのだろう。真治にも老人の楽しみを邪魔する気は無く、素直に従った。
「む、貴様今失礼な事を考えなかったか?」
「いや、考えすぎだろ」
「そうか。まぁ、というわけだ。今日はゆっくり休むなり遊ぶなりして英気を蓄えておくんだな」
「そうさせてもらうよ」
と、そこでちょうどチャイムが鳴り響いた。
騒がしかった教室も少し静かになり、みんな慌しく席に戻っていく。
「ではな」
周りの新入生らしい反応と違い、エヴァは一人悠々と席に向かっていった。
600年の時を生きる真祖の吸血鬼、さらには五回目の中学校生活だけあって、流石に貫禄あるなぁ、と見送っていると担当の教師が入ってきたので真治も周りに合わせて立ち上がった。
甘々な第四話でした。
やはり、ヒロインの人数が絞られると、王道的なもので言うと、間男を出して危機感を出すとか、ひたすら甘くするかのどちらかですよね、私は間男とかがあまり好みではないので甘く行きます。ひたすら甘く。
目指すは黒耀先生の『アカシックレコードおいしいです』です。もっとも、かなり難易度高いですが。正直、あの甘々空間は尊敬に値します。
考えていた魔術兵装のうちの一つが、お札でした。失われた秘術、ということで、基本スペックを大きく上げさせてもらいました。お札装備で100位は上昇を見込んでいます。
希望がありましたので書きますが、ヒロインは二人で固定してあります。悪戯に増やすと、収集がつかなくなるので。
エヴァは好きなキャラの一人ですが、あくまで友人、親友ポジションです。期待してくださった方は、すみません。
プロローグ、プロローグ2と、第四話に出てきた、安倍清明を晴明に修正いたしました。
同じく第一話に出てきた陰陽師を、ねぎまの呪術師に修正しました。指摘してくださった方、ありがとうございます。