厚い雲に覆われ、月の光さえ差さない本当の暗闇の中、猛スピードで動き回るいくつかの影があった。そして、影のうちの一つが、懐に手を入れたかと思うと紙のようなものを額の前に持ってきて呪を唱え始めた。
「謹請し奉る!」
少年の唱える呪が空気を切り裂く。それに気づいたいくつかの異形の影が、遅れながらに少年に飛び掛ったが、遅かった。
「降臨諸神諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除―――急々如律令!!!」
少年―――真治が掲げた札から物凄い突風とともに、無数の真空刃が打ち出される。その風はいくつかの影を細切れにして止んだ。その硬直の隙を狙ったのか、異形の影は、真治の両脇から襲い掛かった。
が、それは耳を劈く銃声と鈍く光る剣線に叩き落され、あっけなく討滅された。
「……こんなものか」
真治があたりを軽く見渡して気を抜いた。式から入ってくる情報でも、各地の戦闘は終わりに近づいたようだ。
「何度見ても違和感を覚えるね。陰陽師が駆け回るのを見るのは」
と、そこにどこか笑いを含んだ声が振ってきた。
上を見ると木に腰掛けた褐色の少女の姿が。ふと横を見ると、刹那が微笑みながら近寄ってきていた。
「見事でした。真治さん」
「いや、刹那こそ。刹那が居てくれるととても心強い」
ご謙遜を、と苦笑いする少女に手を振る。実際、確かに一人でも対処はできなくもないが、助かっているのは本当だ。
真治の前世の青年は他人を信じることができなかった。それ故に編み出した戦術はどうしても個人プレーが目立つ。それを手本にした真治も、似通ったスタイルになっていた。
「私には何もないのかな? 真治」
「いや、真名も助かっている。ありがとう」
褐色の少女からの催促に素直に礼を言うと、少女―――真名はニヤッとニヒルに笑った。
最初龍宮と呼んで怒られたのはまだ記憶に新しい。今は、中学校の入学式を三日後に控えた春休みだった。
「おや、零時を過ぎたか」
真名の言葉にふと時計を見ると丁度零時を三十秒ほど回ったところだった。
聞けば、真名も真治達と同じ学校に入学するらしい。どうせ隠してもその日のうちに絶対にばれると思うので(何せたった一人の男だ)、テスターとして女子中に入ると言うと、嫌悪されるかと思いきや大口を開けて笑われた。流石にあれにはびっくりした。
「ん、今日はここまでだと」
式が防衛隊の隊長の解散の合図を捕らえた。ぐっ、と背中を伸ばして伸びをすると、ぽきぽきとなんとも言えぬ、癖になりそうな感覚が背筋を通る。
「くっ、はぁっ。帰るか。送るよ、二人とも」
「えっ、いや、そんなにしてもらわなくても……」
「そうかい? それはありがたい」
夜道は危険だから、と申し出た。
顔を赤くして遠慮する刹那を遮って、笑顔で真名が話を決めてしまった。
「よし、行くか。夜も遅い」
「ふふふ、自然にこういうことを申し出れるのは良い男の証だよ。なあ刹那」
「あっ、いや、私は別に」
「ほら、何してんだ。日が昇るぞ」
討伐隊の中でもダントツの最年少チームである三人は並んで誰も居ない夜道を歩いた。
ふと、夜空を見上げた真治は雲の切れ間にまん丸に輝く月を見た。
「おっ、良い月だ」
「本当だね。綺麗な満月だ」
真名と刹那も釣られて上を見る。静かな、ゆったりとした時間が流れる。刹那と真名がつい、穏やかな空気に身を任せ、体から一瞬力を抜いた、その時、横の林から何かが風のような速度で突っ込んできた。
「「っ!?」」
標的にされたのは真名。咄嗟に顔を手でかばう。その前に、いち早く反応した真治が飛び込み、刀印で九字を切った。
「臨兵闘者皆陣列在前―――破っ!」
真治の眼前で、何者かは見えざる壁にぶつかり、真治の気合と共に弾き飛ばされ、掻き消えた。
「すまない」
「気にするな。……来るぞ!」
真治が声をかけた途端に十数匹の影が林から飛び出す。
「オン ハンドマダラアボキャジャヤニ ソロソロソワカ!!」
一斉に飛び掛った黒い影は真治の張った半球状の結界に阻まれ、弾き飛ばされた。
その隙を縫って刹那が飛び出す。大太刀『夕凪』に気を纏わせて一線。
「神鳴流、奥義―――斬岩剣!!」
振りぬいた『夕凪』にあっけなく消滅していく影。刹那はたった一撃で前線を構築した。
真治は刹那に前線は任せると、輪郭がゆらゆらとぼやけ、しっかりとした形が分からない影を見据えた。幸い、速いだけで攻撃力も防御力もそんなに強くない。
隣の真名は持ち前の神速のクイック・ドロウを披露すると一瞬で影を蜂の巣にしていく。
なんとも心強い二人だ。真治は心の中でそう呟くと、札を構えなおした。
「二人とも、五秒後に目をつぶれ!!―――謹製し奉る! 来たれ! 闇を切り裂く光よ! 森羅万象に光を灯せ、光神、召還!!!」
かっ、と真治を中心に極小の太陽が現れたかのような光が溢れる。その光はあっという間に影を飲み込んで吹き飛ばした。
光が段々と収まり、目を開けられるようになった頃、それまで微動だにせず仁王立ちしていた真治は、かっ、と目を開くと懐からすばやく札を取り出すと、影が出てきた逆の方向の林に投げつけた。
「――――……ぎゃっ」
闇に吸い込まれるようにして札が消えて行き、一泊の間をおいてから、遠くで、小さく悲鳴のようなものが聞こえた。
駆け出そうとした刹那を手で押しとどめ、真治はゆっくりと茂みの中に分け入った。
林の奥には、札を額に貼り付けた中年の男の姿があった。真治は数瞬顎に手を当てて考えると、札をロープに変えながら虚空に向かって話しかけた。
「じいさん、見てるんだろ? 縛っておくから回収は頼んだぞ」
と、言うが速いか手早く縛り上げ、猿轡を噛ませると、踵を返してさっさと立ち去ってしまった。
猿轡をされ、ころがされた男の他には何もない闇の中に、老人のため息が響いたような気がした。
「……っ、……っ、……只今を持ちまして、第○○回、入学式を終了いたします。―――気を付け、礼」
近右衛門や、他数名のお偉いさんのありがたいお言葉を頂き、終了の挨拶が終わると、音楽と共に新入生の一団が動き出す。
そんな中、回れ右をした真治の視界に飛び込んでくるのは、自分を見つめる目、目、目、目。これでもか、というほどの人数から品定めされるように見つめられ、真治の額には薄く怒りマークが乗っていた。
それをはらはらと見つめる刹那と、楽しそうに笑う木乃香。すぐ近くにはニヤニヤとこちらを見る真名の姿もあった。
「……だから嫌だったんだ」
「まぁ落ち着きぃや、真治。すぐみんなも慣れる慣れる」
「人の噂も七十五日。辛抱するんだね」
ぞろぞろと列が動くが、まだ半分も行っていない。真治達が入ったのはAクラスだから出るのは一番最後だった。
「それにしても、三年間の間クラスは変わらないんですね」
「みたいだね。ああ、紹介が遅れたね。私は龍宮 真名。その二人とはちょっとした知り合いだよ」
「あ、これはご丁寧に。近衛 木乃香いいますー。あ、もしかしてあなたが真治の言っていた心強いお仕事仲間さん? 二人のこと、よろしくな~」
「へぇ、君もこちら側を知っているとは。それより、心強い? 他には何か言ってなかったかい?」
嬉々として話し出す木乃香を止めようかどうか刹那は迷ったが、迷っているうちに木乃香は話し始めてしまった。この先の会話内容に不安を覚えた真治は咄嗟に遮音結界を張った。
「えへへー、えっとなぁ、頼りになるとか、あの銃捌きはとても真似できないとか。いつも褒めてるよ」
結界を張っていて木乃香を止められなかった真治が、微妙に顔を赤くして、ぷいっ、と顔を背ける。いつもクールで、落ち着いた感じの真治がふと見せる年相応な姿はギャップが激しかった。
そんな真治を意外そうに見つめる真名。木乃香はぷにぷにと真治の頬を突付いて遊んでいる。
「へぇ、批評の一つでももらっていたかと思ったよ。特にこの前のとか」
「あ、影の奴? でも基本的に真治は陰口なんてまったく言わんよ?」
「……あれは、たまたま俺が視線をずらしたのが運が良かったんだ。まぁ、真名にしてはらしくなかったけど、今思えば真名も中学生になったばかりなんだし、当たり前といえば当たり前の失敗だろ。わざわざどうこう言うようなものでもない」
「……そう、か。ありがとう」
真治はあまり嘘はつかない。言っていることが本音に限りなく近いのが分かるから、真名もつい照れてしまった。
「むー、いいなー、うちも早く戦えるようにならなあかんなー」
「いや、何がいいのかはさっぱりなんだが。お前は自衛のために魔法習っているのに、わざわざ火の中に飛び込んできてどうするつもりだ」
「んー、でもでもー」
「でもじゃない。……はぁ、お前らもなんか言ってやってくれ」
強敵モードになった木乃香はやりづらい。横で観戦している二人に助けを求めたが、
「えっと、その、このちゃんがやりたいならそれで良いかと」
「くっくっく、いいんじゃないのかい? 姫を守るのも騎士の役目だろう?」
刹那は木乃香のおねだりモードにあえなく惨敗し、真名は面白がって焚きつける始末。ふと味方がいないことに気づき、女子中の中なんだからそれも当然か、と苦笑を一つ漏らした。
「ほら、二人もこう言ってるやん。ええやろー」
「だ・め・だ。せめて刹那の手加減した攻撃を裁けるようにならないと許可はできん」
「でもー」
対真治用最終兵器発動。なみだ目の上目遣いで覗き込まれるが、真治は頑、と譲らなかった。
「ぶー、けちー」
こうなった真治は梃子でも動かないことは良く知っている木乃香はあっさりと身を引いた。元々本気で言っていた訳ではなく、唯なんとなく構ってほしかっただけなのだ。
全く、と呆れたため息をつきながらぴしっ、とデコピンをされる。
むー、と額を押さえてじと目で見上げたが、真治はすでに真名と話し始めていた。
「まったく、女性に暴力を振るうなんて……」
「分かった分かった。これからは紳士的に振舞うよ」
「OK. さすが、物分りがいい」
そう、一連のやり取りを終えた後に、小さく笑い合う二人を見ると、なんだか胸がむかむかしてくる。隣を見ると、幼馴染で、大好きな親友である刹那も同じような顔をしていた。
後で話してみよう、と木乃香は小さく決意した。
そこで、真名としゃべっていた真治がふと顔を上げた。
「お、次はうちのクラスだ。ほれ、戻った戻った」
いつの間にかすぐ側のB組が動き始めていた。周りの知り合いで固まっていたやつらも自分の席に戻りつつある。
しばらくして、真治達1-Aは、ぞろぞろと動き出した流れに乗って、割り振られた教室に向かって歩き出した。
放課後、まるでハイエナのように集って来る好奇心旺盛な生徒からようやく解放された真治は、さすがにげっそりとした表情を見せた。
「疲れた……」
「あはは、お疲れさんやな、真治」
「まぁ、花の園にいるんだ。これくらいの苦労は覚悟していただろう?」
くっくっく、と口元を押さえて笑う真名を真治は軽く睨み付ける。
「一番煽っていた奴が何を言うか」
「まぁ、細かい事は気にしないほうがいい。体に毒だ」
睨み付けられても相変わらず飄々とした態度を崩さない真名を見て、真治ははぁ、とため息をついた。
あれがクラスに馴染むためにしてくれたということは分かっているが、いくらなんでもやりすぎだろう、と。
真名は一瞬虚を突かれたような表情をすると、声を上げて笑った。
「むー、救い出したうちには何もないん?」
「いや、木乃香もありがとな。助かった」
ぽん、と軽くたたくように頭を撫でてやると木乃香は嬉しそうに笑った。それにしても、刹那としゃべっていても何も言わないのに、何で真名のときばかり邪魔をしてくるんだ?
木乃香が自分に好意を抱いてくれていることを真治は自覚しているが、流石に木乃香がせっちゃんと三人で仲良く、と考えているなんて事は露程も気づいてなかった。そもそも、幼馴染に対する好意だと思っているし。
と、そこでまたこちらを見ている刹那に気がついた。
「ん? 刹那もくるか?」
と、真治が冗談めかせて手を広げてみると、おずおずと刹那が近寄ってきた。
半分以上冗談だった真治はぽりぽりと頬をかくと、開き直ったかのように二人を抱き寄せて頭を撫でた。
「えへへー」
「ん……」
頬を緩ませて気持ち良さそうな声を出す二人に、真治は一瞬どきっ、として、一瞬手を止めた。
微妙に顔を赤くした真治は、不思議そうに、それでいて催促するかのように見上げてくる二人に慌てると、誤魔化す様にわしゃわしゃと勢いよく二人の髪を掻き混ぜた。
最高に良い笑顔をした真名が真治《おもちゃ》に話しかけるまであと五秒。
初の戦闘シーンを入れた二話でした。
いやー、戦闘、というか真言詠唱とか書いていると勝手にテンションが上がってしまい、短時間で書き上げる事が出来ました。
感想にもありましたが、自分でも女子中に突っ込むのは無理があるなぁ、と戦々恐々としていましたが、予想以上に反発が無くてほっとしている次第です。
ヒロインは二人で固定。よっぽどの事が無い限り増やさないと思います。
また、このような未熟な作品にたくさんの感想をいただいて、恐悦至極でございます。陰陽師好きな人が楽しみにしていてくださっているようなので、頑張って書き上げたいと思います。
ご指摘にあった人前でのナデポは変更。大勢の前でいちゃつくのは、私が思い描いている主人公像からも外れるような気がするので、手直しをさせていただきました。ご指摘くださった方、確認を取っていないのでお名前は出しませんが、この場を借りて、感謝の言葉を述べさせていただきます。
たくさんの方に感想、意見をいただいております。PVも予想以上の伸びを見せ、嬉しいことこの上ないです。それらに見合うよう、未熟ながらも精一杯努力していきたいと思っておりますので、皆様、どうか末長い目で見守ってくださると嬉しいです。
色々と言われているレス返しですが、私は感想のほうへ書き込ませていただいております。大変失礼ながら、書き込んでいただいた方々全員に反しているわけではありませんが、感想、ご指摘について、私がどう思ったか、などと興味がある方は覗いてみてください。