冬が過ぎ、そろそろ春に差し掛かった頃。
趣を感じさせる、少し古い洋風のつくりになっている校舎。その中にある校長室で、二人の小学生の男女が一人の翁と向き合っていた。
頭の後ろが不自然に飛びぬけていて、二人に好々爺然とした笑みを向けているのは近衛 近右衛門。広大な面積を誇る麻帆良学園都市の学園町である。彼は目の前に仲良く並んだ二人の様子に目を細めると口を開いた。
「さて、来月から二人とも中学生になるわけじゃが、どこに行くんじゃったかの?」
それに、まず残念そうに答えたのは少女のほうだった。肩甲骨よりも少し伸ばしたぐらいの髪は絹のようにつややかで、手触りが良さそうだった。名を近衛 木乃香といい、目の前の近右衛門の実の孫だった。
「んー、明日菜と同じ麻帆良女子中にいこうかと思ってたんやけど、そしたら真治と一緒におられへんしなぁ」
少女の横で少し制服を着崩しているのは長原 真治。鴉の濡れ羽色と評される見事な黒髪を肩よりも少し伸ばしていて、それを首元で一括りにしている。後姿だけを見れば女の子とも見えそうだが、切れ長の涼しげな目元と、意志の強そうな目。その存在感は小学生と馬鹿にはできず、気品すら漂わせている。
「俺は、まぁ木乃香が女子中に行くみたいだから、その近くの男子校にでも行くけど?」
「ふむ、そんな二人に良い知らせと悪い知らせがあってのう」
にこっ、と笑って告げた近衛門の顔を見たとたん、真治の背筋に嫌な物が走った。あれは何か面倒なことが起きる。主に自分にとって。真治は、思わず後ずさりしかけた足を何とか止めた。
「真治や、この麻帆良女子中がなぜ麻帆良学園の中央にあるかは知っておるかの?」
「……たしか、元々この学校から分校みたいな形で学校が増えていったから、じゃ無かったっけ」
そう、この女子中はいわば麻帆良学園の雛形。だから学園長室はこの麻帆良女子中にあるのだそうだ。
「それでの、今年から女子中を共学にしようと思っとったんじゃ」
「えっ!? おじいちゃん、ほんまなん? それ」
「おお、本当じゃとも。しかしの、色々とハプニングが起こってしまって、一年遅れるそうじゃ。しかし、真治を驚かそうと思ってとっくのとうに書類を提出したんじゃ。今からではどの学校に入るのも難しくてのう。……おや、真治どうかしたかの?」
やっぱり、と顔を手のひらで覆った真治に近右衛門はのほほんとした様子で話しかける。自分の隣でのんきに頭に?マークを浮かべている幼馴染が少し憎い。
真治は顔を上げると、一縷の望みをかけて聞いてみた。
「あー、それで、どこに入れたんだ?」
「悪いがのぅ、どこも引き受けてくれなんだ。すまんが、我慢してはくれんか? 真治や」
「嘘だろ」
即答だった。これ以上ないほどにきっぱりと言い切った。この狸じじぃは仮にも最高権力者だ。その権力は無駄に使われてきた。主に真治をおちょくるために。
その権力が、今だけ発揮できないというのはおかしい。このじいさんならば小学生を東大に編入させることも可能かもしれん。
絶対にこの狸ジジィは権力を間違った方向に使った。そうに違いない。
だから、真治はいつものように言ってやった。
「こんのくそ爺!!!」
「ほっほっほ、なに、事前にこの旨はきちんと告げてある。だから心配無用じゃ。それに、護衛は常に側にいなくてはならない。君がいつも口にしている言葉じゃぞ」
彼が本気で怒鳴る姿は、小学生とはいえ、かなり迫力があって少しは怯んでもいいはずなのだが、近右衛門はそんな事はまったく気にした様子もない。
それに、口から出てきた言葉も確かにいつも自分が言っている言葉だった。
「ぐっ………」
「まぁ、正直に言うと真治の反応を見たかったからなんじゃがな」
「こ・の、狸ジジィ……」
握り締められた拳がぎりぎりと音を立てている。おちょくりすぎたか、と冷や汗を垂らす近右衛門に救いの手が差し伸べられた。
「えー、真治はうちと一緒の学校になるんは嫌なん?」
頑なに渋る態度を見せる彼に対し、木乃香はくい、と袖を引っ張りながら上目遣いで見上げる。近右衛門曰く『対真治最終兵器』だそうだ。
「……わかった、降参だ。行けばいいんだろ行けば」
「ほんま!? やったー」
わーい、と喜ぶ木乃香を見て頬を緩める真治。このやり取りは最早一連の流れになっていた。そして、いつの間にか行く事が決定している事に、真治は気づかない。流石は『対真治最終兵器』だった。
そんな微笑ましいやり取りをうんうん、と頷きながら見ていた近右衛門はひとしきり真治をいじくって満足したのか、話を次へと進めた。
「さて、それでは次に行くとするかの。実は木乃香、客人が来ておる」
「えっ!? 誰や? お爺様のところに来るって事は魔法関係なん?」
「そうじゃよ。それに、これは木乃香にとって喜ばしいことじゃろうて。……ああ、真治も残って居てくれんかの。真治にも関係のある話じゃから」
目線で自分はどうするか問いかけた真治に近右衛門は必要ない、と手を振った。
「では、入って来なされ」
「はいっ」
と、ドアの外でかちかちに固まった返事が響いたかと思うと、ノックの後にドアが開いた。
「あ、あの。木乃香お嬢さ「あっ、せっちゃんや!!」…ひゃあっ!」
おどおどと入ってきた少女は、入ったとたん、目を輝かせた木乃香に抱きつかれ、目を丸くした。
「ほっほっほ。木乃香は当然知っておるの。桜咲 刹那君じゃ」
「……ふぅ、あ、お初にお目にかかります。桜咲刹那と申します」
近右衛門の紹介を受けて、ようやく木乃香から開放された少女は一息つくと、自己紹介をしてぺこりと頭を下げた。隣の木乃香のニコニコした笑顔と送られている視線に居心地が悪そうだ。
「ふむ、そうじゃな。木乃香、お茶を煎れて来てくれんかの。積もる話もあるじゃろうし」
「そやね、十分ほどで行ってくるわ」
「頼んだぞ。……さて、お主らも立って居ないで座るとよかろう」
近右衛門がそういうが早いか、近右衛門が座っているテーブルの前にテーブルとソファが現れた。
少女はその光景に唖然とし、真治は慣れているのか、すぐにその席に着いた。
「ほれ、座らんか」
いつの間にか真治の対面に座っている近右衛門は、何もなかったかのように刹那を促した。
「あ、はい」
まるで狸に化かされたかのような顔をした刹那がおっかなびっくりと真治の隣のソファに軽く腰掛けた。
「ふむ、久しぶりじゃの。刹那君」
「あ、ご無沙汰しております。学園長。これは長からの手紙です」
「おお、すまんかったのう。……ふむ、確かに」
近右衛門は刹那から手渡された手紙の中を一通り改めると軽く頷いた。
「あの、それでこちらの方は…?」
「おっと、すまんかったのう。紹介が遅れた。長原 真治。わしの孫じゃよ」
「お孫様……ですか?」
訝しげにする刹那に近右衛門は笑って頷いた。
「かれこれ……六年になるか。わしが引き取った子での。君と同い年じゃよ。ちなみに木乃香の護衛の筆頭を務めておる。そろそろ真治一人でも十分じゃと思うんじゃが……」
「あほぬかせ。一人じゃあどうしたって限界が来る。俺は男だし木乃香は女、立ち入れない場所だって多い。だから女のボディーガードを……そうか、君が新しいボディーガードか」
「あ、はい。そうですけど……」
まだ名乗っていないのに見抜かれた刹那はきょとんとしたが、真治は納得したように頷くと刹那の全身をじっと見つめた。
「さっきの様子から木乃香とは親しいんだろう。護衛としては適任だな。実力も、まぁ見た感じ悪くない。……へぇ」
真治は遠慮なく眺める。別に厭らしい目線ではないので不快にはならないが、どこかくすぐったい。と、そこで真治の目が刹那の後ろで止まる。
「純白の羽。烏族のハーフか」
「っ!!!」
真治のその驚いたような声に思わず刹那は飛び上がった。
すぐさま脇においてあった竹刀袋から大太刀を取り出して鯉口を切った。
「大太刀だったのか。てっきり薙刀だと……あー、いや、悪かった。トラウマに触れたのは謝るから殺気を抑えてくれ。もうすぐ木乃香も来る」
刹那は真治の言葉に、はっ、とすると大太刀を納めて勢いよく土下座した。
「すみませんっ、突然無礼な真似を……」
「いや、軽々しく口にした俺も悪かった。お相子にしておいてくれ」
顔を青くして謝る刹那に気にしてない、とひらひらと手を振って真治は謝罪を受け止めた。
「ほら、立って。まぁ、良い動きだった。前衛としては俺よりは遥かに上か。うん、流石詠春さん。良い目をしている」
大太刀をいきなり突きつけられたにも拘わらず、まったく気にもせず、相手の力量を見定めて、尚且つ褒めた。
そのあまりの胆力と器の大きさに思わず刹那は目を見開いた。とても自分と同年代とは思えない。
「ん? 気を抑えてるんじゃなくて消している? 自分で封印したのか、もったいない」
思わず呆然としている刹那に構わず真治はそっ、と目に見えない羽に手を伸ばした。
「ひゃっ!!!」
「おお、凄い手触り。やわらかいな」
「………え?」
「あ、っと。すまん。綺麗だったから思わず。でも、いや、すごいな。良かったらまた触らせてくれないか?」
「え、あの、触れるんですか? 一応霊体化させてるんですけど……」
「ん? まぁな。俺には見鬼の才があるから、分かるし、見えるんだよ」
刹那は、なんともなしに言い切った真治をしばらく呆然と見詰めた後、顔を背けて自嘲した。
「そこまで理解しているなら分かるでしょう? 私は忌み子なんです。今は人に紛れていますが、本当の姿は醜いものなんです。そして、そんな化け物の癖にお嬢様のお側に居たいなんて考える愚か……「あー、そこまで」っ!!」
俯いて、まるで懺悔をするかのようにとつとつと語る刹那に、真治は声をかけると手を伸ばした。
「っ………」
何を勘違いしたのか、身を縮こまらせて怯える刹那を見てため息をつくと、目を閉じて呪を唱え始めた。
「我、ここに隠されし物を暴きたり、アビラウンケン」
ぽう、と刹那の体全体が光ったかと思うと、すぅと何も無かったところから見事な純白に輝く大きな羽が生えてきた。
「ほぉ……」
「へぇ……」
それは、それまで黙って静観していた近右衛門が思わず感嘆のため息を漏らすほどに美しかった。
窓から差し込む橙の光を反射し、きらきらと輝く羽はいっそ幻想的というほどだった。
「わぁ……綺麗な羽やな~」
「っ!?」
ドアのほうから聞こえたその言葉に、刹那は飛び上がって驚くと、あわてて背中を確認し、それから恐る恐る木乃香のほうへ向いた。
「すごい……これ、作り物やあらへんのやろ?」
「……はぃ」
目をきらきらさせて近寄る木乃香に、刹那は喉の奥で引きつった声を返すと、逃げるように背を向けた。
「お嬢様、私は、私はこのような醜い姿をしているにもかかわらず、お嬢様のお側に……っきゃ!」
苦虫を飲み込んだかのような顔でなにやら言っている刹那を木乃香は完全に無視すると、丁度自分のほうへと向いている羽に飛び込んだ。
あ、いいな。と見ている二人は思ったが、木乃香はそんなことお構いなしに柔らかそうな羽に顔をうずめた。
「ふわ~~、すごい、ふかふかや~。天使の羽みたいや、きもちええな~」
ふにゃ~としなだれかかるようにして羽を満喫している木乃香に、刹那は目を白黒させている。
「あ、あの。お嬢様。この羽が醜くないんですか?」
「ん~? 何でそんなこと言うん? 綺麗やんか~。それに、お嬢様ちゃうて、昔みたいにこのちゃんて呼んでな」
「………ぅっ」
刹那が両手を顔に当てて、押し殺した呻き声を上げると、男二人を目を見合わせて静かに退出して行った。
「見苦しい姿をお見せして、すみませんでした」
三十分ほど時間をつぶし、戻って見るとそこにはぎこちないながらも仲良くしゃべる二人の姿が。
刹那の目はまだ少し赤かったが、それでもすっきりとした顔をしており、きりっ、とした面立ちになっていた。
「いや、荒療治だとは分かっていたが他に方法が思いつかなくてな」
「いえ……他に方法が思いつかなくて?」
「あ、いや……」
ほっ、と一息ついた真治の口から漏れ出た言葉に刹那は首をかしげた。
らしくないミスをした真治はがりがりと頭を掻いた後、ばっ、と頭を下げた。
「悪かった。騙すつもりじゃなかったんだが、言い訳にならないな。とにかく、すまなかった」
「え、あ、その、頭を上げてください。何がなんだか」
頭を下げた真治は、あわててとりなした刹那の言を聞き入れ、頭を上げるとぽりぽりと決まり悪そうに頬を掻いた。
「いや、その。実は詠春さんに言われてたんだ。『刹那君を助けてほしい』って。もちろん、詳しいことは何も聞いていないし、それだけだったんだけど、やっぱ気になってな。木乃香とも仲が良いみたいだし」
「そうですか……ありがとうございます」
刹那はそこで納得したかのように頷くと、深く頭を下げた。
「私は臆病なので、あのままだとずっとこのちゃんに言い出せなかったかもしれません。ずっと溜め込んで、一人で悩んで。今になっては馬鹿らしいとしか言いようがありませんけど。でも、あなたはそこから救ってくれた。確かに少し強引でしたけど、とても感謝してるんです。だから、ありがとう」
頭を下げながらそこまで言い切ると、刹那は唖然としている真治にそっと微笑んで見せた。その微笑みは真治が今まで見た中でも、群を抜いて綺麗な笑顔だった。
ようやく一話目を投稿できました。
いや、難産でした。何度も消したり直したりして書き上げるのは大変でした。
今思えば、陰陽師である呪術師が単身で強いっていうのはあまりないですね。まぁこのSSでは、主人公がネギ君クラスの天才としてあることと、そのネギ君とは本編開始時の三、四年のアドバンテージがあるので、初期でいえば飛びぬけるかもしれません。
闇の魔法習得時には、並ぶか、ネギ君のほうが上にしたいと思います。主人公の特性上早々負けないでしょうけど。
私の中では、陰陽師とは魔法使いみたいに力技でぐいぐいとやるイメージはあまりないんです。
結界や五行などを駆使して頭で戦うイメージが強いので、こう魔力全開で敵を薙ぎ払うのはネギ君にお任せしようと思っています。
剛よりも柔。機転の良さで戦場を引っ掻き回す主人公を上手く書ければと思っています。
このSSの主人公は、強靭な精神力と冷静な判断力、回転が速く、柔軟な思考を取り柄にしている、という作者泣かせ性格を設定しております。
自分はまだまだ未熟なのは十二分に理解しております。たくさんの感想をいただいて少し舞い上がった気分になっておりましたが、今回のように躓いたりしますが、末長い目で見守っていただけるよう、お願いいたします。
ぐだぐだと長文、失礼致しました。
女子中に捻じ込むあたりを修正いたしました。
私が未熟なところを、皆様良く見て下さっていて、本当に感謝いたしております。今回の修正も、様々な方からのご指摘と、ある方のアイデアを使用させていただきました。明確な許可を取らずに使用しましたが、それについて不快を感じられたのならば直します。