近右衛門に引き取られて数週間。真治はやたらと引っ付きたがる木乃香から逃げながらも、平和な毎日を送っていた。夢の青年とは段違いで幸せな自分。平凡とは、平和とはどれだけ尊いものなのかを十分に理解している真治は、この平和を大切にしよう、と心に刻み込んだ。
そして、近右衛門に呼ばれたのはそんな時だった。
「何のようです?」
「ほっほ、来たかの、真治。木乃香が寂しがっていたぞい、『お話ししたいのになー』とな」
「…………」
言われると覚悟していた真治は、それでも下を向いた。別に近右衛門は責めているわけではない。それは分かっているのだが、真治は数週間過ごして、まだ木乃香との接し方が上手く掴めていなかった。
全面的に好意を押し出して接してくれる木乃香に真治は手を焼いていた。なにしろ青年は、そんな風に近寄ってきた女性に対して酷いことをしたのだから。
木乃香のいないところでその話しを聞いている近右衛門は、なにも言わずに悩む真治を優しく見守っていた。
「それについては、まだ心の整理がついていません」
これは逃げだ、と真治は心の中で舌打ちをした。こういう風に問題を先送りにしていては駄目なのに、しっかりと答えが出せない自分が嫌になる。
近右衛門はそう悩む真治の心中すら見透かしたかのように微笑むと、口を開いた。
「まぁ、それならばよい。今日呼んだのは別件についてじゃ」
「別件、というと……?」
「真治の前世についてじゃ」
真治の体がびくっ、と強張った。近右衛門は宥めるように手を上げると、そのまま続けた。
「真治は陰陽師……こちらでは呪術師というのじゃが、呪術師はもういないと思っているようじゃが、それはちと違う。今も西、京都を中心にして活動を続けておる」
「…………」
「じゃが、昔の秘術などはほとんど失われてしまっておってのぅ」
「っ!!!」
それを聞いたとたん、ばっ、と真治は立ち上がり、ドアに向かって駆け出した。
「まあ落ち着くんじゃ「禁!」……っ、なんじゃと?」
性急に話しを持ち出しすぎたと思い、落ち着かせようと無詠唱で風の一矢を放ったが、一言の言霊で消し去られたことで思わず動きを止めてしまった。
関東の長である、近右衛門の魔法使いとしてのレベルはかなり高い。それこそ、無詠唱で咄嗟に出したものとはいえ、たった一言の言霊で打ち破られるものだとは思いもしなかった。
「おじいちゃーん、って、きゃぁ!!」
と、そこでタイミングよく入ってきた木乃香が、ものすごい勢いでこちらに向かってくる真治を見て驚いて叫び声を上げた。
強引に蹴り飛ばしてでも、と思った真治だったが、木乃香の顔を見たとたんに、足が上がらなく、そのままもつれ込んで倒れてしまった。
「ふぇ? 真治くんどうしたん? おじいちゃんに意地悪されたん?」
あわてて立ち上がろうとする真治だったが、その姿を見てなにを勘違いしたのか、木乃香は真治を抱きすくめてよしよしと頭を撫で始めた。
乱暴に跳ね除けようにも木乃香が相手ではそれもできず、固まってしまった真治を見て近右衛門はほっ、と一息ついた。それと同時に、思う。たったあれだけで自分の身に危険が迫るかもしれないと感じ、すぐさま行動に移した真治の動きは近右衛門が見てもかなり早かった。問題なのはそれをしたのがたったの6歳の少年だということ。
それが彼の前世の話に確信を持たせ、同時にこのような行動を取ってしまうような前世の内容を思い、近右衛門は心を痛めた。
「まずは落ち着くんじゃ、真治。別にとって食おうというわけではないからの」
その言葉に、いまだ若干の警戒心を持ちながらも真治はそろそろと座布団に座った。中腰で、いつでも動けるように。
「ほっほ、警戒せんでもよかろうに。家族なんじゃから」
「そやで。ほら、ちゃんと座りや」
くいくいと隣の木乃香に袖を引かれて渋々真治は胡坐をかきなおした。
「それでの、実はわしは魔法使いなんじゃ」
「……へー」
「わー。凄いなおじいちゃん。うち知らんかったわぁ。あ、ならお父様とかもそうなんかなぁ」
「ほっほ、婿殿もそうじゃよ。それでの……………………」
まったく信じていない真治と、素直にそれを信じて感心している木乃香。近右衛門は木乃香に笑いかけて、そこで不自然に固まった。
「「……?」」
子供二人が首を傾げる前で、近右衛門はだらだらと冷や汗をかいていた。
「こほん、今のは冗談でな「「嘘だろ/やろ」」……やっぱり?」
先ほど子供に自分の魔法が破られたショックが尾を引いていたのか、普段なら絶対にしないミスを近右衛門は犯した。
まったく信じていなかった真治も近右衛門のリアクションで真実だと悟り、内心驚いている。そういえば先ほどかけられた術は妙に構成が甘かった。あれが魔法なのだろうか、いや、手加減してくれたんだろう。
あれは咄嗟の行動で、心の中では結構近右衛門を信じている真治は自分をそう納得させた。
「あー、じつはの? 婿殿からは木乃香には魔法のことは秘密にしておいてほしいと頼まれておるんじゃが……」
「言っちゃってよかったの?」
「まずいじゃろうなぁ……」
「えっと、なにが駄目なん? おじいちゃん」
近右衛門はため息をひとつすると、ぽつぽつと語り始めた。
「婿殿とあやつ、わしの娘はの、木乃香には普通の女の子として生を歩んでほしかったのじゃよ」
「? 別にかかわらなければ良いじゃないか」
「……そういうわけにもいかん。木乃香には、絶大な魔力が秘められておる。それこそ世界でも類を見ないほどのな」
「ああ、知ってる」
「ほっ? 分かるのか? 真治」
「まぁな。妖力にも似てるけど、ちょっと違うな。それに、これは大きさで言えばじいさん……安倍晴明の霊力をも上回っているからな」
「そうか……まぁ、そういうわけなんじゃ。魔力の大きい木乃香はいずれ狙われるようになるじゃろう。そのための自衛手段くらいは持たせたほうがよいといったんじゃがの、婿殿は頑として聞き入れなんだ」
「ふーん、でも問題ないだろ? 別に見鬼の才があるわけでもなさそうだし」
「見鬼の才?」
「ああ、例えば、木乃香。そこになんか見えるか?」
と、真治が指差したのは何の変哲も無い庭先。
「? 強いて言えば庭があるくらい? なんやの?」
「あそこに今女の子が立ってる」
「「え?」」
「今っていうか俺が来てからずっとだな。話を聞いたけど、元々ここに住んでたらしいらしい。病気で死んじゃったけど、いろいろと未練があって成仏できなかったんだと」
「えーと、どうやったら成仏できるん?」
「まぁ、未練の大元である遊園地に行きたかった、っていうのを叶えられれば良いんだが、自縛霊なもんで動けない。まさかここに遊園地を作るわけにもいかないし、諦めてもらったところ。ま、心に整理がついたら成仏するだろう」
普段はあまり口数が多いとは言えない真治が珍しく饒舌にしゃべってくれるので、木乃香はこれ幸いと話を聞こうとする。
「へー、なら見鬼の才って結局どういうものなん?」
「まぁ、ようするに見えざるもの、異形や鬼、幽霊を見る力だ」
「ちょっといいかの? 真治」
「ん? ああ」
「真治の前世では鬼とは普通の人では見えない存在なのかの?」
「そうだな。徒人には見えないし、出会ったら一瞬で殺されるだろうな。一匹出ただけで都が崩壊しかけたし」
「ほっ? 当時の京都にも優秀な陰陽術師は多くいたじゃろうに」
「ま、な。だけど、ほとんどの術士は役に立たなかった。当時傷を負わせられたのがまだ半人前だった俺とじいさんだけだったな」
「ふ、む。様子を見せてもらっていいかの?」
「? 別にいいけど、どうやるんだ?」
「なに、ただ思い浮かべるだけで十分じゃよ。魔法にはそれを読み取るものもあるのでの」
「そうか。便利だな……いいぞ」
「ほほ、では失礼して…………ふむ、なるほどの」
そっと真治の額から手を離して、近右衛門は思わず冷や汗をかいた。
真治の記憶上の鬼とは、こちらでいう鬼神クラスであった。それを様々な術を駆使して戦う晴明と真治は、確かに稀代の陰陽師と称えられるに値する力量を持っていた。
「むー」
「おう、すまんの木乃香。少し難しかったかの」
ほっほ、と笑いながらむくれる木乃香の頭を撫でる近右衛門に真治は続きを促した。
「結局、なんで木乃香がねらわれるんだ?」
「ふむ、話がずれたの。木乃香が絶大な魔力を秘めているのは話したじゃろ? それを狙う輩がおるのじゃ」
「? 異形の者は見鬼の才を持たないものにはそんなに注意を払わないはずだが?」
「ふむ、これも時の流れじゃのう。……木乃香が狙われる理由はそんなものじゃありゃせんよ。言い方は悪いがの、木乃香の魔力には使い道がたくさんあっての。色々と悪事に働こうとする輩が多いんじゃよ」
「なるほど、な」
「ふぇ? うちどうなるん?」
少し婉曲した言い方ではあったが、おぼろげに意味を理解した木乃香が、不安そうに真治の服の袖を掴んだ。
その指先がかたかたと震えているのに気づいた真治は、木乃香の頭を不器用に撫でた。それだけでほっ、と安心したように息をつく木乃香に、何か暖かいものを感じながら慰めた。
「大丈夫。木乃香は、俺が守る。…そう、俺が守るよ、絶対に」
最初は、思わず、といった感じで口にした言葉だったが、それがやけにしっくり来た。まるで木乃香と出会ってから胸にくすぶり続けていた何かが形になったかのように。
繰り返し、今度ははっきりとした意志を込めて呟くと、木乃香は嬉しそうに微笑んだ。指先の震えはとうに止まっていた。
「うん」
「ほっほっほ、まぁ、この問題は大丈夫そうじゃの。真治、木乃香を頼むぞい」
その様子を嬉しそうに、心底嬉しそうに見守っていた近右衛門が真治に言うと、真治は言われるまでも無い、と頷いた。そこに入ってきたばかりのような自信なさげな顔は無かった。
「だが、木乃香には一応魔法を習わせてくれないか、じいさん」
「ひょっ!?」
近右衛門を『じいさん』と呼んだこと。これは彼にとって特別な意味を持つ。彼の前世が唯一心から気を許した人物を彼はこう呼んでいた。そして、自分もがそう呼んでもらえることを、近右衛門は祖父として、とても嬉しく思った。
そして、木乃香に魔法を習わせるのも分かる。それに知ってしまった以上、何気に好奇心の強い孫娘から遠ざけておくのは難しいだろう。だが、一応聞いておく。
「こほん……なぜじゃ?」
「なぜって……まぁ、確かに木乃香を関わらせたくないっていうのは分かる。だけど、狙われているのに、狙われているっていう意識すら持たない。持てないっていうのは駄目だ。ありえない」
真治は一瞬、わかってないのか、と訝しげな瞳で近右衛門を見たが、直ぐに自分の考えを聞いている、ということを見抜き、初めから話し出した。
「俺もそれで昔は苦労させられた。守る側だったけどな。狙われている、って意識が無いやつは自分から進んで罠に引っかかりに行ったりするからな」
思い出すのはわがままな藤原の姫だった。狙われているといっているのに大丈夫の一言で済ませてしまい、喜んで結界の外に飛び出していくような姫だった。あれは守り難かった。
「それに、学生の時はいいけど、成人して社会人に出た時はやばい。まさか成人してまでボディーガードを付けるわけにもいかないし、なにより木乃香が嫌がるだろう」
こくこくと頷く木乃香を横目に真治は自分の考えを告げる。
「と、いうわけだ。木乃香ぐらい魔力? があるなら勉強の片手間で修行したって、かなりのところまで行くだろうし、自衛手段は持っとくのに越した事は無い。以上だ」
ふう、と真治はため息をついて話を切り上げた。隣で木乃香がぱちぱちと手を叩いている様子に、思わず頬が緩む。
そんな微笑ましい光景を前に、近右衛門はたらりとこめかみに汗をかいていた。
いくら前世の記憶があるからといい、この洞察力と思考力は脅威である。と、組織の長として考えるのはここまでとする。今目の前にいるのは可愛い孫が二人。片方は知っているとはいえ、裏の顔をあまり見せるものではない。
「ふむ、さすがじゃの。真治。まぁ、真治に任せるにせよ、最初はこちらで護衛をつけさせてもらおうかの。さすがにあれほどの実力はまだあるまい」
「ああ、あれぐらいになるには流石に10年……いや、7,8年はかかりそうだ」
その早くなった2,3年はやはり目標ができたからだろう。真剣な顔で色々と考えている真治を近右衛門は優しく見守った。
主人公土台を固める、の巻きでした。
昼から書き続けていたら、区切りのいいところまで書き終えたので投稿します。
お分かりかと思いますけど、ヒロインは木乃香とあの子です。二人からは……今のところ、増やす予定はありませんが、どうなるか分かりません。
あと、時間が結構飛びます。後一、二回飛ぶ予定です。読みにくい方はすみません。
これにて、大体プロローグは終わりです。次の次あたりに、戦闘を入れたいと思います。