ファンシーなぬいぐるみがたくさんある、部屋の主にしては少し意外な趣味で統一された私室。そこに真治は招かれていた。
「くぅ……うっ」
「あぁ、相変わらずなんて旨い血だ。高貴な身の娘の処女の血が霞んで見える」
エヴァは真治の首筋から口を離すと、恍惚とした表情で、今しがた真治から吸い取った血を舌の上で転がした。
こくっ、と喉を鳴らして飲み込むと今度は右手に、それが終わると左手に、全身から血を少しずつ吸い取っていく。エヴァ曰く、微妙に味が違うのを楽しんでいるらしい。もっとも、一番美味なのが唇だそうだが、それだけは断固拒否した。
肩を抱きしめてうっとりと余韻に浸かっていたエヴァだったが、身の内から湧き上がる何かを堪える様にぶるり、と震えたかと思うと、不意に顔を上げて笑い出した。
「く、くくく。はははははは……戻った、戻ったぞ!」
エヴァの全身からぶわっ、と濁流のように吹き出る魔力。別荘の外だが、真治の血を吸い取った後数十分は別荘内となんら変わらない魔力を発揮できるようになる。
見鬼の才を持つ者の血が異形に好まれた理由の最もたるものがこれだ。その血を一滴でも飲めばものすごい魔力をもたらす。もちろん、血がものすごく美味なのも特徴の一つだ。何故このような事が起きるのか? 見鬼の才を持つ者の血には霊力が宿る。血というものはそれだけで魔法の媒介と成りうる物だ。それに霊力が宿るのだから、ものすごい効果を発揮する。主に魔の者には。
初めてこの現象が起こった時は困った。咄嗟に結界を張る事は出来たが、その効果が切れたときのエヴァの落ち込みようは、見ていられなかった。
魔力が封印されているのはよっぽどストレスが溜まるのだろう、切れるのが分かっていても、エヴァは毎回こうして喜んでいる。
いつもの冷徹な仮面を脱ぎ捨て子供のようにはしゃぐエヴァ。
真治はやりきれない思いで、同じように見守る茶々丸に後を託すと部屋を出た。彼女は泣き顔を見られたくないだろうから。
真治は一人で、無駄に凝った装飾が施された廊下を歩く。やがて目的地にたどり着くと、
こんこん、とノックをして返事を待つ。
「おお、入ってくれ」
中に人が居るとあれなので、失礼します。と一応声をかけて重厚感のあるドアを開く。広い校長室の中で、一人デスクの向こうに座っている祖父を見止めると、歩いて行った。
「何か用か?」
「まずはおめでとう、と言っておこうかの。真治」
主語が抜けた近右衛門の言葉を、真治は正確に汲み取り、眉をひそめた。一応、昨日の内に付き合うことになったのは話したはずだ。
「それは昨日聞いた。で、用件は何だ?」
「少しは赤くなるなりしても良いじゃろうに―――実はの、今度の大停電じゃが、高畑先生が出張で居らんのじゃ」
ぱき、と真治の指が鳴るのを聞いた近右衛門はすぐさま本題を切り出した。
「……正気か? 確か高畑先生の担当は郊外の大橋の方だったはず。それも一人で数kmの範囲をカバーしていたんじゃなかったか? どうやって穴を埋め……そういうことか狸じじぃ」
真治は答えを聞くまでもなく、学園で一番食えないと言われている祖父の意図を理解した。
年に二回の大停電。20時~24時の間は結界が弱まり、麻帆良学園を狙う賊や西の刺客の活動が活発化する。そのためいつもの巡回ではなく、戦えるものは全員出動しての一大防衛戦だった。
そして、近右衛門は真治にあの高畑の代わりを務めろと言っているのだ。
「無論、そのままの範囲というわけではない。他の先生達にも頼むのでな。実際は大橋の周りだけじゃ」
しかし、援護は望めなく、一人で五時間防ぎ切れ、とのことだった。
「まず一つに、真治の力量を周りに知らせるためじゃな。わしの孫であり、婿殿の娘である木乃香と付き合うのじゃから、それなりの力量がないとまたぐちぐちと言ってくる輩が居るかもしれん。だから、高畑君が居らんうちに真治をNo.2として周りに認めさせよう、と思ったんじゃ」
なるほど、と真治は頷いた。前から真治は学園内で近右衛門を除くと、高畑に次ぐ実力の持ち主だと噂されていた。その地位を確固たるものにしよう、というのだ。
実質的な学園No.3になるということがどれほどの期待を背負う事になるのか理解した上で、真治はあっさりと頷いた。
力はエヴァのところでちゃくちゃくとついている。後はもうひとつの権力《ちから》が足りない。麻帆良において権力を持つ、ということは裏の世界で権力を持つのと同義だ。そしてこれは、それを得るチャンスだった。
「いいのかの? 色々と厄介事も付いてくるぞい?」
「守るためだ。気にならないさ」
気負った様子もなく言い切る真治。普通なら分かっているのか、と言いたいところだが受けるやっかみや苦労を全部知って、それでも尚頷いたのだろう。真治とは、そういうやつだった。
近右衛門は、苦労を知って全部背負い込む孫息子に、思わずため息をついた。守るため、力が無い者は虐げられるしかないことを前世で知っているとはいえ、貪欲に力を求めすぎている。誰かに頼ることを知らない真治は、全て一人でやろうとする。そして、なまじ出来てしまうから問題だった。
礼を言って出て行く真治をため息混じりに見送ると、唯一真治を止めることが出来、尚且つ甘えさせられる二人に連絡を取った。
「おお、龍宮君かの? 今、木乃香がそっちにいっておるはずじゃが……おお、刹那君もじゃ。二人に代わってくれんかの?」
「「お帰り、真治」」
「……あ、ああ。ただいま」
真治は、居るはずのない二人に笑顔で出迎えられ、一瞬呆けたが、すぐさま立ち直ると、笑顔を返した。
それに気を良くしたように二人は微笑むと、真治の両方の手を取って歩き出した。
「ちょっと早いけど、お夕飯にしよか」
「私とこのちゃんで腕を振るって作ったんですよ」
刹那が真治を椅子に座らせ、木乃香は次々に料理を持ってくる。二人が献身的に尽くしてくれるので、嬉しくも思うが、どうしてこんな急に、という疑問も沸く。
「そ、その……私たち、こ、恋人になってから、あまり恋人らしいことしてないなぁ、と思って」
「やから、うちらがおじいちゃんに頼んで今日は真治を貸し切ったんや♪」
最後の皿を持ってきた木乃香が、お茶目にvサインをして見せた。
真治は、それなら、と二人の好意に甘えることにした。
木乃香も食卓に着き、三人は手を合わせて食べ始めた。
「「「いただきます」」」
焼き鮭に、味噌汁、銀シャリと言われる炊き立ての白米。それに海山の幸を使った豪華な天ぷら。とても中学一年生が作った料理とは思えない。
「……うまいな」
ご飯が、魚が、いつもと変わらないはずなのに、いつも作ってくれる料理よりもずっと美味しいような気がする。
思わず、といった感じで驚きの声を上げた真治に、木乃香達は顔を見合わせて小さくガッツポーズをした。
「えへへ、何が違うか分かる? 特別な調味料が入っているんやよ?」
「………あー、」
真治は木乃香が願うとおり、ベタな回答をすべきかどうか迷った。
きらきらと目を輝かせてこちらを見てくる木乃香に根負けすると、口を開いた。
「愛情、か?」
「ぶぶー、惜しいけどちょっと違う」
「………」
恥ずかしいのを我慢して言ったのだが、外れたらもっと恥ずかしく、真治は押し黙るしかなかった。
普通の答えを模索し始めた真治に、木乃香に脇をせっつかれて、刹那が答えを言った。
「私と、このちゃんの、あ、溢れんばかりの愛情が入っていますっ!」
「どうぞご堪能あれ♪」
言葉遊びのような回答に、恥ずかしがった俺が損じゃないか、とも思ったが、木乃香がこの上ないほどに楽しそうにしているので、我慢することに。とりあえず、顔を真っ赤にして木乃香を恨めしそうに睨む刹那をがんばったな、と撫でておく。
「あー、うちもうちも」
「人をおちょくった罰だ。おあずけ」
「むー、……いいもん、それなら。自分で行くから」
可愛らしく頬を膨らませた木乃香は、ばっと立ち上がると真治のほうへと近寄った。そして、そのまま真治の胸に飛び込むと、ごろごろと胸に擦り寄った。
箸とご飯を持っていた真治にそれを防ぐすべは無く、慌てて手を挙げて万歳をするしかなかった。
「このちゃん!」
嫉妬、というよりは窘めるように刹那が声を挙げた。基本的に、この二人の間にそういった感情は生まれない。……らしい。かといって、そういう感情が無いわけじゃなく、真治がクラスメートと二人きりで話してたりなんかしたときには、二人並んでじとーっ、と見て来る。
真治が別に言うほどのものじゃないし、なにより世間的にまずい。と言ったので、クラスの皆には何も言っていない。ただ一人、早乙女ハルナが何か物言いたげな顔でこちらを見てくるのが気になるが、まだ付き合い始めて一週間ほどだし、なにより真治はそんなそぶりを教室で見せたことは無い。
しかし、ハルナが、ラブ臭を嗅ぎ取ることの出来る特異体質の持ち主だと知ったらどう思うだろうか。ちなみに、告白の次の日のハルナの思考は―――
(何? このかつて無いラブ臭は。はっ、もしやあの三人!? これは、良い修羅場が見れそう……)
うふふふふーと、一人笑うハルナは不気味であったと言っておこう。
さて、話はずれたが、今も真治の胸の中で至福の表情を浮かべている木乃香。真治は一瞬呆けたが、上げていた手を下ろし、茶碗と箸を置くと、木乃香に手を伸ばした。
「ん……ふふふ」
嬉しそうに、幸せそうに笑う木乃香を見ると、これからすることに少し罪悪感が沸かないでもないが、心を鬼にして実行する。
頭に伸ばした手を少しずらすと、その小ぶりで形の良い耳を引っ張り上げた。
「あ、いたたたたたた。いたいー、真治、痛い」
木乃香がなみだ目に訴えると、ぱっ、と真治は指を離す。
うー、と目尻に涙を溜めて恨めしそうに見上げる木乃香に胸が痛くなる。
ちょっとやりすぎたかな、と手でさすってやりながら真治は口を開いた。
「乱暴して悪かった。でも、はしゃぎすぎだ」
「うー、でもでもぉー」
「駄々こねない」
ぴんっ、と指で額を弾くと、最後に頭を撫でた。
ふぅ、と溜息をついて、喜びたい気持ちと拗ねたい気持ちが入り混じって、顔を面白おかしく変形させている木乃香を促して食卓についた。
とりあえず真治は、木乃香とのやり取りをずっと指を咥えて羨ましそうに見守っていた刹那を食後にたくさん構ってあげようと決めた。
「ど、どうですか? 真治さん」
「ああ、すごく気持ちいい。後、話し方が戻ってるぞ」
「あぅぅ、ごめんなさ……っひゃ」
「あ~、いい感じ」
ぐりぐり、と真治は刹那の羽に顔を沈み込ませる。
今、真治は自室のベットの上で刹那を抱きしめていた。対する刹那は風呂上りのようで、いつもは片方で止めている髪を下ろしている。顔もほんのり赤くなっているが、それは決して風呂上りというだけではないだろう。
そして、刹那の一番いつもと違うところは、自分を抱きしめている真治を包み返すようにその純白の羽で覆っていることだった。
今、刹那は真治の胸に手を添えて、なんとか騒がしい鼓動を聞かれまいと必死に頑張っていた。いつもはクールな真治が自分の体に夢中になってくれている。それが刹那には嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。
そして、どこか卑猥な表現だが、まったくそのとおりであった。
今、木乃香は風呂に入っている。真治を独占できるのもあと三十分ほどだろう。
「あ~、気持ちいい」
ふわふわの羽のあまりの柔らかさに魂が抜け出そうだった。真治と木乃香は、この羽の柔らかさを『至高のもふもふ』と命名している。
ぎゅうぅ、とますます刹那を抱きしめる真治。羞恥心による抵抗を続けていた刹那は、ベットに染み込んでいる真治の匂いと、目の前の真治の温もり。両方に包まれて頭がぼーっ、とし始めていた。
判断力が薄れた刹那は、胸の奥にある、普段羞恥心に隠された素直な欲求に身を委ねた。
真治の胸に添えていた手を離すと、そのまま左手は首に、右手は胴に回すと、力いっぱい抱きついた。
同じように判断力の薄れている真治は、同じように抱きしめ返し、羽から顔を離すと刹那の首筋に顔をうずめた。
くすぐったそうに身をよじる刹那は、それでも真治を抱きしめて離そうとしない。子供が親を求めるように、恋人を狂おしい程の愛に突き動かされて掻き抱くように、飼い主に甘える子猫のように、刹那は真治に引っ付いて離れなかった。
木乃香と一緒にじゃれあうのもいいが、やはりこうして二人っきりで居るのもいい。と二人は思った。
綿菓子を空気に溶かしたかのように甘く、幸せな空間。二人の頭に同時に思い浮かんだ人物がベットに特攻を仕掛けてくるまで後五分。
色々と詰め込んだ第七話でした。
黒耀先生織り成す超・絶、甘々フィールドを参考にさせていただきました。どうでしたか? 自分なりに砂糖吐きながら頑張りました。今回は刹那の出番でした。おそらく次回は木乃香かと。
次は戦闘オンリーになると思います。話の急展開になんじゃこりゃ!? となると思いますが、一応理由はあるので次回の後書きか、二話後の本編で補足したいと思います。真治は基本ワイルドカード。苦戦しつつも、鍵が合えば圧倒的に攻め立てる。こんな展開が大好きなので、若干最強風味になります。ご了承ください。