『……万魔拱服!!』
その幼子にとって夢とは寝物語のようなものだった。夜な夜な現れる化け物を退治する英雄。それはテレビで見るような戦隊ものよりもずっと面白くて、いつも寝るのが楽しみだった。
紙切れや丸い石がたくさん綴られたものを使って怖い鬼を退治していく。
幼心にも、これらの登場人物が自分だと気づくのにそう時間はかからなかった。いつも自分が見ているような視点で物事が進み、その時に相手が何を感じているのかが自分にも伝わってきたからだ。
時に怒り、時に悲しみ、時に喜ぶ。喜怒哀楽を共にその主人公の英雄劇を見ていく。
誰かに話したかった、誰かに自慢したかった。自分はこんなにすごいことをしたんだ。こんな風に戦ったんだ、と。
しかし、そんな誇らしい思いも段々と収まっていく。あるときから見るようになったのは、そんな英雄の姿ではない。大人だった自分は生まれて間もない子供になり、口減らしのために親に捨てられたところから始まる。
暗く濁った世界、信じられない大人、暴力が正義とされる汚い世界。3,4歳の子供が見るにしてはあまりにも重い世界だった。
他人のことになどかまっていられない。今日死ぬか、明日死ぬかわからない世界で必死に足掻く自分。自分たちを蔑んだ目で見る殿上人達を、いつか見返してやる、と一日を生き抜いた。
永遠に終わることのない闇。足掻けば足掻くほど泥沼にはまっていくような気がして、生きる気力が萎えかけていた自分。そこに一筋の光明と共に現れたのは晴明と名乗る一人の翁だった。
助けられた当初は、信じることができなくて、疑って、暴れて、逃げた。
しかし、翁は疑うたびに誠意を示し、暴れるたびに優しく宥め、逃げるたびに暖かい家へと連れ戻した。
そんな生活が一月も続いた頃だろうか。少年はようやく翁を信じることができ、じいさん、じいさんと翁の後をくっついて回るようになった。翁も当然その少年を可愛がった。それこそ目に入れても痛くない、というほどに。
そして、その翁はある日言った。
「陰陽師になって、わしの後を継ぐ気はないか?」
と。
翁を慕い、翁のする仕事に憧れを持っていた少年は一も二も無く頷いた。
それから始まる厳しい修行。もとより強靭な精神を持っていて、類稀な見鬼の才を持っていた少年は、乾いた砂が水を吸収するかのごとく、知識を、技を、数々の術を会得していった。
そうしていつしか少年はこう呼ばれるようになった。
『安倍晴明の唯一の後継』
と。
それが少年にとっては嬉しかった、本当に誇らしかった。そうして、祖父に劣るとも勝るともいわないその実力は、ただちに都中に広まった。
その後、少年が青年になるまでにいろんなことがあった。
やっかみ、内裏の中で渦巻く陰謀、親友と呼べる男との出会い。そして、祖父の死。
稀代の大陰陽師『安倍晴明』の葬儀は国を挙げて行われた。
祖父の死をきっかけに、どこか少年らしい甘えは祖父の死と共に消え去り、少年は青年になった。女を知ったのも、ちょうどこの頃だった。
青年の女に対する扱いはひどかった。晴明の後継の名に惹かれ、寄ってくる女に対しての愛情は一欠片も無く、ただ性欲を処理するだけの対象としか見ていなかった。
相手も毎回変わり、未練は塵ほども感じない。中で見ている幼子には、まだ愛とかは分からなかったし、具体的には何をしているのかなんてほとんど分からなかったが、自分が酷いことをしているというのはよく分かった。
長い夢は終わった。すべてを見終えた時、幼子だった彼は物語の初めの、少年ほどの年になっていた。
彼自身は青年のような不幸なことも無く、唯平穏無事な毎日を送っていた。嫌がる両親に、夢を幾度と無く語って聞かせ、夢を楽しみにして寝る。最早最初の頃のような色眼鏡を通して見ることは無くなったが、それでもこれは自分が辿った人生の道筋だから、と子供らしくない考えで見続けた。
それと平行して修行をやったりもした。修行法や霊力の使い方は十分に理解している。後は実践だけだった。幸い、自分にもあの青年をも凌駕するほどの才能があったようだ。この調子ならば十年もすれば青年に追いつくだろう、と修行を続けた。彼はこのとき4歳だった。
しかし、それを見た両親はどう思ったか。子供らしい純粋さと、時折見せる子供らしくない鋭利な表情。背反する二つの顔を持ち、そして、毎日のように理解できない言葉をつぶやき続ける。それらは確実に両親と彼の距離を遠ざけていった。
彼がその距離に気づいたときにはもう遅かった。両親は遠く離れた手の届かないところにいってしまい、彼は見知らぬ土地に一人取り残された。
自分が異常だということは薄々感じ取っていた。両親が自分を変な目で見ていることも。だから、置いていかれたときもこんなものか、と醒めた気持ちだった。
身寄りの無い彼を、引き取ろうと何人かが立候補しようとしたが、実際会ってみて彼の異質さに気づいた者は皆辞退していった。
そして、いまだに夢に出てくる翁。それにどこか似た雰囲気を持つ老人と、近い未来、彼を変える少女と出会ったのは、そんな時だった。
『ほっほ、君が長原 真治君かね? わしは近右衛門じゃよ』
『このえもん?』
『そうじゃ。わしと一緒に来る気は無いかね? いまなら可愛い孫娘もセットじゃよ』
『……いらないし、いかない』
青年の女性に対する扱いをみて、彼は女の子が少し苦手になっていた。実際には苦手というよりはどうやって接したらいいか分からない、といった様子だが。
それに目ざとく気づいた老人は、控え室で待っているであろう孫娘を呼んだ。
『なんや? おじいちゃん』
『このかや、わしは少し用があるので三十分ほどこの子と話していてはくれんかの?』
『なんや、そんなことやったら別にええよ。おじいちゃん』
『そかそか。すまんのう、急に行くところを思い出しての。この子は木乃香、君と同い年じゃよ。ではの、頼んだぞ木乃香』
『うん、任せとき、おじいちゃん……さて、なに話そか』
『…………』
『どしたん? お腹でも痛いん?』
『いや……』
『そか。なら、えーと。そうや! まずは自己紹介や』
『自己紹介?』
『そ。うちは木乃香。近衛 木乃香。6歳やで』
『……長原 真治。6歳』
『真治くん……あ、おじいちゃんがいってたとおりや。同い年なんやなー』
『ああ』
彼――真治の名前を確認するように呟いた木乃香は、ほにゃっ、と柔らかい笑みを見せた。
『真治くん、うちに来うへん? うち、真治君ともっとしゃべりたいわ』
『……それは』
『あっ、今迷おたやろ。そうしよって。……それとも、真治くんは、嫌?』
『うっ……いや、そんなことは、ない』
上目遣いで恐る恐る確認してくる木乃香に、真治は言葉を詰まらせた。
『えへへー。なら決まりやなー。よろしく、真治くん』
にこにこと嬉しそうな笑顔で進める木乃香に、真治は肩を落とした。
と、そこで見計らったかのようなタイミングで近右衛門が戻ってきた。
『ほっほ、遅くなってすまんの。それで、答えは出たかの?』
『……条件がひとつあります』
『ほ? なにかの?』
『俺の話しを聞いて、それでも引き取ってくれるというのなら、その、喜んで』
真治がちらりと木乃香のことを見たのを近右衛門は見逃さなかった。
『そうか。わかった。話してみるといいじゃろ。それでお主の気が晴れるなら』
『……では―――』
その日から、真治の後見人の名前の欄に、近衛 近右衛門の名前が載るようになった。
基本的にサブタイトルは付けずにいこうと思います。
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