最近のシルバのパーティーは、{朝務亭/あさむてい}という食堂が集合場所となっていた。
朝食のトマトジュースを飲み終えたカナリーが、真っ先に立ち上がる。後ろに控えていた赤と青のドレスを纏った美女、ヴァーミィとセルシアが彼の両隣に自然に侍る。
「シルバ、行こう」
香茶を飲み干したシルバがそれに続く。
二人はこの日、学習院に行く用事があったのだ。
「ああ。みんなもしっかりな」
二人を見送ったキキョウ、ヒイロ、タイランは顔を見合わせた。
「……さて」
「さてさて♪」
「……い、いいんでしょうか」
一人、タイランだけは何だか後ろめたそうだったが、キキョウはそちらに鋭い視線を向ける。
「何を言う、タイラン。お主は気にならんか、あの二人が」
「そうだよ、タイラン! あの二人が学習院でどんな事をしているか。これは是非とも調べなきゃ!」
勢いに同調するヒイロに、タイランはそれでもおずおずと、提案してみる事にした。
「あのー、そ、それなら直接本人に聞けばいいんじゃ……その、ないでしょうか? わざわざ尾行なんて……」
「分かってないね、タイラン」
ふ……とヒイロは笑って断言する。
「それじゃ面白くないじゃないか!」
「そんな、目を戦闘色に頬を赤らめながら光らせてまで主張しなくても!?」
コホン、とキキョウは咳払いをする。
「そ、某的にはそれでもよいのだが、こう、タイミング的になかなか聞けなくてな……」「とゆー訳で、尾行なんだよ。おっとそろそろ行かないと、見失うよ二人とも」
今にも飛び出しそうな勢いで、ヒイロがキキョウ達を急かす。
「う、うむ、そうだな」
「……うう、最悪、私がヒイロの暴走を止める事になりそうです」
三人も立ち上がり、シルバ達を追いかける始めた。
それから十分後のアーミゼスト学習院、一般教棟廊下。
深々と、シルバは溜め息をついた。
「というか、あっさりバレる訳だが。タイラン、お前まで何やってんだ」
「す、すみません……」
大きな肩身を狭めるタイランだった。
「大体、ヒイロはともかくお前の身体で尾行は無理だろ、常識で考えて。まあ、それでも……」
シルバは振り返った。
そこでは、十数人の女学生に囲まれたキキョウが悲鳴を上げていた。
「シ、シルバ殿! たすっ、助けてくれ! いや、某は入学希望ではなくて、いや! 案内ならば間にあっているのだ!」
何か、女の子の頭上から、手首より先しか見えない。
「……キキョウはもう少し、スマートなあしらい方を覚えるべきだな」
冷静にカナリーが批評する。
「同感」
今回に関しては、特に同情もしないシルバだった。
「そもそも、これまでどうして来たんだ、アイツは」
素朴なカナリーの疑問に、シルバは答えた。
「基本、これまで夜の酒場の用心棒だったからな。昼間はあまり出歩かないんだよ。その度にこれだし、確かにもうちょっと慣れるべきだよな」
「なるほど」
「あれ?」
ふと思い出し、シルバは周囲を見渡した。
「ど、どうかしましたか?」
タイランの問いに、むしろシルバが尋ねたかった。
「ヒイロは?」
「……あれ?」
少し悩み、全員が同じ結論に達した。
シルバ達が学生食堂に入ると、てんこ盛りの料理を前にしたヒイロがぶんぶんと手を振った。
「やっほ、みんな。久しぶりー」
「案の定、ここだったか」
カナリーが首を振る。
「……久しぶりも何も、ついさっき食堂で別れたばかりだろうが。というかお前の胃袋は一体どうなってやがるんだ」
朝っぱらからハンバーグステーキなんて注文するヒイロに、シルバは呆れるしかない。
「お肉は別腹」
「朝食も肉だっただろうが!?」
ヒイロがあっさり料理を平らげ、五人は廊下を歩く。
学習院の一階通路は右が吹き抜け、左が教室となっている。
やたら目立つ集団の為、すれ違う人達は例外なく振り返っていた。
……が、今更そんな事を気にしてもしょうがない。
「つーか見学したいんなら、最初からそう言えばよかったのに」
「まったくだな。それじゃ僕はこの辺で」
カナリーは一人、廊下を曲がっていった。
「おー、しっかりな」
「シルバもね」
手を振って別れ、シルバはそのまま真っ直ぐ進む。
「カナリーとは別行動なのか」
代わりに並んで歩き始めたキキョウの問いに、シルバは頷いた。
「ああ、学ぶ講義が違うからな。そもそも、そんなに接点があったら、初対面の時にあんなにこじれやしなかっただろ?」
「まあ、それは確かに……」
キキョウも、カナリーとの邂逅を思い出す。
出会いと言うよりは、遭遇戦と呼ぶのがふさわしい記憶だった。
「学習院は相当に広いし、まったく接点のない奴がいる。カナリーは攻撃系の魔法を中心に習得だし、俺は補助系だしな」
「先輩先輩! 運動もするの!?」
ヒイロが目を輝かせながら、グラウンドを指差した。
広大なグラウンドのあちこちで、柔軟体操やジョギングをしている生徒達の姿が見て取れた。
「そりゃするさ。詠唱はつまり声の発生。戦士ほどじゃなくても、それなりの体力は必要になってくる……って、もう行っちまったか」
シルバの説明を聞くより早く、ヒイロはグラウンドに飛び出していってしまった。元々勉強より身体を動かす方が好きなヒイロだ。大人しくしている方が無理というモノだろう。
「ど、どうしましょう……私、ヒイロを見ていた方がいいんでしょうか……?」
心配そうにするタイランに、シルバはヒラヒラと手を振った。
「あー、大丈夫だと思う。余所のギルドならちょっとやばいかもしれないけど、ここは魔法使いギルドだ」
「……は? え、ええ、そうですけど……」
「つまり……」
シルバは仏頂面で、小さくなっていくヒイロを指差した。
いつの間にかヒイロは白衣を着た三人の眼鏡老人に囲まれていた。
「おおっ、鬼じゃ鬼じゃ珍しいのう」
眼鏡をキランと輝かせながら、遠慮無くヒイロの頭の先から足先まで眺める。
「え? な、何お爺ちゃん達……」
「鬼と言えば、魔法抵抗の極端な低さが特徴だったはずじゃ。どれ、いっちょ調べさせてくれんか」
「や、え、ちょ、ちょっと待って!? なあっ、痴漢ーっ!?」
戸惑うヒイロに構わず、別の老人が滑らかな二の腕を撫で上げる。
「おーおー、この骨剣も随分な年代物じゃなぁ。ちょいと調べさせてくれんかの」
また別の老人が、ヒイロの愛剣をベタベタと触れ回っていた。
学習院の古老、シッフル三兄弟である。
研究者としては、相当に高い位置にいるが、むしろ揃って奇行の方が目立つ三人であった。
「せ、先輩ーーーーーーっ!!」
手荒に扱う訳にもいかず、ヒイロは先刻のキキョウに似た悲鳴を上げた。
遠くのヒイロに、シルバが大声を掛けた。
「ま、基本的にあの爺様らに害はないから、大丈夫だろ。ヒイロ、しばらく遊んでてもらえー!」
「えぇーっ!?」
泣きそうな返事が返ってきた。
「い、いいんでしょうか……」
タイランはまだ不安だったが、シルバは特に危機感を持っていないようだ。
「こ、ここは、シルバ殿の言葉を信じよう……ここでは、シルバ殿の経験の方が長い」
「で、ですね……」
いよいよヒイロが老人達の包囲から脱し、猛ダッシュで逃走を開始した。
「子供も、結構いるんですね……」
その子供達は、ガションガションと足音を鳴らすタイランを見上げると、ポカンと口を開けるか目を輝かせるかのリアクションしかない。
「何か聞いた話だと、この都市の初代市長の要望らしい。この辺は一般学問の校舎で、金さえ払えば、誰だって学べるんだって」
歩みを止めないまま、シルバが言う。
「この辺は、某も馴染みがある。しばらく通っていたのでな」
「そうなんですか……?」
キキョウが学習院に出入りしていた事は、タイランにとって意外だった。
「極東のジェントの方とこっちじゃ、全然言葉が違うからな。言葉や読み書きを習うまで、結構苦労してるんだ」
「左様。右も左も分からぬ某を導いてくれたのが、シルバ殿であったのだ」
「へえ……シルバさん、ジェント語分かるんですね」
それもまた、意外だった。
「タイラン」
ふと、シルバはタイランを見上げた。
「は、はい……?」
シルバは自分のこめかみに指を当てた。
「精神共有」
「あ」
言われて、タイランは納得した。
「……なるほど」
「言葉は分からなくても意志は伝わるからな。種族によってはモンスターでも意思疎通出来るんだから、余所の国の言葉ぐらい何とかなる」
「も、ものすごく便利なんですね」
「ああ。ただ、習得するのにえらい修業の時間が掛かるから、ほとんど取る人がいないのが難点なんだけど」
ホント、便利なんだけどなぁとシルバはぼやいた。
「シルバ殿、ずいぶんとのんびりしておられるが講義はよいのか?」
特に慌てる様子もないシルバに、逆にキキョウが心配になってきているようだった。
「ああ、今日は、講義は午後から。研究室の方に用事があるんだよ」
「研究室?」
シルバはタイランでも楽々入れそうな大きな扉の前で足を止めた。
そしてその扉をノックをする。タイランはキキョウと一緒に扉の横にある金属プレートを確認すると、そこにはストア・カプリスという名前が刻まれていた。おそらくそれが、この部屋の主の名前なのだろう。
「つまり、俺の魔法の師匠。……返事がない」
「留守か?」
しかしその問いに答えず、シルバは頭を掻いた。
「教会の方か?」
「え……?」
眉を寄せたまま、シルバはノブに手を掛けた。
「って、鍵開いてるし。不用心な」
あっさり回ったノブを引き、重い扉を開いた。
本来は相当に広いと思われる部屋の中は、雑然と積み重ねられた書物で満たされていた。
「おぉ……」
黴臭い臭いよりも、むしろその量にキキョウは圧倒された。
「……す、すごいお部屋ですね」
タイランも、ため息を漏らす。
「普通普通」
平然と言いながら、書物と書物の間に出来た通路を進むシルバ。
キキョウは、タイランを見上げた。
「……普通か?」
「い、いえ……違うと思いますけど……」
聞こえていなかったのか、シルバは振り返ってタイランを指差した。
「タイラン気をつけろよ。どっかぶつかると、キキョウが生き埋めになる」
確かに、タイランの体格では書物の通路はギリギリの幅のようだ。
「は、入るの、やめましょうか私……」
「は、入るなとは言われていないし、大丈夫だろう。気をつけさせすれば……」
おっかなびっくり、二人も部屋の奥に進む。
どうやら通路の先は応接間となっているらしく、ソファやテーブルがあった。
そしてそのソファに、真っ白い法衣の人物がこちらに背を向けて寝そべっていた。
「あー、やっぱりいたいた。ったく、研究室で寝ないで下さい、先生」
しょうがない、という風にシルバがその人物を揺り起こす。
「あ……おはようございます、ロッ君」
長い白髪を掻きながら、彼女は身体を起こした。
「おはようございます。もうほとんど昼ですけど」
かなりぞんざいに、シルバは挨拶した。
そしてキキョウは衝撃を受けていた。
「……女性っ!?」
髪も白なら法衣も白。強いて言えば目は金色だが、やはりイメージは白ずくめな女性だ。二十代半ばぐらいだろうか、おっとりした感じの美人だった。亜人の血を引いているらしく、耳が長く伸びているのと、山羊のような丸い角、先端が槍のような細い尻尾まで白かった。
彼女が、ネームプレートにあったストア・カプリスなのだろう。
「ふわぁ……あら、お客様ですか……? おはようございます」
ややずれた挨拶をするストアだった。
「ウチのパーティーの面子で、学習院の見学です。いいからさっさと着替えて顔洗って下さい。こっちは勝手にやってます。食堂の場所は覚えてますね?」
「ええ」
頷き、ストアはいきなり法衣をたくし上げた。真っ白い腹部と下着に包まれた下乳が露わになる。
「って、ここで脱ぐなーっ!?」
すかさずシルバが顔を赤らめ突っ込んだ。
「ですけど、ロッ君、着替えろって」
「更衣室!」
ビシッと部屋の外を指差す。
「あら……そういえば、そんなモノもありましたね。それじゃ、しばらくよろしくお願いします」
「……頼むから、男子用と間違えないで下さいよ?」
「ちょっと自信ないですね、それ……」
「あと、仮にも女性一人で居残り研究なら、せめて戸締まりぐらいする!」
「盗まれる金目のモノなんて、ここにはありませんよ?」
「台詞の前半聞いてました!?」
相当、呑気な人物らしい。
ふと、ストアはいい事を思い出したと言った表情で、両手を合わせた。
「あ、ご飯ですけど机の上に、夜食の残りが」
「いいから食ってこーいっ!!」
ほとんど追い出すような勢いで、シルバは叫んだ。
「はぁい。それでは、しばらくお待ち下さい」
おっとりと言い、ストアは二人の脇をすり抜けていった。
息を整え、シルバが振り返る。
「……すまん、あんな先生で」
「い、いや、というか、シルバ殿のツッコミが激しすぎて、どこから驚いていいやら……」
「そ、そうですね……」
シルバの、意外な一面を見たような気がする、二人だった。
「まあ、先生が戻ってくるまでしばらく時間もある事だし、ちょっとヒイロを回収しとくか」
ちなみにヒイロは、食堂でその食いっぷりと消化具合をシッフル爺達に観察されていた。
「先輩のはくじょうもの! れいけつかん! あっきらせつ!」
連れ戻したヒイロは、スゴイ勢いでシルバを糾弾した。
しかし、慣れない単語があまりに舌っ足らずなので、まるで迫力に欠けていた。
「お前知ってる単語、とりあえず言ってるだけだろ」
「ぬうー、怖かったんだから!」
頬を膨らませる。
なお、キキョウとタイランは暇をもてあましたのか、シルバが許可を出した範囲の書物を適当にめくっていた。
「食堂でめっちゃ食ってたじゃねーか、お前……」
しかも、手には購買パンの袋までお土産に持っていた。
「あれはお爺ちゃん達が、鬼の胃袋の研究したいって言うから、協力して上げてただけ!」
「と言う名目で、食い放題だったとさ」
などと遊んでいると、換気の為空きっぱなしにしていた部屋の扉を誰かがノックした。
「シルバ、いるかい?」
顔を覗かせたのは、金髪の美青年、カナリーだった。
「あれ、カナリー。どうした?」
「敷地内で迷子になってたお前の所の先生連れてきた」
部屋に入ってきたカナリーと従者である赤青美女の後ろから、にこやかな表情のストアが付いてきた。
「…………」
シルバは、白い目を師匠に向けた。
「お手間を取らせました」
ストアは、カナリーに頭を下げる。
「いえ。しかし、カプリス先生も、この学習院に来てそれなりになると聞きますが……まだ、迷いますか」
「角が三つ以上ある道は、苦手なんです」
「……最悪、スタート地点に戻りますね」
「よくやります」
頭の悪い会話に、頭痛を堪えるシルバだった。
「すまん、カナリー。こんな先生で」
「気にするな。しかし、正直危ない所だったぞ。校内放送で君、迎えの要請をされる所だったし」
「せーんーせーいーっ!?」
シルバは危うく、師匠の胸ぐらを掴みそうになった。
しかし、ストアは相も変わらず呑気な笑顔のままだった。
「まあ、万事オッケーだったからいいじゃないですか。どうも、お待たせしました。ロッ君のお友達……あら、一人増えました?」
ヒイロの存在に気付き、目を瞬かせる。
「増えました!」
ヒイロも、元気に手を上げる。
「まあ、いいお返事ですね。それで……ロッ君の彼女はどなたですか?」
何気ないストアの発言に、部屋の空気が凍った。
沈黙が支配する部屋で、まず動いたのはシルバだった。
ストアの長い両耳をつまみ、左右に引き延ばす。
「ロッ君、痛いです」
「先生、ここにいるのは全員男ですよね?」
シルバは、静かな口調でストアに問うた。
「私、女ですよ?」
「先生はカウントされてません」
「……ロッ君、私だけ仲間はずれにするんですね? 私、悲しいです」
目を伏せるストア。
「盛大に話が脱線してるから話戻すけど、空気読め」
「では、そういう事で」
ようやく、部屋の空気が弛緩する。
さっきのストアの発言は、全員が忘れる事にした。
「でもこれだけ綺麗どころだとあれですね」
「何ですか」
上司の言葉に、また変な事を言わなきゃいいけどと危惧を抱きながら、シルバは聞いてみた。
「私、お婿さん欲しいかもしれません。どうでしょう、そこの鎧の方」
ストアが見上げたのは、タイランだった。
「って、よりにもよってタイランかよ!?」
「わ、わわ、私ですか……?」
本人も意外だったのか、慌て始める。
「ロッ君、人を外見で判断しちゃ駄目ですよ。大切なのは中身です」
「立派な台詞ですけど、会ってからこれまでコイツと一度もまともに話してませんでしたよね、先生!?」
漫才のような二人のやり取りに、パーティーのメンバーはとても入って行けそうになかった。
「な、何かスゴイ先生だね……」
普段人懐っこいヒイロですら、これである。
「うん……シルバから話には聞いてたけど、聞きしに勝る大ボケぶりだ」
腕を組んだまま、シルバとストアの掛け合いを眺めるカナリー。
「カナリーは戻らないの?」
「面白そうだから、もうちょっといよう。新しい知識は勉強のいい刺激になるからね」
改めて、それぞれの自己紹介を終え、上座の椅子にストア、左右のソファにシルバ達が腰掛ける。カナリーの従者達は、壁沿いに控えていた。
「先程は、失礼しました」
ほんわかとした口調で、ストアは頭を小さく下げた。
「しかし、想像していたのと少し違うな……某はてっきり一般の講義と同じように、大きな教室で学ぶモノかと思っていたが」
キキョウが部屋を見回す。
確かに部屋自体は大きいが、講義用という感じではない。
「いえいえ、もちろんそういう講義が主ですよ。実技の大半は、体育館で行われますし。ロッ君の勉強の大半は、補助系の魔法ですよね。ただ、こうした研究室は、それとは別に専門的な魔法の理論を学ぶ所なんです」
「つまり、あまり冒険に役立つ魔法じゃないって事さ」
ストアの答えに、カナリーが肩を竦めながら補足する。
「実践的な魔法の習得でないとは、シルバ殿にしては珍しいな」
これもちょっと意外に思う、キキョウだった。
「無趣味なロッ君にも趣味は必要ですから」
「いや先生、自分の学問を趣味とか言わない!?」
「楽しんで学ぶのが、学力向上のコツですよ。実際、半分は道楽みたいなモノですけどね」
のんびりしたストアの言い分に、シルバは天を仰いだ。
「下手すりゃ自分の命に関わるかも知れない勉強を、道楽とか言うなよー……ったくもー」
あまりに小さいボヤキだった為、シルバのその声は誰にも聞こえなかった。
「そもそもシルバ殿は、どういう研究を学んでいるのですか」
キキョウが好奇心のまま聞いてみた。
ストアはにこにこと微笑んだまま、答える。
「そうですねえ。いわゆるエネルギーに関する内容ですね。今、この世界では主に魔力が大きな力として利用されていますして……あら、ハーベスタさん、興味がおありですか?」
笑顔を、タイランに向ける。
「い、いえ、そういう訳では……」
それまで微動だにしていなかった、タイランが慌てて首を振った。
しかしストアはそれには構わず、ふと首を傾げた。
「そういえば、精霊機関の第一人者、コラン・ハーベスタ氏と同じ名字ですけど、親類だったりします?」
「そ、そそ、そんな事は、ありません」
「ですよね。私の気のせいです。以前一度お会いしましたけど、天涯孤独と聞きましたし。……あら? いえ、娘のようなモノがいるとか、聞いたような……すみません。忘れて下さい」
「いえ……」
一瞬身を乗り出しかけたタイランだったが、結局、ソファに腰掛け直した。
ストアは、軽く掌を合わせる。
「お話を戻しますと、つまりその魔力の代替となるエネルギーの研究です。魔力を利用した動力では、パル帝国の魔高炉工業地帯が有名ですよね。あんな感じです」
「パル帝国の魔高炉……そのイメージですと、あそこの機械重装兵のような軍事利用もされる訳ですね」
パル帝国は、大陸の北にある強大な軍事大国だ。兵器の開発ではどの国よりも進み、魔王討伐軍には絶魔コーティングを施された機械兵、黒色重装兵団を派遣させている。
なお、タイランの甲冑もカラーリングこそ違えど、そのパル帝国の重装鎧である。
そのキキョウの懸念を、ストアは否定しない。
「はい、その将来性ももちろんあります。けれど、力をどう使うかは人次第ですよね。件の魔高炉を例に取るなら、それこそ軍隊に使われ、一方では医療にも利用されています。ですけどそもそも、私の研究はおそらくこの学習院、いえ、各国の中でも群を抜いて可能性の低いモノですから、ほとんど杞憂に終わると思いますけどね」
後半は、少し困ったように眉を下げるストアだった。
ふむ、とキキョウは知的好奇心を刺激される。
「それは、具体的に聞いてもいいモノなのですか?」
んー、を難しい顔で唸ったのは、シルバだった。
「聞いても理解出来るかどうか。いや、キキョウの知性の問題じゃなくて、何つーか……」
「宗教的な概念だからな」
一応ストアの研究を知っているカナリーが、言葉を引き継いだ。
「そう、それ」
「宗教的、とは?」
再び、ストアの話が再開される。
「もうちょっとだけ、話が逸れますけど、今言った通り、私達は魔力以外のエネルギーの研究を進めています。ホルスティンさんが所属する研究室は確か、生命力でしたよね」
カナリーは力強く頷いた。
「突き詰めるならば、魂です。あらゆる生命の源であり、とてつもないエネルギーの奔流。これを探求し、利用出来るようならホルスティン家はより大きな力を付ける事が出来ますから」
それを習うのは、彼が不死族である吸血鬼の一族である事も理由の一つだ。生命力に関してなら、他の種族よりも相当に長けている。
また、他のエネルギーとして、とストアが言う。
「今の所、一番現実的なモノとして、精霊機関が挙げられます。名前の通り、精霊の力を用いた動力ですね。ただ実用化の大きな問題として、精霊の安定化が懸念されている訳ですが」
「余所の研究に詳しいですね、先生」
「これでも、学者ですから」
カナリーのツッコミに、ストアはにこにこと応じた。
「……こうして仕事の話をしていると、騙されるんだよなぁ、みんな」
ボソリと呟くシルバだった。
「生活なんて、衣食住が満たされれば、大きな不満なんて起こりませんよ?」
「それにしても先生は、ズボラ過ぎますから!」
「話を戻しますね。もう一つの候補はスターフォース。すなわち星の力です。この星自体が生成するエネルギーの利用ですが、こちらは数年前、抽出されたばかりの新しいエネルギーですね。気体でも液体でも固体でもない、何だか幽霊のような物質だとか」
「……先生、そろそろついて行けなくなってるぞ」
ヒイロはとっくにタイランにもたれかかりながら、眠っていた。
「あらあら、つい熱心になってしまいましたね。どうしましょう。この辺で終わりますか?」
「いやいや、先生。まだここの話を聞いていません」
慌ててキキョウが手を振った。
実際、ここでどういう研究をしているのか見えていない。
「どうしましょう、ロッ君」
今更、話していいのかシルバに尋ねるストアだった。
「いざとなったら、嘘の研究をでっち上げて語りますけど」
「いや、本人達を前にそれ言っちゃ駄目でしょ!? それに、カナリーは知ってますし! 付いてこれるかどうかはともかく、ゴドー聖教の信者はいないから、大丈夫です!」
何だか不穏な発言に、キキョウとタイランは顔を見合わせた。一方、カナリーは平然と、茶を啜っている。
「分かりました。なら、お話ししますね」
ストアは一拍おいて、言った。
「私達の研究は宇宙の意思と呼ばれるモノです」
「……はい?」
キキョウの目が点になる。
「つまりですね、この宇宙はそもそも誰かの意思ではないかという思想がありまして。その意思の制御、そうでなくても何らかの接触が試みられれば、無限の可能性があるのではないかという、そういう研究な訳です。私やナツメさん、いやこの世界そのモノがすべて、その意思によって生じているならば、それを制するという事は万能の力を手に入れられるという事と同意義なんです。もし魔力が枯れても、これが実用化されれば魔力の復活も可能でしょうし、そもそも万能の力ですからこれまで以上に便利な世界となるでしょう」
キキョウは、ストアの台詞を反芻し、何とか理解しようとする。
そして、つまり宇宙の意思という名の万能の力を追求している、と解釈した。それも、いつか魔力の絶えた世界になる事を前提として話をしている。
「先生の発言はとてつもなく似非宗教家っぽい台詞だが、ようするにそういう研究だ」
「いや、しかし……んん? 確か、世界の意思というのはゴドー聖教における、確か神の力……だったのではないか?」
ハンパな知識に、キキョウは首を傾げる。
この世界を見守る神こそゴドーであり、彼は常にこの世界を見守っている。彼に祈りを捧げる事により、神の奇跡とも言われる祝福の術が使えるようになる……はずだ。
しかし、ストアの言い分は違うらしい。
「ここの研究では、主神ゴドーもまた、世界の意思の一端、という捉え方をしています。矛盾するようですが、『世界の意思』自体に己の意志はないのです。ただあるだけ。ゴドーの奇跡はすなわち、祈りによりその意志が自分を神と『勘違い』する事によって、この世界にリアクションが訪れるのではと解釈しています」
「待て! ちょっと待ってくれ、先生。それは、その研究は、とてつもなく不遜というか……ゴドー聖教そのモノに喧嘩を売っているのでは、ないか?」
さすがにキキョウは焦った。
自分はゴドーの信者ではないが、要するにこの人は「お前達の信じている神なんて、単なる勘違いだぞ」と言っているのだ。
それも、何故か司祭であるシルバも、それを否定していない。
キキョウの混乱を余所に、ストアは笑顔を崩さず更にぶちまける。
「いえ、ゴドー聖教に限らず、この世界の神様すべてに喧嘩を売っていますね」
「シ、シルバ殿……!? だ、大丈夫なのか!? もし、こんな研究をしている事が教会にバレたら、破門は必至ではないのか!?」
若干震える指でストアを指差しながら、キキョウはシルバを見た。
「いや……その心配はないというか……」
シルバは、何故かキキョウから目を逸らした。
「大丈夫ですよ」
代わりにストアが答える。
「何故!?」
ストアは懐から、首飾りを取り出した。
「私、ゴドー聖教の司教も兼任してますから。ほら、これが聖印です」
「なーーーーーっ!?」
キキョウは絶叫した。
「ど、どど、どういう事ですか、先生!?」
「ですから、最悪の可能性に備えての研究ですよ」
「魔力が、なくなるという、アレですか」
「はい。それに学会では笑われるんですけど、不思議と何故、なくならないのかを完全に説明できる人はいないんですよね。そして精霊機関やスターフォースの研究は進んでますけど、可能性は多い方がいいじゃないですか」
「相当に荒唐無稽ですけどね……」
弟子であるシルバが自嘲するが、構わずストアは言葉を続けた。
「でも、誰かがやっておいた方がいい仕事です。おそらくは、徒労に終わります。それでも、可能性のことごとくが叩きつぶされてどうしようもなくなった時、もしかしたらこの研究が役に立つかもしれません。冒険者の皆さん的なイメージで言えばそうですね。もしこれが実になれば、全滅寸前だったパーティーが完全復活し、かつ味方の力を限界まで強化し、敵を極限まで弱体化させるチートな魔法な訳ですよ。使用対象は世界。ただし、習得はおそらく不可能で、それもおそらく絶望的状況でやっと間に合うような代物ですけどね」
「ああ、それは……そこは本当にシルバ殿らしい……」
変な所で納得してしまう、キキョウだった。
代わりに尋ねたのは、それまで沈黙していたタイランだ。
「で、でも、さっきキキョウさんがおっしゃってた通り、本当に大丈夫なんですか? いくら司教様とはいえ、教会が黙っていないんじゃ……その、ないでしょうか……」
その心配は、もっともだ。
そんな神がいないのではなどという研究を、教会が許すはずがない。
「はい。ですから私達の研究は教会では、そんな宇宙の意思なんてモノがない事を証明する、という事になっています」
「無い事を証明する……そ、それって……」
「……悪魔の証明では?」
洒落が利いているでしょう、とストアはニコッと笑った。
シルバとカナリーは新たな魔法の習得の為学習院に残り、三人は外に出た。
昼食も学食で取って、今は昼下がり。
大通りを歩きながら、キキョウは研究室での話を思い返す。
あまりにもデタラメな話だったが、あのストア・カプリスという白い女性は、この世界が魔力が絶えるという意味で、滅びる事を不思議と確信しているように感じられた。
キキョウの直感だ。
一応、最後にそれも聞いてみた。
「今、話しても、絶対信じませんよ。証拠と根拠は……ちょっと出せたモノじゃありませんし、教皇猊下ですら一笑に付すような与太ですから」
ですから、と付け加え。
「いずれ、その時が来た時に、また」
そう、ストアはたおやかに微笑みながら、言ったのだった。
それに関してはシルバも師匠と同意見らしく、沈黙を守った。話してくれないのは残念だったが、シルバが黙っているのならそうする理由があるのだろう、とキキョウは信じる事にした。
「……ひとまず、シルバ殿がとても難解な学問を学んでいる事だけはよく分かった」
「うんうん、全然理解出来なかったけどね」
「私はその……半分程度なら、何とか……」
半分も理解したというタイランを、キキョウとヒイロは、ちょっと尊敬の目で見た。
「そういえばタイランは、ヤケに気に入られていたな。いっそ魔法戦士を目指してみるか」
「い、いえ、私はその……使えませんから」
「あー。その鎧じゃしょうがないよねー」
絶魔コーティングされた鎧の装着者は、魔法攻撃に絶対の防御力を誇るが、同時に自身も魔法を使えなくなってしまうのだ。
「それにしても……」
単に、シルバとカナリーの様子を探ろうと追ったのが、とんだ深い話になってしまった。
それと同時に、癇癪を起こすシルバを相手にあらあらと微笑み続ける白い貴婦人がキキョウの脳裏から離れない。
「……ううむ、別の心配が出来てしまった」
ふぅ……、と重い溜め息をつくキキョウであった。
※あとがき。
プロット時点では、キキョウらが学習院で何か色々遊ぶっていうへろっと短い話だったのが、何でこんな事に。
設定厨全開っぽい話になってすみません。書ききれるかどうかすら怪しい癖に。
長々と書きましたが、要するに、
・この世界は魔法使ってるけどなくなるかもしれないよ
・何故か先生は知ってるっぽいし、シルバもなんかそれに備えてる
・魔力以外のエネルギーは精霊さんとプラズマっぽい星のパワーとライフエナジー。そしてシルバはいざって時の第四ルート
そういう話です。本来は本文で理解してもらうのが正道なのですが、作者の力量不足で伝え切れてない可能性もあるので念のため。
せっかく書いたので、投下しときます。結局月曜から始める分のプロット進んでないし。(汗
あと、ちょろちょろと伏線張りました。特にタイラン。
この作者が書きたいのは、要するに中盤の先生との容赦ないやり取りです。これはこれでシルバの性格の一面です。
ちなみに先生は、パーティーには含まれません。男装じゃないですから。
以上、長々とした言い訳終わりです。
ではまた。