ウェスレフト峡谷は、さながら茶色の巨大迷路だった。
オレンジ色の夕焼けに照らされた風景は見渡す限り、ゴツゴツとした岩の崖と土で構成されている。
岩壁と地面にはまばらな緑が茂り、崖っぷちに立ったシルバ達一行の眼下には緩やかな川が流れていた。
「でかー」
馬車を降りて、最初に口にしたヒイロの感想がこれだった。
「やっぱ、地図で見るのと実際見るのとでは大違いだなぁ、こりゃ」
地図を広げたシルバも、途方に暮れる。
目的の浮遊車『ガトー』を見つけるのは、一苦労しそうだ。
「もうすぐ僕の時間な訳だけど、どうする? このまま進む?」
「待て待て待て。何つーかこりゃ思ったより大変だぞ、カナリー。これ以上は馬車じゃ進めそうにないし、想像以上に高低差があるっぽい。まずは地図と照らし合わせて……」
地図とにらめっこを開始するシルバの隣で、「ふむ」とキキョウは自分の顎を撫でた。
「シルバ殿。これは強行軍で行くよりは、どこかに拠点を用意して、段階を踏んで探索するべきではなかろうか? 幸い、食料には余裕がある事だし」
「魚は捕れそうだね」
しゃがみ込んで、ヒイロは崖下の川を見下ろしていた。
「わ、私は慌てませんから……無理して、危ない目に遭うよりは、安全な方が……」
どうやら、タイランもキキョウの意見には賛成のようだ。
カナリーも、どちらかと言えば消極的か。
「自分で夜の探索を主張しといて何だけど、これ、人間には本気できつそうだね」
「それは否定出来ないな。この中で、夜目利く人ー」
シルバが問うと、キキョウ、リフ、カナリー、タイランが手を上げた。
「むぅ」
ヒイロは何だか、半分だけ手を上げていた。
「……まあ、先輩よりはマシな方かなぁ」
「わたしは、暗闇でも気配の探知は可能。いざとなれば、目をつぶる」
「夜の間、私の視覚をシルバに投影してもいいが、おそらく歩くのに難儀するだろう」
シーラ、ネイトと続き、シルバは決断した。
「よし」
左手がなだらかな下り坂になっているのを見て、それを指差す。その先は広い荒野になっており、大きな湖と滝があった。
「ひとまず今日はここから下りて、あそこで野営にしとこう。午後は馬車に乗りっぱなしで、身体も硬いし。明日から、そこを拠点に探索開始だ」
「承知」
「に……偵察いく」
リフが手を上げた。
「ああ、リフ頼む。気を付けてな」
「に」
リフは小さく手と尻尾を振ると、そのまま駆け足で坂道を下りていった。
「基本方針として、戦闘はなるべく避ける。あと、カナリーは悪いけど今晩、空から地形を確認して欲しい。この地図じゃ、いまいち細かいところまで分からないし」
「そりゃもっともだ。だが、別に目的のモノを発見しても構わないのだろう?」
ふふふ、と笑いながらカナリーが言う。
「……無茶すんなよ、いや本当に。夜飛ぶモンスターだっているんだからよ」
「了解了解」
「んで、みんなにはこれ」
シルバは金袋からコインを取り出すと、それを皆に配る。
精緻な門のレリーフが刻まれたそれは、キキョウらも忘れていないようだ。
「む、司祭長の転移コインであるな」
「距離にすると約100メルト範囲なら、魔力で互いのコイン間の跳躍が可能。一応チャージはしてあるから、一回だけなら魔力消費なしで跳べる」
「あ、あの、でも私は……」
おずおずと、タイランが手を上げる。
「うん、跳べない」
「……ですよねぇ」
絶魔コーティングの重甲冑を身に着けているタイランは、そのままの状態では転移出来ないのだ。
本来の人工精霊状態なら大丈夫だろうが、そうなると今度は甲冑だけが置き去りになってしまう。
「でも、それとは別の意味で、役に立つ事もあるから、一応タイランも持っとくように」
「わ、分かりました」
しばらくすると、リフが駆け戻ってきた。
「に。ただいま」
「お疲れ。問題なかったか?」
「ない、と思う」
シルバに頭をくすぐったそうに撫でられながら、リフの返事はやけに曖昧だった。
「妙に歯切れが悪いな」
「にぅ……敵はいない。けど、視線感じる」
直後、パーティーの面々の気が引き締まる。
――一分ほどの沈黙の後、目を瞑って気配を探っていたキキョウが口を開いた。
「……なるほど。敵意はないようだが」
「に、今消えた」
「某達が気付いた事に、向こうも気付いたようであるな」
その辺はシルバにはサッパリ分からなかったが、とにかく危機は去ったらしい。
「動いても、問題なし?」
「うむ。今は、大丈夫だと思われる」
「んじゃ行くか」
「に」
一行は馬車を連れて、坂を下った。
坂を下りた先のロケーションはこれが、探索でなければ悪くないと言えた。
水場は至近だし、日暮れ近い今でこそ日陰になっているが、昼間は明るいだろう。
強いて難を言えば、広すぎるという点だった。
仮にモンスターが現れた場合、戦い易くもあるが、同時に逃げ辛くもある。何より隠れようがない。
そんなシルバの心を読んだかのように、リフは裾を引っ張った。
「に。こっちに洞窟ある」
岩壁には、ポッカリと大きな穴が開いていた。
「お、おいおい。モンスターとかいたら、どうするんだよ」
「ここはだいじょぶ」
リフに案内されて、シルバは洞窟に入った。といっても、たった1メルトで終点に辿り着いてしまったが、
タイランでも余裕で潜れる広さの穴の先は、岩壁に囲まれた円筒状の空間になっていた。
空間の広さは、テントを二つと多少のスペースに余裕があるといった所か。
見上げると遥か頭上に、岩に囲まれた円状のオレンジ色の空が覗いていた。
「……へえ、こりゃいい場所じゃないか。ここならば、モンスターも攻め込みにくそうだ」
「に!」
リフは小さく胸を張り、尻尾の先を揺らした。
「確かに広い場所で野営するよりはいいかもしれぬな」
ついてきたキキョウも、そんな感想を漏らす。
空を見上げていたシルバは、少しずつ暗くなってきた空に、何か浮かんでいるのが見えた。
鳥……? いや、それよりも小さい。虫か?
と思ったら、いつの間にか表に出ていたちびネイトだった。
「……シルバ。洞窟は、他にもあるようだぞ。岩壁のあちこちに穴がある。多分ここだけじゃないだろう」
なるほど、言われてみれば黒い穴のようなモノがチラホラ見えない事もない。
「偵察してたのか」
「ああ。といっても、飛べる範囲だけだが。……目的の浮遊車だが、大昔とは地形が変わっていてもおかしくない。地面に埋もれてない事を祈ろう」
後半は小声で囁いてきた。
確かにそれは考えたくない。
「……ま、動いてみないと何ともな。んじゃま、荷物下ろしますか」
ふと、頭上から視線を感じて、シルバは空を見上げた。
「ん?」
けれど、何もなかった。
キキョウらも気付いていないので、やはり気のせいだろう。
――さすがのシルバも、まさか今見上げたばかりの岩壁にあった黒い穴が一つ、減っていたなんて事は想定外である。
シルバは首を傾げ、洞窟を出た。
――しばらくして、その頭上の穴を鳥が一羽、横切った。
湖を覗き込んでいたヒイロとタイランは、後ろからカナリーに声を掛けられた。
「ヒイロ、ここで野営の準備だ。手伝ってくれ」
「はーい」
「わ、分かりました」
――駆け去っていくヒイロ達の後ろの湖に、一瞬巨大な黒い影が映りこんだかと思うと、すぐにそれは消失した。
※という訳で、峡谷編。
イメージ的にはモンハンの峡谷ステージ、もしくは砂漠マップの左側。
バック・トゥ・ザ・フュー○ャーのクレイトン峡谷は、映画見直したら思ったより緑が多かったという。