峡谷に向かう事には、割とあっさり全員に賛成され、それぞれ準備を行う事になった。
大通りの雑貨店。
カナリーにつく二人の従者、ヴァーミィとセルシアが大きなテントを抱えて表に出てきた。
「おおー、助かるなこりゃ。しかし用意したリヤカーならともかく、馬車に載るかな」
この日、シルバはカナリーと共に、野営用の準備の買い出しを行っていた。
峡谷まで数日が掛かり、かつシーラの示したポイントまでの探索も結構な時間が費やされる事は、充分に考えられる為である。
「心配は無用。夜になってから、僕の影の中に入れておけばいい。最近容量を増やしたから、この程度なら楽勝で持ち込めるさ」
ふふ、と純白の鍔広帽にマント姿で、カナリーが微笑む。
「……そこって、人も入れたりするのか?」
「ああ。ただし、僕自身は扉の役割を果たすから、無理だけどね」
「そうか。いざって時の避難場所に使えるかなって思ったけど……ん? その時はカナリーが霧化してしまえばいいのか」
やれやれ、とカナリーは小さく溜め息をついた。
「……シルバ。一応今日はオフなんだから、戦術を考えるのはその辺にしておかないかい?」
「ああ、つい悪い癖でな。それはさておき」
シルバは、チラッと振り返った。
「あの、後ろの、偵察部隊は一体何なんだ」
看板の上や雑踏の中に紛れ込んでいる(つもりらしい)黒尽めに覆面をした女性達が、チラホラとこちらの様子を伺っていた。
「……僕のファンクラブだ。気にしないでくれ」
なお、遠巻きに若い女性がカナリーを眺めているのは、いつもの事なのでもう、シルバは諦めている。
「気にしないのはいいんだが、以前のキキョウの時みたいな事にはならないだろうな」
「月のない夜には気をつける事だ、シルバ」
ひょい、とシルバの肩に乗ったちびネイトが、太陽を仰ぎ見た。
カナリーも考え込む。
「もしくは夜はずっと僕が、シルバを護衛するという手もあるね」
「俺が寝る暇ねーじゃねえか!?」
「添い寝をして欲しいと言っているぞ、カナリー君」
「おお!」
ネイトの言葉に、ポンと手を打つカナリー。
「頼んでねーし、耳のいい黒尽めが何かナイフ抜いてるぞおい!?」
シルバは身の危険を感じていた。
「何、実際心配は要らないよ。一応、彼女達は不戦条約を結んでいるからね」
「……なあカナリー、でもそれ、お前のファンクラブに入ってない俺には意味ないんじゃないか?」
「会員番号00000番でどうだろう」
「会員証が死神の名刺に見えるからやめてくれ!」
そんな阿呆なやり取りをしている間も、ヴァーミィとセルシアは黙々と、リヤカーに荷物を運び入れていた。
リヤカーを貸倉庫に預け、三人は大通りを歩く。
後ろをゾロゾロとついて来る女性達はもう、気にしない事にした。
「何にしろ、テントや寝具はいいモノを揃えておくに越した事はない。翌日に響くからね」
「だな」
カナリーの意見に、シルバも賛成した。
だが、カナリーには不満があるようだ。
「……しかし、シルバだけテント一つあるというのも、どうかと思うんだが」
「いや、むしろ全員一緒の方がマズイだろ。常識で考えて」
「正確には二人だがな」
うむ、とネイトは慎ましい胸を張った。
「……いや、お前も、カナリー達のテントで寝るんだよ、ネイト」
「何っ!? それじゃシルバに淫夢を見せられないじゃないか!」
「普段から散々見せておいて、何言ってやがるんだお前は!?」
「……ああ、なるほど。シルバが妙に枯れている原因の一端が分かったような気がする」
得心行った、とカナリーが肩を竦める。
ともあれ、今日やるべき事はほぼ済ませた、シルバとカナリーである。
「えーと、鍼のセーラ先生からも話は聞いたし、あとは『ビッグベア』に刀受け取りに行ったキキョウと合流か。大丈夫かな」
「そういえば、尻尾を二本に増やしたせいで、バランスがとか言っていたね」
キキョウの話によると、尻尾を出せる数が増えれば増えるほど、自身の力が増すのだという(最大で九本となり、その上となると今度は再びそれらをまとめた一本になるらしい)。ただし、制御出来ない数を出すと、すぐにガス欠が起こってしまう。
キキョウは尻尾の数を普段から二本に増やす事によって、安定したパワーアップを行なうのだと言っていた。
「問題はそこじゃないだろう二人とも」
「え?」
ネイトが何を言っているのか、シルバにはよく分からなかった。
「ま、すぐに分かる。今も、キキョウ君から助けを求める声が僕に届いているし」
「って、教えろよ!?」
「いや、もうすぐそこに来ているんだ」
ネイトは、通りの角を指差した。
すると、そこから弱り切った顔のキキョウが現れた。
シルバが振り返ると、後ろに三十人ほどの女の子達(&黒尽め)。
そしてキキョウは、五十人ほどの女の子(&黒尽め)や何故か男性を引き連れていた。
「……これはまた、すごいプレッシャーだ」
当事者でないシルバも、冷や汗を拭った。
「ああ、大規模な模擬戦前みたいだな」
ネイトが言う事も、何となく的を射ているような気がする。
妙な緊張感が漂う中、シルバとカナリーは、キキョウと合流した。
「で、一体どういう事なんだ、キキョウ」
「そ、某にもサッパリで。否、変わった点が一つあるならば、それが妥当と言う事なのだろうが」
キキョウは、自分の二本に増えた尻尾を指で撫でた。
ふむ、とネイトがそれを見て言う。
「霊力が溢れ出て、人々が反応しているんだ。魅了の暴走状態といった所だな」
「男も女も見境無しか。このまま連れ歩く事も出来ないぞ、キキョウ」
「そ、そういうカナリーだって、似たようなモノではないか」
「僕には女性しかついて来ていない!」
「……自分で言ってて悲しくならないか」
シルバのツッコミに、カナリーとキキョウは同時に落ち込んだ。
「……ああ、ちょっと悲しい」
「肝心のシルバ殿に反応がないのなら、某もまったく嬉しくない……!」
「ま、これぐらいなら、俺がどうにか出来るか。ネイト、やるぞ」
シルバは懐からカードを取り出した。
「うむ、任せろ――{否認/バドルク}」
カードが、眩い光を放ち、直後周囲でざわめきが起こる。
「カナリー様!?」
「キキョウ様がいらっしゃらないわ。どこに消えたのかしら?」
「あの冴えない男が何かやったのかしら」
発動した心術により、周囲の人間には急にシルバ達の姿が消え失せたように見えたらしい。
もちろんそれは錯覚で、彼女達の目の前にシルバ達はちゃんといる。ただ、認識出来ないだけだ。
「……冴えない男で悪かったな」
む、とシルバが顔をしかめる。ネイトも不満のようだ。
「今言った彼女を催眠術で素っ裸にしてやろうか、シルバ」
「やめんか!」
「し、心配しなくても、シルバ殿はいい男だと、某は思うぞ?」
尻尾を揺らしながら、キキョウが力説する。
「……認識偽装か」
感心したようにカナリーが言い、ネイトが得意げになる。
「その一種だ。自慢じゃないが、僕はこの手の術が得意でね」
それからふと、ネイトは考え込んだ。
「……ますます、キャラクターが被っているような気がする」
「身の危険がデンジャラス!?」
カナリーは身構えた。
「落ち着けカナリー。とにかく今の内に逃げるぞ」
「あ、ああ」
「それならば、某が良い場所を知っている」
キキョウの案内で、シルバ達はその場を後にした。
「……で」
案内された先は、小綺麗な軽飲食店だった。
客層は、そのほとんどが若い女性である。
「何でパーラー」
シルバは、水を飲みながらキキョウに尋ねた。
「そ、某一人では、こういう場所には入り辛いのだ」
「あー、それ僕も分かるよ。どうにも視線が集中して、駄目なんだよね。僕達だって、甘いモノは食べたいのに」
キキョウは耳まで真っ赤にしながらメニューに顔を伏せ、カナリーも横から覗き込む。
確かにこの二人が、こんな店に入ったら、ただでは済まないな、とシルバも思わないでもない。
ちなみにここで使った心術は、シルバ達を『普通のお客様』に見せる術であって、ただ食いするつもりはない。
「という訳で、今後もシルバ殿、こういう店に入る時は、是非よろしくお願いしたい」
「あ、僕も。これからしばらく甘いモノから遠ざかりそうだし、食い溜めておかないとね」
「うむうむ」
すっかり食べる気満々の、乙女二人であった。
「しょうがねー……じゃあ俺、そこに張られてる『モース霊山パフェ』で」
シルバは店の壁に貼られている、巨大パフェを指差した。
――翌日、ヒイロとリフにこの件を知られたシルバは、タイランも伴い、同じ店に赴く事になったが、それはまた別のお話。
薄靄の煙る早朝。
シルバ・ロックールは寝惚け眼を擦りながら、アーミゼストの西大門に向かっていた。徹夜のせいで、足下はフラフラだ。
「うう……眠い……」
「旅のスタートだというのに、ずいぶんと景気の悪い事だな。襲ってもいいか?」
ひょい、と肩に乗った小型悪魔のネイト・メイヤーが言う。
「襲うな」
シルバは無愛想に却下した。
「じゃあ淫夢でどうだ。おかずは私だ」
「……眠っている時まで疲れさせるな」
「よし、なら夢の中でも眠らせてやろう」
「んー……それならまだ有りかもな。……っておい、今さっき、一人称がおかしくなかったか」
確か、ネイトの一人称は『僕』だったと記憶する。微妙に語尾もおかしい。
「ああ。僕を私に変えてみたのだ。この程度なら、さして違和感もないだろう」
「……ま、いいけどさ」
「つれないぞ、シルバ。もっと構ってくれないと寂しくて死ぬぞ」
「ウサギか。ギリギリまで、薬学学んでたから、眠いんだって……ふああぁぁ……でもこれで、回復薬の精製だけは……ま、何とか」
「ご苦労な事だ」
眠気がピークに達し、ツッコミの切れもないシルバであった。一応それを気遣っているのか、ネイトもそれ以上、シルバをからかったりしなかった。
やがて、二人は西大門に辿り着いた。
停車場には一台、大きな馬車が待っていた。
その馬車の腹にもたれるように、金髪赤眼の美青年が待っていた。
「……おはよう、シルバ」
カナリー・ホルスティンもまた、ウトウトとしていた。
「よう、カナリー。お前も眠たそうだな」
「……シルバとは昼夜が逆転するけどね。こっちは本来、これからが就寝時間な訳で」
「馬車の中で寝よう」
「……だね。棺桶も一応用意はしてあるけど間違いなく揺れるし、まだ馬車の方がマシそうだ……」
馬車の天井と背中に、荷物を積む事が出来るようになっている。
そこに棺桶がないという事は、多分カナリーの影に入っているのだろうと、シルバは推測した。
「……それにしても、立派な遠出用馬車だな、おい」
一般の乗合馬車ではない。
茶色の馬車の胴体には、彫刻を押しつぶしたような装飾が施され、赤を基調とした内装も凝っており、座席も柔らかそうだ。というか今のシルバの評価は「とても気持ちよく眠れそう」の一言に尽きる。
「テントと同じで、こういうのに金を出し惜しみしちゃいけない」
「それはいいが……」
シルバは、馬車の前の方に首を傾けた。
「俺の目が大分ぼやけているのか、牽いてる馬が二頭とも、角を二本生やしているように見えるんだが」
合わせて四本。
通常のそれよりかなり大きく、妙に禍々しい二頭の馬が、シルバを睨んでいた。
「目の錯覚じゃないよ。ウチで飼ってるバイコーンだ。右がゼンキン、左がゴーキンという」
「……魔獣じゃねえか。一応、司祭なんだがなー、俺。あと、ユニコーンの『純潔』とは逆の意味でこれ、女の敵だったんじゃなかったっけ……?」
「ああ、バイコーンの意味は『不純』。家の者にしか馴れていないし、まあ、このパーティーの人間は、近付かない方がいいね」
「注意しとこう」
危険そうな馬だが、馬力はとてもありそうだ。
「御者は、基本的にはヴァーミィとセルシアに任せる事にする」
シルバが御者台を見ると、そこには赤と青のドレスの美女が座っていた。
目が合うと会釈をしてきたので、シルバも頭を下げる。
「……よろしく二人とも」
カナリーは眠気がもう限界、と先に馬車に乗り込んでしまった。
それじゃ俺も乗って待つかな、と考えたその時、背後から腰に誰かがタックルしてきた。
「おっはよー、先輩!」
「ぎゃふっ!?」
勢い余り、シルバは馬車の腹で頭を打った。
「君はいつも元気だな、ヒイロ君」
シルバに代わり、呆れたようにネイトが言う。
「や、おはよう、ネイトさん。カナリーさん達もおはよう。だってボク、狩りの為に、いつもこれぐらいの時間には起きてるし」
「ううう……こっちは徹夜で寝不足だってのに。あと腰に刺さる角が痛ぇよヒイロ」
鼻面を押さえながら、シルバは振り返った。
「え!? そりゃよくないよ先輩。馬車でゆっくり休んだ方がいいって」
「……それを阻止したのはお前なんだがな」
だが、ヒイロは聞いていなかった。
彼女の興味は、馬車を牽く馬の方に移っていた。
「……ん? 何この子。ボクの仲間?」
「ブルルルル……」
左のバイコーン、ゴーキンが唸り声を上げながら、こちらに振り返っていた。
なるほど、二本の角は確かにヒイロと共通している。逆に言えば、それぐらいしかないのだが。
「やる気?」
スチャッとヒイロは骨剣を構えた。
「……待て待て待て。馬車を牽く馬と戦ってどうする」
「機嫌悪そう」
しかも、目つきがヒイロに向かって「相手になるぞ」と言っていた。
「そういう馬なんだよ」
「好敵手と見た」
ヒイロはザッシュザッシュと地面を蹴るバイコーンから目を逸らさず、骨剣を構え続ける。
「……何でそこで、戦闘意欲が燃え上がるんだ。いいから、先に乗って大人しくしてろ」 シルバはヒイロの首根っこを掴むと、馬車に突っ込んだ。
「うはぁっ」
「……ふああぁぁ……」
大あくびをしていると、靄の向こうから重い甲冑の音が響いてきた。
現れたのは、二メルト程もある重甲冑、タイラン・ハーヴェスタだった。
「お、おはようございます、シルバさん」
「……うす、タイラン」
「大きい、ですねぇ」
タイランは、感動したような声を上げながら馬車を見上げる。
「まあ、この大きさならタイランでも余裕だろ。で、ちゃんとモンブラン搭載されてるか?」
「あ、はい。それは昨日、カナリーさんに」
「抜かりはないよ……あの男には、貸しを作っておいて損はないしね」
馬車の奥で目を閉じたまま、カナリーが手を振った。
「となると、いざとなれば御者の交代要員はもう一人増やしても、大丈夫かな」
カナリーの従者達なら、相当にタフなので、あくまで予備だが、勘定に入れても良さそうだ。
「……一応私、荷台に載せられるように、身体の方も分割出来るようにはしてあったんですけど……ひゃあっ!?」
ぬうっと振り返った二本角の馬に、タイランはガシャンと尻餅をついた。
「あー、やっぱりビックリするよな、馬」
「……これなら、馬車泥棒も近付かないだろう?」
眠たげに言うカナリーであった。
「それも狙いか」
それ以前に、旅の途中の村とかで怯えられたら困るなぁと、シルバはちょっと思わないでもない。
そんな事を考えていると、不意にシルバの身体を影が差した。
日は昇りつつあるようだが……と振り返ると、脇に小さな娘を担いだ髭の巨漢が立っていた。
フィリオ・モース。人間の姿をしているが、その正体は遠く東方の地にあるモース霊山を治める、剣牙虎の霊獣である。
ちなみに娘であるリフは、フィリオに抱えられたまま、まだウトウトとしていた。
唸りを上げながら、バイコーンが「やんのかコラ」とフィリオを睨む。
「ほう……我に挑むか、馬。喰うぞ」
フィリオが、獰猛な笑みを浮かべる。
「フィ、フィリオさん……!?」
ここで馬を喰われても困るので、シルバは間に割って入った。
しかしその必要もなく、バイコーンは耳を倒し、及び腰になる。さすがの魔獣も、高位の霊獣には敵わないようだ。
「うむ」
相手の敵意が失せた事を確認し、フィリオは満足したようだ。
父親と馬の戦意に当てられたのか、リフもようやく目を覚ましたようだ。
「に……おはよ」
「お、おはようございます、リフちゃん」
タイランが金属音を鳴らしながら立ち上がる。
一方シルバは、逃げ場を探しているようなゴーキンを指差した。
「あ、あの、フィリオさん、えらい馬が怯えているんですけど……」
「喧嘩を売ってきたのは相手の方だ。よいぞ。我と戦り合いたいのなら、相手になってやる」
「いやいやいや、貴方一応モース霊山を治める超偉い方なんですから、馬の挑発に乗ってどうするんですか」
メチャクチャ大人げなかった。
「ふん……小僧」
フィリオはシルバを見下ろすと、ずいと顔を近づけてきた。
「よいか。お前に姫を預けるが、不埒な考えは起こすなよ」
「ちゃんとテントも分けてますって」
「当たり前だ。それは最低限のルールだろうが、小僧。よいな、姫に万が一の事があれば、お前を頭から喰ろうてやるぞ」
「き、肝に銘じておきます」
「にぅー……」
リフはフィリオの腕から抜け出すと、そのまま眠たそうにシルバにもたれかかった。
「っ!? ひ、姫! そのように無防備に男にもたれてはならん! 男は獣だぞ! やるなら我にしろ!」
「……えーと」
「我は実際獣だからよいのだ!」
「まだ何も言ってないじゃないですか!?」
実際、そこ”も”突っ込もうと思ったシルバである。というか自分にしろってのもどうかと思ったりする。
キシシシと、バイコーン達もフィリオを笑っていた。
「馬共も笑うな!」
「ひぅんっ!?」
クワッと目を光らせるフィリオに、バイコーンが暴れる。
御者台に座っているヴァーミィは、無表情に手綱を操り、馬車の暴走を防ぐ。
眠たげに目を擦りながら馬車に乗り込むタイランを見送り、あと二人か、とシルバは心の中で数えた。
そして一分もしない内に、風呂敷包みを持ったキキョウ・ナツメが現れる。
「ぬうっ!? そ、某が最後か!?」
馬車の中に仲間がいる事を確かめ、キキョウは動揺する。
「お、キキョウおはよう。もう一人いるし、遅刻じゃないだろ」
「うむ、おはようシルバ殿。ぬう……ついつい忘れ物がないか確認していたら、ギリギリになってしまったようだ。先に馬車に入ってよいのか」
「にぅー……」
頭をシルバに撫でられていたリフを、キキョウは無言で回収した。
「よろしく頼むぞ、狐娘!」
「うむ、よろしく頼まれた!」
何故かガシッと拳をぶつけ合う、フィリオとキキョウであった。
「それでシルバ殿、これで全員ではないのか?」
馬車のタラップに足を掛けながら、キキョウは振り返る。
「いや、昨日話しただろ? もう一人案内係と……いや、遅刻している原因は明らかなんだが」
「待たせた」
噂をすれば影、というべきか。
山羊のような角と槍のような尻尾を生やした白い司教、ストア・カプリスを担いだシーラが、駆け寄ってきた。
メイド服を着、手には大きなトランクを持っている。
「……ご苦労さん、シーラ。ここまで担いでくるの、大変だっただろ」
「そうでもない。着替えの方が問題」
「……なるほど、そりゃそうだ」
眠っている人物の着替えなんて、考えただけで大変だ。
シルバはシーラに背負われたままのストアを揺さぶった。
「先生起きて下さい。居眠りしたまま、見送りは無理ですよ」
「んん~……」
「まあ、いいか。シーラ、下ろしていい。それと頼んでおいた件はどうだ?」
「問題ない。小型浮遊装置に関しては、二人が限界」
シーラはストアを背中から下ろした。
起きているのか眠っているのか分からないまま、何とか二本の足でストアは立っている。
シーラはシルバから、空に昇りつつある太陽に視線を移した。
そして再び、シルバに顔を戻した。
「…………」
「どうした?」
「時間が遅れている。馬車に乗ってからだと駄目なのか」
「言われてみればそうだな。それじゃこれで全員、と」
石板だけを取り出し、トランクを後部に積んだシーラを先に馬車に乗せ、シルバはタラップに足を掛けた。
「小僧」
「何すか?」
フィリオに呼び止められ、振り返る。
「お前の師匠が馬車に乗り込もうとしているが、いいのか」
シルバの後ろに、ストアがくっついてきていた。
「いや、止めて下さいよ!?」
などと一悶着があり、五分後。
ようやく出発となった。
「行ってらっしゃ~い」
何とか目を覚ましたストアが、馬車の向こうで手を振る。
「行ってきます、先生」
「お土産は木刀とペナントで~」
「俺達の行くところに、そんなモノ売ってませんよ!?」
そんなツッコミをしながら、シルバ達はストアやフィリオに見送られ、出発する。
西大門を抜け、馬車はいよいよ本格的に走り始めた。
「えーと……」
シルバは、今回の旅の人数を数えた。
自分、シルバ・ロックール。
既に眠りに入っている、カナリーとリフ。
やはり忘れ物はなかっただろうかと、不安そうに思い返している様子のキキョウ。
窓の外の景色を物珍しげに眺めているヒイロ。
甲冑の胸部装甲を開き、精霊体として姿を現わすタイラン。
これで六人。
それに加え、石板を起動させているシーラ。その手元を覗き込む悪魔、ネイト。タイランの重甲冑に搭載された、テュポン・クロップの作り上げた疑似人格・モンブラン十六号。
そして御者台にいる、カナリーの従者が二人。
合わせて十一人。
「……結構な大所帯だなぁ、おい」
まとめきれるのか、とちょっと不安になるシルバであった。
馬車に乗ってすぐに、シルバは気を失うように眠りに就いていた。
そういえば……と、シルバは眠りの中で思い出したのは、シーラからまだ、調べてもらっている事の報告を聞いていないという事だった。
「んん……」
目を開いて左を見ると、シーラは変わらず石板を指で操作していた。
その向こう、窓の外はすっかり青天が広がっている。
馬車の調子はずいぶんといいのか、かなりの速度で平原風景が流れていた。それでも揺れがさほど大きくないのは、馬車がいいモノだからなのだろう。
「起きたかシルバ」
そう声を掛けてきたのは、膝の上に寝転んだちびネイトだった。
「何してるんだよ、お前は」
「うむ、見ての通りの膝枕だ。いささか大きいが寝心地は最高だな。やはり惚れた男の膝は最高だ」
「っていうかお前、その身体だと睡眠要らないだろが」
というかシルバの懐にある『悪魔』の{札/カード}が本体である。カードに睡眠がいるとは思えない。
「気分の問題だ。あと、対抗意識もある」
「対抗?」
「右肩が、重くないか?」
「そういえば……うおっ!?」
右を見ると、キキョウが寝息を立てて、シルバにもたれかかっていた。
「寝かせておけ。どうせ彼女の事だ。昨日は緊張してロクに眠れなかったに決まっている」
「う、動けない」
下手に動くとバランスを崩し、キキョウを起こしてしまいそうだった。
「それぐらい、役得と思って我慢するんだな」
「どれぐらい眠っていたんだ?」
「時計がないからハッキリとは言えないな」
代わりに答えたのは、左に座っていたシーラだった。
「この時代の時間計算では、3時間46分52秒」
「シーラも起きていたのか」
「報告の為、資料をまとめていた」
石板から目を離し、シルバに向き直る。
「出発前の話が途中だったよな」
「そう」
「あと起きてるのは……」
シルバは馬車の中を見渡した。
シルバ達の座席は、馬車の進行方向に向いている。キキョウの更に奥、右端の席にはカナリーが眠っていた。
カナリーと向き合う形で、タイランの甲冑が座り、精霊体のタイランは向かい合う座席の間で、ぷかぷかと宙に浮いたまま、器用に睡眠を取っていた。
胸部装甲が開かれたままの重甲冑が二人分の席を取り、その左横で小柄なヒイロとリフも仲良く寝ている。
となると今起きているので全員か。
「我ダ」
タイランの甲冑が、反響音のような声を上げた。
「…………」
シルバは一瞬考え込み、尋ねてみる事にした。
「……え、ええと、モンブランさん?」
「モンブラン十六号ダ。正式名称デ呼ベ」
「しゃ、喋れるようになったんだ……」
「主殿ガ音声出力機能ヲ搭載シタ」
「そ、そうか。あの、みんな寝てるから、静かにな」
「……ガ」
承知したのか、返事は小さなものだった。それなりに言う事は聞いてくれるようだった。
「それじゃまシーラ、報告を聞こうか」
シルバは姿勢を崩さないまま、シーラに頼んだ。
シーラは小さく頷くと、石板に目を移した。
「『フォンダン』に関してはいまだ不明。ただし要回収と記述がある為、重要度は高いと思われる。サイズは相当な大型。墜落時期はライズフォート墜落より十日ほど前」
「……回収する時間がなかったのかな。『ガトー』と『フォンダン』。地図にあったこの二点の距離はどれぐらい離れているんだ?」
「直線距離にして約5ケイル」
「……微妙な距離だな」
平坦な道ならさほどの距離ではない。が、場所は峡谷だ。遠いとも言えるし、近いとも言える。
「そう」
シーラは頷くと、次の話題に移った。
「ヴィクターの使っていた回復術に関して」
「ああ、そうそう。それもあった」
ヴィクターのそれは、パーティーの仲間であるクロス・フェリーにも使われていた。
つまりそれは、祝福魔法と異なり、カナリーにも有効である可能性が高い。
「この石板の中には、ナクリー・クロップの最終的な研究資料が全て詰め込まれている。だが『ヴィクター』という名の記述はない」
「ああ、それはそうだ。その名前はノワって奴が付けたからな」
「プロトタイプの人造人間の研究資料からまずは調査中。開発名が分かれば、あとは容易。炉と組み合わせる事で発動する開発の仕組みを、最優先としている」
「よろしく頼む」
シルバが言うと、シーラは顔を上げた。
そして、無表情な目でシルバを見つめる。
「主の頼み。命令を聞くのは当然」
「そ、そうか」
「ただし、情報の入手で必ずしも、現代の技術で再現出来るとは限らない。今の時代では手に入らない材料、また知識を理解出来る学者が存在しない可能性も当然ある」
「……ま、その時はその時だ。少なくとも学者の心当たりはないでもないし」
「我ガ主殿!」
モンブラン十六号は、座った姿勢のまま、主張した。
「……ちょっと人格に問題あるけどな」
「否定ハシナイ」
「……ああ、創造物にまでそういう認識されてるんだ、あの爺さん」
膝の上で寝転んでいたネイトが口を挟んでくる。
「あとは、タイランの父上も確か科学者という話だったな、シルバ」
「ガ。登録名:こらん・はーヴぇすた。精霊研究ノ錬金術師。優レテイルトイウでーたガアル」
モンブランに補足され、シルバは頷く。
「炉の中の研究って話らしいけどなー」
「主殿カラ、彼ノ者ニハ必ズ会ウヨウニ伝エラレテイル。我ガ使命、必ズ果タス」
堅苦しい言い回しからして、どうもモンブランは、キキョウに似た性格のようだ。
「……その為のこの旅なんだけど、それでも結構、時間食うぞ。爺さんかなり歳だし、それまでに死ななきゃいいけど」
「主殿ハ目的ノ為ナラ、寿命グライ平気デ延バス」
「あながち間違ってない辺り、性質が悪いな」
あの爺様ならやりかねん、とシルバは思った。
あとは細々とした情報をシーラと打ち合わせ、シーラは石板から文字を消した。
「情報はここまで。主、何か質問は」
「そうだな……お前、ずっと起きてたみたいだけど、休憩は要らないの?」
「…………」
シーラがわずかに揺れる。
「何、その反応」
「予想外の質問」
「そうか」
純粋な疑問だったのだが。
「問題はない。耐久力には自信がある。二、三日の徹夜は平気」
「……問題あるから寝ろ」
放っておくと、限界まで起きていそうな気がして、シルバは命令した。
「了解した。スリープモードに移行する」
「我モ同ジク」
シーラが目を瞑り、モンブランも似たような事を言う。
すぐに眠りに落ちたのか、やがてゆっくりとシーラの身体がシルバにもたれかかってきた。
「って、こっちもかよ!?」
「静かにしないと、目を覚ますぞシルバ。いいじゃないか。両手に花だぞ」
「……言いながら、お前はそこから離れる気はないのか」
「ない」
ニヤリ、とネイトは笑うのだった。