「……バ様……シルバ様!」
身体を揺さぶられ、シルバは意識が少しずつ甦ってきた。
「んぁ……?」
どうやら、気を失っていたらしい。
目が覚めると同時に、後頭部に激痛が走った。
「っ……!?」
触れては見るが、血は出ていないようだ。しかし、大きな瘤が出来ている。
「シルバ様、大丈夫ですか?」
言って、自分を起こした助祭の少女は、シルバの後頭部に{回復/ヒルタン}を掛けてくれた。
「チ、チシャ……? え? あれ、ここどこ? 迷宮……か?」
地面は雑草の生えた土で出来ていて、周囲は魔法光なのか外のように明るかった。
10メルトほどの高さの天井は石製で、遠くには何故か逆さまになった四角い建物が幾つも地面に埋まっていた。
そして自分は緩い傾斜になっている、すり鉢状の地面の上に座っている。
……いや、とシルバは気がついた。
空にあるのは、天井ではない。
床だ。
自分達は、逆さまになった居住区にいるのだ。
逆さま、という単語から、シルバの頭に一つの迷宮の名が浮かび上がる。
「そ、それがその……言いますけど、落ち着いて下さいね?」
チシャは、小さく震えながらシルバの手を握りしめた。
「こ、ここは……第……六層です。{墜落殿/フォーリウム}の」
「何……だと?」
絶句するシルバの背後に、誰かが立った。
振り返ると、二十代前半だろうか、短く刈り込んだ金髪の男がギョロリとした目でシルバを見下ろしていた。
精悍な鍛え抜かれた身体と長大な両手剣は、戦士職以外には考えられない。
宝石をちりばめたピアスや首飾り、金色の腕輪など、ジャラジャラとアクセサリーは多いが、日焼けした肌には防具はおろか衣服すら身につけていない。
「おう、起きたか。なら行くぞ」
「え、誰……?」
困惑するシルバと男の間に立つように、チシャが割り込んだ。
「ま、待って下さい! シ、シルバ様にはまだ、記憶に混乱があるみたいで……」
「あ~?」
男は眉をしかめると、チシャの胸ぐらを掴んだ。
そのまま持ち上げられ、小柄なチシャの両足は地面から浮き上がってしまう。
「う、ああ……!?」
苦しそうな声を上げるチシャに、男は顔を寄せて笑った。
「知るかカス」
言い切った。
「お前らの事情なんてどうでもいいんだよ。適当に様子見たら、ちゃんと戻してやるつってんだろうが。グダグダ文句言ってねーで、ついてこい」
嘲笑う男の太い手首を、立ち上がったシルバの手が掴んだ。
「あ?」
「チシャを離せよ」
考える間もなく、シルバも動いていた。
その直後、顔面に衝撃が来た。
「が……っ!?」
鼻血が吹き出て、5メルト以上吹き飛ばされた。
「……うるせえなぁ」
男の空いていた手が、煩わしそうに振るわれ、シルバの顔面をその巨大な拳で殴り飛ばしたのだ。
「弱え弱え。貧弱すぎらぁ。お前ら、それでも冒険者か? 仕事間違ってんじゃねえか? 弱い奴は大人しく強い奴についてくりゃいいんだよ! 俺様が前に進んでやる! 文句を言うな! 黙って手伝え! 弱者が俺様に意見するんじゃねえ!」
そしてチシャを掴んだまま、彼はシルバを見下すように笑う。
「第一、貧弱なお前ら二人だけでここから戻れると思ってんのか? 分かったら、さっさと支度しな。すぐに動くぜ」
言って、男はチシャを地面に放り捨てた。
「――{小盾/リシルド}」
「……っ!」
チシャが、驚いたように自分の尻を見た。
シルバの放った魔力障壁が、真下に敷かれていた。
「おいこら」
不愉快そうに、男はシルバの顎を蹴り上げた。
「うぶ……っ!」
「魔力の無駄遣いしてんじゃねーよ。お前の仕事は、俺様の回復だ。それ以外一切使うんじゃねえ。今度やったら、殺すぞ」
「だったら……」
シルバは口の端から滴る血を拭いながら立ち上がった。
「俺を殴るな。チシャもだ。お前がなんと言おうと、俺達は自分の回復はする。その分の魔力を無駄だと思うなら、やめておけ」
「……口の減らねえガキだな」
シルバは、男を睨んだままチシャに精神共有を繋げた。
(チシャ……何が何だか分からねーけど、説明はおいおい頼む。第六層が事実だって言うんなら、まず無事に戻るのが第一だ)
念話にチシャは一瞬ビックリしたようだが、シルバと目が合うと小さく頷いた。
(は、はい……)
そしてシルバは、自分の装備を確かめた。
司祭服はいつも通り。
武器はない。
眼鏡、篭手、針もない。
魔力ポーション充填済みの聖印。
レベルを現わすブラック・ブレスレット。
懐にある、何故か沈黙を守っている『悪魔』のカードと、煙管と小箱が切り札か。
そうか、表彰式の準備だったから、ほとんどないんだった、とシルバは悔やんだ。
(チシャの装備は?)
(わ、私も、似たような物です。武器も、防具もありません。シルバ様が拉致されて、見捨てる訳にもいかず……)
むしろ、逃げてキキョウやカナリーらに助けを求めてくれた方がよかったのに……と、シルバは思ったが、いざそんな状況に追い詰められたら、選択肢は限られる。
仲間がどこかに連れ去られようとしていて、敢えて背を向けるという決断は、中々に難しいだろう。
「……分かった。協力すればいいんだな」
「やれやれ、やっとかよ。物わかりの悪い糞ガキだ。行くぜ」
言って、男は剣を肩に担ぎ、建物の方に向かい始めた。
シルバに駆け寄り、チシャはハンカチで血まみれになった顔を拭いてくれる。
「物事はポジティブに考えよう。あの男が満足さえすれば、俺達は無事に帰れる。今の所は、そう信じよう」
「は、はい」
二人で男の背中を追いながら、シルバは呟く。
「……もちろん、戻ったら訴える方向でいくがな」
「そう、ですね……」
これは立派な拉致事件だ。
こんな無法が許されるはずがないし、地上に戻れば事件としてギルドに訴える事が出来る。
いくら何でもそれが分からないほど、男が馬鹿だとは思えないのだが……。
……ふと、シルバはもうこの世からいなくなった男と、それに巻き込まれた冒険者達の事を思い出した。
彼女達も、今の俺と同じような悔しい思いだったのか。
仲間達はどうしているだろう。
もう動き出しているだろうか。
などと考えていると、男は不機嫌そうにシルバ達に振り返ってきた。
「おいおいおい、何イチャついてんだあ~? 修羅場だってのに、ラブいてんじゃねーぞ、コラ?」
男と1メルトほど距離を取ったまま、シルバは足を止めた。
「シルバだ」
「あ?」
「シルバ・ロックール。こっちはチシャ・ハリー。冒険者なら、名乗るぐらいは最低限の礼儀ってモンじゃねーのか?」
シルバの強気に、くっく、と男は肩を震わせ笑った。
「表彰式の準備してたんだから、主役の名前ぐらい知ってんだろ。雑魚に名乗る名前はねー」
そうだ、とシルバは混濁していた記憶が甦りつつあった。
今がいつかは分からないが、空腹具合から考えると一日は経っていないはずだ。
気絶する前、シルバはチシャや他の教会関係者達と一緒に、墜落殿第五層突破記念の祭の準備をしていた。
そして第一突破パーティーの表彰式の準備中……。
男がふてぶてしい表情のまま指を突きつけてきて、シルバは我に返った。
「お前らの仕事は、補給タンク。それ以外の事は望んでねーんだ。そっちはちょっと別だけどな」
「ひ……っ」
べろり、と好色そうに舌なめずりする男に、チシャは怯えてシルバの腕を抱えた。
俺の後輩をそういう目で見るか、とシルバの堪忍袋の緒は切れる寸前だった。
「おい」
「何だザコ。お前ら低レベルが俺様に意見するなんざ、百年早えー。文句があるんなら、もっと強くなってからにしな」
「だったら――」
もうお前一人で行けよ、と言いかけて、シルバは自分の二の腕を掴んで震えるチシャを考える。
自分一人なら、誇りを取る。
こんな男とは即座に袂を分かち、生存の可能性は低いがそれでも一人で出口を探す。
けれど、チシャは。
ここまで自分を心配してついてきてくれた彼女は、絶対に地上に戻さなければならない。
だから、言葉が出なかった。
生き残る確率が高いのは、どちらか明白だったからだ。
歯を食いしばるシルバを、男はせせら笑う。
「だったら何だ? 一人で行けってか? いいよいいともよ。金は勿体ねえが、俺はポーションも幾つか用意してあるからな。だけど俺が見捨てたら、お前らは死ぬぞ? 新しく開かれた第六層。未知の層でお前ら上に戻れんの?」
シルバが無言でいると、それまで皮肉っぽく笑っていた笑顔を引っ込め、不愉快そうに舌打ちした。
「けっ」
そして鋭い蹴りが、シルバの腹に入った。
「が……っ!」
呼気と一緒に血反吐まで口から溢れ、シルバはその場にうずくまった。
「シ、シルバ様っ!」
「ザコがいっちょ前に意見吐くなっつーの! お前らは黙ってついてきて、俺様を回復させてりゃいーんだっつってんだろうが!」
なおも怒鳴りつけようとする男が、不意に口を閉ざした。
そして上機嫌になったかと思うと、凶暴な殺気を纏いながら肩に担いだ両手剣を鞘から抜き放つ。
「ようやっとお出ましか……」
直後、真上から羽音が響き渡った。
シルバが見上げると、天井から何匹もの巨大な蛾、グレートモスが襲いかかってきた。
が、男の剣の一振りで、二匹の蛾が両断されてしまう。
突進してきた一匹の頭部を、男の手が掴んだかと思うと、そのまま握りつぶしてしまう。
そして建物の中からは、手に剣や槍を持ち甲冑を着た骸骨達、ボーンファイターが次から次へと出現する。
しかしそれらを意に介する事なく、男は単身、動物じみた野生の動きで、モンスター達を嬉々として蹴散らしていく。
大きな口を叩くが、実力が間違いなくあるのは確かだった。
「はっ、チョロいチョロい!! こんなじゃ食い足りねーぞ、こらぁ!」
地面が揺れたかと思うと、男の真下から巨木のような棍棒を持つ腕が突き出て、5メルトはあろうかというでっぷりと太った禿頭のモンスターが姿を現わした。
禿鬼だ。
「ブモォォォ……!」
「よーしよし、それなりに歯ごたえの有る奴が出てきたじゃねーか……! オラ、行くぜえええぇぇぇ!!」
大きく振り回される棍棒を両手剣で受け止めながら、獰猛な笑みを浮かべた男は禿鬼に立ち向かう。
「腕は確かなようだけど……くそっ! こっちの事はお構いなしかよ!」
シルバは、{鉄壁/ウオウル}を自分とチシャに掛けながら、ボヤいた。
「カーヴ・ハマー……! あんな奴が、第五層突破の主役だったなんて、最低だ……!」
シルバの『大盾』とチシャの『小盾』に、ボーンマジシャンの放った火球がぶつかり、熱気が二人を灼く。
チシャを庇い、衝撃に顔をしかめるシルバの頭に、他者の意識が流れ込んできた。
(よし、今の内だな)
(ネイト!?)
ネイトの、精神共有だ。
カーヴや周囲の敵に気を配りながら、シルバは無言のまま、懐に潜むカードに手を当てる。今まで何をしていたのか。
(悪い、シルバ。どうも彼の勘の良さは尋常じゃなくてな。迂闊に君と接触を取ると、感づかれる恐れがあった。それに今の僕は、指示を受けなければせいぜいが周囲の状況を伝えるぐらいしか出来なくてね)
(ど、どなたですか、シルバ様?)
驚きの反応が、チシャから伝わってくる。
どうやらネイトは、チシャとも回線を繋いでいたらしい。
(僕の名前はネイト。奴に悟られては厄介だ。顔は正面を向いたままで頼む。姿を現せずにすまないな、チシャ君。正体はややこしいので今は伏せさせてもらうが、シルバの所有物だ)
(所有物!?)
ネイトの言う通り、少なくとも見た目は戦闘状態を維持したまま、チシャの表情がヒクッと引きつっていた。
(充分ややこしくしてるじゃねーかテメエ!?)
(しかしここは譲れない)
(胸張って言ってるんじゃねえよ!?)
(まあ、とにかくチシャ君、君の味方だ)
(は、はぁ……)
(あの男はしばらく放っておいてもいい。というか何もしないのが一番だろう。下手に手伝うと余計な事をするなと怒鳴られるぞ。それと、まだシルバの記憶は、若干混乱しているようだな)
カーヴの周囲に四つの魔力球が発生し、モンスター達に向かって放たれる。重い足音を立てて、建物の奥から出現した石像モンスター達が、粉々に砕けていく。
(言ってくれれば、心術で思い出させる事も出来るが……)
(必要ない。大体、思い出してきてる)
シルバは自分が意識を失う前の事を、思い返した。
魔人にされた冒険者を治療した翌日、シルバはいつも通りに早朝から、教会でのお務めに出ていた。
靄によって性別や能力を改編されていた冒険者達を、前日と同じように『悪魔』のカードで治療し終えたシルバを待っていたのは、第五層を突破した記念式典の準備であった。
時刻は九時。
開催まで三時間を切ろうとしていたギルド本部内は、シルバやチシャのような裏方が、慌ただしく動き回っていた。
「どーもさー、元気ないよなぁ」
道具の入った木箱を抱えながら、シルバはついさっき見たモノの感想を漏らした。
「何がですか、シルバさん」
同じく木箱を抱えたチシャが、シルバと並ぶ。
「ん、いや、さっき控え室でチラッと見た、表彰式に出るパーティー。『グレート・ハマー』だっけ? せっかく第五層突破したってのに、何だか景気悪そうに見えねーか?」
リストを見せてもらった所、メンバーは六人だ。
司祭の男が前の戦いで負傷し入院、とあったので表彰式典に参加するのは五人という事になっている。
おそらくトイレか何かで一人抜けていたようだが、見た所はごく平均的な編成だったと記憶する。
まあリーダーの名前がそのままパーティー名になっている辺り、ワンマンそうだなというぐらいにしか、シルバの印象には残っていなかった。
「ん、んー、そう言われてみると、ちょっと覇気もなさそうでしたけど……それよりも、私達は準備を進めないと」
道具置き場に、二人は木箱を置いた。
「だな。時間もあんまりない事だし。あー、力仕事はこっちに任せて、チシャはゲストの応対頼む。っていっても飲み物渡しに行くだけだけど」
「あ、はい。ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げ、チシャは調理場の方へ駆けていった。
それからしばらくして。
木箱の整理を終え、次の仕事に向かう途中、シルバはチシャから連絡担当である司教を中継しての精神共有で助けを求められた。
何かトラブルらしい。
駆けつけると、お盆を持ったチシャが途方に暮れていた。
「どうしたんだよ? 何でここで立ち止まってるんだ?」
困ったような顔で、チシャがシルバを見上げた。
少し涙目になっている。
「その……何だか、揉めているみたいで……」
「ふむ」
静かにしておいて欲しいという主賓の意向か何かなのだろう、石造りの通路には人気がない。
聞耳を立てるのは容易だった。
「やっぱり俺はいいわ。面倒くせーし、待つのに飽きた。表彰式はお前らやっといてくれや」
野太い声がと共に、椅子から立ち上がる音が響く。
次に若い声が続いた。
「ちょ、ちょっと待てよ!?」
「あ? 待てよ?」
「……う」
最初の男の声に、若い声は怯んだようだ。
「待って下さい、だろ? クソザコが。誰のお陰で、トップ取れたと思ってんだ? あぁ? 言ってみろよ」
「そ、それは……カーヴさんの、お陰だが……」
「だろうが。分かってるんなら、俺様のやる事に指図するんじゃねーよ」
「で、でも、名誉な事だろう!? この都市の住民がみんな注目するんだぞ?」
苛立つ男の声に、若い声が何とか反論を試みる。
「あー、そりゃその通り。俺様は目立つのも嫌いじゃねー」
「だったら」
バンと肉を叩く勢いのいい音が響いた。
多分、両肩か何かだろう。
「だ・か・ら、お前が壇上で言うんだよ。ウチのリーダーは、名誉よりも実を取った。こうしている今も、墜落殿の第六層に突入したってよ。大きく宣伝しといてくれよ」
「で、でも、せめて斥候班が戻ってからの方が……」
そこまで聞いて、チシャがシルバに尋ねてきた。
「……せ、斥候班って何ですか?」
「知らないのか? 冒険者ギルドの組織した、新階層調査チームだよ。新しい層になったら、色んなパーティの盗賊やらレンジャーを募って、何日か掛けて、その層の基本的な情報の収集をするんだ。未知の罠はないかとか、どういう種類のモンスターがいるかとかな。ま、あくまでも探りなんだけど」
シルバは小さく吐息をついた。
「……それにしても、ずいぶんと荒っぽいリーダーだな」
「や、やっぱりシルバ様もそう思いますか?」
「ああ。こりゃ、給仕は俺がやった方が良さそうだな。盆貸して」
「そ、そんな。悪いです……」
首を振るチシャから、シルバは盆を取り上げる。
中のやり取りはまだ続いていた。
どうやら、斥候班の事は、リーダーであるカーヴという男も知らなかったらしい。……余所から来た新参の冒険者なのかな、とシルバはそんな事を考えていた。
そして、更に中は荒れていた。
「だからテメーは馬鹿だって言ってんだよ! 常識で考えろよ! 斥候!? っざっけんな! そいつらがお宝をぶんどっちまうじゃねーか! 手つかずの遺跡の奥だぞ!? 俺に! 最初にあそこに入った俺様に、潜る権利がある! 第一にお宝を手に入れる権利があるんだよ! 名前を売るのなんて、後で出来らぁ! ちょっとはない頭を使えよこのカス!」
「うぐ……」
鈍い音と共に、呻き声が聞こえてくる。どうやら殴られたようだ。
「俺様は稼げるから、冒険者になったんだ! 力があれば、何でも手に入る! それが冒険者だろうが!」
「け、けど、いくら何でも一人ってのは……」
苦しげな声で、別の若い声がした。
どうやら、別のメンバーのようだ。
少し冷静になったのか、カーヴの声は多少の冷静さを取り戻していた。
「今回の仕事は、調査が主だ。フットワークは軽い方がいい。お前らゾロゾロ連れて歩くなんて、時間の無駄だ。せいぜいが一人か二人ってトコだが、回復のボルゼンが入院中だし……おい、ポーション寄越せ」
しばらくゴソゴソと物音がしたかと思うと、勢いよく扉が開いた。
「よし、お前らでいいや」
シルバとチシャを、いかにも戦士然とした男がふてぶてしい顔で見下ろしていた。
「え……?」
直後、頭に衝撃が走り、シルバは意識を失った。
(……っていうか、どうやって俺達ここまで来たんだ?)
式典の準備で、ギルドの建物は中も外も人だらけだ。
中ならまだしも、通りをシルバを担いで歩いていたら、いくら何でも不審に思われるだろうに。
(それは……)
チシャが言いよどみ、ネイトが言葉を引き継いだ。
(シルバとチシャ君を担ぎ、屋上から屋上を飛び渡って、特に苦もなく郊外に出た)
(猿かよ!? 装備にプラス人二人担いで、どういう筋力してるんだアイツ!?)
だが、少なくとも通りよりは格段に人気がないのは確かだ。
洗濯物を干す主婦や煙突掃除人にぐらい目撃はされるだろうが……シルバは頭を振った。
(……いや、そんなデタラメな未確認飛行生物、白昼夢か何かと思われるのがオチか)
人二人を担いで屋上から屋上を跳び駆ける、筋肉男。
あまりにシュールすぎる光景だ。
(……でも、目撃情報はある。それに、突然俺とチシャの連絡が絶たれた訳だから、先生なら異常に気付いてくれるはず)
司教でありシルバの師匠でもあるストア・カプリスは、おっとりはしているがいざという時には頼りになる。
忙しくて手が離せなくても、シルバの仲間であるキキョウやリフに、連絡ぐらいは入れてくれる……と思う。
……それだけをアテにするのもどうかと思うが、斥候班がまだ残っているなら、それが発見してくれる可能性だってある。
……自力での脱出以外にも、まだこれだけ希望があるのだ。
(その希望に縋るか、シルバ)
ネイトの問いに、シルバは小さく笑った。
(まさか。他力本願は趣味じゃない)
(だろうね。さすが僕のシルバだ)
(お、お二人は、そういう関係なんですか……?)
(違う)(そうだ)
チシャが動揺し、シルバとネイトは正反対の答えを返した。
……シルバはまだまだ、諦めていない。
逆さまになった建物の入り口の一つに侵入する。
中には、新たなモンスターが複数潜んでいた。
小柄な四足歩行の龍族、ベビードラゴンが炎のブレスを吐き出した。
シルバは、チシャを庇うように前に出て、自身は{大盾/ラシルド}で防御する。
だが、カーヴは火傷にも構わず、前に突進した。
「かっ! さすがに第六層は、上より歯ごたえがあらぁな!」
上機嫌に笑いながら跳躍し、ベビードラゴンの脳天に鱗を貫く剣の一撃を突き下ろした。
着地と同時に、両手を左右に広げる。
「だが! 俺様の方がもっと強い!! ――{空刃/カザキリ}二連!!」
両の手から勢いよく放たれた小型の竜巻が、カーブを挟み撃ちにしようとした二体のスモークレディを吹き飛ばした。複数同時攻撃も使いこなすらしい。
「戦士、ですよね、シルバ様?」
シルバの背後で、チシャが呆れたような声を出していた。
「戦士が魔法を使っちゃいけない理屈はないよ。俺が前にいたパーティーにも、回復魔法を使う戦士がいた――っていうか実際きついっつーの第六層、{大盾/ラシルド}!!」
カーヴの手を逃れた石像番人が、シルバ達に大きな拳を振り下ろす。
しかし、その攻撃はシルバが展開した魔力障壁で、阻まれてしまう。
「シルバ様、逆から――{小盾/リシルド}!!」
チシャが、シルバと逆に小さな魔力障壁を発動する。
けれども、その魔法では、骸骨の魔法使い――ボーンマジシャンが放った巨大な火球を完全に防ぎきる事は出来ない。
「ひゃうっ!」
「チシャ!」
衝撃に吹き飛ばされそうになるチシャを、シルバが身体を張って支えた。
シルバは石像番人とボーンマジシャン、どちらを取るか迷った。
「ちぃ……っ!!」
舌打ちしたカーヴが、腰から抜いた短剣を二本投げ放った。
ボーンマジシャンの頭は砕かれ、乾いた音を立てて崩れ落ちる。
シルバ達の目前で、石像番人の頭部も同じように砕け散った。シルバの目前で、ガラガラと瓦礫に成り果てる。
「うおっ!?」
「足引っ張ってんじゃねーよ、ボケが! 自分の身ぐらい自分で守りやがれ」
次々と現れるモンスターを、剣と魔法で相手取りながら、カーヴがシルバ達を罵倒する。回復だけと言いながらも、『大盾』などの魔法をシルバ達が使っている事は、スルーらしい。
シルバにしても、それどころではない。
「装備も何もなしで、無茶言うな! こっちはアンタのような規格外とは違うんだよ!」
生命の危機にテンションが高まり、そのままカーヴを怒鳴りつける。
「シ、シルバ様!」
「おっと、そういやそうだった」
本気で忘れてたという風に、カーヴは足下のモンスターから衣服を二つはぎ取った。
シルバ達の前に投げ捨てられたそれは、骸骨の僧侶、ボーンプリーストの鎖帷子だった。続いて盾と兜。
「それを使え。防具としては問題ねーだろ」
「ちょ、え? い、いいのか?」
シルバが驚いたのは、厚意そのものに対してではない。
てっきり、すべての成果は俺様のモノ、という感じのカーヴがあっさりと、装備類をシルバ達に提供した事に対してだ。
「そりゃ第五層で散々拾った。多少、質がよくても大して売れねーし、装備類はかさばんだよ。ほれ、武器もあった」
メイスが二本、さらに追加される。
シルバは鑑定に関してそれほど自信がある訳じゃないが、これらの装備が第三層の時のモノより遥かにいい事ぐらいは分かる。
鎖帷子を手に取りながら、チシャは戸惑っているようだった。
「じ、実はいい人……なんでしょうか……?」
「んな訳ないだろう」
(飴と鞭の飴の方だな。少なくともケチではないらしい)
シルバとネイトが、同時に一蹴する。
モンスター達は、カーヴが最大の脅威と判断したのか、彼に集中し始めていた。ネイトと話すなら、今の内だった。
(……なあ、ネイト。狙ってやってるのかアイツ?)
(半分正解、半分ハズレ。アレは計算じゃない。経験則だ)
(チシャ、お前だって教会で生活してるんだったら、多少、理不尽な上下関係ぐらい覚えがあるだろ。アイツ程じゃなくても、子供時代、我が侭な奴とかいなかったか? ガキ大将みたいなのが)
(は、はい、いました。けど……)
唐突な話題の転換に、チシャが首を傾げる。
(俺達は、いじめられっ子。そのガキ大将の横暴に耐えかねて、反抗しようとする訳だ。でも、そういう時に限って、何故かタイミング悪く、相手は妙に機嫌と気前がよかったり、いい笑顔をしたりして、こっちのやる気が削がれる。……っつー事に、実体験がなくてもイメージぐらいは出来るだろ。それと同じパターンだ。相手の気まぐれにこっちまでぶれちゃ駄目だ。基本的に、信頼しちゃ駄目な相手だからな)
シルバの言葉に、ネイトも続く。
(一番美味い蜜は自分が吸う。だが、格が落ちても充分上等な蜜が吸える……となれば、従う奴はいるだろう? たとえば『グレート・ハマー』の連中とか)
(忘れるな。俺達は、自由意志でここに来たんじゃない。連れてこられたんだ)
(誘拐犯に好意を抱く人質ってのは、よくあるパターンだ。冷静になれ。ああ、そうか。向こうの狙いがもう一つあるぞ。シルバと君がこの装備を着れば、共犯者だ)
(!?)
鎖帷子を手にしていたチシャが、驚きに目を見開く。
どうやら気付いていなかったらしいチシャに、ネイトが言葉を続けた。
(迷宮を出る時、シルバや君もそれなりの成果が与えられる。掠われたと主張しても、信じてもらうのはなかなか難しいだろう。何しろ証明が難しく、逆にカーヴが『協力してくれた』と主張すればその証拠だけは充分にある。彼のパーティーの連中は、間違いなく口裏を合わせるだろうし。……もちろん、これも深く考えての行動じゃない。これまでこういうやり方で、それなりに上手くやってきたんだろう)
(わ、分かるんですか?)
(何となくね)
実際はシルバが、カーヴの心の中をネイトに心術で読ませていたのだが、ネイトの素性は知られるとまずいのでそこは黙っていた。
もっとも、ネイトに言わせれば、カーヴの周囲の魔力が妙に乱れていて、かなり曖昧にしか読めないらしいのだが。
それはともかく、と、シルバは司祭服を脱ぎ、鎖帷子を着込んだ。
「俺達に選択の余地はない。……生き残りたければ、着なきゃならない」
「シ、シルバ様……」
少し失望したようなチシャに構わず、鎖帷子の上に再び司祭服を着る。
普段なら視界の広さを優先して兜は着けないのだが、今は防御力優先とそれと盾も装備した。メイスはシルバの場合、むしろただの荷物にしかならないので、放っておく事にした。
そんなシルバの様子を見て、カーヴは目論見通りと笑っていた。
「くく、それでいい」
そして再び、敵の只中に飛び込んでいく。
シルバを見るチシャの意識に、ネイトの念話が入ってきた。
(……今の戦闘の事だけじゃないんだ、チシャ君。終わった後の話だ)
(え?)
シルバの様子はまったく変わらない。
どうやら、シルバにはネイトの声は聞こえていないようだった。
チシャにだけ、この『声』は聞こえているらしい。
(シルバが防具を着なかったら、この後、あの男はまたシルバに暴力を振るうだろう。それはどちらにとっても、不毛な行いだ。逃げるにはまだ、あの男の力を見切れていない。こちらには煙幕の用意があるが、魔法まで使いこなせる相手となると逃げ切れるかどうか分からない。それに、これまでは今回の探索が終わった後、殺される可能性が高かったが、防具を着せるという事は、しばらく、もしくはさっき話した理由で迷宮を出ても生かしておいてくれるという可能性も高まった)
(生き残る為には、誇りも捨てると……?)
(一時的に、だがね。このままだと、君がただでは済まないから、探索が終わるまでに、シルバは必ず奴を裏切るだろう)
(え?)
自分の為……? とチシャは分からない事をネイトに伝えた。
(二人とも『共犯者』として、生きて帰れるかも知れない。けど君の場合は彼に辱めを受けるだろうから)
(あ……)
さっきの好色そうなカーヴの眼差しに、チシャの身体に悪寒が走った。
(一番最悪なのは、彼がその行為での『共犯者』も、シルバに強要する可能性があるって事だ)
(…………)
(無理だな。そんな事を、シルバが許すはずがない)
絶句するチシャに、ネイトは断言した。
(今は雌伏の時。逃亡を実行するまでは、どんな泥だってシルバは被るだろう)
二人の話にまるで気付く様子はなく、シルバはチシャの盾となるべく、あらたな防御呪文の準備に取りかかろうとしていた。
ネイトの姿はチシャには見えない。
が、その気配はそれまでの真面目なモノから一点、苦笑するようなモノに変わった。
(ま、シルバはシルバで別の目的もある。無理矢理とはいえ、第六層に来たんだ。だったら、生の情報を出来るだけ多く持ち帰りたい。そういう欲もあるから、君が気に病む必要は全然ないんだ)
それに、とまるでチシャがシルバの横顔を見つめているのが見えているかのように、困ったような意識が流れてきた。
(……本気で惚れられると、ライバルが増えるな)
(ネ、ネ、ネイトさん!?)
黒い染みのようなモノが天井に浮かんだかと思うと、霧状のモンスターがゆるりと出現する。その身体のあちこちに、苦悶の表情が浮かび上がっていた。
「悪霊系か。見た所、新種だな……!!」
未知の敵を前に、カーヴが獰猛な笑みを浮かべる。
さしずめ、グラッジフォッグ(祟霧)とでも呼ぶべきか。
悪霊系のモンスターには、物理攻撃は通じない。
だがその分、魔法には抵抗力が低いモノが多い。
そしてその中でも特に効果が高いのが、聖職者の扱う祝福魔法だ。
「あ、あれなら私達でも……」
「必要ねえ!」
印を切ろうとするチシャをカーヴは背を向けたまま手で制止し、そのまま印を切った。
握りしめたカーヴの拳が光り、それをグラッジフォッグ目がけて振り放った。。
「{神拳/パニシャ}三連!!」
三つの黄金色の拳が、グラッジフォッグを瞬時に霧散させた。
「祝福魔法……!?」
シルバが愕然とする。
「ゴドー聖教の信者!? で、でも聖印が……」
うっすらと汗をかき始めたカーヴの首には、信者の証である聖印は掛けられていなかった。
「あ~? んなもん、自分んちの中だよ。邪魔じゃねーか。テメエらはそこで大人しくしてろ。そして敵がいたら知らせろ。手ぇ抜いたら殺す」
「コイツ……」
シルバは呻いた。
カーヴは剣の腕も尋常ではなく、おまけに魔法使いと聖職者、両方の魔法を使いこなしていた。
その力でいい加減、敵の勢いもなくなりつつあったが、不意にシルバの視界の端で何やら動いた。
それに、先に気付いたのはチシャだった。
「み、右の部屋の奥に、オーガスパイダーです!」
そのモンスターは第五層にも出現していたらしく、シルバも情報だけは知っていた。体力はそれほどでもないが、素早い動きと放たれる粘糸、それに麻痺効果のある毒針が脅威とされている。
「何だと……!?」
部屋にいた最後のモンスター、石像番人を相手にしていたカーヴは、どこか焦った様子で剣を振るうのを止め、右を見た。
そしてそのまま、魔力球でオーガスパイダーを最優先で破壊した。
直後、ゴ……と鈍い音がし、カーヴの頬に石像番人の拳がめり込んでいた。
「…………」
一瞬、部屋が静寂に包まれる。
「イテエな、コラ……」
カーヴの手が、石像番人の手首を握り、そのまま力任せに粉砕した。
「死ね」
振りかぶった両手剣が、切ると言うより叩き壊すといった勢いで、石像番人を脳天から破壊した。
「はー……」
大きく息を吐き、カーヴは首をコキコキと鳴らした。
「っし、スッキリした」
両手剣を地面に突き刺すと、彼はシルバ達に振り向いた。
「おい、仕事だ。補給タンク。さっさと回復掛けろ」
「……そもそも、必要ないんじゃないか? アンタ、回復魔法も使えるだろ」
言いながらも、シルバは{回復/ヒルタン}をカーヴに掛ける。
もっとも、目立つ傷でもほとんど皮一枚程度の浅手だ。魔力の無駄じゃないかとすら思えるシルバだった。
「くくく……馬鹿かテメエ。いくら俺様でも、魔力は有限だ。お前らがいるなら、その分、他に回せるだろうが」
なるほど、とシルバは思った。
カーヴの性格は明らかに攻めにある。
自分やチシャが回復を担当するならば、それだけ攻撃魔法に重点を置く事が出来る。そういう事なのだろう。
だが、それでもシルバは納得いかなかった。
上機嫌な今の内がチャンスと、シルバは質問を試みる事にした。殴られたり蹴られたりするなら、その時はその時だ。
「それにしたって、デメリットが多すぎる。誘拐は重罪だ。この防具で俺が、恩に着ると思うのか?」
シルバは、自分の持つ盾をかざした。
だが、カーヴはそれを一笑に付した。
「それならそれで、別に構いやしねーのさ。どっちにしても無駄な事だからな」
「?」
どうやらシルバの知らない何かを、まだカーヴは隠し持っているらしい。
モンスターの死体や残骸の転がる部屋の隅に、両手剣を引き抜き、カーヴは近付いた。
「さて、と。お宝発見だ」
四角い宝箱を見下ろすカーヴの背後に、シルバとチシャも近付く。
「まさか、盗賊技能まであるのか……」
「忍び足や気配消しは憶えたが、解錠はねーよ」
それだけでも充分破格だ、とシルバは思った。
となると、あと考えられる可能性があるのは、シルバかチシャに試させるか……もしくはこの男らしく豪快に、剣で破壊する可能性もあるか。
「第一ありゃ失敗の可能性があるから、信用出来ねー――{解鍵/ヒラゴマ}」
印を切ったカーヴは、シルバの予想を裏切って解錠の魔法を使った。
……それから、部屋の中や死亡したモンスターを漁る作業を開始する。
ネコババしたら殺すと脅されながら、シルバとチシャもカーヴを手伝った。
ちょっとした小山と化した成果が部屋の中央に積まれ、その前にカーヴは胡座をかいた。
そして無造作に掴んでは、それの選定を開始する。
「ふん……コイツは俺様、これも俺様、これとこれとこれとこれとこれも俺様。よし、コイツはくれてやる。こっちは呪われてるがいるか?」
「いらねえよ」
その大半はカーヴが自分の手元に、それでも十数ある宝石や護符、アイテム類がシルバとチシャの前に放り投げられる。
それらはシルバ達の装備を一新するのに充分な量と質だった。
身体を強化する効能のある木の実や種は、その場で全部、カーヴが一人で食べてしまう。
装備類は後で回収するつもりなのだろう。
おそらく本来は天井裏だったはずの床下に、特に良いモノだけを隠してしまう。残った分は、シルバ達の好きにして良いという事になった。
「さて、と……」
カーヴは軽く息を吐くと、暗くなっている奥の通路を見た。
「……もう少し奥までいけるな。テメエら、ちゃんとついて来いよ。後、お前は死んでも、そっちの女だけはしっかり守っとけ」
……シルバの背後で、チシャは小さく震えていた。
――時間は半日ほど遡る。
シルバを迎えにアパートを訪れたキキョウとリフは、既に彼が部屋を出た事を知り、精神共有での連絡を試みた。
だが、それも通じず、シルバの師匠である白い司教、ストア・カプリスを尋ねる事にした。
ギルド本部は記念式典の準備で忙しく、職員を始め、教会関係者や工務を職にしているガタイのいい男達が忙しなく行き来している。
そんな建物の中にある、連絡用金管だらけの放送室。
本当に手が離せないようならすぐにでも退散するつもりだったが、割とあっさりお目通りが適い、二人は応接用のソファでストアと向き合った。
「突然、念話が途切れてしまったんですよ……困りました」
珍しく困った顔で、ストアは小さく溜め息をついていた。
「それから、行方不明と」
キキョウの問いに、ストアは頷いた。
「そうなんです。それで、ナツメさん達にロッ君とハリーちゃんを捜して欲しいんですけど……こちらは今、とても忙しい状況なので、お願い出来ますか?」
当然、とばかりにキキョウとリフは立ち上がった。
「無論、その依頼引き受けましょう!」
「に!」
「お願いしますね。」
にっこりと微笑むストアから、シルバとチシャの捜索を頼まれた二人であった。
廊下を足早に駆け歩きながら、キキョウとリフは相談する。
時々すれ違う職員が、疾風のように駆け抜けていく二人を何事かと振り返っていた。
「……という訳で、探す事になったのだが」
「にぅ……二人はちょっと厳しい」
「であるな。もうちょっと人手が欲しい。そちらは某が担当しよう。リフは誰か目撃者はいなかったか、情報収集を頼む」
「に!」
廊下が分かれ道になり、二人は二手に分かれた。
ものの数分もしない内に、キキョウは仲間の一人と合流する羽目になった。
「タイラン!?」
大きな甲冑姿の彼女は、式典の舞台設営の手伝いをしていた。
設営自体は終了しており、大工達は舞台の裏手で不必要になった資材の片付けを行なっている。
「あ、キキョウさん……お、おはようございます」
長く太い木材を抱えたまま、ぺこりとお辞儀をする。
「うむ。……しかし、何故にこのような場所で働いておるのだ?」
「その……何だか、ヒイロが、表彰される第五層突破パーティーに興味があるみたいで、一緒に式典を見ようという話になりまして……朝一で観覧席のチケットを取りに並んでいたんです」
「そのヒイロは見あたらぬが……?」
周囲にいるのは、汗の光るマッチョな大工ばかりである。
「何だか、そこのパーティーのリーダーが欠席という話を聞いて、やけ食いに走りました」
「…………」
相変わらず自由奔放な奴だなあ、というのがキキョウの感想であった。
「わ、私の方は、何だか準備に教会の人がいるみたいですし……もしかしたら、シルバさんも手伝ってるかなと思って……気がついたら、ここの現場監督さんに、仕事を振られてました」
タイランはタイランで、流されすぎる。
「……そのシルバ殿が失踪しているのだ。現場監督とやらには某が話をつけておくので、探すのを手伝ってくれ」
「し、失踪……!? わ、分かりました。お手伝いします」
「某は、ヒイロを捜してくる」
「多分、屋台通りの方にいると思います」
「うむ、某もそんな気がしていた所だ」
青空に、パンパンと小さな花火の音が鳴り響く。
ギルド本部の前には、何十もの屋台が並び、既に人でごった返していた。
そんな中でも、キキョウは仲間を見つけるのはそれほど難しくなかった。
「……ヒイロ、何だその量は」
何故なら、ヒイロは両手に大量の食べ物を抱えていたからだ。
「んぅー……残念無念だほへー」
浮かない顔で、イカ焼を囓るヒイロであった。
「モノを食べながら喋るんじゃない。歩くんじゃない。行儀が悪いぞ」
ヒイロは、口の中のモノを呑み込んだ。
「やけ食いだよう。せっかくさー、カーヴ・ハマーを生で拝めると思ったのにー。朝一で並んで一般席確保したのにー」
つまり、ヒイロは『グレート・ハマー』というパーティーではなく、カーヴ・ハマーに拘りがあるようだった。
何だかキキョウはそれが気になった。
「某はそれほど階層突破に思い入れがないので、よく分からぬ。そんなにそのカーヴという男はすごいのか?」
「階層突破云々は、ボクもよく分からないよ。キキョウさんよりも、この都市の滞在時間は長くないもん。カーヴ・ハマーはね、闘技場のチャンピオンなんだよ」
「チャンピオン?」
「うん。大陸南東部に小さい国があってね。クリスブレイズっていう基本的にマイナーな国なんだけど、一部では有名。観光業っていうか、その国の主な収入が闘技場での見せ物なんだよ」
「かのパーティーのリーダーが、そこのチャンピオンだと言うのか」
「うん。クリスブレイズには闘技場は複数あって、年がら年中、剣闘士やら拳闘士がやり合ってるんだけどね、その中でも一番大きいイベントが四年に一度ある、王城『ケインカッツェ決闘城』でのトーナメント御前試合。その前回優勝者だよ」
「……詳しいな、ヒイロ。まさかお主も参加していたというのではないだろうな」
ありえそうな話である。
「いやいや、大会には出てないよ」
「『には』か……つまり、滞在はしていたという事か」
「うん。ここに来る前には、そっちで稼いでたからねー」
「初耳だぞ?」
「うん、聞かれてないから」
「……それよりも、シルバ殿とチシャの捜索だ」
「ん? どゆ事?」
キキョウはヒイロに、事情を説明した。
「ヒイロはチシャの仲間達に声を掛けてくれ」
「あいあいさっ!」
そしてキキョウはギルド本部を離れ、人気の少ない高級住宅地を目指した。
カナリーの屋敷。
執事に案内され、キキョウは身支度を整えたカナリーと対面した。
ソファに身体を沈めたカナリーは、眠たげにしながらもキキョウの話を聞き終えた。
「……シルバが職場放棄するとは考えにくいね」
「であろう?」
「しかし祭の陽気に当てられ、チシャとデートに出ているかも」
「な、ななな、そのような事はないと、某は信じている!」
立ち上がるキキョウに、カナリーは眼を細めながら、金髪をくるくると指で弄ぶ。
「ま、その辺は僕もね。……やれやれ。吸血鬼にとってはとっくに就寝時間なんだが……んー……」
しばし考え、カナリーは紅眼を開いた。
「シルバの最後の連絡は、倉庫の整理を終えての移動中。チシャは第五層突破パーティーである『グレート・ハマー』に飲み物を出しに行っていた。前者はタイランが調べているだろうから、僕は後者の聞き込みに当たった方がいいね」
「『グレート・ハマー』は、何やら緊張しているので、面会お断りとか言われたのだが……」
ふ、とカナリーは笑った。
「貴族の挨拶ってのは、冒険者は割と断らないモノだろう? そういうコネは大事にするものさ。何、世間話がてら、聞いてみるよ」
「うむ、よろしく頼む」
最後にキキョウは、大通りに戻ると、『シュテルン便利事務所』と看板の掛かった建物に入った。
だが、所長であるクロエ・シュテルンは留守のようだった。
代わりにいたのは、金髪の生意気そうな子供と、ボーイッシュな軽装の盗賊娘である。
「っちゃー、間が悪いなぁ」
子供――カートンは、小さな手で自分の額を叩いた。
それに対して盗賊娘、シンジュ・フヤノも残念そうに頷いた。
「だぁね。所長なら大きい仕事が入ってて、留守なのさー」
「大きい仕事とは?」
「ないしょ♪ 今晩か明日には戻るっぽいスケジュールみたいだけどね」
「ま、いないモンはしょうがねーよ。とにかくシルバを探しゃいいんだな?」
椅子から身軽に飛び下り、テーストは子供用コートを羽織った。
一方のシンジュは、懐から竹製の計算機を取り出した。
「それでキキョウ、報酬は?」
ジェント製、算盤である。
「ぬ、う……か、金が要るのか」
慌てて、カートンは二人の間に割り込んだ。
「待て待て待て。コイツの言う事を真に受けるな」
「えー、だってこれ一応依頼じゃん? 報酬は正当な対価だと思うし!」
「やっかましい。んじゃ今度、飯奢ってくれ」
「分かった。それぐらいなら、文句はない」
「食べまくるよ!」
「ヒイロが二人に増えるのか……」
頭を抱えるキキョウに、カートンは肩を竦めてみせた。
「ま、何か分かったら、教会の司教様にでも伝えておくよ」
そしてキキョウはリフと合流する為、盗賊ギルドがある酒場……の横の空き地に入った。
猫に囲まれているリフを、発見したからだ。
仔猫もいれば大人の猫もいる。野良猫も飼い猫も区別なしだ。
「……リフ、その、お前のファンのような猫達は、一体何だ」
「に。きょうりょくしゃ」
リフから提供されたらしい焼き魚を一心不乱に頬張っていた猫たちが、一斉に顔を上げた。
「にゃー」「みー」「なー」
「……それで、何か分かったか?」
「に。墜落殿のほうがくに屋上を跳び駆ける巨漢のもくげき証言」
「にぅ!」
報告者(?)らしき猫が、威勢よく鳴いた。
「……シルバ殿達ではないのか」
「にぅ……二人かかえてたっぽい」
「にゃ!」
「その二人というのは、この二人か!」
キキョウは、ここに来る途中、クロエの事務所で描かせてもらったシルバとチシャの人相書きを猫達に見せた。
「…………」
リフもジッと、その人相書きを見、猫達に視線を向けた。
「にぅー」「なう」「みゃー」
鳴き声がやむと、リフはチシャの人相書きを指差した。
「こっちはいた」
そしてシルバの人相書きに、微妙に眉を下げた。
「……こんなに美形じゃないけど、よく似た人だったって言ってる」
「……に、似てないだろうか?」
「にぅ……」
リフは、自信なさげに耳を倒した。
キキョウとリフは、パーティーの仲間と合流し、教会の屋上へと続く階段を駆け上がっていた。
『グレート・ハマー』の面々は、カナリーの印象ではどうも何かを隠しているようだったという。
「もう少し、問い詰めた方がよかったのではないか?」
「今はもう式典の真っ最中だ。あれをぶち壊す訳にはいかないだろう。……ああ、もう少しゆっくり頼む。……日が昇っている間の運動は辛いんだ」
カナリーの足のペースは、パーティーの中で最も遅い。
吸血鬼に昼間から、長い階段を登れと言うのも酷な話である。
「某は別に式典を壊しても構わぬが」
「警備の者に、追い出されるのが関の山だよ。それなら、掠った者を追った方が良い」
情報を集めた結果、キキョウ達は、カーヴ・ハマーという男がシルバとチシャを連れ去ったという結論に達している。
彼が式典に出ない理由は、第六層の調査に一足先に出向いたからだという。という事は、二人もそこにいるという事だ。
もしやと思って、リフにシルバのアパートの鍵を開けさせてみると、装備一式は部屋に置いたままになっていた。
つまり装備も無しに、未知の階層に彼らは連れて行かれた事になる。
全員探索の準備を整え、シルバの装備もタイランが荷物入れに預かっていた。
「分からないなぁ。何で、カーヴ・ハマーは二人を掠ったのかなぁ」
「そ、そりゃ、一人で突入なんて、危険だからじゃないでしょうか……?」
腑に落ちない、というヒイロに、後ろから追いかけるタイランが答える。
「はぁ……『グレート・ハマー』の回復役は……ふぅ……現在入院中らしいしね。回復要員として連れて行ったのか……?」
カナリーは、壁に手を突きながら、自分の考えを述べた。
ヒイロは振り返ると、後ろ歩きで階段を登っていく。
「でも、カーヴ・ハマー、回復使えるよ?」
「ぜは……はぁ……そう、……なのか? やはり詳しいね、ヒイロ……」
「えへん。みんなよりは多少ね」
「なら……ひぃ……ふぅ……もうちょっと詳しく……教えてくれないかい? もしかしたら……相手取る可能性がある。敵になるなら……はぁ……情報は多い方が良い」
「むぅ……アレを相手にするのかぁ……」
うーん、とヒイロは難しい顔をして、腕を組んだ。
そしてそのまま、カナリーを見下ろす。
「カナリー、そろそろ担いだ方が良い?」
「……いや、結構。もうちょっとの……辛抱だし……」
「闘技場時代で分かってる範囲なら、カーヴ・ハマーは元々は剣奴隷でね。彼を買った貴族の、お気に入りだったらしいよ」
「貴族の……名前は?」
「んと、ルシ……るしたるの? ごめん、そういうのはよく憶えてないよ」
「ルシ……タルノ? ふぅ……聞かない名前だ……。はぁ……少なくとも……パル帝国の貴族じゃないね……」
「あ、あの……」
重い足音を響かせながら、タイランが変わらぬペースで階段を登る。
そのまま、遠慮がちに手を挙げた。
「……今は、その辺の背景よりはむしろ、実力の方が重要なんじゃないでしょうか」
「確かにな。そっちも、ヒイロが詳しいだろう」
キキョウが促すと、ヒイロは石造りの天井を見上げ、思い出しながら口を開いた。
「得意武器は両手剣。でも、槍や槌も使いこなすよ。攻撃性格は野性的な攻めの一辺倒で肉を切らせて骨を断つ事もザラ。得意なのは乱戦かな。動きが速くて、一度に二、三人まとめて倒しちゃう勢いなもんだから、危なすぎてむしろ味方も近付かないぐらい。で、厄介な事に、魔法も使いこなす。攻撃系と回復系の両方ね」
「回復術を持っているなら、シルバ殿やチシャは必要ないのではないか……?」
「それはどっかなー。自分回復させるぐらいなら攻撃魔法を一発でも多くってタイプだし」
「はぁ……だが……それにしたって……はぁ……人二人掠うのは……ふぅ……リスクが高すぎるだろうに……」
「何か、考えがあるのだろうか」
「もしくは……何も考えていない可能性もあるね……イケイケで攻めの一辺倒、ね……」
カナリーが顔を上げる。
ふと何か思い至ったモノでもあるのか、タイランも。
そして上からはリフがキキョウと一緒に、ヒイロを見ていた。
「え? 何でみんなボク見て、納得してるの?」
「あ、いえ、その……」
タイランが目を逸らし、どこかみんな気まずそうに顔を伏せた。
「……深い意味はないんだ」
ヒイロは特に気がついた様子はない。
「そっか。ところで何でボク達、鐘楼に向かってるのかな?」
答えたのはリフだ。
「に……通りはお祭りでヒト、多い」
「なるほど。ボク達も、屋上を跳び駆けるって事か」
「む、無理ですよ!? 私、そんなアクロバティックな真似……」
重甲冑を着込んだタイランは、ぶんぶんと首を振った。
「僕も……昼間は……ちょっと無理かな」
体力の限界に来つつあるカナリーであった。
「に。大丈夫」
リフは、屋上の扉を開いた。
教会の屋上にいたのは、5メルトを超える巨大な白い獣だった。
長い二本の牙が特徴的な、剣牙虎だ。
「来たか」
「フィリオさん!?」
タイランが目を剥く。
リフの父親、フィリオであった。
彼は身を屈めた。
「乗るがよい。人同士の諍いに絡む気はないが、姫の頼みだ。迷宮への運搬ぐらいはしてやろう」
「にぅ……父上、ありがと」
「うむ、よいのだよいのだ。だが、気を付けるのだぞ、姫。何かあればすぐに我を呼ぶがよい」
「に」
「フィリオ殿、よろしくお願いいたす」
深く頭を下げると、キキョウは身軽に跳躍し、フィリオの背に乗った。リフもそれに続く。
「よいしょっと」
キキョウやリフほどではないが、ヒイロも骨剣を背負い、フィリオの身体をよじ登る。
一方タイランは途方に暮れていた。
「わ、私はどうすれば……」
「ふむ」
フィリオは首を傾けると、タイランの胴を囓った。
そしてそのまま勢いよく首を持ち上げる。
「わひゃ……っ!?」
軽く宙に浮いたタイランが、そのままフィリオの背中に落っこちた。
残ったのは、息を整えているカナリーだ。
「に、カナリー早く」
「う、うん。どうにもこういう運動は苦手だな……」
「お前も、鎧の者と同じように持ち上げられたいか」
「け、結構……!」
無様にならない程度の身のこなしで、カナリーもヒイロを真似て、フィリオの身体をよじ登る。
「……猫はあまり好きではないんだけどなぁ」
「我を猫と一緒にするな、吸血鬼。では、ゆくぞ……っ!」
グワ、とフィリオの身体が持ち上がったかと思うと、大きく跳躍した。
疾風の勢いで、墜落殿のある方角へと突き進んでいく。
大通りでは、パレードが行なわれ、左右を観客が見物に連なっている。その内の何人かが、あんぐりと口を開いて、フィリオを目撃していた。
後に都市伝説となる、『祭の日になると、巨大な白き獣がアーミゼストの屋上を駆け抜ける』の元ネタがこれであった。
墜落殿は基本、地下である。
その事実は変わらない。
だが、これまでの階層のように、ほぼ全部が石造りではなく、三割ぐらい土の地面なのは、シルバにとって新鮮だった。
それもあるが、今のシルバの興味を引いているのは、別の事だった。
立ち止まると、専攻しているカーヴが岩を投げてくるので足は休めないが、幸いこの辺りにはモンスターもおらず、情報収集にシルバの頭脳は忙しい。
「どっかで見た事あるんだよなぁ……」
メモをした文字を眺めながら、シルバは首を傾げていた。
通りすがりに、ふと目についた文字だ。それほど長くはなかったので、とっさにメモに書き記しておいた。
「今の表札ですか?」
チシャの質問に、シルバは唸る。
「ああ。でも、どこだか思い出せない。っていうか古代文字なんて目にする機会なんてそうそうないはずだから、憶えてても良さそうなものなんだけどな」
むー、とシルバはそのメモを睨んだ。
出来れば、建物の中に入って調べたかったが、今のシルバには自由がない。
「あの、あんまりそちらに集中ばかりしていると」
また、カーヴか? と思ったら、不意に身体がつんのめった。
「うわっ」
かろうじて、転倒は避ける事が出来た。
土の地面に、足を取られたらしい。
「あ、危ないって言おうとした矢先だったんです。この辺りは、地面が荒れていますから。でも……荒れている所とそうでない所の差が激しいですね」
チシャは左右に目をやった。
「ああ。この層から多分、外になってたんだろうな」
「外?」
「墜落殿は、古代の天空都市が墜落して出来た遺跡だ。ひっくり返った形でな。でまあ造りとしては深い二枚の皿を互いに重ね合わせたような感じと思えばいい」
「はぁ……」
そうすると、円盤状になる。実際はもう少し上下に幅があったかもしれない。
「上の表層部が剥き出しの居住区で、当然上には空と太陽があった……と思う」
あ、とチシャも気がついたようだ。
「それがひっくり返ると……家の中の方は整備された通路になって、この剥き出しの土の部分は……」
「本来は、外になっていた部分なんだろうな。それよりチシャ、荷物大丈夫か」
「へ、平気です」
カーヴから与えられている、宝箱やモンスターからの奪った財宝は二人ともかなりの量になっていた。もっともマジックアイテムの類はほとんど配分されない辺り、カーヴも計算していると見える。
大半はカーヴが持って行くとはいえ、この探索一回でチシャがこれまで潜ってきた探索の総回数よりも多くの成果ではないだろうか。
荷物が増えれば増えるほど、足が重くなるのは事実だ。かと言って、これだけの額の財を捨てるのにも、相当な覚悟がいるだろう。
「惜しいのは分かるけど、逃げる時は軽い方が良いから」
「は、はい」
「どっかに隠せればいいんだけどなぁ……」
シルバはボヤきながら、天井を仰いだ。
「それにしても……ある意味、壮観だな」
ここは大通りなのだろうか。
廊下の幅は広く、天井もこれまでになく高い。
大型のモンスターが暴れても、不自由はしないだろう。
「……ですね。こんな広くて高い通路、初めてです」
「おい! モタモタしてんじゃねーよ!」
怒鳴り声を上げるカーヴは、地面から突如出現した大ミミズ・ブラッドワームを両手剣で切断していた。
その頭部が、シルバ達の目の前に転がってくる。
「……そして、あの男の暴れっぷりも、尋常じゃない」
「そ、そうですね」
血の臭いに釣られたか、空から左右の建物から、モンスターが出現する。
シルバ達も走り、カーヴと距離を詰めた。何だかんだで、現状一番安全なのは、彼の傍なのだ。
「今の所、使えそうなのは三体ぐらいか」
シルバは、増えつつあるモンスターの被害を眺め、呟いた。
そのほとんどがもう、カーヴに仕留められているが、一部のモンスターはまだ息がある。
「え?」
キョトンとするチシャに構わず、シルバは思考に没頭していた。
「つってもなー、戦闘力にいまいち不安が残るし、もうちょっと苦戦してくれるような相手じゃねーとなぁ……」
「な、何の話ですか?」
「ん? あー」
説明しようとして顔を上げたシルバの正面に、巨大な石造りの壁があった。
「つか何だこれ!?」
その壁はやや婉曲していた。
天井まで届いているので行き止まりかと思ったら、所々に窓らしきものが見受けられる。
カーヴを先頭としたこの臨時パーティーの前にも、人が通れるほどの四角い穴が空いていた。
「な、何かの入り口……でしょうか?」
「ハッ、どうだろうな。だが、こうして立ち止まっててもしょうがねえ。今日の探索はここを調べたら終了だ。入るぜ」
恐れる様子もなく、カーヴは暗い穴に入っていく。
「……妙に懐かしい気配がしやがる」
何だか妙に嬉しそうだった。
シルバとチシャも顔を見合わせ、彼についていった。
しばらくまっすぐに進むと、魔法光によるものか、明るい空間に出た。
一見すると、円形の広場だ。
天井はドーム状になっており、シルバ達はちょうど天井と地面の中間ぐらいの穴からそれを覗き込んでいる。地面――底まではかなりの深さがある。
その中央にも円形の広場がある。その周囲は座席だったらしく、長椅子の形になった石壁が無数に連なっていた。
それを上下ひっくり返してみると、すぐにこの建物の正体が分かった。
「コイツは……闘技場?」
「だな」
鈎付きロープをシルバの足下に放り投げると、ひょい、と無造作にカーヴは飛び下りた。
「っておい!?」
建物にして、五階分はあろうかという高さを落ちたにも関わらず、カーヴはダメージを受けた様子もなく、スタスタと先に進んでしまう。
「わ、私達も飛び下りるべきでしょうか?」
チシャが困ったように言い、シルバは首を振った。
「普通に死ぬから。あと、ネイト。この距離なら出ても大丈夫だぞ」
スッと、シルバの方にネイトが出現する。
「やれやれ、あの男は僕とシルバの間を妨げる。実に厄介だな」
「俺とお前の間はともかく、だ」
「ともかくではないぞ、とても重要な事だ。シルバとコミュニケーションが取れない人生など、出汁のないスープも同然」
「飲めない事もないな」
「このスープは出来損ないだよ。シェフを呼べ。僕は断じて認めない」
そんな二人のやり取りに、口元をチシャが綻ばせる。
「くすっ……」
「何だよ、チシャ」
「い、いえ、仲がいいんですね、二人とも」
「そんな事はない」「らぶらぶだ」
「そ、それよりそろそろ降りた方がいいんじゃないでしょうか」
「もしくは逃げるか」
ネイトが、背後の通路を振り返る。
「……逃げられると思う距離まで、アイツが俺達を放っておくと思うか」
「ないね。それとは別に、シルバやチシャ君が放っておけない事情が生じている」
ネイトが広場の先をスッと指差した。
そこには、ポツンと一人の女性が立っていた。その周囲にも、倒れている冒険者が四人ほど。
「……! 人がいます!」
「うお、マジだ!?」
シルバはロープを拾うと、下りる準備をした。
苦労しながら不安定なロープを降り、シルバは周囲を見渡した。
自分達が来た方角に、やはり同じような四角い穴があった。
「通路はある……」
「……が、通れるとは限らないね」
そう、中がどうなっているか分からない。
墜落殿が落下した時に、廊下が潰されている可能性も高いのだ。だが、そうでないかもしれない。
「くそ。いや、それよりも」
チシャが降りるのを手伝い、シルバはカーヴを追った。
ネイトは完全に気配を断つ。
広場のあちこちに、古びた剣や槍、盾が散らばっている。もっとも、古すぎてどれもほとんど使い物にならないが。
カーヴは、両手剣を抜き、既に臨戦態勢に入っていた。
「いい女じゃねーか……」
彼らの前にいたのは、胸と腰に粗末な布を巻いているだけの女性だった。
いや、少女と言ってもいい若さだ。
腰程まである黒い髪に、無機質だが黒目の大きな瞳。
透けるように白い肌には、赤い滴が滴っている。
それを見たチシャが一歩踏み出そうとするのを、シルバは手で制する。
「チシャ、それ以上近付くな」
「え?」
「あれは、返り血だ」
周りの冒険者達が、苦悶の声を上げている。
おそらく、少女の浴びた血は、彼らのものだろう。
……そういえば、斥候がどうとか、言っていたような気がする。という事は偵察に先行していた彼らなのだろうか。
それとは別に、シルバはここに来る途中、気になっていた表札を思い出していた。
見覚えがあったのは、石板に刻まれた文字だ。
文字の刻み手は、人造の奴隷を造っていた。
その目的は日常の世話と娯楽用として造られたモノだ。
「……俺はこの気配を知ってる。畜生、そうだよ娯楽用――闘技場だ。アレは、アイツと同種の奴だ」
少女が手をスッと手をカーヴ達に向けた。
その手から低い音が鳴っているのに気づき、シルバは印を切った。
「{大盾/ラシルド}!」
直後、カーヴは凄まじい速度で右に回避、シルバ達は魔力障壁で少女の右手から放たれた目に見えない『何か』を受け止めた。
「衝撃波っ!?」
突風に暴れる髪を押さえながら、チシャは何とか足を踏ん張った。
かろうじて、シルバも立っていられるが、かなりきつい。
ともあれ、目の前の彼女がシルバの考えている通りの相手なら、相当にまずい。
「ヤバイぞ、戦闘用人造人間だ!!」
シルバは叫んでいた。
黒髪の人造人間は、この中で誰が一番戦力が高いかを即座に見抜いたようだ。
持ち上げた腕を、回り込んだカーヴに向ける。
衝撃波の渦が生じ、手の平から肘までを包み込む。
何らの躊躇もなく破壊の衝撃が、カーヴに放たれた。
だが。
「威力が弱ぇっ!!」
カーヴは衝撃波そのモノを両断し、人造人間に迫る。
「んな攻撃、初見で見切れんだよ!」
放射状に放出される衝撃波は、見た目より遥かに威力が弱い。
それは、{大盾/ラシルド}で攻撃を受け止めた司祭の具合を見て、カーヴも大体理解出来ていた。
ならば、とカーヴはその腕そのモノに狙いを定めた。
勢いよく、カーブの剣が振り下ろされる。
「っ!?」
鈍い音がして、カーヴの刃は腕に食い込んでいた。
骨が強いのか……いや、それ以前に皮膚だ。皮膚そのモノも強化されていて、刃を通さないようにしているのだ。
そして岩をも持ち上げるカーヴの腕力を考えれば、骨もまともなモノではないだろう。
「刃が、通らねえ……っ!」
一旦退こうとしたカーヴだったが、それよりも人造人間の細い指が太い刃を握る方が早かった。
低い音がし、刃が粉微塵に砕け散る。
チッと舌打ちして、カーヴは距離を取った。
手の中にある両手剣はもう既に武器の体を成していない。
「……それなりに、高かったんだがな-、この剣」
それを捨て去り、印を切る。
刃が刺さったはずの人造人間の腕には、うっすらと線のような痣が残っただけで、それもすぐに消えてしまった。
「なら、コイツでどうだ!」
カーヴの周囲に四つの魔力光が出現したかと思うと、それが特大の弾丸となって人造人間に襲いかかる。
人造人間は防御――すらせずに、カーヴとの間合いを詰めてきた。
「な――」
魔法を放ったばかりのカーヴはさすがに無防備だ。
伸ばされた細い腕を回避するので、精一杯だった。
「こっちの攻撃、おかまいなしかよ!」
人造人間は、ただ無表情に、カーヴと相対する。
互いの魔法と衝撃波が炸裂し、瓦礫が嵐のように乱舞する。
シルバとチシャは、そんな彼らの戦いを間近に見ながら、何とか倒れている冒険者達に近付いていた。
「……後退を知らない豆戦車。ヒイロのアッパーバージョンだな、ありゃ。名前は色白だし、とりあえずシーラ(白)とでもしとくか」
「あ、あのシルバ様、そんなのんきな。……それに髪は黒いですけど?」
「クロだと、クロエと被るんだ」
『クロ』が付く名前の人間が、これ以上増えても困るのだ。
と言っても、心当たりのもう一人はもうこの世界にはいないはずだが。
まあ、白だと先生と被るんだけどな、と内心ぼやく。
「……気を利かせてくれるのは有り難いですけど……起こしてくれると助かります」
俯せになった全身黒尽めの冒険者が、呻き声を上げた。
シーラにやられたのだろう、他の冒険者達と同様、ボロボロになっている。
血の滲んだ身体をシルバが抱き起こすと、何だか見知った顔の美少女だった。
「ってクロエかよ!? 精神共有で繋いでくれたらよかったのに! いや、そもそも、どうしてこっちの念波が反応しなかったんだ!?」
「……そもそも……シルバがこんな所にいるなんて、思いませんでしたから。それにこちらも……それどころでは……」
かろうじて声は出せるが、動けるほどの体力があるようには思えない。
それでも、ピクリとも動かない他の連中よりはマシかもしれない。
なんて考えていたら、カーヴとシーラの戦闘が近付いてきていた。
「邪魔だ、どけ糞ガキ!」
このままだと、二人の足がシルバやチシャ、冒険者達を蹴り飛ばしてしまう。
シルバは息を吸い込んだ。
「お前らこそ邪魔だ! どけっ!」
肺活量をフルに使ったシルバの一喝が、至近に迫ったカーヴとシーラを左右に分かつ。
「ひぅっ!?」
シルバの傍らにいたチシャも、ぺたんと尻餅をついてしまっていた。
衝撃波にも劣らないその声量は、シルバを中心とした円状に瓦礫を吹き飛ばしていた。
「こ、この糞ガキ……!」
自分が動揺したのが許せないのだろう、カーヴはシルバをにらみ付けながら、ブルブルと拳を振るわせていた。
だがシルバは動じる様子もなく、印を切った。
「余所見してて良いのか。――{大盾/ラシルド}」
その途端、カーヴの前面に透明な魔力障壁が生じる。
直後、シーラの衝撃波がカーヴを襲う。
「う、お……っ」
当然ながら、カーヴは無傷だ。
衝撃波を放ったシーラは、戦っている相手、カーヴではなくシルバを見ていた。
だがすぐにカーヴに標的を戻すと距離を詰め、衝撃波を纏った拳で彼を殴りつけようとする。その速度は、カーヴにも些かも劣っていない。
どんどんと攻めるシーラのお陰で、二人は次第にシルバ達から遠ざかっていく。
「向こうの方が冷静じゃねーか、タコ」
戦闘を再開したカーヴ達を見届けながら、シルバは毒づいた。
「ど、どうして襲われなかったんでしょう」
チシャが首を傾げる。
「多分、戦力外って見做されたんじゃないか? 今一番の脅威は、何だかんだであの男だからな。俺達を襲おうとしたら、アイツが横から攻撃してくるのは分かりきってる。とにかく、倒れてる冒険者の治療だ」
「は、はい」
「まずはクロエに{回復/ヒルタン}」
印を切り、クロエの胸に当てた手が青い聖光を生じる。
脂汗をかいていたクロエの表情が、少しずつ和らいでいく。
シルバはそのまま、チシャが身体を仰向けにしていく冒険者達を見た。
「つかクロエ以外は、{復活/ヤリナス}がいるな……」
そして動けない状態にある戦闘不能者の意識と活力を引き上げるこの魔法は、複数を同時には使えない。
「わ、私はまだ使えません」
「俺がもう一人やるからクロエ、二人頼む。チシャは起きた人の体力の底上げをしてくれ」
「分かりました」
「は、はい」
闘技場のやや離れた場所で、破壊音と共に濛々とした埃が巻き起こる。
そしてその破壊跡から、全身に浅傷を作ったカーヴといまだに無傷のシーラが飛び出てきた。
「衝撃波の威力が弱いのが難点か……でも、それなら」
シルバは周囲を見渡し、地面に突き立った金属製のやや太い棒に視線をやった。
地面に転がっていた武器をいつの間にか拾ったのだろう、カーヴは鉄塊のような棍棒を振るっていた。
「こいつで、どうだ!」
その棍棒が、シーラの膝を直撃する。
狙いは関節だ。
しかしそれすらも特に効いた様子もなく、同じペースで距離を詰めてくる。
「これでも動くかよ。いい加減、鬱陶しくなってきたな」
印を切り、常時体力を回復し続ける祝福魔法{再生/リライフ}を唱える。魔力は消耗するが、マジックポーションぐらいは持っている。
それよりも、とカーヴは額の汗を握った。
とにかくシーラの表情が変わらないのが不気味だった。
どれだけ自分の攻撃が聞いているのか、分からないのだ。
人間なら苦しげな顔をするし、獣でも咆哮を上げる。無生物系のモンスターでも、それなりの感触が分かるというモノだ。
それが、目の前の女には一切ない。
こんな相手は、戦中でも闘技場時代でも冒険者になってからも、出遭った事がなかった。
シーラとの距離はもう少し、しかし防御は性に合わない。
迎撃しようと拳を固めるカーヴの前で、シーラが急加速した。
「っ……!?」
裸足からの衝撃波。
噴射のように噴き出したそれが、シーラに超加速を可能とさせたのだ。
それまでのスピードに慣れていたカーヴの目は、一瞬、その動きについていけなかった。
直後、カーヴは腹部から強烈な痛みと衝撃を感じ、喀血した。
「がふぁ……っ!!」
なるほど、遠距離なら分散される衝撃波も、相手に直に触れれば関係ない。その強力な破壊の衝撃が、ダイレクトに身体に叩き込まれてしまう。
――だが、これで勝機が見えた。
唇の端から血を滴らせながらも不敵に笑うカーヴの顔面を、シーラの手が掴んでいた。
カーヴの両足が浮き、衝撃波が直接顔面に叩き込まれる。
「がああああああ!!」
カーヴは、初めて悲鳴を上げた。
カーヴの不利に、チシャが慌てた声を上げる。
「シ、シルバさん! あ、でも武器ないですし……」
「おりゃ!」
あたふたとするチシャの頭上を、何かが二つ飛んだ。
続いて、重い物が落ちる音がする。
チシャが振り返ると、カーヴはシーラの手から脱出していた。
人造人間シーラの足下には、大きめの石ころと短剣が落ちていた。
「もうちょっとマシなモノを投げられないんですか、シルバ」
呆れたように、クロエが言う。彼女が短剣を投げたのだろう。
「武器自体持ってないんだよ、俺は!?」
「そうでした」
やれやれ、とシルバは、揃って立ち上がった冒険者達に尋ねた。
揃いも揃って身軽な服装、クロエも含めて男女ともに二名ずつと言った所か。
控え室でカーヴの仲間が言っていた、この階層を調査しに来た斥候班の連中なのだろう。
「で、アンタら、もう自力で動けるよな?」
「あ、ああ、礼を言う。カーヴ・ハマーとその仲間か。助かったよ」
非常に不本意な解釈だった。
「……いや、仲間って訳じゃないんだが……まあ、いいや。それよりも――」
ここが危険な場所なのはどんな阿呆でも分かるので、説明する時間も惜しい。
むしろ、彼らが奥を見て、どこか焦った様子でいる方が気になった。こういう態度を取る理由でまず考えられるのは、一つだ。
「もしかして、まだ、仲間がいるのか?」
答えたのは、クロエだ。
「いました。けど、後回しです。今は情報を持ち帰るのが最優先になります」
「み、見殺しですか!?」
チシャが驚く。
「いえ、そうじゃないんです。しかし、説明している余裕は私達にはありません。それに」
同じように動揺している仲間達を、クロエは見渡す。
「死んでいないのは、皆も分かっているでしょう? まだ、そちらには猶予はあるんです。なら、この階層の事を、上に伝える事が第一です。この戦力で進んでも、犬死にですからね」
「……厳しいんですね」
途方に暮れたように呟くチシャに、クロエは苦笑する。
「階層が下になればなるほど、天秤の計算が早くなければならないんですよ」
よし、とシルバは決断した。
「なら、三人はこの子を連れて逃げてくれ」
チシャを、斥候達の前に出す。
「え?」
ここでカーヴと自分達の事を、長々と説明もしていられない。
まずは、彼女を逃がすのが、最優先だ。
「俺の方は、まだやり残した事があるんで。クロエだけ残ってくれると助かる」
「もちろんです」
こういう時、阿吽の呼吸の分かる幼馴染みというのは有り難かった。
「で、ですけど……」
困惑しているチシャに、シルバは精神共有を繋いだ。
(この連中と一緒なら、カーヴも迂闊な真似は出来ない。やろうとしても、俺が足止めする)
(しかし、それだとシルバ様が……)
(いや、勝算はあるから、大丈夫。それに、正直議論している余裕もないだろ)
出来るだけ軽い調子で念話を飛ばし、シルバは斥候達に視線を向けた。
「斥候なら、煙玉みたいなの持ってないか?」
「あ、ああ、それなら俺のをやろう」
「あと、マジックポーションがあると助かる」
「それなら、アタシのと」
「オレので」
シルバは、煙玉とマジックポーションを受け取った。
「わ、私のも使って下さい」
チシャの差し出した聖印を、シルバは有り難く受け取った。
「助かる」
そのまま中身を飲み干し、器だった聖印をチシャに返す。
ひとまず、魔力の補充は出来た。
「それじゃ、気を付けて帰ってくれ」
カーヴから手に入れた財宝は、シルバの分も合わせて四人に分けて運んでもらう事にした(分配などはチシャに任せる)。
一番力のありそうな冒険者が、チシャを担ぐ。
チシャに走らせるより、そっちの方がまだ早いのだろう。
頭を下げる斥候や心配そうな顔のチシャに別れを告げ、シルバはクロエと一緒に、破壊の渦へと身を投じていった。
「……チシャを逃がしたから、すげえ怒ってるだろうなあ」
はは、とシルバは引きつった笑いを浮かべた。
「テメエ、何勝手な事してやがる!?」
相手から目を離さず、衝撃波を棍棒で弾きながら、カーヴが怒鳴る。
シルバは平然としたモノだ。
「アンタにチシャを差し出す義理なんてないだろ。知人の貞操が危ないのが分かってるのに、見過ごせって方がどうかしてる」
「シルバ、私は良いのですか。野獣に身を捧げろと?」
どうやらクロエも、カーヴにいい感情は持っていないようだった。
「いや、お前なら、まだ自力で逃げられそうだし。チシャには絶対無理なのは分かるだろう」
「……とりあえず、彼とシルバが味方同士じゃないのはよく分かりました」
理解が早くて助かる、とシルバは思った。
こういう時、幼馴染みというのはいいモノだ。
「まあいい」
シーラと激しい打ち合いを繰り広げながら、カーヴは歯を剥いた。
「これが終わったら、二人で楽しませてもらう」
「……男も守備範囲ですか」
「違う!」
「勘弁してくれよ!?」
クロエの言葉に、カーヴとシルバが同時に突っ込んだ。
「コイツと!」
カーヴの回し蹴りが、シーラの側頭部に炸裂する。
構わず衝撃波を纏った拳を振るおうとするシーラに、鉄塊のような棍棒が横振りの追い打ちを掛ける。
「お前だ女!」
シーラは踏ん張った足を引きずりながら、1メルト程左に弾かれる。
だが、汗もかかずシーラは再び、同じペースでカーヴに衝撃波を放った。狙いは本人ではなく、武器の方だ。
虚を突かれ、危うくカーヴは武器を弾き飛ばされそうになった。
「……勝手な真似をした、テメエは殺す」
荒い息を吐きながら棍棒を握り直す。誰の事を言っているのかは、考えるまでもない。
「そいつに勝てたらな。苦戦してるみたいじゃないか」
「手伝いは必要――」
カーヴの突き出した手の平から巨大な火球が出現し、シーラに向かって放たれる。
直後、カーヴは跳躍した。
「――ねえ!」
火勢に一時的に視界を防がれたシーラは、頭上からの攻撃に対応出来ない。
振り下ろされた棍棒を、脳天から食らった。
「どっちもタフですね」
「……うん、そこは認めざるを得ない」
一瞬動きを止めたシーラだったが、すぐに復帰した。
しかし、カーヴはその一瞬で充分だったようだ。
「オラ」
カーヴの巨大な手の平が、シーラの剥き出しになっているお腹を掴んだ。
次の瞬間。
「お返しだ!!」
ズン……ッ、と恐ろしく鈍い音がした。
カーヴの両足が地面にめり込み、放射線状の亀裂を作っていた。
手の平から煙が生じ、何やら攻撃を食らったらしいシーラは、動きを止めていた。
表情をそのままに、ガクンと力尽きる。
何が起こったのか分からないシルバの横で、クロエが呟く。
「内功で攻めましたか」
「ナイコウ?」
「身体の内側。皮膚や骨にダメージを与えられなかったので、体内の気脈を刺激したんですよ。なまじ、外の殻が厚い分、ダメージも相当だったでしょう」
「ヒイロが使う気みたいなモンか」
「そう、そんな感じです」
そういえばさっき、同じような攻撃をカーヴ自身が食らっていた。
鍛え上げられた肉体でも、ダイレクトに衝撃波を与えられて相当に苦しかったはずだ。
やり返した、という訳か。
「さすがにテメエも内臓までは、鍛え切れてなかったようだな……」
肩で息をしながら、カーヴは倒れ込んだシーラを、脇に抱え込んだ。
……棍棒を肩に担ぐその姿は、何だかそのまま蛮族の山賊頭領のようだった。
となると、次のターゲットは自分達だ。
(それにしても、お前がやられるなんてな……)
精神共有で、シルバはクロエに念話を飛ばす。
(私一人ならまあ、何とかなったんですけどね)
(他の連中が足手まといだった、と。確かに、手強そうな相手ではあったけど、何人もいたんなら、分散するとかなかったのかよ。さっきの話だと、逃げた三人以外にもまだ奥に捕まってるのがいるんだろう?)
(分散はしたんですよ。ただ……)
スイ……と巨大な棍棒が、シルバに突きつけられて、精神共有は切断されてしまう。
「相談は終わったか?」
「まだ、途中なんで待ってくれないか」
シルバが言うと、にい、とカーヴは獣のような白い歯を剥き出しにした。
「嫌だね。テメエの言う事を聞く理由がねえ」
「奥に、まだ捕らわれている奴が何人もいるって話なんだがな」
「へえ……」
カーヴは、奥を振り返った。
闘技場の向こうには、やはり黒い穴が開いている。
その先に、捕らわれた人々がいるのだろう。
だが彼は、シルバに視線を戻した。
「……それで、お前を殺るのと、どういう関係が? いいんだよ、そんな事は今はどうでも。こっちは滾ってんだ」
そして無造作に、シルバの脳天目がけて、棍棒を振り下ろした。
だが、その時にはもうシルバも準備は出来ている。
「{大盾/ラシルド}!!」
魔力障壁が出現し、それが砕かれるよりも早く、シルバは素早く後退していた。
「本気のようですね」
カーヴの脇に回り込みながら、クロエは腰の後ろから双剣を抜く。
ふん、と脇にシーラを抱えたまま、カーヴは傲慢な笑いを浮かべる。
「たった二人で、俺に勝てるとでも思ってんのか?」
シルバに追い打ちを掛けない所を見ると、どうやらカーヴにはまだ余裕があるようだ。なるほど、シーラならともかく、自分達になら全力でなくても勝てるという訳か。
「私達だけでも勝てない事はないですけど、決め手に欠けますね。前衛職……シルバと私で組むなら、フィーが欲しい所です」
修業時代の懐かしい名前が出て、シルバは思わず苦笑いをした。
「……はっはー。無いモノはしょうがないだろ。別の前衛ならいるけどな」
呟き、シルバは胸に手を当てた。
それまでずっと沈黙を守ってきたネイトに、ある『命令』を施す。
直後、ガクンと自分の中で魔力が消費されたのを自覚した。
目眩を起こすシルバの前に、鬼の顔をして笑うカーヴが立っていた。
「いいから、死ね」
「シルバ!?」
慌ててクロエが、横からカーヴを襲おうと距離を詰めてくる。
しかしそれよりも早く。
「……死ぬのは君だよ」
カーヴの背後から声が響き、衝撃波が彼の全身を貫いた。
「げはぁっ!?」
大瀑布のような激しい音を立てながら、五秒ほど経過しただろうか。
白目を剥き、口から煙を吐いて、カーヴの脇からシーラが解放される。
立ったまま気絶するカーヴに一切構わず、シルバは彼女を引きずってクロエと合流した。
「シルバ。回復を頼む。動けない」
「あいよ」
カーヴと距離を取ると、俯せのままそう要請するシーラに、シルバは印を切った。
青白い聖光が生じ、彼女の体力を癒していく。
「……何だかどこかで覚えのある台詞回しですね。カナリーさんですか?」
「ふふふ、幼馴染みを忘れるなんて冷たいじゃないか、クロエ」
ムクリ、と起き上がったシーラは、それまでの無表情とは異なり、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。
「…………」
クロエは眉をひそめ、それから何かに気がつくと、シルバに黒い笑顔を向けた。
「シルバ、どういう事か説明してもらえますか? ど う し て こ こ に 、 ネ イ ト が 出 現 し て い る の で す か ?」
「待て、クロエ。笑顔が怖い。そ、それに今は争っている場合じゃないだろう」
今にも双剣を突きつけてきそうな雰囲気に、シルバは慌てて弁解した。
「うん。シルバに当たるのはやめてくれるかな。まだ、力加減が分からないんだ。クロエを殺したくない」
「ってお前も不穏な事を言うなよ!?」
と、それどころじゃないのを、シルバは思いだした。
「漫才をやっている場合じゃないな。すぐに復活してくるぞ」
もちろんそれは、仁王立ちしたまま動けないでいるカーヴの事だ。
今、カーヴに手を出さないのは別に騎士道精神からではない。単純に気絶している振りをしている危険性があるからだ。
「この戦力なら、逃げるよりもここで迎撃するべきだな」
立ち上がり、シーラ=ネイトは自分の身体の具合を確かめる。
「短期決戦にしないと、まずいですよ。援軍が来ますから」
「敵の?」
シルバの問いに、チラッとクロエは奥の出入り口を見た。
「味方が来る可能性は望み薄です。それより今回は、一体どんなイカサマを使ったんですか?」
ちょい、と右の剣で、胸の大きさを確認しているネイトを指す。
「説明するとややこしいんだが」
シルバは、自分の懐にあるカードに手を当てた。
「……つまりアレは『悪魔憑き』だ」
シルバの持つ『悪魔』のカードは、悪魔という概念を具現化する。その応用だ。
シルバの目論見は単純で、まずはカーヴを限界まで疲労させる。
苦戦するほどの相手が出現してくれるなら、ベストだ。
そして、その相手にネイトを憑依させる。そしてシルバとチシャで彼女を後方支援。弱ったカーヴを叩く。そう考えていた。
ここに来るまでに何体かの候補はいたが、少なくともシルバの見た所、シーラ以上の強さを持つモンスターは今までの所いない。
それに加え、クロエが参戦してくれたのは、僥倖だったと言える。
ただ、この悪魔憑きの難点は、かつてノワが『女帝』のカードで用いた『強制』と同じく、魔力を馬鹿みたいに食う点だ。ネイトの獏としての特性『心術』を使ってもよかったのだが、気絶している相手には憑依の方が安全だという事で、そちらを採用した。
「ググ……」
歯を食いしばり、カーヴが殺気を放出する。
自分で回復を行なったのだろう。
すぐに動きを取り戻し、カーヴはシルバ達に向かって突進してくる。
「この三人で組むのは久しぶりですね」
「前は、二人と一匹だった訳だが」
「さあ、第二ラウンドといこうか、カーヴ・ハマー。3対1だが卑怯とは思わない」
マジックポーションの用意をしながら、シルバは言った。
挨拶代わりに放たれたネイトの衝撃波を、カーブは太い棍棒で弾き飛ばす。
「効かねえっつってんだろが!」
そしてそのままの勢いを利用して、大振りの一撃をネイトに叩き込む。
いや、叩き込もうとした。
「――ふふふ、驚いたようだね」
カーヴの攻撃は、盛大に空振っていた。
大きく海老ぞりになったネイトの頭上を、通過していく。
驚愕するカーヴに、ネイトはシーラの無表情とはまるで異なる微笑みを浮かべていた。
「これまでほぼすべての攻撃を受け止めてきたから、まさか避けるとは思わなかったと見える」
そのままブリッジ状態に移行したネイトは両腕をバネにし、衝撃波を纏った両足でカーヴの顎を蹴り上げる。
「がふぁ……っ!?」
血と唾液を飛ばしながら、カーヴが仰け反る。
ネイトはそのまま腕を軸に回転しながら立ち上がると、カーヴに肘打ちを叩き込もうとする。
しかしカーヴの目はまだ死んでいない。
右腕が跳ね上がり、大きな手がネイトの顔面を包み込む。
握力だけで握りつぶすつもりか。
その彼女の全身を、虹色の光が包んでいた。
シルバが放った祝福魔法、物理防御力を高める『鉄壁』だ。
「そんなモノ、通じやしないよ」
カーヴの手などおかまいなしに、ただでさえ防御力の高い肉体を持っていたネイトは、そのまま肘打ちを彼の胸板に叩き込んだ。
たまらずネイトの顔から、手が離れてしまう。
「カハッ……! く、糞ガキぃ……!!」
咳き込むカーヴの視界の端で、シルバは何やらチョロチョロと動いていた。
それがまた、カーヴの癇に障る。
「ネイト、受け取れ!」
「うん、助かる」
何が投げ込まれたのかと思ったら、握りのついた丸い金棒だった。
「そんな棒っ切れで何が出来るってんだよ!」
そもそも、ネイト=シーラの肉体の頑丈さは、拳も例外ではない。
金棒など持った所で、むしろ攻撃力が落ちるのではないだろうか。
「シルバを侮ってもらっちゃ困るな。僕のご主人様は、こういう時に無駄な行動を取る男じゃあない」
「誰がご主人様だ!」
即座にシルバが突っ込んだ。
「組織のトップ公認で、君は{札/カード}の主だろう?」
「ううう……そりゃそうだが」
そんな二人の隙を見逃すカーヴではない。
彼は油断するネイトと一気に距離を詰め、重量級の棍棒を振るった。
だが、それがネイトに届く事はない。
「っ……!?」
防御、どころではなくさして重くもなさそうな金棒に、カーヴの攻撃はあっさりと弾かれていた。
よく見ると、ネイトの金棒には衝撃波が纏わり付いていた。それは拳とは違い、長く伸びた先端に向かって加速するように回転を続けている。
「驚いているようだね。さしずめ『{纏}/まとい』といった所か。そして――」
すい、と金棒の先端がカーヴの胸元に当てられた。
寒気を感じ、慌てて回避する。
「『{砲/カノン}』」
重い音が響き渡る。
「があっ!?」
棍棒の先端に集束した衝撃波を完全には避けきれず、カーヴの左肩が貫かれていた。
肩から血を流しながら、カーヴはそれでも回復を唱え、そのまま棍棒で反撃を試みる。
その嵐のような猛攻を、さして苦にする様子もなく、ネイトはひょいひょいと避け続ける。
「……攻撃範囲は狭いが、手の平で拡散されない分、威力は段違いだ。なるほど、さしずめ魔法の指揮棒って所だね」
「この……っ」
人を舐めているかのようなネイトの態度に、カーヴの頭に血が上っていく。
その頭上が不意に翳った。
「休んでいる暇はありませんよ」
高らかに跳躍した黒髪の美少女、クロエが双剣を両手に躍りかかってくる。
「そんな短い剣……!」
効くか、と言いかけて、カーヴは気がついた。
双剣の刀身が毒々しい緑色に輝いていた。
一撃目は棍棒で受け止め、二撃目を回避――失敗。
浅い傷が、カーヴの胸元に赤い線を作った。
その線が次第に紫色に変化し、しゅうしゅうと煙を吐き始めた。
「顔色が変わりましたね。そうですよ、貴方の苦手な猛毒攻撃です」
「俺が、そんなチャチい攻撃にビビるとでも思ってんのか!」
即座に、カーヴは{解毒/カイドゥ}の印を切ろうとする。
しかしおそらく{豪拳/コングル}と{加速/スパーダ}で地力を高めているのだろう、クロエの双剣が繰り出す凄まじい連撃が解毒を許さない。
腕を休めないまま、クロエが黒髪を揺らしながらカーヴに言う。
「別に恐れてもらわなくても結構です。でも、治癒にその分、時間が掛かりますよね。そう、シルバに聞きました」
「また、あのガキか!」
それにクロエは答えず、指を鳴らした。
「ネイト」
「うん」
ネイトの持つ金棒が、黒い光に包まれる。{盲目/クロゾメ}の効果だ。
「知った事かぁ!!」
危機感を憶え、カーヴは棍棒を地面に突き立てた。
大きく足下が揺れ、ネイトがバランスを崩す。
間髪入れず、カーヴはネイトに二撃目を叩き込んだ。しかし毒が回っている分、反対側にいるクロエに三撃目を与える余裕がわずかに足りない。
「暴れると、余計に毒が身体に回りますよ。そして、解毒に時間を費やす余地を――」
「僕達が許すと思うかい?」
吹き飛んだネイトがあっさりと立ち直り、両足に纏った衝撃波で加速する。
そうだった、とカーヴは思い出した。ネイト=シーラは外見に反して恐ろしく頑丈で、この程度のダメージでは動きを止める事は出来ないのだ。
そして直接彼女の身体に気を叩き込もうにも、この女はさっきまでとはまるで動きが違う。まさしく人が違っている。
黒い方も素早く、回避に重点を置かれては捕らえるのは至難の業だ。
白と黒の、息があったコンビネーションが続く。
攻めあぐねるカーヴの背中を、灼熱が走った。
クロエの猛毒の刃が、背中を切りつけたのだ。
「状態異常系に弱い事はもう、判明しているんですよ。カーヴ・ハマーさん」
その言葉に、カーヴの背筋を寒気が走った。
時間は少し遡る。
ネイトがカーヴを相手取っている間に、シルバはクロエに敵の弱点を説明していた。
「……どういう事ですか?」
シルバは指を二本立てた。
「ここまでの道程で、分かった事が二つある。一つは、あの男を不思議な魔力の乱れが包んでいる事。お陰でネイトの心術が使えなかったんだが……」
シルバは中指を折る。
「もう一つは、オーガスパイダーを相手にした時。目の前にモンスターがいるにも関わらず、アイツは遠くのそいつを優先した。そうすると、ちょっと見えてきた」
その時、カーヴが至近で相手をしていたモンスターは、石像系。
基本的に物理攻撃がメインで、驚異的な体力と攻撃力が売りのタイプだ。その分、動きが鈍いという欠点があり、また特殊な攻撃はほとんどない。
一方でオーガスパイダーは、機動力に優れ、蜘蛛の糸による捕縛や麻痺毒といった特殊攻撃を多く有する。
シルバは、二つの種族の違いを考えた。
スピードはカーヴにはいざとなれば魔法もあるし、本人自身の動きの速さを考えれば、さして問題ではない。
ならば、特殊攻撃か。
そこで、ふと『プラチナ・クロス』に属していた頃行なった、全滅したパーティーの救出仕事を思い出した。
その時救出したのは、たった一人だった。
迷宮探索のパーティーは基本六人が理想とされるが、別に一人での探索が許されていない訳でもない。
ただ、危険度は格段に跳ね上がる。
何より、複数人のパーティーならさほどでもないトラブルでも、あっさりと全滅してしまう。
この時の冒険者も、そのパターンだった。
ただでさえ中堅パーティーにとって脅威となる、敵モンスターのスキル、麻痺だ。
少なくとも数時間、動けなくなってしまうこの攻撃は、単独で行動する冒険者にとっての鬼門であり……これはカーヴだって例外ではない。
「思えば、何で俺とチシャなんだって話なんだ」
司祭と助祭。
回復の為、というカーヴの言い分は一見もっともらしく聞こえる。
しかし実際それだけだろうか。
カーヴの性格が攻めに傾倒しているのは明らかだが、それでも自分達のような足手まといを連れて行くのをよしとするだろうか。
むしろ、自分のペースでひたすら前に突き進み、気が済んだら戻ってくる。
その方が彼らしく、実際、自分やチシャを苛立たしげに見ていたのはシルバ自身も感じていた。
そもそも、回復はカーヴ自身使っていた。
……自分達は本当は、必要ないではないか?
無理矢理連れてこられたシルバ達が、分け前を与えられたとしても、協力的になるとは限らないし、実際そうだった。
とすると、何故?
シルバ達を連れて来なければならない理由があったのではないか?
そしてジャラジャラとした装飾品。
シルバも、全部のアクセサリー類を憶えている訳ではない。けれど、シルバだって冒険者の端くれ。道具屋にだって頻繁に出入りする。
魔力が付与されたアクセサリーの買い物である。
特にカナリーの買い物では、装飾品類が顕著だ(逆にヒイロの場合は、むしろシルバが気を付けなければまず身につけない)。
だからカーヴが身につけている物の一つ、ピアスには見覚えがあった。確か、石化防止の効果がある魔力装飾品だ。
更に首飾りは、即死防止の効果がある種類の物だ。
……魔力アクセサリー類は、多くは装備出来ない。せいぜい二つが限度。甲冑や盾も込みで、四つがせいぜいとされている。
何故なら互いの魔力が干渉し合い、思いも寄らない効果が生じるからだ。最悪、互いの効果を打ち消す場合だって存在する。抗魔や絶魔のコーティングは、この技術の応用でもある。
カーヴの身につけているジャラジャラと派手な装飾品と、彼の纏う不自然な魔力の流れが無関係でないとすれば。
シルバの頭の中に、状態異常の症例が駆け巡る。
即死、石化、混乱、暴走、魅了、麻痺、睡眠。
パッと思いつく、自力では回復出来ない状態異常でも、これだけある。
毒や盲目は、おそらく自前での対策を有している……と思う。これらは一人で解決出来るのだから。
しかし、単体では治す事の出来ない、この手の状態異常はどうする事も出来ない。一度掛かってしまったら、身体が言う事を聞かないのだから。
だからこそ、彼は麻痺毒を持つオーガスパイダーを真っ先に倒したのだ。目の前の脅威を無視してでも。
カーヴが他の冒険者とパーティーを組んでいるのも、そういう理由じゃないのだろうか? おそらく他の前衛や盗賊、魔法使いも実際はほとんど必要としていない。
彼に必要なのは、状態異常を治癒する係だけだ。
ならば、聖職者や治癒師だけを連れて探索を……いや、これもない。
それを知られる事は、弱みになる。
傲慢で、実際に強さを売りにしているカーヴが、それを許すはずがない。
今回のシルバ達のような、気まぐれを装ってでもいない限りは。
ならば、即死と石化以外の、自身での行動を不能にする状態異常は、どれが効果的か。混乱、暴走、魅了、麻痺、睡眠……。
麻痺……はオーガスパイダーの件を考えると、相当に可能性が高いが、もしかしたらシルバやチシャが行動不能になってしまう事を考えての事かも知れない。
いや、とシルバは考えを逆転させる。
その系統のバッドステータスに神経質になっているという事は……。
「アンタの弱点は、一人では治す事の出来ない魔法! そしてそれらを最も警戒している為、転じてそれ以外の状態異常系は物理攻撃に付与する事で、ほぼ間違いなく効果がある!」
シルバの宣言は、正にカーヴの核心を突いていた。
毒や盲目など、自力で治癒出来るカーヴには本来脅威でも何でもない。沈黙を治す喉薬も常備してある。
がしかし、それを攻撃の副次的効果ではなく、メインとして狙われるとなると、話は別だ。
かろうじて視界は保っているが、ネイトの攻撃には当たれば盲目効果があり、既に毒は回ってきている。
カーヴの肌から、嫌な汗が噴き出る。
この上、シルバが体力を減らし続けるスリップ効果や、鈍化まで使えるとしたら……まずい。魔力アクセサリー類の過剰装飾には、ある種の魔法を無効化する副作用があるが、それだって全部という訳ではない(回復が使えるのがその証拠だ)。
炎や氷の魔法など、カーヴには恐るるに足りない。
物理攻撃も怖くない。むしろ殴り合いは望む所だ。
だが、状態異常だけは駄目なのだ。
かつて魔王討伐軍に属していた頃、戦場で味わった屈辱……モンスターにやられた事ではない!
通り掛かった補給部隊に、麻痺で動けなくなっていた身体を解いてもらった時の、恥ずかしさと来たら(麻痺は魔力装飾品の腕輪で完全に防げるにも関わらず、以来完全なトラウマとなっている)! それも、ほんの小さなガキの聖職者に!
だから、カーヴは自分の身動きが取れなくなる事を恐れる。自由を、単独行動を好むのは、その裏返しでもある。
冒険者になったのも、パトロンの目的とは別に、自分自身の目論見もあるのだ。古代王朝に存在したという、王族の護身用装飾品、あらゆるバッドステータスを無効化する指輪を手に入れる事。
その、カーヴの恐れを見抜くように、シルバがいやらしく笑った。
「デカイ図体の割には臆病だな、カーヴ・ハマー」
カーヴの頭にカッと、血が上った。
普段のカーヴなら、これはない。
もっと余裕を持って、一人一殺で片付けていた。
一度目とはまるで戦い方の異なる人造人間、全身に回りつつある毒、自分の弱さを完全に見抜かれている事、何よりその起源となった精神的外傷の子供にシルバがそっくりな事が、カーヴに我を見失わせていた。
「調子に乗ってんじゃ――」
カーヴが両手を掲げる。
彼の頭上に特大の魔力球が出現した。
「――ねえぞ、この雑魚がぁっ!!」
顔を真っ赤にしながら、カーヴはそれをシルバに放った。
「……!!」
魔力球は盾を持ったシルバに直撃し、そのまま闘技場の壁まで突き進んだ。
地響きを上げて、闘技場が揺れる。
「はぁ……はぁ……やった」
肩で息をしながら、カーヴは笑った。
その直後。
「馬鹿だ」
「馬鹿ですね」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
ズズン、とクロエの二本の刀身がカーヴの胸に深い×印を作った。
猛毒が一気に全身を犯し、喀血するカーヴの身体を紫色に染め上げる。
さらに衝撃波を纏ったネイトの金棒が、口に突き込まれる。
「……っ!?」
そのまま仰向けに押し倒され、カーヴは脳天にダイレクトに衝撃波を叩き込まれた。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっ!!??」
ネイトは三十秒ほど、たっぷりとカーヴに衝撃波を流し込んだ。
ズルリ……とネイトが血と涎に塗れた金棒を口から引きずり出すと、カーヴは全身を痙攣させ、穴という穴から白い煙を吐き出していた。
崩壊した壁がガラガラと崩れ、そこから服をボロボロにしたシルバが姿を現わした。
「結局今回、シルバが使った魔法は『鉄壁』と、魔力球を防いだ最後の『大盾』、たった二回ですか」
「……魔力は節約しないとな。何より、アイツが提供した、この鎖帷子と盾の防御力が高かったのも大きかったってのもあるけど」
服の埃を叩きながら、シルバはシーラの身体に憑依したネイトを見た。
「そろそろ『悪魔憑き』を解くぞ、ネイト。いい加減きつい」
「何だ勿体ない。せっかく生身の身体を手に入れたのだから、アパートでもう一勝負といきたかったのに」
「何の勝負をするつもりだお前は!?」
「そりゃもちろんセッ――」
「言うな!」
慌てて手でネイトの口を塞ぐと、ペロッと舐められた。
嫌な顔をしながら手を離すシルバに、ふふふと笑うネイト。
その間に、クロエが割り込んできた。
「でも、大丈夫なんですか、ネイト? その子、再起動したらマズイんじゃ……」
「その点は問題ないよ。入ってみて分かった事だけど、どうやら心術はちゃんと効くようだし、帰りの護衛に使えると思う。戦闘中に切り替えられればシルバの負担はもっと減っただろうけど、その暇がね」
「何だかんだで、難敵でしたからね……」
余裕があったように見えても、カーヴの攻撃力と体力は、やはり脅威だった。
シルバの挑発に乗らなければ、危なかっただろう。
「でまあ、ネイトの事だけどな、クロエ」
「その話は後ですよ、シルバ。まだ脅威は過ぎ去っていません」
「え」
シルバは、白目を剥いて気を失っているカーヴを見た。
「いえ、そっちの彼ではなく」
クロエは、闘技場の奥に視線をやった。
「……遅かったようですね。追いつかれてしまいましたか」
逆さまになった闘技場に、幾つもある観覧席の出入り口。
そこから、何十人ものシルエットがシルバ達を伺っていた。
鍛え上げられた身体を持つ者、太った者、痩せた者、女性等々……冒険者ではない。どうやら、シーラの同類のようだった。
「……おいおい」
「一難去ってまた一難だね、シルバ」
いつの間にかカードに戻っていたネイトが、小さな幻影となって肩に乗っていた。
幸いな事に、相手もこちらの出方を伺っているようだった。
しかし、動けば向こうも対応してくるのは明らかだ。
「……新手か」
「ええ、人造人間です。斥候班は彼らによって壊滅させられました。あの連中に、捕まっちゃ駄目です」
シルバの呟きに、クロエも動かないまま応える。
「手短に、どういう事だ?」
敵に捕まってマズイのは、言うまでもない事だ。
口にするという事は、何かシルバの知らない何かがあるという事なのだろう。
「精神共有で、映像を送ります」
シルバは小さく頷き、クロエと精神共有を繋いだ。
直後、脳裏にクロエの意識下のイメージが浮かび上がってくる。
この闘技場にも劣らない、古い様式の巨大ホール。
動き回る、人造人間達。
その中央にそびえ立つ、太く光る柱が唸りを上げている。
周囲には、花弁のように並ぶ、幾つもの楕円形のカプセル。
中には一人ずつ、冒険者が眠るように入れられていた。
「……何、これ?」
精神共有を解き、シルバはクロエに尋ねた。
「捕らえられた斥候の内、精神共有が使える人が最後に送ってくれたイメージです。この奥にある施設ですよ。最初は、人造人間の数もあんなには多くありませんでした。仲間が捕らえられるたびに、増えてきているような気がします」
ふむ、とシルバの肩に乗ったちびネイトが腕を組んだ。
「僕の見た所、今のは何かの動力機関だね」
「魔高炉か? それとも精霊炉?」
「いや、人を使っていただろう。魔高炉なら魔力、精霊炉なら精霊。僕と台詞回しが被っている子の、専攻しているのは?」
「生命力……って、人を使ってるって事は、魂魄炉!? 実用化されてるのか……!?」
ちなみに、カナリーの研究室ではまだ、実験段階の技術だ。
そもそも、古代の文明に魂魄炉が使用されていたという記録はない。
「古代に使われていたメインのエネルギーとは違うね。墜落殿が宙に浮いていた頃は、精霊とは異なる『気』を主に用いていたはず。動きが止まった時用の、予備の動力機関と考えるのが妥当か。この階層が開かれた時点で、最低限の動力だけは用意していたって事だろうか……」
「気? おい、ネイト……」
何で、そんな話を知ってるんだ。
そう問おうとするシルバを、ちびネイトは手で制した。
「その話はひとまず置いておいて、人造人間に捕まるとマズイというのは、シルバもよく分かったと思う」
「あ、ああ。要するにあのカプセルに入れられると、動力のエネルギーにされるって事だろう。んじゃ、逃走の作戦だけど……」
シルバは簡単に、二人に作戦を伝えた。
クロエは、自分達を見守っている人造人間達との距離を目測し、軽く眉をしかめた。
「手数は三つですか。厄介ですね」
「距離があるから、ギリギリ何とかなるだろ。こっちも負担は似たようなモンだ。……いくぞ」
「了解!」
クロエはその場で呪文を唱え、シルバはカーヴに向かって駆け出した。
そのまま二人同時に煙玉を地面に叩き付ける。
「!?」
突然動き出した標的と発生した黒煙に、彼らを見守っていた人造人間達も動き出す。
四十人弱の人形が、ホール目がけて殺到する。
その煙の中から、女の声が響く。
「{火槍/エンヤ}!!」
その直後、無数の炎の矢が黒煙を突き破って出現する。
何人かがその矢に貫かれるが、さしたるダメージを受けた様子はない。
……人造人間に向けた分、こちら側の煙の濃度は、かろうじて視界を保っている。
火炎魔法を放ったクロエは、そのまま新たな印を切った。
「{回復/ヒルタン}!!」
倒れていたシーラを青い聖光が包み込み、その指先がぴくりと反応する。
マジックポーションを飲みながら、シルバはネイトに指示を送った。
「心術でシーラを操作!」
「承知した。ただし、憑依と違って難しい操作はできないから気を付けるんだ」
「ほとんど防御か逃げるだけだし、問題ないだろ――{豪拳/コングル}!」
印を切り、指を鳴らす。
途端、シルバは自分の身体に活力が漲り、腕力が強まるのを感じた。
ネイトが何やら腕を動かすと、煙の中、ゆっくりとネイトが起き上がる。
「やっぱりシーラは放っておけないかい、シルバ」
「そりゃ、見逃すにはあまりに惜しいサンプルだからな。ともあれシーラの指示は任せる」
「ああ、任せられた。命に代えても守り抜こう」
「それは勘弁。やばくなったら逃げろ」
そしてシルバは、まだ気絶しているカーヴを起こし、その背中に担いだ。
ズッシリとした重量が背中から伝わってくるが、魔法の力で何とか動く事は可能だ。
「思うにその男は、シーラに背負わせた方がいいんじゃないかい?」
まったくだ、とシルバは肩の上の小さなネイトに同意する。
「俺だって、汗臭い男を背負いたくなんてねーよ。だけど、この場で俺が一番役立たずなんだからしょうがねーだろ」
「僕としては、そんな奴は助ける必要すらないんだがな。やられた事を忘れたのかい、シルバ」
「忘れてねーよ。かと言って現実問題として、放っておく訳にもいかないだろ」
言って、シルバはネイトの操るシーラと共に、クロエと合流する。人造人間なんていなければ、コイツなら自力で何とかなるだろうし、このまま放って帰ろうと思ったのだが、この状況ではそうも言っていられない。
黒い煙はまだ晴れない。
「エネルギーが増えても厄介ですしね」
「それもあるけど、俺の職業忘れんなっつー話だ」
「……あー」
シルバが聖職者である事を、ようやく思い出したようだ。
「って仮にもお前だって修道院にいた身だろ!?」
だが、漫才をやっている暇はない。
「雑談の余裕はありませんね。来ますよ、ネイト!」
クロエは身を翻した。
「はいはい。シルバ、あと一つだ。いけるか」
「もちろん!」
人造人間の内、魔法の得意な者が放ったのだろう。煙の中に、光や火の矢が突き進んでくる。
しかし、それらはネイトの操るシーラの身体が阻む。
その間に唱えたシルバの呪文の方が、効果を発揮する。
「{加速/スパーダ}!! そして――」
走る速度を魔法で上げながら、シルバは懐から煙管を取り出した。
煙草は既に、カーヴから逃れる事を考えていた時に、詰め終えている。
地面に生えた草を燃やしている炎――クロエが最初に唱えた魔法の火の矢の一本を、後ろに放っていた――で、煙草に火を点ける。
それを一吹きすると、口から漏れた煙は美しい女性の姿を取った。
「――出でよスモークレディ! 煙幕拡張! 攻撃は必要ない、逃げに徹する!」
シルバの言葉に従い、スモークレディは周囲の煙の量を更に増やした。
「ですね。いちいち相手をしていたらキリがありませんし――」
並走するクロエとシーラの背後に、黒い影が出現する。
移動速度の速い人造人間が追いついてきたのだろう。
「二人とも! ――「{大盾/ラシルド}!!」
襲ってきた二体の人造人間の手を、シルバの魔力衝撃がほんのわずかに阻む。
わずかに速度を落としたクロエの双剣が、その手を切り裂く。
「すみません!」
「いいから、足を休めるなって!」
黒煙を抜け、闘技場の広場を駆け抜ける。
息を乱しながら走りつつ、どうやら人造人間といっても色々いるようだな、とシルバは考える。シーラやヴィクターには物理攻撃は効きにくかったが、その分、動きはそれほど速くなかった。
「シルバ! 後ろに新手だ!」
ネイトの言葉に振り返る。
「く……っ!」
つい今し方、{大盾/ラシルド}を使ったばかりで防御は間に合わない。
妙に小柄な人造人間が放った光を、かろうじて左腕で受け止める。
わずかに痺れを感じたが、それ以外のダメージはないようだった。
「無事かい、シルバ」
「痛みはない……が……」
腕を見ると、複雑な文様の刺青が腕輪のように巻き付いていた。同じように、プラプラと揺れるカーヴの腕にも同じような文様が生じている。
……この時点で、シルバは自分の中で、大事な物が失われた事を悟っていた。
「が?」
「今までで一番ヤバイかもしれない」
「何がだ?」
肩の上のちびネイトを、シルバは青ざめた顔で見た。
「……俺、祝福魔法が、封じられたっぽい」
闘技場の通路を駆け抜ける。
シルバ達が通ってきたモノではなく、クロエ達斥候班が拓いた通路だ。
「……急に、攻撃がやんだな」
静かになった通路を走りながら、シルバが呟く。
「闘技場の中じゃないからじゃないでしょうか。私達が追われていた時も、なるべく建物は壊さないように追い詰められましたから、飛び道具の類は減っていました」
足を休めないまま、クロエが言う。
「……もっとも、安心していたところをシーラに回り込まれていた訳ですが」
「なるほどな」
薄暗い通路が、いきなり足下から明るくなった。
慌ててクロエが飛び退く。
「明かりが……」
本来は天井だったはずの床に設定された照明が、作動したのだ。
シルバの肩に乗っかったちびネイトが、床を見下ろす。
「多分、魂魄炉が本格的に稼働し始めたんだろうな」
「シルバ、足下に気を付けて下さい」
クロエの声とほぼ同時に、グラッと床が揺れた。
重量のあるカーヴを背負ったシルバは、危うくバランスを崩しかける。
「っと……! じ、地震か……」
「それにしては、変な感じでしたけど」
釈然としない顔で、クロエは首を捻った。
その疑問に答えたのは、ちびネイトだった。
「正確には、地震じゃないからだろう」
「どういう事だよ、ネイト」
「シルバ。この遺跡はかつて天空にあったという」
「んな事は知ってるよ」
この墜落殿は、古代は空に浮かんでいた天空都市だ。そんな事は、子供でも知っている事実である。
「なら、そこで動力が切れたなら、どうなる?」
「そりゃ落下するに決まってる。というかそれで、この遺跡になったんだからな」
そこで、クロエが口を挟んできた。
「……待って下さい、シルバ。だとすると、矛盾します」
「矛盾?」
「うん。魂魄炉は規模から考えても、本来、天空都市を浮かせている機関の予備動力だったはずなんだ。ならば、落下する時に作動するモノだ。おかしいじゃないか。何故、今作動するんだ、シルバ?」
「そりゃあ……」
ネイトに答えようとしたが、シルバには思いつかなかった。
「魂魄炉はエネルギーが切れた時、作動しなかった。まあ稼働が間に合わなかったのか不具合なのかは知らないが、とにかく駄目だったんだろう。それが今、侵入者達の存在によって動き始めた。さて何の為に動き始めたのだろう?」
「何の為にって……」
そんなのは決まっている。
遺跡=天空都市を浮かせる為だ。
あっさりと答えが出て、シルバは青ざめた。
だとすると、この揺れは……。
「この遺跡を持ち上げるつもりかよ!?」
「今の所、成功してないけどね。出力が足りないのかも知れないけど、何にしろこれからも当分は成功しないだろうと思う」
「何でお前は、そんなに楽観的なんだよ」
ネイトは床を指差した。
「空に浮かせる為の物がひっくり返って稼働したら、普通下に向かって力が働くだろう? 自明のことじゃないか。このままだと、ひたすら揺れ続けるだけだよ」
それを聞いてシルバがイメージしたのは、逆さまになった亀だった。
「……格好つかねえなぁ」
通路を抜け、闘技場を出ると、既に先回りしていた人造人間が三体、建物の屋上から飛びかかってきた。
「この遺跡の事はともかく、だ――スモークレディ、煙幕!」
カーヴを背負ったまま走るシルバは、汗だくになりながら煙管を吸い、息を吐き出す。
煙は再び美しい女性の形を作り、腕を振るって膨大な白煙を生み出した。シルバ達を襲撃した人造人間達の攻撃が、揃って空振ってしまう。
それを、ちびネイトは指を咥えて眺めていた。
「スモークレディか……羨ましいなあ」
「……相変わらずですね、ネイト」
「だってクロエ、あの子はシルバの肺の中まで潜り込んでいるんだぞ。僕だって出来るモノならしたいに決まっている」
「冗談じゃねえぞ、おい!?」
白煙を抜け、クロエは後ろを振り返った。
「このままだと、上の階に上る前に確実に追いつかれますね。シルバ、何か策はありますか」
「それに関しては一つだけ、アテがあるんだ」
そしてシルバ達は、一軒の家屋に飛び込んだ。
カーヴ、チシャと共に通り掛かった時、シルバが目に止めた家だ。
逆さまになっている為、当然のように家具は散乱し、足場も悪い。
それでも、家の中というのは安心するのか、わずかながら緊張は緩んでしまう。
「ここですか? モンスターがいる気配はないようですが……」
クロエは、古びて埃だらけの玄関を見渡した。全体的に石造りっぽいが、妙にツルツルとしている不思議な素材だ。
「ああ、扉を閉めてくれ」
カーヴを床に下ろすと、シルバは自分の肩を揉んだ。
「その、扉自体がありませんよ」
「この家には、防犯意識がまるでないのか!?」
シルバは突っ込み、慌てて自分の口を塞いだ。
「って、大きい声を出しちゃまずいな。気付かれる」
そしてまるでシルバの言葉に応えたかのように、スライドした扉が出口を塞いだ。
そして、玄関全体を柔らかい光が満たした。
「……あ」
まさか、本当に声に反応したのかと、シルバは周囲を見渡した。
「ふむ、居住区にまでエネルギーが回り始めたか」
「勝手に扉が閉まったぞ。どうなってるんだ?」
釈然とせず、シルバはネイトに尋ねた。
「自動ドアなんだろう。よかったじゃないか。これでしばらくは大丈夫だ」
「じ、自動ドア? ……なんて言うか、探索で荒らすのが勿体なくなってきたかもしれない」
「ですね。生きた古代の文明なんて、そうはお目に掛かれません」
床に大の字になったカーヴは、まだ白目を剥いて気絶しているようだ。
けれどいつ目覚めるか分からない。
何か縛るモノはないかと、シルバとクロエは家の中を探り始めた。
当たり前だがリビングも家具が散らかっている。
金属的な細工物は多いが、基本的な造りは現代のモノとそう大差はなさそうだ。
クロエは、窓から外を観察していた。
人造人間が一体、通りを歩いていた。時々立ち止まり、キョロキョロと首を動かしているのは、シルバ達を探しているのだろう。
「どうやら、人造人間達は、私達には気付いていないようですね」
ふよふよと浮かんだネイトが、クロエの肩に乗る。
「人造人間の目的は主に、人間に奉仕する為の存在だったって言う話だからね。人間の財産である家屋を壊していいなんて命令が出されてるって事は、ちょっと考えにくいんじゃないか」
「人捜しが仕事とも思えないしな」
ここが想像通りの家なら、多分カーヴを縛るモノも見つかるだろう。
そうシルバは考えるが、少しぐらい休憩してもいいだろうと考え、横倒しになったソファを起こした。
そして、それに腰を下ろす。
「……しばらくは、安心か」
シルバは自分の左手首を見た。
腕に巻き付いた刺青じみた文様は、消える様子がない。祝福魔法は封じられたままだ。
クロエも足の低いテーブルと丸いクッション椅子を立てて、それに座った。
「食料もそれほど多い訳ではありませんし、長居は出来ませんけどね。使える物を何か探して、脱出の糸口を掴みましょう」
「いや、探すなら物じゃなくて出口だ」
「出口?」
「多分、ある。あと、この家が『生きている』なら、下手に何かに触れるのはマズイと思う。自爆装置なんて触れたら、目も当てられねー」
シルバの疲れたような言葉に、クロエは微かに身を乗り出した。
「何を知っているんですか、シルバ。そういえば、ここに迷いなく入りましたし」
「確証がある訳じゃないが……」
足下を触る軽い感触に手を伸ばすと、それはクシャクシャになった紙切れだった。まったく劣化していない上、鉱物じみた手触りから考えると、現代の紙とは異なるモノなのかもしれない。
開くと、そこには人間の三面図が描かれていた。
頑丈そうな肉体を持つ、男性だ。シルバの知っている者に、とてもよく似ていた。
「あー、やっぱりあったか」
「人の図面……ですか?」
「人造人間のな」
紙の端っこに、表札と同じサインが記されていた。
「学習院の古代語専門家、ブルース先生に見せてもらった文字に見覚えがあったんだ。ここは錬金術師、ナクリー・クロップの家だ。何があるか、分からないぞ」
テュポン・クロップの一件は、クロエにも話してあった。
「……あの、クロップ氏の血縁なら用心しないといけませんね。時にシルバ、新しく盗賊の技能を身につけたという事は」
「あると思うか?」
「期待してませんでした。せめて、文字だけでも読める人がいると助かるんですけどね」
「……それなら一人、いるだろ」
「いましたっけ?」
「そこに」
言って、シルバは玄関近くにぽつねんと立ち尽くしているシーラを、親指で指し示した。
すると、シルバの肩に腰掛けていたネイトが立ち上がった。
「ふむ、やらせてみようか」
「あー、それだけどな、ネイト」
クロエは後の事をネイトに任せると、椅子から立ち上がり、部屋の周りの家具を調べ始める。早速スイッチのようなモノを見つけて、押すのは危険と判断したのか、部屋の隅に押しのけた。
「何だい、シルバ。彼女を犬のように這いつくばらせたいのかい」
「させるか! つーか正直非常時とはいえ、心を操るってのはあんまりいい気がしないんだよ。何とかならないか?」
「それを命じたのは君だよ、シルバ」
「分かってるよ。その上で聞いているんだ」
確かにネイトにさせたのは自分だが、あの時は他に思いつく手がなかった。
今は、少しだけだが時間に猶予がある。その猶予が、シルバの心に良くも悪くも余裕を生んでいた。
「彼女は人に造られた、人造人間だぞ」
「作られた、人造人間でもだ。……まあ、直接俺の敵に回らなかったってのも、大きいんだけどな」
ボリボリと、気まずくシルバは頭を掻いた。
「相変わらず、女の子には優しいな、シルバは」
「男に優しくしてもしょうがないだろう」
むん、とシルバは胸を張った。
「僕も生えてないんだが」
言って、ネイトは黒ズボンのベルトに手を掛ける。
「脱ごうとするな!」
「確かめてもらおうと」
「しなくていいから!」
「残念だ。それで、彼女を自由にすると言うんだね」
「術を解いた途端、暴れるようならちょっと問題があるけど……暴力を振るえないようにだけ、暗示を掛ける事は出来るか?」
「それなら余裕だ。しかし残念だな。今なら、シルバの愛人にも簡単に出来るのだが」
「聖職者になんて提案をするんだお前は!?」
「ふふふ、『悪魔』のカードを甘く見てもらっちゃ困る」
まさしく、悪魔の誘惑であった。
「冗談はさておき……いや待てよ。ネイトよ、そもそもこの子、喋れるのか? くそ、精神共有が使えれば、楽なのに」
精神共有は、相手の意識に直接訴えるので、言語の違う相手でも普通に交流を図る事が出来る。
つくづく厄介な術を掛けられたモノだ、とシルバは自分の左腕の文様を、忌々しげに睨んだ。
「言葉も問題ない。こちらの話している事が分かっているようだし、どうやら言語解析能力は高いようだ」
言って、ちびネイトはシルバの肩の上で指を鳴らした。
ぼぉっと立っていたシーラの瞳に光が宿る。
「国外での活動も想定している為、言語には不便しない」
「うお」
思ったより可愛い声に、シルバはソファの上で思わず仰け反った。片言だったヴィクターよりも、この方面では優れているようだ。
シーラは、シルバに近付いた。
クロエは腰の双剣を抜こうかと身構えたが、シーラに攻撃の意思がないのを感じたのか、再び部屋の探索作業に戻った。今度は何やら唸りを上げる小箱を発見したが、開けるのが怖くなり、そのまま部屋の隅に置いた。
「驚く事はない。ニューワット族の言語は導入済み」
「ニューワット?」
「シルバ達の遠い先祖だろう」
眉をしかめるシルバに、ネイトが言う。
「と、とにかく無害なんだよな」
「大丈夫。今のわたしには貴方達を襲う力はない」
「襲う力があれば?」
「魂魄炉へ連れて行っていた。仮定は無意味」
「……そ、そもそも、何でそんな事をするんだ?」
「必要だから」
何故必要なのか、と質問しかけて、シルバは考えた。
この調子で、話を続けていいモノか。
もっと重要な事から聞くべきじゃないだろうか。
「……色々質問したけど、優先順位を考えた方が良さそうだな」
「だね。あとで出来そうな質問は、後回しにした方がいい」
ネイトが同意し、シルバは荒れた部屋を見渡した。
「ここにある、家具の事は分かるか。あと文字とか」
シーラも無表情なまま、同じように部屋を見回す。
「問題ない。文字は読む事が出来る」
「よし」
頷き、シルバは自分の左腕を見せた。
「この腕についた刺青みたいな文様なんだけど……シーラ、これが何か分かるか?」
「分かる。天空都市ライズフォート武道会の第四位、ボルドウの使う封印術『ランダムシール』による、能力封印」
「その、『ランダムシール』ってのについて詳しく。解き方とか」
「その名の通り、相手の技能を封じる力。欠点は、使い手自身もどういう技能を封じる事が出来るか不明な点。全くのランダム。ただしその分、気力の消耗は押さえられるコストパフォーマンスに優れた能力。手首に記されている文字の意味は『神の御業の全てを封じる』」
なるほど、とシルバは納得した。
神の御業……つまりそれは、祝福魔法そのモノだ。
「……よりにもよって、一番重要なモノが封じられた訳だ」
「対処法は、ボルドウの主である呪術師による解呪」
対処法があるのは有り難いが、そうすると別の問題が出て来る。
「主って生きているのか?」
「不明」
だろうな、とシルバは思った。更に、ネイトが追い打ちを掛けてくる。
「普通は死んでるだろうねえ」
「……だよなあ」
古代の人間である。不死者か亜神でもない限り、生きてはいないだろう。
リビングを探し終え、違う部屋を漁り始めていたクロエが、ひょいと顔を出した。虹色に揺らめく丸い発光体のようなモノを指でつまんでいたが、危なそうなので部屋の隅によけておく。
「でも、人造人間を作った人なら、資料が残っているかもしれないですよ」
「この廃墟の中から探し出すのは、相当困難だ。少なくとも今の戦力で出来る事じゃない。……やってみなくちゃ分からないけど、そもそも、その資料が残っているかどうかも怪しいモノだ。シーラ、他の解決策はないか? 時間が経てば消えるとか」
「わたしの知る限り、それはない。故に、ボルドウは恐れられている」
「そのボルドウってのを倒せば、治るとか」
「ある意味では、それも解決策の一つ。ボルドウを倒した者は、主に無料で解呪してもらう事が出来る」
「……それじゃ、意味がないんだ」
ボルドウを倒せば、治るという保証が欲しかったシルバであった。
落ち込むシルバの肩の上で、ちびネイトが手を挙げた。
「僕からも、質問いいかな」
「拒否」
あっさりとシーラは断った。
「何故に」
「犬のように這いつくばらせようとする人のいう事を聞く気はないから」
「シルバならいいのか」
「いい」
「何故に」
「わたしには名前がなかった。登録番号はライズフォート410号。名前には、特別な意味がある」
シルバは何だか嫌な予感がした。
前にもあったぞ、こんな事。
脂汗を流すシルバに構わず、ネイトはシーラに質問を続けた。
「つまりシーラという名前を付けたシルバを」
「主と認める」
「またこの展開かよおいっ!!」
溜まらずシルバは突っ込みを入れた。入れざるを得なかった。
「質問が以上なら、クロエの手伝いに入る」
シーラはそのまま直立不動で、シルバの言葉を待っているようだった。
「さ、参考までに一つ。俺の力を封じたのが第四位だって話だけど、お前は何位だったんだ、シーラ」
「十六位」
あっさりとシーラは答えた。
「アレで十六位!?」
「……上を侮らない方がいい」
「ん?」
無表情もイントネーションも変わらないが、どこか不機嫌そうな空気をシルバはシーラから感じ取った。
そして、その理由に気付いた。
さっきのシルバの言葉は「あの程度の実力で十六位?」という風に、取れなくもない。
「ち、違う! 逆だ! お前、あの強さで十六位って事は、上はもっとデタラメなのか!?」
「そう」
「……何てこった」
単独だったとはいえ、カーヴは第五層突破パーティーのリーダーである。
それが辛勝した相手が、まだ十六位と来ている。上には上がいるのだ。
シーラは、シルバの肩の上に視線を移した。
「ネイト。わたしの力を解放してくれるのならば、これからボルドウを討ちに出る」
「と言っているけど、シルバ」
「駄目だ。ボルドウ一人ならともかく、何十体もの人造人間がいる。それに、そいつを倒したところで、これが治るっていう保証はないんだろう」
言って、シルバは文様のある左手を振った。
「他に手はない」
「お前になくても、俺にはあるんだよ。アテなら三つほど」
深く息を吐き、シルバは天井を見上げた。
「……どっちにしろ、地上に出てからだな」
隣室を調べていたクロエが、急ぎ足で戻ってきた。手に持っていた爆薬っぽい丸い黒玉は部屋の隅に投げ捨てられた。
「シルバ、まずい事態です」
「何だよ」
「人造人間が家捜しを始めています」
その言葉に、シルバは窓の外を見た。
なるほど、遠くで人造人間が家の扉を開き、中に入っていっているのが見えた。
まだこの家までは時間が掛かりそうだが、それも時間の問題だろう。人造人間が「ここはいいだろう」と見過ごす理由がない。
「って、そういうのはないんじゃなかったのか!?」
「あくまで、想定でしたからね」
はぁ、とクロエも溜め息をつく。足下にケーブルが絡んできたかと思うと、それが足首を登り始めたので、双剣で斬って捨て、部屋の隅に放り投げた。
「一部の人造人間は、家宅捜索の許可を得ている。魂魄炉の起動エネルギーの確保が重要」
誰から得ているのかとか気になったが、それよりもこの件に関して第一に聞きたい事をシルバは優先した。
「そ、それなんだけどシーラ、中の人間は無事なのか。クロエが一緒に活動していた斥候班の連中って、捕らえられたんだろう?」
「危険はない。仮死状態にした人間の魂から、エネルギーを抽出しているだけにすぎない」
「……おい。メチャクチャ危険そうだぞ」
仮死とか魂とかエネルギー抽出とか、何か物騒な単語が並んだような気がする。
だが、シーラは平然としたモノだ。
「生きている状態なら、動いている分、生命力が消耗され衰弱死の危険性がある。しかし仮死状態ならば、減った分の魂は次第に回復する」
「……よくは分からんが、信じるしかなさそうだな。つまり、捕らえられた斥候班の連中の身柄は、大丈夫という訳か」
「カプセルに入れられた人間は、どれだけ仮死状態にされるのですか」
「予定では、五年」
クロエの問いに、これまたあっさりとシーラは答えた。
「長っ!?」
思わずシルバは突っ込んでしまう。
「お務めが終われば、報酬が出る」
「……ここが、まだ宙に浮いていた時代ならな」
当然、報酬を払ってくれる人は、この時代には存在しないのである。
それにはクロエも同意見らしい。壁の模様が蠢き、催眠作用を引き起こそうとしていたので、クロエは壁紙を切り刻んだ。散り散りになった壁紙は、床の隅に集めておいた。
「とにかく、そんな長い間、私達も閉じ込められる訳にはいきません。捕らえられる前に、脱出しないと」
「だな。……カーヴにもいい加減起きてもらわないと困るけど、大丈夫かな」
「問題ない」
言って、シルバは玄関に向かった。
「え、お、おいおい、シーラ」
シルバも腰を上げ、慌ててシーラを追いかける。
玄関では相変わらず、カーヴが白目を剥いていた。
それを、シーラは表情を変えないまま、見下ろしていた。
「気絶している」
「そりゃ、あれだけやりゃあな」
シーラは顔を上げ、真っ直ぐにシルバを見つめた。
「殴って起こすべき?」
「待て待て待て! {復活/ヤリナス}は……って、俺は使えないんだった! クロエ!」
シルバはリビングの方に声を掛けた。
「はいはい。ちょっと待ってて下さいね」
そう言って、戻ってきたクロエは太いワイヤーロープを持っていた。シルバの目には何だか蠢いているようだったが、多分気のせいだろう。
「そのワイヤーは、どうしたんだ?」
「奥の倉庫で見つけてきました。興味深いモノがあったので、あとで一緒に見て下さい。そして……」
シルバがカーヴの身体を起こす。
すると、クロエは慣れた手つきで、カーヴの身体をあっという間に太いワイヤーロープでグルグル巻きにしてしまった。
「これだけ縛れば大丈夫でしょう。では、{復活/ヤリナス}」
クロエは呪文を唱え、印を切る。
青白い聖光がカーヴを包んだかと思うと、彼はゆっくりと目を開いた。
「……う……お……」
頭を振り、現状に気がつくと、一気に目が覚めたようだ。
「おお、何だこりゃ!?」
「落ち着いて」
シーラが言うと、カーヴは自分を見下ろしているシルバ達に気がついたらしい。
「テメエ!? 糞ガキも! それに、ここはどこだ!?」
「帰り道だよ。あの後、山のように人造人間が出てきて、逃げてる途中だ。身体を強化したとはいえ、ここまで背負ってくるの、大変だったんだぞ」
「背負って……だと?」
「そ、そうだけど……?」
「…………」
「お、おい?」
「屈辱だ……これ以上ない、屈辱だ……こんな生き恥を二度も味わうとは……」
何だかマズイ気配に、シルバはクロエとシーラを後ろに下げさせる。
「よくも……俺様を辱めやがったな……!」
カーヴは両腕を縛られたまま、器用に立ち上がった。
「糞野郎共……この程度のワイヤーで、俺を動けなく出来たと思っているのか……甘くみてんじゃ……」
ググッと幾重にも身体に巻き付けられたワイヤーロープが引き伸ばされ。
「ねえぞゴラァっ!!」
ブチッとカーヴの筋力だけで千切られてしまった。
「うおっ」
解放されたカーヴの怒気は、もはや熱となってシルバの肌に感じられていた。
それでも、この状況にシーラは表情を動かす様子がない。
「問題ない」
「も、問題ないって、おい」
カーヴは手近に武器がない事を悟ると、自分の大きな拳を握りしめた。
そして、一番近くにいたシルバをぶん殴ろうとする。
「うおらぁっ!!」
ポン、とシルバの背をシーラが押した。
「え」
シルバの顔面を、カーヴの巨大な拳が捉えた。
「シルバ!?」
目を剥くクロエ。
そして、静まり返る玄関。
「……どうだ、糞ガキ」
「いや、その……え?」
勝ち誇るカーヴに、シルバはむしろ戸惑っていた。
何しろ、全然痛くない。
子供の張り手の方が、まだ効くんじゃないかと思うほど、全くのノーダメージだったからだ。
「な……そ、そんな馬鹿な……」
それをカーヴも悟ったのか、再び拳を振り上げた。
「この野郎!」
一撃二撃、拳が効かないと分かると今度は蹴りを入れてきた。
けれどその攻撃は、まるで綿かスポンジのようだ。道具ならどうだと、手近にあった靴で殴りつけられたが、その靴はまるで弾力に富んだこんにゃくのように、シルバに当たった途端、ぼよよんと弾き飛ばされてしまう。
汗だくになって攻撃するカーヴを、もはや相手にする必要なしと、シルバはシーラを振り返った。
「シーラ、もしかして……これって」
「そう」
シーラは頷いた。
「彼が封じられたのは、攻撃力。手首に掛かれている文字の意味は『他者を傷つける行為の全てを封じる』。拳も蹴りも、魔法も道具も、貴方を傷つける事は出来ない」
カーヴの全然効かない攻撃を食らいながら、シルバは首を傾げた。
「……物理的に殴るとか、魔法が使えなくなるってのなら分かるけど、攻撃力ってのは、スキルじゃないんじゃないか?」
その疑問にも、シーラは答える。
「呪いが届くまでに歪められている可能性が高い。装備類に呪力が付加されている場合、本来の『ランダム・シール』と異なる現象が発生するケースが複数確認されている」
思い当たる節があり、ネイトはポンと手を打った。
「ああ、そういえば状態異常防止のアクセサリーを、やたらゴテゴテと身体に装備していたっけ」
「という事らしいんだが……」
さすがに疲れて肩で息をしているカーヴに、シルバは振り向いた。
「っざけんじゃねえぞ!」
その大声に、シルバは玄関の扉を指差し、声を潜めた。
「……って馬鹿! 外の連中に気付かれるだろう!?」
「そんな事知るか! 誰がこんな所に連れてきてくれって頼んだ! 勝手な事するんじゃねえ!」
大音量に耳を塞ぎながら(これは充分に攻撃になってるんじゃないかとシルバは思い、精神系の攻撃はどうなんだろうと疑問にも思った。もちろんカーヴに教えてやる義理はない)、シルバは顔をしかめた。
「……その台詞はまんまこっちが返させてもらうっつーの。何で俺は、こんな所にいるんだ?」
カーヴが無理矢理に連れてきたのだ。文句を言いたいのは、むしろシルバの方だった。
「大体ヤケになるのは勝手だけどさ、まだアンタは救いがあるだろ。補助系や回復魔法は使えるんだからさ。そっちで頑張ればいいじゃねえか」
しかしそれは、カーヴには受け入れがたい提案だったようだ。
「冗談じゃねえ! 俺に! 人の為に働けだと!? 違う、そうじゃねえ! 俺が、奉仕される側なんだよ! 奉仕する側じゃねえ!」
「……これはもう、気絶させた方がいいような気がしてきた」
話にならない、とシルバは首を振った。
「同感だね」
「臆病者に用はない」
シーラの冷厳な一言に、カーヴは彼女の胸ぐら……はないので、首に手をかけた。
「んだとこらぁ……!?」
「事実」
表情一つ変えず、彼女はカーヴを見上げる。
「今の貴方は、相手を倒す力を有しない。わたしの同胞を前に、逃げるしか術はない」
そしてシーラはシルバを見た。
「我が主は闘技場で勇気を示した。蛮勇を振るっていた貴方に真の勇気はあるか」
再びシーラは、カーヴに問いかけた。
それはそれとして、とシルバはネイトに尋ねた。
「……なあ、ネイト。そんな事したっけ、俺?」
「彼とシーラが戦っている最中に、戦闘不能になっていた冒険者達を助けただろう」
「あ? あ、ああ。そりゃ、それが仕事だからな」
「……なかなか出来ないのだよ、普通はね」
そういうモノかな、とシルバは首を傾げる。
あの程度の修羅場は、よくある事じゃないかと思うのだが。
やれやれ、と面倒くさそうに、クロエが息を吐いた。
「とりあえず死ぬなら一人で死んで下さいよ」
「あぁ?」
シーラの首に手をかけていたカーヴが、血走った目を今度はクロエに向けた。
だが、彼に自分をどうこうする力がない事を知っているクロエは、構わずシーラに目配せした。
「私達を巻き込まないで欲しいんです。正直余裕がないので、シーラさん、手伝って下さい」
「主」
許可を求めるように見るシーラに、シルバは軽く手を振った。
「シルバでいいって。とにかく、脱出口を探すんだ」
「テ、テメエら、俺を無視するんじゃねえ!」
シルバもいい加減、うんざりしてきた。
力がなければ、これではただの子供ではないか。
「うるさいなあ、もう。相手にしてくれる奴なら表に沢山いるから、好きにしろよ。クロエもさっきからそう言ってるだろう? ちなみに負けたら、この遺跡のエネルギーにされちゃうからな。それが嫌なら、せめて静かにしててくれ」
言って、シルバはクロエ達を追ってリビングに向かった。
「こ、この……」
後ろから今にも爆発しそうな声がしたが、本当にどうでもよくなってきた。
「無視が一番効くみたいだね」
肩の上のネイトも言う。
「正直、もう知らん。クロエ、俺は何をすればいい。奥の倉庫がどうとか言ってたよな」
「ええ。ついてきて下さい」
おそらく、この家の裏手に続くのだろう。
倉庫の奥には大きな門があり、埃っぽい倉庫には乱雑に様々な機材が散らばっていた。四隅に穴の開いた二メルト四方はあろうかという大きな板は、何だろうか。中央にある、壊れた半球状の装置が設置されていたらしい。
それよりもシルバの気を惹いたのは、部屋の中央に横たわる異様なモノだった。
例えるなら、ひっくり返った鋼鉄製の巨大甲虫だろうか。
腹の部分にはやはり半球状の装置があり、左右の足に当たる部分は太いU字状の金具になっている。板と違うのは、その装置が無事という点だ。
シルバが頭の中でひっくり返してみると、つまり半球状の装置が潰れないように、二つのU字状の金具がスタンドとなっているのではないかと思う。
「コイツは……」
下を覗き込んでみると、どうやら人が乗れるらしい。
前方に二つ座席があり、右側にハンドルがある。
後方は荷台だろうか。
「変わった……乗り物でしょう?」
「乗り物……だよな?」
顔を見合わせるクロエとシルバ。
「乗り物だね。宙に浮くタイプだ」
「そう」
うん、と頷くネイトとシーラ。
クロエとシルバは、何とも言えない表情になった。
「宙に浮く?」
「そうだよ。これは空飛ぶ乗り物さ。いやいや二人とも、そんな信じられないような顔をされても。ちょっと考えてみるといい。この遺跡は元は天空にあったモノだ。ならば、地上に降りる為の道具があるのは当然だとは思わないか? それとも何か。人間が羽を生やして飛んでいたとでも言う気かね?」
「いや……しかし……この素材だぞ?」
シルバは、ゴンゴンと虫じみた、その乗り物を叩いた。
「鉄の塊が飛ぶか?」
「今は、その話をしている場合じゃないと思うが」
クロエはしゃがみ、運転席を覗き込んだ。
「確かに。まずは、これが使い物になるかどうか。それが問題です」
「動かせたとしても、どっちにしろ使うのは無理そうだね」
ネイトはシルバの肩から離れると、宙に浮いて大きなゲートに近付いた。
そして、そのまま透り抜けて、すぐに戻ってきた。
「このゲートの向こうは土で埋まっているようだ」
「……そうですか」
となると、このマシンを起こしても、ここから出る事は出来ないという訳だ。
それまで動かなかったシーラが、不意に背後を振り返った。
「主。我が同胞が、近付いてきている気配がする」
「げ」
「おそらく、先程の騒ぎで気付かれたのだと思う。鍵はオートロックなので、少しだけ持つ」
なら、どうする、とシルバは考えた。
考える。
この装置は使い物にならない。
ただ、ここで様々なモノを作っていた事は分かる。
地面に散らばっているモノの中には、様々な設計図がクシャクシャに丸められていたりもした。
そこでふと、シルバは気がついた。
この部屋には図面を引く道具がない。床に散らばるガラクタの中にも、それらしきモノは見つけられない。
「クロエ。この家に設計室はあったか。あるいは書斎のような部屋」
「ええ。でも、部屋はほとんどくまなく調べましたよ」
「天井もか?」
「天井も、一応は」
だが、さすがにクロエも自信なさげだった。
うん、とシルバは頷く。
「お前の仕事を疑う訳じゃないけど、床程じゃないよな。上を調べるのは、普通に骨だし」
「え、ええ。そりゃまあ」
「なら調べるなら、そこだ」
クロエに案内されて、シルバは書斎に入った。同時に設計室でもあったのだろう、逆さまになって荒れ果てた部屋には、逆立ちした大きなデスクや、図面引きの装置らしきモノの残骸が、横たわっていた。
部屋の隅には、倉庫にあったような板が立てかけられていた。ただし、大きさは一メルト四方程度。中央には半球状の装置があり、U字状の金具が左右に取り付けられている。
「シルバ。この部屋を選んだ根拠は何だい?」
ネイトが尋ねるが、シルバは天井をジッと見上げていた。
ボロボロのカーペットがはがされているのは元からか、それともクロエがやったのか。
「単純明快。研究者にとって、書斎ってのは最後の砦だ。リビングや乗り物用の倉庫に普通、研究資料はまとめていたりしないだろう?」
天井を眺めながら歩くシルバに、クロエが声を掛ける。
「その転がっている椅子には、触れない方がいいですよ、シルバ」
シルバは足を止めて、椅子を見た。
「……自爆装置?」
うん、とクロエは頷いた。
「っぽい、ボタンが肘掛けに」
なるほど、とシルバは考え、しかし動力がなければ、どうにもならないだろうとも考える。
いや、待て。魂魄炉によって家屋の明かりがついたのだから、その辺りもどうにかなるんじゃないだろうか。
いやいや、それよりもまずは脱出路の確保だろう。好奇心は二の次だ。
ヴィクターの保管されていた隠し部屋を思い出す。
同じ人間が作ったモノなら、共通点はあるはずだ。
シルバはクロエを肩車した。
クロエは天井を直に触り、隠された何かがないか、探り始める。
「第三層の実験室の奥にも、隠し通路があったんだ。運がよければ……」
「そこに直接通じる通路があるかも?」
「そこまで望むのは高望み過ぎかな。とにかくネイト、さっきと同じ壁抜けをやってくれ。クロエの手間が省ける」
「らじゃ」
言って、ネイトは天井を透り抜けた。
「主」
使えそうなモノが何かないか探すように命じていたシーラが、シルバに声を掛けてきた。
「何だよ、シーラ」
「この家屋と、自分の命。どちらを選ぶ」
「そんなモノ、自分達の命に決まってるだろ。ただ資料は勿体ないけどな。何とか持って帰りたい所だ」
欲を言えばの話だ。
頭上のクロエとネイトが同時に何かを探り出したのか、シルバに動くのを止めるよう言ってくる。
しばらくすると、大量の埃と共に、天井にポッカリと穴が開いた。
「……通路が床なら、ありったけ落とせるんだがなぁ」
それよりも悩みどころがあるとすれば、どうやってこの穴を這い上がるかだ。
クロエを肩車から下ろし、シルバは腕を組んで唸った。
クロエはと言うと、そのまま書斎の入り口に立っていた、活力が九割ほど減退した風情なカーヴに声を掛けていた。
「貴方はどうするんですか。見栄と自分の命ですが」
「……畜生っ!」
カーヴは、部屋の壁を拳で殴りつけてヒビを入れた。
{墜落殿/フォーリウム}第三層。
ナクリー・クロップの隠し部屋。
かつて、シルバ達がノワ達と決戦を行なった部屋の、その更に奥に、キキョウ達『守護神』の五人はいた。
ポッカリと二メルト四方程度の四角い穴を、彼女達は取り囲んでいた。
この穴自体は、それほど発見するのに苦労はなかった。おそらくは、最初にこの部屋に踏み込んだ、ノワ達も見つけただろう。何の為の穴かは分からない。
ダストシュート用という事も考えられる真っ黒い闇を孕んだその穴の深さは、どれほどのモノか計り知れない。
何しろ、石を投げ入れても反響がほとんどしないのだ。
獣の耳を持つ、キキョウとリフがかろうじて聞き取れたが、分かった事と言えば相当に深い、という事だけだ。
「穴の大きさだけは、タイランが入るのに困らぬな」
「ですね……」
キキョウの独り言じみた台詞に、タイランが頷く。
「ちなみに覚悟しておいて欲しい。この穴は相当に深い。おそらく第四層は軽く突破出来る深さだ」
カナリーの言葉に、ヒイロは顔を上げた。
「でも、一層分ショートカット出来るんでしょ?」
「うん。でも最悪、第六層を突き抜けて、それ以上の深度になるかもしれない」
「もしくは、途中で穴が潰れてて行き止まりという可能性もあり得る」
「にぅ……」
キキョウの悲観的な推測に、リフがしょんぼりと耳を垂らす。
しかし、ヒイロは一人、まるでめげていなかった。
「今更、深く考えててもしょうがないでしょ? リーダーである先輩のいない今のボク達じゃ、持久戦は難しい。それなら、第六層辺りに一気に到達して、道が塞がれてたら壊して進む。全力で先輩を助けて脱出。はい、任務完了」
その恐ろしいほどの楽観的な物の見方に、キキョウもカナリーも苦笑していた。
「……単純だな、ヒイロは」
「だけど、この場合は正しい。こんな所で足止めをしている場合じゃない。とにかく進むしかないんだ。始めよう」
うん、と全員が頷き掛けたその時、キキョウとリフの表情が引き締まった。
「に……!」
「む……っ!」
音源は、この穴ではない。
左右を見渡した。
「どうした、リフ、キキョウ」
困惑するカナリーだが、二人はそれどころではない。
「にぃ……」
「……誰か、登ってくる」
そして、ヒイロの背後、少し離れた場所に一メルト四方程度の四角い穴が開いた。
そして、ゆっくりと黒い服装の女性が姿を現わした。
「……古代人の技術って、すごいですねぇ」
彼女は、呆れたように自分を乗せた板を見下ろしていた。
そして顔を上げ、キキョウ達の存在に目を瞬かせた。
「あれ、こんにちは」
「クロエ!?」
カーヴ・ハマーを乗せた浮遊板(仮)はどうやら無事に到着したらしく、また、第六層であるこの書斎に沈んできた。
クロエの手紙によると、上にはシルバのパーティーのメンバーもいるという。
どうやら追いかけてきてくれたようだ。
すれ違いにならずに済んでよかったと、ホッとするシルバであった。何しろ精神共有が使えず、連絡手段が一気に制限されている現状なのだ。
とにかく後は、この書斎のお宝を出来るだけ積んで、シーラと脱出するだけだ。
「さようなら」
「え?」
シーラの言葉に、シルバはキョトンとした。
「わたしはここで同胞を足止めする。元々その予定だった。その間に、主には上に行ってもらう」
扉の向こうで物音がする。
どうやら、既に人造人間達は、この家屋に入り込んでいるようだ。
「いや、それじゃお前どうなるんだよ」
「おそらくは戦闘不能」
「なら却下だ」
「まあ、シルバならそう言うと思ったよ」
肩の上で頷くネイトをそのままに、シルバはひっくり返っている書斎机を押し始めた。どういう素材なのか、結構な重量だ。
「何をしているの」
「……バリケードを張るんだよ。それで少しだけ持つだろ。お前も手伝え」
「分かった」
シーラが加わると、一気に負荷が減った。
扉の前に、書斎机が置かれる。
シルバは汗を拭い、部屋を振り返った。必要なのは、重くて大きそうな物だ。
「机の次は本棚だ。とにかく重い物を扉の前へ……って、俺が手伝うまでもないな」
シーラは何をするのか把握したらしく、軽々と家具を扉の前に積んでいく。
「それよりも、シルバは資料を集めた方が良さそうだね。ここはシルバ達にとっては宝の宝庫なのだろう?」
「だな」
シルバは、床に散らばる書類をかき集めた。その書類の素材、そのモノが未知の物質だ。文章は何が書いてあるのかよく分からないが、とにかく手当たり次第に手元に引き寄せ、転がっていた鞄に詰め込んだ。
時計(らしき物)やペン(らしき物)も、掴んでいく。まるで火事場泥棒だなと、シルバは思った。
「もう終わる。でも、もって数秒」
よし、とシルバは鞄と共に浮遊板に乗った。その途端、ゆっくりと浮遊板は上昇を開始する。
「それじゃ脱出だ。二人……乗れるか?」
シルバが手を差し伸べると、シーラはその手を取り、同じく板に乗る。
「問題ない。さっきの男よりも重いが、積載量にはまだ余裕」
「よし、なら逃げるぞ」
浮遊板が天井の穴を潜り、その直後、真下で破壊音が響いた。
「……間一髪か」
複数人の足音がし、しばらく部屋を探し回っているようだ。
残念ながら、真下の様子はよく分からない。シルバ達が上昇している穴の幅は、浮遊板の大きさとほぼ一緒なのだ。
しばらくして。
爆発音と共に、下から衝撃が伝わってきた。
「ぬおっ!? な、何だ!?」
「おそらく、同胞が肘掛け椅子に取り付けられていた自爆スイッチを押した」
「ちなみにシルバ、爆風って主に上へと噴き上がるんだよ。知ってたかい」
「……それって、俺達まずくないか?」
顔を見合わせたシルバとネイトは、シーラを見た。
「そう。危険」
浮遊板がその衝撃に煽られ、凄まじい急上昇を開始する。
「って落ち着き払ってる場合じゃねー! リフ! あーもーくそ! 精神共有使えねーのがこんなに不便とは!」
第三層。
「に」
「むう!」
座り込んだクロエから経緯を聞いていた『守護神』のメンバーだったが、不意にリフとキキョウが立ち上がった。
「どうしたんだい、二人とも」
しかしカナリーの言葉も聞こえていないのか、リフはとてとてと四角い穴に近付くと、そこを覗き込んだ。
手を広げ、ぶわっと蔦で出来たネットを出現させる。
「お兄、きけん。タイラン、てつだって」
「は、はい」
「カナリー、ヒイロ。某達は網を押さえるぞ」
「何が何だかよく分からないが……」
「まあ、大事な事なんだろうね」
穴を抜け出る、その直前に緑色の網が穴を塞いだ。
弾力のあるそれが、シルバとシーラを受け止め、大きく伸び上がる。
「おおうっ!?」
かろうじて天井に激突するのは防げたが、爆風の影響かそれとも浮遊板のエネルギーが切れたのか、今度は自由落下に移行する。
「受け止めますっ!」
その穴を、今度こそ防ぐようにタイランが仰向けになって蓋になり、シルバ達の墜落を防いだ。
「っと……だ、大丈夫ですか、シルバさん」
「な、ナイスキャッチ、タイラン……あと、助かった、リフ」
「に、おかえり」
タイランから降りると、シルバは自分達に巻き付く網を取った。
「シルバ殿!」
「ああ、キキョウただいま……って待て! 敵じゃない!」
低い音を唸らせ、衝撃波を纏った金棒を突きつけようとするシーラを、シルバは慌てて止めた。
「シルバ殿、そちらの者は?」
「あ、ああ、シーラ自己紹介を頼む」
シーラは無表情にシルバを見ると、立ち上がった『守護神』のメンバーに向き直った。
「天空都市ライズフォート闘技場所属、人造剣奴隷410号。主シルバの命名により奴隷登録された。登録名はシーラ」
ざわ……、と部屋がどよめく。
「奴隷……?」
このままでは間違いなく、誤解が生じる。
そう、シルバは確信した。
「説明をさせてくれ!」
ふ、とシルバの肩の上で、ネイトがポーズを作った。
「そして僕は愛の奴隷」
「混ぜっ返すなーっ!」
大雑把にシーラの事情を説明し終えると、カナリーは頭痛を堪えるような表情で、こめかみを揉んでいた。
「……シルバ、君はいい加減、学習した方がいい。前にも似たような事があっただろう」「そ、そんな事言われたって、他に呼びようがなかったしさぁ……」
「に、仮でも名前はたいせつ」
言うと、リフはシーラの前に立った。
ちょっとだけ、胸を張っているように見える。
「リフの方がおねえさん」
「……よく、分からない」
「お兄に名前を付けられたのは、リフが先」
「了解。わたしは妹」
「に」
二人は、手を合わせた。
「……仲良くなっちゃった」
何だかなーという顔で、ヒイロはそれを眺めていた。
「ともあれ無事でよかったシルバ殿。術が使えなくなった経緯はクロエ殿から聞いているが、そもそもどうしてこんな事になったのか、よく分からぬのだ」
言うと、キキョウはシルバが飛び出てきた四角い穴を覗き込んだ。
「こちらとしても推測で動くしかなかったが、大体当たりのようで何よりだ」
「うん、その説明を今から……」
ぐぅ。
シルバの腹が鳴った。
そういえば、最後の休憩でカーヴからもらった非常食を食べてから、一体どれぐらいの時間が経っているのだろう。
一度空腹を自覚すると、途端に力が抜けそうになる。
「まずは地上に戻るのが先決だね、先輩」
ヒイロはシルバの腰をポンポンと叩くと、溜め息をついた。そして、カーヴを見る。
「……あーあ、お祭りの屋台制覇が出来なかったよ。カーヴ・ハマーは何かオーラが出てないし」
「それは無理からぬ所ですよ、ヒイロ君。何せ……ねえ?」
クロエは既に、カーヴが力を失った事も、皆に話し終えていた。
「チッ……!」
言われたカーヴは、難しい顔をしたまま舌打ちするしかない。
そちらには構わず、シルバはタイランの方を向いた。
「タイラン」
呼ばれたタイランは、ビクッと跳ね上がり、太い鉄の指をモジモジとさせた。
「は、はい。担いで帰りますか?」
「ああ、頼む」
「は、はい。それじゃ、私の背に」
しゃがみ込んで背を向けるタイランと移動板を、交互に見た。
「一人じゃちょっと担ぐのは骨だな。ヒイロとシーラ、これ頼む」
「え」
ヒイロとシーラが持ち上げる板を見て、タイランは少しションボリとした。
「……板でしたか」
「うん、これ多分すごい金になるから」
何故落ち込んでいるのか、普段のシルバなら何となく察せたのだろうが、今の彼は空腹でそれどころではなかった。
だから、激怒したカーヴをまともに相手にする気にもなれなかった。
「っざけんな! 誰のお陰でこれを手に入れられたと思ってんだ!」
「俺」
「シルバですよ」
「シルバがあの家に飛び込んだんじゃないか」
シルバ、クロエ、ネイトに畳み掛けるように言われ、カーヴは一瞬言葉に詰まる。
しかし彼が反論するより早く、シルバは面倒くさげに続きを言った。
「辿り辿ればアンタだろうけどさ、悪いけどまったく恩義は感じない。むしろこれは迷惑料としてもらってくよ、カーヴ・ハマー。アンタの手に入れたアイテム類も全部、と言いたいところだけど、俺は文明人なんだ。そんな追い剥ぎみたいな真似はしない。だから、くれてやるよ。有り難く思うんだな」
後半はわざと、嫌味っぽく言うシルバだった。これぐらいは許されてもいいだろう。
そして肩の上のちびネイトも、シルバに続くように言う。
「力尽くで奪いたいならば、いいだろう。……ここにいる全員を、相手にしてもらう事になるがね。君には攻撃する力がないんだ。地上まで、大人しくしていてもらおうか」
「誰がお前らの世話になるか!」
顔を真っ赤にしたカーヴは周囲の白い目を見回し、そのまま部屋を出て行った。
「残念、挑発には乗ってくれなかったか」
「これでお宝も置いてってくれたら、御の字だったんだけどねえ」
「あ……い、いいんですか、シルバさん、ネイトさん」
一人、タイランだけは心配そうだったが、シルバは特に問題には思っていなかった。
「んー、放っておいていいと思う。どうせ都市に戻るだろうし、どうせその時に追い込みかけるからな」
いっそ、恥ずかしくて都市を出て行ってくれると一番いいんだけどなーと思うぐらいである。
「あの、いえ、そうではなくて……あの人、攻撃力がないという話で……」
「あの男なら、第三層クラスの敵は戦わなくても、脱出出来ると思う」
短い間だったが、カーヴの戦い振りを目の当たりにしたシルバは、そう断言した。
闘技場で彼の相手をしたクロエも、うんうんと頷く。
「ですねー。ちょっと信じられないような運動性能ですし」
「えー、見たかったなー、それ」
ヒイロは、カーヴを目の当たりにした時以上に、残念そうだった。
ふふふ、とネイトが笑う。
「僕の見た分でよければ、あとで見せて上げよう。自慢じゃないが、記憶の投影は得意中の得意なんだ」
「やった!」
後は戻るだけか、とシルバは息を吐いた。
そして、煙を吐く穴を見る。
「ただ、部屋は惜しかったな……もう使えないか」
……大昔の自爆装置が作動したという事それ自体にも驚きだが、ご家庭に普通、そんなモノがあるかとも思わないでもない。
そして、あの大爆発。第六層にあったあの家は無事では済まないだろう。瓦礫の山と化したに違いない。
貴重な古代の遺産が、塵となったのだ。
シルバとしては残念でならない。
そんなシルバを見て、シーラは口を開いた。
「部屋は破壊された。でも、穴は塞がっていない」
「という事は、通路としてはまだ使えるのか」
「そう」
リフが、シーラを見上げた。
「のぼってこない?」
「同胞達の使命は、居住区の侵入者の確保と、魂魄炉へのエネルギー供給。登る力のある者はいるけど、登っては来ない」
「そうか……」
それからふと、シルバは他にも穴がある事に気がついた。
「そっちは、某達が侵入を試みようとしていた穴だ」
キキョウの言葉を耳にしながら、シルバは第六層での家の間取りを頭に描いていた。
「とするとそっちの大きい穴は……位置からすると、倉庫の真上だな。なるほど、あっちにも上に通じる穴があったのか」
「その辺は読み違えでしたね」
クロエに言われ、確かにな、とシルバは頷くしかない。
そんなシルバを庇うように、シーラが口を開いた。
「どちらにしろ、あちらにあった浮遊台は壊れていて、使用出来なかった」
「そういえば、そんなモノもあったな」
確かに、装置の壊れた大きめの板があったのを、シルバも思いだしていた。
ただ一人、ネイトは違う方向を見ていた。
「シルバ。もう一つ穴があるんだが」
「なぬ?」
肩の上のちびネイトが指差す方向を、シルバは見た。
自分達が登ってきた穴からはそれほど離れていない場所に、細長い穴が開いていた。
幅自体はシルバ達の使ったモノとほぼ同じ1メルト程だが、縦は30セントメルト程度、とても人が潜れる大きさではない。
「本当だ。いつから出来ていたのだろう」
キキョウを始め、他の皆も気付かなかったらしい。
「ん、んー……大きさから考えると、人は通れないよなあ」
覗き込んでも、暗い穴が広がるだけである。
「あ、あの、でしたら私が……」
タイランが申し出た。
確かに甲冑を脱ぎ、精霊状態になったタイランなら可能だろう。
しかしシルバは首を振った。
「いや、気持ちは嬉しいけど……」
まずクロエがいる。彼女を信用していない訳ではないが、特にタイランの件は出来るだけ秘密にしておきたい所だった。
それに、何かの気まぐれを起こしてカーヴが戻ってくる可能性もゼロではない。
「なるほど、それはそうですね……でも、だったらどうしましょう」
「そうだな……」
シルバは考えた。煙管から出現していたスモークレディはとっくに効力を失っている。再び使う手もあるが……と、カナリーを見た。
「カナリー、いけるか?」
「任せたまえ」
地上の時刻は、既に夜。
霧化の出来るカナリーの出番であった。
細長い穴から白い霧が出現し、それは穴の奥を調べ終えたカナリーの姿を取った。
「……相当に深い所に何か箱のような物があるね。シルバ達がいたという部屋にまでは通じていないようだ」
「……本来の都市の状態なら、自然落下してたんだな」
ただ、霧の状態では、カナリーもそれを掴む事は出来ないらしい。
だったら、とシルバは今度はリフを見た。
「に」
心得てる、という風にリフも頷く。
「底までいけるか?」
「にぃ……分からないけど、やってみる」
二人のやり取りに、ヒイロが目を見開いた。
「え、リフちゃん落としちゃうの?」
「にゃっ!?」
リフがシルバの背中に隠れる。
「違うわ!? 蔓を出して、伸ばしてもらうんだよ!?」
「おおっ!」
ポン、と手を打つヒイロであった。
そして、先端を鈎状にした蔓のロープで、『それ』を穴の底から引っ張り出す事に成功する。
『それ』は箱ではなく、やや大振りの長方形の鞄だった。トランクという奴だ。
クロエにも一応分け前を聞いて見た所、本来自分の仕事は情報を持ち帰る事(そしてそれは充分収穫を得た)なので、必要ないという事だった。
「お宝?」
「……どうだろな」
ヒイロの言葉に、シルバは唸る。
「クロップ爺さんのだよね?」
「その先祖だ。爺さんだったかも知れないし、婆さんだったかも知れない」
「意外に美形のまま死んだ説とか」
冗談のような二人のやり取りに、カナリーが口を挟んできた。
「それよりも、迂闊に開けない方がいいと思うんだ」
「まったくだ」
何しろ、クロップ家の代物である。
下手に弄ると、トランクが爆発する恐れがあった。
「……リフ、もう一回、頼まれてくれるか。蔓での解錠。出来れば、全員避難した上での遠隔操作で」
「に」
幸いな事に、トランクに爆発物は仕掛けられていなかった。
「コイツは……」
シルバ達は開かれたトランクを恐る恐る、覗き込んだ。
そして、シーラを除く全員が、微妙な表情をした。
「……何だ?」
トランクの中はクッションのような柔らかい素材が敷き詰められていた。
右半分には赤ん坊の拳ぐらいの大きさの装置が縦に三つ、並んでおり、左半分をノートぐらいの大きさの白い石板が占めていた。
ふむ、とネイトが頷く。
「石板と装置が三つか」
「誰が見たまんまを言えっつった。これらが一体何なのかって話だよ。一つは分かるけど」
装置の真ん中にあるのは、浮遊板に取り付けられている半球状のモノだ。小型だが、同じモノだろう。
「装置は皆、{独楽/コマ}のようであるな」
キキョウの言葉になるほど、とシルバは思う。言われてみれば三つとも多少の違いはあれど、よく似ているような気がする。
「装置は上から順番に、スタンダードな練気炉、小型浮遊装置、もう一つは不明。その形状から、おそらくはクロップ氏による独自の機関炉と思われる」
この中で唯一分かりそうなシーラが、説明した。
「分かるのか」
「分かるだけ」
「練気炉って何?」
「練気炉としか言いようがない」
……詳しい事は、よく分からないらしい。
シーラの答えに、カナリーは少し残念そうだった。
「この一番下のは、魂魄炉じゃないのか」
「魂魄炉じゃない」
「……となると、精霊炉でしょうか」
ちょっと遠慮気味に、タイランが口を挟んできた。
うーん、とカナリーは首を捻った。
「それともちょっと違うように見えるけどねぇ。ま、大昔のモノだから、形状云々言ってもしょうがないのかもしれないね」
「オーケー。装置の方は分かったよ。でも、この石板は何だ。何も書かれていないぞ?」
シルバは石板を持ち上げた。
思ったより薄く軽い。縦は二十セントメルト、横はそれよりやや短い長方形となっている。厚さは一セントメルト程度か。
「エネルギーがない。供給が必要」
下の方に丸いボタンらしきモノがあり、それを横からシーラが押したが、何の反応もなかった。
「そもそもこりゃ一体何だ?」
「これは、情報端末。起動すれば、中に保存された情報を読み取れるはず」
「……ああ、なるほど」
肩の上に乗っていたちびネイトが、得心行ったように自分達が脱出した穴を見ていた。
「何だよネイト」
「そりゃ、家屋が爆発したら、それまでの研究資料は持ち出したいだろう。つまりそういう事だ」
つまり、このトランクの中身は、クロップ氏の研究資料なのだろう。
これだけコンパクトに収められていると言う事は、おそらくはかの人物の研究の核となるモノで間違いない。
古代の学者の研究成果であり、それはおそらく現代では失われた技術の粋である。
「……無茶苦茶、大事な物じゃねーか」
「私はパスしときますね」
それまで黙っていたクロエが、ひょいと手を上げた。
「おい、クロエ」
「そういうのは手に余りますから。私は平凡な小市民でいたいんです。協力するのは構いませんけど、こういうのは全部、シルバにお任せしときますよ」
「でも間違いなく金になるぞ? いいのか?」
やれやれ、とクロエは肩を竦めた。
「分けられるモノでもないでしょう、これは。金以上に、これは間違いなくトラブルの種ですよ。私の勘が告げています。一番分かりやすい例だと、カーヴ・ハマーでしょうか。彼がここにいなくてよかったです」
「あー……」
クロエに言われ、シルバも頷かざるを得ない。
もしも彼がここにいたら、奪い合いになっていた事は必至だろう。戦闘能力がなくても、例えば煙幕などで目眩ましをし、盗むという手はある。
戦う、という事にさえ固執しなければ、おそらくはカーヴは手強い。
彼でなくても、このトランクの中身は良からぬ者の欲望を呼び起こすには十分な魅力がある。
それだけではない、冒険者ギルドの魔術師や学習院の学者達……考えれば考えるほど、シルバは頭が痛くなってきた。
シルバの苦悩を察したのか、クロエは苦笑いを浮かべた。
「むしろ地上に出てからが厄介ですね。これは、隠しておいた方がいいと私は思います。ただでさえ、浮遊板とシーラさん、この二つでお釣りが来てますよ。シーラさんも隠した方がいいとは思いますが」
「いや、それはどうだろう。カーヴが言うだろ」
「言わないと思いますよ?」
「何で」
「一度勝ったとは言え、その後負けましたよね。あの人が言うと思いますか?」
「……俺達次第、かな?」
「でしょうね」
シーラを見る。
自分達が古代の人造人間だと言わなければなるほど、カーヴも黙っているような気がする。
そうなると、シルバの成果はカーヴから分け与えられたいくらかの貴金属類と、浮遊板という事になるが。
「でも、そうなるとお前、収穫ないじゃん」
「そうでもないですよ……となると、ちょっと急がないといけませんね」
クロエは出口を振り返り、屈伸運動を開始する。
「急ぐ?」
「カーヴ・ハマーは逃げる事には慣れていないと思いますから追い抜くのは難しくないとして、多分斥候班やチシャさん達よりも、私の方が先にこの層に到着しているでしょう」
「ああ、そりゃ一気にショートカットしたからな」
斥候班がどれだけ腕利きでも、チシャも抱えているし、せいぜいが第四層といった所だろう。
んー、とクロエは両手を指を絡めて、身体を伸ばす。
「ま、タイム的に微妙な所ですけど、運がよければなかなか愉快な事になるかも知れません。という訳で、お先に失礼」
ストレッチを終えると、クロエは軽くその場で一跳びし、そのまま幻のように消え去った。
広い実験室の方からクロエの足音が響く。
「ってもう行っちまったよ……」
「どうしたんだろうねー」
ポリポリと、ヒイロは頭を掻いていた。
「さて、な。とにかく腹も減ったし、一旦地上に戻ろう。回復が使えないから……ポーションを持ってる人がいたら、分けてくれ。回復役だけでも担当するよ」
「に」
リフがスッと差し出してきたのは、針と眼鏡、それに篭手だった。
「そうか、これもあったな。これで一応の防御役も務まるか」
「私が盾になってもいい」
金棒を持ったシーラが、シルバの前に立つ。
「……まあ、人造人間の性能を見てもらうのには、いい機会かな」
そしてシルバ達は、墜落殿を脱出した。
通信に関して思いつく事があったので、フィリオに聞きたい事があったのだが、疲労と空腹は思っていたよりもシルバを弱らせており、霊獣の背中に乗った途端、彼は気絶していた。
遅れて都市に戻ったチシャも似たり寄ったりであり、充分な休息を取った二人が冒険者ギルド本部を訪れたのは、三日後の朝一であった。
目的は、カーヴの拉致行為への抗議である。
が。
「「どういう事!?」」
シルバとチシャは、カウンターから身を乗り出した。
その勢いに、冒険者ギルド職員の女性はたまらず仰け反っていた。
「いえ、ですから今言った通りです。シルバ・ロックールさん、チシャ・ハリーさんですよね。はい、臨時パーティー登録にちゃんとされていましたよ。これがその書類です」
そして差し出された書類はなるほど、臨時用のパーティー登録書類である。
リーダーは前衛のカーヴ・ハマー。
後衛で補佐を務めるシルバ・ロックールとチシャ・ハリーの名前も手書きで記されていた。
二人はその書類を睨み、唸った。
「……筆跡まで本物そっくりだ」
「……私のもです」
ふむ、とシルバの後ろでカナリーが顎を撫でた。こういう場所での交渉なら、リフよりも自分の方が向いていると、付き添いで来ていたのだった。
書類を覗き込み、二人に代わってカウンターに立つ。
「この日付……記念式典のあった日だね。質問いいかな」
カナリーに微笑まれ、職員の女性は頬を赤らめながら、眼鏡のズレを直した。
「ど、どうぞ」
「その、臨時パーティー登録書を受け付けたのも、貴方なのですか?」
「い、いえ、私じゃありませんよ。その日の職員は……ああ、ジョンさんですね。ジョン・シェフネッケルさん」
カナリーの目が鋭く光る。
「その人は今、どこに?」
「あ、その、せ、先日、退職されました。何でも親戚が仕事をしているサフィーンに向かうとか急に……」
ガクッと、三人は項垂れた。
「……やられた」
「……やられましたね」
「くそ……っ!」
冒険者ギルド本部を出て、シルバとカナリーは教会に向かうチシャと別れた。
二人が向かう先は学習院のストア研究室。
そこで今後の話をする事になっていた。
寝坊がなければ、もうみんな集まっているはずだ。
「チシャの話だと、カーヴは墜落殿に直行だったらしい。気絶してた俺は憶えてないけどな」
ふむ、とカナリーは屋台で買ったトマトジュースを飲みながら、鍔広の帽子を被り直した。
「となると、やっぱり貴族のパトロンがいるね。ジョンという男はおそらく金で動いたのだろう。あの職員の言う通りなら、もうとっくにこの都市を出ているだろう。おまけに文書の偽造。冒険者であるカーヴの手下達に、ギルドの中にまで働きかけるこの手の小細工は難しい」
「くそ、スッキリしねえな」
チィッ……とシルバは舌打ちする。
「文書で残されているとなるとねぇ……こっちがいくら正当性を訴えても、勝つのは厄介だ。こっちも何か証拠を突きつけないとね」
「証拠か……」
「もしくは、偽造した張本人に、自白させるか」
ふぅ……とカナリーは息を吐いた。
「ま、シルバをあんな事件に巻き込んだ張本人は、痛い目に遭ったんだ。それで一応の溜飲は下げてくれ」
スゥッとシルバの肩に出現したネイトも、うむ、と頷く。
「街の噂だと、英雄さんはずいぶんと飲んだくれているらしいな。当分は冒険者稼業は『休業』らしいが、いつまで通じるか」
「パトロンの機嫌もあるしね。おまけに第六層の新情報の提供も、クロエに出し抜かれたと聞く」
「そうなのか?」
この数日、ほとんど自分のアパートで過ごしていたシルバには、その辺りの事はよく分からない。
カナリーの説明によると、クロエは途中でいつものようにモンスターを相手にしようとして手こずっているカーブを追い抜き、第四層に向かった。
斥候班と合流した彼女は彼らの無事を確認後、そのまま先行して地上に戻り、一足先に冒険者ギルドに第六層の報告を行なったのだという。
現れたモンスターや迷宮の構造は何より貴重なモノだし、奥にあった魂魄炉が活動している事、そのエネルギーに捕らえられた斥候班の残りがいる事や、戦闘用人造人間に関しては、今も対策が練られているという。
「……なるほど」
「カーヴの背後関係は僕の方で何とかしよう。それよりも、僕らには他にする事が多すぎる」
「だな」
シルバは頷く。
そして、自分の左手首に巻き付く、呪いをジッと見つめた。
まずはこれが、最優先だ。