……二時間半ほど掛けて、シルバ達は隠し部屋の前に辿り着いた。
傍目には、ごく普通のT字路の突き当たりのようにしか見えない。
だが、ここには、研究所へと繋がる扉が隠されているのだ。
「……本当に地図の間違いじゃなかったんだろうね」
カナリーが、疑り深そうにシルバの手元を覗き込んだ。
「くどいな。信じられないのは分かるけど、実際に見ただろう? 迷宮の構造自体が変えられてたんだよ」
実際、ティムの言っていた通り、シルバ達の進む先は地図とはやや異なった造りとなっていた。
「もっとも、それほど大した事なかったのは、不幸中の幸いだけど。遅れもほとんどなかったし」
何回かの戦闘を経て、シルバ達はここまで来れた訳だ。
「じゃあ先輩、これからみんなが来るまで、待機?」
ヒイロの問いに、シルバは首を振った。
「いや、連中が奥に潜んでたら作戦に意味がない。タイミングを計る為にも、もしノワ達が隠れているようなら、誘き寄せる役が俺達の仕事だ」
「こういう時、盗賊の貴重さが分かるね」
やれやれ、とカナリーは天を仰いだ。
「リフの足は今回の作戦には絶対必要だったからな。無いモノはしょうがない。俺が見てくるよ」
ヒイロはこういう作業に向かないだろうし、カナリーはそもそもやった事がないらしい。ヴァーミィとセルシアはどうかと思ったが、やはりここは人間の方がいいだろうとシルバは判断した。
ゆっくりと壁に近付き、ごくわずかに開かれていたそこから、中を覗き込む。
広い部屋の奥に、玉座のような席があり、そこにノワが腰掛けていた。
後ろに控えているのは黒髪黒衣の戦士、ロン・タルボルトと、大柄な人造人間、ヴィクターだ。
クロスの姿は何故か、見受けられない。
そして彼女の前には赤絨毯が敷かれ、両脇には虚ろな顔の三十人の冒険者達がずらりと一列に並んでいた。
内の一人はシルバも知っている、アル・バートだ。
「うへぇ……」
悪趣味極まりないな、とシルバは思った。
吟遊詩人の詠う魔王様じゃあるまいし。
そんな感想を抱きながら、二人と二体の元に戻る。
シルバの様子に、ヒイロがどこか心配そうな顔で、見上げてくる。
「どうだったの? 何かすごくうんざりした顔になってるよ、先輩」
「……うんざりしてるんだよ」
そう、シルバが返事を返した時だった。
「よーこそ、シルバ君。他の二人も中へおいでませ♪」
部屋の中からの明るい声に、シルバの身体が硬直した。
「っ!?」
緊張、ではない。
抗えない見えない力に、シルバの身体が拘束されていた。
「シ、シルバ!?」
「せ、先輩、どうしたの!? 待ってよ! このまま入っちゃうの!?」
シルバの様子に気付いたのか、カナリーとヒイロが身体を揺さぶる。
「ぐ……」
だが、それでもシルバの身体はいう事を聞かず、そのまま隠し部屋の方に向かってしまう。
「ふむ……君達にノワさんの命令が効かないという事はどういう事かな」
マント状の皮膜を脱ぎ、姿を現わしたのは銀髪紅眼の優男、クロス・フェリーだった。
もう一方の手には、通信用の水晶が握られていた。
「クロス!」
カナリーはクロスをにらみ付けたが、それより早く、クロスの鋭い爪を持った指先が、シルバの首筋に当てられていた。
「こんばんは、カナリー様。なるほど、そういう訳でしたか」
ニコリと微笑みながらも、クロスの目だけは笑っていなかった。
「まさか、貴方が女性だったとはね」
「何の話だ」
「またまた、とぼけなくても結構ですよ」
クロスの紅い目が光る。
しかし、カナリーは不機嫌な表情で、鼻を鳴らした。
「……馬鹿か君は。純潔の吸血鬼である僕に、君の魅了が効くはずがないだろう」
「ふむ、それももっとも。しかし……」
ひょい、と素早くクロスの手が翻ったかと思うと、その手には黒眼鏡があった。
「あっ……」
ヒイロが、自分の顔を覆っていた。
掛けていたはずの黒眼鏡がない。
「ヒイロ!?」
そして、その瞳から次第に光が失われていく。
「う、あ……」
虚ろな表情で、ヒイロはクロスの魅了に堕ちてしまっていた。
「こちらの娘には、ちゃんと効くようですね。何よりです」
クロスが手招きすると、ヒイロはだらりとした動きで、彼の手元まで寄ってくる。
そのクロスの片手はいまだに、シルバの喉元を狙っている。
カナリーは、完全に孤立していた。
「くっ、シ、シルバ、僕の目を見るんだ!」
言って、苦しそうな表情をするシルバとカナリーは視線を合わせた。
「が……」
シルバは目を見開き、苦しげな声を上げる。
ノワの強制力と、カナリーの魅了がせめぎ合い、精神が混乱しているのだ。
「うが……あ、あぁっ……!?」
これにはさすがのクロスも、慌ててしまう。
「ちょ、ちょっとちょっとやめておいた方がいいですよ、カナリー様。精神に干渉する力を二重掛けなんて、普通の人間には耐えられません。最悪、精神が破壊されてしまいます」
クロスの忠告に従ったのか、カナリーは瞳の力を解いた。
虚ろな瞳に光が戻ったシルバは、頭を振り声を振り絞った。
「うぅっ……カナリー……」
「馬鹿な……」
クロスは絶句した。
ノワの強制力を、カナリーの魅了が凌駕したというのか。
だが。
「シルバ君!」
響くノワの声に、シルバの身体がビクンと硬直する。
「うあっ!?」
「その子はノワの敵だから、ちゃんと倒して!」
ノワが命じると、シルバは袖から針を滑り落とした。
それを握り、動けないでいるカナリーに迫る。
「シルバ……」
「カナリー……!」
ドス、とカナリーの胸の中央に、シルバの針が突き刺さる。
「シ、シルバ……」
赤い血を胸元から滲ませながら、カナリーはその場に崩れ落ちた。
そのまま、床に倒れ伏してしまう。
後ろに控えていた赤と青の従者も、まさしく糸の切れた人形のように崩れ落ち、そのままズブズブと影の中に沈んでしまった。
荒い息を上げるカナリーを見下ろし、クロスは銀縁眼鏡を直しながら嘲笑した。
「おやおや、もしかして、彼に惚れていたんですか? ホルスティン家の跡取りもこうなると他愛もないですね」
「……っ!」
怒りに満ちた表情のシルバの腕が翻り、クロスはもう少しで刺されるところだった。
「おっと、危ないですね。ノワさん、指示をお願いします」
「大人しくしてね、シルバ君。仲間を失ったのは悲しいかも知れないけど、ノワ達がいるから大丈夫だよ」
ノワの声に、再びシルバの身体は強張っていた。
「何が大丈夫だ、この野郎……!」
声を振り絞り、シルバが抗議する。
だが、その台詞にノワは少し、気を悪くしたようだった。
「シルバ君、ノワ女の子だよ……? そういう事言うんならちょっとお仕置きが必要かなぁ」
「シルバ君の武器は針のようですよ」
クロスが言い添えると、サラッとノワは酷い事を言った。
「じゃー、ちょっと太股刺してみよっか」
シルバは持っていた針で、自分の太股を突き刺した。
「ぐあっ……!?」
「はい、抜いてー。回復は出来るよね? 大丈夫大丈夫。ノワ優しいから、痛いのそのまま残したりしないよ。それじゃそろそろこっちに姿を現わしてもらおっか?」
痛みに顔を真っ赤にしたシルバが、回復魔法を使うのを見届け、クロスは身体を震わせるカナリーを再び見下ろした。
「おっと、こちらの令嬢は、僕の影に入っていてもらいましょうか」
カナリーの身体が、クロスの影に沈んでいく。
そして、シルバとヒイロは、クロスに付き従い、隠し部屋の中へと招かれた。
「おーいでーませー♪」
大きな椅子に両足をぶらつかせ、ノワはシルバ達を出迎えた。
「ノワ……お前……」
シルバは、目の前のノワを憎々しげに見つめていた。
思わずノワは、ぶーと膨れてしまう。
「違うよー。ここはほら、お前じゃなくて、ノワちゃんとかノワ様とか呼んでくれないと。それに、シルバ君はもうノワの下僕なんだから、ちゃんと臣下の礼を取ってくれないと困るよ。ほら、そっちの子も……」
ふと、ノワは首を傾げた。
「えーと、名前なんだっけ?」
「君、自分で名前を名乗りなさい?」
クロスが促すと、虚ろな表情でヒイロは口を開いた。
「……ヒイロ」
「じゃー、ヒイロちゃんもちゃんと、シルバ君と一緒に臣下の礼ね?」
「……はい」
シルバとヒイロは、ノワの前に跪かされてしまう。
「ぐ、う……や、やめろ、ヒイロ」
頭が強制的に下がるのに抗いながら、シルバがヒイロに言う。
「だーめ。ほら、頭を下げる」
そのシルバの後頭部を、ノワの足が踏んづけた。
「うぅっ……!」
シルバの額が、赤絨毯に押しつけられる。
「くふふ、やっと溜飲が下がったって気分? これなら、上手く行きそうだね、クロス君」
シルバの後頭部で足踏みをしながら、ノワは微笑んだ。
「そうですね。ただ、彼もカナリー様も精神が強そうですから、調整には時間が掛かりそうです。念入りにする必要がありますね。何せ彼らには、ギルド監視の中、財産を奪還してもらわなきゃなりませんから」
「だねー」
「ヴィクター、魔力ポーション」
「はい、のわさま」
グラスに注がれた魔力ポーションを呷りながら、大きな椅子に座ったノワはシルバを見下ろした。
「ところでさ、シルバ君」
「……何だよ」
「だーからー、その反抗的な目はよくないってばー」
シルバのにらみ付ける目つきが気に入らず、ノワの靴の踵が脳天に突き刺さる。
「つっ……! か、踵……!」
苦悶の声を上げながら、シルバの頭が再び下がる。
「ま、いっか。このままだと埒が明かないモンね。それでお話なんだけど、もしかして他の三人も、女の子だったりする?」
「…………」
シルバは下を向いたまま答えない。
「質問に、答えて」
「そうだ」
「むぅっ、何かムカツク」
端的な答えに、ノワは足を伸ばし、今度は背中を踵で蹴った。
「がっ……!」
思ったより体重が乗ったらしく、シルバの身体全体が沈んでしまう。
ふと、ノワの気が変わった。
さっきまでは、クロスの忠告に従い、赤絨毯の左右に並ぶ冒険者達と同じような、木偶人形にしようとしていたのだが、それでは面白くない。
「クロス君、予定変更ー。シルバ君は精神調整ナシの方向で」
魔力ポーションを飲み干し、グラスをヴィクターに預けながら、ノワは言った。
「いいんですか?」
「うん。そっちの計画は、あのカナリーって人が使えれば充分でしょ? それに、そっちの方が、シルバ君には良さそうだもん」
にぱ、と笑っていると、シルバがまた反抗的な目で見上げてきた。
「お、お前……」
ノワは微笑んだまま、シルバの顎を爪先で持ち上げた。
「お前じゃなくて、ノワ様ね♪」
「……っ! ノワ……様に聞きたい事がある」
「うん、何? 受け付けないけど」
「この……!」
「逆質問ね。シルバ君が飼ってる白猫ちゃん、どうしたの?」
「……知らない」
シルバは悔しげな顔のまま、そう答えた。
「正直に話してよー。シルバ君、ノワの下僕でしょ?」
「……分からない」
シルバの答えに、ノワは違和感を覚えた。
今のノワの力は、魔力の続く限り、男性相手には絶対だ。
そして魔力はつい今し方、補給したばかりであり、嘘はつけないはずである。
困惑したノワは、クロスを見た。
「……クロス君?」
銀髪の参謀は頭を振った。
「嘘はついていません。どうやら、本当に分からない様子ですね」
「そっか。カード、壊れたのかと思ったよ。でも、何で?」
ノワは、自分の胸に手を当てながら、ホッとする。
自分の飼っているペットの事を、知らないはずはない。
いや、そもそも質問の内容を間違えたのか? あの仔猫は、シルバのペットではないとか……。
「心当たりはありますか、シルバ君」
「…………」
クロスの問いに、シルバは無言を貫く。
ノワの力が絶対とはいえ、その仲間の問いにまで答えなければならない理由はない。
「シルバ君、答えて」
渋々、シルバは口を開いた。
「……多分、カナリーの、認識偽装だ。仲間がいる……ってのは憶えているが、そいつらがどういう奴らで、今何をしているのかは、俺は憶えていない」
クロスは思い出したようだ。
「くっ、シ、シルバ、僕の目を見るんだ!」
言って、苦しそうな表情をするシルバとカナリーは視線を合わせた。
「が……」
シルバは目を見開き、苦しげな声を上げる。
ノワの強制力と、カナリーの魅了がせめぎ合い、精神が混乱しているのだ。
「うが……あ、あぁっ……!?」
「あの時の……!」
クロスは、思わず唸り、ノワを見た。
「しかし困りましたね、ノワさん。あの霊獣の『高位の魂』が僕達には必要です」
「俺の仲間、に……何をする気だ」
苦しげな声を上げながら自分を睨むシルバを、楽しそうにノワは見下ろした。
「教えて欲しい?」
「ああ……」
べー、と小さな舌を突き出すノワ。
「やだよーだ。教えなーい」
「ふふふ、ノワさん意地悪が過ぎますよ。残念ですけどシルバ君、これは教えて上げる事が出来ませんね」
「クロス君だって意地悪じゃない!」
微笑を浮かべたままのクロスに、ノワは突っ込んだ。
「僕のは意地悪じゃなくて、仕事の上での機密事項なんですよ」
「悪魔の召喚……か」
シルバの呟きに、ノワ達はさすがに驚いた。
「……おや」
「何で知ってるの!?」
ただ一つ『高位の魂』だけで、そこまで到達する事なんて出来るはずがない。
ノワ達の知らない何かを、シルバは知っているというのか。
「この迷宮でさっき……兆候を見た。偶然じゃないとすれば……呼んだのは、お前達だと……思った。アレには、ずっと昔……会った事がある。前の魔王討伐軍で……アレはお前達の望みなんて叶えない。ロクでもないモノだから、やめておけ……」
最後の言葉が、ノワの癇に障った。
「むぅっ!」
ごん、とシルバの頭に踵が突き刺さる。
「いだっ!?」
ゴツッと鈍い音がしたのは、シルバの額が床にぶつかったせいだろう。
「そんな事言ったって今更引っ込みつく訳ないでしょ! ノワ達がどれだけ苦労してお金集めたと思ってるの? 野望までもうちょっとなんだから、そんな風に脅かしたって駄目なんだから!」
ごん、ごんと何度もシルバの頭に、踵を入れるノワ。
ここまでノワは頑張ってきたのだ。
それを簡単にやめておけなんて言うシルバに、腹が立ってしょうがない。
それにもし、多少危険なモノ――悪魔と呼ばれるぐらいなのだからそうだろう――だとしても、自分の望みは多少の代償に見合うモノだと思っている。
「待って下さい、ノワさん。もうちょっと詳しい話を――」
その時、大きな音がした。
「何!?」
ノワ達が顔を上げると、部屋の左右に突然『なかったはずの扉』が出現し、大きく開かれた。
そして現れたのは、右から狐耳のサムライ――キキョウと。
「シルバ殿、お待たせしたっ!!」
左からは、足の裏の無限軌道をフル活動させて疾走する、重甲冑――タイランだった。
「こ、怖っ……は、早く落とし穴へ……!!」
扉の奥から、巨大な津波のような音が響いてきた。
二人の姿を認めた直後、ノワの勘が、背筋にぶわっと冷たい汗を噴き出させていた。
何か、まずい。
足下にうずくまる男は一体、何を仕掛けたのか。
「来たか……!」
一方、クロスはシルバの呟きに目を見張っていた。
「認識偽装が解けた――!?」
条件指定での、偽装解除。精神操作系の高等技術だ。
本家の純血種に嫉妬を憶えながらも、クロスはそれどころではない事を悟る。
ほぼ間を置かず、どぉっ! と二つの扉から大量のモンスターが出現した。
キキョウの飛び出てきた扉からは、戦士系、騎兵、魔導師などの人型モンスターが数十体。武器や杖を手に持った彼らが咆哮を上げながら、殺到してくる。
一方タイランの飛び出た扉からは、幽鬼、亡者、悪霊といった精霊系のモンスターがやはり同じく数十体。苦悶の声を上げながら、ゆらりゆらりと迫ってくる。
――この間、ほんの数秒。
「みんなノワを守って!!」
ノワの叫びに、三十人の冒険者達は各々武器を、盾を構え、モンスター達に立ち向かう。
しかし、いくら第四、第五層クラスの冒険者達といえども、木偶と化している状態では真価を発揮する事は困難だ。
怒号と地響きが部屋を満たしていく。
そして五分後。
生き残ったモンスター達は隠し部屋の扉から出て行き、部屋は沈黙した。
濛々と埃の舞う部屋の中には、何十人もの冒険者達とそれを上回る数のモンスターが倒れ、武器や血飛沫が床を汚し、壁のあちこちに亀裂が生じていた。
赤絨毯はボロボロで、椅子も完全に粉砕されている。
パカッと床の一部が二つ開き、そこからキキョウとタイランが顔を出した。
タイランは落とし穴から身体を乗り出し、部屋の惨状を見渡した。
「お、終わりましたか……?」
「ああ、おそらくな。それにしても酷い有様だ」
キキョウも同じく落とし穴から飛び出し、小さく息を吐いた。
落とし穴の中に罠はなく、ただひたすら身を潜める為の機能しかない。そもそも排気口やダストシュートの類だったのではないかというのが、この部屋を調べていたクロエの報告だった。
蓋の調達や、複数の出入り口の存在も、シルバ達が村に滞在していた間に、クロエやカートンがこなしていた仕事である。
本来、モンスターを大量に引きつけ、連ねる行為は冒険者ギルドからもマナー違反として禁止されている。
とはいえ、今回の仕事は、ノワ達を誘き寄せる為にも、シルバ達だけで行わなければならなかった。
実力差を埋める為、というよりむしろ問答無用で捕える為、ギルドマスターから許可証をもらってまで行ったのがこの『列車作戦』だ。
もっとも、イレギュラーというのはやはりあり、キキョウ達にとってはこの数十人の冒険者達が、それに該当していた。
「こ、この人達は一体……」
タイランが怯え、キキョウは首を振った。
「分からぬ。だが数から考えると、おそらくあのアル・バートという男の仲間達であろう」
「まさか、シルバさんやカナリーさん、ヒイロもこの中に……」
「ふ、不吉な事を言うな、タイラン!」
ちょっと心配ではあったが、シルバ達の避難方法も事前に聞いている。
「予定通りなのだから、シルバ殿も例の針で……あれか!?」
部屋の奥に、ドーム状になった土の盛り上がりがあった。
シルバが土の精霊の力を針で喚起し、地面を持ち上げ、防御したのだろう。
それは、シルバの計画通りだ。
まるで土で出来たかまくらのようだな、とそれを見て、キキョウは思った。
やがて、そのかまくらがゆっくりと崩れ落ちていく。
中から、少女の声が響いた。
「ふぅ……助かったよ、シルバ君」
ノワの姿を見た二人は、絶句しているようだった。
「な……」
「シ、シルバさん……それにヒイロも……どうして!?」
シルバは、ノワの命令を忠実に守った。
本来、ヒイロやカナリーを守るはずだったその手段は、敵を守る為に使われていたのだ。
お陰でノワ達は完全に無傷の状態で、シルバのパーティーの残りと相対する事が出来る事となった。
「に、逃げろ、二人とも……」
床に倒れ伏したシルバの背に、ノワは腰掛けていた。
「ねえ、シルバ君。あの大きいのも、中、女の子なんだ」
「……そうだ」
「ふーん……」
ノワは、シルバの背中に乗ったまま少し考え、ポンと手を打った。
「そうだ! じゃ、あの二人の相手はシルバ君達にやってもらおう!」
明るい声で言うノワに、シルバは怒りの形相で振り返る。
「お前!?」
「ぶー! お前じゃなくてノワだもん! ヴィクター、魔力ポーション!」
「はい、のわさま」
さすがにもうグラスはなく、ヴィクターも普通に瓶状態で出すしかない。
「いい案かもしれませんね。僕達は消耗しないで済みますし」
クスクスと、クロスは笑った。
そのすぐ隣には、呆けた表情で棒立ちするヒイロがいる。
さ、とノワは魔力ポーションを飲み干すとシルバの背中から下り、彼も立ち上がらせた。
「本気でやらないと、ノワ怒るからね。また、太股を針で刺したくないでしょ?」
その言葉に最も反応したのは、シルバではなかった。
「……!!」
顔を真っ赤にし、キキョウは刀の柄に手をやっていた。
それをタイランが必死に制する。
「キ、キキョウさん……落ち着いて下さい!」
それを見ながら、クロスが優しくヒイロの背中を押す。
「ヒイロさん、でしたっけ? 君も僕の為に、しっかり働くんですよ?」
「……うん」
骨剣を引きずり、ヒイロが前に出る。
クロスの脇からもう一つ、黒い影が進み出た。
「俺も出る」
「ロン君?」
ノワの問いに、ロンは無表情で振り返った。
そしてキキョウを指差す。
「……あっちのサムライは俺の獲物だ」
どうやら譲る気はないらしい。
クロスを見ると、やれやれ、と彼は首を振っていた。
「ま、そうですね。半分遊びとはいえ油断は禁物です。前衛二人を相手は、相手に迷いがあるようでも、さすがにヒイロさん一人ではきついでしょう」
確かにその通りではあるので、ノワも反対はしない事にした。
クロスは、ふむ、とシルバを見た。
「ただし人数が増える分、シルバ君にはよく仕事をしてもらわないといけませんけど。念のためにヴィクターも、すぐに出られるよう控えていて下さい」
「わかった」
進み出る、仲間であったはずの鬼の娘と、漆黒の戦士。
その後ろには、彼女達のリーダーであったはずの、司祭が控えている。
キキョウは緊張を高めながら、隣にいるタイランに問いかける。
「タイラン、やれるか? 某の相手はまだ、敵なので救いがあるが……お主の相手は……」
「わ、分かりません……分かりませんけど――今は、や、やるしかないですね!」
ガシャン、と金属質な音を鳴らし、タイランは斧槍を構えた。
パン、と楽しそうにノワは両手を叩いた。
「それじゃ、仲間同士の対戦、スタート♪」
そして戦いは始まった。
「シルバ殿……」
漆黒の盗賊戦士、ロン・タルボルトの背後に控える司祭を、キキョウは耳と尻尾を垂らして見つめていた。
そのあからさまな隙を見逃す、ロンではなかった。
床を踏み込み、高速移動で呆然とするサムライ娘へと迫る。
腰の後ろに差した鞘から、二本の短剣を抜いたその時だった。
「馬鹿、目の前の敵に集中しろ、キキョウ!! ――{加速/スパーダ}!!」
切羽詰まった声と共に、ロンの身体が軽くなる。
シルバの祝福魔法が効果を発揮したのだ。
だがハッと我に返るキキョウに、二本の刃を振るいながらも、ロンの無表情には微かに苛立ちが混じっていた。
「余計な事を……」
刃と刃の打ち合う音が響く。
ロンとキキョウの戦いが高速で展開され始めても、まだヒイロとタイランの戦いは始まっていなかった。
……もっともこれは、ロンが戦いの火蓋を切るのが速すぎた、というのも理由の一つなのだが。
ともあれ、シルバの魔法二つ目の声が、部屋に響き渡る。
「{豪拳/コングル}!」
轟、とヒイロの身体から、熱風のような気が放たれる。
骨剣を大きく振るい、ヒイロは大きく振りかぶる構えを取った。
その破壊力を充分に知っているタイランは、大きな盾を構えながら、身震いしているようだった。
「う、うわ……お、お手柔らかにして下さいね、ヒイロ……」
「……いくよ」
床石が割れるほどの踏み込みと共に、ヒイロが突進する。
防御を端から捨てた攻撃一辺倒の一撃は、だからこそ、恐るべき威力を誇る。
暴風のようなスイングが、タイランの突き出した盾に激突した。あまりの衝撃に、タイランの足が、後ろに引きずられてしまう。
「さ、最初から全力全開ですか……!」
親友の手加減抜きの攻撃に、タイランは悲しむ余裕すらなく、次の一撃に備えざるを得ない。
「なかなか強力な盾のようですね。もっとも攻撃しないのでは、勝敗は決まったようなモノですが」
クロスが、ロンとタイランの戦いを眺め、批評する。
防御はなるほど見事なモノだが、言ってみれば首と手足を引っ込めた亀を相手にするようなモノだ。
盾を鳴らす、骨剣のぶつかる音こそ派手なモノの、これでは埒が明かない。
チラッとノワを見ると、案の定、退屈そうだった。
「もぉー、シルバ君。さっきロン君に掛けた魔法、ヒイロちゃんにも掛けてあげてー。ほら、スピード早くなる奴」
「人の魔力だと思って、好き放題言ってくれる……{加速/スパーダ}!!」
ノワの声を背中にかけられ、シルバは速度を速める魔法を、ヒイロに掛けてしまう。
さすがに単純に骨剣を振るうだけではダメージを与えられないとヒイロも悟ったのか、その攻撃が横殴りや打ち下ろしから突きへと変わる。
豪雨のように降り注ぐ大量の突きが、タイランの盾を叩く。
「わ、わわ……っ!? 避けきれな……ひあっ!?」
盾に隠しきれない肩や太股を突かれ、タイランがバランスを失う。
「こ、こんなのどうすれば……」
そしてその体勢が崩れたところに、ヒイロ本命のフルスイングが急襲する。
「ぐぅ……っ」
呻き声を上げながら、大きくタイランは弾き飛ばされた。
「だらしないよー、鎧ちゃん! もっとしっかり戦わなきゃー!」
そうヤジを飛ばしながらも、派手にダメージの分かる方が好みなノワは上機嫌だ。
「思いっきりやってもいいんだよ。これからヒイロちゃん、防御も固めるから。ほらシルバ君、防御魔法掛けてあげてー」
魔力ポーションを飲みながら、ノワはシルバに指示を送る。
「……{鉄壁/ウオウル}」
攻撃を繰り返すヒイロの身体を青白い聖光が纏い、その周辺の空気が凝縮する。
「ついでに、相手の防御力も下げてくれるかな」
「シ、{崩壁/シルダン}……」
苦悶の声を上げながら、シルバは新たな呪文を唱えた。
その魔法はタイランの近くまで来ていたキキョウには効果を発し、ガラスの割れるような音と共に、防御力が下がったことを伝えていた。
しかし当のタイラン本人は、それが効いた様子がなかった。魔法が弾かれたのだ。
「き、効きません……!」
そのままタイランは盾を突き出し時には振るい、ヒイロの攻めを止めるよう、積極的な防御という変わった戦法を取り始める。
ヒイロにはダメージが与えられないが、戦いそのモノは長引く。それはつまり、この戦いの最中に、戦局が変化するのを期待しての耐えの戦術だ。
腰の引けた様子ながら、彼女は勝利そのモノを諦めた訳ではないらしい。
それよりもクロスが興味を引いたのは、タイランの身体そのモノだった。
「ほう、絶魔コーティング鎧ですか。やりますね」
銀縁眼鏡を整えながら、感心した声を上げる。
「ノワさん、あの鎧は高く売れますよ」
クロスの忠告に、ノワは大いに慌てた。
「え!? じゃ、じゃあ困るかも! ヒイロちゃん、あんまり傷つけちゃ駄目だよ! 値段下がっちゃう! 中の娘だけ、引っ張り出して!」
「……うん」
武器での攻撃が通じにくいと見たヒイロは、骨剣を捨てて素手での取っ組み合いに持って行こうとする。
タイランは今度は、そのヒイロを振り払うのに難儀しようとしていた。
一方、ロンの攻撃を完全に避けきれず、キキョウの傷も致命傷こそ無いものの、少しずつ増えつつあった。
「くっ……」
ロンは現在、シルバの数々の支援魔法によって強化されている。
速さはもとより、攻撃力や防御力も高められ、逆にキキョウはそれらを低下させられている。
「やるな……この速度についてこれる者はそうはいないはずだ」
そう呟き刃を振るいながらも、ロンは退屈だった。
正直、魔法で強化された分だけ、本気の加減が減っている。それでも充分に、今のロンならばキキョウは追い詰められるのだ。
それでもかろうじて急所だけは守っているのだから、キキョウも大したモノだとロンは思う。
「お前とは、正々堂々小細工なしでやり合いたかった。業腹だが、目的の為だ。このまま倒れてもらおう」
「お、お主らの目的とは一体……」
「それぞれで違う」
ロンの手が翻り、二の腕に赤い線が一本走ったかと思うと派手に血が噴き出した。
「うあぁ……っ!?」
しかしキキョウは歯を食いしばり、汗だくになりながら刃を振るう。
「ぬう……っ!」
振り下ろしからの胴薙ぎ、そして刃を戻さないままの必殺の突き。
しかしそれも当たらなければ意味がない。
ロンは軽やかなステップで、それらの攻めをすべて回避した。
「俺に同じ攻撃は通じない。なのに、三度もお前は同じ事を繰り返している。……その三連撃のパターンは読み切った。もう、無駄だ」
ロンの右の刃が真っ直ぐと、キキョウの胸を狙う。
「そうだな――!!」
しかしロンのそれも読んでいたのか、わずかに笑いながら、キキョウは再び攻勢に転じる。
だが、それもやはり基本は同じ攻撃だ。
足払いから刃が足下から跳ね上がり――刃を戻さないままの疾風の突きがロンを襲う。
「四度目。これ以上、俺を失望させるな」
ロンは苛立ちを瞳に秘め、手に持っていた短剣に力を込めた。
「確かに大した鋭さだ。だが、最後の攻撃が同じなら、読むのは容易い。これで――」
キキョウが空振ったのとタイミングを合わせ、ロンの右の短剣が走る。
「――終わりだ」
だが、その刃がキキョウの胸に突き刺さる前に、硬い感触がそれを遮った。
「む」
ヒイロと戦っていたタイランが、いつの間にか近くまで寄っていた。
そしてキキョウを弾き飛ばし、タイランの重装鎧がロンを阻んだのだ。
「あん、もう邪魔しちゃ駄目ー!」
せっかくのいいところだったのを妨害され、ノワは悔しそうに拳を振り回した。
そして唇を尖らせながら、荒い息を吐きながらまだ闘志の衰えていない様子のキキョウを睨み付ける。
「……あの子には前に、酒場で見下されてるからね。ちゃんとやっつけてもらわないと」
なるほど、とクロスは頷き、前に進み出た。
どうやらなかなか倒れないタイランの方には、(甲冑の価値はともかく)執着はないらしい。そろそろ決着をつけた方がいいだろう。
「では、鎧の方は僕達も手伝いますか。いきましょう、ヴィクター」
「わかった」
ノワも、それに異論はないようだ。
「もっとも、ほとんど必要ないと思いますけどね。どういう事情か知りませんが、調子も悪いようですし」
クロスの眼鏡が光を反射し、肩を竦めた。
ドスドスドスと、ヴィクターがタイランへと突進しながら拳を振りかぶる。
同じようにヒイロも拳を固める。
「……とどめ、いくよ」
「ぬうっ」
二つの豪腕が唸りを上げて、タイランの胸部を打ち貫いた。
「あう……っ!?」
強烈な打撃に耐えきれず、タイランは吹き飛ばされて壁に叩き付けられた。
そのまま、ズルズルと地面に崩れ落ちる。
しかしそれでも、ノワには不満だったようだ。
「あーもー、クロス君!?」
「大丈夫ですよ。戦闘不能にしましたから、これ以上はもう、ほとんど動けないはずです。あとは中身を引きずり出すだけです。そちらはもらっていいですよね?」
言って、クロスはヴィクターを従え、タイランにのんびりと近付いていく。
「うん。そっちは興味ないから好きにしていいよー」
そしてロンの方も大詰めだった。
戦況はほぼ決まったも同然で、さっきからロンの両剣が攻める一方だった。
だが肩で息をしながらも、キキョウはそれらをギリギリで受けと回避でやり過ごし、おまけに目もまだ死んでいない。
刻一刻と傷が増える中、ロンの左の剣を弾く。
「詠静流奥義――」
……と同時に、キキョウの最後の技が発動していた。
「!?」
右の短剣もキキョウの柄尻が払い飛ばし、これまでで一番速い突きがロンの顔面を急襲する。
「――『彗星』!!」
だが、その刃の先端が、ロンに届くことはなかった。
「{大盾/ラシルド}……っ!!」
衰弱したシルバの放った魔力障壁が、それを阻んだのだ。
「シルバ殿……」
「まったく残念だ」
目を見張るキキョウの胸に、右の短剣が突き刺さった。
「がぁっ……!!」
血反吐を吐きながら、後ろへと倒れるキキョウ。
真後ろは丁度、『列車作戦』で彼女自身が用いた避難用の落とし穴だった。
そのまま暗闇に、キキョウは落下していく。
それを見送り、ロンは表情を変えず呟いた。
「お前とは、もっと別の形で出会いたかった」
「ぐ、う……」
シルバは、その場に跪いた。
顔は青ざめ、身体もふらついている。
「あれれー、どうしたのシルバ君? 調子悪そうだけど?」
ノワは、分かっていながらシルバの背に声を掛ける。
クロスはタイランの前にしゃがみ込みながら、振り返った。
「無理もありませんよ。この短時間に、魔法を乱発しましたからね。気絶しないだけマシというモノです。ほぼ魔力も、底を尽きているんじゃないですか?」
「そっかぁ。シルバ君、ここに魔力ポーションあるけど飲む?」
ノワは道具袋から、液体の入った瓶を取り出した。
シルバは、疲弊しきった顔でノワを睨む。
「なんて、上げないけどねっ! これはノワの分だもん♪ あっはっは、後残り一人? この調子なら楽勝だね!」
瓶のコルクを抜き、ノワは嬉しそうに魔力ポーションを飲んだ。
「そうですね。後は彼らを洗脳して、ギルドから僕達の財産を取り戻してもらう。ああ、霊獣の子だけは、生贄に必要ですから別だとして……む、どこが開閉用の留め具なんでしょう」
クロスはタイランの身体を見回しながら、小さく唸っていた。
「シルバ君はそのままだってばー」
ノワの抗議に分かっていますよ、とクロスは返した。
「それでも四人。中でも、ホルスティン家の後継者を手に入れられたのは大きいですね。女性だったというのは驚きですが、むしろ僥倖です」
「お、お前、何を考えている……」
シルバの問いに、クロスは微笑みで返した。
「大体、想像通りですよ。彼女の良人となれば、ホルスティン家を手に入れたも同然。これまで半端者と蔑んできた彼らを、今度は僕が見返す番です」
「……ずいぶん俗な動機なんだな。第一、カナリーを手に入れても、お前が半吸血鬼である事には、変わりはないだろうが」
「そうですね。今のままなら、ですが。だからこそ、霊獣の『高位の魂』が必要なのですよ」
「テメエ……!」
シルバは、ガクガクと足を震えさせながらも立ち上がった。
「はい、シルバ君ストップ。動いちゃ駄目」
「ぐ……っ」
直後、シルバの身体が硬直する。
「もー、クロス君喋りすぎ。気を抜いちゃ駄目だよ?」
二本目の魔力ポーションのコルクを抜き、ノワはクロスに「めっ」と叱った。
「やあ、これはすみません。つい」
「ま、気持ちは分かるけどねー。あはは、ねえシルバ君、今どんな気持ち? 悔しい? ねえ、悔しい?」
ノワが煽ると、シルバは肩を震わせていた。
「…………」
「ん? もしかしてシルバ君、泣いちゃってる? ボロボロ涙流しちゃってるの? 男の子なのに」
だが、その割にはシルバを正面から見えるクロスの反応がおかしかった。
クロスは、何だか怪訝な顔をしていた。
「あ、いえ……ノワさん」
「ん?」
「笑って……ますよ、彼?」
そう、シルバが肩を震わせていたのは、笑いを堪えていたからだった。
だが、我慢しきれなかったのか、その口から笑い声が漏れる。
「……はは」
「う、うん?」
気が違ったのかな、とノワはちょっと後ずさった。
「ははははは……! 愉快だよ。この上なく愉快な気分だよ」
シルバはギギギ……と、首だけをノワに向け、獰猛な笑みを浮かべた。
「……もうすぐ、お前らをぶちのめせると思うと、楽しみでしょうがない」
シルバは首を戻すと、叫んだ。
「タイラン、やれ!」
「……はい!」
タイランの手が動き、何か箱のようなモノが放物線を描いて、ノワに投げつけられる。
クロスの背に、ゾッと悪寒が走った。
「しまった……爆発物!?」
自分の雷撃、もしくはヴィクターの精霊砲。
いや、アレが本当に爆発物なら、下手をしたら誘爆する。
同じようにノワも考えたのだろう、とっさにクロス達を見て即座に決断した。
「シルバ君、ノワの盾になって!!」
「何!?」
命じられ、シルバがふらふらになりながらもノワの正面に立たされる。
なるほど、上手い手だったとクロスは思った。
自分やヴィクター、ロンをノワから引き離し、リーダーを潰す作戦だったか。
だが、それも失敗に終わる。
タイランが投げ放った物体はそのままシルバに向かって落下し――。
「どかん!!」
大きな音――いや、声だった? ――に、ノワは一瞬目を瞑った。
「――なんてな」
やけに可愛い声がした。
直後、胸ポケットから何かが引き抜かれた。
「あ? え?」
ノワが目を開けると、そこには見知らぬ少女が立っていた。
「なるほど、『女帝』のカード。これが男達の動きを縛っていたモノの正体か」
そう、目の前の彼女の言う通りだ。
シルバに『女神の微笑』が通用しないという事で、より強力な対男性用のアイテムとして、キムリックに用意してもらったのが、『女帝』のカードだ。
本来は迷宮探索時に手に入れた『魔術師』のカードと引き換えに手に入れるはずだったアイテムなのだが、マルテンス村の財産がギルドに封鎖されてしまい、高い金を払って買う羽目になってしまった。
女性が使うことで、男性には圧倒的な強制力を課す事の出来るカード。
ただし、女性相手にはまったく通用せず、かつ発動時に膨大な魔力、使用継続時にも常時魔力を消費し続けるという問題点はある。
それでも、買う価値はあった。
何せこちらには、女性相手に強力な『魅了』を有する半吸血鬼、クロスがいるのだから。
……もっともシルバのパーティーが、シルバを除いて全員女性だったというのは、まったくの計算外だった訳だが。
それはともかく、目の前の女の子は一体……。
「誰」
やや癖のある髪は、肩ほどまである。
少し身体に合わない大きさの白い軽装法衣を身に纏った、気の強そうな美少女だ。
「おいおいおい、人を盾にしておいて、そういう事を言うのかい」
「シルバ……君?」
『彼女』――シルバは、呆然としているノワからバックステップで距離を取った。
「今は『君』じゃなくて『ちゃん』、なのかね――本来は万が一の魅了対策として、ヒイロに使う為のアイテムだったんだが」
ノワの足下には何やら外装らしき板が落ち、シルバの手にはいつの間にか木製の像があった。
タイランが投げたのは、爆発物ではなかったのだ。
「あぁっ!? それ、ノワが手に入れた……」
「今はギルドの管理物だけどな」
それは牧神の偶像である『牛と女神像』。
効果は性別転換。
これで、シルバは女性化し、ノワの『女帝』を無効化したのだ。
もっとも、今のシルバには回復の手段はない。装備は全部、クロスが奪って他の冒険者達の分と合わせて部屋の隅にまとめてある。
取り戻すのは容易なはずだ。
ノワは、腰の後ろの斧に手をやった。
だが、自由になった『彼女』は、胸元から聖印を引き出し繋具から離した。
そこでノワは思い出した。
聖職者の聖印は、いざという時の命綱、ポーションの容器にもなっている。
中身を一気に煽ると、シルバは手を高らかに上げ、指を鳴らした。
「{回復/ヒルグン}!!」
魔力ポーションで回復したシルバの青白い聖光が、彼女の後方を包み込む。
ロン、ヴィクター、ヒイロの傷が癒され――クロスが血反吐を吐きながら身体をくの字に折った。
「くっ、ヴィクター、ロン君、ヒイロさん、行きますよ! 敵は一人です」
クロスは口元の血を拭い、仲間達に命じる。
「おう」
「分かった」
「……うん」
後方から四人動き、正面からはノワが斧を手に取り迫ってくる。
「だね。恐れることはないよ。シルバ君には攻撃力皆無だもん!」
「おいおい、ちょっと待てよ。少し話をさせてくれ。何、時間稼ぎじゃないんだ」
シルバはポケットに手を入れ、立ち尽くす。
何か策があるのか、まるで余裕の様子だ。
しかし、ノワ達の方が早い。
「問答むよー!」
この振りかぶった斧がシルバに届けば、ノワの勝利だ。
「やれやれ、現状を把握させてやろうと思ったのに……」
それらは、ほぼ同時に起こった。
シルバの背を捉えようとしたクロスとヴィクターに、紫色の落雷が直撃した。
「がああぁぁっ!?」
衝撃に、クロスが膝を屈する。ヴィクターも、見えない敵の存在を探ろうと足を止め、左右を見渡す。
「……っ!? こ、この雷撃は……ま、まさか」
身体の痺れを堪えながら、クロスは自分の影に振り返った。
そこには、礼服から突き出た白い手があった。
突き出された人差し指からは、紫の火花が生じている。
ふと、クロスは思い出す。
そうだ、シルバ・ロックールには大した攻撃力はない。それは調査済みだ。
だが、それが真ならば。
ゆるり、と影の中から、金髪紅眼の吸血鬼が出現する。
「……もう、我慢しなくて、いいんだよね、シルバ」
胸元の小さな血の跡に手を当てる。
シルバがカナリーを刺した傷も、さしたるダメージがなかったという事か。
「正確には、重要な臓器や血管を避けたのは、僕自身な訳だけどね。痛かったことには変わりはないし」
やれやれ、とカナリーは指先から雷撃を迸らせた。
それは正確に、クロス・フェリーとヴィクターを貫いた。
「ぐううぁぁ……っ!?」
「ぬぅ……」
「シルバを縛っていた強制力の正体と出所を掴むのには苦労したよ、まったく……ま、あれだけバンバン使われれば、どんなヘボ魔術師だって分かるってモンだけどね」
にこやかに、だが目が笑っていない真面目な表情のまま、カナリーは自分の金髪を掻き上げた。
その背後には、幾つもの雷球が弾けそうな音を立てながら控えている。
「さあ、光と音のオンパレードだ。楽しんでくれ給え」
「ぬ!?」
背後からの怜悧な殺気に、ロンは足を止め短剣を振るった。
「シルバ殿に、手出しはさせぬ!!」
黒い穴から飛び出した、キキョウの刃がロンの短剣とぶつかり火花を飛ばす。
「……そうか」
ロンは把握した。
さっきの{回復/ヒルグン}は、クロスへの攻撃だけじゃなかったのだ。
おそらく穴の中で倒れていた、キキョウの体力回復。
それも狙いの一つだったという訳か。
「……穴の中に置いておいたポーション分も含めて、完調とは言い難いがな。半分ほどは回復した。さあ、二回戦といこうか、ロン・タルボルト」
床に着地したキキョウは、刀を構えた。
服はボロボロ、身体の切り傷もまだ癒えていない部分がある。
だがそれでも、キキョウは不敵に微笑んだ。
「迷いのない某は、少々手強いぞ?」
そしてシルバは呪文を唱えた。
「――{覚醒/ウェイカ}」
「あ……」
背後から迫っていたヒイロがクロスに掛けられていた魅了から我に返り、足を止める。
これで、後ろからの攻撃はなくなった。
「だけど今のシルバ君は完全にフリー! 守ってくれる前衛もいないんじゃ、どうしようもないでしょ!」
それでも、シルバはその場を動かなかった。
「やれやれ……二人、忘れてるぞ、ノワ」
「え……」
攻撃圏内に入ったノワの斧が、シルバの首筋目がけて振り下ろされる。
「ヴァーミィ、セルシア!!」
シルバの足下の影から、勢いよく赤と青の従者が出現した。
「主と俺の分、全力でぶっ飛ばせ!!」
赤いドレスの美女・ヴァーミィが、シルバに届く直前だったノワの斧を鋭い蹴りで止める。ほぼ同時に、青いドレスの美女・セルシアの強烈な手刀がノワの腹に放たれた。
「がふぅっ!?」
およそ女の子らしくない呻き声を上げながら、ノワが大きく後ろに吹き飛ばされる。
「{豪拳/コングル}。そして{加速/スパーダ}。安心しろ、ノワ」
ヴァーミィとセルシアの身体が、赤いオーラを纏う。
力と速さを上乗せされた美女達はシルバを守るように前に立ち、拳法の構えを取った。
「前衛ならちゃんといる。それも二人もな」
乱戦が始まった。
ノワの相手は二人の従者。
カナリーがクロスとヴィクターを雷撃魔法で迎え撃ち、キキョウとロンの高速戦闘が再び火花を散らす。
「タ、タイラン、大丈夫……? ご、ごめんね……ボク、ずっと見てたのに、何も出来なくて……」
そんな中、我に返ったヒイロは、壁にもたれて倒れ込むタイランに駆け寄り、その身体を涙目で揺すっていた。
シルバの{回復/ヒルグン}は、絶魔コーティングされているタイランの装甲には通じなかったのだ。
「ヒイロ!」
その背中に、シルバは厳しく声を叩き付ける。
「っ……!」
ヒイロの身体がビクッと震え、こちらに振り返る。
シルバは、カナリーが相手をしている相手の一人、巨漢のヴィクターを指差した。
「お前の相手はヴィクターだ。タイランに謝るのは、後にしろ。でなきゃ、俺の頭貸してやる」
「精神共有……! 君はまさか……」
カナリーの{雷閃/エレダン}をかろうじて回避したクロスが、悔しげにシルバを見る。
どうやら彼は気付いたらしい。
「さすが魔術師、察しがいい」
すべては、クロス達に見えないところで謀られていたのだ。
ノワの前に屈し、頭を踏みにじられながら。
影の中に捕らえられ、味方だった者の支援で強化された敵と戦わされ、友とぶつかる事を強要されながら。
彼らは、ずっと相談していたのだ。
この状況を打破するタイミングを……!
こんな事なら、さっさとシルバを洗脳しておけばよかったのだ。身体の自由を奪った程度で、満足したのがまずかった。
明らかな慢心だ。
思えば、あのタイランという甲冑が投げた女神像。
あれが秀逸だった。
タイランはヒイロと戦いながらもひたすら盾の防御で粘り、クロスやヴィクターをノワから引き離した。おまけに、ロンの攻撃の妨害までして。
そして、フリーになったノワへの、得体の知れない『箱』の投擲。
下手に魔法で迎撃することは出来ない。だがノワの傍に味方はいない。
こうなると、ノワを守れるのはシルバしかいない。
そう、最初から狙いはノワではなかった。
あれは、ノワがシルバを盾にするだろうと踏んだ、彼らの策だったのだ。そんなノワの性格まで読み切ったのは、おそらく彼女とかつてパーティーを組んだことのあるシルバ・ロックール。
彼(今は彼女)は仲間と言葉を交わすことなく水面下で、この機を狙っていたのだ。
魅了で虜にする事もクロスは考えたが、今は無理だ。それに警戒されている上に聖職者でもある『彼女』に、簡単に効くとも思えない。
「ところで、考えたり、余所見している暇はあるのかな、クロス」
「ぐはぁっ!?」
新たに放たれた、カナリーの雷撃がクロスに突き刺さる。
反撃する暇すらない。
否、カナリーは呪文すら唱えていないではないか。
度重なる雷術の直撃に、クロスは再び膝を折った。
「……影の中ではずいぶんと退屈してたからね。君をぶち殺すのに充分な量の術が練り込むことが出来ている。そのまま跪いていろ、クロス・フェリー。さっき、シルバに強要したように」
柔らかく微笑んだまま、カナリーはクロスを見下ろす。
「我が名はカナリー・ホルスティン。我が仲間達の受けた苦痛と屈辱を晴らす為に。弄ばれた女性冒険者達の魂の安らぎの為に」
指を銃口のように突きつけながら宣言する。
「覚悟はいいか、この半端者。光栄に思え。この僕が、ホルスティン家の次期当主が直々に、全身全霊をもって君をぶちのめそう」
「っ……は、半端者だと……!」
身体を煤まみれにしながら、クロスの足が後ずさる。
シルバに掛けられた声に、ヒイロは立ち上がっていた。
涙を手の甲で拭い、骨剣を握りしめる。
「ヒイロ……」
甲冑の中から響く振り絞るような声に、ヒイロはタイランの肩を掴んだ。
「タイラン!?」
「まずは、敵を倒さないと……よろしく、お願いします……」
「……うん!」
そのヒイロの身体を、赤いオーラが包み込む。
何度も慣れ親しんだその感覚は、シルバの{豪拳/コングル}だった。
立て続けに、{加速/スパーダ}、{鉄壁/ウオウル}も上乗せされる。
「カナリーさん遅れてゴメン!! 一人、ボクが相手する」
「よろしく頼むよ、ヒイロ」
「うん、任せて!!」
ヒイロは駆け出すと、振り返ろうとするヴィクターの脳天目がけて、骨剣を大きく振りかぶった。
「やっぱり、支援魔法は味方に掛ける方が気持ちいいや」
はっはぁ、とシルバは笑った。
「ま、それはともかくいい加減胸が邪魔だな、この姿」
そして印を切ると、自分に掛けられた呪いを解呪する。
やや長くなっていた髪が落ち、シルバは少年の姿に戻った。
そして、まだ支援魔法を受けていないキキョウに、詠唱した{加速/スパーダ}を与える。
「シルバ殿、助かる!」
ロンの短剣をかい潜り、疾風の動きで迫るキキョウの刃が彼の腹を切りつけた。
「ぐぅ……!」
魔法を雨あられと降り注ぐカナリーに苦戦しながら、クロスは信じられないという風にシルバを見ていた。
「馬鹿な……聖印に入れられる魔力ポーションの量なんてたかが知れているはず……! なのに何故、そんなに連発出来るんですか……!」
シルバは、鎖に繋ぎ直した聖印を掲げた。
「ああ、マリン社の高濃度魔力ポーションだからな。そりゃこれだけの量があれば、回復には充分だろ」
「最高級品じゃない!?」
その言葉に反応したのは、ヴァーミィ、セルシアを相手取っているノワだった。二人相手にも、何とか互角にやり合っているのは彼女もそれなりに腕を上げているからだろう。
「で、でも、そんなの買うお金、シルバ君が持ってるはず……!」
斧でヴァーミィの蹴りを弾きながらノワが呻く。
シルバクラスのパーティーなら、一本買うだけでもう二ランクは上の装備を調えられるはずだ。
「いや、俺達の金じゃなくて、カンパ。おいおい、引き合わせてくれたのはお前だぞ、ノワ」
「え……」
「ずいぶん以前、プリングルス兄弟っていうチンピラ冒険者達に襲われた事があってだな。その時に知り合った連中がさ」
シルバはノワに、速度低下の効果がある{鈍化/ノルマン}を詠唱する。
「『俺達の分もやっつけてくれ』ってくれたんだ! その想いには応えなくちゃなぁっ!!」
身体の動きが鈍くなったノワに、ヴァーミィの蹴りとセルシアの手刀が同時に叩き込まれた。
シルバはキキョウに振り向くと、印を切った。
「キキョウ、回復行くぞ!」
「有り難い!」
青白い聖光がキキョウを包み、傷を癒す。
その分だけキレのよくなった彼女の動きを、ロンは相手にする羽目になる。
「余計な真似を……」
無表情なロンの眉が、わずかに寄った。
「どうもお主は勘違いしているようだな。これは某とお主の勝負ではない」
ロンの滝のような攻撃をすべて弾き返し、キキョウは攻勢に打って出る。
「某達とお主らの勝負だ!」
強烈な胴薙ぎは、ロンが両の剣で受け止めなければならないほど凄まじいモノだ。
「皆さん、落ち着いて下さい。地力ではこちらの方が上です」
正面に魔力障壁を張って、クロス・フェリーはようやく人心地ついた。
だがその盾も、そうは長くは続かないだろう。
紫電がぶつかる度に、障壁は軋みを上げる。それほどまでに、カナリーの雷撃の勢いは壮絶だった。
「冷静になれば勝機は生まれます。ノワさんも僕のようにまずは回避に専念して」
いずれ魔力は尽きる。
否、それまでにカナリーは別の手を打って出るだろう。
自分の脇を抜ける、紫の電光を眺めながら、クロスは次の手を考えようとする。
直後、頭に強い衝撃が駆け抜けた。
「がっ!?」
後ろからだ。
振り返ると、そこにはいつの間にかシルバが立っていた。
虹色の膜状をした魔力障壁を纏い――いや、違う。
「{魔鏡/マジカン}」
あれは魔法の反射シールド。
やり過ごしたカナリーの雷撃魔法を跳ね返し、クロスの背後から攻撃を仕掛けたのだ。
「正面からだけと思ったら大間違い」
「こ、この……」
クロスは紫電を纏う指先を、シルバに突きつける。
まずはあの虹色の膜を、解除しなければならない。
そう考えていると、再び背後から攻撃が来た。
「うあっ!?」
全身に電流の痺れが走る。
それを呆れたように見ているのは、新たな雷術を放ったカナリーだった。
「僕を前に余所見とはいい度胸だな」
シルバは次にヒイロに視線を向けた。
「さてヒイロの方は、やっぱりタイランがいないのが痛いな!」
「……ちょっとね!」
攻めは圧倒的にヒイロの方が上回る。
だが、ヴィクターの硬い身体は、容易にダメージを与えないようだ。
大きな動きの割に、防御が恐ろしく上手い上、弱い打撃はすぐに回復してしまう。
「構わないから、そのまま一気に押し切れ!」
「らじゃっ!」
シルバの指示に『従わず』、ヒイロは一瞬その場で足を止めた。
「ぬうっ……?」
前に出て来ると踏んだヴィクターの拳が、勢いよく空を切る。
「なんてね!」
大きくバランスを崩したヴィクターの横っ面を、ヒイロの骨剣が思いっきり引っ叩いた。
そのままヴィクターは、斜めにいたクロスにぶつかった。
「くっ、また精神共有ですか。厄介な技を。ヴィクター! 言葉は聞いちゃいけません! 彼らの作戦はすべて精神共有で行われています」
「おう」
体勢を立て直しながらクロスが顔をしかめ、再びヴィクターはヒイロに立ち向かってくる。
なら、とシルバは考える。
「このまま畳み掛けろ、ヒイロ!」
「うん!」
防御を固めて機を伺うヴィクターの足を、ヒイロの骨剣は集中的に狙う。
どれだけ頑丈であっても、同じ場所ばかり狙われては敵わない。ヴィクターの膝がガクリと落ちる。
「ぬう……くろす、こいつとまらない」
「……虚と思えば今度は実ですか!」
地力がこちらの方が上という、クロスの考えは間違っていない。
これだけ圧倒的に攻められながらまだ、誰も落ちていないのがその証拠だ。
だがしかし、反撃の機会すら与えられないのは、やはり一番厄介な男がフリーでいるせいだろう。
ノワはかろうじて、ヴァーミィとセルシアの二人を相手に互角の勝負を繰り広げているが、身動きは取れそうにない。
ロンは救援しようにも、隙あらばとキキョウが倒す機会を伺っている。
自分はカナリーに足止めされ、背後から襲ってくるシルバの魔法反射にまで気を配らなければならない始末。
ヴィクターは言葉に惑わされ、攻めあぐねている。
セルシアの身体を斧で弾き飛ばしながら、ノワが叫んだ。
「誰か、シルバ君を止めて! ヴィクター、もっとしっかり!」
「おう」
振り返るヴィクターの後頭部に、勢いよく骨剣が振り下ろされた。
鈍い音がして、ヴィクターの頭から血が流れる。
「先輩を相手にするなら、ボクをやっつけてからだよ!」
振り返ろうとするヴィクターの腰に、深く骨剣が食い込んだ。
ロンはそもそも振り返ろうとすらしない。
いや、出来なかった。
自分の顔を狙ってきた刀の切っ先を左の短剣で払い、右の短剣を突き出す。
「お主もだぞ?」
肩口の着物を斬りつけられながらも、キキョウは一歩も退く気配がない。
「……ああ、お前を倒してからだ」
最後が突きと分かっているからまだやりようがあるが、ロンにも他のことをする余裕はないのだ。
だがそれでも、キキョウにダメージを与えているだけ、まだクロスやヴィクターよりはマシだろう。
「何、恐れることはないぞ、ノワ・ヘイゼル」
ロンと刃同士の火花を飛ばしながら、キキョウは笑う。
「な、何よぉ」
一旦はヴァーミィのみで優勢に立ったノワだったが、すぐにシルバが回復させたセルシアが復活してきて、動きをとめられてしまう。
赤と青の従者は、息のあった連係攻撃がノワを戸惑わせるのだ。
「シルバ殿はおそらくこの中の誰も倒さぬし、ほとんど動かぬ。呪文で相手をやっつけもせぬ。お主の理屈では、働いていない男だ。そうであろう? かつてそう言って、シルバ殿をパーティーから追い出したそうではないか」
確かにその通りだ。
しかし、この戦場で、ノワ達にとってこの場で一番鬱陶しいのは、間違いなく中心にいるそのシルバ・ロックールでもあった。
ノワのパーティーは、その全員が1対1ではなく、シルバを含めた2対1、もしくは3対1で戦わされる羽目になっていた。
「ま、前とは違うもん! こんな戦い方、しなかったし!」
「いや、俺がやってる事は前のパーティーの時と変わってない」
ノワの抗弁に、シルバは首を振りながら、キキョウに{回復/ヒルタン}を与えた。
「敵から仲間を守る。それが俺の仕事だ」
「ううううう~~~~~!」
ノワが歯ぎしりする。
とはいえ、とシルバは誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
「正直、あんまり時間は掛けたくないんだがな……」
壁にもたれたまま動いていないタイランに視線をやり、念話を飛ばした。
(もうしばらく辛抱していてくれ、タイラン)
(りょ、了解です……でも、何だか申し訳がないような……)
(にぃ……こっちももうすぐ、とうちゃく)
(リフは、走りっぱなしで体力大丈夫だったか)
リフからの割り込みに、シルバは返事を返した。
(に……そっちはへーき。けど怖いのが追っかけてきてるから、もう造りかえられた通路をグルグル回るのきつい。やっつけないと)
(怖いのって……靄か)
(もやは遅い。でも、魔人と木の根が――追いかけてきたからそっちにしゅうちゅう)
魔人は分かるけど、木の根?
だが、シルバがその疑問を尋ねるより先に、リフからの通信が切れる。
どうやら念話を飛ばす余裕もなくなってきたらしい。
(……タイランはタイミングを見計らって、穴に落ちる。仕切り直しだ)
(わ、分かりました……)
(みんなもよろしく。俺は自分のアイテム回収する)
(らじゃっ!)
(承知した。シルバ殿気を付けて)
(背後からやられないようにね、シルバ)
縁起でもないこと言うなよカナリー、とボヤキながらシルバは連絡を終え、自分の荷物が無造作に置かれている部屋の隅に駆け出した。
「むー! ノワ達の野望の邪魔はさせないんだからぁ!」
中段蹴りを放ってきたヴァーミィを強引に振り払い、ノワがシルバを追ってくる。
だが、その背中にセルシアのドロップキックが突き刺さった。
「ひゃあっ!?」
倒れ込むノワと、その拍子に荷物袋からいくつものアイテム類が転がり出る。
シルバは振り返り、すかさず従者達に指示を与えた。
「ヴァーミィ、セルシアも、魔力ポーションの回収だ!」
「だ、駄目ぇ!」
何とか立ち上がろうとするノワよりも、ヴァーミィの方が早い。
いくつかの瓶を拾い、シルバは近くに転がってきたアイテムを拾った。
手の平に乗るぐらいの大きさの、金色の台座だ。
卵のような形をした、小さなガラスのような器が載っているが、中身は空っぽになっている。
「コイツは……」
「それを手放しちゃ駄目だ、シルバ!」
叫んだのは、カナリーだ。
「なるほど、シルバ。君はここに来る前に悪魔がどうとか言っていたね。なら、そのアイテムがそれだよ。パル帝国の国立博物館から盗まれたはずの禁具『魂の座』。ノワ、君は一体、どこでそれを手に入れた」
「盗品!?」
一番驚いたのはノワだった。
やれやれ、とカナリーは頭を振った。
「その様子だと知らなかったようだね――って、人が話をしている最中に邪魔をするんじゃない」
ノワを見据えながらカナリーが手を振ると、後方に控えていた雷球が飛び、隙を伺っていたクロスをぶっ飛ばした。無視する訳にはいかないのが辛い所だ。
「もっとも知っていようがいるまいが、禁具の類は所有しているだけで重罪だ。かつこの場にあるという事はコレクションではなく実際に扱おうとしているという事。はい、シルバの専門だ」
シルバも頷いた。
「悪魔召喚は当然、重罪だ。大陸中のゴドー教徒を敵に回す事になる。国外逃亡するにしても、出来る範囲が三分の一程度に狭まったな。いや、そんな事は正直後回しだ。現状を把握しているか、ノワ」
「ノワ達がピンチだって事?」
ノワは従者達に取り囲まれており、残りの三人も、それぞれシルバのパーティーのメンバーを相手にしている。
だが、そんな次元の話ではないのだ。
「ある意味で俺達全員だっつーの。あー、くそ、本当に封印が解かれてる……」
シルバは『魂の座』から漏れる強い魔力に、頭を掻きむしった。
「君がいう靄の出現は、それが原因か」
「ほぼ間違いなく、だカナリー。そして、俺じゃ封印無理。先生クラスじゃないとどうにもならない。そしてそれすらもう手遅れで、タイムアップだ。始めるぞ」
「分かった」
カナリーは残っていた雷球をすべてクロスに放った。
「な――!?」
数よりもまず眩しさに、クロスは顔をしかめる。
それに構わずカナリーは、滑るような動きでシルバの元へ低空飛行する。ついでに影の中に、赤と青の従者も回収していく。
「ぬ! カナリーずるいぞ!」
ロンの刃を弾き、キキョウは後方に飛んだ。
ちょうど真後ろは、自分が二度落ちた落とし穴だ。
「元々の予定通りじゃないか」
肩をすくめるカナリー。
シルバの足下は剥き出しの地面になっており、つい先刻失敗した『列車作戦』でも自分はこの位置に立っていた。
地面に針を刺すと、その地面が徐々に盛り上がっていく。
離れた場所でヴィクターを相手にしていたヒイロも、彼を放って後ろへ駆け出した。
「うお?」
攻撃を空振り、ヒイロの後ろ姿に驚くヴィクター。
だがヒイロはそれに構わず、タイランの元へ駆け寄り、彼女の重甲冑を押すようにしながら、自分も穴に飛び込む。
「タイラン相席よろしくー」
「は、はい……!」
そのすぐ頭上を、ヴィクターの放った精霊砲が薙いでいくが、間一髪でそれがヒイロ達に当たることはなかった。
突然のシルバ達の行動に、ノワは戸惑った。
「な、何よ一体!?」
「紹介しよう」
土のドームに包まれながら、シルバは壁の一点を指差した。
「ウチのパーティー六人目、リフ・モースだ」
「に!」
どん! と壁が開き、深く帽子を被ったコートの獣人少女が突入してきた。
そしてそれに続くように長い長い木の根、さらに大量のモンスターが殺到し、部屋を埋め尽くそうとする。
リフが自分用の落とし穴に潜って、その蓋が閉じたのを確認すると同時に、シルバ達のドームも完全に閉まった。
地震のような震動と、モンスター達の咆哮が、ドームの壁越しにも伝わってきていた。
一緒にドームに入ったカナリーが、光球を作り出す。
「さて、現状の把握といこうか」
外ではいまだにモンスター達が大騒ぎだ。
シルバはその場に胡座をかき、精神共有に集中する。
まず真っ先に頭に響いたのは、キキョウの恨めしそうな『声』だった。
(カナリー……)
「ああもう、キキョウもしつこいね。大体あの黒戦士を相手にしながら、こっちまで来られなかっただろうに」
シルバの向かいに女の子座りをしながら、カナリーはパタパタと手を振った。
それからにんまりと笑う。
「それにしてもドキドキするねぇ、シルバ。こんな狭い場所で二人っきりなんて」
(ちょっ! カナリー! 今からそっちに行くから待っていろ!?)
「はいはい、カナリーも冗談はその辺にして。リフ、無事か」
カナリーとキキョウのやり取りを流し、シルバは点呼を取る。
(にぃ)
「ヒイロ、タイラン」
(あいさー)
(わ、私はあまり無事とは言い難いのですが……)
(ごめんねごめんね! タイランごめんね!)
(ヒ、ヒイロのせいではありませんから……)
よし、全員いるな、とシルバは安心した。
(シ、シルバ殿。某の無事は……)
何か、尻尾がだらんとしおれていそうな声だった。
「別に忘れてた訳じゃない。あれだけ喋れるなら、元気なのは分かるって。けど、ロンとの戦いで消耗してるだろうから、回復は必要だな」
(う、うむ……)
ちょっとホッとした風なキキョウの声だった。
さて、とシルバは場の空気を調える。
「厄介なのは、魔人に変えられた冒険者と、えーと……木の根?」
(に。つかまると厄介)
リフの言葉に、カナリーが唸る。
「おそらくそれは、第五層から運んでいたっていう苗だろうね。しかしリフの話を聞いた感じ、相当な成長を遂げているようだ。こんな短期間で成長するモノなのかい?」
「おそらくそれは、靄の仕業だろう。アレは俺達の常識から外れている。苗を大きくする事なんて、それほど難しい事じゃない」
(シルバ殿。その靄……悪魔というのがよく分からないのだが)
これまでは、ノワ達との戦いに集中していたので、ヒイロやカナリーも含めて『悪魔』に関しての説明は最低限の事しかしていなかったのだ。
シルバは手に持つアイテム『魂の座』を撫でた。
「要約するとだ。ノワ達がアイテム『魂の座』を使って、悪魔を呼び出そうとその封印を解いたんだ。つまりこれが起動状態になった――」
そして起動状態になった『魂の座』は、近くにある悪魔の素となる物質を引き寄せる性質を持っている。
「その物質ってのが、件の靄なんだな」
(不定形か……斬るのは難しそうだな)
「いや、キキョウじゃなくても誰が相手になってもアレには勝てない。絶対に相手にするな。触れた途端、別のモノに書き換えられちまうからな。先生や……一部のヒトは{情報/データ}って呼んでるけど」
ヒトだけでなく、モンスターや迷宮そのモノすら書き換える危険な相手だ。
武器も触れた途端、大根とかゴボウに変えられかねない。
ノワが盗品であること、そして危険な存在が近付きつつある現状を把握していないことから考えて、誰か第三者が彼女をけしかけたのだろう。
「なかなか興味深いな。とにかく現状では倒す手段はないという事は把握したよ」
うんざりと頭を振りながらも、カナリーが取り乱した様子がないのは、シルバが落ち着いているからだろう。
(で、でもそれじゃ打つ手がないんじゃないですか……?)
タイランの問いを、シルバは否定する。
「そうでもない。悪魔がこの世界に顕現すれば、その肉体ごと消滅させることが出来る。もしくは悪魔自身が自分で帰るかだ」
「その靄が受肉する為のアイテムが『魂の座』という訳か……」
「ああ。ただし、顕現には代償が必要になる。それが『高位の魂』」
シルバは『魂の座』を眺め見た。
台座の上にある透明な卵形の器。ここに、『高位の魂』が入る事により悪魔の召喚は完了する。
しかし、それはまだ入っていない。
現地調達するつもりだったのだろう。
「……ウチでいえば、リフの魂って事になる。多分、ノワ達はそれも狙いの一つだったんだろうな」
(にぃ……)
シルバの言葉に、キキョウとタイランが激昂する。
(断じて許せぬ!)
(は、はい! ぜ、絶対駄目です……!)
一方、カナリーはクールだった。
「しかし、受肉しなければ靄は倒せない、と」
ただ、とシルバは考える。
普通、リフを見て霊獣だとは分からないはずだ。ちょっと見、白い仔猫と思うのが関の山だろう。
ノワのパーティーの中に霊獣に詳しい者がいるか(だとすればクロスだろう)、さもなきゃ『魂の座』を売った人物ではないかとシルバは踏んでいる。
そこで口を挟んだのは、それまで黙っていたヒイロだった。
(ねーねー奪われたっていう苗は? アレって確か、霊樹……とかいう奴の小さいのだよね?)
「ありゃイレギュラーもいい所だ。ノワ達がそっちを最初から狙ってたなら、普通に襲撃受けてるはずだしな」
だが、第五層の冒険者達を襲ったのは靄だった。
靄には、『高位の魂』に引きつけられる、動くモノを見ると襲うという二つの習性がある。
本来なら苗を持って、そのまま『魂の座』に向かえばいい所を、苗を成長させてリフを追い回したのも、その習性にあるのだろう。
話を戻し、ノワ達の目的だ。
シルバ達を倒し、リフを手に入れる。それが彼女達の目的だとして。
「俺達を倒してからゆっくりと、『魂の座』を使ってこの世に顕わす気だったんだろう。けど、望みは出てきた。その件の苗の魂。それを使って受肉させれば、靄は消える」
「悪魔も相手にしなきゃいけないのかい? 身体が持つかな」
「……あー」
どうみんなに説明するべきかシルバは迷った。
「多分、だけど、そっちは大丈夫だと思う」
「何故?」
「俺の知っている通りの奴なら、話せば分かる相手だからだ。かなり面倒くさい相手だが……とにかく、この世に顕現させた方がマシなのは確かだよ。靄には本能しかないからな」
すると、カナリーがジトーっとした目でシルバを見た。
「シルバ、君、薄々気付いてたけど悪魔にあったことがあるね?」
(もしや、温泉で話していた、以前死んだというのはそれが関わっているのか、シルバ殿!?)
「いや、直接的には違うんだけど」
(それは、間接的には関わっていると言っているようなモノではないか!?)
(あ、あの……今はシルバさんと悪魔の関わりはそれほど重要じゃないと思います……)
(む……タ、タイランの言う通りではあるな……シルバ殿、続けてくれ。そもそも『高位の魂』とはどうやって手に入れるモノなのだ。その……リフの手前、聞くのは抵抗があるが……命を奪ったりするのか?)
シルバは台座の縁に刻まれた、文字を見た。
古代語の下に、おそらくノワ達が翻訳したのだろう、現代の言葉が書かれている。
シルバは台座から、卵形の器を外した。
「台座に刻まれている言葉をキーワードにし、器を触れさせれば魂が吸収される。もっとも、魂をある程度安定させる必要はある」
(つまり、リフを追っていた木の根の元を一度は大人しくさせねばならぬ、という事か……)
「つまり、倒さなきゃいけない訳だ」
カナリーが嘆く。
「……攻撃無効化する奴相手にするよりはずっとマシだろ」
そろそろ外の音や振動も大人しくなりつつある。
このまま閉じこもっている訳にもいかない。自分達は安全でも、リフはまだ靄に追われているのだ。アレには壁も意味を成さない。
足が遅いのが、救いといえば救いだ。
「とにかく、まずは苗だった奴を叩く。冒険者が変えられたっていう、魔人は倒せればいいけど、基本は牽制。こっちはキキョウとカナリーにやってもらう」
(……植物の苗というのはつまり、第五層を守る霊樹であろう? 四人だけで大丈夫なのか? いや、タイランは甲冑がまだ回復していないから三人か)
キキョウの問いに、シルバはいや、と反論した。
「むしろ、魔人を二人だけに任せるってのも、大概なんだ。魔人っていうのは大抵、ハンパないからな」
キキョウがメインのアタッカーなのは当然として、カナリーをそちらにしたのは雷は延焼する可能性があるからだ。
「それに正確には二人じゃない」
(ヴァーミィとセルシアか)
「いや……」
首を振り、シルバはそれまで、思念を一方的にカットしていた相手に意識を向けた。
「とりあえず話は全部聞こえたな、ノワ? 落とし前は付けてもらうぞ?」
(ノワは悪くないもん!)
どうやって生き延びたのか、無事だったノワ・ヘイゼルはまったく反省していないようだった。
だが今回の一件、原因は彼女達にある。
「……おいおい、逃げ切れると思ってんのか? 手伝わなきゃ、全滅するだけだぞ」
シルバは、ノワ達を巻き込む気満々だった。いや、むしろ巻き込まれたのは自分達の方かも知れない。
そして、カナリーが軽く耳を揺らした。
「外が静かになったようだよ、シルバ」
シルバは駆け引きの材料を考えていた。
ノワ達の目的が悪魔の召喚(正確には召喚し、自分の願望を叶えてもらう事)にあるのは明白なので、禁具『魂の座』がそれになるはずだった。
だが、悪魔を復活させるには結局それを使用せざるを得ず、実は交渉の材料にはなり得ない。
もう一つの懸念材料があるとすれば、霊樹の苗と共に『高位の魂』を有する仲間であるリフの存在だ。
自分自身や仲間の背中、特にリフには注意を払わなければならない。
ノワはいかにシルバを出し抜くかを考えていた。
シルバが『魂の座』を共闘の交渉材料に持ってくるのは明白だったが、結局の所『靄』というのを何とかするには『魂の座』は必要不可欠。結局の所、悪魔は召喚されるのだ。
むしろ姿の見えない霊獣・剣牙虎の仔の存在を探る事こそ重要だ。
運がよければ願い事が二つに増やせるかも知れないからだ。
もっとも、そんな二人の思惑など、それぞれの『壁』から出た時点できれいさっぱり吹っ飛んでいた。
シルバは土のドームを解き、外に出た。
黴臭いがそれでもわずかに新鮮な空気の中に、緑と血の臭いが混じる。
「何だ、こりゃあ……」
思わず呟いてしまう。
一瞬呆然とした後、状況を把握する。
中央には恐ろしく太い柱のように、樹木が生えていた。天井いっぱいに葉が生い茂っている。
まさか、上を貫いていないだろうな、とちょっと心配になった。
そして床はひび割れ、おそらく完全に根付いているモノと思われる。床から飛び出た何本もの根の先端は尖り、何匹ものモンスターを貫いていた。それらが萎れているのはおそらく生命力を吸収したのではないか、とシルバは推測した。
おそらくこれが、ここに来るまでに靄に襲われた冒険者、ティム達が奪われたという苗の成れの果てでであり、リフを追いかけていたという木の根の本体なのだろう。
第五層の奥に陣取る霊樹の子だ。
リフが引き連れてきたモンスター達の大半は、もう既に外に流れてしまったのだろう。床には何体ものモンスターが倒れている。ノワが支配していた冒険者達も同様だが、その生死を確かめる余裕は今のシルバにはない。
樹木の左側、幸いこちらには気付いていないが、山羊のような角を生やし、二メルトを超える鍛え上げられた肉体と、翼と尻尾を生やした二足歩行の魔物――魔人が徘徊していた。あれが、ティム達の仲間だったグースという冒険者なのだろう。
そして右側には、三匹の魔獣。
これはシルバも知っている。
第三層の中でも強敵のモンスター、ウインドイタチ。常に三匹で行動し、素早い動きで転倒と斬撃、回復というそれぞれの役割分担をこなす、頭のいい連中だ。
どうやらこちらに気がついたらしい。
そして霊樹の向う側で、何やら争う音が聞こえるのは、おそらくまだ残っていたモンスター達が共食いをしているのだろう。
シルバと魔人のちょうど中間ぐらいの床が開き、リフが出現。
ウインドイタチのほぼ真後ろの床からは、ヒイロがどっこいしょと現れ、モンスターを挟むように開いた穴からキキョウが躍り出る。
右手壁の端に肉のドーム……いや、牙や爪の跡で血まみれになった背を丸めていたヴィクターが動き、その中から屈み込んでいたノワと尻餅をついて窮屈そうに頭を振るクロスが姿を現わした。
シルバやノワを新たな贄と判断したのか、霊樹の根が蠢き彼らを同時に襲う。
魔人がこちらを振り返る。
リフが二本の腕から出現させた刃で、襲いかかってきた木の根を切断する。
ウインドイタチの一匹目が、キキョウに飛びかかる。
それらがほぼ同時に行われた。
「カナリー、リフを!」
「クロス君、早く!」
精霊眼鏡を装備したシルバの放つ太い針が、襲来する根の動きを固めてしまう。
カナリーが飛ばした雷撃はリフの頭上を越え、魔人の顔面を捉えていた。が、魔力障壁によってダメージが半減される。対魔属性か、とシルバは舌打ちする。
ノワは自分の斧で根を両断し、構えを取った。彼女の目の前で、切断された根が樹液を撒き散らして、悶絶する。
その隙に、ようやくクロスが立ち上がった。
「に!」
リフは木の根を切断した直後、シルバの元に駆け寄ってきた。
倒れていたモンスターの何体かが起き上がり、リフの後を追う。
シルバとカナリーは緊張に顔を強張らせた。
「大丈夫、死んだふりしてた味方」
両手のハサミをシャキンシャキンと鳴らしながら横移動するのはカニ系の赤いモンスター、サムライクラブ。
栗の頭と、頭から背中までを茶色いトゲ状の髪で覆われた二頭身のモンスター、イガグリ小僧。
遅れてズルズルと地面を這ってきたのは、濃い泥状のモンスター、リビングマッド。
キキョウはウインドイタチを抜いた刃で迎撃。
「く……っ!?」
続くもう一匹の尾が作る鋭い刃で二の腕を傷つけられるが、傷は浅いようだ。
「キキョウさん!」
そのウインドイタチの背後を突く形で、ヒイロが残る一匹に骨剣を振りかぶる。横殴りの一撃にウインドイタチは吹っ飛ぶが、壁をしっかりと四肢で受け止め、ダメージを和らげる。
壁を壊してからここまで、ほんの数秒にも満たなかった。
シルバとノワは距離を取ったまま、顔を見合わせる。
一瞬で決断し、二人は同時に動き始めていた。
「ま、ほんのしばらくだけどね!」
「ええ!」
ノワの脳が即座に弾き出したのは、この場に倒れているモンスター達から得られる成果。そして出口が遠いこと。ヴィクターが眠っていた研究室への扉は、シルバの背後にあるのでこれも無理。
となると、やはり戦うしかない。
ノワは霊樹に向かい、クロスは雷球を四つ生み出してからキキョウの支援に空を駆る。
「……おれも、やる」
重い足音を鳴らし、ヴィクターもノワを追う。
シルバ達も動いていた。
「いきなり計算が狂いやがるし……対魔コーティングとは厄介なモン持ってるな」
シルバは霊樹に、カナリーとリフは魔人に向かって駆け出す。
「だったら、直接攻撃だね。ヴァーミィ、セルシア! リフと一緒にまずあの魔人を一気に叩く!」
低く空を駆るカナリーの足下から、二体の人形族が出現した。
「にぃ……!」
横から何本も襲ってくる霊樹の根を腕の刃で切断しながら、リフは大きく息を吸い込む魔人目指して先頭を突っ走る。
「厄介な奴が来る前に、片をつけるぞ」
すべては事が終わった後だ。
その前に相手を出し抜く、という思考すら今は許されない。
最優先事項は、まず自分達が生き残ることであり、選択肢は戦うか逃げるかの二択しかない。
シルバには、元より逃げるという選択肢はなかった。
(ひとまず俺はいつも通り、みんなの支援に回る。霊樹は任せた)
シルバはノワに念波を飛ばしながら、周囲を見渡した。
左手に魔人、中央に霊樹、右手にウインドイタチ。中央がノワとヴィクターだけなので心許ないので、これを手伝うのは当然として、さて、右と左のどちらを兼任するか。
即座に決断し、シルバは右に走り出す。
(ちょっと!? ノワとヴィクターの二人だけで、これ相手にしろっていうの!?)
走るシルバの頭に、霊樹に向かって斧を振るうノワから返事が返ってきた。
口で話すよりも遙かに意思伝達が早いのが、精神共有の利点でもある。少なくとも音よりは早い。
(それがきついから、先に周りのを倒すんだよ。かといって誰も霊樹を相手にしなかったら、好き勝手に暴れるだろ)
(……それって、ノワ達が囮って事じゃない?)
(そうとも言うな)
床から何本も突き出てきた木の根に襲われるノワの姿は、まさしく囮のそれであった。
「何、すぐに援軍を呼ぶからしばらくの辛抱だ。ほれ」
言って、シルバは荷物袋から瓶を放り投げた。
ノワは木の根と、胴体から伸びてきた枝をやり過ごしながら、それをキャッチする。
その中身を確かめ、ノワは怪訝な顔をした。
「……魔力ポーション?」
「お前だって技の一つや二つ持ってるだろ。だったら必要なはずだ。何、礼なんていらねーぞ」
「こ、これ、元々ノワのじゃない!」
そう、それはカナリーの従者が回収した、ノワの所有していた魔力ポーションだった。
「だから、礼はいらないっつったの。とにかく最初から全力で倒しにいってくれ!」
シルバは、ノワ達霊樹組と、クロス達ウインドイタチ組のちょうど真ん中に陣取った。
一方、シルバに山のように文句が言いたくてしょうがないが、さすがにそれどころではないという風に、ノワは霊樹の根本に近付く。
「あーもー、しょうがないわね! いくよ、ヴィクター!」
「おう」
ノワはその場で足を止め、大きく斧を振りかぶる。
軽い衝撃が身体に伝わるのは、彼女を串刺しにしようとする木の根を、シルバの放った祝福魔法『{大盾/ラシルド}』がちゃんと防いでいる証拠だ。
これなら、技に集中出来る。
「ださいから嫌いなんだけどね……この際贅沢は言ってられないし――」
気合いを上乗せした斧が唸りを上げる。
「キコリ撃ち!!」
植物系のモンスター相手に有効な、斧技の一つだ。
大きな刃が、深々と木の幹に突き刺さり、どこに声帯があるのか霊樹が苦悶の悲鳴を上げる。
その隣で、踏み込んだヴィクターによって、地面が揺れる。
「ぬうん、たつまきけん」
巨大なコークスクリュー・ブロウが同じく木の幹を叩き、霊樹が大きく揺れる。
再び悲鳴が響き、空からは緑色の葉が落ちてくる。
それを確かめ、シルバは印を切った。
「ノワ、ヴィクター、魔法飛ばすぞ」
二人の身体を、魔力障壁が取り囲む。
「ぬう。なんだこれ」
少し戸惑った声を上げるヴィクターに、シルバが背後から声を掛けた。
「{鉄壁/ウオウル}。回復は任せるけど、基本は攻撃専念。防御は俺が担当する」
「のわさま、いいのか」
「あー、いいよいいよ、ヴィクター。こういう時のシルバ君は馬鹿正直に律儀だから、言う事聞いてあげて」
再び斧を振りかぶりながら、少し不機嫌な様子でノワが言う。
霊樹は攻め方を変え、身体から蔓を放ってくる。
その蔓がヴィクターの首や腕にまとわりついた。絞め殺す気だ。
しかし、この程度の太さの蔓で、ヴィクターをどうこうする事は出来ない。
「わかった。おれ、こうげきする――もういっかい、たつまきけん」
蔓を引きちぎりながら、二発目の拳が霊樹に軋みを上げさせた。
「……おっとろしいな、おい」
それを眺めながら、シルバはあれが後で敵に回るのかと、ちょっとゾッとした。
(……ううう、私の身体、無事で済むのでしょうか)
おそらく落とし穴から様子を伺っているタイランからの声に、シルバは意識を向ける。通常会話の数倍の速度で、意思のやり取りを開始した。
(最悪、全部オーバーホールの必要があるかもな。……そして、またカナリーが、新しいギミックを組み込むと)
(お、お手柔らかにお願いします……何だかその内原型を留めなくなりそうで……)
(とにかくお前の出番はもうちょい後だ。力の性質上、今、戦う訳にもいかない。今は身体を休めておいてくれ)
(は、はい……)
シルバは印を切りながら、次にカナリーに意識を向けた。
カナリー、リフも既に魔人との戦闘に入っているらしく、霊樹の向こうから激しい争いの音が届いてきていた。
(カナリー、そっちは任せる)
(ああ、振られちゃったか。僕よりキキョウへの愛を取るんだね。実に残念だ)
カナリーが肩をすくめる様子まで、ありありと頭に浮かぶシルバだった。
(お前な。そっちは時間が掛かりそうだし、先に終わりそうな方を片付けるって言ってるんだ。気を付けろよ)
(心得ているとも。シルバこそ気を付けて)
「合点承知」
そしてシルバは、ウインドイタチを相手に雷魔法を飛ばすクロスに振り返った。
「やれやれ、彼女にどうにか言ってくれませんかね。さすがにこの状況で、寝首は掻きませんって」
彼らの目の前では、キキョウが三匹のウインドイタチを相手に、高速戦闘を繰り広げていた。
本人達は否定するだろうが、クロスの肩を竦める様子はカナリーとそっくりだった。
「背中を預けざるを得ない……けど、集中しきれないのもまた確かって所か」
状況はよろしくない。
キキョウの動きが無意識なのは、シルバにも分かる。無意識に背後のクロスを警戒しているのだ。
そしてクロスの指先から飛ぶ雷撃も、敵に当たっていない。本気を出していない訳ではない。ただ、相手の動きが速すぎて、届く前に避けられてしまうのだ。
「ええ。狙いをつけて放っても、その気配を察しています」
「{加速/スパーダ}を……」
「僕にもカナリーさんにも、既に施していますよ」
「…………」
キキョウはかろうじて前衛二匹の動きについていけているようだが、それでもウインドイタチの数は三匹。彼女だけでは分が悪い。どれだけ二匹を傷つけても、三匹目が仲間の傷を癒してしまうのだ。
かといって、あの中に問答無用でクロスが雷撃をぶち込む訳にもいかない、そうしたら、キキョウまで巻き込んでしまう。それ自体は後々のことを考えると悪い事ではないだろうが、その前にフリーになったクロスが彼らに狙われるのは明白だ。
ともかくまずシルバは、キキョウに向けて{回復/ヒルタン}を飛ばした。
それでようやくキキョウも、振り返る余裕が出来たようだ。
「シルバ殿! よかった、これで攻め方を変えられる!」
その言葉通り、キキョウの動きがさらに加速する。
めまぐるしく、ウインドイタチ二匹の刃の尾を相手に立ち回る。後ろを気にする必要がなくなったせいだろう、次第にウインドイタチが押され始める。
「クロスは、わずかに動きが遅い三匹目を狙ってくれ」
「当然でしょうね」
ふ……と笑うクロスの指先から紫電が迸り、ウインドイタチの一匹が短い悲鳴を上げる。
「悪くない……だが」
その雷の攻撃も、敵は回復の術を使って癒してしまう。
今の組み合わせなら、時間を掛ければ確実に勝てる。キキョウは押しているし、敵の回復魔法だって無限という訳じゃないだろう。魔力ポーションを持っている分、こちらが有利だ。
しかしそれでは足りない。
靄が現れる前に、可能な限り戦力は削っておきたい。
一番いいのは、キキョウの命中率を上げることだ。ウインドイタチの勘は相当に鋭く、紙一重での回避がやたらと多い。
考え、シルバはキキョウに念話を飛ばした。
(キキョウ、アレは使えないのか?)
(いや、可能だが……二本で一分、三本で三十秒が限界であろう。その後は回復術でも間に合わぬ。霊樹やその後の事を考えると……)
(温存せざるを得ないか……)
そこでふと、シルバは思い出し、クロスを見る。
「そうだ。アンタ、確か俺達がここに入る前、何かアイテムで姿を消していたよな」
「はい?」
「とぼけなくてもいい。ちゃんと見てた。あのアイテムを貸してくれ」
クロスも、シルバの狙いを察したようだ。
だが、それでも彼は渋い顔をした。
「『隠形の皮膜』は確かに姿を消すことが出来ますよ? しかし、それは足が止まっている時のみです。動けば、ただの大きな布です。キキョウさんの姿を消そうって言うのなら、失敗ですよ」
「姿を消すのは、キキョウじゃない。いいから早く」
「……やれやれ。では御手並拝見といきましょうか」
言って、クロスは自分のマントの中から『隠形の皮膜』を取り出した。
それを預かると、シルバはキキョウに放り投げた。
「キキョウ! そいつを『刀に』巻け!」
「はい!?」
シルバの命令に、クロスは目を剥いた。
「刀身は別に歩かないだろ」
平然というシルバの前で、キキョウが『隠形の皮膜』を刀身に巻く。
すぅ……っと刃が透過し、ウインドイタチ達は一瞬、戸惑ったような短い声を上げた。
確かにあれならば、間合いが掴みにくくなる。
もっとも、問題がない訳ではない。
「しかしあれでは切れ味が……」
クロスの指摘はもっともだ。
だが、キキョウは不敵に笑った。
「ふ……刀は斬るばかりが能ではない」
飛びかかってくるウインドイタチの尾の刃が、キキョウの顔面に迫る。
だがそれよりも、
「突く事も出来る」
キキョウの刃の切っ先が、敵の胴を貫く方が速かった。
跳躍し、一瞬呆然としていたもう一匹に頭上から迫る。
「今だ、クロス」
「は、はい!」
残っていた一匹向けて、クロスは指を鳴らした。
紫電が走り、回復役のウインドイタチを直撃する。
二匹目も仕留め終えたキキョウが、大きく息を吐き、刀から『隠形の皮膜』を解いた。
「助かった。返すぞ」
丸めた布を、クロスに放り投げる。
「……どうも」
いくら突きにしか使わなかったとはいえ、刃に巻いていたのである。
ボロボロになったアイテムを見て、クロスは複雑な表情を浮かべていた。
「お疲れ、キキョウ。連戦で悪いが――」
回復を掛けながらシルバが言うと、刀を納めたキキョウは頷いた。
「うむ、心得ている。霊樹を倒す手伝いをすればよいのだろう」
「ああ。ところでヒイロは?」
アイツが背後からウインドイタチを攻めていれば、もっと楽が出来たはずだったのに……と思っていたら。
「こっちーっ!!」
霊樹の陰から吹っ飛んできたヒイロが、そのまま壁に叩き付けられた。
「そ、そうだった! ヒイロ、大丈夫か!」
キキョウが慌てて、ヒイロに駆け寄ろうとする。
一体何が……とシルバが思っていると、二足歩行の狼がゆっくりと姿を現わした。
目は煌々と金色に輝き、上半身は黒い毛に覆われた全裸。手の爪が鋭く尖っている。そのモンスターは、見覚えのある黒いズボンを履いていた。
そう、ロン・タルボルトの履いていたズボンだ。
「……おい、半吸血鬼。お前んとこの仲間が暴走してるぞ」
シルバが突っ込むと、クロスも深く溜め息をつきながら、頭を振った。
「……言い訳させてもらうと、彼の分の避難も本当は間に合っていたんですよ。余っていた落とし穴に入る事だって出来ました。それを拒んで……厄介な。理性のなくなった彼は、相当に危険です」
見りゃ分かるよ、そんなモノ、とシルバは内心ぼやいた。
「オオオオオォォォォォン!!」
その咆哮は、正に野獣のモノであった。
半狼と化したロン・タルボルトの周囲には、無数のモンスターが倒れている。彼の身体を濡らしているのは、その大半が返り血だ。
生々しい傷痕は、モノの数秒で自然治癒してしまう。驚異的な回復力だ。
立ち尽くす彼を敵と見做したらしく、霊樹は自身の木の蔓を何本も鞭のようにうねらせ、風を切って襲いかかる。同時に地面が割れ、そこからも太い木の根が数本出現する。
「ガァッ!!」
そのすべてを、ロンの鉤爪は一瞬で切り裂いた。
「……否、五回攻撃だ」
ただ一人、キキョウだけがその動体視力で見抜いていた。
「キキョウ……」
シルバはキキョウの背中を追ったが、彼女はその場で立ち止まり、振り返らないまま手でシルバを制した。
(シルバ殿、近付いては駄目だ。声も上げてはならぬ)
(……どういう、事だ?)
キキョウの目は、ロンから離れない。
(今のあれは獣そのモノ。動き、音を立てるモノならば何にでも襲いかかる)
ロンは次々と襲ってくる霊樹の触手を爪の連撃と牙、そして尾での打撃攻撃で振り払う。
二本の短剣は、床に落ちていた。狼化した時に捨てたのだろう。
なるほどあの鋭い爪があれば、短剣は必要なさそうだ。
本体を叩かなければならないと判断したらしく、床を割るほどの踏み込みで跳躍し、霊樹の巨体目がけて飛びかかる。
凄まじい拳の一振りが霊樹を大きく揺らし、天井から葉を落としていく。
「ちょっ!? ロン君、やりすぎー!?」
反対側から攻撃を加えているノワが、抗議の声を上げる。
「おれもがんばる」
ロンに対抗するように、ヴィクターの拳が逆方向から叩き付けられた。
「うー……」
壁に叩き付けられ、目を回していたヒイロがフラフラと起き上がる。
身体のあちこちに爪の跡が残り、ブレストアーマーもズボンもボロボロだ。
「……っ!!」
自分の獲物だった相手が無事だった事に気付いたのか、それまで霊樹に体当たりと爪撃を繰り返していたロンの光る目が、ヒイロを見据える。
木の幹に蹴りを食らわせ、そのままそこを足場に、ヒイロに飛びかかってきた。
「うはぁっ!?」
ヒイロは骨剣を盾に、とっさにショルダータックルを防ぐ。
「ヒイロ、駄目だ!」
キキョウが叫ぶが、ロンは目の前の敵であるヒイロに集中しているのか、こちらを見る様子がまるでない。
「彼女では勝ち目は薄そうだね」
ふ……と笑いながら、クロスは足を軽く宙に浮かせる。
どうやらノワのサポートに回るつもりらしい。元からシルバもそれを頼もうと思っていたので不満はない。
だが、それよりも、ヒイロが気がかりだった。
「確かなのか、キキョウ」
シルバの念押しに、キキョウは頷く。
「うむ……何度もぶつかったから分かる。確かだ」
そういう事なら、とシルバはクロスの方を向いた。
「おい、クロス・フェリー」
「何かな、シルバ・ロックール君」
「さっきのノワと言いアンタと言い、仲間がああなっているってのに、ずいぶんと落ち着いているじゃないか。って事は、こういう事はこれまでにも何度かあったって事だろ」
そして、ノワ達には、理性を失っているロンを相手に無事でいられる理由があるはずだ。
しかし、クロスは軽く微笑んだまま、肩を竦めるだけだった。
「さあ、それはどうでしょう。意外に内心、焦っているのかも知れませんよ」
「まあいいさ。だけど、ウチの仲間がああなってるんだ。やっちまうけど、いいだろうな」
反撃しなければ、ヒイロがやられてしまう。
少なくとも共闘の体裁を取っている今の段階ではまだ、言質を取る必要があった。
「やれるものなら、どうぞ。確か理性を失った狼男も、強い衝撃を受ければ元に戻れるはずです。ノワさんも、それでいいですよね?」
声を掛けられたノワは、霊樹の幹に斧を突き立てながら、返事をする。
「状況が状況だからね。でも、ロン君は強いよ。あの子で勝てるとは思えないけど……ねっ!」
ノワの斧の刃が、巨木の幹に食い込む。
しかし、倒れ落ちるにはまだまだ先は遠そうだ。
ふぃーと大きく息を吐き、ノワは手を休めた。
「ヴィクター、回復ー」
「わかった、のわさま」
その身体に、ヴィクターが治癒の光を当てる。
「それよりクロス君手伝ってよもー。ノワ、腕疲れて来ちゃったよう」
「はいはい。それにしてもずいぶんと頑丈な樹ですね」
支援系の魔法はそんなに多く使えないんですけどねぇとボヤキながら、クロスはノワ達の後方に向かった。
「ヒイロ!」
シルバは印を切ると、回復魔法を防戦一方のヒイロに飛ばした。
「先輩ありがと!」
ヒイロの身体から、傷が癒えていく。
しかし、その肌にもすぐにロンの放つ新たな爪撃の跡が刻まれてしまう。
「強いなあ、ホントもー!」
ヒイロの骨剣は威力は絶大だが、その分、速度が遅い。
反撃に転じるのは、なかなか難しいようだった。
それでも何とか壁から脱し、広い空間にでることは出来た。
それを確かめ、キキョウは踵を返した。
「シルバ殿は、ヒイロを見守っていて下され。某も、霊樹の方に回る。蔓や幹を相手に打撃の攻撃は今一つ弱いのだ。斬撃系の攻撃が、ノワ・ヘイゼル一人ではどうにも心許ない」
「いいのか?」
「うむ」
シルバも、ヒイロとロンの因縁はちゃんと憶えている。
彼女の姉は、ロンに敗れているのだ。
おそらく、あの半狼状態にある、今のロンにだ。
シルバは事前に二人には確認してあった。
こだわりは分かるが、パーティーのリーダーとしてはそれに固執されても困る。勝ち目がないなら、全員で畳み掛けると。
だが、キキョウの見立てでは、勝機はあるらしい。その糸口は、シルバも分かってはいるのだが……。
「某の仕込みはもう済んでいる故、あとはヒイロの勝利を信じるのみ。手を出すのは無粋というモノ。――では、参る!」
キキョウは柄に手をかけ、霊樹に立ち向かう。床を突き破って出現した複数の木の根が、まるで大根でも切るかのように、あっさりと両断されてしまう。
「前衛らしい考え方だなぁ」
ロンとヒイロの戦闘と、キキョウの両方を見守れる位置に立ちながら、シルバはボヤいた。
「後衛としては、魔人の方に向いて欲しかったんだが」
幹のほぼ裏側で、火を吹き鉤爪を振り下ろす巨大な魔人を相手に、リフと仲間のモンスター達が戦っていた。
そのカナリーとリフから、精神共有経由で念話が届く。
(こっちはこっちでもうすぐ片付くから、自力で何とかなるよ)
(に。ともだちいっぱい)
カニが防御し、イガグリがトゲだらけの身体で魔人にタックルする。
動く泥が足下にへばりつき、周囲を炎の蜂が高速で飛び回る。腕をがっちりを制止するのは石巨人だ。
後方から飛ぶ紫電は、ここからでは見えないが、カナリーのモノで間違いないだろう。
「…………」
ふと、シルバは首を傾げた。
(なあ、リフ)
(に?)
(……お友達の数、増えてないか? いや、心強いけどさ)
振り下ろし、大旋風、突きのヒイロ必殺の三連撃は回避され、一気に間合いを詰めてきたロンの右の爪が、彼女の二の腕を抉った。
「くぅ……っ!」
痛みに顔をしかめながらも、ヒイロの跳ね上がった蹴りがロンの顎を捉える――より早く、後転で相手は距離を取った。
シルバから『豪拳/コングル』、『鉄壁/ウオウル』、『加速/スパーダ』の支援魔法を受け、ヒイロの肉体は大幅に強化されていた。
だが……ヒイロの腕から流れた血は手の甲を伝い、床へと滴り落ちる。
「……それでも向こうが上なんだよねー」
数メルト離れた場所で、ロン・タルボルトはヒイロの様子を伺っている。
そしてヒイロは身体中に無数の爪痕を刻まれ、骨剣を杖に何とか立っていられるのがせいぜいだ。
ふらつきながらも闘志の衰えないヒイロに、斜め向こうに立っていたシルバは印を切る。
「ヒイロ、今呪文を……」
だが、ヒイロはそれを手で制した。
「おっと先輩、これ以上の支援は無用だよ」
ニッと笑う。
「補助してくれただけで充分感謝」
その笑みを余裕と見たのか、ロンは再び床を踏み抜き突進してきた。
「あっちも回復魔法は使ってないしね!」
ヒイロは骨剣を握り、槍のような正面突きでロンを迎撃する。
そのロンの身体の傷は、既にライカンスロープ特有の急速な治癒能力によって塞がっていた。
「ってアイツの回復力、シャレになってねーぞ!?」
「とにかく!」
単純な突きがあっさりとロンにかわされるのは、予想通りだ。
左に逃げたロンを追うように、横薙ぎの一撃。
ロンは骨剣に足を掛け、そのまま跳躍。宙に浮いた相手を追うように、人間なら確実に身体が泳ぐところをヒイロは力業で骨剣を跳ね上げ、大上段から振り下ろそうとした。
本来ならそれは届くはずだった。
天井がなければ。
「がぁ……っ!」
ロンは天井に両足を付き、そのままヒイロに向かって跳躍した。
ヒイロは骨剣の柄を持ち上げ、剣の根本で凶暴な爪を防御する。だがロンはその爪で骨剣を握ると、片手で身体を回転させ、脇腹に蹴りを放った。
「けほ……っ」
違う、とこんな時にヒイロは思った。
床に落ちている二本の短剣は、ロン・タルボルトの主力ではない。無手での攻撃、それも達人の域に達している拳法が、この男本来の攻撃方法なのだ。
横っ飛びに身体を弾かれながらも、何とかヒイロは足を踏ん張る。
「効か……ないねぇっ!」
それでも、とヒイロは考える。
狼の野生が、その拳法の理合いを弱めている。
それでもダメージは相当だが、そうとでも考えないと、とてもじゃないけどまともにやってられないヒイロだった。
蹴りを放ち、身体を浮かせたまま遠ざかっていくロンに、ヒイロは気合いを溜めた。
「烈――」
歯を食いしばり、気を纏った骨剣を宙に浮いたままのロン・タルボルトに放った。
「――風剣っ!!」
解放された気が、一直線にロンに向かう。
だがロンは、近くに生えていた木の枝を握るとそれを回避し、気の塊とすれ違うように再び、ヒイロに突撃した。
「やば――」
骨剣を引くより速く、狼の鋭い爪がヒイロの肩の肉を抉り取った。
「痛うぅ……!」
だがロンの攻撃はまだ終わらない。
後方宙返りしながらの蹴り、尾での殴打、肘打ち、そして再びの突進――合わせての五連撃が、ヒイロを打ちのめす。
「……がはっ!」
たまらず、血反吐を吐くヒイロ。
再び距離を取り、ロン・タルボルトはヒイロの様子を伺った。その瞳は、獲物を確実に仕留める為の、狩猟者のそれだ。
ヒイロは顔を上げると、その瞳を見据えた。
「……?」
ヒイロの様子がまだ元気なのに、ロンは疑念を抱いているようだ。
彼女が唯一、ロンに勝っている点があるとすれば、それは鬼族の持つ並外れた体力だった。
プッと、ヒイロは口の中の血を吐いた。
「……余裕、見せてるよね」
そして石床にドン、と骨剣を打ち付けた。
先端が石を割る。
「この程度で終わり?」
ヒイロは、わざとロンを鼻で笑ってみせた。
「……っ!!」
プライドを傷つけられたのか、間髪入れずにロンが床を蹴った。
「来たね……読み通りっ!」
真っ直ぐに突き進んでくる狼男に、ヒイロは持ち上げた骨剣を振り下ろす。
それはさっきと同じパターンだ。
ロンはわずかに左に逃れ、それを追うようにヒイロの骨剣は横薙ぎに振るわれる。
キキョウ相手に相当な修練を積んできただけに、この連撃にだけはヒイロは自信があった。実際、他の技に比べて格段に速かった。
しかし、この技はあまりに大振り過ぎ、身体を地面スレスレにまで沈めたロンはそのまま、ヒイロと距離を詰める。
次の突きも間に合わない。
まったく同じパターンだ。
そのまま、ロンは右の腕に力を込め。
直後、血で滑ったヒイロの手から、骨剣が離れてしまっていた。
ガラン、という大きな音が立ち、ほんの一瞬だけロンの瞳と獣の耳が揺れた。狼の本能が、その音を無視する事が出来なかったようだ。
それでも、充分すぎるほどにロンの右の爪は速い。
が、それが来るのさえ分かっていたならば。
「それを――」
ヒイロは素早く身体を沈め、ロンの毛むくじゃらな手首を左手で掴み、右の腕を相手の脇に入れる。
「――待ってたよ!」
ロンの身体を担ぎ上げるようにして、ヒイロは残っていた力のすべてを足腰に込めた。
「よいしょおっ!!」
自分の突進の力も加わり勢いよく回転したロンの身体は、そのまま石床に叩きつけられた。固い床に亀裂が走り、ロン・タルボルトは一瞬にして肺の空気と意識を失った。
その光景に、シルバも、まだ戦っていた魔人やリフ達も、ノワ達を支援しながら様子を伺っていたクロス、霊樹ですら、言葉を失っていた。
……ヒイロがロンを見下ろしていると、狼男は目を開いた。
その瞳には理性が戻り、徐々に全身の毛が抜け始める。獣の顔も、黒髪の青年のモノへと戻っていった。
「まさか、な……」
カハッと血を吐きながら、ロンはヒイロを見上げていた。
「……最初から、これが狙い……だったのか」
言って、彼は自嘲気味に笑った。
一つの戦いが決着を見せ、ヒイロは深く息を吐いた。そして小さく笑った。
「うん、アンタとは相性が悪すぎるからね。最初から攻撃が当たらない事だろうなって思ってたし、一回や二回当たっても倒れそうにないのもスオウ姉ちゃんの話から分かってた」
いつもの骨剣の攻撃では、勝てない。
「……だから、ボクの力にアンタの力。プラス地面の力。一撃必倒のこの投げ技に賭けた」
投げと言うより、落とし技だったが。
「っていうか正直、三連続攻撃のコンビネーション一つと、左右の一本背負いしか習ってないんだけどね」
元々それほど器用ではないヒイロでは、短期間で学べる技などまずない。絞り込んだのだ。
そしてヒイロがロンと戦うケースは、万が一キキョウが彼に敗れたときの為の用意だった。狼男と化したロンの主力が爪である事は、スオウから聞いて分かっていた。
後は右と左、どちらになるかが要だった。
「お前とあの狐の……執拗な、あの、三連撃は……そういう、事か……」
ロンは納得したようだった。
同じパターンの突きを回避した後の攻撃。
ロン自身も、同じ右の爪攻撃にいつの間にか誘導されていたのだ。
キキョウとヒイロは、シルバの精神共有だと間に合わない場合も考え、暗号を用意していた。
『駄目』なら『右』、『よし』なら『左』。
キキョウの助言は、ちゃんとヒイロの耳に届いていたのだ。
「……夜の村で、お前と鎧があの狐に投げられるのを、俺は見ていた」
ロンは呻くように言う。
「……眩く強いカードにしか目がいかなかったのが、俺の最大の失敗だったという事だな」
そして力尽きたのか、ロンはそのまま気を失った。
それと同時に、ヒイロの身体からも力が抜ける。
どうやら、血が失われすぎたらしい。
「あ……」
フラッと倒れそうになる身体を、後ろから誰かが支えていた。
見上げると、シルバだった。
「お疲れ、ヒイロ」
印を切り、呪文を唱える。
すると、少しずつヒイロの身体から、痛みが薄れてきていた。
「あー、うん。疲れた……って先輩、血付くよ」
「ああ、そうみたいだな。それで?」
「…………」
不思議そうな顔をするシルバに、ヒイロは何となく頬が熱くなり、見上げていた頭を戻した。
「ま、けど、休んでる暇もなさそうだね」
よいしょ、ともたれていたシルバから身体を離す。
「悪いな」
「いいよ。あ、この人も治しといて」
言って、ヒイロは床に大の字に倒れるロンを指差した。
「いいのか?」
「うん、大丈夫だと思う。根拠はないけど」
「ったく……ま、今は一人でも戦力が欲しいところだし、いいけどな」
言って、再びシルバは印を切った。
少し離れた場所で、大きな地響きが発生する。
「向こうも終わったか」
見ると、部屋の角では魔人が目を回していた。
その身体に、カニやイガグリのモンスター達が勝ち鬨を上げている。
こちらに駆け寄ってくるのは、リフとカナリーだ。
「に! おわった」
「やれやれ……酷く骨が折れたけど、これが終わりじゃないって言うのが辛いね」
どすん! と霊樹が大きく揺らぐ。
原因は反対側にあるようだ。
「うおおおお!」
霊樹の反対側では、ヴィクターが霊樹の幹に凄まじい勢いで拳を叩き込んでいた。
「ヴィ、ヴィクター、大丈夫!?」
あまりの勢いに、ノワも手出しが出来ない。
「へいきだ、のわさま。おれ、ちょうしがいい」
襲いかかる蔓や木の根を難なく引きちぎり、休むことなくヴィクターの猛攻は続く。
汗で濡れた背中からは大量の湯気が上がり、目が尋常ではない光を放ち始める。
「おれ、のわさままもる。れいじゅ、たおす。たましいで、のぞみかなえる」
力任せの休みない攻撃に、霊樹は次第に軋みを上げ、根本が持ち上がり始めていた。
しかしその頼もしさとは別の心配で、ノワは助けを求めるようにクロスを見た。
「ど、どうしよう、クロス君」
「ええ、どうしたものですかね、これは……」
クロスはチラッと出口を見ながら、悩んだ。
時間はあまりない。
落とし穴のフタを開くと、そこから青い燐光を纏った精霊がゆらりと現れる。
「し、シルバさん……何だかまずい事になってるみたいですね……」
その精霊、タイランの姿をノワ達に見せないように隠しながら、屈み込んだシルバは彼女と話を続ける。
「何、予定は大幅に狂ったけど、あれは織り込み済みだ。回復出来たか、タイラン」
「は、はい。それはもうバッチリですけど……」
これまで、タイランは穴の中でずっと休息を取っていた。
自身の甲冑に用意していた回復薬も飲んだし、万全と言ってもいいだろう。
……もっとも、予定通りなら、すぐにまたリタイヤする事になってしまうのだが。
「悪いな、タイラン」
「い、いえ……私にしか、出来ないお仕事ですから……頑張ります」
シルバは頷き、ヒイロとリフを呼んだ。
「よし。ヒイロは俺と、甲冑の引き上げを頼む。リフは靄の偵察を」
「らじゃ」
「に」
カナリーは既に動き出し、自身の従者達やリフから預かった仲間のモンスターの指揮を執っていた。
「さて、そろそろ大詰めだな」
シルバは立ち上がった。
サムライクラブの鋭い斬撃を、魔人は足で受け止める。
そのまま、足にまとわりついていたリビングマッドと共に、蹴り上げた。
フレイムホーネットが炎の尾を作りながら周囲を舞うが、その分厚い筋肉には針を打ち込める部分を見出せないでいた。
体当たりを食らわせるイガグリ小僧のトゲも、同様だ。
かろうじて体格で互角の石巨人が背後から腰を掴むが、魔人は力任せにふりほどいた。
すべての攻撃をやり過ごした魔人は、口から炎を吐いて、イガグリ小僧とリビングマッドを焼く。
さらに握りしめた拳が、サムライクラブの固い甲羅を叩き、軽くヒビを入れる。
炎の中から飛び出したカナリーの従者、ヴァーミィとセルシアの蹴りを、獰猛な笑みを浮かべながら受け止めた。
正直、苦戦であった。
リフはといえば、横や足下から襲いかかってくる霊樹の蔓や木の根の相手をするので手一杯でいた。
腕から生やした刃で切断しながら、仲間になったモンスターの紹介をカナリーにする。
「サムライクラブがヘイケン。イガグリ小僧がマーロン。石巨人はウッズ。フレイムホーネットはトエント。リビングマッドがダン」
「……悪い、リフ。いっぺんには憶えられない」
指で印を作りながら、カナリーは眉をしかめる。
「にぃ……」
「ま、とにかくだ」
カナリーの指先が光り、一条の紫電が迸った。
しかしその光は魔人に届く直前に勢いを失ってしまう。
顔を直撃しながらも、魔人は顔をしかめるのみだった。
そして魔法を放った相手が誰かに気付くと、カナリーに向けて大きな口を開いた。その喉奥には、赤い炎が覗いている。
チッとカナリーは顔をしかめ、足を浮かせる。
「あの対魔フィールドが、魔法使い的にはちょっと厄介だね。精霊砲も同様だったろう?」
「に」
カナリーとリフは左右に散った。
直後、魔人の吐き出した炎が、二人の立っていた位置を焼く。
背後から姿を覗かせていた木の根の一部も焼け、煙が立ち込める。
その煙は、若い女性の姿に変化し、細い腕をカナリーに伸ばそうとする。
煙のモンスター、スモークレディだ。
物理的なダメージこそないが、顔を塞がれると呼吸困難に陥るいやらしい攻撃だ。
「あの火も、や」
着地し、リフが眉を八の字にする。
「またスモークレディか。本当に嫌になる……ねっ!」
マントを翻しながら、カナリーはスモークレディに雷撃を放つと、モンスターはあっさりと霧散した。
体力が低いのが、せめてもの救いかもしれない。
一方霊樹に近付く羽目になったリフを、何十もの蔓が襲っていた。
「にゃあ!」
リフが吠えると、その勢いがわずかに弱まる。
その隙を突いて、リフは蔓を腕の刃で断ち切り、距離を取った。
「大したモノだ。さすが木を治める霊獣の仔だけの事はある」
自分の傍に着地したリフに、カナリーは軽く拍手をした。
「に。父上は、もっとすごい。ちゃんと退けられる」
「だろね。ま、霊獣の長と比較するのもどうかと思うけど」
「……魔人ずるい。あっちだけ煙におそわれない」
「はは、もっともな意見だ」
さすがに、全然攻撃が通じない魔人相手に、リフも焦れているようだった。
微笑むカナリーだったが、すぐに真顔に戻った。
魔人を相手に、前衛はまだ猛攻を続けている。しかしその効果もなかなか芳しいとは言えなかった。
「しかし、どうしたモノかな。近接攻撃でも、{防御/ディフェンス}が上手くてダメージがいまいち通りづらい。さすが元が第五層の戦士だけの事はある」
「支援は?」
「……一応僕も、{鈍化/ノルマン}とかやってみたけどね」
溜め息をつきながら、カナリーは呪文を唱えた。
すると効果は覿面、魔人の動きは見る間に鈍くなった。
その隙を見逃さず、モンスター達が魔神達に襲いかかる。
それを睨みながら、魔人は両手を広げて、大きく咆哮を上げた。
突風のような波動が生じたかと思うと、再び、魔人は動きを取り戻し、自分に攻撃を仕掛けようとしたモンスター達をまとめて薙ぎ払ってしまう。
「にぃ!」
リフが心配げな声を上げる。
「この見えない波動が厄介なんだよ。全部キャンセルされちゃうから」
近接攻撃は今一つ、魔法もなかなか通じない。
カナリーの吸精で皆の回復は出来るが、あまりやり過ぎるとカナリー自身が酩酊してしまい、戦闘不能に陥ってしまう。
そして靄は刻一刻とこちらに近付いているという。
それを考えると、余計な敵を残しておきたくはない。
「……お兄ならどうする」
「……多分また、妙な案を出すだろうねぇ」
「に」
苦笑するカナリーに、リフは律儀に頷いた。
そして、カナリーは決断した。
「一体一体ぶつかってたんじゃ、駄目だ。間髪入れず、すべての攻撃を一気に叩き込む」
「に。連携こうげき」
カナリーは、リフに微笑みながら指を向けた。
「ヤ。その為には確実に攻撃を通す事。モンスター達にそれを頼むのは酷だから、僕達がやる」
「に」
「まずは、僕の後ろで豆を育ててくれ。発射台を作る」
「はっしゃだい?」
懐から豆を取り出しながら、リフは不思議そうに首を傾げた。
「うん。あの蜂が使えそうだけど、バレるとまずいな。やっぱり僕の魔法でやるか」
背後からは、蔓の燃える臭いと共に、わずかに熱が伝わってきていた。
いくら燃えればそこから煙のモンスターが生じると言っても、敢えてたき火に飛び込むような事は霊樹はしない。
チラッと左を見る。
木の幹が邪魔をして、ヒイロ達の姿は見えない。ならば好都合、とカナリーは考える。
魔人に相対したまま、カナリーはリフに尋ねた。
「全員にタイミングは伝えた?」
「に」
「それじゃ、作戦スタートと行こうか!」
カナリーは、魔人の目線の高さまで宙に浮いた。
一瞬、魔人がキョトンとする。
それに微笑みながら、カナリーは両手をかざした。
「――最大出力・{照光/ライタン}}!」
手の平から強烈な閃光が生じ、魔人の目を灼いた。
魔人がたまらず、両目を覆う。
「今だ、ヘイケン!」
咆哮を上げながら身悶える魔人の足の腱を、サムライクラブのハサミが切断する。踵の上に一本の線が生じたかと思うと、そこから勢いよく血が噴き出す。
「リフ! 続いてマーロン!」
「に!」
リフが魔人に向けて投擲した豆は即座に発芽し、全身に巻き付いた。
そして、カナリーの背後にあったたき火が爆発し、足の下を火の玉が通り過ぎる。
焼けたイガグリが股間を直撃し、魔人の口から悲鳴が上がる。
「大きく口が開いた、畳み掛けろトエント!」
魔人の周囲を飛んでいたフレイムホーネットが口の中に飛び込み、無防備な舌に太い針を突き刺す。口から吐き出される炎も、火属性のモンスターにはほとんど効果がない。
全身にまとわりつく蔓を引きちぎりながら、視界を失った魔人がヨロヨロと足をふらつかせる。
その足の裏にリビングマッドが滑り込み、大きく転倒させた。
地響きを上げて、そのまま仰向けに倒れる。
「よし、よくやったダン――最後、ウッズ、ヴァーミィ、セルシアやれ!」
作戦開始と同時に距離を取っていたヴァーミィとセルシアが、助走をつける。
ウッズは大きく跳躍すると、魔人の胴体目がけてボディプレスを叩き込んだ。
重量級の攻撃を胴体に叩き込まれ、魔人は肺の中の空気を強制的に吐き出させられる。
その直後、天井近くにまでジャンプをしていた従者二人のダブルキックが顔面に炸裂した。
……魔人は大きく身体を震わせたかと思うと、そのままガクンと力尽きる。
「やったか……?」
床に着地し、カナリーは呟く。
その途端、ガバッと魔人は石巨人を押しのけて上半身を起こし、その巨大な手をカナリーに伸ばしてきた。
「にぃ!?」
「大人しく――」
軽く跳んで、大きな手を回避したカナリーは、そのまま魔人の顔を手で掴んだ。
「――していろ!」
一瞬にして、魔人の髪が白髪になり、顔面が皺だらけのミイラと化す。
カナリーの吸血鬼としての能力、吸精だ。
再び、後ろへと倒れようとする魔人。
しかしその開かれた口の奥が、赤く揺らめいているのに、カナリーは気付いた。
「リフ、上だ!」
轟、と口から放たれた炎が天井の蔓を焼こうとする。このままだと、再びスモークレディが出現する。
「にぃあ!」
しかし、炎が届くより前に、リフの咆哮を受けた木の蔓達は、不自然な素早い動きで退いていった。
天井を黒焦げにしながらも、霊樹の蔓はただの一本も焼かれる事はなかった。
今度こそ力を失った魔人は、仰向けに倒れて気絶した。
「あ、危なかったね、リフ。やれば出来るじゃないか」
「にぃ……二回はたぶん無理」
リフがへたり込む。必死だったらしい。
「向こうもおわった」
リフの視線を追うと、ロンが倒れていた。
血だらけのヒイロがそれを見下ろし、シルバが印を切っている。
ホッと一安心すると、カナリーは足下をふらつかせた。
酩酊感に、頭を振る。
「おっと……うん、やり過ぎた。これ以上はまずいね。酔っぱらいそうだ」
吸精の副作用だ。
「に。みんな、おつかれ」
リフが言うと、モンスター達は魔人の周囲を取り囲み、勝ち鬨を上げた。
それを眺めながら、カナリーは大きく息を吐いた。
「それじゃ、報告といこうかな」
モンスター達に魔人の見張りを頼み、カナリーはリフと共にシルバの下に向かった。
「……酔った振りをして、シルバにもたれかかるっていう手もあるなぁ」
「ぬううぅぅん!!」
身体が赤銅色に変化しつつあるヴィクターの拳が、霊樹の太い幹に叩き込まれる。
「おれのじゃまを、するな……っ!」
身体中に纏わり付く蔓や木の根を引きちぎり、ヴィクターの連打が続く。
霊樹は軋みを上げ、次第に傾き始めていた。
今やヴィクターは、霊樹にとって最大の敵と認定され、その攻撃を一身に受けている。
しかしそれでも、彼は止まる気配はない。
「ヴィ、ヴィクター、もういいからそろそろ止まって!」
主であるノワの声にも、ヴィクターは攻撃の手を緩める様子はなかった。
赤銅色の肌は、さらに赤みを増してくる。
それがどういう事かは、この場にいる者全員に明らかだった。
人造人間である彼の身体に搭載されている精霊炉は遙か古代の試作品であり、長時間戦闘に使用すると熱暴走を引き起こすのだ。
そして最終的には、爆発する。
その規模がどれほどのモノかは分からない。
しかし、ヴィクターを中心に放たれている熱量は、少なくともこの部屋にいる者全員を吹き飛ばせる事は、想像に難くない。
「のわさま。もうすこしで、たおしおわる!」
「そ、そんなの、シルバ君達に任せればいいからぁ!」
「おい、さりげなく人任せにするなよ!?」
落とし穴を覗き込んでいたシルバは、慌てて振り返った。
「何よ! ヴィクターが爆発してもいいっていうの!? そうしたらみんな、やられちゃうんだよ!?」
うんざりしながら、シルバは自分の頭を掻いた。
「あのなぁ……聞きたい事があるんだが」
「何よぉ! こっちが今、大変なのは見れば分かるでしょ!?」
確かに、ノワのすぐ傍で、彼女の下僕であるヴィクターは臨界点に達しようとしている。
爆発まで、もう幾分の猶予もないだろう。
けれど、シルバはそれに構わなかった。
「その大変な件だ。お前ら、俺とキキョウが以前、伝えた事ちゃんと理解してたのか? 長時間の戦闘は危険だって、言っただろう? 何の対策も打ってなかったのか?」
「だって、ヴィクター強いもん! 戦闘が長引いた事なんてなかったし、いつか何とかしようと思ってたの!」
ノワの答えに、シルバは深々と溜め息をついた。
「……つまり、お前らにヴィクターを止める術は何一つないんだな」
「仕方がなかった部分もあるんですよ。僕達には、頼れる場所も、彼の身体を調べる伝手もなかったんです」
困ったような、しかし全然反省していない笑みを浮かべながら、部屋の隅にいたクロス・フェリーが肩を竦めた。
「それってつまり、ヴィクターの事より、自分達の保身が第一だったって事だろ」
「傷つきますねえ。まるで僕達が薄情者みたいじゃないですか」
そう言ってるんだよ、とシルバは内心毒づいた。
(嘘をついている可能性もあるのではないだろうか、シルバ殿?)
精神共有を介して、キキョウが尋ねてくる。
(……かもしれない。けど、チキンレースに付き合ってる余裕はないだろ、キキョウ。こっちには、アイツを止める術がある。なら、ここで使うべきだ)
(確かに)
シルバの目の前で、ヴィクターは霊樹の幹にしがみついた。
「おおおぉぉ……っ!!」
そのまま、足を踏ん張り、霊樹を持ち上げていく。
周囲の床が崩れ、太い木の根も吐き出されていく。
霊樹は明らかにもう、限界だ。
しかしそれと同等、いや、それ以上にヴィクターが危険だった。その身体の色はもう、真っ赤になっており、シルバの身体にも蒸し暑いぐらいの熱気が伝わってきている。
「爆発ももう、時間の問題だな」
「シ、シルバさん……」
背後の落とし穴から、青白い燐光を纏う水の精霊、タイランが浮き上がってくる。
「怖いか、タイラン」
「い、いえ」
慌てて首を振り、すぐにしゅんと俯いた。
「……すみません、ちょっと怖いです」
「そうか。ちょっとなんてすごいな、タイラン。あんなおっかないの、俺はすげえ怖いぞ」
シルバの言葉は、半ばはタイランを落ち着かせる為だったが、残り半分は本音だった。
「あ、あはは……」
そのタイランの背後。
ガシャリ、と重い金属質な音をさせながら、銀色の重甲冑が落とし穴から持ち上げられ、床に置かれた。
「よいしょ、と」
それに続いて、ヒイロが姿を現わした。
「先輩、はいこれ」
そして手に持っていた小さな瓶を、シルバに渡す。
「おう、ありがと」
受け取った瓶は、凍結剤だ。
「……三十秒で決着をつけるぞ、タイラン」
「……は、はい」
地響きと共に、霊樹が乱暴に横倒しにされる。
ヴィクターが、投げ捨てたのだ。
シルバの視界の端で、キキョウが刀の柄に手を掛ける。
「これより、ヴィクターを止める! 全員、シルバ殿のサポートに回ってもらう」
「え?」
キキョウの言葉に、ノワがキョトンとする。
「他人事のような顔をされては困るぞ。全員というのはお主らも含む! よいな!」
「ヴィ、ヴィクター、倒しちゃうの!?」
「止めるだけだ。では――参る!」
キキョウが駆け出し、ヴィクターの注意がそちらを向く。
シルバはノワとクロスを見た。
彼らも、ヴィクターに気を向けている。ロンはまだ動けないのか、部屋の端に倒れたままだ。
やるなら今だった。
「水の精霊よ。我が肉体に宿り、悪しき元素に立ち向かう力を与えたまえ……!」
シルバの言葉に続き、タイランが彼にだけ聞こえるぐらい小さな声で呟く。
「我が名タイラン・ハーベスタの真名をもて……」
シルバが後ろに伸ばした手に、タイランの手の平が重なる。
「この者に望む力を与えます。その力を一つに……融け合わせましょう」
眩い青光が発せられ、シルバはタイランと融合した。
青白い燐光に包まれ、全身もどこか青みがかる。耳もわずかに尖っていた。
「それじゃ行こうか、タイラン」
自分と重なったタイランに声を掛ける。
(は、はい……)
小瓶の中身を飲み干すと、シルバの纏う光が青から銀へと変化する。水属性から氷属性への変化だ。
その光に反応し、ヴィクターはシルバ達の方を向いた。
「さすが、お目が高いな」
呟き、シルバはヴィクター目がけて駆け出す。凍結剤の効果はわずか三十秒。時間的な余裕はほとんどない。
「某は無視か、ヴィクター!」
シルバから視線を外さないヴィクターのこめかみを、跳躍したキキョウの刀が横殴りに襲いかかる。だが、ヴィクターはまるで効いた様子がない。
「硬いな……打撃の方が効くか」
距離を取って着地するキキョウを完全に無視し、ヴィクターが左手を振りかぶる。
「ぬうう……!」
その手には、禍々しい赤い光が宿っている。
精霊砲を放つ気だ。
「けど、そうはさせないんだよ……ねっ!」
大きく振りかぶったヒイロの骨剣が、ヴィクターの手首を叩いた。
放たれた精霊砲は大きくそれ、赤い光が天井の一部を崩してしまう。
「つーか、いきなり動いて大丈夫か、ヒイロ。さっき結構無理しただろうに」
走りながら、シルバが尋ねる。
「だいじょぶだいじょぶ」
ヒイロを追おうとするヴィクターの後頭部を、紫電が直撃する。
「それに数が多いからね。一人の負担はそれほどでもないさ」
背後から彼を襲ったのは、カナリーだ。
(あ、ありがとうございます)
タイランが、精神共有を介して礼を言う。
シルバの視界の隅で、ノワとクロスは動く気配がない。
「手伝う気はゼロか。まあ、いいさ。でも、邪魔だけはするなよ」
再びこちらを向いたヴィクターの右拳が、シルバに振り下ろされる。
「てき、たおす!」
シルバは手をかざし、指を鳴らした。
「{大盾/ラシルド}!!」
本来のシルバの{大盾/ラシルド}なら、あっさりとヴィクターの拳に突き破られていただろう。
しかし凍結剤に含まれた強化の効果が普段よりも数倍強い魔力障壁を展開し、ヴィクターの攻撃速度が大きく減退させる。
「ぬう!?」
その時にはもう、シルバはヴィクターの懐に入っていた。
「よし、いくぞ」
シルバは、手刀をヴィクターの胸板に突き刺した。
その途端、ビクンッとヴィクターの身体が痙攣する。
「が……がが……」
「ヴィ、ヴィクター!? やっぱり壊す気じゃない!」
「……落ち着けって。今、大人しくさせてるんだから」
シルバはノワに言い、手を探る。
指先に硬いモノを感じ、肉の中で印を切った。
「{沈静/アンティ}」
術が発動し、真っ赤だったヴィクターの全身が、次第に本来の肌の色に戻っていく。
「ヴィクターが……鎮まっている……?」
ノワが目を瞬かせる。
「ヴィクターの精霊炉は、大昔に作られた試作品。中で燃焼する炎の精霊の制御が不完全な結果、長時間の運動が出来ず、こんな感じに暴走を起こす」
シルバは、ヴィクターの身体の中にある精霊炉に手を当てながら言う。
同じ口から、氷の精霊の力を炉に注ぎ込むタイランの言葉が続く。
「だ、だから、その炎の精霊の熱を安定させます……! 必要な熱量を憶えさせる事で、二度と暴走は起こらなくなります」
「……っていう説明も、クロップの爺様の話なんだがな。いけるか、タイラン」
「は、はい……何とか」
ヴィクターの中に搭載されているのが精霊炉と聞き、ここに来る前にシルバ達は今は牢獄にいる精霊炉の権威、テュポン・クロップに意見を求めていた。
以前、敵としてシルバ達の前に立ちふさがった老人である。
石板の内容をすべて説明すると、牢獄の中にいながら老人は嬉々として、祖先が造った人造人間・ヴィクターの鎮め方を教えてくれたのだった。
もちろん、ただではない。それなりの代償が必要だったが……。
「お、おお……」
少しずつ、ヴィクターから熱が引いていく。
ヴィクターの目から狂気が薄れ、やがてガクンと跪いた。
「……おう?」
「と、止まった……?」
ノワがヴィクターに近付く。
「止めたんだよ。タイランが」
シルバはヴィクターの胸から手を引き抜き、後ずさった。
精霊の力を使い切ったシルバの身体も、いつの間にか元に戻っていた。
(あ、あの、シルバさん……)
凍結剤の副作用で、タイランはすっかり力を失っていた。
喋る事はかろうじて出来るようだが、身動きはもうまったく取れないでいるのがシルバには分かった。
「すまなかったな、タイラン。しばらく休んで……って、そうか、鎧の方は使えないんだっけ」
シルバは、落とし穴の傍らに置かれている、空になった重甲冑を振り返った。
「……後の為に」
呟く言葉は、中にいるタイランにしか聞こえないほど小さい。
(は、はい)
「んじゃま、しばらく俺と一緒にいてくれ」
(は、はい!?)
シルバの中で、タイランの気が跳びはねるような動きを見せる。力を失った割に結構元気っぽいなとシルバは思った。
「いや、多分外にいるより、それが一番安全だから」
(シ、シルバさんがよろしいのなら、それで……)
シルバの意識と共存しながら、タイランはコクコクと頷いた。
「なら、遠慮はいらないね」
そんな声が響き、ヴィクターが立ち上がる。
「ヴィクター、やっちゃえ!」
「おう」
ヴィクターの巨大な拳が、シルバに襲いかかってきた。
「本当に恩知らずだな、テメエ!?」
転がるように回避しながら、シルバが絶叫する。
「最初から、その予定だったでしょ? さ、みんな、『魂の座』取り返そう!」
「ですね」
ゆらり……とクロスが動き、シルバに指を向けた。
「共闘終了、か……」
シルバは呟いた。
「つっても、それほど危機感はない訳で」
シルバの背後の壁が開き、猫耳帽子に大きなコートの獣人が飛び込んできた。
「に」
リフはシルバの頭上を跳躍しながら、ノワ目がけて精霊砲を放つ。
「おう?」
もっとも、その攻撃はノワの前にいたヴィクターに難なく阻まれてしまう。
だが、リフはそれに構わず両腕から鋭い刃が出現させ、着地と同時にクロスとの間に割り込む。
「む……」
クロスの紅い瞳が強く輝く。
魅了の眼光だ――が、リフにはまったく通じる気配がない。
「お兄」
クロスから視線を離さず、ジリ……とすり足を動かす。
その一方で、ヴィクターにも油断なく、注意を放っていた。
「待て。牽制で充分だ」
「に。もうすぐ。もやもすぐ来る」
「うん。偵察ご苦労」
リフの頭に手をやると、シルバは後ずさった。
リフもその後をついて来る。
「あ、ちょ、ちょっと逃げちゃ駄目だよ、シルバ君!」
「お前らも靄もヤバイから、距離を取るだけだっつーの! 今更逃げるか馬鹿!」
叫びながら、シルバ達はキキョウやヒイロと合流する。
「ノワ、馬鹿じゃないもん!」
「いやぁ……充分すぎるほどの馬鹿であろう」
「ボクとどっちが頭悪いかなぁ」
ノワに呆れつつ、キキョウとヒイロはシルバを守るように前に立った。
「固められてしまいましたね」
部屋の隅で、クロスが肩を竦める。
「おっと、怖い怖い。僕らを仲間はずれにしないで欲しいね、シルバ」
部屋の隅に固まっていた、リフの仲間のモンスターを引き連れ、カナリーもシルバ達と合流した。
シルバは荷物袋から『魂の座』を取り出すと、卵形の器を横倒しになった霊樹に放り投げた。
霊樹の真上で器は静止したかと思うと、輝く碧色の煙のようなモノが滲み始める。
(あ、あれが『高位の魂』ですか……?)
「まあな」
シルバは自分の中にいるタイランに意識下で応えた。
チラッと入り口近くの壁にもたれかかる、ロンに視線をやる。
意識もあるし、回復魔法も掛けた。とはいえ、全身を床に叩きつけられたのだ。筋肉や骨がまだ、言う事を利かないのか、ロンは動く気配はない。
それ以上に殺気がないのでさほど心配はしていないが、一応注意はしておく必要があった。
「カナリー、後ろのロンの監視を頼む」
「了解」
「来るぞ」
シルバやノワ達が取り囲む中、リフが現れた壁の隠し扉が音もなく崩れて、乳白色の靄が出現する。
靄に触れてしまった効果だろう、壊れた扉が煌びやかな無数の宝石となって、床に転がり落ちていく。
「宝石!?」
「ノワさん、気持ちはすごく分かりますが危険です。ヴィクター」
「おう」
クロスの指示は早く、ヴィクターもまた素早かった。
振り返り、突っ走ろうとするノワを正面から受け止めた。
そのまま、抱え上げる。
「やー! 離して、ヴィクター!」
足をジタバタと揺らす主に、ヴィクターは首を振った。
「だめ。のわさま、あぶない。あんぜんだいいち」
言って、ヴィクターは靄から距離を取るように横に移動し、クロスと合流する。
「シルバ殿……」
キキョウは靄から視線を離さず、刀の柄に手を掛ける。
シルバは台座も、器の傍に放り投げた。
霊樹にぶつかり、そのまま無造作に転がる。
「心配しなくても、大丈夫だ。台座の呪文を唱え終わったから、靄と魂が融合して、後は顕現するだけ。もう、ほぼ無害のはずだ」
それを鋭く聞き咎め、ノワがヴィクターを見上げた。
「じゃ、じゃあヴィクター! 宝石回収しよ!?」
「おう?」
ヴィクターが、ノワを脇から離す。
「触れない限りはな」
一旦下ろしたノワを、再びヴィクターは担ぎ上げた。
「やっぱりだめだ、のわさま」
「やー! もー!」
そのまま、ノワはシルバを指差した。
「だ、大体、最初から悪魔を召喚させるつもりだったなら、何でノワ達と戦ってたのよ!」
「…………」
シルバはノワのあまりな言い分に目を見開くと、額に手をやりながら深々と溜め息をついた。
「……本当に馬鹿だなぁ、お前」
うんざりと頭を振る。
「また馬鹿って言った!」
「言うわい! 最初から最後まで、先制攻撃を仕掛けてきたのは全部お前だろうが! 土下座強要されたり、斧で襲われたりしながら、話し合おうなんて言えるか馬鹿!? 言って聞いたか自分に問いかけてみろよ!?」
「その程度、我慢して説得する根性見せてよ!」
即座に切り返すノワに、リフの耳がピクッと揺れた。
「……に。今、そのていどって言った」
「お、おお、リフ、ちょっと怖いぞ?」
「ど、どうどうリフちゃん。落ち着こー」
瞳孔が縦に細まるのを見て、前衛の二人が慌てて、リフのフォローに回る。
靄は緩慢な動きで卵形の容器に近付くと、吸い込まれるように碧色の煙と混ざり合った。
転がっていた台座が自動的に起き上がり、卵形の容器がゆっくりと動いてその台座に鎮座する。
シルバと、ノワから目を離さないリフ以外の全員が、その様子に注意を奪われていた。
シルバは大きく息を吐き出した。
そして、ノワ達に言う。
「悪魔が現れるまで、まだ少しだけ猶予がある。だから忠告するぞ。願い事なんて、やめておけ」
その言葉に、クロス・フェリーは苦笑しながら、首を振った。
「あのねえ、シルバ君。ここまでしておいて、僕達が今更退くと思いますか」
「思わないよ。けど、それでも俺は言っておきたいんだよ。司祭っていう立場もあるし……」
「以前、立ち会った事もありますし?」
「まあな」
「出来れば、詳しくお話を伺いたいのですが」
べ、とシルバは舌を出した。
「やだね。お前らは仲間じゃないし、教会の上の許可がないと話せない内容だ。とにかく俺は言ったからな。やめとけ。絶対後悔する。みんなもだぞ」
シルバは、周りの仲間に視線をやった。
全員が頷く……かと思ったら。
「願い事……むぅ、嫁というのは悪魔に叶えてもらうモノではないな……」
むむ、とキキョウが腕組みしながら、真剣に悩んでいた。
「おおいキキョウ!?」
「は!? だ、大丈夫だ、シルバ殿! 某の望みは悪魔に同行してもらうモノではないぞ」
「……し、心配だ」
いや、うん、キキョウを信じよう、とシルバは自分に言い聞かせた。
その時、ふわっと自分の胸元から水色の気塊が現れたかと思うと、小さな人型に変化した。
ミニサイズのタイランだった。
「……シ、シルバさん、そろそろ現れます」
「おー、タイラン可愛いな」
「は!? え、あ、そ、その、ずっと意識下で話すのもあれなので、あ、現れてみただけなんですけど……」
手の平を差し出すと、ちょこんとタイランはその上に座り込む。
「あ、ありがとうございます」
ペコペコと頭を下げるタイラン。
「……この男は、平然とこの手の台詞を吐くから油断ならないんだよなぁ」
シルバの隣で、ボソッとカナリーがぼやく。うむうむと、キキョウが全力で同意していた。
「に。タイラン、こんぱくと」
「あー、いや、みんな和んでいる場合じゃないんだけど」
ヒイロが、『魂の座』を指差した。
大量の煙が噴き上がるとか、眩い閃光が部屋を包み込むといった劇的な演出は何一つない。
ただ、いつの間にか『魂の座』の中身は空になり、そこには一人のスマートな青年が佇んでいた。……いや、女性なのか? どちらとも言い難い、中性的な魅力を持つ人物だ。
黒い詰め襟の上下で、上着の前はいくつか大きめの金色のボタンで留められている。
おそらく霊樹の魂を使用したせいだろう、後ろで一つに束ねられた長い髪は緑色の葉で出来ていた。
肌は茶色く、木の幹を連想させる。
彼は髪と同じ緑色の瞳で部屋を見回すと、シルバの姿を認め、無表情な口元をわずかに綻ばせた。
「やあ、久しぶりだね、シルバ・ロックール」
涼しげな鈴の音色のような声だった。
「……悪魔ってのは不特定多数いるって先生から聞いてるんだが。何でまた、お前なんだよ、ネイト」