先頭に立っていたチシャ――の身体を借りる何者かは、自分の身体の異変に気がついた。
「ん……?」
いや、違う。
身体ではなく、自分を覆う衣服が問題なのだ。
僧服のボタンや、袖のカフス。
そうした金具が下に引っ張られているのだ。
おそらく、その正体は磁力。
この空飛ぶ土地の持ち主が、何らかの干渉を行なっているのだろう。
そして、それへの彼女の対応は、単純だった。
上着のボタンとカフスを引きちぎった。
当然、はだけた白い胸元と下着が露わになるが、彼女は気にしない。
「……この程度の小細工で、私を制する事が出来ると思っているのでしょうか」
「思っておらぬのじゃ」
「っ……!?」
突然、目の前に逆さま状態で現れた、半透明の幼女に、一瞬彼女の顔は強張った。
「二度目じゃ。そんなに驚く事もあるまい。ああ、無駄じゃ。儂の本体は中にある。お主の力は通じぬのじゃ」
光線が身体を貫くが、幼女――ナクリーはまったく気にした様子はなかった。
もっとも、それはこちらも同じ事だ。
「貴方には、何も出来ません」
「出来るぞ」
「え」
あっさり否定され、彼女は少しだけ間の抜けた声を上げた。
「お主を驚かせる事が出来るのじゃ。発案小僧、実行儂でな――!」
途端、グラリと建物が揺れた。
「おっと、始まったな」
廊下の急激な傾き――床が壁に、壁が床に――に、シルバは足を滑らせる。
が、その直後、自分を含めた周囲の風景がスローモーションのような感覚に襲われる。
その隙に、足下のバランスを取り直した。
この感覚の原因は――。
「シルバ、精神を高めておいた」
肩の上で、ちびネイトが言った。
「おう」
「後ろのキキョウ君達の熱っぽい喘ぎ声も聞こえてくるはずだ」
聞こえていた。
「そんな力はいらねえよ!」
「この状態でエッチをすると、快感が数倍に膨れあがる。すごいだろう」
「すごいけど、使わねえっての! いばるな!」
「まあ、今回の目的は、転倒を防ぐ為だ――おや」
廊下の向こうから、黒い油っぽい薄い何かが近付いてきていた。
「ちょ、な、何だこれ!?」
あっという間にシルバの立つ床(元は壁)も含めた廊下全体を侵食したそれの一部が、女性の形に盛り上がる。
この館の主、ナクリー・クロップの従者の一体、魔法生物のヤパンだった。
「ああ、すみません。急いでいるモノで」
そのまま、黒い皮膜は廊下の彼方に伸びていった。
そして次に現れたのは、メイド服を着たシーラだった。
「――主、無事だった」
「……ヤパンだったのか、あれ」
「――家具とか調度品を固定している最中」
確かに、ここから更に起こる事を考えると、壊れそうなモノを保護する必要はある。その対策なのだろう。
「なるほど、大変だな」
「シルバ、それを君がいうか」
宮殿は、更に傾いていく。
壁となった床は、やがて天井となるだろう。
すなわり、天井だった場所はいずれ、シルバ達の足場となる。
もちろんその現象箱の宮殿だけではない。
この浮遊城フォンダン全体が傾いて――そして、180度回転しようとしていた。
もはや尖塔は足場の役割を果たしていなかった。
槍の部分にかろうじて立ちながら、チシャの姿を持つ何者かは、ナクリーから受けた説明に愕然としていた。
「まさか、そんな馬鹿な事を……」
「そのまさかじゃ。クックック、あの小僧、トンデモナイ事を思いつくわい。さあ、これから光のない世界に行く訳じゃが……」
ここから逃れる方法は一つある。
それは今すぐにでも浮遊し、空の見える場所に逃れる事だ。
『天』の属性を持つ自分なら、それは可能である。
普段ならば。
「く、う……!?」
身体の奥から沸き上がってくる、何やら甘美な熱に、膝が砕けそうになる。
下腹部に蜜が広がるような感覚を覚え、彼女は戸惑った。
それを見、ナクリーは愉快そうに、含み笑いを漏らしていた。
「そうじゃろうそうじゃろう。飛ぶ事も出来ぬほど、力が出ぬじゃろう。やはり精霊系じゃな、お主」
からかわれても、今の彼女に腹を立てる余裕はない。
自分を保つので、精一杯なのだ。
「さあ、いよいよここからが本番じゃ……!!」
グラリ、とさらに浮遊城は傾き、地面だった場所はいよいよ空を覆う巨大な天蓋と化していた。
「ひ……っ!?」
槍に立っていた足が滑り、チシャの身体を持つ少女はそのまま真下へと落下する。
シルバからの念波で、こうなる事は分かっていた。
かろうじてリフは地面に爪を立てる事が出来ていたが、それも今にも抜けそうになっていた。
足場は既になく、下を見ると、白い雲の向こうに緑色の森が見えていた。
運がよければ、死なずに済むかも知れないが、まあ落ちたら普通に死ぬだろう。
「にうぅ……」
指で、土を握りしめる。
しかし、霊獣のリフもゾディアックスの大出力による影響は免れる事が出来ず、力が少しずつ抜けていた。
「手、離しても大丈夫だよ」
「に?」
声は、真下から聞こえた。
リフがもう一度見下ろそうとしたその時、彼女の身体は誰かの手に支えられた。
「この暗さなら、アンタぐらいなら楽勝で支えられるからね」
リフを助けたのは、サキュバス姉妹の次女、ノインだった。
そのまま、逆さまになった宮殿の窓に向かう。
「むしろ、あっちの方が大変だし。アタシもアンタを家に入れたら、向こう手伝わないと」
サキュバス姉妹の長女であるカモネと、ノインの妹ナイアルは必死に、落ちそうになっているハッポンアシのハッちゃんを支えていた。
「ううぅ~、ノインちゃん早く~」
「…………」
なるほど、これは大変そうだ。
そう思うリフだったが、遠くから小さな鳴き声と羽ばたきが聞こえるのに気付いた。
「に。だいじょぶ」
「うん?」
「たすけが、くる」
おそらく浮遊城から落下したが、墜落前に復帰したのだろう。
怪鳥イタルラの姿が徐々に大きくなってきた。
不意に目眩を覚え、意識を失っていたヒイロは目を覚ました。
「ん……あれ?」
何だか妙に、足場が頼りないような気がする。
「き、気がつきましたか、ヒイロ……」
目の前に、タイランの顔(兜)があった。
しかも、何故かタイランは天井に背中からへばりついているみたいだ。
「えっと、え、何これ?」
あまりに妙な目覚めに、ヒイロは戸惑った。
「あ、わ、だ、だだ、駄目です! そこで身体を捻らないで下さい!」
タイランが止めたが、遅かった。
「うひゃあっ!?」
眼下に広がる白と緑の絶景に、ヒイロは悲鳴を上げた。
チシャの姿を借りた少女は、墜落を免れた。
シルバ曰く、完全に落ちるとリフの身体が無事では済まないのに加え、太陽だか空だかが見えるようになると、彼女が復帰する可能性があるからだ。
「そう、このぐらいの暗さならね――」
彼女を助けたのは、小柄な少年だった。
「――僕ぐらいの吸血鬼になると、本気になれば昼間でも飛べる」
ダンディリオン・ホルスティンは少女の身体をお姫様だっこ状態で支えたまま、宙に浮いていた。
「さて、どうしてくれようか。僕の47番目の愛人になってみる?」
「やめろって、娘が言っているのじゃ」
ダンディリオンにナクリーが並ぶ。
「ありゃ残念。それじゃ、シルバ君の愛人になってもらおう。彼も喜ぶ」
「……戻ってきたら覚悟しろと言うておるぞ?」
※ガチエロ小説なら、次は精霊系全員とえらい事になるのですが、健全系なのでそんな事はないんだぜ。
まあ、次回は半分再起不能状態の精霊系(チシャの中の人以外)を除いての会話となります。