ストン、と的のど真ん中に、ダーツは突き刺さった。
眼鏡をかけ、右手に篭手を着けたシルバ・ロックールはニヤリと笑った。
「おし」
背後で立ち上がり沢山手を叩いたのは、鬼族の戦士・ヒイロだ。
「おおぉー! 先輩すごい!」
「に」
小さい拍手は獣人(という事になっている)の盗賊・リフのモノである。
「悪くないな」
シルバは眼鏡と篭手を外した。
魔力の込められた篭手には、遠方の的に向けて正確に投擲物を当てる力が宿っている。さらに精霊眼鏡にも、視力と集中力を高める石を埋め込んで、命中率を高めていた。
ここは鍛冶工房『ビッグベア』の待合室。
壁一枚隔てた作業場では、鉄を叩く音がひっきりなしに続き、熱気がこちらの部屋にまで伝わってきていた。
アーミゼストに戻ってきたシルバ達は、迷宮探索再開の準備に、この鍛冶工房を訪れていた。
ちなみにキキョウは作業場に、カナリーとタイランは別件で、余所に向かっている。
「ほっほっほ。よい性能じゃのう」
小柄な図体に赤い前掛けを着け、口にパイプをくわえた白髪の山妖精が大きく笑った。
この工房の主人、ジングーだ。
発注した篭手の制作者でもある。
ジングーと握手をしていると、後ろでヒイロが大きく手を振った。
「先輩、ボクも! ボクもダーツやる!」
どう見ても、単純に遊んでみたいだけのように見えるヒイロだった。
「……いいけど、的壊すなよ?」
「うん!」
シルバの許可を得たヒイロは、的に駆け寄るとダーツを抜き始める。
一方、もう一人いた小さいの、リフは眼鏡をかけ目を回していた。
「にぃ……目がクラクラする……」
ふらふらしながら、シルバにぶつかってくる。
それを受け止め、シルバはリフの頭に手を置いた。
「慣れれば、かなりいい感じになるさ。もっともお前にはいらないと思うけど。欲しいのか、眼鏡?」
眼鏡をかけたまま、リフはシルバを見上げた。
「に。眼鏡っこのじゅよう」
「ぶ……」
突っ伏しそうになる。
「カートンが言ってた。お兄かんらく」
「……あ、あの馬鹿は、お前に一体何を教えてるんだ」
「『しょた』がどーとか、むずかしい事言ってた」
意味が分からなかったらしい。
正確には『ロリ』だが、まあ、そこはリフが男装しているのだから、無理もない。
とりあえず、シルバはフォローを入れる事にした。
「オーケー。今度、こっちに戻ったら、お前のお父さんにカートンから教わった事全部、話してやれ」
「? に、分かった」
よく分かっていないながら、リフは頷くのだった。
しばらくすると、作業場の方からキキョウが戻ってきた。
手には、研ぎ直したばかりの刀がある。
スラリと抜かれた刃の輝きは、シルバの目にも、これまでより冷たく鋭いモノにも見えた。
「むぅ……見事だ、ジングー殿。素晴らしい」
「ほっほっほ。納得頂けたかな」
パイプを吹かせながら、ジングーは笑う。
刃を鞘に納め、キキョウは頷く。尻尾も心なし、ゆっくりと揺れていた。
「無論。主人、試し切りは出来るか」
「ウチの野菜でよければ、裏の家内に言ってくれれば、いくらでもよいぞ。薪でも構わんが」
「うむ。ではシルバ殿、また後で」
「ああ」
颯爽と、野菜を斬りに向かうキキョウをシルバは見送った。
「むむっ」
背後でヒイロの唸り声が聞こえた。
振り返ると、何やら緊張した面持ちをしている。
「どうした、ヒイロ。真面目な顔をして」
「食べ物の匂いが、する……!」
変わらねえなあコイツ……と思うシルバだった。
「ほほっ、そろそろ、移動屋台の串焼き屋が来る頃じゃ。その匂いじゃろう」
「……お前の嗅覚って、すごいよな」
一種の尊敬すら込めて、シルバはヒイロに言う。リフも同感のようだ。
「にぃ……食べ物は、リフよりびんかんかも」
「じゃあ、先輩」
ビシッとダーツの矢を突きつけ、ヒイロは挑戦の構えを取る。
何が言いたいのかは、よく分かったので、シルバとしては肩を竦めるしかない。
「はいはい、賭けね。言っとくけど俺はインチキ使うぞ」
「えー」
「篭手と眼鏡のテストの為に来てるんだから、当然じゃん」
「に。リフもする」
工房を出て、三人は通りの串焼き屋台で昼食を取る事となった。
勝負は当然ながらシルバの勝ちだったが、元々負けるはずのない勝負だったので、ドリンク一本で手を打つ事にした。
「第五層は相変わらず手こずってるみたいだな」
シルバは熱い焼き鳥をはふはふと頬張りながら、ギルド発行の情報ペーパーを眺める。
「にぃ……?」
興味があるのか、リフが魚介焼きを食べつつ、長椅子の左隣から覗き込んできた。
「現状、第六層の直前を植物系のモンスターが阻んでいるんだと。霊樹? とかいう類らしいけど……まあ、亜神や霊獣の植物バージョンっぽいな。霊樹と言っても、あまりよくない類らしいけど」
最後の台詞は、右でタレ付きの串焼き肉に集中しているヒイロへの説明だ。
「に」
きりり、とリフが顔を引き締める。
「うん、リフなら頼りになりそうだな」
「に!」
リフの霊獣としての属性は主に木だ。植物を扱うのに長けている。
もっとも、その前に第三層と第四層を突破しなければならないので、先はまだまだ長いし、それまでに第五層も攻略される可能性はあるのだが。
リフがやる気になっているようだし、そこには敢えて触れない、シルバだった。
「先輩先輩、火で燃やしちゃうのは駄目なの?」
「それは当然、攻略中のパーティーも考えたさ。けど、そうすると今度は煙がモンスター化したらしい。物理攻撃の効かない、な」
「うへぇ」
基本、物理攻撃メインのヒイロとしては、顔をしかめていた。
「んでまあ、対策練る為に苗を持って、上に戻る計画があったらしいんだけど、それも何か第四層だか第三層だかで、行方不明になってるらしくてな」
まさか、関わったりしないだろな……と、ちょっとシルバは不安を覚えた。
「美味そうなモノを食べているね」
響きのいい声に顔を向けると、タイランを伴ったカナリーがこちらに向かってきていた。
「ん、カナリーも食うか」
シルバは、食べかけの自分の串を突き出した。
もちろんそれを食べさせる訳ではないのだが。
「腹拵えという訳だね」
足を組み、カナリーは長椅子に座るリフの隣に座った。
一方タイランは、軽く頭を下げながらヒイロの隣に座る。
シルバは屋台の親父に声をかけた。
「串焼き肉一本追加、焼き加減はレアでお願いしますー。あと水一本もらいますねー」
「あいよー」
親父の返事を聞き、シルバはカナリーに尋ねた。
「それで成果は?」
「バッチリさ。ね、タイラン」
反対側で、シルバから水を受け取ったタイランは遠慮がちに頷いた。
「あ、は、はい。お陰様で……何とかなりそうです。ちょっと怖かったですけど」
やれやれ、とカナリーは肩を竦める。
「別に牢獄に直接入った訳じゃないんだから、そんなに怖がる事もないと思うけどね。単なる面会だったんだし。あ、これギルドからの許可証」
マントの中に手を入れ、カナリーは冒険者ギルドでもらった書状を出した。
「うん」
シルバはそれを受け取る。
今回の作戦は、本来探索者のルールから外れた手段を取る事になる。
マナー違反となるので、事前申請でその許可を得る必要があったのだ。一応、村の方でギルドマスターから言質はもらっておいたので大丈夫だとは分かっていたが、やはりこうやって実際に許可証を得ると、ホッとしてしまう。
カナリーは続けて、小さな瓶を取り出した。
「それと凍結剤。強化の力もあるけど、基本的に効果は短時間。三十秒ぐらいしか持たないと思ってくれ。それから副作用としておそらくしばらくは、タイランが使い物にならなくなる」
「そりゃむしろ、俺よりタイランだな。いいか、タイラン」
シルバは瓶を、自分の荷物袋に入れながら、タイランに尋ねた。
「……は、はい。一度試してみましたけど、麻痺に近い感じですね。死ぬ訳じゃありませんから……でも……」
それでも、動けなくなるのは不安だろう。
それも、間違いなく戦闘の最中と言う事になる。
「出来るなら、使いたくはないな。それは俺も同じだけど、こればっかりは向こう次第だからなぁ」
「そうならないように、願いたいね」
確かに、とシルバは頷き、さっきから延々と続く、咀嚼音に視線を向けた。
「あとそこ! あまり食べ過ぎない! 動けなくなるぞ!」
もちろん、ひたすら肉を食べるヒイロが、その音の源だ。
「へーきへーき。これぐらいなら、全然大丈夫!」
どれだけ腹に入るんだ、とちょっとした山になりつつある串の束に、シルバは呆れてしまう。
「シルバ殿。こちらも出来たようだ」
工房の方から、キキョウと何やら大きな板を担いだジングーが姿を現わしたので、シルバは先に注文しておいた焼き鳥を渡した。
「ん、ご苦労さん。ほい、お前の分」
「ぬ、すまぬ」
丸椅子を借りて、キキョウは受け取った焼き鳥とドリンクを手にシルバの正面に座る。
すると何故か、左側から不満の唸り声が聞こえてきた。
見ると、カナリーが小さく膨れていた。
「むぅ……シルバ。僕達の分は取っておいてくれてなかったよね?」
いやいや、とシルバは軽く焦りながら、手を振った。
「いつ戻ってくるか、分からなかったんだからしょうがないだろ、んなの。キキョウは店の裏だったから、すぐ戻ってくるって踏んでたんだよ」
「ほっほっほ、ところでこっちはこんなモンでよいのかの」
ジングーがシルバに見せたのは、ケーキが1ホール入りそうな箱だった。
箱に彫られた装飾は、女神の姿だろうか。
箱そのモノは立派だが、むぅ、とシルバは唸ってしまう。
「……いやオッチャン、壊れるの前提なんだし、外装にこんな凝らなくても」
「ほっほ、そこは職人魂よ。壊れるという意味なら、武器や鎧だってそうじゃろ?」
「ま……そうかもしれないけどさ」
もったいないなあと思う。
もっとも、これもまた使わないで済むならそれに越した事はない類のアイテムだ。借り物でもあるし。
「盾も出来たそうだ。例の石板を加工したモノだが」
キキョウが言い、ジングーは担いでいた板……ではなく、盾を立てた。
これまた、正面に鮮やかに菱形の文様が刻まれた、大盾だった。
「ほっほっほ、こっちは苦労したぞ。そっちの甲冑の君ぐらいしか、ちょっと持つのは厳しいかものう」
「お、お預かりします」
シルバも、自分が預かった箱をタイランに手渡した。
おそらくあの箱を使う事になるとすれば、ヒイロだ。前衛であるタイランの方が、いざという時の為に持っていた方がいい。
一方、そのヒイロにキキョウが話しかけていた。
「ヒイロ」
「うん?」
「おさらいだ。右は?」
「駄目」
「左は」
「よし」
何となく二人のやり取りを聞いていたジングーが、首を傾げながらシルバを見た。
どういう事か、という表情だ。
シルバは苦笑しながら、首を振った。
大した事ではない。単なる暗号だ。暗号だからこそ、他者には教えたりも出来ない。
一方キキョウはそんなシルバとジングーのやり取りには気付かず、ヒイロに頷いて見せていた。
「いいだろう。お前が要なのだから、本番では聞き逃したり、間違えたりしないように」
「はい!」
食事を終え、シルバ達は立ち上がった。
「ひとまず準備はこれで一通り、整ったかね」
「うむ」
キキョウを始めに、全員が頷く。
「それじゃまあ、行きますか」
シルバは手に持っていた木の串をポケットに突っ込み、墜落殿に向かう事にした。
{墜落殿/フォーリウム}第三層。
迷宮に入ってから、十何度目かのモンスター達の襲撃を何とか退け、シルバの一行は奥へと進んでいた。
「……ぁう」
妙に情けない声と共に、前を歩いていたタイランが重い音を立てて倒れた。
負傷などではなく、単につまづいただけなのは、見れば分かる。
「タイラン、大丈夫?」
ヒイロがしゃがみ込むと、タイランは膝をついた状態で頭を振った。
「あ、は、はい……ちょっといつもと勝手が違うので……」
不調の原因は、シルバにも分かっていた。
「カナリー」
「うん。いつもより大容量の炉を積んでるからね。無理もないよ」
以前戦った、錬金術師であるクロップ老が自動鎧に使っていた精霊炉に、カナリーが調整を加えたモノだ。
今回の探索入りの前に、それがタイランの中に積み込まれている。
慣れない心臓が、タイランの不調の原因なのだ。
「と言っても、普段より少し、程度ですから、まあ何とか……それに、錬金術の工房でも調整しましたし、大分慣れてきましたから」
「そうか」
ここまでそこそこ戦ってきたから、疲労がたまってきたかな、とシルバは考えた。
ここで一旦休憩を取るべきか。
そう考えていると。
「おいおい、そんな調子で大丈夫なのかい?」
そんな軽い調子の男の声が、前の方から響いてきた。
パーティーに、緊張が走る。
「誰だ?」
シルバの呼びかけに、曲がり角から姿を現わしたのは、軽装の戦士だった。
「おっと、敵じゃない。一応先に、断りを入れようと思ってね。俺はアル・バート。賞金稼ぎさ」
両手を上げながらも、隙がない。
相当に出来るようだ。
いや、それよりも賞金稼ぎという事は……目当てはノワなのだろう。
「横取りしようって言うのか?」
「人聞きの悪い言い方をすればね。悪いが、割と早い頃からアンタらを張らせてもらっていたよ。あの村に現れたバサンズとかいう魔術師もね。案の定、第三層の僻地で待ち伏せだ。こういうのは早い者勝ちだから悪く思わないでくれ。それに、ノワ・ヘイゼル一党を捕らえるのが、アンタ達じゃなきゃ絶対駄目だっていうルールはどこにもないだろう」
確かにその通りではある。
自分達を餌にしているとはいえ、アルの言う通り、すべてを自分達でこなす必要はない。
しかし、それでもシルバは言わざるを得ない。他の連中よりシルバがリードしている点があるとすれば、自分はノワと組んだ事があり、また、生の彼女を知っているという点にある。
「まともにやりあうとまずい相手だぞ? アイツの性格から考えても、絶対何か仕掛けてる」
「そんなモノ、使う暇もなく倒せばいいだけの話だろ。未知のモンスター相手にぶっつけ本番でやり合うなんて、この世界じゃ珍しい事じゃない」
「……大抵攻略ってのは、そうして倒された先人達の上に成り立ってるんだけどな」
「俺達もそうなると?」
特に気を悪くした風もなく、アルはニヤニヤと笑っている。よほど自信があるようだ。
「いや、そうならない事を、心底祈ってる。犠牲者が出るのは嫌だし、何より治療が面倒だ」
「はっ……とにかく、ウチは三十人からなるグループだし、皆、実力は折紙付だ。アンタらの出番はないさ」
「どうもスッキリとはしないけど……」
少なくとも自分で実力は折紙付なんて言う時点で慢心じゃないかなぁと、シルバは思う。
すると不意にアルが、懐に手をやった。
「おっと、待ってくれ。仲間から連絡だ」
懐から取り出したのは、青白い宝石の付いた首飾りだった。
それに、シルバは見覚えがあった。
「水晶通信……」
一塊の水晶を砕き、それらの破片の共鳴を利用する通信手段である。
「言っただろ。折紙付だって」
アルはニヤリと笑い、微声を発する水晶に応える。
少なくとも、第三層ではほとんどお目に掛かれない代物だ。なるほど、自信があるのも頷ける。アルは第四層、あるいは第五層の住人らしい。
「あぁ!?」
「うおっ!?」
それまで余裕のあったアルの表情が突然険しいモノになり、シルバは驚いた。
「ちょ、ちょっと待て。どういう事だ、そりゃ!? あ……」
慌てふためくアルが、目を丸くしているシルバ達の視線に気付いた。
コホン、と小さく咳払いをし、再び水晶に語りかける。
「と、とにかく俺達が戻るまで待機だ。いいな。絶対に動くな」
「…………」
シルバが黙ってみていると、アルは額の汗を拭い、首飾りを懐に戻した。
「悪いが、急がなきゃならなくなった。追いかけてくるなら、また現地で会おう」
軽く手を上げると、あっという間にアルは曲がり角に消えていった。
追いかけ角を曲がると、もうそこにはアルはいない。
が。
「……キキョウ、リフ、聞こえたか?」
振り返ると、耳のいい二人が頷いた。
「ああ。どうやら偵察が消えたらしい」
「に。待ってた仲間も何人かいなくなってる」
水晶通信の微かな声も、キキョウとリフには充分な音量だったようだ。
「女性かな」
しかし、シルバの疑問にキキョウとリフは首を振った。
「いや」
「男のひともだって」
「……男の人もいなくなった、という報告を出すという事は、クロスの魅了は当然、研究済みか」
カナリーが唸る。
クロス・フェリーの魅了の瞳は、もっとも警戒すべき能力の一つだ。
もっとも、それも直視しなければ問題はない。カナリーによれば、声も注意の対象らしいが、精神力が強ければさほどの効果はないのだという。
そういう意味では、精神攻撃にもっとも弱い鬼族のヒイロが、一番注意の対象だ。
とはいえ、それもクロスが相手を女性と認識すればの話だが、というのが同じ吸血鬼であるカナリーの話だ。
とにかく、ノワ達の事をよく知らないパーティーが最も危険なのは、女性冒険者が魅了される点にある。
クロスではなさそうだとすると、次に高い可能性は、とシルバが続く。
「一番有り得るのは、ロン・タルボルトに音もなくやられたって線だけど、情報が足りないな」
「にぃ……」
この辺りは、ここに来るまでに散々話し合っている。
気配を消したロンの襲撃など、こちらは注意するしかない。カナリーの従者、ヴァーミィとセルシアも、貴重な戦力であるにもかかわらず戦闘に参加させず、警戒に専念させているぐらいだ。
シルバ達は、やれる事をやるしかない。
「それじゃ、俺達は当初の予定通り、ここから二手に別れよう。こっちは人数こそ上回ってるけど、向こうは修羅場の数と質の分、実力が高い。反撃する暇も与えず倒すって言うコンセプトは、皮肉な事にさっきのアルってのと同じだけど、第五層とかの知り合いなんていないこっちは別の助けを使う事になる」
そしてシルバは、パーティーを二つに分けた。
シルバ、カナリー、ヒイロ。それにカナリーの従者である赤と青の美女二名。
もう一つはキキョウ、タイラン、リフの三名だ。
「という訳で、キキョウ、よろしく頼む。前もってカートン達に調べてもらっていた仕掛けのポイントは、頭に入ってるよな。一方通行だから退路はない。部屋に入ったらそのまま、ノワ達なんかには目もくれず、指定の『排出口』に落ちろ」
「うむ、心得ている」
「あ、穴って……私、入れる大きさですよね……?」
「に。リフは小さいから平気」
シルバはリュックから、用意していた瓶を取り出した。
「こっちは俺とカナリーがいるから何とかなるけど、そっちは途中からさらに個別行動になるから、回復には気を付けるように。ほい、回復ポーション三つずつ」
そして、ここでシルバ達は一旦、全員揃った状態での最後の休憩を取る事にした。
「カナリー、シルバ殿を頼むぞ」
キキョウの言葉に、カナリーは余裕の微笑を浮かべる。
「言われなくても」
「……頑張りすぎて、シルバ殿の血に頼ったりしないように」
ジト目でキキョウは、カナリーを見た。
カナリーの吸精の副作用は、既にシルバから聞いているのだ。
「ふふふ、どうしようかなぁ」
「むぐぐ……い、今からでも交代は遅くはないぞ、カナリー」
「残念ながら、僕はそれほど足は速くないんだ。悪いね」
「うー、別の意味で心配だ……」
頭を抱えるキキョウだった。
一方タイランとヒイロ。
「……黒眼鏡、死ぬほど似合いませんね、ヒイロ」
「そっかなー。格好良くない? はーどぼいるどって感じで」
クロスの魅了対策として用意されたモノだが、確かに似合っていなかった。
「いえ、その……すごく失礼ですけど……こう、子供が背伸びをしているようにしか……」
「それは本当に失礼だよ、タイラン!?」
そんな仲間達を、壁に背を預け胡座をかいた状態で、シルバは眺めていた。
「緊張感ないなぁ、アイツら」
「に」
何となく自分の手が隣にいるリフの髪の毛を撫でていたが、まあいいかとシルバはそのままにしておいた。
鋭くそれを捉えたのは、キキョウだった。
膝をついたまま、シルバに詰め寄ってくる。
「ぬぅ、シルバ殿はシルバ殿で、何をしているのか」
「いやだってコイツの頭、撫で心地いいんだもん」
「にぃ。リフも気持ちいい」
「そ、某の尻尾もふさふさだ!」
狐耳ともふもふの尻尾を揺らしながら、キキョウが強く主張した。
「そこで張り合うのか!?」
揉める三人に、カナリーは肩を竦めた。
「……やれやれ、緊張感がないのはお互い様だと思うけどね」
「た、確かにそうですね……」
タイランが頷き、ヒイロは立ち上がった。
「ねー、そろそろ始めようよ-、先輩」
「はいはい」
シルバも立ち上がり、それぞれの準備に取りかかる。
全員の準備が終わったところで、シルバは口を開いた。
「それじゃま、ギルドマスターからの了承も出ている事だし。『列車作戦』スタートと行こうか」
ぬおりゃ、とヒイロが自分を中心に骨剣をぶん回す。
「旋っ、風剣――っ!!」
気を纏った骨剣が、周囲を囲む重量級のアイアンオックスを派手に弾き飛ばす。
直後、彼らに紫色の電撃が襲いかかる。
「よし、{紫電/エレクト}成功。ヴァーミィ、セルシア、残っているのを片付けるんだ」
カナリーは、帯電する指先に息を吹きかけながら、従者達に指示を送った。
余裕充分に戦局を見極め、微笑む。
「……もっとも、残っていたらの話だけどね」
ピクピクと痙攣するアイアンオックス達が起きる気配は、なさそうだ。
一方ヒイロは、最後に残った黒尽めの騎兵、デーモンナイトに迫っていた。
「よ――」
デーモンナイトの剣撃を骨剣で受け止め跳躍。
その首に足を絡め、身体のバネを使って半回転した。
「――いしょっとっ!!」
そのままヒイロごと馬上から引きずり下ろされた騎兵は、脳天から床に落下した。
「っ!?」
硬い床に亀裂が走り、デーモンナイトの身体は一度大きく痙攣してから倒れ伏した。
「はい、おしまい」
ヒイロは立ち上がり、身体の埃をパンパンと払った。
動けるモンスターはもう、この周辺にはいないようだ。
「お疲れ、ヒイロ。{回復/ヒルタン}だ」
ヒイロの身体に刻まれた生傷が、シルバの回復魔法で癒されていく。
「あんがと、先輩。後どれぐらい?」
シルバは地図を広げた。
「やや遠回りだけど、敵の少ないルート選んでるから、もう半分って所だな。ペース的には悪くない。時間的には余裕取ってあるけど、早いに越した事はないしな」
「しかしそう考えると、あのアルという戦士はずいぶんと優秀なようだね」
カナリーの言葉に、シルバは頷いた。
「確かになぁ。この付近には麻痺毒を使うモンスターが少ないとはいえ、単独で第三層を動き回れるぐらいだから」
さて、移動しようかと歩き始めようとした時、カナリーが眉根を寄せた。
「……うん?」
「どうした、カナリー」
「人の気配がする」
「こんな僻地でか?」
「敵かな?」
前衛のヒイロも少し警戒する。
だが、カナリーは首を振った。
「いや、どちらかといえば……うん、まずいねこれは。命が尽きかけてる」
サラッと言うカナリーに、シルバは慌てた。
「ちょっ……!? ど、どこだ!?」
カナリーは、通路の少し先にある扉に指を向けた。
「そっちの部屋だね。ちょうど通り道だ」
なるほど、薄暗い小さな部屋の隅に五人の冒険者が倒れていた。
どうやらモンスターにやられ、全滅寸前だったようだ。
こちらに反応する余力すらないように見える。
しゃがみ込んだシルバは彼らに、回復魔法をかけた。
「大丈夫か?」
シルバが声を掛けると、一番近くにいた屈強な中年のサムライが顔を上げた。着物の上から、黒光りする甲冑を身につけている。
「え、ええ……助かったわ。いきなり襲われて……」
ヒクッとシルバは頬を引きつらせながら、状況を考えた。
タイミング的に考えて、彼らを襲った可能性が一番高いのは……。
「……髪をこんな風に二つにまとめた女の子の商人がいたりする?」
「ううん、違うの。靄のようなモンスターだった」
髭面の男は、目を潤ませ首を振った。
とりあえず、シルバとカナリーは顔を見合わせた。
「ミスト系?」
「幽鬼の類かも」
だが、違うようだ。
「いや、そんなんじゃなかった……見た事もない術を使われて、アタシ達は……」
サムライはハッと唐突に顔を上げて、シルバに迫った。
「い、いや、それどころじゃない! もっと大変なのよ! 苗が! 苗が奪われて……」
「苗?」
カナリーは中年男の肩を軽く押し、シルバと引き離した。
立ち上がったシルバはふと、迷宮突入前に読んだ、情報ペーパーの事を思い出した。
そこにも確か、苗がどうとか書いてあったはずだ。
「……もしかして、アンタ達、第五層の霊樹討伐関係者か?」
「そうよ。アレを失ったら、これまでに倒れた仲間達に申し訳が立たないわ……」
女言葉で、彼は落ち込んだ。
「つっても、さすがにすぐに動くのは無理だろ。今は安静にしてないと、駄目だ」
「何とかしたいところだけど、こっちも都合があるしね」
シルバはカナリーと顔を見合わせ、頷き合った。
第五層突破は、現在のアーミゼストの中でも最重要な任務と位置づけられている。
だが、手伝うなら自分達の仕事が終わってからだ。
どうやら、それはサムライの男も察したらしい。
「さっきの話だと、貴方達、ノワ・ヘイゼル関係の仕事ね」
「ああ」
「この先に進むのなら気をつけた方がいいわ。あの靄は危険よ。人を惑わすの……」
「混乱系の術かい?」
カナリーが尋ねる。
しかし、中年男は自分の身体を抱きながら、ブルブルと震えた。
「違うわ。そうじゃない。もっと恐ろしいの……アタシ達の推測が正しければ……アレは……いや、言っても信じてもらえるか」
「聞いてから判断するよ。それに、モンスターの性質は知っておいて損はない」
もしかすると、この先で遭遇するかも知れないしな、とシルバは考える。
その時、相手に対する知識があるかどうかで、生死が決まる場合だってあるのだ。
サムライは、シルバ達を見上げた。
「そもそもアレがモンスターかどうか、アタシには自信がないわ。アタシの姿、どう見える?」
シルバはカナリーを見た。
どう見るも何もない、とカナリーは肩を竦める。
「どう見えるって……いや、その……俺のパーティーにもジェントのサムライなら一人いるけど」
違うのか、と聞くと、中年男は自嘲した。
「……鏡があったら多分卒倒してるわね。名乗り遅れたけど、アタシの名前はティム・ノートル。レベル5の聖職者よ」
「聖職者!? その格好で!?」
どう見ても前衛、戦士タイプの姿だ。
「そして、性別は女」
「女ぁ!?」
シルバとカナリーは仰天した。
ティムは、事情を話し始めた。
「今は、『付いて』るみたいだけどね。アタシはまだこれで済んでるけど、他のみんなはもっと酷いわ」
彼……いや、彼女は後ろを振り返った。
ティムと同じようにへたり込んだ少女が、両手に小さな鳥を乗せている。
「獣使いのラナは相棒の隼が小鳥にされちゃってる」
その横では、坊主頭の吟遊詩人が必死の形相で座禅を組んでいる。
唱えているのはウメ教の念仏だ。
「武僧のバレットは、姿どころかこれまでの修業そのモノがなかった事にされたみたいで、神の声が聞こえなくなったわ」
ティムは部屋の一番隅で、天井を見上げながら呆然としている魔法使いを指差す。
「あそこで、呆けているのが魔術師のリスト。憶えていたはずの魔法が部分欠落して、その一方で習った覚えのない魔法が頭に刻まれてるの」
シルバ達に視線を戻すと、彼女は頭を振った。
「最悪一歩手前なのは、ここにいないシノビのゲッコウね。身体が完全に透過しちゃってるの。相手の攻撃が当たらない代わりに、自分の攻撃も一切無効化されちゃってる。壁すら透り抜けられるみたいだけど……アタシの予想が当たってるなら、多分階段を上れないわ」
「……な、何だい、それは。そんな術、聞いた事がないよ……?」
カナリーが、表情を引きつらせる。
「マズイのは、ウチのアタッカーだった戦士のグース。アイツ、大人しい奴だったのにいきなり魔人になっちゃって……」
この場にいない、という事は、おそらく迷宮のどこかを彷徨っているのだろう。
それも、かなり危険な状態でだ。
「おいおいおい……」
「シルバ……何だか、すごく大ごとみたいなんだけど……」
シルバも、そんな人を変容させるような魔法は知らない。
――魔法は知らないが、心当たりは一つだけあった。
「なあ、もしかすると、アンタ達、道に迷わなかったか?」
「どうして、それを!?」
中年男の姿をした女性の驚愕に、やっぱり、とシルバは舌打ちした。
「カナリー。混乱系、とかそういうレベルの話じゃない。この先やばいぞ。最悪、迷宮の構造そのモノが、造り変えられている可能性がある。マップが役立たないかもしれない」
「何だ? シルバ、君、一体何を知っている?」
カナリーが問い詰めるが、シルバの頭の中にまずあったのは、この場にいない仲間の安否だった。
「この状況で偶然か……? いや、とにかくまずいな。霊樹の苗の奪われたって事は、やっぱり狙いは『高位の魂』……それもあるけど、確実なのはむしろ……」
シルバの頭に、白い仔猫が浮かんだ。
剣牙虎の霊獣、リフだ。
「アイツが一番やばいな。タイランも可能性はあるけど、甲冑で密閉されている分には気付かれていないだろうし……」
シルバは精神共有で、リフ、タイラン、キキョウに現在の状況を伝えた。
もっとも彼女達は彼女達で、『列車作戦』の真っ最中、今更止める訳にもいかず、作戦は続行と指示を送る。
「シルバ。どういう事か説明してくれ」
不審な表情のカナリーに、シルバは頷き返した。
「うん、歩きながら言う。この先のルートが変わってる可能性があるから急がないと」
そしてシルバは、ティムに向き直った。
「とにかくティムさん。苗は多分、こっちで相手をする事になる。回収できるならするよ。そっちは回復したら地上へ向かってくれ。でも靄は見かけたら全力で逃げろ。絶対勝てないし、最悪、自分の存在そのモノが抹消される。地上に出たら、教会の司教に今の話をしてくれ。何とかしてもらえるはずだから」
「信じてもらえるのか?」
シルバは力強く頷いた。
「絶対信じる。神に誓って俺が保証する」
そして、自分達が入ってきたのとは別の扉に視線を向けた。
あの先に、ノワ達が待ち受けているはずだ。
とはいえ、残り半分、ティムの話通りだと、手間取る可能性も出てきている。
「急ごう、二人とも。……あー、ヒイロ。そろそろ起きろ」
シルバが軽く肩を揺すると、立ったまま居眠りしていたヒイロが目を覚ました。
「んあ、終わった?」
寝惚け眼のヒイロは、口元の涎を手の甲で拭った。
「終わった。……ったくもう、ありとあらゆる事が上手く行かないって事を、痛感してるよまったく」
シルバは苛立たしく、ボリボリと頭を掻いた。
「で、シルバいい加減説明してもらおうか」
うん、とシルバは二人と共に扉に向かう。
「手っ取り早く言うとだ、世界の危機で神様の敵がこの迷宮に現れてる」
偶然……じゃないよなぁ、やっぱり、とシルバは思う。
これはノワ達が何かをした、もしくは何かをしようとしている予兆なのだ。
根拠はない。が、七割から八割方、間違っていないはずだ。
以前、シルバが魔王討伐軍に参加していた時にも、ティムの話した靄とは一度遭遇した事がある。
正直、勝ち目はない。
相手は文字通り、別次元の存在なのだ。
シルバは、自分の心臓の辺りを手で押さえた。
「連中を襲ったのは、悪魔だよ。比喩表現抜きのな。人間側とも魔王側とも違う、第三勢力って所か……ああ、もう厄介な!」