洞窟温泉探索行
ギルドマスターや司教が訪れるという事で、エトビ村はにわかに活気づいていた。
事務的な用事をほぼ済ませ終えたシルバは、自警団団長兼村長代理であるアブから、『月見荘』の酒場フロアで話を聞いていた。
「変な影?」
「ああ」
目を瞬かせるシルバに、アブは頷いた。
屈強そうな肉体の青年だ。
彼の話によると、このエトビ村の名物『洞窟温泉』で、小さな人影っぽいモノが出現し始めているのだという。
「最近になって、入浴客にチラホラと目撃されているんだ。多分、猿か何かだとは思うんだが……」
「実害は?」
「現状、持ち込んだ酒や肴と言ったところか。後は木桶とかタオルとか……」
「……それってつまり、目に付いたモノは手あたり次第って事ですよね」
「うん、まあそうとも言う。けが人とかは出てないんだけど……その、何だ。こういう依頼でも、冒険者ってのは受けたりするのかい?」
アブとしては、偉い人が来る前に片づけておきたい問題なのだろう。もしギルドマスターや誰かが、洞窟温泉に入りたい、などと言ったりしたら大変だ。
ふむ、とシルバは考えた。
聞いた限りでは、それほど危険度は高そうには思えない。
自分達が受けなかった場合は、アブ達自警団が自分達で調査をするつもりだろう。
「パーティーの性質や都合によるんじゃないでしょうか。ウチは全員と相談してから受けるかどうかを決めたいですけど、そういうのなら全然問題ないと思いますよ。困っている人を助けるのも、俺達の仕事の一つですし。や、そりゃ報酬はもらいますけど」
「た、高いのか?」
確かにそこが、村長代理としては一番心配な点だろう。
シルバは考え、少し離れた席で話を聞いていたリフと目が合った。
「……例えば洞窟温泉とは別に、この村で一番大きな温泉を、一晩貸し切りとかでも、いい?」
数時間後。
「「ふろー!!」」
洞窟温泉に入ってすぐの所にある、広いホール上の空間に、シルバとリフの叫びが響きわたった。
さすがに音響効果は最高だ。
「……君達二人は、風呂のたびに叫ばなくちゃ気がすまないタイプなのかい?」
呆れたように言いながら、髪を頭の後ろにまとめたカナリーが、風呂用タオルを身体に巻いたまま肩まで湯に浸かる。
一方シルバとリフは仁王立ちのまま、力強く頷いた。
「そりゃ風呂だからな、リフ!」
「に!」
洞窟温泉はその名の通り、洞窟全体が湯船という変わった風呂だ。いくつもの{部屋/ホール}を通路が繋げているその様は、膝上まで湯が満たしていなければ、迷宮そのものと言ってもいい。
ちなみに、リフは今回は人間形態である。
「そ、某も合わせるべきだっただろうか?」
いつもとノリの違う、シルバとリフに、キキョウは戸惑っているようだ。
そんなキキョウに、カナリーが首を振る。
「必要ないから。あと、シルバにボケられると、僕しかツッコミ役がいないんで、そろそろ戻ってきてくれ」
確かにこのままでは、話が進まない。
シルバはリフと一緒に湯に浸かると、明後日の方向を向いた。
周囲は若い女の子が五人であり、シルバ自身が構わなくても、本人的にそれどころでないのが、何人かいるのである。
「ツッコミ役か……タイランはどうだ?」
「わ、私……そ、そういうのは無理ですから……」
青い燐光を放つ精霊状態のタイランが首を振る。彼女だけは、他のメンバーと異なり、タオルを身体に巻いていないし、身体も水面上に浮いている。さながら湯の精霊だ。
一方、完璧に無視された鬼っ娘ヒイロは頬を膨らませた。
「ぶぶー。ボクが最初から数に入ってません。不当差別として抗議させてもらいますー」
「いや、君はどう考えたって、ボケの方だろ」
ヒイロに突っ込むのはカナリーに任せて、シルバは気を取り直した。
「さて、仕事の話だ」
「……いささか緊張に欠けるミーティングだけどね」
カナリーが肩をすくめ、タイランは恥ずかしそうに顔を俯けながら、ゆっくりと身体を半分まで湯に沈めていく。
「べ、別の意味で緊張しますけど……」
「ん?」
シルバが振り向くと、タイランは慌てて首を振った。
「や、そ、その、何でもないです」
「そうか」
シルバが深く追求せず、タイランはホッとしたようだ。
「ま、依頼内容はシンプルだ。洞窟温泉内で、最近出没するようになった黒い影を見極める。いわゆる調査任務だな」
「倒さなくていいの?」
ヒイロの意見に、シルバが答える。
「武器がない」
「倒しても、いいの?」
微妙に、ニュアンスが変わった。
「……まあ、お前なら心配ないか。ただし、無茶はしない事。いいな?」
「らじゃっ」
ヒイロは上機嫌で、シルバに敬礼した。
「もちろん相手が危険と判断した場合は引き返し、装備を調えてから依頼は退治に切り替わる。まあ、今まで実害もそれほど大した事はなかったって聞いてるし、のんびりやろう」
「う、うむ」
キキョウを始め、全員が頷く。
「……で、どの辺の湯が、肩凝りとかに効能があるかな」
シルバの問いに、リフがいくつかある通路の一つを指さした。
「に、リサーチはかんぺき」
「うん、それでこそ盗賊。よくやった」
「にぃ……」
ガシガシと頭を撫でられ、リフは嬉しそうだ。
「僕としては、美容によさそうな湯の場所なら特にこだわらないけどね」
「充分こだわっているではないか」
カナリーの要求に、キキョウがすかさずツッコミを入れる。
「わ、私は奥にあるっていう霊泉の方に……」
遠慮がちに、タイランも主張し始める。
「……みんな、バラバラだなぁ」
苦笑するシルバに、ヒイロは首を傾げた。
「やっぱり固まってる方がいいの?」
「戦闘前提ならそうだけど、今回は……ま、手分けした方が相手も油断するだろうし、効率がいいか。この洞窟程度なら、精神共有である程度のカバーも出来るし」
「じゃ、出発出発。こんな入り口でずっと相談してたら風邪引いちゃうよ」
「はいはい」
「……という訳で分かれた訳だが」
いつの間にか、全員バラけてしまい、シルバは一人、通路を歩いていた。
膝上まである湯は、歩くとかなり体力を使うので、至る所に休憩用のベンチも用意されている。
通路を伝うパイプは、救難用の伝声管だろう。
(シ、シルバ殿、今、どこにいるのか?)
精神共有を通じてキキョウが念話を飛ばしてきたので、シルバは壁に視線を向けた。
ペンキで塗られた階層案内は、地下の第一層を指している。
「複数の層になってるとはねぇ……んー、案内によると、地下層っぽいぞ」
(何と……おそろしく離れているではないか!?)
キキョウはどうやら地上第三層付近にいるらしい。
(今生の別れじゃないんだから、落ち着こうよ、キキョウ……)
(ぬぅっ、おそろしくくつろいだ声!)
どうやら口を挟んできたのはカナリーのようだ。
(そりゃ、温泉に浸かってるからね。たまにはこうやってのんびりするのもいいモノだよ……眠っちゃいそうだけど)
「水没するなよー」
言い、シルバは通路の先を進んだ。
その部屋には、多くの動物がいた。
「お」
そういう風呂か、と思い、シルバも動物達を刺激しないように、ゆっくりと湯に身体を沈めた。
「や、先輩!」
すぐ隣から人間の言葉が聞こえて、シルバはちょっと驚いた。
声の主は、栗色の髪を持つ鬼の娘だったからだ。
要するにヒイロである。
「……動物の中に混じってても、何一つ違和感ないな、お前は」
「ほめ言葉?」
「好きに受け取ってくれ。動物達から情報収集でもしてたのか?」
「リフちゃんじゃあるまいし、ボクにはそんな特殊な力はないですよーだ。でも、全然見ないよ黒い影。ホントにいるのかな?」
二人肩を並べて湯に浸かり、受け答えを続ける。
「実際に遭遇した人がいるらしいし、そこん所は確かだろ……さすがに一日ここを借りて、単にいい湯でしたじゃ依頼主に叱られる」
「だねー」
「しかしまあ、色々な動物がいるな」
シルバは広い{部屋/ホール}を見渡した。
三十匹近くいるのではないだろうか。どの動物達も、動物の中でのルールでもあるのか、この風呂では皆、大人しいようだ。
「うん、多分森のどこかに他の入り口があるんだろうね。熊にウサギに……」
「猿に猪……」
「……狼に雑鬼に狸さん」
「ええーとあと狐と……ってちょっと待て、ヒイロ」
シルバはふと、気がついた。
「ふに?」
「今、何か変なの混じってなかったか?」
二人の視線が、醜い小鬼に向いた。
「「モンスター!?」」
「キィッ!」
その声に反応して飛び上がったのは、シルバ達が見ていた雑鬼だけではない。
ハッとヒイロが振り返ると、『黒い影』が陶製の瓶を抱えて逃げ出そうとしていた。
「あぁー! ボクのホットジュース、返せーっ!」
部屋の端にあるわずかな岩場部分を駆けていく、雑鬼。
それほど素早くないのがせめてもの救いか。ヒイロがお湯をかき分けて追いかけるのと、ほぼ同じぐらいの速度だ。
シルバとしては、全速力のヒイロを追いかけるので精一杯だ。さすがに足が半分以上、湯の中にあると抵抗力が半端ではない。
「っておい待て、ヒイロ! 深追いするなって!」
ヒイロ先行で、シルバ達は動物風呂を抜け、どんどんと通路を奥へと進んでいく。
「二匹程度なら、何とかなるよ!」
「そりゃ、二匹程度ならな!」
「え、それっとどういう……わぷっ!?」
いきなり、ヒイロの身体が消えた。
「ヒイロ!?」
いや違う、とシルバは気がつき、湯の中に潜った。
通路の先は深くなっており、ヒイロはそこに沈んでしまったのだ。見ると、底は穴になっており、どこかに通じているようだった。
……シルバもヒイロを追って、その穴に潜った。
滝のように天井の穴からお湯が溢れ出ていた。
しかし通路に湯は張られておらず、案内のペンキも塗られていない。
どうやらここは、洞窟温泉の中でも知られていない、地下層のどこからしかった。
壁にもたれ掛かり、シルバとヒイロはヘタリ込んでいた。
シルバは息が切れる寸前だったし、ヒイロはお湯をたらふく飲んでいた。
「……雑鬼は力は弱いが狡猾で、大抵集団で行動する。それほど知能も高くないけど、たまにこうやって罠を仕掛けてくる事もある訳だ」
「……勉強になりましたー」
敵がいないのが、せめてもの救いであった。
装備も道具もなし。
さてどうするかなとシルバは悩んだ。
幸い、通路にはヒカリゴケが生えており、薄暗くはあったが視界が利かない訳ではなかった。
{墜落殿/フォーリウム}という迷宮を探索してるシルバ達には、慣れた世界でもある。
身体を巻いているタオルは無事だったヒイロは、小さな岩に腰掛けて右足を前に突き出した。
屈み込んだシルバが、具合を確かめる。
「いちちちち……」
シルバが足首を撫でると、ヒイロの足がピクッと反応した。
「痛むか?」
「ちょっと」
やはり、捻挫しているようだった。
「調子に乗るからだ。この馬鹿」
「あはは……ごめんなさい」
笑ってこそいるものの、いつもの元気さはややなりを潜めている。
さすがに、ヒイロも反省しているようだった。
一方シルバは、足の診断に集中する。
一歩間違えれば非常に際どい部分が見える角度なのだが、そんな事に構うシルバではなかった。
「やっぱり駄目だな。捻挫は回復と相性が悪い。痛みを和らげることは出来るけど、今は無理な動きは控えるべきだ。ここは温泉地だし、療養には……」
「…………」
返事がないので、シルバは顔を上げた。
「ん? どうした、ボンヤリして」
何故か頬を赤くしたっぽいヒイロが、ぶるぶるぶると勢いよく首を振った。
「あ、や、うん! 切り傷とかだとあっと言う間なのに、おかしいよねぇ」
「んー、難しい説明は俺も苦手なんだけど、通常の傷は、肉体が傷つけられたって認識になるだろ。でも、捻挫や脱臼は言ってみれば筋肉痛と同じ、関節の異常でな。身体が無理をしているっていう、信号そのものでもあるんだよ。そういう信号は治しづらい。筋肉痛が{回復/ヒルタン}で治ると思うか?」
「あぁー、よく分からないけど、納得は出来たかも」
「うん、まあそんな所だ。で、どっちがいい」
言って、シルバは立ち上がった。
ヒイロはきょとんとした顔で、シルバを見上げる。
「どっちって?」
「お姫様だっことおんぶ」
「か、か、肩を貸すって選択肢はないの!?」
「いや、俺はそれほど大柄じゃないけど、それでも身長差はあるだろ?」
何しろヒイロである。
まさか恥ずかしがってる訳じゃないよなと思う、シルバだった。
しかし、何故かたっぷり100ほど数える時間を要して、ヒイロは決断した。
「うぅ……じゃあ、おんぶで」
「よし。うん、まあ一回担いだこともあるし、こっちの方が楽だな」
妙に遠慮がちに、ヒイロはシルバの背中に身体を預けた。
「……意外に筋肉あるよね、先輩」
ちょっと感心したような声を上げる、ヒイロだった。
「教会のお務めは、力仕事も多いんでね」
小柄なヒイロは、それほど重くもない。
ただ、やはり前回と同じく若干『当たっている』件に関して、シルバは意識から外すのに苦労していた。
何だかんだで、こう、色々とすべすべしているし柔らかいのである。
「ここ、どこなのかな先輩」
「ち、地下なのは間違いないな」
洞窟だけあって、声がよく響く。
それに、上の洞窟温泉よりも、遙かに静かだった。岩で足を切らないように気をつけながら、ゆっくりと前に進む。
シルバは敵の気配を探ってみたが、どうやら近くにはいなさそうだ。
「それに、洞窟温泉の案内にもない場所だ。でも、雑鬼連中が出入りしてるって事は、どこかに出口はあるだろ。それに、ヒイロの身体に傷がなかったのも、不幸中の幸いだ」
「身体の傷は、戦士の誇りだよ?」
後ろからちょっと不思議そうな声が響いてくる。
「穴に落ちて負った傷なんて、誇りとは言わないの」
「うっ」
背中越しにヒイロが動揺するのが、伝わってくる。
「それに、いくら戦士でもお前は女の子なんだから、無闇に傷が増えていいもんじゃないだろ」
「……先輩、そういう台詞をサラッと言うと、勘違いするから気をつけた方がいいよ?」
「そうか?」
「そうです」
何故、敬語。
シルバは心の中で突っ込んだ。
「俺みたいにでかい傷が出来たら、それはそれで困ると思うけどなー」
胸にある大きな傷に関しては、簡単にメンバーに説明を終えている。
「ボク的にはありなんだけど、それ」
「ヒイロ、そういう台詞をサラッというとだな」
「さすがにそれで勘違いはしないと思う」
「うん」
頷くシルバに、ヒイロは小さく身じろぎした。
「でも、敵が来たら下ろしてよ? 雑鬼とはいえ、攻撃力がほとんどない先輩じゃ、まず敵わないんだから」
ヒイロがいつもの快活なからかい口調でない分、ものすごく心配されているような気になるシルバだった。
だが、その心配はむしろ無用である。
「おっと見くびられたぜー。舐めるなよ、ヒイロ。狩猟なら、お前はほとんど物心ついた時からやってるかもしれないけど、冒険者としては俺の方がキャリアは上なんだぞ」
「キャリアが上でも、剣も使えない先輩がどうやって勝つの?」
「それは、その時が来た時のお楽しみだ」
一応シルバにも、勝算はある。
「……ちなみに一目散に逃げるってのは、鬼族の常識では戦うことにならないからね?」
「…………」
ヒイロに突っ込まれ、シルバは沈黙した。
「……先輩、まさか」
「はっはっは、冗談だ。……ま、実際、みんなと合流出来るのが一番なんだけどな」
「精神共有は?」
それはさきほど、シルバも試してみた。
ただ、残る四人の声が妙に混ざりあっていて、どうもシルバの思念が上にまで繋がらないようだった。
「通じにくくなってるな。たぶんこの辺りの通路には水晶が多いんだろう」
「水晶が多いと、駄目なの?」
「使い方次第って所だな。うまく利用すれば精神共有の増幅にも使えるんだけど、今はむしろ利きすぎて反響しまくってる」
ひとまずここは、二人で乗り切るしかなさそうだった。
「うまくいかないもんだねー」
「ああ、それに」
前方がやや明るく、広がっていた。
どうやらこの先は広い{部屋/ホール}のようだ。
二人は気配を殺し、こっそりと中の様子を伺った。
ドーム状の部屋の広さは、幅も奥行きもざっと20メルト四方といった所か。
中では、雑鬼達が食べ物や酒を財宝らしきものと共に中央に積み、宴会を行っていた。財宝は銀貨や銅貨の他、何故か赤ん坊用のガラガラや可愛らしいぬいぐるみだのも混じっている。
……どこかから略奪してきたのに、間違いはなさそうだ。
財宝の山の頂点では、やたらと羽根飾りをつけ、杖を持った派手な雑鬼が大きな杯で酒を呷っている。
あれがボスだろう、とシルバは判断した。他の雑鬼よりもやや知性は高そうだ。
魔法も使いそうだな……と、考える。
「……ホント、うまくいかないね。やっぱり先輩下ろしてよ。この数はちょっと先輩には厳しいよ」
声を潜め、ヒイロが言う。
「下ろすことは下ろす。でも、ここは俺一人で何とかするよ」
シルバはさっきヒイロが腰掛けていたのと同じような小さな岩を見つけ、そこに彼女を下ろした。
そして、ひっひっひっとわざとらしく卑しい声で笑った。
「せっかく女の子の前で、格好付けるチャンスなんでね」
「せ、先輩、女の子扱いは却下だよ……っ!」
「……はっはー」
女の子扱いされると、ヒイロの調子がおかしくなる事に、シルバはようやく気づいた。
「ヒイロの弱点、発見。あと、あまり大声出すな。響いてバレる」
「う」
自分の両手で口をふさぐヒイロ。
しかし、不安そうな表情はまだ消えない。
「ほ、本当に先輩一人で? 大丈夫なの? どうやるの?」
「ヒイロのそういう反応は、ちょっと新鮮かもしれないな」
「ま、真面目にしないと、怒るよ? もし、先輩が怪我でもしたら、キキョウさんに多分滅茶苦茶叱られるし……」
「心配いらないって」
信用されてないわけじゃなくて、純粋に心配してくれているのだろう。
それをちょっと嬉しく思いながら、シルバは呪文の準備を開始した。
「じゃあま、いっちょ片づけますか」
シルバは手の平を喉に当てた。
「{豪拳/コングル}」
「喉……?」
ヒイロは不思議そうにシルバを見た。
この術は、対象の攻撃力を上げる力を持つ。
シルバの信仰する神はこれから行われる『それ』を攻撃と認識した。
本来の使用法でない為あくまで心持ちだが、それでも普段より声量が強まっているのを、シルバは感じていた。
{部屋/ホール}の入り口にシルバが立つと、何匹かの雑鬼がこちらに気付いた。
財宝の頂点に座っていた色彩豊かな雑鬼も、シルバを指差した。攻撃するように命じたのだろう。
各々、武器を取ってシルバに迫る。
だがそれよりも早く。
「すぅ……」
シルバは大きく息を吸った。
肺を一杯に満たした空気を、一気に解放する――!!
「喝っ!!!!」
直後、{部屋/ホール}全体が震え上がった。
シルバに間近にまで迫っていた雑鬼達は、まとめて吹き飛ばされ、地面に横たわって痙攣する。
天井からは鍾乳石が何本も落下し、石筍が崩壊した。
ザラザラザラ……と財宝の山が崩れ、派手な雑鬼も目を回して気絶していた。
その懐から、半透明の柔らかい素材で出来た{札/カード}が覗いている。
シルバは慎重にボス雑鬼の様子を確かめ、カードを手に取った。
カードには、杖を持ちローブを着た長い髭の老人が描かれている。
「『魔術師』のカード……なるほどね」
シルバはそれを知っていた。
時たま、迷宮から発掘されるというカードの一種で、所持する事で様々な効果を得る事が出来る。
『太陽』のカードなら明かりには困らないし、『世界』のカードはその層のマップを認識する事も可能となる。複数所有する事で、効果を上げる事も可能だ。
これを用いる事で、雑鬼達は知恵を得て、おそらくボスは魔法を使えるようになったのだろう。
そういえば、この周辺の村を、雑鬼達が騒いでいるという話も、聞いた覚えがある。
初心者を脱した冒険者ならともかく、武器も持った事もない村人達には、かなりの脅威だったはずだ。
……期せずして、そちらの仕事も間接的に解決してしまったらしい。
雑鬼達や財宝をどうするかちょっと考えたが、今の自分達の手には余るとシルバは判断した。
「よし、それじゃ今の内に……」
ひとまずここを抜けて、みんなと合流するのが先決だ。
と思って岩場に戻ると、何故かヒイロが目を回していた。
「ふゃあ……」
「……何で、お前まで気絶してるんだ。耳塞いどけって言っただろ?」
「ふ、塞いだけど……こんな大きい声だなんて、思わなかったんだよぉ……」
油断したらしい。
思わず呆れるシルバだった。
気絶した雑鬼達の間を早足で駆け抜け、ヒイロを背負ったシルバは先の通路を進む。
「それにしても先輩、すごい技持ってるんだね。あれなら、普段でも戦う時に使えるんじゃないの?」
どうやらヒイロの耳も元に戻ったようだ。
「いや、あれは普通、せいぜい相手を驚かせる程度の威嚇用だし、気絶させる程の効果はないんだ。洞窟っていう音が響く地形の効果と{豪拳/コングル}で喉と肺を強化してやっとって所。{豪拳/コングル}の力は、お前が一番よく知ってるだろ?」
「あぁー……」
何しろ一番シルバが{豪拳/コングル}を使うのはヒイロである。
心当たりはあるのだろう。
「本来は、音響を操作する魔法を使うんだけど、あんなのは師匠ぐらいしか無理だし」
「ボクでもさっきの技、使えるかな」
「お前、ホント色んな技覚えるの好きだな」
つい先日、骨剣を盾にしての突進や、足技を覚えたかと思ったら、ぶっつけ本番で気を放ったりもした。
しかしそれでもなお、ヒイロには足りないらしい。
と思っていたら、何だかヒイロの声のトーンが沈んだ。
「だってボクは鬼族の中でも特に力弱い方だし……」
「……あれで弱いんだ」
どんな高みだ、鬼の世界。
「うん。ウチの集落だと一番弱いかなぁ……毎年秋にお祭りがあってね、そこで子供から年寄りまで全員参加の相撲大会やるんだよ。ボクは参加出来るようになってから、一回も勝てた事がないんだ」
「き、厳しい世界だな」
ヒイロの村での相撲、というのは基本素手。
相手が気絶するか、リング上から叩き落とすかのどちらかで勝ちという、単純なモノらしい。
何だか、シルバの首に絡むヒイロの腕の力が、強まったような気がした。
「先輩さー」
「うん」
「クジで当たった幼馴染みに、陰で『やった。二回戦確定』って言われた気分って分かるかな?」
「…………」
「ま、それがボクが村を出た理由な訳ですよ」
たはは、とヒイロは笑った。
シルバは笑わず、自分の頭を掻いた。
「……さっきの技を教えるのはいいけどな」
「うん」
「使えるのはせいぜい最初の一回だけだと思う。大会って事は、みんなが見てるんだろ。次からは間違いなく警戒される」
「それでもいいよ。手札は多い方がいいし」
「まあ、警戒してるのを逆手に取るって手はあるな、うん。あと、俺は戦士じゃないから、それほど教えられる事はない」
「うん」
「だけど、他の面での助言ならちょっとは出来る。食事の量とか質とか」
「食べ方で変わるの?」
シルバの背で、ヒイロが不思議そうに首を傾げた。
「マナーの話じゃないぞ。野菜とか魚も食えって話だ。体力が付く。免疫力も上がる。バランスを保て。それだけでも、肉ばっかり食ってる連中とは違う伸び方になるはずだ」
「ボク、強くなれるかな」
ヒイロの問いに、シルバは即答した。
「なれるよ。お前は頑張ってる」
「せめて一回でも勝ちたいからね」
「おいおい、いつものヒイロはどこに行ったんだ? どうせやるなら優勝だろ」
「うん」
何だかヒイロは嬉しそうだった。
「さて」
シルバ達は行き止まりに来た。
正確には、目の前にはうっすらと湯気の上がる小さな温泉がある。
……湯の奥に、人が一人は入れそうな穴があるのを、シルバは見つけた。
その時だ。
(シルバ殿ー!!)
精神共有を通じて、絶叫が響いてきた。
「キキョウさんだね」
「ああ。騒々しいなお前は」
どうやら、精神共有を妨げる水晶の通路も抜けられたらしい。
これなら最低限、連絡だけは取る事が出来そうだ。
(シルバ殿!? どこにいるのだ!?)
シルバは、キキョウの声の強さから大体の位置を察した。
それほど高くもない、天井を見上げる。
「多分、お前の足下だよ。しばらくしたらヒイロと一緒に合流するから待ってろ」
(ヒ、ヒイロと一緒!?)
「心配しなくても、二人とも無事だよ」
「ちょっと足挫いて、背負われちゃってるけど」
(なーーーーーっ!?)
何故か、キキョウの動転した声が響いた。
三十分後。
湯の底を抜けてキキョウらと合流したシルバ達は、そのまま洞窟温泉を出て、村長の家に向かった。
村長代理であるアブに頼んで周辺の村に連絡を入れ、残っている冒険者達で雑鬼の掃討と財宝の回収を手伝ってもらう。
すべてが終わると、もう晩飯の時間になっていた。
という訳で『月見荘』の酒場部分で、シルバは皆に改めて今回の事件を説明した。
黒い影というのは要するに、雑鬼であった事。
そのボスが何やら知恵を付けていたが、その原因も明らかになった事。
「……つまり、雑鬼の連中は炭鉱跡から何やら頭のよくなるアイテムを手に入れていたと」
キキョウの問いに、シルバは頷く。
「ま、そういう事」
「ちえの実?」
リフが首を傾げる。
「じゃあ、ないな。それにしても女神像といい今回のカードといい、ノワの守備範囲も中々に広い」
「とにかく今回の一件が片付いた事で、周辺の村を襲っていた雑鬼達の退治も、終わったって事だね」
「よ、よかったです……」
カナリーが赤ワインを傾け、タイランも分厚い篭手を合わせてホッとする。
「それはともかくシルバ殿」
猪肉のステーキにナイフを入れながら、キキョウがシルバを見据えた。
正確には、シルバのすぐ隣だ。
「……うん?」
「やたらヒイロが懐いているようだが、何があったのだ?」
シルバの隣の席には、ヒイロが座っていた。彼女の前には、山盛りの肉……と、大量の野菜といっぱいの魚料理が並んでいる。
キキョウは、シルバとヒイロの席が、他の席より近い事が何だか気になっているようだった。
「いや、俺は特に何もしてないぞ……してないはずだ」
「先輩先輩」
ヒイロがシルバの袖を引いた。
「何だよ、ヒイロ」
「あの時の件は、もうちょっと内緒ね。恥ずかしいから」
恥ずかしそうに笑いながらヒイロが言う。
おそらく、村で一番弱いという事や、村を出た理由の事だろう。
「あ、うん」
シルバは思わず頷いた。
しかし。
「「!?」」
聞く者が聞けば、誤解を与える発言だった。
特に反応したのは、ぶわっと尻尾の毛を逆立てたキキョウと目の紅みを増したカナリーだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て、ヒイロ、シルバ殿! 何があったか詳しく聞かせるのだ!」
「シ、シルバ! まさか君、彼女が足を挫いているのをいい事に、何やら不埒な事をしたんじゃないだろうね!?」
「俺を何だと思ってるんだお前らは!?」
「にぃ……お魚あげる」
一方リフは、シルバの身体を挟んで反対側にいるヒイロに、焼き魚料理を提供していた。
「うん、あんがとね、リフちゃん」
反対側からは、一番ヒイロと長い付き合いになるタイランが、心配そうにプチ修羅場なシルバ達とヒイロを交互に見やる。
「……あ、あの、駄目ですよ、ヒイロ? ああいう言い方だと、揉めるんですから」
「はーい」
「見てないで助けろよ、ヒイロ!?」
たまらずシルバは叫んだ。
「え、いいの?」
「……やっぱいい。余計揉める」
諦めるシルバであった。
※ちなみにヒイロの幼馴染みは男です。