「……いじょうぶか?」
暗闇の奥から、声が聞こえた。
身体が揺すぶられる感覚……しかし、全身の痛みが強すぎて、自力で動く事も出来ない。
かろうじて浮かび上がった意識が、まだ自分が死んでいない事を自覚する。
「うぁ……」
薄靄に包まれた、曇り空が目に入る。
……コラン・ハーヴェスタは、口から水を吐き出した。
「お、生きてて何より。もうすぐ冬だっていうこんな時期に水泳なんて無謀過ぎるぜ、オッサン」
自分の顔を覗き込んでいるのは、目元まで髪が伸びた青年だ。骨格から考えて、かなりの長身のようだ。
状況を把握する。
どうやら、追ってから逃げ延びる事は出来たようだが、川に落ちた所から意識がない。
四十代も半ば、運動不足で痩せた壮年の学者に、全力疾走後の水泳は無理が過ぎたらしい。
川を流れたという事は……いや、煉瓦造りの立派な建物群が見えるという事は、ここはまだシトラン共和国から出ていない。外れにある港なのだろう。
長髪普段着の青年が竿を持っている点から察すると、おそらく朝釣りをしていた所を、自分は拾われたのではないだろうか。
青年は、コランの都合に構わず喋り続ける。
「多分事件なんだろうけど、警察ならあっちな。いや、そもそも動けそうにねーな」
街の方を指さし、ようやくコランの全身に作られた切り傷に気付いたようだ。
「よし、祈れ」
青年が、奇妙な事を言い、コランは戸惑った。
「……祈れ?」
「ああ」
「……僕は……ウメ教徒なのですが」
今更神頼み……いや、ウメ様を頼るというのも、どうかとコランは思う。
ウメ教はナグルという聖者によって広められた、死生観を主に伝えられる東方の宗教だ。西方に広まるゴドー聖教ほど圧倒的ではないが、それでも信者の数は相当に多い。
ちなみにウメとは悟りを開いた者を指し、祈る事で御利益を授かる事が出来る。
……が、ここではまだ医者を呼んでくれた方がいい。
コランも確かにそれなりのウメ信者だが、こういう点では現実主義者だ。
ふむ、と青年は唸った。
「余所の神様、というかウメ様か。いやまあいいや。とりあえず今、アンタの信仰してる宗教の主役は寝過ごしてるみたいだから、俺を祈れ」
「……え?」
「だから、祈るんだよ。俺を。口聞くのもキツイみたいだから、ほれ拝め」
青年はコランの両手を合わせ、強引に指同士を絡めた。
「……こ、こうですか」
戸惑いながら、コランは目を瞑り、名も知らぬ青年に祈りを捧げた。
どうか、助けて下さい。
「はい、おっけ」
その言葉と同時に、不意に身体が軽くなった。
「あ……な、治った」
ガバッと身体を起こす。
全身の傷どころか、これまでの逃走での疲労すら消えていた。
白髪交じりの髪も、口ひげも、コートもとにかく全身水浸しなのは気持ちが悪いが、活力だけは充分な睡眠を取った翌日の朝のように、満たされている。
「そりゃ治るさ。そういうモンだ」
「あ、貴方は一体……」
祈りの形式は、ゴドー聖教のモノだった。
かつて弟子だった者が、敬虔なゴドー聖教信者だったので、それは知っている。
しかし、こんな治癒方法はコランは知らない。……いや、自分が無知なだけかもしれないが。
青年は、パタパタと手を振った。そして一緒に流れていたらしい自分の鞄を、コランに押しつける。
「通りすがりの釣り人だ。忘れていいぜ。それよりさっさと行った行った。オレは揉め事嫌いなんだよ」
「す、すみません……ありがとうございました。このお礼は必ず……」
「名前も知らない。どこの誰かも知らない。そういう相手にその台詞は不誠実だぜ。大体くっちゃべってる暇があるのか? 何だか追われているんだろう?」
「そ、そうでした……! す、すみませんが、僕はこれで」
「はいはい」
ペコペコと頭を下げるずぶ濡れ学者と、釣り竿を持った長身長髪の青年はそこで別れようとした。
「そうはいきませんよ」
港に響くその声に、二人の動きは止まった。
「!?」
声の方に振り向くと、そこには二十代半ばの、コートを羽織った青年が立っていた。
コランがかつてサフォイア連合国に属していた頃に第一助手だった、リュウ・リッチーという青年だ。
そしてその背後には、四人の人型をした精霊が控えていた。
赤、青、黄、緑の燐光に包まれている――コランの見たところ、それぞれ、火、水、土、風の精霊だ。
昨夜、自分を襲った緑が風の精霊だった事も、それを裏付けている。その瞳に、感情の色は一切ない。
リュウのただでさえ細い目が、すうっと糸目に変わった。口元をニヤニヤと半月状にして、話し始める。
「手間を掛けさせないでください、先生。見苦しいですよ? 貴方もサフォイアの国民、そしてサフィーンの民であるのなら、潔く捕まるべきです。自分の研究で人の命を奪う。それは確かに心苦しいでしょう。しかし、精霊の意志一つと何百何千の兵士の命を天秤に掛けるなら、どちらを取るかなんて自明の理でしょう」
「……はー、これはまたベラベラとよく喋る奴だなー」
呆れたように呟いたのは、長髪の青年だ。
「先生とか呼ばれるって事は、アンタ教師か何かか?」
ボリボリと頭を掻きながら、コランに尋ねてくる。
「え、ええ、まあ」
「言っちゃ何だけど、育て方が悪いとしか思えねーぞ、ありゃ」
「僕の人を見る目がなかったって事ですね」
その点は本当に残念なコランであった。
「猫かぶってたのかも知れないけど、それでも節穴って言わざるを得ないな」
青年のコメントは辛辣だが、思い返せば図星以外の何物でもないので、コランは反論のしようがなかった。
その間もリュウの言葉は長々と続いていた。
「正直先生には失望しています。せっかく私が、より高い地位に就けるようにと尽力してあげたというのに、逆恨みも甚だしいですよ。はぁ……やれやれ。これ以上私に先生を軽蔑させないようにするには選択肢は三つしかありませんよ? 『彼女』の行方を教えるか、先生がサフォイアに戻るか、研究資料を全部私に渡して下さい。そうすれば、最低でも先生の研究を引き継ぐ事が出来ますからね」
「お断りしますよ、リュウ君。僕は君のように娘を売るつもりはないし、その研究をこのまま、これ以上続けるつもりはありません」
コランは、リュウの後ろに控える精霊を指さした。
「そうですか……はぁ……しょうがないですね。先生の我が侭に付き合うだけ、時間が無駄に過ぎていくんですよ。こうなったら、力尽くで拘束させていただきます」
溜息をつきながら、リュウが片手を上げた。
滑るような動きで四色の精霊達が飛翔し、コランに襲いかかる。
その時、ひょいと青年が一歩進み出て、無造作に拳を突き出した。
「よっと」
黄金の拳骨状をしたエネルギー塊が、空中を舞う精霊達に迫る。
「っ!?」
コランが仰天する中、精霊達はギリギリその攻撃を回避した。
未知の敵を相手に、リュウにどうするべきかの判断を仰ぐ為か、空中で停滞する。
「……へえ、あのガキ、またちょっと力をつけたな」
青年は自分の拳を見つめ、感心したように呟いた。
目を細めたまま、リュウは青年をにらんだ。
「どちら様ですか? 安っぽい正義感で動いているようですが、私と先生、どちらが正しいか、理解出来ていないでしょう? これは先生と私の問題です。部外者は口を挟まないでくれますか?」
「あ、危ないです! アレは……おそらく量産型とはいえ、ただの精霊じゃないんです。早く逃げて下さい!」
いくらここがシトラン共和国――世界中の情報の集約地点であり、最も近代的、精霊の力の弱い国であっても、それでもリュウの率いる人工精霊達は破格の性能を誇る。
それは、かつて自分が作ったモノだからこそ、分かる事だ。
しかし青年は構わず、二人の間に割って入ったまま動かなかった。
「いや、うん、オレはアンタらの事情は理解してない。そりゃ確かだ。けど、どっちが気にくわないかはよく分かっているつもりだぜ」
「今の術……{神拳/パニシャ}ですね」
「ああ、昔知り合ったガキから奪った攻撃力でね。まあオレ、祝福系はこういうのしか取り柄がないんだけど」
他の術は封印してるし、この辺信者少ないしねー、とよく分からない事を言う。
「……ゴドー聖教の信徒ですね。しかし、あの程度の攻撃で、私の研究を倒せると思っているなら、浅はかとしか言いようがありませんよ? 軽挙妄動は慎むべきですね」
リュウは顎をしゃくった。
「先生は逃げられないように、ほどほどに痛めつけてしまいなさい。もう一人は邪魔なので『排除』しましょう」
「――了解」
精霊達が同時に応え、リュウは自信に満ちた表情で、手を高らかに挙げた。
「{豪拳/コングル}、それに{加速/スパーダ}」
味方を強化する青い聖光が四体の精霊を包み込み――不意にその光が消失した。
「!?」
初めて、リュウの目が見開かれた。
それはコランも同様で、青年の肩がクックッと笑いに震えていた。
「……何を、したんですか。{封声/チャック}ではなさそうですが……」
「教える義理があるのかい? ったく、ウチの信者のくせに、ロクでもないな。言っておくけど……んん……ああ、うん」
青年は空を見上げたかと思うと、まるで何か啓示でも受けているかのように、何度か頷きを繰り返した。
そして、改めてリュウを見た。
「リュウ・リッチー。サフォイア連合の精霊学者。寄付もそれなりに、ゴドー聖教の敬虔な信者ではあるみたいだが、世話になった師匠を売った動機は、嫉妬と強欲。それから生来から傲慢と、こうこられるとオレも黙っていられねー。お前の祈りはここから全部キャンセルな」
「意味の分からない事を、言わないでもらえますか? トリックを弄して全能の神を気取るなんて、それこそ神に対する傲慢ですよ」
「当たらずといえど遠からず、だな。コラン・ハーヴェスタ先生よ」
「は、はい!?」
突然、足下が頼りなくなる。
「う、わ……」
見ると、自分の足が地面からわずかに離れていた。
犯人は――目の前の青年だ。同じように、彼も足下が軽く宙に浮いていた。
「せっかくだしアイツら、新しい魔法の練習相手にさせてもらうぜ。先生も、胸の部分にある核だけ気をつければ、死なないから安心していい。『あたり判定』はそれだ。ただ、地面や壁に当たるなよ。そっちの方がやばいから」
「貴方は一体何者ですか!」
「聞けば全部教えてもらえると思うなら、世間を舐めてるとしか思えねーな。まあいいや。名前はシルバ・ロックール。職業は――魔法使いだ」
四体の人工精霊達は自律型ではなく、基本的にリュウの指示によって動く。
絶対的な命令遵守はある意味、彼女達の姉に当たる試作型人工精霊タイランの『感情』という弱みがないという長所となる。
しかも各精霊の火力は一体ずつでも相当に強力であり、人間一人どころかこの都市の一区画でもほんの数秒もあれば壊滅する事が可能だ。
しかし、問題点がない訳ではない。
一つはまさしくその自律型でないという点。彼女達はリュウの指示に従う分、コランの娘である人工精霊タイランのような『自分での判断』が難しい。
代案としてリュウがもしも精神共有が使える司祭ならば、かなりの脅威となっていただろう。だが、彼は精神共有が使えなかったし、もしも習得していても長髪の青年が言った通り、現在何故か使用は不可能であった。
二つ目として、彼女達は属性が明らかであるという点。これでは精霊にわずかでも詳しい者ならば、彼女達一体一体の攻撃方法と弱点が自ずと読めてしまう。しかもウチの一体は地属性であり、宙に浮いている青年やコランには、有効な攻撃が限られてしまっていた。
ましてや、シルバは『魔法』によって、ただですら空戦のエキスパートと化している。いくら精霊達が空を飛べると言っても、それらはあくまで空『も』飛べる程度であって、空『を』駆け抜ける青年との性能さは明らかであった。
だが、シルバは一切容赦しなかった。
速度を二段階上げて更に機動力を高め、指先から放たれた波動は彼女達の身体をまとめて貫通し、幻影が四体出現し本体と同じ攻撃を模倣した挙句、正面からの攻撃は魔力障壁によって完全に防御する。ついでに地上のリュウにも魔力弾で爆撃するという徹底ぶりであり。
――要するにフルボッコであった。
ちなみにリュウ達はまとめて、川に叩き落とされた為、捨て台詞の一つも吐けないまま、下流へと流されていった。
「火の精霊の娘が死なない事を祈る」
ナムアミダブツ、と世界観と宗教を完璧に無視した祈りを捧げるシルバであった。
それを見守っていたコランの身体が、フッと重くなった。
緩やかに地面に着陸する。どうやら『魔法』が解けたようだ。
「あ、ありがとうございました」
コランは、何十歳も年下の青年に、頭を下げた。
「いいさ、別に。オレもアイツが気にくわなかったからな。ところで先生、この国で美味い飯屋知らね?」
シルバの妙な質問に、コランは戸惑った。
「ご、ご飯ですか?」
「うん、ウチの信者少ないから修業には打ってつけだし、何より情報に関しては最先端なんだが、とにかく飯がまずくてなー」
シルバは腕を組み、唸った。
「……何でレシピの数は世界一なのに、あんなにまずく飯が作れるんだここの連中。グルメ雑誌なんてモンもあったけど、記者の舌がこの国基準なモンだから、ロクでもねえ。いっそ、自分で作った方がマシだっつーの」
「……ああ、ちょっと分かります。それで釣りをしてたんですね」
シルバの釣り竿に、納得のいったコランであった。
何かお礼になる情報を……と考え、コランは思いついた。
「それでしたら昨日飛び込んだ、『{門懲庵/もんごりあん}』という酒場は悪くありませんでしたよ。羊の焼き肉が名物なのですが」
「旨いモノなら何でもいい。よし、感謝だ。礼に何かして欲しい事はあるか?」
「い、いえ、助けてもらっただけで、僕は充分なんですが……」
むしろ、アレだけの事をしてくれた礼が、飯屋の情報一つでは、コランの方が申し訳ない気分になっていた。
「遠慮する事ねえのに」
そう言われると……コランとしては、気になる事を聞いてみる事にした。
「じゃ、じゃあ一つ……シルバさんが使ったような魔法、見た事も聞いた事がないんですが、どこで学んだんですか?」
一応、コランは錬金術師であり、魔法に関しても一通りの知識はある。
だが、シルバの使う『魔法』は明らかに、従来の魔法とは異なる未知のモノだ。学者としての知的好奇心が刺激されるのも、仕方がない。
その問いに、シルバは苦笑した。
「知識を求めるか。学者らしいな。まあいいや。学んだのは、強いて言えば我流。見た事も聞いた事もないのは、そりゃ本物の『魔法』だからな」
「その言い方だと、まるでこの世界にある魔法が偽物みたいですが」
「あ、違う違う。この世界で一般に使われてる魔法はあくまで、この世界の法則で成立してて、使いやすいように体系づけられてるけど、オレが学んでるのは別の世界の『法則』そのモノを引っ張ってきてるって事。得体の知れない『魔』の『法』則。そういう意味での『魔法』。さっきの『魔法』は見た通り、空を飛ぶ事に特化してる……というか、飛んでるのが当たり前の世界の法則を引っ張ってきたんだ。あそこの世界の住人はほとんど誰でも飛び道具を撃てる。モノによっては時間を緩やかに変えたり、何故かマッチョになれたりもするらしい」
「きょ、興味深いですね……」
シルバは他にもコランに『魔法』の話をしてくれた。
白兵戦に特化した『魔法』は、多数の敵を強制的に一対一の状況に持って行ってしまう。敵の大将を標的に使うと効果は絶大。ただし、相手と二度勝負しなければならないのが傷という、使いづらい『魔法』だ。シルバは以前この『魔法』を応用して、一人の少年の生命を救った事がある。
他にも飢え死にしかけたところを助けてくれた、青年の血縁者である少女に一生飢えないで済む『パックマ』という『魔法』を施した事もある。ただ、生物以外の触れたモノがすべて食べ物になる『魔法』なので、現在本人は難儀しているという。
その『魔法』を解く方法を考えるのも、シルバの修業の大きな課題であるらしい。
シルバ本人としては、戦闘以外の『魔法』を多く習得したいらしいが、なかなか難しいようだ。
「熱心なのはいいけど、あんまり長話はしてられないだろ? あんにゃろ、じきに援軍を呼んでくるだろうし」
熱心にメモを取っていたコランだったが、確かにシルバの言う通りだった。
「そ、そうですね。あ、いやしかし、貴方はどうするんですか?」
「オレがやられると思うか?」
「……思えません」
国の軍隊一つ持ってきても怪しいモノだった。
「だろ? 逃げるなら、ルベラントに行きな。あそこにはオレの知人がいる」
「知人?」
「手下みたいなモンかな。オレほどじゃないけど、ま、余所の国の学者程度なら退けられるだろ。これ、そいつんちの地図な」
シルバは懐から折り曲げたメモを取り出した。
コランがそれを広げると、どうやらルベラントの首都の地図らしい。中央の建物に赤い印があった。
「……国のど真ん中で、しかも、ものすごく広いんですけど」
「ああ、うん、大聖堂に住んでるだからな」
「教皇猊下じゃないですかそれ!?」
ルベラント聖王国の、実質トップの人である。
目の前の青年は、その人を手下だという。
「細かい事気にするなよ。連絡はオレの方からしとく。ちゃんと守ってくれるから安心しろ。それとこれも、護身用に持って行きな」
言って、シルバが差し出したのは、火打ち式ではない変わった形の銃だった。
受け取り眺めてみると、中央に蓮根のような機巧が施された、短い銃だ。それほど重くもない。
「な、何から何まで……」
「困ってる人間がいたら助ける。これ、ゴドー聖教の教義だ」
ん、とシルバは自分で言って、首を傾げた。
「というか、人として当たり前だよな、これ?」
「そ、そうかもしれませんが……いや、しかし僕は、銃を撃った事なんて……」
「ないんなら、練習しろよ。男なら、自分の身ぐらい自分で守れるようになれ。その銃なら弾なも心配いらねー。自分に視界の外で引き金を引けば、何度でもリロード出来るからな」
「あ、も、もしかしてこれも『魔法』の……!?」
そう思うと、コランは手の中の銃が恐ろしく貴重なモノに思えてきた。
「ああ。ただし、吟遊詩人の語る物語みたいに、後ろの敵を撃ったりは出来ないから気を付けろ。単にリロードされるだけだ。撃てるのはあくまで視界内の相手だけだ」
「……そんな、見えないところの敵を撃つなんて冗談みたいな真似、やろうと思っても出来ませんよ」
「そうでもないさ。例えば土壇場で、精神共有経由で仲間の視界を借りて背後の敵を撃とうなんて思いつきそうな阿呆なら一人、心当たりがある」
それから二人ははたと、我に返った。
長話が過ぎた。
「ま、とにかく今度こそお別れだ。達者でな先生」
「え、ええ。シルバさんもお元気で」
握手をし、鞄を持った壮年の学者と、釣り人の青年は逆方向に踵を返した。
「あ」
数歩歩いて、コランは振り返った。
その声に、シルバも首だけ斜め後ろに向ける。
「何だよ」
「どうして、『魔法』を学んでいるのか聞くのを忘れてました」
「そんなモン……世界を守る為に決まってるだろ。今んトコ、こっちの可能性を伸ばせるのは、この世界でオレぐらいのモンだからな。詳しい話は、ウチの教団にいるストアって白い女に聞いてみな」
その名前を覚え、今度こそコランは歩き出した。
次第に早足になり、港から煉瓦造りの街中へと駆け出す。
いくら、ルベラントに安全な場所を用意してくれたとはいえ、そこまでは自分で道を切り拓かなければならない。
今はどこにいるかも分からない娘・タイランと再会する為にも、コランは生き延びなければならないのだ。
「……釣りをする気分じゃなくなったな」
コラン・ハーヴェスタと別れた青年、シルバ・ロックールはノンビリ歩きながら呟いた。
ちなみにこの名前は偽名であり、本当の名前はちゃんとある。
がしかし、その名は神と同名であり、名乗れば大抵笑われるので、人と交わる時はいつも、違う名前を使う事にしているのだ。
今回は、リュウ・リッチーがゴドー聖教の信者だったので、たまたま頭に浮かんだ子供の名前を使わせてもらったに過ぎない。
しかし、うっかり使ってしまった名前が、マズイ事に彼は気付いていた。
「うっし、じゃあ教皇にナシつけて、ついでに{本物/シルバ}にも伝えておいてやろう。……ひょっとしたら、とばっちりが行くかも知れないからな」
ルベラント連合国から、現在シルバが司教であるストア・カプリスと一緒にいる辺境都市アーミゼストまでは遠い。
まず大丈夫だとは思うが、万が一という事もある。
何よりリュウ・リッチーという青年は、執念深そうだった。
幸い、このシトラン共和国は、情報の発信方法には困らない。
ゴドー聖教の教会に行って、精神共有伝達を使うもよし、精霊便に手紙を託すもよし、水晶通信を使うもよしだ。
あとはシルバ自身の身の振り方だ。
この国に留まっていると、また例のリュウ・リッチー、いや、背後にサフォイア連合国がいる事を考えると、下手をすると大事になってしまう。
別の土地に移動するのがいいだろう。
荷物と言えば、宿の置いてある{革袋/リュック}程度だ。
飯を食ったら、出るとしよう。
どこに向かおうか……。
「今度は東方にでもいくかね……久しぶりに、ナグルの面も拝みたいし」
※何だかやりたい放題な話になってしまいましたが、今回はここまで。
次回は温泉の方に移りたいと思います。
キキョウとカナリーの件を、何とかせにゃー。
この人の『魔法』は要するに、余所のジャンル(法則)をこのRPG風味な世界に強引に引っ張ってくるという酷いモノです。
……本物のシルバ達が使うと、迷宮探索の話が確実に崩壊するのでまず無理です。例えば『ディグダ』『ドリラン』の『魔法』というのがありまして以下略。