クスノハ遺跡の事件から、明けて一日。
昏睡状態にあるシルバは、教会付属の治療院の一室に置かれる事となった。
昼前のこの時間、世話役の助祭がいなくなり、部屋にいるのは眠っているシルバを除くとキキョウとタイランだけとなった。
ベッドからやや離れた位置で、二人は真剣な検討を開始した。
「や、やはり着替えも持ってくるべきなのだろうか」
キキョウが緊張気味に切り出す。
シルバの今の服装は、治療院の患者用服である。
タイランもそれを見て、首を振った。
「あ、あの……基本的に寝たきりですし、その類は教会の方で、用意してくれるかと思います……」
「で、では、身の回り品も!?」
「は、はい。何より、シルバさん自身、教会の人間ですし……大抵のモノはそちらで、何とかなっちゃうのではないかと……」
「……何と言う事だ」
シルバの部屋に入る機会を失い、ショックを受けるキキョウだった。
「……おまけに意識がない状態故、食事の世話も出来ぬし」
つまるところ、パッと思いつく身の回りの世話はほとんど出来ないのが、キキョウとしては痛い所であった。
「は、はい。あとは、その……下の世話とか」
「ぬ、ぬうっ……それは……っ!?」
遠慮がちに言うタイランに、キキョウは赤面する。
「それに、お風呂でしょうか。……リフちゃんのお父さんも、霊泉の類はいいって言ってましたし」
「む、それなら某達にも、何とかなるか?」
キキョウの声が明るくなる。
風呂に入れるのは難しいかも知れないが、身体を拭く事ぐらいは出来そうだ。
「そ、そちらは私が何とか出来ると思います。ほら、水の精霊にお願いするのは得意ですし……魔法と言うほどではありませんから、清潔に保てます……もちろん、教会の許可は必要ですけど……」
確かに、その素性が精霊である事を晒したタイランは、そういう方面にはうってつけだ。いや、むしろキキョウが手を出すと邪魔になる可能性すらある。
「そ、某は無力だ……!」
ガクリと跪き、両手を床に付けるキキョウだった。慌てたのはタイランだった。
「い、いえ、待って下さい、キキョウさん! ま、まだ、結論を出すのは早いです! そ、そう! 身体! 身体です!」
「からだ……?」
「は、はい。一週間も寝っぱなしだと、どうしても身体が衰えてしまいます。それをどうにかしないと……」
「マ、マッサージとか……?」
「でも、構いませんし、もしくは私達の知らない、もっと効率のいい方法とか、その、ご存じないですか?」
「…………」
少し考え、キキョウは顔を上げた。
「……ある」
そして午後、キキョウが訪れたのは、アーミゼストの北部、グラスポート温泉街にほど近い所にある、小さな整体兼鍼灸院だった。
「で、ウチに来た訳か」
キキョウから事情を聞いた黒髪白衣の女医は、足を組んだままタバコを吹かした。
名前をセーラ・ムワンという。極東ジェントの出身で、キキョウがこの地に居着いてから知り合った女性である。
「うむ。よろしく頼む」
キキョウは頭を下げた。
「いいだろう。他ならないキキョウの頼みだ。私もやぶさかではない」
「では」
「うん」
「某に按摩を教えてくれるのか」
「按摩舐めんな」
セーラはキキョウにスリッパを投げつけた。
「……というわけで、私の知人でマッサージ師のセーラ・ムワンだ」
顔にスリッパの後を付けたまま、キキョウはタイランに女医を紹介した。
「よろしく。針と灸と按摩、それに整体が仕事でね。力になれると思う」
セーラはタイランのごつい鋼製の手を握った。
「よ、よろしくお願いします……あの、ここは禁煙で」
「心配いらんよ。ほら、火は点いていない」
「あ……し、失礼しました」
気にしてない、とセーラは首を振った。
教会の方には既に話を通してある。
彼女としてはシルバに針を用いるつもりでいた。肉体の衰弱を防ぐツボには、心得があるのだ。
「それからキキョウ」
診察道具を広げながら、セーラは言う。
「む?」
セーラの親指が、眠りっぱなしのシルバを指した。
「お前は普通にコイツを見守っていればいい。無理に何かをするだけが看病ではないぞ」
「う、うむ」
「……起きるまで徹夜をする必要もないからな」
「ぬう……何故それをっ!?」
そんな感じで、一週間の世話は始まった。
一方、カナリーは都市を出て、再びクスノハ遺跡を訪れていた。
オレンジ色の太陽が地平線に沈んでいくのを確かめ、穴の縁に停車した馬車の中で居眠りをしていたカナリーは、大きく腕を伸ばして起き上がった。
「さて……やっと本調子が出てきたかな。ヴァーミィ、セルシア。始めよう」
カナリーは二人を引き連れて、クレーンに据えられた広い足場に乗った。
「まずはモンブランシリーズの回収。何か設計図があるといいんだけど」
重い作動音と共に、足場は巨大な穴へと下がっていく。
いざ、探索の開始だ。
霊獣が大暴れした事もあり、天井が崩れた実験場は瓦礫の山に半ば埋もれていた。
無事な床を歩きながら、カナリーはガラクタの山を漁っていく。
吸血鬼であるカナリーには、夜の闇などないに等しい。
「ふん、四号の精霊炉か。もしかしたら、タイランのパワーアップに使えるかも知れない。いいね。ま、さすがに八号のは完全に破壊されているのはしょうがないか……」
セルシアに合図を送る。
彼女は頷き、一抱えほどもある炉を持ち上げ、クレーンの方に運搬していった。
それを見送り、カナリーは都市の方角に視線をやる。
「……こういう事には、ウチの連中はまったく無頓着だからな。僕が働くしかないね」
苦笑するカナリーに、今度は大きな巻物を抱えたヴァーミィが近付いてきた。
彼女に手伝わせながら、カナリーはそれを広げた。
「ふむ、炉の設計図か。ご苦労、ヴァーミィ。続けてくれ」
設計図を巻き直し、それもクレーンへと運んでいく。
「……ふん、あの老人、性格は問題だらけだったが、紛れもない天才だったようだね。実に興味深い」
運搬を済ませた従者達に、カナリーは勢いよく手を叩いた。
「さあ、あの老人の研究成果を洗いざらい回収するんだ、二人とも。置き去りにされた試作機の数々。霊獣を封じた檻。絶魔コーティングの残骸。まだまだたくさんあるぞ。それに、この遺跡そのモノにも興味が出てきているんだ。やるべき事は、結構あるぞ」
カナリーの遺跡探索は、夜通し行われる事になった。
早朝。
ヒイロはいつものように狩りの為、郊外の森にいた。
「ボクはもっと、強くならなきゃいけない!」
拳を突き上げ宣言するヒイロに、この狩り場で友人となった少女が笑みを浮かべながら拍手した。
クロエ・シュテルン。長い黒髪を後ろに束ね、黒のジャケットに黒のズボンと全身黒尽めの麗人だ。正直、目が覚めるような美少女である。とても狩りをするとは思えない格好だが、罠や弓の腕は確かなのを、ヒイロは知っていた。
本業は、都市内で何でも屋をやっているらしい。
「おー、それは立派な決心ですね。しかし具体的にはどうするつもりです?」
「うん、何よりこの魔法に対する弱さを何とかしたいと思う。ここは、魔法を食らいまくって食らいまくって、そこから回復するっていう超回復で、パワーアップしようと思うんだよ」
「あはは、主張はとても立派ですが、ヒイロ君はお馬鹿さんですね。超回復というのは、そういうモノじゃないんですよ?」
笑みを浮かべたまま罵倒するクロエに、ヒイロは本気で驚いた。
「違うの!?」
「違います」
「うわーっ! 駄目じゃん、ボク!」
「しかし、そこで私に頼ったのは間違いではありません。何とかするのはヒイロ君自身ですが、アドバイスぐらいは出来ますよ」
「ホント!?」
「はい。……まあ、シルバの考える事ならある程度トレースも出来ますしね」
ヒイロも仲良くなってから知った事だが、クロエはシルバやキキョウと交流があるのだという。
そのクロエが、ピッと指を立てた。
「最初に考えたのは絶魔コーティング鎧なんですが。ただし、恐ろしくお金が掛かりますよね」
「んー、それにアレでしょ。先輩の魔法の効果、なくなっちゃうんでしょ。それはちょっとねー」
「何より、ヒイロ君に鎧が似合いません」
「ははーっ。そりゃごもっとも」
動きにくい服装は苦手なヒイロであった。本来はそういう好き嫌いは戦士として問題なのだが、シルバはまるで構った様子がない。
「一番良いのは、魔法を避ける事なんですけど」
「……うーん、それなんだよね。ボク、飛び道具って何故か当たりに行っちゃう癖があって」
「何て嫌な癖なんでしょう」
クロエは苦笑するが、ヒイロにとっては割と深刻な悩みだった。
「どうやったら避けられるのかなぁ」
「避けなきゃいいんですよ」
「うん?」
「もっと体力つけて、魔法食らっても倒れなきゃいいんです。そのまま魔法使いぶっ飛ばせば、ヒイロ君の勝ちですよね」
綺麗な顔して、えらく乱暴な話をするクロエだった。
「そ、それは、アリなの?」
「人間なら、提案しないんですけどね。ヒイロ君の耐久力と回復力を見込んでの話ですよ。これの重要な点は、決してよろめいたり仰け反ったりしない事ですね。そして突進力。退かないというのは、敵にとってはそれだけで脅威です。もっとも、無駄にダメージを受け続ける必要はありません。避けなくても、受ければいいんです」
「……同じ事、言ってない?」
魔法を食らいまくる、というのは最初のヒイロの主張である。
「直接受ける必要はないと言っているんですよ。その大きな骨剣は、小柄なヒイロ君には充分な盾になります。微弱ながら魔力も帯びているんでしょう? それを活かさない手はありませんよ」
「あ」
傍らの大木に立てかけてある骨剣に、ヒイロは視線をやる。
なるほど、いつも武器として使ってきたが、盾として使うというのは考えた事がなかった。
「剣であり盾、というのはつまり切り替えが素早く楽ですよね。それともう一つあるんですけど……これはまあ、お財布と相談になります。ヒイロ君一人ではどうにもならないと思います。まずはより一層の足腰の鍛錬ですね」
「うん」
やるべき事は決まった。
方向性はあくまで『ひとまず』だが、反対する理由はない。何より戦士にとって足腰の鍛錬は益にこそなれ、決して不利益にはならない。
「それにしても、シルバの看病はいいんですか? 今、昏睡状態なんでしょう?」
骨剣を手に取るヒイロに、弓の準備を整えながらクロエは訊ねた。
「見舞いには昨日行ったよ。だけど、医術の心得もないボクがいたって、あんまり意味ないでしょ?」
言って、ヒイロはボリボリと頭を掻いた。
「……いやまあ、そりゃ先輩の容態は気になるけどさ、それはキキョウさんやタイランがいるし」
そして握った骨剣をぶん、と振った。
「ボクはパーティーの中で一番弱いし、今やらなきゃならないのは、少しでも強くなる事だと思うんだ」
この日、ヒイロは訓練を兼ねた狩りで三倍の距離を駆け回った。
霊道というモノがこの世には存在する。
それは大地に木の根のように広がっていたり、風の通り道となっており、精霊のみが使える高速の移動路だ。
霊道を使って山の長であるフィリオと息子である三匹、そして娘のリフがモース霊山へと帰還したのは、遺跡の事件から三日が経過していた。一般には、馬車で三週間ほど掛かる距離である。
高原を歩みながら、剣牙虎の霊獣王フィリオは愛娘を心配そうに見下ろした。
「考え直せ、姫。俗世はお前にはまだ、早すぎる」
「にぃ……うけた恩はかえす。霊獣の決まりでも神聖なもの。リフはお兄たちに恩がえししたい」
「それは品でどうにかする。我に任せるのだ」
「駄目。リフの気がすまない」
「ぬうぅ……あ、あの若造めぇ……!」
フィリオは唸り、遙か彼方にある辺境都市アーミゼストの方を睨んだ。
「決意は固いようですねぇ」
「そこが娘の長所であり同時に厄介な点で……って何で貴様がいるのだ魔女!?」
声の方を振り向くと、岩場に山羊の角と槍のような尻尾を生やした白髪の女性が腰掛けていた。
登山者らしい荷物も何もない、恐ろしいぐらいの軽装だ。
シルバの師、ストア・カプリスである。
「はい、お届け物に来ました。他の人では、ここまで何週間も掛かってしまいますから」
ストアはシレッと答えた。
「だ、だが、どうやってここまで。いくら貴様に羽があると言っても、限度があるだろう!?」
フィリオの問いに、ストアはたおやかに微笑む。
「まだ、この世界には生きている古代の転送装置があるんですよ。ウチの都市のすぐ傍にも」
ですからここの麓まではあっという間でした、と言いながらストアは小さくウインクした。
「内緒ですよ?」
「に……確か、お兄のせんせえ」
リフも、話した事はないが、面識はあった。
「はい。ストア・カプリスって言います。アーミゼストでは、司教を勤めてますよ」
「しってる」
「……人間の神がアバウトである、生きた証拠だ。よりにもよって貴様が神の僕だなど、ありえんだろう。どんな冗談だ」
フィリオは、獰猛な唸り声を上げた。
ストアは彼をスルーして、袖からポーションの瓶を取り出した。
「それはともかく、はい、リフちゃんにプレゼントです」
「にぃ……?」
「魔女、貴様!」
その薬の正体を悟り、フィリオは焦った。
だがストアはやはり構わず、もう一本、同じ瓶を取り出した。
「お父さんの分もありますよ?」
「何……!?」
「それと、この山の素材を使わせてもらえると、もうちょっと面白いモノが作れそうなんですけど、駄目でしょうか?」
ストアが、霊山で秘薬の材料やとあるアイテムを作成し、大量のお土産と共に都市に帰還したのは、シルバが目覚める前日となる。
「ん……」
薄ぼんやりとした視界に、木製の天井が見えた。それに消毒液の臭い。
シルバは、自分が教会が運営している治療院の病室で眠っていた事に気付いた。
どうやらあれから無事、運ばれたらしい。
上半身を起こしてみる。
時刻は昼下がりのようだ。
「……お、おはようございます」
ベッドの傍らの頑丈そうな鉄椅子に、巨大な甲冑が腰掛けていた。
「あー、タイラン……」
どうやら、看病してくれていたらしい。
更にその背後には、山と積まれた木箱の数々。
「って、何だこりゃっ!?」
「あ、こ、これは……その、お見舞いの品というか……カプリス先生が、モース霊山から帰るついでに、リフちゃんのお父様から渡されたそうで……」
お見舞いにしては、味も素っ気も無い木箱の山である。
「その……シルバさん宛の宅配便で、カプリス先生が、この部屋に指定されたそうです。先生曰く……と、とっても重いから、だったとかで……中身は、山の珍味とかそんなので……魔法で保存してあるから、せ、鮮度は大丈夫だとかおっしゃってました……」
「あーのー、先生はっ、たくーっ!」
せめて自宅に送ってくれよと思う、シルバだった。
「つか、何で先生がモース霊山に行ってたんだ……? タイミング的にも、出来すぎだろう?」
「さ、さあ……? 何だか野暮用とか言っていましたけど……」
その辺はタイランも知らないらしい。
それからふと、シルバは大事な事を思い出した。
「っと、そうだ。アレから何日経った?」
「あ……リフちゃんのお父様が言っていた通り、ちょうど一週間です」
「そうか」
シルバは頭を振り、意識を失う前の、遺跡でのやり取りを思い出した。
「あと、み、短い間でしたが……今まで、楽しかったです。これまでありがとうございました……」
あの台詞の真意を問いたださないとならない。
「んじゃ、まずはタイランの話だな。一週間、待たせて悪かった。俺の体内時計だとほとんど一瞬なんだけど」
「い、いえ……でも……」
タイランの口調は、躊躇いがちだ。
「やっぱり理由はアレか。このパーティーの、女人禁制ルール」
タイランはあの時、鎧の中からその正体を晒した。
{動く鎧/リビングメイル}というのも嘘だったわけだが、中身がああなっていたからなのだろう。
だからこそ、その正体が知られてしまい、パーティーから抜けるような事を言った。
そう、シルバは解釈していたが。
「そ、それも一つなんですけど……」
「ん? 違うのか?」
「い、いえ、それも重要です……!」
気になる発言だったが、シルバはひとまずパーティーの規則について話す事にした。
「あれはお前、前のパーティーみたいな事になるのが嫌だからって、そういう事情は知ってるだろ?」
「は、はい」
タイランが頷く。
シルバは、頭をガリガリと掻いた。
「なら、タイランは大丈夫だよ。確かに短い付き合いだけど、あんな自己中心的な事して、パーティーの人間関係をガタガタにしたりはしないだろ。それぐらいは分かる」
「で、でも、ルールは……」
「タイランさ、一週間あったわけだけど、その間に、ヒイロ達の意見は聞いたか?」
「は、はい……一応は。あとは、シルバさん待ちでした……」
「みんな、大丈夫だって言ってなかったか」
「……言ってました」
「だろうな。なら、そういう事だ。あの件を知ってるのは、俺達パーティーのメンバーと爺達、それに霊獣だけ。爺様達は事実上いない訳だし、問題なし」
シルバは両手を合わせ、顔をしかめた。
「何より、ここでお前、俺が駄目だって言ってみろ。パーティーから叩き出されるのは、間違いなく俺の方だぞ。この薄情者めって」
言わないけどな、と付け加える。
「あの時、お前が何とかしてくれなかったら、地上の連中はみんな危なかった。自分の正体晒してみんなの命を助けた恩人を追い出すなんて、人として出来る訳がないだろ」
そこまで言って、シルバはさっきのタイランの言葉を思い出した。
女人禁制ルールは、理由の一つ。
つまり。
「……別の問題があるみたいだな」
「は、はい……」
「もしかして、お前の正体に関わる事か?」
「そう、です……」
タイランの本体は、精霊だ。
しかもアレが、ただの精霊でなかった事は、シルバにも分かる。
一般的な水の精霊は霊獣クラスでもない限り空を飛んだりしないし、荒れ狂う霊獣を鎮めたり、その力を中和したりは出来たりしない。
「よかったら聞くぞ。これでも聖職者だ。秘密は守る事に掛けては、自信がある」
「…………」
タイランはしばらく躊躇った後、頷いた。
「……お話しします」
「うん」
「私の生まれは、サフォイア連合国です」
「あの爺さんと同じか。その割には名前がちょっと違うような感じだな」
タイラン、という名前は、シルバの印象ではもうちょっと東寄りのような気がするのだ。
「父が、東方のサフィーン出身なんです。名前はコラン・ハーベスタ。精霊の個人研究をしている錬金術師でした」
聞き覚えのある名前だった。確か、シルバの師、ストア・カプリスが一度、その名を呼んだ事があった。
「……そういえばあの爺さん、お前の父親の知人だって言ってたっけ。タイランの父さんも、やっぱり炉の研究をしてたのか?」
「はい。……ただ父の研究は、炉の器の方ではなく中身でした。いわゆる精霊石などエネルギーの素になる部分です。基本的に精霊炉は精霊石を動力源にしているんですけど……その、代替になるような精霊物質の精製が、父の行っていた事なんです」
自分の得意分野なのか、タイランの台詞はいつもより滑らかだ。
「……その過程で、生まれたのが人工精霊です」
しかし、その流暢な発言も、トーンがダウンしてしまう。
話の流れから、シルバも察した。
「この人工精霊には自我があって……つまり、それが私です」
やっぱりな、とシルバは思った。
「人の造った精霊か……」
人間が、精霊を生み出す。
そんな話は、これまで聞いた事がなかった。
しかもそれは自我を持っている。
言っちゃ何だが、これは大変な『発明』だ。しかもその性能は、子供とはいえ霊獣を相手にも引けを取らないと来ている。
「父は、私を隠しました。知人の女性の助言……だったそうですけど」
ふと、シルバの脳裏に閃くのは、白い上司だった。
「半年ぐらい前の話か……」
「え……ど、どうして、知っているんですか……?」
「いや? ただ『偶然』、先生が出張に行ってたのがその時期だったってだけの話」
前に研究室で話していたのは、その時の事なのだろう。
「ま、今は、そっちの話を進めようか」
「は、はい……サフォイアは、エネルギー関係の研究で最も進んでいる国です。もしも私の存在がバレたら、私は実験材料として、軍に引き渡される事になっていただろうと、父は言っていました。それで、私は自宅の地下で、ひっそりと父から色んな事を、教えてもらいました。言葉とか……音楽とか、お話とか……」
思い出しているのか、タイランは次第に涙声になってきていた。
「いい父親だったみたいだな」
「……はい。ですが、ある日、軍が踏み込んできて……」
「何でバレた。秘密にしてたんだろ?」
「父の助手が……私の存在に気付いて、売ったんです」
シルバは、眉をしかめた。
「……父は万が一の事を考えていてくれたんでしょう。パル帝国の重装鎧を改造した機械の身体を用意してくれていました。……それが、この身体です。動力は私自身、身体に負担の掛かりにくい小出力の炉の使用、魔法での探知を防ぐ為の何重もの封印と、絶魔コーティングが施されています」
タイランは一度言葉を句切ると、再び語り始める。
「……そして私と父は、バラバラに国から逃げました。父の行方は分かりません。この都市に入ったのは父の薦めで、比較的異種族が多いという話だったからです。まだ発展途上の都市でもあるし、サフォイアも情報が入手しにくいらしいですし……」
タイランの視線が、窓の外に向けられた。
「父がどこにいるか分からない以上、自分は待つしかありません」
そして、タイランは改めて、シルバを見た。
「……つまり、その、私は追われる身なんです。しかも……いつ追っ手が来るかも分かりません。本当に今更なんですが、みんなに迷惑が掛かるかも知れません。ですから……これ以上、一緒にいる訳にはいかない、と……」
タイランが、言葉を切った。
シルバは、深く考え込んでいた。
「あの……シ、シルバさん?」
「あ? ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「え……そんな……」
聞いてなかったのかと、タイランの声に失望が混じる。
だがシルバは頭を振って、
「いや、どうやったらお前と親父さん売った奴、殴れるかなってな。国一つ相手ってのは、なかなかなぁ……」
そんなトンデモナイ事を言った。
「……え?」
「やっぱり、もっと強くならないと駄目だな。いざって時、弱いままじゃ困る」
「何を言って……」
絶句するタイランを、シルバは見据えた。
「話聞いてみたら何だ、お前は何も悪くないじゃないか、タイラン。ウチにいる事には、何も問題ない」
「で、でもご迷惑じゃ……」
この期に及んでまだ遠慮するタイランに、シルバは一笑した。
「は! タイラン、分かってないな!」
そして、胸を張って断言した。
「仲間なんてのは、迷惑掛け合ってナンボのモンだ!」
「い、言い切りますか……!?」
「そして助け合ってこそだろ。ま、ノワみたいなのは絶対勘弁願いたいけどな……でもそれでもだ。ウチの他の連中にも同じ話してみろよ。多分、俺と同じ感想抱くはずだ。そんな事情で脱退なんて却下だ却下!」
そこまで言って、シルバは腕組みした。
「……いやまあ、何だ。タイランがどうしても、このパーティーが嫌だっつーなら、そりゃ、本人の意思尊重するしかないけどさ」
唸るように言うシルバに、タイランはぶるぶると何度も首を振った。
「……そ、そんな事、ありません。皆さんよくして頂いてて……そりゃ、別れたくないです……けど……」
それでも不安なのか、タイランの語尾はどんどんと、か細くなっていく。
「じゃあま、ひとまず、みんなの意見聞いてみないか? まず、大丈夫だと思うけど……」
そこで、シルバはドアがわずかに開いているのに気付いた。その向こうには、何やら気配が三つ。
「ああ、いや、必要なくなった」
「え?」
「んじゃまタイラン。ヒイロが来ないうちに、先生の土産物全部食べちまおーか」
わざとらしく言うと、病室のドアが大きく開いた。
「だめー!」
飛び込んできたのは、ヒイロだった。
「わ、こら、ヒイロ! 飛び込むんじゃない!」
続いて、それを制止しようとするキキョウ。
「先輩が起きるまで、おみやげ食べるの待ってたんだから!」
ヒイロはそのままモース霊山産、大量の食材の詰まった木箱にしがみつく。
「……ふわぁ……あふ」
昼間と言う事もあり、非常に眠そうなカナリーは、のんびりと二人の後についてきた。
「み、皆さん……」
どうやら、全員ドアの向こうで聞いていたらしい。
「盗み聞きとは趣味が悪いぞ、お前ら」
白い目を向けると、キキョウは尻尾をへにゃりと垂れながら小さくなった。
「や、す、すまぬ、シルバ殿。つい、入り辛くて……」
「でもま、とにかく聞いてたんなら、話は早い。今の事情を聞いた上で、タイランの脱退申請について皆さんは――」
「「「却下っ!!」」」
三人は一斉に答えた。
「……ノリいいな、お前ら」
期待通りに答えではあったが、ちょっと呆れるシルバだった。
「ふ……だがシルバ殿は、それを期待していたのだろう?」
「まあな。……とまあ、こういう訳だ。諦めろ、タイラン」
肩をすくめるシルバに、ホッとした、どこか湿っぽい声で、タイランは頷きを返した。
「……そ、その、では改めて……お、お世話になります」
ちなみにさっきの三人の返事だが、その大声に慌てて駆けつけてきたシスターからこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
朝の面会時間。
「シルバ殿……うわぁっ!?」
シルバの部屋を訪れたキキョウは、ひっくり返りそうになった。
ベッドの上には、狐面の男がいたのだ。
「よう」
仮面を外したその下には、シルバの顔があった。
「ビ、ビビ、ビックリした……シルバ殿が妖怪になったかと思ったぞ」
「……いや、つーかこの仮面なら、散々見てきただろうに」
「見てきても、病室で被られると普通は驚くに決まっているだろう! 一体、何をしていたのだ!」
「んー、いやぁ、単に被ってみただけだ。コイツにも世話になったしな」
「う、うむ」
キキョウの後ろから、ヒイロとカナリーが入ってきた。
「先輩先輩、その仮面、ボクが被ってもいい?」
「いいよ。ほら」
シルバは狐面をヒイロに渡した。
「わ、あんがと」
ヒイロは仮面を手に取り眺めると、自分の顔にはめた。
眠たげなカナリーはそれを眺め、シルバの方を向いた。
「……シルバ、ちょっと借りて僕が研究するのは駄目なのかい?」
「それはさすがに……っていうか、なあ?」
「う、うむ……あまり意味はないぞ、カナリー」
シルバにキキョウも同意する。
「何故だい? あんなスゴイ力を発する仮面なら、さぞや研究のし甲斐がありそうなモノじゃないか」
「その力なんだけどな、封印する事にした」
シルバの言葉に、カナリーは目を剥いた。
「何ぃ!?」
「ど、どうかしましたか……?」
花瓶の水の取り替えから戻ってきたタイランが、カナリーの大声に驚いた。
ベッドのシルバを取り囲むように、全員が椅子に座った。
「これに関しては、キキョウとも話し合ったんだ」
「うむ」
「僕とは話し合ってないぞ?」
足を組んだカナリーは不満そうだ。
「といっても元々、キキョウの力だしな。本来の権利はコイツにある」
「ほう」
「……その、好奇心に輝く目はやめてくれぬか、カナリー」
「ま、とにかくさ、あの力は今の俺の手には余る。という訳で封印って事なんだよ」
シルバが肩を竦め、外の風景を眺める。
「経緯を話してもいいけど、無茶苦茶長くなりそうでなぁ……どう整理したらいいモノやら」
「それは、ものすごく興味があるのだが……」
シルバは少し考え、
「よし、まとまった」
小さく頷いた。
そして、話し始める。
「要するに、キキョウは以前、恐ろしく強力な魔物を倒す為に、分不相応な力を発揮したんだよ。ただ、自分でも制御出来ないぐらいどうしようもない力でな。そのままだと死にそうだったんで、狐面に力だけを封じた。それがコレって訳だ」
シルバは、ヒイロが被る狐面を指差した。
「へぇー」
「……というか要約しすぎじゃないかい、シルバ。酷くはぐらかされた気分なんだが」
カナリーは、納得してないようだった。
シルバは困る。
「そんな事言ったって、まともに話すと本当に長くなりそうなんだよ。今はそこが本筋じゃないから勘弁してくれ」
「……ま、それは道理だ。いいだろう。その話はいずれ聞かせてもらうが」
「あの時は、本当にシルバ殿にご迷惑おかけした」
深々と頭を下げるキキョウに、シルバは軽く手を振った。
「だからそれはもういいって」
当時何があったのか分からないみんなを、キキョウは眺め回した。
「その際、シルバ殿には命まで救ってもらったのだ。右も左も分からぬ異国で、何から何まで世話になったという次第。特にシルバ殿には、感謝しても仕切れぬ恩があるのだよ」
「ふむ……」
カナリーが唸る。
構わず、シルバは話を補足した。
「で、この仮面に力を封じるのに、俺の魂代償にしちゃってるんで、ひとまず力は俺預かりになってる」
「待て、シルバ。今さらっと、とんでもない事を言わなかったか?」
「その時は非常事態で、しょうがなかったんだよ。他に手がなかったの。とにかくさ、その狐面に秘められた力は今のキキョウでも扱いきれない。俺だってこの有様だし」
「すごいのになぁ……」
ヒイロは狐面を外すと、改めて眺め回した。
それをチラッと見てから、カナリーはシルバに問い返す。
「すごいが、それでも封じると。やっぱりシルバ、君にデメリットが大きすぎるからかい?」
「それもあるけど……その、何というか、他にもいくつか理由があるかな」
んー、とシルバは腕を組んで、唸り声を上げた。
「やっぱり一番大きいのは、この狐面があるって事で、パーティーが弱くなるって点だな」
「……うん?」
カナリーには意味がよく分からなかったようだ。
シルバは言葉を継ぎ足した。
「いざとなれば、この狐面の力がある。その保証は、安心と同時に依存と慢心にも繋がる。使いこなせない力に頼るのはちょっとどうかと思うんだ。俺達は、冒険者としてもっと強くならなきゃいけない。それは危険に対する感性も含まれる。だから、仮面の力をアテにしちゃいけない。それで、使わなきゃいい、じゃなくて封じようって思ったんだ」
「最後の最後で、一か八かは無しって事かい」
「ああ、そうなる前に勝負を付けるのが理想だろ。でなきゃ、尻尾を巻いて逃げ延びるかだ。生きてさえいれば、次があるからな。分不相応な戦いは、もっと強いパーティーに任せればいい」
ふん、とカナリーは鼻を鳴らした。
「それ以前に、実力に見合わない危険に踏み込まないのが、一番だね」
うん、とシルバは頷いた。
「それに何より、目指すなら上だし」
「上?」
「や、最終的には、その仮面の力に勝てるぐらいのパーティーになりたいかなと」
「ちょっ……」
シルバのとんでもない発言に、タイランが絶句する。霊獣を鎮めた時点で、今のパーティーの中で最もその位置に自分が近いという事には、まるで気付いていない彼女だった。
一方で「いいねそれ」と笑ったのはヒイロだ。
シルバは、黙って話を聞いていたキキョウを見た。
「少なくとも、キキョウはあの高みに登り詰められるはずなんだ。本来は、キキョウ自身の力なんだし許容量があるのは間違いない」
「……うむ、精進しよう」
「他に理由は?」
カナリーの問いに、シルバはヒイロの持つ狐面を再び指差した。
「さっきの話と矛盾するようだけど、やっぱりこの仮面は切り札なんだ。強力な力が秘められている。いざという時のために取っておいて損はない」
「……んんー? 何だかよく分からないよ先輩」
「つまりシルバは、武器じゃなくてアイテムとして、何かの時に使いたいって言いたいんだよ。……もっとも、それがいつの事になるかは分からないけど」
首を傾げるヒイロに、カナリーが説明した。
「そういう事。だから、仮面の力は無駄遣いしたくない。――最後に、これは個人的な理由なんだけど」
一呼吸置いて、
「やっぱ、ああいう使い方は、俺らしくないと思うんだ」
シルバは言った。
「俺の仕事は、みんなを回復したり戦いの補助したりするのが本分だ。アレは何か違う」
シルバは言葉を選びながら、ガシガシと頭を掻いた。
「だからまあ、あの仮面の力を俺が完全に制御出来るぐらいになって、その上でいつものやり方が出来るようになれば……結構いい具合なんじゃないかと思うんだよ」
「某は面白いと思った。故に賛成したという次第だ。皆はどうだ?」
ふーむ、とカナリーは唸り、シルバに訊ねる事にした。
「その封印は、硬いのかい? いや、僕が言いたいのは、その仮面の力は今、漏れている分だけでも、その気になれば様々な効果を作り出す事が出来るという事なんだが……」
「その事も、キキョウと話したよ。未練は人を弱くする。だから一度封印をしたら、次に解くまではこれは単なる仮面になる。中に強力な力を秘めてはいるけどな」
「んじゃ、ボクは賛成」
ヒイロが大きく手を挙げた。
「仮面がみんなを弱くするっていう点に納得かな。つい頼りたくなりそうだし、ボクはそういうのはやだなぁ。ボクはもっと強くなりたいしね」
次に、タイランもおずおずと挙手する。
「わ、私は……シルバさんに無茶して欲しくありませんし……」
「僕も賛成でいい。効率の面から考えても、仮面を使うより僕達全体の実力の底上げが望ましいと思う」
最後に、カナリーも賛意を示した。
「じゃ、そういう事で決まりだな」
「うむ」
「んじゃま、ヒイロ仮面返して」
「うん」
仮面を取り戻したシルバは、それをベッドの上に置いた。
「でまあ、キキョウは俺の手に自分の手を乗せて」
「ぬ、ぬうっ!?」
真っ赤になって動揺するキキョウだった。しかし、その動作とは裏腹に何故か、尻尾はバッサバッサと揺れていた。
それに構わず、シルバは話を進める。
「いや、そうしないと封印出来ないから。お前の力でもあるんだし」
「そ、そそ、そうだな。で、では、失礼する」
「……いや、そんな緊張しなくても」
「き、きき、緊張などしておらぬ」
二つの手が仮面に重なり、二重の詠唱が病室に響き渡る。
――かくして狐面は、完全な封印を完了した。
シルバの退院は思った以上に早かった。
医師の診断で、数日後にはシルバは荷物をまとめて、外に出る事になった。
「……つーか、鍼と按摩すげえ」
ほとんど鈍っていない自分の身体の具合に、シルバは驚きを禁じ得ない。
「言っておくが、アレが一般だとは思わない事だぞ、シルバ殿。ムワン先生は、特殊なタイプだ」
「ああ、そう思っとく。あんなのがゴロゴロしてたら、こっちは商売あがったりだよ」
キキョウの言葉に、シルバは頷く。
その裾を、ヒイロが引っ張った。
「それよりも先輩、ご飯ご飯!」
何故か病室に運び込まれていたモース霊山産の食材の数々は、シルバが手配して別の場所に送っておいた。
もっか、ヒイロの興味はそれら山の幸である。
時刻は昼下がり。ヒイロの胃袋の昼食はとっくに消化済みだ。
「はいはい。他にもやる事いっぱいあるの、分かってるか、ヒイロ」
「むむ?」
「俺の方は、まず教会にちゃんとした報告が必要だし、例の龍魚を祀ってるっていう一派んトコから何か招待されてるんだろ? あそこにも行かなきゃならない。それに、武器や防具も新調したいしな」
「……ご飯はお預け?」
ヒイロの顔が、分かりやすいぐらい暗くなる。
その頭に、シルバは手を置いた。
「そうすると、お前のテンションがものすごく下がるの分かってるから、まずは酒場だな」
「やた!」
ヒイロが両手を大きく挙げた。
一方、キキョウはふむ、と首を傾げる。
「酒場という事は、いつもの食堂『朝務亭』ではないのか、シルバ殿?」
「あそこの系列で『{弥勒亭/みろくてい}』ってのがあるんだよ。両方のマスターとも話がついてて、今度からあそこを使おうと思うんだ」
「それはまた、何故」
「弥勒亭には、個室があるんだよ」
「……なるほど、密会に使えると言う事か」
ニヤリと笑いながら、カナリーが肩に掛かった金髪を払い上げた。
「いや、違うって、カナリー。タイランが、鎧から出られるだろ」
シルバの背後に控えるように歩いていたタイランが、身動ぎする。
「わ、私ですか?」
「そ。飯、本当はいけるんだろ?」
「は、はい……陽光や水とエネルギー効率は大差ないんですけど……」
鋼鉄製の両指をモジモジと組み合わせながら、タイランは頷く。
「サラダとか」
「は、はい……えと、どうして……?」
「調べた」
ボリボリと頭を掻くシルバ。そしてヒイロはタイランを振り返り、親指を立てた。
「ご飯は、みんなで食った方がいいよね、やっぱり!」
「あ、は、はい」
「ふっ……シルバにしては気が利いている。ところで、その店のトマトジュースは美味しいんだろうね?」
カナリーの問いに、シルバは首を傾げた。
「あ、それは調べてなかった」
「な、何!? それが一番肝心な所じゃないか! 君はまるで分かってないな!」
詰め寄るカナリーとシルバの間に、キキョウが割って入った。
「まあまあ、カナリー。こういうのは自分で確かめるのも、よいものだぞ?」
「だなー。俺も詳しいメニューは……っと?」
大通りから角を曲がり、やや狭い通りに入る。
とはいっても、人通りはそれなりに多い。
シルバ達の一行の前に、金髪の男が立ちふさがった。
シルバが以前所属していたパーティー『プラチナ・クロス』の盗賊、テーストだった。
「よう、シルバ」
「よう、テースト。どうした、一体?」
シルバも足を止めた。
「いや、ちょっとした頼みがあってさ、話をしに来たんだよ」
「借金の申し込みは、勘弁してくれよ。アレは人間関係を破綻させる」
「言えてるな」
互いに気安く、軽く笑う。
シルバの裾を、ヒイロが再び引っ張った。
「ねえねえ先輩……誰?」
「あー、前パーティーのメンバーで盗賊のテースト」
シルバの答えに、ヒイロがポンと拳を打った。
「あーっ! あの先輩が嫌気がさして抜けたパーティーの!」
「ちょっ、ヒイロ声でかいって!」
シルバが慌てて、ヒイロの口を手でふさぐ。
遠慮のないヒイロの言葉に、テーストの笑みは引きつっていた。
「は、はは……」
「つーか、こんな所で立ち話って言うのもなぁ……俺、休んでた分やる事多いし、別の機会じゃ駄目か?」
「いや、すぐ済む用事なんだ。まあつまりなんだ……見た所、お前のパーティー、盗賊いないだろ?」
「あ、ああ、まあな」
「そこにオレ、入れてくれね?」
「……は?」
意外、ではなかったが、やや呆れの混じった声がシルバの口から漏れた。
しかし構わず、テーストは言葉を続けた。
「ちょっとなー、あのパーティーはもう見切りを付けた。アレはもう駄目だ。お前の言う通りだったよ、シルバ」
「それで……ウチに?」
「ああ。腕の方は知ってるだろ? それに互いの呼吸も分かってるし、何か特殊なルール……何だっけ、女人禁制? アレだって問題ない。オレにはちゃんと付いてる」
「なるほど」
「で、駄目か?」
「悪いな。駄目だ」
シルバは即答した。
「何で!?」
「盗賊のポジションは既に予約済みなんだよ。いつになるか分からないけど、アイツが来た時のために開けとかないと。な?」
シルバは、パーティーのメンバーに同意を求めた。
「うむ」
キキョウ以下、全員が頷いた。
リフを仲間に入れる事は、パーティーの中ではもう既定の方針となっていた。
もちろん、そんな事をテーストが知るはずもない。
「い、いや、でもさ、それまでどうするんだよ。盗賊抜きって事は護衛や運搬の仕事で、いつまで待つ気か? お前、{墜落殿/フォーリウム}探索する為に、パーティー組んだんだろ?」
確かにその通りであり、その為の準備もこれからシルバが行う仕事の一つに含まれる。リフが来るまでどうするか……となると。
「うーん、クロエにでも埋めてもらおうかなと思ってたんだが」
助っ人要員である美少女の名前を、シルバは挙げた。
「アイツは女だろうが!?」
「あ、そうだった。どうもアイツは女って気がしなくて、忘れそうになるなぁ」
「……お、お前、あの美人を相手に、その評価はどうなんだ?」
「某も、クロエ殿ならば問題はないと思うがな。彼女はとてもいい人だ……何より、安全そうだし」
ボソッと呟くキキョウの言葉の後半は、誰の耳にも届かなかった。
「というかさテースト。お前こそ前パーティーどうなんだよ」
「どうって?」
「俺、まだお前がプラチナ・クロスやめたとは聞いてないぞ。まさか、話ついてないままこんな交渉してる……とか、ないよな?」
すると、テーストは心外な、と大きく手を広げた。
「まさか。ちゃんと抜けたって。だからもう行く場所ないんだよ。シルバ頼む、この通りだ! 臨時でいいからさ!」
パン、と両手を合わせ、テーストがシルバを拝む。
「んー……」
シルバは困った。
入れる入れないの問題ではなく、どう断るかで悩んでいたのだが。
「お兄、いた」
そんな声が、上から聞こえた。
「……え?」
見上げると、大きな帽子に腕まくりをしたコートの小柄な人影が、建物の屋上に立っていた。帽子とズボンに穴が開いているらしく、その人物が猫獣人の一種である事が分かる。
「今いく」
ひょい、と『彼』は建物から飛び下りた。
「ちょっ……!?」
通りを歩いていた人達が一斉に悲鳴を上げる。
しかし『彼』は、重さを感じさせない身のこなしで地面に着地し、とてとてとシルバに近付いた。
テーストをガン無視で、シルバの腰にしがみつく。
「リフ、きた。約束どおり、盗賊、する」
「リ、リフ!?」
「に」
年の頃は八歳ぐらいだろうか。
大きな帽子とカーキ色のコートはちょっと見、性別不明だが、つりめがちな大きな瞳が印象的な端整な顔立ちは、かなりの美形である事が分かる。ピンと立った尻尾がその背後で、ゆらゆらと揺れていた。
「その姿は一体……」
「せんせえに、人間にしてもらった。お兄達の力になれる」
また、あの人か……っ!
そう思ったが、師匠であるストア・カプリスを問い詰めるのは後回しだ。
「そ、そうか……いや、しかし驚いた」
てっきり、仔猫状態のまま来ると思ったのだ。
まさか、獣人状態で来るとは思わなかった。皆も同様のようで、かろうじて最初に声を出せたのはタイランだった。
「……お、お帰りなさい、リフちゃん」
「に。ただいま、タイラン。みんなも、ただいま」
「お、おう、おかえり」
顔を上げると、置き去りにされっぱなしだったテーストと目が合った。
「お、おい、シルバ……」
「悪い、テースト。たった今、全部無しになった」
それがどういう意味か、あっさりと察してくれたようだ。リフ本人も、言っていた事でもある。
「え? いやちょっと待てよ。そいつが、お前の言ってた盗賊?」
「そいつとはご挨拶だな。ちゃんとリフっていう……あー、名前がある」
「……シルバ殿が名付けた、な」
「うぅ……」
皮肉っぽくキキョウに言われ、シルバとしては唸るしかない。
「に」
リフは嬉しそうに、シルバに頭を擦りつける。
「ま、まだ、全然ガキじゃねーか!?」
「ああ、それが?」
「いやいやいや、さすがにないだろこれは」
「にぃ?」
リフには、よく分からない。
「……それに、女の子じゃねーか」
「に。リフは男の子。かんちがい、ダメ」
おそらくストアに言い含められていたのだろう、リフは空気を読んで否定した。
「……と、本人もこう主張している」
「それに、リフの実力は折紙付だよ? ボクらみんな、知ってるもん。ね?」
ヒイロの言葉に、皆は一斉に同意した。
「うむ、先程の飛び降りと着地は見事だった」
「で、でも……ああいうのは危ないですよ、リフちゃん」
「にぃ……驚かせてごめんなさい」
「……リフ、君、精霊砲とかその状態で、大丈夫なのかい?」
「に、それは問題ない」
「という訳で――」
ヒイロは、パンと手を叩いて、快活に笑った。
「――納得いかないなら、勝負してみれば?」
「こ、こんな小さな子と?」
さすがに怯む、テーストだった。
これでも、それなりに修羅場を潜っている。だが、目の前の少年(?)のような子供を相手にする事など、まずなかった。
「だから、それが不満なんでしょ?」
しかしヒイロにこう言われると、今更引くわけにもいかない。
テーストとしても、必死なのだ。
「お、おう、いいとも。ここで、問題ないならすぐにでも始めるけど」
テーストは頷き、後ろに大きく跳躍する――
「に」
――はずだったが、両足にいつの間にか無数の雑草が巻き付いていた。石畳の隙間から生えていた草が、いつの間にか異様に成長していたそれが、彼の足を縛っていた。
「ぬわっ!?」
バランスを崩し、たまらず尻餅をつく。
かろうじて受け身を取ったお陰で後頭部を打たずに済んだが、何とか立ち上がろうとする彼の目の前に、鋭い刃が突きつけられていた。
「……これで、いいの?」
リフは両腕から生えた刃をテーストに突きつけたまま、シルバに振り返った。
「……まあ、いいんじゃないか? それよりその腕は一体」
「に。リフの牙。父上はもっとすごい」
「あー」
リフの父、フィリオの長く立派な二本の剣牙を思い出し、シルバは頷いた。
一方納得いっていないのは、テーストだった。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て! い、今のはないだろ!? まだ勝負始まってすらなかったじゃねーか!?」
「……なら、我が相手になるが?」
「へ?」
リフが下がる。
直後、空から降ってきた二メルトを超える偉丈夫が、テーストの目の前に現れた。
丈の長い緑色の貫頭衣を着た、顎髭を蓄えた壮年の男だ。眼鏡のレンズの向こうにある瞳は深い知性を感じさせるが、テーストに向けられるその視線はどこまでも冷たかった。
「姫のやり方に文句があるのだろう。よかろう。我が代わりに聞こう……姫に何か、問題があったか?」
「ア、アンタ、一体何? あの子の従者か何か? それに姫って」
「……何だ?」
ジャキン、と男の腕からリフの刃など比べモノにならないほど長大で見事な刃が出現した。
死ぬ、とテーストは思った。
「い、いや、何でもないです……!」
「ならば引っ込んでいろ。我は、奴らに用がある」
刃を納め、男はシルバを振り返った。
もはやシルバ達は周囲からも注目の的になっていた……が、今更どうする事も出来ない。
「……話の流れからすると、リフ、お前のお父さんか?」
リフの頭を撫でながら、シルバは長身の男から目が離せない。
「に。父上」
「久しいな、シルバ・ロックール」
にこりともせずに、男――フィリオは言った。
「え、ええ……それにしても、そ、その姿は一体……? いや、そもそも何でリフは耳と尻尾あるのに、フィリオさんは完全人間体……?」
「我も、しばらくこの都市で過ごす事にした」
後半の質問は、完全に無視された。
「いや、山はどうするんですか」
「下の者に預けておいた。些細な事だ」
……相当に大事だと思うのだが、下手に突っつくのはやめる事にした。
「で、でもどうして」
シルバが言うと、フィリオはずい、と難しい顔をシルバに近づけた。怖い。
「……姫の寝泊まりをどうするつもりだ? 一人にしておく訳にもいくまい」
「に。リフは別に、お兄と一緒でいいのに」
「「却下だ!!」」
何故か、二つの声が響いた。
「何も、キキョウまで……」
「う、うう、うら若い乙女がシルバ殿と一緒の部屋など、そんなうらやま、違う、何かの間違いがあってはならない! そ、それはよろしくないぞ、リフ」
「うむ! 万が一があっては取り返しがつかぬ! 我がちゃんと部屋を用意してやるから、安心するがよい!」
何故か、見事に息のあった二人であった。
「……さすがに、間違いはないと思うけどなー」
見た目幼女の欲情するほど、堕ちているつもりはないシルバだった。
しかし、おずおずとタイランまで、手を挙げ始める。
「あ、あの……一応風紀的に、私も、その、反対しときます」
「ここは一つ、ボクも一緒の部屋に住むというのはどうかな?」
「……ヒイロ、君、何も考えずに言ってるだろう?」
ヒイロの言葉に、カナリーが髪を掻き上げながら呆れる。
そうこうしている間にも、このやたら目立つ面々を見に、どんどんと野次馬達が集まってきている。
シルバは焦り、逃げる事にした。
「とにかくテースト、悪い! そういう事なんで、ウチのパーティーはこれで決まりなんだ。ごめん!」
リフの手を引いて、急いでまだ尻餅をついたままでいるテーストの脇を抜ける。
そのまま並走するフィリオに訊ねた。
「しかしフィリオさん、仕事はどうするんですか」
「伝手で学習院の講師の職を得た。精霊学の造詣にはそれなりに詳しいのでな」
歩幅が圧倒的に違うせいか、フィリオの歩みはゆったりしたものだ。
「……く、詳しいというか。いいんでしょうか」
学問も何も、相手は精霊そのモノである。
「俗な世界もたまには悪くない。そういえばロックール、貴様、退院したばかりだと聞く。龍魚の所に行くのなら我もゆくぞ」
「リフ、盗賊ギルドにいかないと……」
親娘の要求に、後ろをノンビリと歩いていたカナリーが、溜め息をつきながら首を振っていた。
「あと、冒険者ギルドに、正式に登録も必要になるね。やれやれ、本当に忙しい事だ」
「ちぇー……」
遠ざかっていく一団を見送り、テーストはナイフを取り出した。
「やっぱダメだったか。ま、しゃーねーな」
足に絡む雑草を切断し、尻を叩きながら立ち上がる。
駄目で元々だったので、それほど失望はしていない。
人混みを掻き分け、テーストは早足でその場を去った。
そのままテーストは、プラチナ・クロスの集まる酒場に飛び込んだ。
「ちーっす、ただいまー」
シルバと接触していた事など、微塵も感じさせぬ鷹揚さで、パーティーのメンバーに手を上げる。
しかし、彼らはテーストに反応する事なく、重い雰囲気を醸し出していた。
「……っと?」
「テースト、そこに座れ」
パーティーのリーダーである聖騎士、イスハータが空いている席を指差した。
ふとテーブルに視線を巡らせると、厳しい表情のイスハータ、いつもと変わらず無言のロッシェ、居心地悪そうにテーストの様子を伺うノワ(それが演技である事も分かった)、魔法使いであるバサンズはテーストと目が合うと、サッと顔を背けた。
「……どうやら、すっかりご存じのようで」
は、とテーストは口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
オレも鈍ったな。魔法使いの{透化/スケルト}に気付かないとはね……。
テーストは反省し、頭の中で言い訳を組み立て始めた。
――その日、プラチナ・クロスのテーブルは荒れに荒れ、五時間に渡る喧嘩じみた議論の末、パーティーは完全に瓦解した。
頭を抱えて落ち込む者、新たな仲間を求めて荷物をまとめる者、途方に暮れて部屋に帰る者、やけ酒をあおって酒場を出て行く者など、反応は様々だがメンバーは散り散りとなった。
その内の一人、ノワはさして酔った風もないしっかりした足取りで酒場を出ると巡回馬車に乗り、かなり離れた場所にある大きな酒場に入った。
「まったくみんな、勝手すぎるよもー。あんなパーティー、二度とゴメンかな」
柔らかすぎるソファに身体を埋め、ノワは悲しげに溜め息をついた。
その両脇には、二人の男が控えていた。
「ノワさんへの忠誠心が足りなかったんですね。大丈夫ですよ。僕達は決して貴方を裏切りません」
「その通り。俺達は死ぬまで、いえ、死んでも貴方についていきますからご安心下さい」
柔和で知的な印象の眼鏡青年と、対照的にしっかりした印象を受ける黒い短髪の青年だ。
二人に、ノワはふわっとした笑みを浮かべながら、グラスを掲げた。
「ありがとう、二人とも。でもレアアイテムはちゃんと全部確保したし。明日からは気分も新たに、再出発だね」
「はいっ」
「はっ」
「まず当座の目標は――」
三人のグラスが合わさり、カチンと硬質な音が鳴り響いた。
「「「{墜落殿/フォーリウム}、第三層の突破」」」
同時刻、酒場『弥勒亭』奥の個室。
シルバのパーティーは、遅い晩飯を食べながら今後の相談を行っていた。フィリオはストアが無理矢理ねじ込んだ学習院との契約手続きが残っているとかで、泣く泣く席を外している。
「現状、墜落殿は全十層のウチ、第五層まで探索は進んでる」
骨付き肉を囓りながら、ヒイロが手を挙げた。
「先輩先輩、前から疑問に思ってたんだけど、どうしてこの迷宮、まだ一番奥まで進んでないのに、全部で十層だって分かってるの?」
「墜落殿はその名の通り、古代オルドグラム王朝時代にあったとされる天空都市が落下して、出来た迷宮とされている。でまあ、これが上下逆さまになった街と考えてくれ」
「うん」
「街には案内図があったんだよ」
ヒイロは何とも言えない表情になった。
「……親切なんだ」
「ま、こー、逆さまに落下したせいで中身とか構造とかはグチャグチャっぽいんだけど、基本的に全部で十層ってのは分かってる」
「もしかしたら、それ以下の可能性もあるけどね」
いつものように皮肉っぽくカナリーは笑い、トマトジュースを煽った。
「うん、上層部が潰れてたらそれも有り得るけど、まだ誰も確認してないから、それは何とも言えない。ただ、第十層には宮殿があるらしくて、そこにある古代の武器防具類の回収が、基本的な目的だ。元々、このアーミゼストは魔王討伐の為の遺物探しの為に、造られたようなモンだし。なくなってるならなくなってるってのを確認するまで、探索は続くって訳だ」
「……あの、私達の実力は、どれぐらいのモノなんでしょう」
鎧から出たタイランが、サラダを食べながらおずおずと訊ねてくる。
「前のパーティーの時は、第三層って所だったかな。そこまでは、今のこのパーティーでも大丈夫だと思う。ただそこから先は、俺も未知の領域。下層へのルートは複数あるっぽいし」
「じゃあ、その三層とっぱ?」
魚のソテーをつついていたリフが、首を傾げた。
「それが目標でいいと思う」
「先は長いね、シルバ」
「だな」
肩をすくめるカナリーに、シルバは同意した。
すい、とキキョウが米酒の杯を掲げた。
「ではまずは、第三層突破を目指すとして、シルバ殿何か抱負を頼む」
「んー」
つられて、シルバも水の入ったグラスを掲げた。
「ま、みんな、死なない程度に頑張ろう」
「何とも締まらないね、まったく」
苦笑するカナリーもグラスを口から離し。
「でも、いのち、大事」
リフもミルクの入ったコップを両手で持ち上げる。
ヒイロとタイランも顔を見合わせ、グラスを手に取った。
「それじゃ、今後ともっ」
「よ、よろしくお願いします」
六つの器が合わさり、カチンと硬質な音が鳴り響いた。