遺跡には、都市で馬車を借り、数十分で到着した。
テュポン・クロップ一味もやはり馬車を使ったらしく、真新しく深い轍の跡が地面にクッキリと残っていた。
「ここがクスノハ遺跡かー」
ヒイロは、その遺跡のど真ん中に、ポッカリと空いた大きな穴を覗き込んだ。穴の直径は20メルトほどだろうか。遠くに台付の小振りなクレーンがあるのは、おそらく馬車やモンブラン四号の出し入れの為と思われる。
噂では一年ほど前、この穴から巨大な獣が出現したという。
古代の魔法の研究施設だったと言われるそこに封印されていた魔獣を、誰かが解放してしまったのではないかなどという噂もある。
底の方は夜の闇でまるで見えないが、シルバの見立てでは、おそらく補修されているはずだ。
「今回の件だけど、不用意に踏み込もうとするなよ、ヒイロ。十中八九、トラップがあるはずだし」
シルバは、地図を広げながらヒイロに注意した。
「爺さん達、自分達も住んでるのに?」
シルバはクレーンを指差した。
「連中は、あれを使うから問題ないんだよ」
「うわ、ずっこいなぁ。ボクらは使っちゃダメなの?」
「そうしたらすごく楽なんだろうが、まず間違いなく気付かれるな。リフの兄弟を人質に取られても困る」
「……難しいモンだねぇ」
「ああ、面倒くさいモンだ」
「むー」
こういう焦れったい行動は、ヒイロには苦手なのだろう。
それが分かるだけに、シルバは苦笑してしまう。
「ま、まあまあヒイロ。私達の出番は、後ですから……」
タイランもフォローに入った。
「そういう事。それまで力溜めとけ。その代わり」
憮然とするヒイロの頭に、シルバは手を置いた。
「アイツが出たら、思いっきり暴れてよし。お前の仕事は、そこにある」
「うん、我慢する」
「うし、それじゃ見取り図はこんな具合だ。リフは他の部屋は回ってないんだよな」
「に。……出るのでせいっぱいだった」
今回の作戦の主役は、一度ここを脱出した経験のあるリフだ。
それと、勘の鋭さではリフに劣らないと思われるキキョウ。
「リフよ。来た道は覚えているのか?」
「に。まかせて」
「……とすると、他の部屋は回らなくて良さそうだな。何より今回の仕事は、お前の兄弟の救出が目的な訳だし。捕らえられてたっていう部屋を目指すのが最優先だ」
「にぃ」
シルバが手を差し伸べると、その腕を伝ってリフは胸元に飛び込んだ。
地図もしまい、シルバ達は大穴から少し離れた場所にあった、地下への入り口に足を踏み入れる。
ここから先は精神共有を使い、念話で話す事をシルバは全員に伝えた。
「それにしてもシルバ詳しいね。来たことがあるのかい」
たいまつに火を付けるシルバの後ろから、カナリーが訊ねてきた。タイランは足音が鳴らないように歩くのに苦労しているようだった。
「まあ……大分前にちょっと、な」
「…………」
先頭のキキョウの耳がピクピクッと揺れる。その肩に、リフが乗った。
階段を下りきると、通路は真っ直ぐだった。
左右にも扉があったがそれらは今回は無視して、突き当たりの扉の前に一行は立った。
扉はどうやら鍵が掛かっているようだった。
「しかし、扉の鍵なんてどうするんだ? 君は大丈夫と言っていたが」
強行突破しようと思えば出来ない事はないが、そうしたら相手に気付かれてしまう。
カナリーの問いに、リフが振り返った。
「に。お兄、まめ」
「コイツか?」
シルバは出発前、閉店間際の花屋に寄って購入した袋を取り出した。
袋の中身は豆だ。
「にぃ……」
手の中の豆をリフの前肢がつつくと、豆は淡い光を放ち始めた。
豆は小さく蠢いたかと思うと、シュルシュルと蔓が伸び始める。蔓の先が鍵穴に入り込み、「カチリ」と音が鳴ってロックが解除された。
「ほう。まるで妖術の類のようだな」
キキョウが感心する。
「ちがう。これは精霊のちから。その子たちの生命力にかんしゃ」
「……で、コイツはどうすればいいんだ? 埋める場所がないんだが」
手の中でうねうねと元気に蠢く蔓の処置に困るシルバだった。
「あとでいい。扉、まだある」
「まあな」
「食べてもいい」
「………」
シルバは蔓をポケットに突っ込んだ。
扉を開け、奥へと進むと、通路は先で右に折れ曲がっている。
人の気配は相変わらず無いが。
「に」
「む……」
リフが声を上げ、少し遅れてキキョウも足を止めた。
「トラップか」
シルバの目には、何の異常もないように見えるが、二人の表情は厳しいままだ。
「うん」
「そのようだ。切って構わぬ類のようだな」
「ん、いい」
キキョウの刀が一閃し、装置に繋がっていたワイヤーがまとめて切断される。
「それにしてもホント面倒くさいよね。住んでる人が罠に掛かったら、どうするのかな」
ヒイロが精神を通して、ぼやく。
確かにこの辺りまで入ると、普通に人も行き来しているだろう。
「罠の作動をオンオフするスイッチがあるはずなんだがな。さすがに作った本人にしか分からないようにしてるだろ。あの爺さん、そういうの得意そうだし」
二人が感知し、時には豆の蔓でトラップを解除し、時にはスルーする。
さすがに一度ここを潜り抜けたリフの方が、こうした感覚には優れているようだった。
シルバは迷宮を見渡し、印象を漏らした。
「ただ、罠自体は雑だな。本職の人間が作るともっといやらしい」
「に?」
よく分からない、とリフが振り返る。
「魔法系のトラップがないし、連動もないって事。何より、以前遺跡にあったトラップの再利用がほとんどだし、割と素直なダンジョンなんだよ、ここは」
「に、あしもと。端歩かないと落ちる」
「おう」
案の定、落とし穴もあった。
「今回のような侵入系じゃない場合、ヒイロに防御を強化して特攻させるって手もあるんだけど、これが怖いんだよなぁ」
「むうぅ、ボクトラップ嫌いっ」
落とし穴程度なら浮遊の魔法で何とかなるが、対処にだって限度がある。
専門家ともなれば、様々な趣向で侵入者を罠に嵌める。いちいち魔法を使っていては、キリがない。
「だからこそ、盗賊が必要なんだよ。今回はリフがいるけど、今まで迷宮探索しなかったのは、そういう理由。最悪一撃必殺デストラップもあるしな」
「おっかないなぁ」
そんなやり取りをしている内に、目的の部屋の前に到着した。
扉こそ無かったモノの、中にはローブを着た男達がいた。
その数四人。全員が剣や槍で武装していた。
天井の高い部屋の奥には、大小様々な檻が積み重ねられている。
「にぃ……」
「こりゃ、リフ一人じゃどうにもならないな」
「やっちゃう?」
どことなく楽しそうなヒイロだったが、カナリーがそれを留めた。
「まあ、待てヒイロ。こういうのは僕の仕事だ。任せたまえ」
呪文を呟き、指先を部屋の中に向ける。
「{強眠/オヤスマ}」
強烈な睡魔を催す魔法が部屋の男達に一斉に襲い掛かり、全員が床に倒れ込んだ。
「さすが」
感心するシルバだったが、カナリーは苦笑した。
「……そう言いながら君、一応印は切ってたね。キキョウはキキョウで、出る準備をしていたようだし」
「し、信用はしてたさ。でも、念には念を入れるのが、俺の主義でね」
ちなみにシルバが用意をしていたのは、沈黙の魔法だ。最悪音さえ鳴らさなければ、いい訳で。
それを説明すらせずに汲んでいたのが、キキョウだった。
「万が一に備えるのは、基本であろう」
もっとも、どちらも出番はなかったのだが。
「まあいいさ。とにかく行こう。リフ、罠はないね」
「に!」
特にカナリーは気を悪くした様子もなく、豪奢なマントをはためかせた。
一行は部屋の奥に進んだが、檻の中はすべて空だった。
「……どこにも、いない」
「にぃ……」
最悪の想像が、シルバの頭をよぎる。
その時だった。
「一手遅かったぞい、小僧ども」
どこからともなく声が響いた。
それに続く、異様に重い音。足音だ。だがどこから響いてくるのか。
シルバは頭の中で、見取り図を思い出す。
この遺跡は、古代の魔法の実験場だというのが事実なのは、シルバは知っていた。
そして、この部屋のすぐ隣が、巨大な実験室だったはずだ。
足音はそっちから近付いてきている。止まる気配はない。
つまり。
「に! みんなよけて!」
リフが声を上げた。
直後壁を突き破り、巨大な拳がパーティーを襲ってきた。
「マジかよ!?」
全員が、一斉に回避する。
「カカカカカ! コヤツの作動実験に付き合ってくれるのはお前達じゃな! よいぞ、儂の子の強さ、思い知らせてくれる!」
ワイヤーで繋がった拳が勢いよく引き戻り、巨大な自動鎧が壁の向こうから姿を現わした。
だが、四号ではない。
その背後には、白衣を着た鷲鼻の老人、テュポン・クロップが得意満面に笑っていた。それに、ローブの男が更に五人。
「ゆくぞい、モンブラン八号! 奴らを残らずやっつけるのじゃ!」
「ガ!」
「待て!? 数時間前のが四号だったのに、何でソイツが八号なんだよ!? 間の三機はどうなってる!?」
シルバとしては突っ込まざるを得ない。
「カカ! 当然じゃ! 何故ならば、コヤツは四号の倍は強い! よって八号! 文句があるなら倒してから聞いてやるわい! もちろん、無理な話じゃがな!」
轟、と両腕をあげたモンブラン八号からパワーが迸る。
「カカカ、霊獣四匹分のエネルギーじゃ! これまでの比ではないぞい……! この力とくと……ん? 何じゃい貴様ら。怖い顔しおって」
「……言いたい事はそれだけか?」
シルバの感情を押し殺した問いに、クロップ老は胸を張った。
「いや、まだある! このモンブラン八号はすごいぞ! 精霊炉をフル回転させることにより、全体の動きが滑らかとなり、足の裏に装着した無限軌道により機動性の大幅アップ! パワーも増し、装甲を厚くしても四号を上回る攻撃力と防御力を両立させたのじゃ! 手数も増え、どれほど多勢であろうとお前達に勝ち目はない! どうだ、恐れ入ったか!」
「いらない」
大きく振りかぶったヒイロの轟剣が、唸りを上げてモンブラン八号の横っ面をぶん殴った。
「ガ……!?」
モンブラン八号の、鉄の頭がクルクルと勢いよく回転する。
問答無用なヒイロの攻撃に、クロップ老は顔を真っ赤にして飛び上がった。
「おのれ! またお前か小僧!? じゃから人が話している時に攻撃するでないわ!」
八号が肩に乗ったヒイロを捕まえようとするが、ヒイロの巨大な骨剣がその手を払い除ける。
そのままヒイロは、クロップ老を見下ろした。
「ご託はいーよ、爺ちゃん。爺ちゃんはやっちゃいけない事やったんだ。悪いけど今からコイツぶちのめしして、爺ちゃんもぶっ飛ばす。いいよね。答えは聞いてないけど」
「おのれおのれおのれ! やれ、八号! お前達も何をぼさっとしておる! さっさと霊獣を回収せい!」
「は、はい!」
戦闘が始まった。
最前線でモンブラン八号とぶつかり合うのは当然、ヒイロ。
そのサポートに、キキョウが回る。
タイランは前と同じく、ローブの男達の相手を務める事となった。
後方では、カナリーが影の中から赤と青の貴婦人を出現させる。赤の美女・ヴァーミィが滑るような動きでローブ姿の男達に迫り、手刀と蹴りの舞踏を展開し始めた。
「……君が止める間もなく始まっちゃったな、シルバ」
「いいさ。ウチの代表として先制攻撃って事で。それに事前に言ってたとしても、誰も止めなかったろ」
「まあね。じゃあま、こっちはこっちで仕事を始めるとしよう――{紫電/エレクト}!」
「リフも支援よろしく」
「に!」
シルバの懐に収まったリフが、精霊砲でタイラン・ヴァーミィ組への掩護射撃を開始する。
シルバはシルバで、回復術は元より、攻撃力を高める{轟拳/コングル}や防御力を高める{鉄壁/ウオウル}の展開で忙しくなってくる。
そんな中、タイランが動きを休める。
「……っ! やっぱり!」
ローブの男の槍を払い退け、確信の声を上げた。
「れ、霊獣の仔達、まだ生きてます! 大分弱ってますけど……中にちゃんと反応、四つ、感じます!」
「確かか!?」
「間違いありません、シルバさん! で、でも、時間が経てば経つほどエネルギーを消費しますから……早く助け出さないと……!」
「ならやる事は決まってる! 全員速攻!!」
応、とシルバのパーティーの攻めが勢いを増す。
その分、防御がおざなりになるが、その分の回復は、シルバが一手に引き受ける。
――その合間を縫って、シルバは繰り返し同じ呪文を唱え続けていた。
「ヒイロ、スイッチだ!」
「うんっ!」
それまでモンブラン八号と真っ向から打撃戦を繰り広げていたヒイロに代わり、キキョウが前に出る。
それまで、攻撃を受けては反撃を繰り返していた八号の攻撃が、途端に当たらなくなった。
スピードが圧倒的に違うのだ。
「ぬうっ!? こ、小癪な!」
「確かに、その大きな身体でその機動力は大したモノだ。だが、それでもなお遅い!」
八号の拳をギリギリで回避し、キキョウはそのまま懐に飛び込んだ。
「舐めるな、小童! そのような細い剣で八号の重圧な装甲を貫けることなど、無理! 無駄! 無謀!」
「生憎と、某達には優秀な参謀がついていてな――」
突然、巨大な自動鎧がガクリと跪いた。
「は、八号、どうしたのじゃ!?」
「――どれほど装甲が厚かろうと、関節の強化には限界がある。まずは足!」
キキョウの鋭い刃が三つ閃き、八号の膝裏と腱に当たる部分から火花が飛び散った。
「ガ、ガガァ……!?」
たまらず、両手を床につくモンブラン八号。
「は、八号ーっ!? し、しっかりするのじゃ!」
クロップ老が悲痛な声を上げる。
だが、形勢の不利は、彼らだけではなかった。
ローブ姿の部下達も、既に何人かが戦闘不能に陥っていた。
「せ、先生! 敵の火力が強すぎます!」
「しっかりせんか! 八号の余った絶魔コーティング装甲で、魔法は防げるはずじゃろうが!」
「ま、魔法は何とか防げるんですが、この女達が……!」
赤い美女ヴァーミィの変幻自在の蹴りに、ローブの男達は対応しきれない。
かと思えば、八号ほどではないにしても充分巨体のタイランが、力任せの突進で、彼らの体勢を崩してくる。
そして盾にしていた装甲を落とせば、後方でカナリーが髪を掻き分けながら笑うのだ。
「ふふ、いいぞヴァーミィ。そのまま敵を翻弄しろ。盾を奪えば、僕とリフの出番となる」
「……にぃ!」
紫電と精霊砲が飛び、クロップ老の部下達はみるみるうちにその数が減っていく。
しかしその程度で諦める老人ではなかった。
「八号、スピン攻撃じゃあ!! 全員弾き飛ばせ!」
「ガ!」
何とか起き上がったモンブラン八号は足を踏ん張り、その場で大きくその身体を回転させた。極太の腕が暴風となって、キキョウやタイランを後退させる。
「ぬっ!?」
「……つぅっ!?」
力任せながら、敵を怯ませることに成功し、クロップ老は激しく手を叩いた。
「よぉしよしよし! 落ち着いて戦えば、お前に負けはないぞ八号! 仕切り直しと行こう! まずは厄介な後ろの連中じゃ! 飛ばせロケットナックル!」
「ガオン!」
八号が構えた腕から拳だけが飛び、後方のシルバ達を襲う。
しかしそれが彼らの届く前に、青い風が軌道を逸らした。
「何ぃっ!?」
シルバ達の前に、優雅に着地したのは青の美女・セルシアだった。スカートの両端をつまみ、一礼する。
「よくやった、セルシア。しっかり僕達の護衛を頼むぞ」
「ならばこれでどうじゃ!」
拳を引き戻した、八号の両手が眩い光が収束していく。
「ツイン・エレメンタル・キャノン!」
老人の声と共に、八号の両手から光の束が迸った。
それを、シルバとリフが迎え撃つ。
「{大盾/ラシルド}!」
「にぃっ!」
魔法障壁とシルバ側の精霊砲が、モンブラン八号必殺の攻撃をほぼ完全に相殺した。
一方、タイランとヴァーミィはほぼ、自分達の仕事を終えていた。
「こ、こっちの制圧入ります!」
残ったローブ集団を、タイランの斧槍とヴァーミィの蹴りが潰していく。
「任せた、タイラン。キキョウ、もう一本の足も頼む」
「承知!」
キキョウは疾風の速度で、真上から落ちてくる八号の拳を回避。無防備になった手首にも刃を撃ち込み、何とか敵の背後に回り込もうとする。
「させるか、馬鹿モン!! もう我慢ならん! 今こそ、超! 無敵モード発動の時じゃい!」
「ガ!」
鈍い唸り音と共に、不可視の力場がモンブラン八号を中心に発生する。
「むぅ……!?」
突然斬れ味の鈍くなった刃にキキョウは唸り、即座に後退した。
部下の数こそ減ったモノの、形勢の逆転にクロップ老は得意げに含み笑いを漏らす。
「ククク……よくも今まで、舐めた真似をしてくれたな、小僧ども! これまでの無敵モードはフィールド発生時に、移動できないという欠点があったが、八号は違うぞ! 霊獣から得た圧倒的なエネルギーにモノを言わせ、フィールドを展開したままの活動が可能なのじゃ!」
「そ、その力……出来れば、もっと早く出して欲しかったです……先生……」
床に倒れ伏したローブの青年が、呻き声を漏らした。
「ええい、やかましいわ! 切り札は、最後まで取っておくモンじゃろうが」
老人は、部下の愚痴など意に介さなかった。
「……って事は、その無敵モードさえ何とかすれば、もう手はないって事だな?」
シルバの特に焦った様子もない問いに、クロップ老は眉根を寄せた。
「ふん……! 虚勢を張れるのも今の内じゃ! ゆくぞ、超☆無敵モード・モンブラン八号!!」
「ガオン!」
唸り声を上げ、モンブラン八号はクラウチングスタートの構えを取った。
「よし、体当たり攻撃じゃモンブラン八号! 全員、ミンチにしてくれようぞ!」
「ガ!」
八号の巨大な足の踏み込みに、床板が破砕する。
五メルトを優に越す鋼の弾丸が、凄まじい勢いでシルバ達に迫り――
「{雷閃/エレダン}」
――カナリーの魔法の一撃に貫かれた。
「ガガ!?」
全身から火花を飛び散らせ、モンブラン八号の巨体が反対方向へと弾け飛ぶ。かろうじて倒れこそしなかったモノの、身体の関節部はガクガクと痙攣を繰り返していた。
八号を操っていたクロップ老も仰天する。
「な、何と!?」
「へぇ……シルバの言う通り、あの無敵モードって、魔法は素通りなんだね」
指先から小さく紫電を発しながら、カナリーが口元だけ微笑む。
「ああ。あのフィールド、多分自分の絶魔コーティングも拒絶しちゃってるんだよ。結果、効果を打ち消し合って、魔法にはめっぽう弱いっていう欠点が出来ちゃったってトコだと思う」
「な、な、何故、この無敵モード最大の弱点を、貴様が知っている!」
ダラダラと汗を流すクロップ老に、シルバは即答した。
「一回見たから」
「何じゃと!?」
「冒険者に二度同じ攻撃が通じると思うな。いや、実際はそういう訳にもいかないんだけど……今回は、当てはまったみたいだな」
一度目の、路地裏でのモンブラン四号戦。
シルバは、完全な無敵モードなんてモノはないと信じていた。もしそんなモノがあったら、魔王討伐の遠征軍は解体されているはずだ。
何かしらの穴がある。
そう考えてモンブラン四号にまず放ったのが、防御力を下げる{崩壁/シルダン}だった。本来は魔法攻撃が使えれば一番よかったのだが、シルバはその手の術は一つも習得していない。だがともあれ、呪文は絶魔コーティングを施したはずの敵に確かに効果があった。
次に、ヒイロの骨剣。
前パーティーに所属していた時、酒の席で戦士であるロッシェから、数多の生き物を斬り、潰してきた武器には微弱ながら魔力が宿ると聞いた事があったのだ。
つまり、古く使い込まれた武器は、魔剣の類となる。
ヒイロの武器はまだまだその域には程遠いが、食堂で会議をしていた時、キキョウとカナリーに確認してもらうと、なるほどわずかながら骨剣は魔力を帯びていた。
だからこそ、路地での戦いで、ほんのわずかながら無敵モードのモンブラン四号に、ダメージを与えることが出来たのだ。
つまり。
無敵モードは、物理攻撃にはこれ以上無いほど有効だが、その反面些細な魔力ですら通すほど魔法攻撃には弱い。
「だから、もう、無敵モードは通じないぞ、爺さん」
シルバの言葉に、クロップ老の決断は早かった。
「構っわん!!」
「何……!?」
「エネルギーフル出力! 一気に回復じゃあ!」
「ガァッ!」
モンブラン八号の雄叫びと共に、金属製であるはずの胴体や四肢が光を放ち、見る見るうちに修復されていく。
「た、体力にモノを言わせてごり押しする気かよ……」
何つー酷い作戦だ。
だが、有効な手である事も確かだ。どれほど魔法に弱かろうと、最後まで立っていれば勝ちである。そして、この強引な回復にはもう一つ問題があった。
タイランが、悲痛な声を上げる。
「……まずい、です……! 中の子達が……悲鳴を上げています!」
「よし、まだ搾り取れるぞ! さすが霊獣! 秘められたエネルギーは純度も量も桁違いじゃ! ではゆくぞ、生意気な小僧! まずは貴様からじゃ!」
クロップ老の狙いは、シルバのようだ。
それはいい。
しかし、戦闘中盤からずっと攻撃を控え、ひたすら己の中で破壊衝動を練り続けていた鬼がいる事に、老人は気付かなかった。
「ヒイロ、準備はいいか」
「……うん、充分」
シルバがこまめに掛け続けた攻撃力を増強する祝福・{豪拳/コングル}の効果も重なり、極限まで力を絞るヒイロの肉体からは、赤黒い瘴気のようなモノが立ち込めていた。
「{豪拳/コングル}五回掛け。そしてこちらは」
{豪拳/コングル}の効果を与えられているもう一人、カナリーも頷く。
「三回分。いいさ。自前のチャージもタップリ溜まってる」
カナリーは、華奢な身体の全身から静かに紫電を迸らせていた。
「ゆ、ゆけ八号! これさえ凌げば、儂らの勝ちじゃ!」
「ガオン!」
クロップ老の声に応え、改めて轟音と共に突進を開始するモンブラン八号。
どれほどの攻撃を受けようが、そのままこちらを圧死させる覚悟のようだ。
しかし、シルバ達は動じなかった。
「ないよ、そんな勝ち。無敵モードのままなら、カナリーの魔法が。無敵モードを解いたらヒイロの剣が八号を破壊する。どっちにしても勝ち目はないって」
凄まじい勢いで迫る八号を、キキョウやタイランが回避する。
シルバの隣で、スッとカナリーは腕を高らかに持ち上げた。
「フルパワー全開――」
激しい紫電光が、掌に収束する。
「――{雷槌/トルハン}!!」
カナリーが腕を振り下ろすと同時に、モンブラン八号を紫色の雷柱が包み込んだ。
「ガ、ガ、ガガガ……!!」
ビクンッと背を仰け反らせ、八号は全身から煙を吹き出した。
しかし、それでも足下の無限軌道は死なず、タックルを継続する。
「気張れ、八号! そんな静電気に負けるでないぞ!」
「ガハァ……!」
巨大な手を突き出し、シルバを捕らえようとする八号。
シルバはその場から動かない。
「言ってくれるね爺様……」
不意に、不可視の圧力が消失する。
「ガォッ……!?」
「な……超無敵フィールドが……」
カナリーの魔法攻撃の効果か、無敵モードの領域生成装置が破壊されたのだろう。
そして、シルバは指を鳴らした。
「{豪拳/コングル}――六回目」
「お……」
ヒイロが、骨剣を振りかぶる。ゆらりとしたその動きに、大きな部屋の空気が根こそぎ揺れ動いた。
モンブラン八号がシルバを捕まえるより、ほんのわずかだけ、ヒイロの踏み込みが速かった。その足が、床に深々とめり込む!
「おおおおおおおおおおりゃああああああっ!!!!」
ドボン、と。
とても金属とは思えない音と共に、骨剣の必撃を横殴りに喰らったモンブラン八号は天高く舞い上がった。高い天井をそのまま貫き、瓦礫が落下して生まれた大穴からは星の瞬く夜空が覗いていた。
「は、八号おおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!?」
クロップ老が悲鳴を上げる。
しばらくして、クロップ老の背後から、凄まじい轟音が響いてきた。
天井に、新たな穴が開く。
広い屋内実験場(今は天井が無くなりそうになっているが)の端っこに、どうやらモンブラン八号が落下したようだ。よほど天井の補強が厚かったのか、思ったよりも飛距離は伸びなかったようだ。
「ふぅ……スッキリした」
スカッと爽やかな笑顔で、ヒイロは汗を拭った。
しかし、シルバはそれどころではなく、ヒイロの後頭部を軽くはたいた。自分の術も原因の一つとはいえ、やり過ぎだ。
「いや、スッキリしたのはいいけど、中の子らの事もちょっとは考えろよ!? 中心は避けろっつっただろ!?」
「あ」
「ったく……ま、まあ、本当に外が頑丈だったのが救いだけどさ」
「ともあれ、さすがに行動は不能だろうね、あれは」
「あの一撃受けちゃ、どう考えても無理だろ。それよりも……」
クロップ老は遠くで半壊した八号に向かって駆け出しながら、その巨体に叫び続けていた。
「立て! 立つんじゃ八号! お前の力はそんなモノではないはずじゃあ! 儂の造った精霊炉の優秀さを、示せ八号!!」
「とりあえず、あの爺様を黙らせよう」
「だね」
全員頷き、老人を追う。
もはや、老人に戦力は残っていないはずだ。
「ガ……」
鈍い唸り声に、シルバ達は足を止めた。
「何……っ!?」
胴体のあちこちから中身を覗かせながら、ヨロヨロとおぼつかない足取りでモンブラン八号は立ち上がった。
黒煙を噴き出し、所々から火花が生じている。
それでも、モンブラン八号は健在だった。
「おおっ! 八号! 八号さすがじゃ! よく立った!」
クロップ老が、自分が最強と信じている存在に駆け寄ろうとする。
だが、八号の様子がおかしかった。
「ガ……ガ……ガガガ……」
「……?」
「ガガガ……ガ……ガガガガガガガガ!!」
八号は全身をブルブルと痙攣させ、その唸り声はもはや雑音だった。
「は、八号どうしたのじゃ! しっかりしろ!」
「ガーガーガー……ガーガー……ガーガー……ガー……」
生みの親の呼びかけにも応えず、ひたすら八号は身体を震わせ、
「……………」
やがて停止した。
呆然とするクロップ老。
シルバ達は顔を見合わせ、一歩踏み出した直後。
「ガベラッ!!」
八号の上半身が爆発と共に弾け飛び、中から何かが生じた。
青と緑に発光する気体と液体の中間のような存在が、クロップ老を容赦なく呑み込もうとするが、ギリギリの所で老人の回避が間に合った。
不定形のそれはズルリと床をのたうったかと思うと、重力を感じさせない動きで空へと駆け上がる。
遺跡のあちこちから突然、植物が生じ、一気に成長した。石造りのそれは、あっという間に緑色の草木に染まってしまう。
さらに近くに水源があったのか、遺跡の隙間から少しずつ水が湧き始める。
屋内実験場の天井はもはや完全に崩壊し、真上には星空があった。
そして不定形の『それ』はやがて、ある形を取り始めた。
「……おいおい、ありゃあまさか……」
穴の底からそれを見上げるシルバの頬を、一筋の汗が流れる。
かろうじて声を振り絞った彼に応えたのは、タイランだった。
「暴走し、荒れ狂う……霊獣、です……」
「にぃ……」
月を背に、全身に鱗を生やした三本の頭を持つ剣牙虎が、猛然と空を舞い始める。
「……まるでどっかの誰かさんの再来みたいだ」
ボソッと呟くその声は、一人だけにしか届かなかった。
「……ちょっ、シルバ殿」
夜空を泳ぐように舞う三本首の霊獣の大きさは、5メルトを優に超えていたモンブラン八号を上回っているように、シルバ達には見えた。
ひとしきり、空の遊泳を楽しんだのか、霊獣の動きはやがて緩慢になり、その目が地上を捉えた。
正確には、遺跡の奈落から見上げるシルバ達の存在を思い出した。
狭い場所に封じられ、無理矢理力を吸い上げられ続けた霊獣は、怒りに燃えていた。
「……目が合ったな」
「……うむ」
緑が生い茂り、滾々と湧き水を吐き出し続ける遺跡の底で、シルバが呟き、キキョウが応えた。
霊獣の三つの口に、緑光が収束し始める。
「にぃっ、れいれいほう!」
「全員伏せろ!」
肩に乗ったリフの言葉に、シルバは懐からアイテムを取り出した。
逃げる余裕なんて無い。
シルバとリフを除く全員が、全身水浸しになるのにも構わず指示に従った。
直後、遺跡全体を緑光の柱が包み込み、轟音と共に、遺跡に開いた大穴の外周部が十数メルト広がった。
光が晴れ、大穴の底で――全員が健在だった。
「た、助かった……?
一番最初に、いつの間にか回復していた眼鏡を掛けたローブの青年が顔を上げる。
頭上を見上げると、黄金の魔力障壁が展開されていた。
「……ぜはー……ちょっとこりゃ洒落にならないぞ、おい」
その術師、シルバは指で印を作ったまま、溜め息を吐いた。
「{極盾/ゼシルド}、ギリギリセーフ」
魔力障壁は長くは持たず、そのままフッ……と消滅する。
「せ、先輩!? それ何!?」
同じく顔を上げたヒイロが、シルバの顔を見て仰天した。
それもそうだろう、とシルバは思う。
シルバは、狐面を被っていた。
「ま、これに関しては、後回しで。それよりも……」
「ぜ、全員、無事か?」
ガバリ、とキキョウが跳ね起きた。
それからふと自分の胸元に気付き、何故か両腕で覆いながら周囲を見回した。
「な、何とか……い、生きてます……」
「ヴァーミィとセルシアは引っ込めさせてもらったぞ。あんなの相手じゃどうにもならないし、僕の体力優先だ」
「にぃ……」
「やれやれ、何という凶暴な力じゃ」
白髪の老人がボヤいた。
「って、何で貴様まで生きている!」
すかさず、キキョウがツッコミを入れた。
「最初から死んでおらんわ! そもそも伏せろと言うから伏せたんじゃ! あんな場所に立ってたら、それこそ死んでしまうじゃろうが!?」
「誰が原因だと思っているのだ!」
「実に素晴らしいパワーじゃ! あれこそ、儂が追い求めている力! 精霊炉の未来があそこにある!」
「シルバ殿! このド阿呆、斬って捨てて構わぬか!?」
「まあ待て。今は、そんなしょうもない事に付き合ってる場合じゃない。おー、よかったよかった。部下の連中も無事だぞ、爺さん」
ローブ姿の連中も、ノロノロと起き上がる。
攻撃が効いていない。
その事に気付いた天空の霊獣は、今度は身体を反転させ、直に攻撃を開始した。
三つの頭が大きく開き、六本の長い剣牙が凶暴に輝いた。
「……お主、何故、儂を助けた」
「アンタの為じゃないっつーの」
シルバは再び印を切り、極盾を展開し――直後、衝撃が来た。
暴走した霊獣の牙が、魔力障壁を食い破ろうとする。だが、シルバの使える最硬度の盾は、霊獣四匹分の力を持ってしても、破壊する事は出来ないでいた。
「訳も分からないうちに人殺しになっちゃ、アイツらもたまらないだろ」
「にぃ……」
肩に乗っていたリフが、頭上の兄弟(だった存在)を悲しげに見上げる。
「つーかリフ。お前アレ、どうにか出来ないか?」
「待て、シルバ。それより君に聞きたい事がある。いや、そんな状況じゃないのは分かるが一つだけ……その狐の仮面は何だ」
「俺の切り札。以前、封じた霊獣の力が込められてる。コイツなら、まあ何とかなると思う」
「む?」
シルバがそれだけ言って指を鳴らすと、黄金色の盾が破裂し、その衝撃に霊獣も軽く弾き飛ばされる。
得体の知れない力に警戒したのか、霊獣は一旦、空に退避した。
「悪いけど、この戦いが終わったら俺、使い物にならなくなるから、誰か運搬頼むぞ」
「に」
「いや、お前は無理だから。無茶しなくていいから」
シルバは、リフを懐に押し込めた。
そして腰に力を込めて、跳躍する。
「……つーか、俺に白兵戦させんなよなっ!」
天高く舞い上がったシルバは、そのまま霊獣の頭の一つに蹴りを叩き込んだ。
だが、霊獣も黙っていない。シルバを噛み裂こうと、無事な二つの頭が大きく口を開けて迫ってくる。おまけに鱗の隙間から、無数の蔓が発生して、シルバを絡め取ろうとする。
シルバの尾から一本の尾が発生し、バランスを取りながらそれらのすべてを猛スピードで回避した。
空中戦が始まった。
遺跡の最底では、キキョウが指揮を執っていた。
「シルバ殿が霊獣の相手をしている内に、皆は撤退だ。直接攻撃を食らわなくても、下手をしたら遺跡に生き埋めになってしまうぞ」
時折、霊獣の精霊砲が地上に落ち、巻き上がった土煙が穴の中にまで侵入してくる。
仲間達と共に、ローブの連中も急いで出口に向かっていた。今は敵味方を言っている場合ではなかった。
最後に残ったのはキキョウと。
「おおおおお……霊獣がもう一匹。それも成獣じゃと! 欲しい! 欲しいぞ!」
握り拳を作って、夜空の戦いに目を輝かせている老人だった。
「お主もだ!」
キキョウは老人の首根っこを乱暴に掴むと、遺跡の出口目指して駆け出した。
精霊砲や牙を回避しながら、シルバは懐のリフに言う。
「いいか、リフ。やる事はシンプルだ」
「に?」
「俺がコイツを精神共有出来るレベルまで大人しくさせる。共有繋いだら、お前が兄弟と交信、説得。オーケー?」
「に、おけ!」
圧倒的に小さいシルバに攻撃が当たらず、霊獣は苛立っているようだった。
シルバは霊獣の爪を、両手でいなした。
素早く懐に飛び込み、がら空きになった胴に手刀を叩き付ける。
霊獣の咆哮が、夜空に響いた。
クスノハ遺跡はもはや、『遺跡だったモノ』になり果てていた。
「全員出たか?」
キキョウはへたり込んでいる人の数を数えた。
「か、完了です!」
何故か答えたのは、眼鏡を掛けたローブの青年だった。
ヒイロはといえば、老人と同じように空の戦いに見惚れていた。
「すげー……」
「ヒ、ヒイロ、危ないですよ……?」
「でもあの身のこなし……キキョウさんそっくりだ」
なるほど、言われてみればスピードを活かした体術は、無手のキキョウの動きによく似ていた。
「どういう事か聞きたいんだが、キキョウ」
空を飛べる自分がシルバを援護すべきか迷いながら、カナリーは訊ねた。だが、あの激しい戦いに混じっても、足手まといにしかならないのは見て分かった。
ドン、と精霊砲が一撃、地上を灼き、巨大な土柱が巻き起こる。
「今は安全圏まで逃れる方が先だ、カナリー。違うか?」
「まったくその通りだよ。しかしねキキョウ、どこまで逃げれば、安全なんだろうか」
そこに、シルバからの念波が飛んできた。
「見えないぐらい遠く、かな。けど、爺さん逃がすなよ」
キキョウは改めて、クロップ老の襟首を掴んだ。
「シルバ殿、こっちの心配はいい! 某達は自力で何とかするから、自分の身だけを案じてくれ! その力も、人の身では長くは持たない!」
「知ってる!」
地上から巻き上がった水の竜巻がシルバを直撃する。
弾き飛ばされたシルバは、空中で大きく回転して態勢を整えた。
とっさに身体を庇った右腕が骨折したが、『再生』の術がすぐにその負傷を癒してしまう。
新たな水竜巻が幾つも、地上から発生し始める。
「にぃ……お兄、何者?」
精霊砲による爆撃は休むことなく続き、おそらく夜明けには微妙に地形まで変わっているのではないかと思われる。
遺跡から遠ざかりながら、一人低く空を舞うカナリーは、シルバと霊獣の戦いを振り返った。
「というかだね、ああいうのはむしろ、ヒイロの方が向いてたんじゃないかい?」
「駄目だ」
クロップ老を片手に掴んだまま、キキョウは即答する。
「何故」
「仮面は鍵に過ぎぬ。シルバ殿とあの『力』の契約なのだ。他の誰も、あの力は使いこなせないし、仮面を被っても役に立たないのだ」
「……そして、その契約とやらをした本人も使いこなせない、と。時間制限アリって言ってたよね、確か」
「そうだ。人の身に余る巨大な力なのだ、アレは」
キキョウに引っ張られながら、クロップ老が苦しげに挙手する。
「な、ならば、儂に……」
「「黙ってろ」」
「こういうのは大の苦手なんだが……」
何十もの蔓を手刀で切断したシルバは霊獣の背中に回り込み、中央の首に乗った。
身体から生える蔓に加え、左右にも首がある為、完全な死角とは言い難いが、それでも多少は時間が稼げる。リフの精霊砲が、襲い来る蔓を灼いていく。
「に。お兄優勢! もうちょい!」
「おうともさっ!」
霊獣も相当に力を使った分弱ってきている。
貫手を固い鱗に覆われた首筋に叩き込むと、霊獣は空中でガクリとバランスを崩した。
「よし、いまだ! 契約を……」
シルバは精神共有の印を切った。
だが。
「に! お兄だめ!」
不意に、足下の体重が軽くなった。
霊獣が、三匹に別れたのだ。右の一匹がシルバを襲ってくる。
「なっ、ぶ、分裂……ヤバイ!?」
そして左の一匹だった霊獣はシルバを無視して、空を駆けた。
彼の狙いは明らかだ。
「そっちに行ったぞ、みんな!」
キキョウ達を追う霊獣の霊力が高まるのを、シルバは感じていた。
「にぃっ、せいれいほう!」
「{極盾/ゼシルド}が……間に合わない……っ!」
シルバは交信を中断し、味方に迫る霊獣を第一に倒そうと考え――
「……大丈夫です」
――その声に遮られた。
精霊砲が味方に直撃し、新たな土煙が巻き上がった。
「こ、ここは、私が何とかします……シルバさんは足止め、お願いします」
煙が晴れた殿に立っていたのは、2メルトを超える重装兵、タイランだった。
霊獣もタイランを難敵と判断したのか、水を操り、津波で押し流そうとする。
「あと、み、短い間でしたが……今まで、楽しかったです。これまでありがとうございました……」
タイランが手を突き出すと、津波が大きく真っ二つに裂けた。
甲冑全体の継ぎ目が、微かに綻んでいる事に気付く者は、この中にはいなかった。
「って言うかなんだその死亡フラグっぽい台詞!?」
「に、しぼうふらぐって何?」
二頭の霊獣を相手取りながら、シルバは戸惑った。
「いきます」
ガコン、とタイランの甲冑が、内側から重い音を鳴らす。
「外部重装甲、および内部軽装甲展開」
継ぎ目が完全に開き、蒸気が噴き上がる。
「第一第二第三安全装置、解除」
淡い青光が鎧の隙間から漏れ始める。
異様な気配を感じたのか、霊獣が咆哮と共にタイラン目がけて突進した。
「最終封印、確認――精霊炉、解放完了」
霊獣の剣牙が、重装兵の直前で停止する。
遮ったのは、忌々しい魔力障壁ではない。
かといって、彼を超える腕力でもない。
華奢な手から漏れる、青白い精霊光。単純に、自分よりも精霊としての格が上回ったに過ぎないそれが、霊獣の牙を阻んでいた。
「……終わらせますね」
年の頃は十六ぐらいだろうか。
背中まで伸びた髪と同色の、淡く青い光を放つしなやかな肢体は気体なのか液体なのか固体なのか曖昧で、下半身はまだ甲冑の中に収まったままだ。
可憐という表現が相応しい乙女は甲冑から大きく身を乗り出し、憂いの表情のまま、凶暴な怒りの衝動を秘めた霊獣の鼻面に手を置いた。
その途端、霊獣から獰猛な気配は消え、巨大な身体そのモノが消失した。
後には、リフによく似た仔猫が地面に横たわるだけ。
背後のキキョウ達も、シルバも、残った霊獣も全員が彼女――タイラン・ハーベスタの真の姿に目を奪われていた。
いや、一人だけ。
「おおおおお、すごい! 強い! 可憐な精霊じゃあ! 儂の精霊炉の素材にならんか娘!」
爺さん、空気読め。
「すみませんが……」
大きな甲冑から身を乗り出した、精霊の乙女が不可視の力を放つ。
そのままタイランは、重さを感じない動きで夜空に飛翔する。
精霊の力にそれほど敏感という訳でもない、キキョウやヒイロ、カナリーも、その力の余波を受けて、小さくたたらを踏んだ。
「……大人しくして下さい。これ以上、争いたくないんです」
緩やかな飛翔で、タイランはシルバ達と距離を詰めていく。
「おっ……」
青白い光を放つ仲間が近付くにつれ、シルバは自身の中から沸き上がる膨大なエネルギーが次第に鎮まっていくのを感じていた。
見ると、唸り声を上げながらも大人しくなった霊獣たちも徐々に高度を下げ始めていた。
「にぃ……お兄、急いで下りる。力抜けてきてる……」
懐のリフの言葉に、シルバはぼやいた。
「中和能力か。どっかの誰かさんじゃあるまいし……」
「に?」
「いや、こっちの話。とにかく忠告に従って下りるとする。どうせもう、限界だしな……時間切れだ」
荒野に着陸すると、シルバは大の字に倒れた。その衝撃に、狐面が外れる。
「に……!?」
「シルバ殿!」
その光景を目にし、真っ先にキキョウが動いた。
「速っ……!? 今まで見た中で、一番速いんじゃない、キキョウさん!?」
「素晴らしい脚力だな」
巻き起こった風に髪を抑えながら、カナリーは感心した。
そして、シルバ達から少し離れた場所に、タイランが二頭の剣牙虎を従えて着地する。あれほど荒れていたのに、今ではすっかり大人しくなっていた。
「もう、貴方達を害するつもりはありませんから、どうかお鎮まり下さい」
わずかに地面から足を浮かせたまま、タイランは霊獣達の鼻面に手を当てた。
「…………」
「…………」
霊獣はそのまま、眠るように倒れるとやがて淡い光を発して緩やかに消滅した。
地面に残ったのは、小さな仔猫が二匹と、一抱えほどもある龍魚と呼ばれる甲冑のような鱗に身を包んだ魚系の霊獣だった。
龍魚は本来は水棲だが、空中を泳ぐ事も出来る不思議な霊獣だ。
もっとも三匹とも揃いも揃って、見事に気絶していたが。
カナリーは皮肉っぽく笑い、ヒイロはしゃがみ込んで興味深げに魚をつついた。
「ふん、本体は可愛らしいモノだな。そう思わないか、ヒイロ」
「うん。けど、全部で四匹になってるね。リフは三匹って言ってなかったっけ」
うはあ、猫可愛いーと呟きながら、もふもふの肉の塊をヒイロは撫でた。
カナリーは、タイランが戻した霊獣の一匹をいつの間にか回収し、腕の中に納めていた。こちらも気を失っているらしく、カナリーに抱かれたまま大人しくしていた。
「それ自体は別に驚く事じゃない。老人も言っていただろう? モンブラン八号に使ったのは、霊獣四匹分のエネルギーだって。まあ、どこのどなたさんなのか訊ねるのは、シルバに任せるとしよう」
「あ!」
不意に何かを思い出したように、ヒイロは顔を上げた。
「……今度は何だい、ヒイロ?」
「爺さんいなくなってる!」
「っ!? に、逃げられた!?」
あれだけ騒いでいた老人が、確かにローブの男達と一緒にいつの間にか消えていた。
クスノハ遺跡から1ケルトほど離れた場所で、逃走に成功したクロップ老一味は、荒れ狂う精霊の災害から逃れる事が出来た、自分達の幌馬車を発見していた。
その荷台で、クロップ老は地団駄を踏んでいた。
その視線は先程から、遺跡の方角に向きっぱなしだ。
「くうううう……! 欲しい欲しい欲しいぞあの二体。霊獣ではないな。男の方は力の源はあの仮面。あの仮面に、何かの秘密があると見た。女、そうタイランと言うたか。アレは明らかにタダの精霊ではない。中和能力など並の精霊は持ち合わせておらぬ。今すぐにでも欲しいが……」
「こ、ここは自重して下さい、先生」
腹心の部下である眼鏡の青年が、未練たらたらな老人をたしなめた。
「今の儂らに、奴らを手に入れる手段はない事ぐらい、分かっておるわ! まずはまた『奴』から霊獣を買い入れ、新たなモンブランを造り上げる! うむ、もしかしたらあの二人を手に入れるのも奴らなら出来るかもしれんな。儂らが苦労する理由はない。ならば、早速金策と交渉の準備じゃな!」
思いついたら即行動が、クロップ老のモットーだった。
しかし、その前に馬車が急停車し、危うく老人は転ぶ所だった。
「ぬ……どうした? 何故、止まる?」
前の方に回り込み、御者の部下に尋ねる。
「わ、分かりません……急に馬が怯えて……」
「何じゃと?」
見ると、確かに二頭の馬が震えていた。
まるで、正面に何か化物でもいるかのように、必至に後ずさろうと努力する。
いや、馬だけではない。
「うっ……!?」
まずは御者。
「う、うあ……!?」
そして荷台に待機していたい部下達も、次々と顔色を青ざめさせていた。
「むむっ、どうしたお前達!? まだそんなに寒くないはずじゃが……」
何だかやたら鈍感な、クロップ老だけは気付かなかった。
冷徹な殺意を持った視線が、幌馬車を射竦めていた。
もはやその気配を隠そうともせず、ゆっくりと近付いていく。
「せ、せせ、先生には分からないのですか!? な、何かが近付いて来て……ひいっ!?」
地面が揺れる。
「む、お……」
ようやく、クロップ老も『それ』に気がついた。
正面の夜の闇から、一対の碧色の目が輝いたかと思うと、白い巨大な剣牙虎が姿を現わした。
「おお……っ!?」
幌馬車の、馬も御者も、荷台に乗っていた者達も、誰も動かなかった。
いや、動けなかった。
彼らを見下ろす、圧倒的な存在に射竦められ、ようやく彼らは自分達が、とんでもないモノを敵に回した事を自覚した。
……その自覚は、いささか遅すぎたが。
『――我が仔らを掠ったのは、お前達だな? 返答は不要だ。我は既に、すべてを知っている』
そして霊獣フィリオは、スッと眼を細めた。
『――これ以上、言葉はいらぬな?』
剣牙虎は一度身を竦めると、大きく跳躍して幌馬車に飛びかかった。
「にぃ……にぃ……」
リフがシルバの頬を懸命に舐めるが、目を覚ます気配はなかった。
もっとも、同じ事を過去にも経験しているキキョウは慌てない。
「心配はいらぬぞ、リフ。シルバ殿は、気絶しただけだ。この力を使うと必ずこうなるのだ」
「に……」
「とにかく一旦態勢を立て直そう。奴らを逃がしたのは惜しいが、一番の目的は達せられたのだ。まずは街に戻り、それから山にお主らを戻す。よいな」
「……にぃ」
返事は、鳴き声でしか帰ってこなかった。
精神共有の基地でもあるシルバが気を失っているのだから、当然と言えば当然だ。
「むむ、やはりシルバ殿がおらぬと、意思疎通が難しい……ここは、タイランに頼むしかないな」
キキョウは振り返る。
興味深げに、霊獣を保護するカナリーとヒイロから少し離れた場所で、いつの間にか甲冑に戻ったタイランは、所在なげに立ち尽くしていた。
「あっちはあっちで問題があるが……」
色々とフォローが大変そうだな、とキキョウは短く息を吐いた。
「に!」
唐突に、リフが顔を上げた。
その尻尾がピンと立ったかと思うと、全身の毛を逆立てる。
「ぬ、どうした、リフ」
「に! に!」
尻尾が大きく左右に振れる。
そして、キキョウも気がついた。
「……っ!? な、何だこの気配は……!?」
何か途方もないエネルギーを持った何かが近付いてくる。
敵意がないのは、せめてもの救いだった。
カナリーやヒイロも、どうやらその存在に気付いたようだ。
やがて、巨大な剣牙虎は彼らの前に姿を現わした。
『……無事だったようだな、姫』
静かな知性を宿した霊獣フィリオが、少年の上にチョコンと座る小さな愛娘を見下ろした。
ピキッと父親の額に血管が浮いたように見えたのは、多分キキョウの気のせいだ。
フィリオは、キキョウらを眺め回した。
『大儀であった。礼を言うぞ、人間。……いや、揃いも揃って、人ではないか』
「……も、もも、もしかして、リフのお、お父上か?」
キキョウは、気絶したままのシルバとフィリオの間に割って入った。
『……小娘、貴様が……』
それからふと考え込み、フィリオは改めてパーティーの面子を一人ずつ確かめた。
『ふむ……消去法で、シルバという男は、貴様が背に庇っている其奴か。其奴だな?』
何か恨みでもあるのか、ぶわっ……! とフィリオの全身から、緑色の烈気が迸る。
その気に当てられ、キキョウの尻尾がピンと立った。
「し、し、しるばどのに、てだしはさせぬぞ……ぜったい、だめだ!」
炎のように噴き上がっていたフィリオの気が、不意に鎮まった。
『ふん……心配するな。例えどこの馬の骨であろうと、恩人である事に変わりはない』
「シルバ殿は馬の骨ではないぞ! 骨も肉も人間だ!」
問題は、そこではないのだが。
『……どうでもよい。ああ、どれほど憎たらしかろうと、我は恩を忘れるような下種ではない。ぬぬぬ……』
でも、やっぱり悔しそうなフィリオだった。
大きく息を吐き、キキョウの背後に倒れるシルバを見下ろす。
『とにかく、仔らを連れ帰る前に一言ぐらい、挨拶はあっても良いだろう』
「だ、だが、今、シルバ殿は……」
『知っている。面白い力を使う男だ』
フィリオの目が、碧色に輝いた。
直後、シルバの口から呻き声が漏れた。
「う……」
「シルバ殿、気がついたか!」
「に! お兄、よかった!」
シルバ・ロックールは意識を取り戻した。
「あー……何とか」
その頭に、強烈な怒りに満ちた意識が流れ込んで来る。
精神念話だ。
『ぬうううう……!? お、お兄だとっ!? 我はパパと呼んでくれないのに、其奴はお兄なのか、姫!』
そのやり取りを少し離れた場所で眺めていたヒイロは、呆れた様子でカナリーのマントを引っ張った。
「……ねえ、カナリー。あのでかい猫、とってもすごい霊獣……なんだよね?」
「……そのはずなんだ。うん、ちょっと僕も、自信なくなりかけてる」
むむ、と額に指を当て、カナリーが唸る。
ヒイロは後ろで沈黙を守っていたタイランに振り返った。手招きする。
「あと、いつまでも沈んでないでさ、タイランも、行こ」
「は、はい……」
「だいじょぶだいじょぶ。先輩なら悪いようにはしないって」
「…………」
それでも、タイランは黙ったままだった。
気絶から目覚めた直後、目の前に現れたのが巨大な剣牙虎で、シルバは驚いた。
「う、うお……!? 何だ、このでっかいの!? って、身体動かないし!」
シルバの身体はまるで、鉛の塊にでも変わったかのように、恐ろしく重かった。
『……無茶な身体の使い方をしたからだ。あの力は、並の人間の身に収まる力ではない。それでなくても脆弱な身であるというのに』
フィリオの言葉に、シルバの胸の上に座るリフが、少し不満そうな声を上げた。
「にぃ……お兄、リフ達の恩人……」
『むぅ……ゴホン。その身は術の類での治癒はむしろ毒となる。自然の回復に任せるか、霊泉の類に浸かるが良かろう。とにかくだ、礼を言うぞ人間。よくぞ、我が仔らを助けてくれた』
「……こんな格好で失礼だけど、どう致しまして。あ、そうだ、キキョウ。連中は?」
「ぬ、そ、それなのだが……」
すぐ傍まで近付いていたヒイロが、両手を合わせた。
「ごめん、逃げられちゃった」
騒動のドサクサに紛れて、クロップ老一行は消えていたという。
シルバも動けないし、今はどうしようもないだろう。
「あー……でもまあ、みんな無事だしよしとするか。とにかく、娘さんらをお返しする。俺の名はシルバ・ロックール。ゴドー聖教の司祭です。こんな姿勢のままで失礼ですが」
大の字状態のシルバに、フィリオは頷き返した。
『……存じている。名乗り遅れたが、我が名はフィリオ。モース霊山の長を務めている。それと、仇を逃したというがその件は問題ない。我の方で片付けた』
「……え?」
目を瞬かせるシルバ。
リフは、首を傾げた。
「……父上、たべた?」
『否、呑んだ』
フィリオの言葉に、リフ以外の全員がどよめく。
「の、呑んだ?」
『奴らは我が腹の中に収まっている。そこで精気を死なぬ程度に吸い上げている。約一名元気なモノもいるようだが……』
「……誰の事だか、大体の見当はつきますよ」
フィリオの引きつった笑みに、キキョウもうんざりと首を振った。
「あの爺様も、本望であろう」
『此奴等はしばらく我が腹の中で飼い殺す。人の作った炉とやらで、我が仔らを苦しめた奴らには相応しい報いを。……飽きたら精霊砲をぶちかました後に返すから、牢獄は開けておけ』
「……本当はそういうの駄目なんですがね。ウチの上の人が、法に明るいから話を投げときます」
いつもならここで困ったように髪を掻くのだが、今のシルバにはそれも叶わない。
『それとこれだが……何かの手掛かりになるかも知れん』
フィリオは、プッと口の中から小さな硬貨を吐き出した。
リフがシルバの胸元から飛び下り、それを咥えて再び元の位置に戻った。
ヒクッとフィリオの頬が引きつったが、それに気付いた者はいなかった。
シルバは、コインの表面に刻まれた、開かれた書物のレリーフに見覚えがあった。
「……『トゥスケル』のコインですか」
『知っているのか?』
頷くシルバには、何となく納得できるモノが有った。
「貴方の子供を掠った実行犯は、多分このコインを持つ連中ですよ。リフ一人満足に捕まえられない爺さん達の一味が、五匹もの霊獣を捕らえられるはずがないでしょう。気をつけた方がいい。あの連中は、可能かどうかはともかく、興味を持った事に掛けてはとことん執念深い」
それから、シルバは深い溜め息をついた。
「『奴ら』がお子さんらを掠った理由はきっと、おそろしくつまらないですよ。『霊獣を捕らえられるかどうか、試したかった。だから試した』とか、そんなトコです。爺さん達から金はもらったでしょうけど、それは二の次です」
シルバの言葉に、フィリオは苛立たしげに喉を鳴らす。
『……そんなつまらぬ理由に、我らは振り回されたというのか。何者だ、其奴らは』
「俺だって詳しい話はそれほど知りません。当人達曰く『知的好奇心の集団』だそうですが……」
彼らの目的は多岐にわたり、時には組織内での対立も珍しくない。
そして、シルバの知るトゥスケルの人間の目的はあまりにナンセンスなので、彼は言うのを躊躇った。
『……分かった。心に留めておこう』
フィリオは背後を振り返った。
すると、ノロノロと幌馬車がこちらに近づいてきた。
『奴らが足に使った馬車を回収しておいた。街への帰りに使うとよい。少々汚れてしまったがな……』
確かに、幌や荷台の側面が血で汚れていた。
「うへぇ……」
それを見て、ヒイロが顔をしかめる。
フィリオはそれに構わず、シルバに向き直った。
『……正直、長々と話すのは、あまり好きではない。残りの用を片付けよう。礼をしたいが、あいにく山から身体一つで飛び出て何も準備しておらぬ』
「いや、別にいいですって。せっかく知り合った友達が困ってたから、助けただけだし。……なぁ?」
シルバは目だけで、仲間を見渡した。
「うむ。義を見てせざるは勇無きなりだ」
「だよねー。リフの兄弟が無事でよかったよ。ちゃんとリベンジは出来たし」
「僕としては、予想以上の収穫があったので、満足している。この遺跡にはまた何度か訪れる事になりそうだ」
「……と、ともあれ、無事で良かったです……」
一歩引いた位置で遠慮がちに言うタイランに、シルバは視線を止めた。
「あ、タイランには後で、話があるから」
「……っ! は、はい……」
「……いや、そんな緊張しなくても、大丈夫だって」
シルバが苦笑し、それに釣られたかフィリオもタイランを見た。
『お前は普通の精霊とは違うようだな。それに何やら訳ありの様子。よければ、我が山に入るか』
「……え?」
『善き精霊ならば歓迎する。……何、今すぐに決めずとも良い。お前にも事情があろう。まずは我の用事を片付けよう』
再び、フィリオの瞳が輝いた。
その途端、三匹の仔猫……もとい、小さな霊獣達が飛び起きた。
「っ!?」
「にぅっ!?」
「なぁっ!」
動転する子供達を、フィリオは見下ろした。
『起きたか、我が仔ら』
カナリーの腕の中でも、霊獣が一匹ぶるぶると震えていた。
「ヒイロ」
「ん?」
「パスだ」
霊獣の首根っこをつかみ、そのまま隣にいたヒイロに提供する。
「う、わっ!? きゅ、急に何!?」
「良い猫は、動かない猫だけだからね、うん。……ああビックリした」
言葉とは裏腹に、大して驚いた風もなくカナリーは胸をなで下ろした。
「ビ、ビックリしたのは、こっちだよ」
手のひらに収まる霊獣を、ヒイロは落とさないように気をつける。
『……説教は後回しとする』
親霊獣の声と共に、ヒイロの手の中にいた霊獣がふわりと浮いた。
「ありゃ……?」
残る二頭も同じくで、三匹の霊獣はフィリオから10メルトほど離れた位置で、一塊にされてしまう。
そしてフィリオは大きく口を開けた。
『この馬鹿者ども』
霊獣の口内で光が収束したかと思うと、それは光の束となって解き放たれた。
巨大な霊獣にふさわしい、強烈な一撃に、小さな仔霊獣達はまとめて上方に吹き飛ばされた。
「「「にゃぁー!?」」」
「ちょっ……!?」
余波を受けて、シルバ達の髪も大きくなびく。
『ひとまずは、これで済ませてやる。以後、慎むように』
とさとさとさ、と霊獣達が、地面に転がり落ちた。
「「「に、にぃ……」」」
呻き声を漏らしながらも、どうやら無事でいるようだった。
「……というか、リフはいいんですか?」
シルバの問いに、ふん、とフィリオは鼻を鳴らした。
『……姫の事だ。どうせ、倅どもを止めきれず、山を下りた口だろう。充分痛い目に遭った事だし、不問とする』
「……にぃ」
精神共有を使わなくても、霊獣の仔らが「ずるい」と訴えているのが、メンバー全員に分かった。
しかし、子供達の不満を完全に黙殺し、フィリオの瞳は今度は未だ動かない、龍魚に向けられた。
『……そちらの霊獣は、街に連れてゆけ。捜索依頼が出されているはずだ。冒険者ギルドに連れて行けば、恩となるだろう』
「りょ、了解です……つか、水に浸けなくてもいいのかな……」
シルバは迷った。霊獣に人の常識はなかなか通じないとはいえ、仮にも魚の形をとっている霊獣である。
フィリオは、タイランに首を向けた。
『おい、鎧の娘。名前を何と言ったか』
「タ、タイラン……ですけど……」
『お前なら水の精も何とか出来るだろう。力を使え』
「は、はい……」
甲冑の胸甲がガシャリと重い音を共に上に開き、淡く青白い光を放つ華奢な手が覗く。
その手がわずかに瞬くと、意識を取り戻した龍魚は青い燐光に包まれ、やがて弱々しく宙を泳ぎ始めた。
安心するのか、そのままタイランの周囲を緩やかに舞い続ける。
『残る問題は一つ』
ギラリ、とフィリオの眼光が心なしか強まったように、シルバには見えた。
その視線が、シルバを見据える。
少し間を置いて、フィリオは口を開いた。
『……娘に名を付けた責任、これをどう取るつもりだ?』
「え?」
何の事か、シルバはすぐには分からなかった。
『名は存在を示す重要な要素だ。故に我らは親子であってもあだ名で呼び合う。リフという名を与え、それを姫は認めたという事はつまり、お前は我が姫を真名で縛ったという事だ』
一気にまくし立てられても困る。
その困惑が霊獣にも伝わったのか、彼は小さく咳払いをした。
『また、話が長くなったな。同性同士の場合ならば義兄弟の契りとなるのだが、今回は異性。これは人間の世界で言えば、一番近いのはプロポーズに当たる』
「はいっ!?」
シルバは、思わず間抜けな声を上げてしまった。
ちなみに、キキョウの耳と尻尾も大きく逆立ったのだが、それに気付く者はほとんどいなかった。
『しかも姫は受け入れているのだが、どうするつもりだ、シルバ・ロックール?』
ずずい、と獰猛な雰囲気を漂わせたフィリオが、巨大な鼻面を迫らせてくる。
さすがにシルバも言葉に詰まる。
「え、ええっと……?」
どう応えればいいのだろう。何となく「じゃあ受けます」とか言っちゃうと、そのまま噛まれてしまいそうな気がするのだ。
かと言って断っても噛まれそうな気がする。
「にぃ……父上、お兄がこまってる」
困惑するシルバに、リフから助け船が出た。
さすがに娘には弱いのか、フィリオはわずかに顔を引いた。
『む……だがな、姫』
「お兄はそこまで深く考えてなかった。みとめたのはリフだけど、責任おしつけるはダメ」
『む、むぅ……! 我としては、その名の破棄を推奨するぞ、姫。そうすれば、この契約は無効となり……』
「だめ」
父親の譲歩案は、あっさり娘に却下された。
『何故だ!?』
「リフ、この名前気に入った」
『ならば、此奴と夫婦になるのか』
「父上」
『む……?』
「これいじょうお兄を困らせると……」
『こ、困らせると?』
「父上、きらいになりそう」
『よかろう、シルバ・ロックール。お前にこの契約について考える猶予を与える。そうだな、百年ぐらい!』
「……そ、そりゃどうも。また急にえらいアバウトになったな……」
多分、俺死んでます、とシルバは心の中で呟いた。
『不満か。ならば、我が姫と契りを交わすか』
「い、いや、ない。文句ないです、はい!」
父親を見上げていたリフが、振り返る。
「お兄。リフは一旦、山に帰る」
「そ、そうか。さすがにプロポーズがどうとかいうのは困るけど、そうじゃないなら、いつでも来ていいからな」
「に。また来る。盗賊おぼえる。まってて」
尻尾を立てて宣言する娘に、動揺したのは父親だった。
『な……! だ、駄目だ、姫! そんな事は許可できん。下界は危険だと、今回の件で分かったはずではないのか!』
「に……いい人もいっぱいいるって覚えた。それにリフはお兄の嫁」
「ちょっ!? それ無しのはずだろ、お前!?」
今度慌てたのは、シルバだった。
「に。もんだいなし。これはリフの自称」
どことなく得意そうに言う、リフだった。
「……いや、俺はどっちかっていうとお前のお義父さんが怖いっつーか」
『グギギギギ……人間、貴様ぁ……』
フィリオの歯ぎしりの音が、あからさまに響いていた。
それを無視して、リフは父親の鼻面に向かって跳躍する。
そのまま頭の上に乗る。
「父上、かえろう」
『わ、我は認めないからな! 帰るぞ、倅ども』
ほとんど負け惜しみのような言葉と共に、フィリオは踵を返した。その尻尾は、鞭のように大きく揺れていた。
「にぃ……!」
巨大な父親の後を、三匹の息子達が追いかける。
だがふと何かを思い出したのか、フィリオは振り返った。
『そうだ。言い忘れていたが、お前の今の覚醒は仮の物。我の力が途切れれば、再び眠りに就く事になる。およそ一週間。大人しくしているがいい』
言って、今度こそ剣牙虎の霊獣達は、山の方角へと帰っていった。
……嵐が去ったような心境に、残った一同は一斉に溜め息をつく。
「いい人だ。人じゃなかったけど……じゃあま、後はしばらく任せた、キキョウ」
「承知」
「あ、あと、そうだ、もう一つ。……タイランを呼んでくれ」
急激に訪れつつある睡魔と戦いながら、シルバは言った。
しばらくすると、遠慮がちな重い足音が響いてきた。
ぼやけ始めた意識の中、シルバは正面にタイランがいるのをかろうじて確認した。
「あー……タイラン」
「は、はい」
「動けないんで、馬車まで運搬頼む。こういうのは、お前が一番向いてるから」
「……! は、はい」
沈んでいた声が、微かながら元気になった。
「という訳で、あとよろしく」
ふぅ……と息を吐き出し、シルバは再び意識を失った。