【習作&ネタ?】真・恋姫†無双 ~~陥陣営・高順伝~~ 第54話 虎牢関。幕間その2。連合軍。野望を胸に集った諸侯の士気は崩壊していた。曹操ですら負けてしまった事で、ただでさえ低かった戦意が根こそぎ刈られた、というべきかもしれない。何より、虎牢関を真正面から抜けそうに無い、という現実。このままでは大した戦果も無く解散・・・などという事態になりかねない。ここで解散してしまっては連合軍に対して、孤軍といっても良い状況で戦った董卓軍に敗北したという事になるのだ。そこで、曹操は袁紹に策を「提言」した。袁紹は真正面から攻め落とす事に固執していた為、難色を示したが「じゃあ、ここで負けを認めて解散するというのかしら?」と言われ「そんな筈がありませんわ!」と意地を張ってしまった。その策、というのは・・・簡単に言えば「虎牢関を諦めて洛陽を直接攻める」というものだった。「まず、総大将である袁紹殿が汜水関付近で守りを固める。汜水関自体は捨てて構わないわ。むしろ、董卓に再占拠させて戦力を分散する、位のつもりで行くべきね。そして、我々は洛陽付近の要害を取る。」一気にまくし立てていく曹操。彼女は反論を許さぬ強い口調で一気にまくし立てた。こういった事は勢いが一番だ。何せ、利だけで繋がっている諸侯。ここまで負けが続くと瓦解しかねない。「要害?」と、誰かの言った声に曹操は深く頷く。「南陽(なんよう)の北部付近ね。太谷(たいこく)一帯を占拠して・・・そうね、袁術殿が宜しいかしら。」「は!? なぜ妾が出なければならぬのじゃ!」袁術は抗議の声を上げるが無視して曹操は続ける。どうせ、洛陽一番乗りを目指しているとかそんな理由だ。先ず最初に案だけ出して、人選は後で決めれば良い。「西に向かって武関(ぶかん)を占領。長安(ちょうあん。現代の西安である)に圧力をかけるのよ。そうすれば長安で「態度を決めかねている連中」を動かせるでしょう。ねえ、袁紹殿?」「・・・ふ、ふん! そんな程度の事、私も考えておりましたわ!」(・・・嘘ね。)(嘘ですね)(っちゃー・・・解りきってる嘘っすよ、麗羽様・・・(れいは、袁紹の真名))曹操に話を向けられて不機嫌そうにそっぽを向いた袁紹を見て、曹操と、袁紹配下の将である文醜(ぶんしゅう)と顔良(がんりょう)がため息をついた。「態度を決めかねている連中」というのは、董卓の将で長安を預かる李傕(りかく)・郭汜(かくし)、そして董卓の親戚に当たる牛輔(ぎゅうほ)である。彼らは董卓に敵意を持っているわけではないが、連合軍有利と見て自分から(袁家に)使者を出して繋がりを持っていたのだ。洛陽を陥落させ董卓を倒す事に協力したら、という条件付ではあるが・・・金なり褒美なり与えると言うことになっている。が、彼らの目的はそこではなく董卓その人にあった。彼らの思惑を一言で言うと「董卓たん(;´Д`)ハァハァ」とか「董卓たんにえろえろな服着せて(;´Д`)ハァハァ」・・・。どう見ても道徳上許されない変態です、本当にありがとうございました。彼らの思惑はともかくとして。王允一派の中に楊彪(ようひょう)と言う人物がいる。この男、妻に袁家ゆかりの女性を迎えており、その縁を使って袁紹との繋がりを作ったのである。賈詡(かく、董卓の軍師)も王允派の動きに感づいてはいるが、流石にそんな裏の話まで走らない。連合側である曹操はこの話を当然知っており、策に使おうといっているのだ。ただ、もう1つの問題がある。「なるほど、曹操さんの作戦はわかりましたわ。ですが! 私は残りません。誰か他の人を残しますわ。」「・・・はぁ、参ったわね。汜水関の抑えは必要なのに・・・。」・・・総大将、袁紹の我がままである。彼女も袁術同様「洛陽一番乗り」を目指している。誰が一番乗りでもいいのだが、彼女は自分こそがソレを成し遂げる、と言って聞かないのだ。予測はしていたが、これを断られると困るのは曹操だ。現在、虎牢関に篭る軍勢が5万強。こちらの兵力は20万を超えていたはずが何時の間にやら1割以上減って17万強。5千の兵を削るのに3万の兵を失っているのだ。どの諸侯も磨り減っているが、袁紹だけは大した損害が無く、その上一番の大兵力。汜水関を再度占領させるとして・・・半分の兵を裂いたとしても2万数千。その汜水関の牽制を、袁紹にして欲しかったのだが・・・やはり、彼女の我侭街道まっしぐらな性格では無理だった。彼女には連合軍総大将としての矜持があるだろうし、やはり無理か。さぁ、誰か代役を立てなくてはならないわね、と思ったところで一人の武将が手を挙げた。「ならばその役、私が引き受けましょう。」「貴方・・・鮑信(ほうしん)!?」鮑信、と呼ばれた武将・・・女性だが、自分の席から立ち上がった。鮑信。彼女は曹操と盟友に近い間柄と言える。歳は曹操よりわずかに上と言ったところだが、まだまだ立場の無い曹操を積極的に支援する数少ない人間だ。傲岸不遜なところが若干ある曹操も、彼女には感謝しているようで立場を超えた友人と思っている。この戦いの後、数年とせずに亡くなってしまう鮑信だったが・・・。その後も生きていれば、間違いなく曹操の将となって重要な地位についていただろう、と言われる程の実力を兼ね備えた英傑。「曹操殿の言う通り、汜水関の抑えは必要でしょう。向こうから積極的に責めてくると事はないと思われる。まあ、迫られれば勝ち目が無いので逃げさせていただきますがね。」肩を竦めるように言う鮑信だが彼女の手持ちの兵力は1万以下であり、逃げるのはごく普通の選択だろう。もっとも彼女の事だから、また兵を集結させて抑えを続けるだろうな、と曹操は考えている。結局、武関にいくのは袁術ではなく張邈(ちょうばく)・袁遺(えんい)・劉岱(りゅうたい)になってしまったが、それ以外は概ね曹操の思惑通りになった。虎牢関を力攻めしたところで無益、というのを理解していたからこそあっさり決まったのだろう。最後に、陣幕を出る時に曹操は鮑信を肩を並べて出て行った。「損な役を押し付けたわね、鮑信。」「あら、曹操ちゃん。いやねぇ、貴女と私の仲じゃない?」さきほどの口調から一転、砕けた感じの話しようである。他の人が真似れば即斬り捨てられそうな口調だが、鮑信相手では曹操は文句を言いもしないし、相手が誰であれ物怖じせず対等に付き合う鮑信の性格に、曹操は好意を抱いている。流石に、諸侯のいる前では慎んだようだが普段から鮑信はこんな感じだ。曹操は、自分より背の高い彼女を見上げるように言った。「借りと思っておくわよ。」「あら、私は忘れてると思うけど。」「ふっ、言ってなさい。・・・董卓を降した後、また会いましょう。」「はいは~い、期待して待ってるわよー。」彼女達はお互いの拳を軽く打ちつけ合ってから、自分の陣へと向かっていった。数週間後、汜水関にて。「・・・来ないねぇ。」「来ませんね。」「来ぃへんなぁ・・・。」高順、楽進、張遼は関の近くに陣取る鮑信隊を見て呟いた。曹操たちが動いて数週間。高順達は、虎牢関から慌しく退いた連合軍を追って、李典・干禁(そして全ての投石器)を加えた形で汜水関へと向かった。虎牢関を守るのは呂布と華雄のみである。ただ、おかしなことに・・・連合軍が汜水関にいないのだ。言葉通り、もぬけの殻である。ごく普通に占領したが、罠があると言うわけでもない。占領した後に「鮑」旗の一部隊が現れたが、全く攻めてこない。目の前で適当に時間をつぶしていると言うか。その癖、きっちりと守りを固めている。一度、攻めてやろうと部隊を繰り出したのだが、鮑信軍は蜘蛛の子を散らすようにあっさり撤退。拍子抜けして関に戻れば、また直ぐに集結して・・・という、そんな感じだ。攻めてくるわけでもない、攻めればあっさり散る、そしてまた集まってくる・・・。(時間稼ぎか。しかし・・・うーん。)流石に怪しい、と高順は河内(かだい、洛陽、虎牢関の北にある都市)に「影」である楊醜・眭固。それに、いつの間にか増えていた馬日磾(ばじつてい)を向かわせて情報収集に当たっている。連合軍は南のほうヘ向かったので意味は無いし、見当違いともいえるが直ぐ近くの河内に向かっていると思うのは不思議な事でもない。この辺り、戦術には適応できても戦略に適応できていない(というか経験が無い)高順の弱点が諸に出てしまっている。同時期に洛陽が連合軍と王允、董卓を裏切った長安軍に攻められて陥落していることも、当然知らないままである。洛陽は戦火に包まれていた。洛陽守備隊が目前まで迫っている連合軍に気付いた頃には、何もかもが遅い状態だった。賈詡は何とか東・・・虎牢関守備隊に救援要請を送ろうとしたが、周辺を完全に囲まれ、西からは長安を守っているはずの李傕の軍。内部では王允一派が蜂起、混乱に乗じた連合軍と王允派兵士の手で城門まで突破されてしまった。2万の兵で守備を固めていれば虎牢関から援軍も来ただろうが・・・。連合軍がここまで来る事に気がつけないことにも問題がある。だが、ほぼ全戦力を虎牢関・汜水関に集めなければならない董卓側に、他の拠点に千も2千も回す余裕など無かった。所々の関所には連絡用の兵士を配置していたが、曹操の策に引っ張られた形の連合軍は凄まじい速さで攻め入った。数十人、多くて百人程度の関所守備兵に、数万の軍勢を抜いて洛陽まで突っ切れ、と言うのも無茶な話ではある。昼夜兼行、夜影に紛れて各拠点が攻略され、洛陽まで情報が行き届かなかったとはいえ、連合軍の進撃速度は大したものであった。政庁にいた董卓は覚悟を決め、その場で自害をしようとしたが、賈詡や張済が説得をした。「まだ虎牢関と汜水関の兵力がある。東の地に逃げて再起をするべきだ」と。「董卓という存在がいる限り、連合軍はどこまでも追ってくる。これ以上皆を巻き込む訳には」と拒否する董卓。それでも賈詡は粘り強く「なら、あんたが世間的に死んだことにすればいい。こんなとこで諦めるんじゃないわよ!」と説得を続けた。おかしなところで強情なのは董卓も賈詡もそっくりである。これ以上は埒が明かぬ、と張済は董卓に当身を食らわせて気絶させた。「さあ、軍師殿。我々はどう動けばよいのです!」「・・・あ、え!? まさか、張済がそんな強硬な・・・じゃない。東門を抜けるわ。張繍が突破部隊を。あんたは月(ゆえ、董卓の真名)を守って一緒に退きなさい!」「承知!」「あと、適当に陽動部隊を繰り出すべきね。連合軍は南門を突破しているけど、そこに意識が集中してる・・・もしかしたら、奴らはソレを狙ってるかもしれないけど。」虎牢関と汜水関に残る軍勢と、今手元にある兵を全て合わせても7万に届くか否か。東門を突破できたとして、無事に済む訳がない。最終的には6万程度になるだろうか。「くそ、王允め・・・裏で手引いてるのは董承(とうしょう。)でしょうけど。」董承、という男は帝の妻の父。つまり、舅である。十常侍同様に権力欲に取り付かれたつまらない男で、自分が帝を補佐して漢王朝を導く存在だと信じて止まない。大した能力もないくせに、と思っていたが・・・裏で何かをする才能だけはあったようだ。事実、尻尾を見せなかった・・・。能力が無いと見限った甘さが命取りだった訳ね、と賈詡は自省した。いや、それよりも脱出が先だ。幸い、西涼兵が主体である董卓軍だ。力押しで抜けることも可能だろう。賈詡は張済と張繍に守られつつ、東門を目指す。数刻後、賈詡達は虎牢関へと脱出した。幾人かの諸侯が追撃を仕掛けたようだが、返り討ちにあったようだ。総大将である袁紹と、袁術が政庁一番乗りを争っていたりして纏まりが無い連合軍である。王允らは董卓を追撃した部隊の1つを担っていたが、どうも返り討ちどころか逆襲されて戦死したらしい。李傕は・・・まあ、どうでもいいだろう。劉備は「余裕は無いけど」と前置きをして、洛陽復興のために僅かだが支援をすることにしている。当然、劉備に従う人々もやる気満々だ。そんな中、関羽は戦火に焼かれて僅かの間に荒れた洛陽の街並みを呆然と見つめていた。諸葛亮や鳳統の・・・いや、趙雲の言うとおり、董卓は善政を敷いて立派に洛陽を治めていたようだ。洛陽を攻略した瞬間は喜びが大きかったものの、今は落胆のほうが大きい。解放軍のつもりだったが、洛陽の住人に無言の敵意を向けられた事が辛かった。子供達に石を投げられ「お前達のせいで家が無くなったじゃないか!」と言われた事もある。家族の遺体にすがって泣く人々を見ることしか出来ない。様々だったが、1つだけ「自分達が来たからこんな事になったのだ」という冷たい事実だけが理解できた。趙雲の言葉は正しかった。無道は袁紹・・・いや、自分達であった。自分達の、いや、自分自身の正義を欠片も疑わなかった関羽にとって、これは大きな転機だった。綺麗ごとは必要かもしれないが、それだけでは駄目だ。政治や学問の事をもっと知る必要がある。武だけではいけない、と痛感した。その後に一度、平原に帰還する劉備軍だったが、その際に関羽は諸葛亮と鳳統に頼んで教えを乞うたり、春秋左氏伝の写しを借りて読み耽ったり・・・。武だけではなく、学問にも励みだす。後々の話ではあるが・・・関羽は文武両道の名将として大いに名を馳せる。孫策は、というと前回の騒ぎ(袁紹・袁術が宦官を抹殺して回った話)で手に入れることが出来なかった戸籍台帳を入手・・・悪く言えば、ちょろまかしていた。前回にも増して混乱の度合いが酷かったためか、潜入した周喩・黄蓋曰く「あっさり」と言えるほど上手く事が運んだようだ。孫策は、袁家の「洛陽一番乗り」を遠まわしに「頑張るわねー」とか言って酒をちびちび飲みながら見つめるのみだったが、周喩の報告を聞いて迅速に動き始めた。他にも、甘寧を派遣して洛陽内部の状況を探らせてもいる。報告の内容は「洛陽の被害はかなりのものよ。混乱に乗じて賊・・・黄巾残党まで侵入したようね。」というものだ。孫策は「ちっ」と舌打ちをした。「獣の群れめ。いつまで跋扈するのかしらね・・・いつか悉く滅ぼしてやるわ。・・・蓮華!」「はい!」孫策は側にいる妹の孫権に声をかけた。「私達も入城するわ。資材、食料。多少の無理はしていいから復興作業を開始しなさい。貴女は炊き出しと仮設天幕の準備を。」潘璋や宋謙には治安維持、土地の責任者との面会等、多くの命令を出してから孫策軍も洛陽に。そこで甘寧も合流、しかし、様子がおかしい。慌てて孫策の元へと駆け寄ってくる。「そ、孫策様!」「な、何よ? 甘寧がそこまで慌てるなんて珍しい。」「そ、それよりも、あの。い、井戸が!」「・・・いど?」何を言っているのか解らない、というか要領を得ない。本人もどう説明していいか解らないらしく、「ついて来て下さい!」とか言って走り出したので、孫策と周喩は「何を見つけたのかしら?」と思ってついていった。行き着いた先は町外れの路地で、そこには小さな井戸がある。「この井戸が?」という孫策を甘寧は促した。井戸の中(というか底)に何かがあるらしい。中を覗いたら、確かに何かが光っているのが見える。「・・・何か解らんな。甘寧、取って来てくれるか。」「は、ははっ!」周喩の言葉に従って、甘寧は腰に巻きつけて網を巻きつけて(ついでに、孫策がそれを引っ張って)するすると井戸の中へと入っていく。すぐに出てきた甘寧の手には小さな巾着袋が1つ。「このようなものがありました。」と孫策に渡す。「・・・何これ?」と開けてみたところ、中には白い大理石で作成された・・・龍をあしらった形の印鑑らしきものが入っているのみだった。「な、これは・・・まさか、玉璽ではないか!?」『はぁっ!?』周喩の叫びに、孫策と甘寧が思い切り驚いた。「むぅ・・・間違いない。始皇帝が作成した、と伝えられる物と条件が一致している。しかし、随分ととんでもない物を。」「何故そんな大それたものが井戸の中に?」「ふむ、逃走した董卓派の者が黄巾残党に襲われて・・・捨てたか、隠そうとしたか。どちらにせよ、これは使えそうだな。・・・待ちなさい、雪蓮。」「ぎくっ。」抜き足差し足忍び足で逃げようとした孫策を周喩は怖い顔をして呼び止める。「ど・こ・へ、行こうとしているのだ?」引きつった表情で孫策は振り返った。「い、いや~・・・その。冥琳の考えてる事が解った気がしてさ~・・・。」「ほほう、私がどう考えたか聞かせてもらおうか。」「えーと、兵を偽装させて私が玉璽を得たことを噂で流して・・・。」「うむ。」「で、人も物も集まってくるだろうから、人前で「威厳と得を兼ね備えた」演義をして、とか・・・。」「さすが、よく解ってるわね。・・・甘寧、逃がすな。」「はっ。」甘寧は周喩の命令どおりに動いて孫策の退路を断つ。「ああっ!? あんた、どっちの味方よ! 私は君主様よ!?」「・・・申し訳ありません、孫策様。ですが、この場合は軍師殿の命令に従うほうが正解かと。」「む、むぐぐ・・・。あ、そうだ。私は引退してあとは蓮華に「馬鹿者!」ごめんなさいそんな怖い顔しないで!」本気で怒った周喩の迫力に負けて孫策は直ぐに謝った。「天佑、神助。呼び方は何でも構わないけれど、利用できる事は利用しなくては・・・我々は生き残れない。」「・・・解ってるわよぉ。」「なら、それで良い。頼むわよ?」「はいはい。」「「はい」は一回!」「ごめんなさい!」曹操は、というと彼女が得たものは何1つ無かった、と言っても良い。連合軍を勝利に導く策を出した、とは言っても虎牢関で手痛い敗北を喫している。だが、「芽」は撒いておいた。実を言うと、董卓が東へと抜けたのは彼女の考えどおりである。というよりも東門の軍勢が少ないのは南門が抜かれたからである。。南門が突破された事で、ほぼすべての諸侯がそこを目指したのだ。西の馬騰を頼る事もあっただろうが、西門は押さえられており、脱出不可能。ならば東の虎牢・汜水関の兵と合流して南か更に東へ・・・と考えるのは当然だろう。曹操は、彼らの行き先を更に東の徐州、或いは南の荊州と踏んでいる。北は袁紹やら公孫賛がいるし、東は・・・自分の領地はあるが、まだまだ小さいので素通りできると思われるのだろう。そして、徐州の陶謙(とうけん)は親董卓派である。(表立って支援している訳ではなかったがならば、その伝手を頼っていくだろう、と思うのだ。荊州の劉表(りゅうひょう)を頼るかもしれないが、かなり距離があるし、その前に袁術の領土を通る。だからこそ、徐州・・・ということだ。徐州は曹操の領地である陳留からも割と近い。力をつけた後、徐州を攻め取る予定の曹操にとってはそのほうが都合が良い。その時には董卓、いや、呂布や張遼、高順一党を敵にまわすことになるだろう。それに勝利できれば、それこそ幾らでも取り返しが聞く。その為の「芽」だ。(せいぜい、逃げなさい、董卓。あとで私が全て頂く・・・。それこそ、食べ頃になったときに、ね。)曹操は、董卓軍が逃げ去った東を見つめて笑みを浮かべていた。・・・どうでもいいが、彼女が「食べ頃」とか言うと嫌な方面に聞こえるのは気のせいだろうか。~~~汜水関にて~~~呂布・・いや、董卓軍の主だった者が全て会議室に集まっている。董卓を始めとして賈詡、呂布、陳宮、張遼、華雄(と徐栄らも)、高順一党。いきなり董卓やら呂布が汜水関までやってきた時には、何があった!? と考えた高順だったが「洛陽が陥落」と聞いて(やっぱりなぁ・・・)とか思っていた。やはり、あの曹操やら孫策やらが大人しく引き下がる訳はなかったか、と嫌々であるが納得した。さて、議題は「これから先どう動くか」だ。(すでに董卓は亡き存在として、呂布軍となっている。まぁ、これまでとそれほど変わらないのだが・・・)洛陽が奪われ、補給は無い。西の馬騰を頼る事もできなければ北へ行く事も出来ない。そうなると、どうしても選択肢として残る場所が東と南である。殆どの者が東を推す中、高順だけは南を推した。(降伏をするつもりは無いらしい)「何で南なのだ!?」と陳宮に詰め寄られたが、高順にもきっちりと言い分はあった。「東なんて、群雄割拠も良いとこでしょうが。陶謙頼るって言っても、あの腹黒というか小ずるい爺さんじゃ、いつ掌返すか解りませんよ?」「むぅう、ですが、一応は手を結んでいるのです!」陳宮は子供っぽく、というか実際に子供なのだが手をばたばた振り回して反論をする。「徐州は海にも面して、地理的にも悪くないのです! 下邳と小沛のどちらかでも得られれば地力を蓄えられるはずなのですっ!」だから、それが嫌だって言うのに、と高順はため息をついた。高順は知識として、徐州が「曹操・劉備・呂布三者による三つ巴の戦い」の場になるという事を知っている。この面子で行けば負けることはないかもしれないが、あの2人の軍勢にはまだこの時点で係わるべきではない。下邳はいい所だったが、沙摩柯と蹋頓にとっては辛い場所だ。その辺りを考慮しての反対意見なのだが・・・。「どちらかを得るって、具体的にどうするのさ。あそこで反乱でも起こすのか。それとも反乱が起きるのを待って鎮圧、恩を売るか?」「むぐっ・・・。う、奪うのです!」おいおい。「そんなもんより、南の荊州向かうか越えるかして交阯(こうし)頼るとかそういう方がいいと思うんですよ。益州に向かうもよし、そっから北上して正式に馬騰軍と組むってことも出来るでしょう。地力を蓄えるのにわざわざ騒乱の多くなる場所目指してどうするんです?」「むぅううう・・・しかし、荊州では遠すぎるのです、広大な袁術の支配地を抜けるかどうかも怪しい・・・ここから近い徐州ならば、途中の障害も少ないですぞっ!」「食料の問題もあるから、やな?」「そういうことです!」陳宮に助け舟、というつもりは無かったろうが張遼が口を挟んだ。「徐州を得てそこから南に向かうという手もあるわね。揚州、淮南(わいなん)、荊北・・・。」「・・・。」むぅ、孤立無援。「高順の言い分も解るけどね。実際問題、そこに行き着くまで食料が持つかどうかよ。・・・やはり、徐州へ向かうのが一番ね。」最終的に賈詡の決断に従うことになった。高順としては不満だがここで華雄や張遼を見捨てることは出来ないし・・・と、結局ついて行くつもりのようだ。(死ぬかな、これは・・・。)正史における自分の死に場所は徐州。死を覚悟して出立準備を始める高順であった。鮑信は「勘」で汜水関から軍勢が出ることを察知していた。彼らは恐らく東か南、多分東だろう・・・と、軍勢を置いている。当然、真正面から戦うなどするつもりは無く彼らが出てきた後、後方から襲撃を仕掛ける。妹の鮑忠(ほうちゅう)にも少数だが軍勢を任せており、追撃を仕掛けて100でも200でもいいから敵兵を討ち取ろうと考えている。姉に似ず、鮑忠は猪突猛進な性格なので「深追いするな」と言ってあるが・・・不安である。「っと、来たわねぇ?」凄まじい勢いで東へ向かう董卓軍・・・いや、先頭を進むのは「呂」旗・・・呂布だ。隠れて様子を窺うが、じっと見ていても「董」旗は出てこない。その内、すべての軍勢が出て行ったがやはり、「董」は見当たらなかった・「もしかして董卓は死んだ? ・・・まあ良いわ。追撃開始!」鮑信は立ち上がり、馬に乗った。洛陽に向かった連中はこちらまでは来ないだろう。さて、自分達だけでどれだけのことが出来るか、と鮑信は考えていた。董卓・・・いや、呂布軍最後尾。殿を務めるのは華雄の将である樊稠(はんちゅう)・李粛(りしゅく)・徐栄(じょえい)の三将。主体は騎馬部隊であるが、歩兵や弓兵もいるので進む速度はそれほどでもない。「・・・おい、2人とも」「何だ、李粛?」李粛に呼ばれた2人は後ろを見た。「・・・追っ手が食いついて来ているな。」「ああ・・・鮑信だったか? 自分から手出はしないが追撃だけはする、か。」今まで汜水関の前に陣取って手出しをしてこなかったが、ここぞとばかりに追撃を仕掛けてくるようだ。どうも騎馬隊のみで編成されているようでその数はそれほど多くない。しかし、このままでは追いつかれるだろう。「李粛。我々は引き返して鮑信軍に突撃する。それで多少は時間が稼げるだろう?」「徐栄・・・できるだろうが死ぬぞ。」「ああ。だが、兵士を犠牲にして生き延びるつもりも無い。名のあるとは言えんが武将首、目を引くくらいはできるだろう。」徐栄の言葉に樊稠と李粛はお互いの顔を見て、僅かに考えた後で頷いた。「うむ、いいだろう。我々は時間稼ぎにためにここに残る。だがな、徐栄。」「お前は生き延びろ!」李粛は、徐栄の馬の尻を槍の柄で叩いた。馬は驚き、嘶いて駆けていく。「な、お前ら! 何を考えている!?」馬の速度を緩めて離れていく李粛達に、徐栄は悲鳴に近い叫びを上げた。「我々全員が死ねば誰が華雄様の面倒を見る!」「行け、徐栄。お前は生きろ、生きて・・・華雄さまを支え続けろ!」馬の手綱を引いて何とか制御しようとするが、言う事を聞かない。「ええい、! いう事を聞け、この駄馬がっ・・・くそっ、李粛! 樊稠ー!」徐栄は離れていく2人の戦友の名を叫ぶことしかできなかった。その2人に従って残る兵、およそ500。彼らに初期から付き従っている古参の兵である。馬首を返した李粛は無言のままに鮑信隊へと向かっていった。樊稠と兵も、彼と同じように馬を駆ける。追撃隊の先頭を走る鮑忠にも、足止めとして向かってくる部隊に気付いていた。「ふん、姉上は先走るなと仰ったが・・・手柄を目の前に退く事などできない。」討ち取れ! という号令に従って、鮑忠隊の騎兵900は雄叫びを上げる。足止め部隊の先を駆けるは李粛。同じく先駆けをしている鮑忠と交差、戦い始める。だが、樊稠と西涼騎兵はそれらを無視して一気に鮑忠隊内部へと斬り込んでいく。自軍の精鋭である騎兵先鋒隊があっさり蹴散らされたのだ。すぐに中支えの部隊との乱戦に発展する。「なっ・・・なんという突進力だ・・・!?」「余所見をするな、小娘!」「くっ!」鮑忠は李粛が繰り出した突きを受け流して尚も一騎打ちを続けている。暫くして鮑信が追いついた頃には、既に自軍の騎兵が蹴散らされて後衛部隊まで押し返されている状態に陥っていた。それでも、見たところ足止め部隊の残兵は数十もいない。鮑信が知るわけもなかったが、その頃には鮑忠が苦戦しながらも李粛を討ち取っている。そして今、一騎の騎馬武者が乱戦の中から抜け出てきた。後続隊の先頭にいる鮑信へとがむしゃらに突き進んでくる。(確か、あれは樊稠と言ったか。華雄の武将だな。)大物とはいえないが、決して小物ではない。見れば、樊稠は所々怪我をしている。大怪我を負うか骨が折れるなりしたのだろう、左腕もだらりと垂れ下がっている。鮑信は樊稠へと向かう。2人はある一定の距離を開けて馬を止めた。この間に、鮑忠隊は損害を出しながらも斬り込んできた兵を壊滅させていた。「樊稠将軍と見受けたわ。・・・見れば、既に兵も無く、あんたにも戦う力が残ってはいない。降伏しなさいな。」「ふ、ふっー・・・。」樊稠は荒い息をついて、馬の背から地面に落ちた。直ぐに起き上がったが、槍を突き立てて杖代わりにして立つのがやっとと言ったところだ。出血が酷いらしく、意識も混濁しているのだろう。だが、彼の放つ言葉には力が篭っていた。「降伏など、せぬ・・・。兵と友に、顔向けが出来んのでな。」「そう・・・残念ね。」本当に残念そうに呟いた鮑信も馬から降りて、腰の鞘から刀を引き抜いた。樊稠にあわせて、互角とは言いがたいが徒歩での戦いを望んだのだろう。刃渡りが4尺(後漢尺に照らして約93センチ前後)、柄長は1・5尺(37センチほど)ほどの長尺刀だ。鮑信はゆっくりと刀を腰だめに、樊稠はふらつきながらも槍を構えた。両者、息を整えた後に無言で突進、交差。樊稠の槍と、鮑信の刀が陽光に煌き唸りをあげる。だが・・・槍は届かず、鮑信の一撃は樊稠の胴を袈裟懸けに斬りつけていた。「ごぶっ!」樊稠は口と傷口から大量の血を吐き出し、己の血だまりに仰向けに倒れた。彼の目には空が、そして、先に逝った戦友たちの姿が映った。「が、はぁ・・・ふ、は、はは。俺は俺の役割を果たした、ぞ・・・。胡軫(こしん)・李粛。俺も、今、逝・・・く・・・。・・・。」かすれ声で呟き樊稠は逝った。徐栄と、華雄。多くの戦友たちが少しでも生き残れる事を願って。「・・・。お美事。」鮑信は刀に付着した血を拭うことをせず、樊稠の亡骸に近づき、その横にしゃがみ込む。見開かれたままの樊稠の目に手をかけ、そのまま下ろしてやる。苦痛で歪んでいてもおかしくないだろうに、樊稠は笑みを浮かべながら眠っていた。 「はぁ、はあ・・・あ、姉上!」いつの間にか、背後に鮑忠がいた。鮑信は立ち上がって妹の方へ体を向けた。「あら、鮑忠。・・・随分手酷くやられたものね。」「うぐっ・・・申し訳ありません。」「こちらは兵の被害が大きく、向こうは武将2人と西涼騎兵数百を失った。・・・まぁ、戦果有りと言うところね。」素直に謝罪した鮑忠に、慰めの言葉をかける鮑信。「あの・・・追撃を続けますか?」「もう追いつけないわね。かなりの時間を稼がれた、というところかしら。・・・ふ、彼らの思惑通りね。」鮑信は樊稠の亡骸を見下ろして呟いた。「追撃は中止。敵味方の区別無く、遺体を埋葬しなさい。」こうして呂布軍は徐州へと逃亡。後に、徐州は劉備・曹操・呂布の戦いの場になっていく。その結果、誰が生き残るのか・・・。それはまだ、もう少しだけ先のお話。~~~楽屋裏~~~生きるのに疲れた、もう森へ帰ろう。あいつです。(挨拶樊稠の死に様を書いたシナリオを見れるのはアルカディアだけ!嘘、多分(?雑魚武将として扱われる樊稠やら李粛に見せ場を作った心意気だけは評価・・・できないですか、そうですね。洛陽ですがあっさり落ちました。イメージでしかありませんが、洛陽は賑わっているイメージがあっても守りに向いてない、みたいなものがあります。また、王允派(董承派でもありますが)の数が多かったでしょうし、その中に黄巾残党が含まれていたのでしょう。かなり早足で進めましたが・・・い、いいですよね?(不安彼らを何処に向かわせるか色々と迷いました。実は、高順君が向かう先としての候補は北(公孫賛)と西(馬騰)もありました。その場合のイベントも色々と考えてあります。しかし、このシナリオでの「正史」はあくまで徐州ルートなので・・・。機会があったら「外史の外史」として書いてみたいですね。多分ムリですけど(笑さて、高順君の死亡イベントありありな徐州です。・・・どうやって呂布を徐州に置こうかな。適当にトウケン死なせるとか(こらでは、また次回お会いしましょう。ノシ