【習作&ネタ?】真・恋姫†無双 ~~陥陣営・高順伝~~ 第44話 洛陽的日常、その3。馬超達が高順の居館に住み着いて早2ヶ月ほど。その間に董卓軍は部隊の再編成を終えて高順達も軍事演習をこなすようになっていた。その時には沙摩柯も武陵蛮と、山越合わせて400ほどを率いて帰還、高順達の集めた異民族(五胡も含まれる)と烏丸騎兵も合わせて約2000の部隊となっていた。沙摩柯はとある土産も持って帰って来たが、それは後述。高順一党の率いる兵は殆どが騎兵。干禁・李典・楽進はどちらかといえば支援部隊に当たるため弓・歩の割合も大きいが騎兵も配属されている。高順の騎馬の運用法は基本的に「攻撃のみ」を重視している。騎馬と言うのは防御に向いている訳ではない。その戦場走破能力と打撃力をもって敵陣を駆け抜け切り裂く・・・全てを攻撃能力に注ぎ込むべきだと高順は考えている。一度、重装騎兵を作ってみようか? と考えたりもしたがそれをできる頑健な馬が虹黒くらいしかいないし、創設費・維持費共に今は少し手が出ない。それよりも兵士1人1人の戦力を上げる為に金を使うべきだろうと考えているが、まあそれはいい。張遼や呂布との軍事演習、模擬戦、武将同士の手合わせなど、やる事はたくさんある。高順は武将同士の手合わせの時に真っ先に呂布に立ち向かってすぐ敗北、ということを繰り返していた。「ぶっころーす!」「・・・(べちりっ」「おヴぉふっ!?」と、まあこんな感じで一蹴されている。すぐに負けて引き下がり、また挑んでは負けて・・・ということを何度も繰り返しているのだがそれは経験として活きる筈。実際に少しずつだが高順は呂布の猛撃に耐える時間が延び始めている。それどころかたまに反撃を試みるほどに成長している。・・・まぁ、すぐに負けることは負けるのだけど。呂布だけではなく、張遼、張済・張繍、徐栄、華雄などとも手合わせをしているし、張遼との間にも諍いはあるものの部隊の動かし方は、息があい始めており、なかなかの適応力を見せてもいた。呂布に挑むのも高順だけではなく、全員が訓練を頼み込んで手合わせをしてもらっている。さて、軍事演習などの話は置いて・・・高順には3つの問題があった。問題と言ってもうち2つは高順自身にはあまり関係のない話だったのかもしれないが、それはともかく。まず1つ目。馬超達が西涼に帰還したことだ。これは別段驚くようなことでもない。彼女らはあくまで馬騰の代わりで派遣されただけで、いつまでも洛陽に滞在する訳には行かないのだ。送り出しには全員が顔を揃えていた。解っていた事とはいえ、別れと言うのは辛いものだ。真名を教えあうほどの友好関係も出来たようなのでその気持ちはひとしおだろう。帰り際になって、感極まったのか単純に寂しくなったのか、馬超は涙ぐんでしまって別れの言葉も満足に言えなくなってしまうほどだった。妹達がなんとか宥めたものの、彼女達も泣き出してしまって結局、韓遂が代わりに別れを告げることになった。「高順、洛陽の生活が落ち着いたら今度はお前達が西涼に来てくれ。義姉にも会わせたいし、なによりあいつらが、な。」そう言って、成公英に付き添われて離れていく馬超らに視線を向けた。「ええ、そういたします。・・・韓遂殿もお元気で。」「ああ、我が甥よ。そして、友人・・・中には愛人もいるようだがな?」韓遂はにやにやしつつ蹋頓を見つめた。他にもいるのが解っているが一番濃厚な間柄と見ている。「・・・まだ甥になるって決まってませんし、愛人とか言わないで頂きたい。」「はは、なるも同然さ。お前のほうはともかく、馬超達にお前を離すつもりは無いようだからな。・・・ではな、閻行よ、お前ともまた会えることを願っているぞ。」「ええ、貴方も元気で。馬騰にもよろしくね。」「うむ、さらばだ!」それだけ言って、韓遂は未練げなく背を向けて馬超らと、兵士の待つ郊外へ去っていった。「・・・行ってしまいましたね。」韓遂の颯爽とした後姿を見送りつつ、高順の隣にいた楽進が呟いた。「ああ、行ってしまったね。面白い人たちだったよ・・・韓遂殿は滅茶苦茶だったけど。」楽進は、確かに、苦笑してしまった。彼女は当初こそ馬超達にまでライバル意識のようなものを抱いたものだが、友人の少ない境遇などを聞いて不憫に思ってしまったのだろう、割と親身になって世話を焼いていた。もともと面倒見のよい性格であるし同年代と言うこともあって、馬超らは高順以外で一番最初に打ち解けて真名を教えあったのが楽進だった。高順にしても、馬超は男勝りだとか乱暴だとか聞いたのだが実際には「言うほどのものかな?」程度にしか感じなかった。むしろ、そういう風聞を気にして自分の女らしさに自信が持てないとか、人一倍可愛い服とかに興味を持つところなどは普通の女の子の感性だろうに? と可愛く思ったものだ。趙雲や3人娘、蹋頓も同じように思ったらしい。よく洛陽の町に繰り出して(というか一方的に連れ出して)服などをどっさりと購入してきたりと、これまた女性同士の付き合い方をしたものだった。妹2人も悪戯好きな娘達だったが、高順には懐いたようでよく甘えてもいた。(その度に馬超が真っ赤になって怒ったりもしていた)その時のやりとりと言うのも決まって「お前らっっ! 高順が迷惑してるだろ!?」「えー? そんなことないですよー?」「ないのですよー?」「ぬがー!!」・・・と、この姉妹のいつもの喧嘩であった。そんな元気な彼女達がいなくなるのは寂しいが、彼女達にも自分のやるべき事がある。韓遂は・・・まぁ、うん(え?そして2つ目の問題。これは高順と言うよりも賈詡の事である。賈詡は、このところ寝不足が続いて疲労しているのだ。彼女の仕事が多いというより、自分から仕事を率先して実行してしまう・・・要するにオーバーワークなのだ。ワーカーホリック(仕事依存症)というわけではないし、他の文官として陳宮や李儒もいるのだがそれでも足りないくらいに仕事が多い。その状態で寝不足が続いて、不眠症に近い状態を引き起こしているようなのだ。政庁や廊下ですれ違うたび、目の下にクマを作ってフラフラしている賈詡を見た高順も流石に心配になって董卓に「賈詡殿休ませたら?」と進言してみたが本人が「そんな暇ないわよ・・・」と、却下してしまったのだそうな。眠りたくても眠れないらしい、という事を後日聞かされた高順は寝る前に酒を飲んでみたら? と思ったが・・・「そういえばこの時代ってアルコール度数の低い酒しか無いっけ?」と考えた。もっと時代が下れば曹操が完璧に近い醸造酒を開発するかもしれないのだが・・・例えば黄酒(今で言う紹興酒)などはあっただろうが、大抵は濁酒(どぶろく)とか甘酒みたいなものだ。(それで酩酊する高順って・・・ホットブランデーとか、砂糖を加えれば飲みやすく・・・と考えたところで高順は「・・・そういや、蒸留酒ってあったっけ?」と考え始めた。考えた結果、サトウキビがあるということを知って・・・「ラム酒くらいなら作れるんじゃね?」と思い至った。そこで、沙摩柯には兵士を集める以外にも「お金余らせてサトウキビも購入して欲しい」とお願いしておいた。(彼女のもう1つの目的はこれだったこの場合に1つ目の問題となるのは酵母なわけだが・・・ちょうど、虹黒の食料となるリンゴがあったのでそれを使うことにした。リンゴと蜂蜜、白湯に蓋できっちり密閉できる瓶。温度が少し不安だったが、洛陽は暑い訳ではない。むしろ少し肌寒い程度だ。なんとかなるか、と考えて早速材料を集めて作成開始。李典に頼んで完成度の高い蓋も作ってもらおう・・・。酵母と言うものは一度作ってしまえば、種継ぎをして何度も使えるし、これでパンを作れば皆喜ぶかなー、と主夫じみたことを考える高順であった。面倒なので色々と過程を飛ばすのだが、沙摩柯はきっちりとサトウキビを購入して帰還。そのサトウキビを何に使うのだ? と不思議そうな顔をしていた。確か、絞り汁を乾燥させて黒砂糖を・・・と考えつつ、高順は手順どおりに進めていく。さあ、最後の問題。どうやって蒸留するか? である。要は、下側で熱して、上側で冷ます、だ。李典に少し手伝ってもらうことにして、「鍋に黒砂糖を溶かし込んだ水(醗酵済み)を入れて、その真ん中に杯を固定。上側を陶器の皿でがっちりと蓋。その皿に冷水を満たしてから熱する」と、面倒くさいやり方になるが、そうやって蒸留をすることにした。本当は冷水ではなく氷水が良いのだが・・・温くなってきたら水を替えるしかないな、と思いつつ実行してみた。(湯煎だと時間がかかりすぎるが仕方が無いまた過程を飛ばして・・・何とかラム酒完成。ラム酒と言っても、樽などで熟成させた訳ではないので色の無い透明な液体である。高順が味見をすると完全に眠りこけるので他の人々にお願いしたところ、割と高評価が帰って来た。もっと完成度の高い蒸留器を使えば更に美味しくできるのかもしれないのだが、こういう手合いの甘めの酒など飲んだことは無いので当然と言えば当然だろう。これに、砂糖とお湯を加えて・・・本当はバターなどがいいのだが代用として一滴だけ酪(ヨーグルト)を浮かべれば・・・(偽)ホット・バタード・ラムになる。これを寝酒にしてもらおうというわけだ。試しに政庁にいる董卓、賈詡。その場にいた張兄弟と呂布にも飲んでもらった。「身体が温まるな」や「ちょっと甘いけど飲みやすい」など、これもまた悪くない評価だった。(陳宮はお子様なので不可能。身体も温まるので一石二鳥・・・と言いたいところだが、これが常習化してしまわないように、と注意だけはしておいた。もともとアルコール度数の強いお酒でもあるし、常習化してしまえば酒の量が増えて・・・という悪循環になる。そうなる前にきっちり寝るように、と。これを飲み始めて賈詡は多少は眠れるようになったらしい。が、それよりもラム酒と言うものに興味を覚えて「製造方法教えなさいよ!」と迫ってくる辺り、仕事人である。美味しかったのか、普通に気に入っていたのかもしれない。最後に3つ目。これが一番高順に関係してくるところだが・・・李典である。それは訓練中。彼女の「高順兄さんの鎧、何とかなりまへんの?」という発言から始まった。彼女は自分の仕事をしながらも、高順の命令で投石器や固定設置型の巨大弩(バリスタ)の量産に着手していて忙しい。たまにさぼって干禁や張遼と一緒に洛陽に繰り出して楽進に大目玉を食らったりしているが、自分の技術を使えそうな事にはきっちりと目が行くところは流石である。「へ? 何かおかしいかな?」「いや、おかしいっちゅーか。そんなボロボロなん、よぅいつまでも着てるなー思いまして。新しいの支給されてますやろ? 代えたほうがええんとちゃいます?」「んー、そうかなぁ。そんなに変かなぁ。」高順の着用している鎧は、上党時代から使用しているものだ。一般の兵士が使用するような簡素な物だから丈夫とは言えないし、愛着もあってこれまでの戦いをそれで押し通していたのでやはりボロボロである。だからこそ晋陽戦で大怪我を負って死に掛かったのだが・・・。「でもなぁ。支給されてるやつでもいいけど・・・無骨すぎてどうもなー・・・。」使い慣れたものの方が良いし・・・と渋る高順だったが、じゃあこんなのどうよ? と李典に相談してみた。簡潔に言えば、戦国武将の使っていた鎧兜を提案した。精巧な図ではなく、ある程度のイメージと言うか、そういうものを伝えて・・・といったところか。ちょっと前の話だが、高順は張遼に「順やんは見栄が足らんっ!」と叱られた事がある。彼女が言うには、仮にも一部隊の隊長がそんな普通の鎧でどうするのだ、ということらしい。「身分に相応しい格好しぃや、今の順やんは2千の兵士抱えてるんやろ。そこらの兵士やった時代のことはちょいと忘れてみ。な?」と。そんな事を言われても・・・と考えて、結局思い浮かんだのが戦国武将の鎧だったのだが・・・。できれば、動きやすいのにして欲しいと注文、材料費も払った。晋陽では材料集めに多少苦労した節もあるが、洛陽でならば金さえ出せば何とでもなるのだろう。他にも、張遼の使用する飛龍偃月刀も刃がボロボロになっていたので修復する事になったらしい。そして、時間経過。李典から呼び出しが会ったので顔を出してみた高順だが、他に何人かが「興味がある」として高順についてきている。。工房で出来上がった鎧を見せてもらったのだが、何と言うかすごい事になっていた。それを見た高順の第一感想。「・・・何これ?」である。伝え方が悪かったかもしれないが、兜自体の出来は良い。かわりに兜の立て物が何と言うか・・・龍の姿を象っている。龍の胴体、腕。そして尻尾が兜の後ろに垂れ下がるような格好で地面すれすれ、ムチのように駆動する。どこぞの鎧の魔剣みたいなもんである。龍の顔に至っては髑髏。悪趣味と言われても仕方が無い。角も両横から2本。前立てだけで良かったのだが・・・これでは鬼みたいだ。高順は心中で「・・・もしかして、張遼殿の下に回された恨み?」とか思っていたり。顔の面当て・・・鼻と口と目は露出しているが、リアルロボットみたいな顔に見えて「どうやって思いついた?」と言いたくなる。ただ、鎧の胴体部と脛当てに至ってはかなり良い出来だ。前方向の装甲を薄くして横と後ろに防御を集中させている。(前面に防御力が無いという訳ではない腕部分や小手、脛当ても結構な防御力があって、全ての部分に相当量の鉄を使用したのが解る。もう1つ、異様な部分がある。肩当である。普通、戦国武将の鎧の肩当・・・袖と言うべきか。木や鉄の薄い板状のものを横方向に面を向けているタイプが多いのだが、李典作のものは違った。どちらかと言えばプレートアーマーに近いのだが、上に跳ね上がってから後方、かつ下に向かって伸びている。その肩当もそうとうな分厚さで、なぜか刀、或いは剣を鞘ごとマウント可能な形になっている。そして鞘が向く方向が上。きっちり固定しないと鞘から抜ける気がする。マウントできる数も2本ずつ、両肩あわせて4本と言うことになる。外見上で言えば・・・当世具足に近いのかもしれないが。「・・・だからって、こんなごっついの作らんでも・・・何この中2病な鎧。」「えー? ちゃんと間接部分は擦らんように作ってあるし、高順兄さんの大剣と丁原ってお人の刀も収納できるようにしてあるんやで?」「いや、それはいいけど・・・。ん、この肩当って、手で持てるようにもなってるのか?」「なはは、そうやで。手持ち盾としてでもええし、殴りつける武器にもなるし。強固な鈍器みたいなもんや!」「ここに武器装着すると・・・変な蝙蝠みたいに見えるよ。これ。」「にゃはは、まぁ、ええやん? さて、試着してもらいまひょ♪」「え、これ採用したくないよ俺。李典、悪いんだけど作り直してくれよ・・・」「え~~~?」嫌がる高順だった。当然かもしれない。こんな出来が好いのか悪いのか解らない鎧を着てくれと言われて喜びそうな人間など・・・。「そこまで悪いですか、これ? 私は良いと思うのですが・・・。」・・・いた。楽進である。「ふむ、外見での威圧効果も考えれば悪くないやもしれませぬな。」「え、ちょ!? 楽進も趙雲殿も何を言ってるんだ!」楽進の意見に賛同するように頷く趙雲。「そうですね、良し悪しはともかくも、折角作っていただいたのですから一度着用なさってはいかがですか?」と、これは蹋頓。「うおー、高順様羨ましいっす!」「うちらも専用の鎧が欲しいっすよ!」閻柔と田豫も目を輝かせている。ごつい鎧のが好きなのだろうか。「むぅ・・・。」そこまで言われれば、さすがに反対も出来ない。渋々といった感じで高順は鎧を着け始めた。そして十数分。鎧を着た高順を見て、皆は「ほほぉ~。」と声を挙げた。当初はごついと思われていた鎧だったが、脇の部分を締めたり等、高順の身体に合わせて調整された鎧は割とスマートな印象になる。リアルな武者ガンダ○みたいなものだが、髑髏龍の前立てなどもあって一層威圧感がある。こんな鎧を来た武将が、虹黒のような巨馬に乗って戦場を暴れまわったら・・・武将級はともかく、一般兵などは大いに肝を冷やすだろう。多分すごい重さなんだろうな、と思っていた高順だったが予想より全然軽い。彼自身の膂力もあったし、修行の成果も出ているのだろう。間接部分もお互いを邪魔しないように調製されているみたいだし・・・外見さえクリアできれば良い出来だな、これ。と李典の技術力に舌を巻いた。「おぉ・・・これはなかなか・・・。」「これならば、虹黒にも似たような鎧を付けてあげたら宜しいのでは?」「そうですね。こんなに恐ろしげな騎馬武者が戦場を疾駆する・・・うふふ、良いかも知れません。」「でも、もう少し体を大きく見せたほうがよくないっすか?」「んー、せやな・・・タッパ(背丈の高さ)が足りんかな・・・? せや、高下駄なんてどや!?」「お、おい・・・そんなもの履いて戦闘なんてできんぞ!?」「慣れればよいのです高順殿!」「何その無茶振り!?」結論。虹黒に、俺と同じような鎧兜つける事になりました。虹黒さん黒王号道まっしぐら。色は全部赤では武田騎馬軍団になってしまうので・・・一部蒼にして黒を基調に致しました。目立ってしまいますが、目立つ分自分に攻撃集中して部下は楽になりそうです。そして高下駄はく羽目になりました。慣れろ! だそうです。・・・なんでこんな事に・・・|||orz 張遼さんの飛龍偃月刀ですが、李典が「ちょっと強そうだから」と飾りと刃の形状を追加変更したら怒ってました。結局飾りは撤去されたみたいですが、刃はそのままで良いとか・・・。龍の飾りに愛着があったのかな?それと、名前も「応龍偃月刀」に変えたそうです。後で応龍偃月刀を補修した代金の請求書が俺宛に来ました。・・・あれ?~~~楽屋裏~~~こういうチマチマしたネタを書くのも大変です、あいつです。(挨拶馬超達帰還。これはごく普通の流れで特に驚くことも無い話だと。男連中に優しく接してもらったことの無い境遇だったのでしょうか。イメージとしては馬超さんは猫っぽいです。ただし、懐いた人にはすぐデレてしまう・・・あれ、つんでれ?酒。詳しくない作者が書いたので色々とカオスです。あんな蒸留の仕方じゃちゃんとしたお酒にならないのでしょうね。それでも、かの時代であれば良い匂いのする酒になったのでしょうか、突っ込みどころが多いかもしれませんがご容赦を。個人的感想でしかないのですが、賈詡ってどうもオーバーワークしてしまいがちなイメージがあります。何故でしょうね。鎧。これはどうしようかと思ったのですが。きっちりと描写したことも無かったし、いつまでも上党時代の鎧じゃなぁ、と思って書いてみました。中2満載ですが、在るお人の絵がモデル・・・つうかそのままですが、そこが元ねたとなっております。・・・更新されなくなってしまった太○慈さんnのお話と被ってしまっていますね。>日本の鎧とかあれ、再開してくれないかなぁ・・・と思うのは筆者だけではないと思います。さて、そろそろ皆様が心待ち(?)にしているアレが近づいて来ていますよ。それでは、また次回お会いいたしましょう(・ω・)ノシ・・・投稿した後に、投稿数が50であることに気がついた。よくもまあここまで続けてこれたものです。これも皆様が応援(?)してくださっているおかげだと思います、本当に感謝です。