人里から歩く事、3時間。
福太郎と咲夜はようやく霧の湖まで来ていた。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
「あの……大丈夫ですか?」
膝に手をつきながら息を荒げる福太郎。
咲夜はその背をそっと撫でて息を整える彼を手伝う。
「すんません。もう自分、三十近いもんで。いやもうちょっと若けりゃこの程度の距離なんともなかったんですけどね」
荒い息を整えながらこちらの世界で買った手拭いで汗を拭く。
「……田村様のペースで歩かれてください。私は侍従……お客様である貴方が気を遣われる必要はありません」
苦笑いを浮かべる彼に、咲夜はきっぱりと言い放った。
彼女は福太郎が自分に迷惑をかけないようにと気を回し、かなりのハイペースで歩いていた事に気づいていたのだ。
それを止めなかったのはここまで疲れてしまうとは思わなかった為である。
彼女自身、人間での身近な体力基準が紅魔館のメイドとして働いている自分や魔理沙、霊夢などであった為、『普通の人間』の体力を見誤っていたので福太郎の体調を察するのが遅れてしまったのだ。
「いえいえ。俺がはよ紅魔館行きたい思って張り切りすぎただけですから。咲夜さんは気にせんでください。このままのペースで行きましょ。もうすぐ着くんやし」
「しかし……」
咲夜の気遣いを軽く手を振って止め「あ~、しんど」などと呟きながら再び歩き出す福太郎。
そんな彼の汗だくの背中を見つめながら彼女は、ふっと小さなため息を一つ零した。
「(気を遣ってもらえるのは悪い気分ではないのだけど、この人のはあからさま過ぎて対応に困るわね)」
とはいえ客人の言葉を無碍にするわけにもいかず。
結局、咲夜はどうみても無理をして歩き出した彼の横に付き、その体調を気遣う事に本腰を入れる事にした。
「♪~~~♪~~~」
「(気を紛れさせようと鼻歌を歌うのはいいのだけど、体中から汗が噴き出してて疲れてるのが傍目から見ていてバレバレなのよね。どうせ指摘しても誤魔化そうとするだろうし、黙っていましょう)」
「(なんとか誤魔化せたんやろか? いや咲夜さん鋭いし、たぶん無理やろなぁ。ぐぉおお、年の割にモヤシな自分が憎いぃいい)」
無理しているのがばれている事くらいは承知で空元気を貫いている福太郎ではあったが、まさか心中を完全に読まれている上に匙を投げられているとは露とも思ってはいなかった。
そんな事もありながら、休憩を終えて30分ほど。
彼らの視界にようやく紅魔館が見えてきた。
夕方になっても霧が濃く、面積が把握出来ない『霧の湖』を回り込むのにかなりの時間がかかってしまったのだ。
「(思っていたよりも時間がかかってしまったわね。く、完全で瀟洒なメイドを称する私がこんなミスをするなんて)」
人里との行き来には専ら空を飛んでいく咲夜は普段、霧の湖など素通りしている。
よって湖を迂回する際にどれほど時間がかかるかなど把握していなかった。
『全てにおいて完璧であれ』と自らに課している彼女にとってこのミスはとてもではないが許容出来ない物である。
「お~~、見えてきた見えてきた。いやぁなかなか楽しい道中でしたねぇ」
しかし福太郎としては『時間をかけて歩く事』も楽しみとしているのでまったく問題はない。
疲労する事とは別に周囲の風景を楽しむ事は忘れていないのだ。
むしろ景観を楽しんでいる間は、疲れなどどこかへ行ってしまう現金な体を持つ男である。
単に疲労を忘れるほどはしゃいでいるだけなので、後ほどまとめて返って来るから実は大して意味はないのだが。
「はっ? あ、っと楽しんでいただけたならば幸いです」
彼の言葉に虚を突かれ、目を丸くする咲夜。
そんな珍しい表情を浮かべ心に隙を作りながらも従者として相手を敬った回答を忘れないのはさすがである。
「(今のは別に私に気を遣ったわけじゃない。ホントに楽しかったって顔してるわ、この人。はぁ……これじゃミスを気にしていた私が馬鹿みたいじゃない)」
思わず心中で愚痴ってしまうが、彼女はそこで意識を切り替える事にした。
一度のミスを引きずってお客様の案内に支障などあってはならないからだ。
館の全体像は濃い霧が立ち込めている為、見えない。
しかし、ぼうっと見上げていると首が痛くなる程度には大きいという事は初めて見る福太郎にも理解できた。
館全体の大きさに負けない正門も立派な造りである。
そこかしこに銃弾やらミサイルでも打ち込まれたような傷跡とそれを修繕した形跡が見られたが、福太郎は特に突っ込むことはなかった。
いや突っ込まなかったというのには語弊がある。
正確には彼が傷跡に目を向けたのを見た咲夜が、寒気のする雰囲気と冷たい表情で「あの白黒……よりにもよって来客の日に来るなんて」と呟いていたから怖くて聞くに聞けなかったのだ。
「すみません。お客様をお迎えするのにこんな格好で」
内心で咲夜にガクブルしている彼にペコペコと頭を下げるのは赤い長髪の女性。
深緑色をメインにした中華風の、幻想郷では珍しい服装(少なくとも福太郎は彼女を除いて藍、霖之助くらいしかこの手の服装をした人間を見たことがない)で抜群のプロポーションの体を包み、同じ色合いの帽子を被っている。
帽子の正面には金属で作られた星型のバッチが付けられており、達筆な字で『龍』と書かれていた。
なぜか服には激しい運動をした後のようにシワが寄っており、さらに黒く煤けているが。
彼女の名は『紅美鈴(ほん・めいりん)』。
紅魔館の誇る(?)門番であり、紅魔館に害しない限りは善良(?)な妖怪である。
ちなみに何の妖怪であるかは不明。
「ああ、いえ。お気になさらず。それよか、そのナイフはよ抜いた方が……」
福太郎は引きつった笑みを浮かべながら指で示す。
彼の指差す先、美鈴の後頭部には装飾を施された銀のナイフが突き刺さっており傷口からは血がどくどくと流れ出ていた。
「あ~~、すみません。お客様の前で」
ズボッと言う嫌な音と共にナイフを抜く。
笑いながらなんでもないように引き抜く様を見せられ、福太郎は「あ~、彼女も妖怪なんやなぁ」とのんびり実感した。
普通の人間なら悲鳴を上げるだろう光景である。
だが彼の周りにも下半身がぶった切られても余裕で喋りながら再生する妖怪がいたし、自分も右手首をぶった切られた上に元通りに繋げてもらった経験があるので多少のスプラッタ現象には慣れている。
とはいえ、やはり引く物は引くのだ。
「それ、大丈夫なんですか? 噴水になってますけど……」
「あはは~~、いつもの事ですから。その内、止まりますし。あ、申し遅れました。私、紅美鈴と申します」
血が出る事もお構いなしに頭を下げる物だから帽子と服が現在進行形で血塗れになっている。
確かに血の勢いは落ちているし、血色も悪くないのだが本当に平気なのか不安になる光景だ。
「あーー、俺は田村福太郎言います。よろしく、紅さん」
「美鈴で良いですよ。お嬢様がご招待されたお客様ですし『さん』だなんて呼ばれ慣れてないですから」
「はははっ、そやったら俺も福太郎で。敬語も無しでええよ、美鈴」
しかしそこは田村福太郎。
本人が怪我の事を特に問題視していない事がわかると、和やかに会話を始めた。
前述したように彼の周りには人間でいえば即死物の傷もたやすく回復するような手合いが多かったのである。
割と常識人である彼だが妖怪の耐久力に関しては色々と目撃してしまっている為、痛がったりしていなければ心配はしても取り乱したりはしない程度に慣れていた。
さらにあれほど流れていた血も既に止まっている事から、さして心配はいらないのだと納得したのである。
彼女の余裕の態度が空元気や誤魔化しなどではなく、その傷が元で『死ぬ事』はないのだという事を理解したとも言える。
「……美鈴。お客様と和やかに談笑しているところ悪いのだけど質問に答えてくれるかしら?」
「ひゃっ!? ひゃい!! なんでしょうか、咲夜さん!!??」
門前で頭を抱えていた彼女に情け容赦なくナイフを刺した張本人である咲夜の冷たい声音。
美鈴は条件反射で体を震わせ、自身の背後を振り返る。
「突破したのは白黒だけかしら? 他に招かれざる客はいるの?」
「いません、いません!! 今日は突破されたけど気絶はしませんでしたし、お客様が来るのはわかってましたからすぐに弾幕勝負の掃除をしていました! その間に侵入者が来れば見逃しはしません!」
「正門以外、例えば塀を乗り越えて侵入された可能性は?」
「妖精メイドたちを等間隔に配置して監視していたのでそれはないと思います! 侵入者がいたらその阻止よりも報告を優先するよう言ってあるので何かあれば私の所に来るはずです!!」
淡々と質問する咲夜に怯えながら返答する美鈴。
傍から見ていて気の毒なほど動揺しているが、部外者である福太郎には距離を取って(無論、自己防衛の為である)事態を見守る以外にどうしようもなかった。
「そう……他に何か気になる事は?」
「白黒のヤツ、いつもなら適当に不意打ちして門を抜けていくのに今日に限って弾幕勝負を挑んできました!!」
「なんですって? 弾幕勝負を?」
その流麗な顔を僅かに顰め、顎に手を当てて思考に耽る咲夜。
あの白黒の魔法使いが、幻想郷における『正規の手段』で紅魔館へ侵入したという事実に彼女は疑問を抱いたのだ。
いつもなら弾幕勝負などせずにマスパ(魔理沙の十八番であるスペルカード『マスタースパーク』の略である)で美鈴を吹き飛ばしていたから疑問に思うのも当然である。
「はぁ……まぁいいでしょう。貴女はこのまま門番としての務めを果たしなさい。私は予定通り田村様をお嬢様の元へお連れするわ」
「はい!」
「これ以上、不埒者を館に入れないようにしなさい。それでは田村様、中へどうぞ」
「あ、はい。それじゃ美鈴。お仕事、頑張ってなぁ」
「はい。福太郎も楽しんできてくださぷぎゃ!?」
「お客様を呼び捨てにするんじゃないわよ。部下が大変、失礼いたしました」
スコーンと額にナイフが突き刺さり、仰向けにぶっ倒れる美鈴。
咲夜はピクピクと痙攣する彼女を冷たく一瞥すると優雅な動作で謝罪する。
「いや、あの……あ~~、お気になさらず」
美鈴のぞんざいな扱いに福太郎は突っ込みを入れようとするも、あまりにも平然としている咲夜の態度に出かけた言葉を押し込めて首を振るだけに留めた。
「では改めまして。ようこそ、紅魔館へ。歓迎いたします、田村福太郎様」
黒塗りの鉄門が鈍い音を立てながら開くのを見つめながら福太郎は、この場所で自分にどんな事が起こるのかを期待半分不安半分でぼんやりと考えていた。
「はぁ~~、日暮れ前は大変だったな~~」
夜闇に昇った月を見上げながら、私は帽子を外して頭を掻く。
いつもいつも唐突に現れて、颯爽と紅魔館に襲撃をかけてくる白黒の魔法使い。
今日、来る事も想定して警備に力を入れていたんだけど。
でもいつもなら適当に弾幕を打ち込んだらさっさと通り抜けていくアイツが、今回は何故か真正面から弾幕勝負を挑んできた。
「弾幕勝負で勝ったら、ここ通してもらうぜ!!!」
いつも通りの快活な笑みで宣言する白黒。
正直、いつもと違う事をするアイツには違和感しかなかったけれど挑まれてしまった以上は受けない訳にはいかない。
私にだって妖怪としての矜持くらいはある。
人間と妖怪が対等の条件で戦う為に生み出された『スペルカードルール』に則ったこの戦いから逃げるという選択はありえない。
「枚数は5枚!」
「オーケー、蹴散らしてやるぜ!!」
お互いに最初の一枚を掲げる。
「今日はお嬢様の客人が来る大事な日なんだから! アンタが何考えてるのか知らないけど何がなんでも止めさせてもらうわよ!!」
「上等!! 私の魔法で黒焦げにしてやるよ!!!」
技の発動を告げる白黒のカード。
私のカードも同時に発光。
そして。
「虹符『彩虹の風鈴』!!」
「恋符『ノンディレクショナルレーザー』!!」
私たちは自分たちの弾幕を展開した。
「で負けちゃったんだよなぁ、私」
管理している中庭の見回りをしながらため息を吐く。
格好付けて弾幕を展開したんだけど。
いつも通りというか予定調和と言うか。
どうしても弾幕勝負じゃ勝てないなぁ。
さすがに妖精とかには負けないけど。
「でもその後はもっと大変だったなぁ。二回もナイフ刺されたし」
「うう、負けた……」
「へへっ、それじゃ通してもらうぜ!!」
言うや否やすっ飛んでいく白黒。
その背中を見送りながら私はがっくりと肩を落とした。
なんで私、弾幕勝負だと弱いのかなぁ?
勝負勘とか戦いの経験値ならお嬢様よりも上のはずなんだけどなぁ。
「美鈴さ~~ん、門周りの瓦礫の片付け終わりました!」
「あ、ありがと~~。じゃあ手を付けられる所から修繕作業に入って~~」
「「「「はぁ~~~い」」」」
この子達は妖精メイドたちの中で一番、仕事が出来る。
『紅霧異変』って呼ばれているお嬢様が起こした異変の解決の後、やたらと襲撃するようになった白黒の被害が最も多い正門に配属された。
まぁあくまで『妖精の中で』だから私よりも仕事が出来るって事はないんだけど、それでもすっごく助かってる。
「はぁ~~、まずい。咲夜さんに怒られる~~~」
頭をかかえてその場に蹲る。
脳裏に浮かぶのはナイフを構える咲夜さん。
目を真っ赤にして、でも表情だけは笑顔というトラウマ物の上司の姿。
「うぁああ~~~、どうしようどうしよう~~、ひっ!?」
非常に馴染みのある殺気を感じて、思わず立ち上がる。
視界に移ったのはついさっき思い浮かべたばかりの目を真っ赤に染めた咲夜さんと荷物を持った男の人。
二人の姿を認識して顔を引き攣らせると同時に私の頭にナイフが突き刺さる「スコーン!」という音が聞こえた。
「おぶふっ!?」
後頭部に刺さったナイフの衝撃で私は前のめりになる。
でもそこは妖怪の耐久力。
この程度の衝撃で倒れるような柔な体じゃありません。
と言うかわざわざ後頭部にナイフを刺す為に『時を止める』んですか、咲夜さん!?
「いったぁ~~、咲夜さん。いつにもまして問答無用過ぎますよ~~」
ナイフが刺さった頭を押さえながらつい愚痴っぽく言ってしまう。
「あの白黒……よりにもよって来客の日に来るなんて」
考え事をしているあの人には聞こえてないみたい。
いや、私の意見なんていつも聞いてもらえないんだけどね。
……自分で言ってて悲しくなってきたかも。
って自分の扱いに凹んでる場合じゃないわよ、紅美鈴。
お客様がいらっしゃってるんだからこれ以上、無様な真似は出来ないわ。
「すみません。お客様をお迎えするのにこんな格好で」
「ああ、いえ。お気になさらず。それよか、そのナイフはよ抜いた方が……」
頭にナイフが刺さった状態で頭を下げるとお客様である男の人は、顔を引き攣らせながらも私を気遣ってくれた。
この人、普通に良い人だ。
こんな風に気遣ってもらえるのはどれだけぶりだろう。
「あ~~、すみません。お客様の前で」
思わず心の中で感動しながら、ナイフを引き抜く。
うう、なんかいつもより深く刺さってたみたい。
血が噴き出す勢いがいつもより強いし。
とりあえず傷口に『気』を集めて治癒力を高めておこう。
「それ、大丈夫なんですか? 噴水になってますけど……」
「あは~~、いつもの事ですから。その内、止まりますし。あ、申し遅れました。私、紅美鈴と申します」
まぁ普通の人間だったらばっちり即死でしょうから心配するのはわかるんですけどね。
見た目が人間と変わらないから実感し難いんでしょうけど、これでもれっきとした妖怪です。
そう簡単には死なないから心配は無用!
そういう意味を込めて自己紹介と一緒にもう一度、頭を下げた。
「あーー、俺は田村福太郎言います。よろしく、紅さん」
どうやらこれくらいの怪我は平気なんだという事は理解してもらえたようで、お客様『田村さん』も笑顔で自己紹介してくれる。
ヤバイ。
この人、ホントに良い人だ。
「美鈴で良いですよ。お嬢様がご招待されたお客様ですし『さん』だなんて呼ばれ慣れてないですから」
「はははっ、そやったら俺も福太郎で。敬語も無しでええよ、美鈴」
どうしよう。
この人、私を妖怪だと理解した上で『対等』に話をするから、なんだかこっちもすごく話しやすい。
妖怪として勝負事で負けるのは悔しいし屈辱も感じるけど、私は他の妖怪(妖怪の山の天狗連中とか)に比べて『種族としてのプライド』はそんなに高くない。
どちらかと言えば河童に近い穏健派だと自負しているくらいだ。
侵入者以外には、だけど。
まぁそれは兎も角としてこの人との会話はすごく心地良く感じる。
外来人って聞いていたから内心で身構えてはいたけれど。
今までの彼らの印象と彼の態度がかけ離れ過ぎていて、こんな人間もいるんだなって私は素直に驚いてるくらいだ。
人並みにはある好奇心が首をもたげ、ついつい仕事を忘れて彼との話に夢中になる。
他愛のない世間話みたいな物だったけど、相手が普通の人間だと考えるとただそれだけで新鮮に思えた。
「……美鈴。お客様と和やかに談笑しているところ悪いのだけど質問に答えてくれるかしら?」
「ひゃっ!? ひゃい!! なんでしょうか、咲夜さん!!??」
絶対零度を思わせる咲夜さんの声に動揺して、ついカミカミの言葉で返事をする。
福太郎の纏う雰囲気で緩やかな感じだった場の空気が一転して、緊迫するのがわかる。
うぇ~~ん、咲夜さん。まだ怒ってる~~!
咲夜さんによる楽しい楽しい(泣)尋問の時間の始まりだ。
無表情で淡々と質問してくる咲夜さんは、いつもの三割り増しで怖い。
それでも警備態勢はいつもより強化していた事、白黒以外に侵入者はいない事は強調して伝えておく事だけは忘れない。
こうして自分が精一杯やっていた事をアピールすればお仕置きも少しは軽くなるはず!!
そうして質疑応答を終え、どうにかお咎め無しになった私だったけど最後の最後でお客様に対する態度で咲夜さんのナイフを受ける羽目になった。
まぁ確かにお客様を呼び捨てにするのは私が悪かったんでお叱りも仕方ないけど。
「もう絶対に誰も侵入されないようにしないと」
拳を握って気合を入れ直す。
福太郎がこの館にいる間、これ以上騒ぎが起きないようにする為に私は私の役割を今度こそ果たそう。
「そういえば……」
本人があんまり普通にしているからあまり気にしていなかったけど。
「あの人の身体……気の流れが歪んでるように見えた。いやあれは歪んでいるって言うよりも……二重三重に折り重なって流動していたような?」
自分の傷の治療に能力を集中させていたから、はっきりと見たわけではないけれど。
『アレ』は何か変だった。
福太郎自身があんまり普通の態度だったから本人に害はないんだろうけど。
「次、落ち着いて話せる機会があったら聞いてみようかな」
せっかく対等に話が出来る人間なんて珍しい人と知り合いになれたのだ。
もっと話をして自分を知ってもらおう。
そして相手の事も知っていこう。
「なんだか楽しくなってきたかも……よぉーーし!! お仕事頑張るぞ!!」
自然と綻ぶ口元をそのままに両手を振り上げて声を張り上げた。
私は夕方に起きた出来事を振り返りながら、ベンチの背もたれに身体を預けて今日何度目かのため息を吐く。
あの後は特に異常などはなく、白黒も月が真上に昇る頃に帰っていった。
なんか妹様と弾幕勝負していたみたいで服がボロボロだったんだけど。
パチュリー様の地底図書館から爆発音が響いてきたのって確実に白黒のせいだし。
アイツの仕出かした事の後始末をさせられる小悪魔さんとか咲夜さん大変だなぁ。
「いや美鈴、そんな他人事でええの?」
「あはは~~、いや駄目なんだけどね」
真夜中の紅魔館。
昼間でさえ訪れる者は少ないこの場所の周囲は、夜になるとより一層の静寂に包まれる。
単純に眠っている生物が多いという事と、吸血鬼が最も力を発揮する時間にその領域に近づこうとする命知らずなどいないという二種類の理由からだ。
だから夜間の見張りは基本的に妖精メイドたちに任せている。
正門だって例外じゃない。
今晩はお客様が来ているから白黒が帰るまでの間、門前にいるよう咲夜さんに言われたからいただけだ。
問題の白黒もついさっき帰った。
だから妖精メイドたちに後を任せて中庭を軽く見回った後は自分の部屋に戻ろうとしたんだけど。
見回りを終えて館に入ろうとした所で館の外を散歩しようとしていた福太郎とばったり。
そのまま挨拶だけして自分の部屋へ行くには、すごく惜しい遭遇だったから中庭に誘ってみたら、福太郎はノリノリで頷いてくれて。
今はこうして備え付けのベンチに座って世間話の真っ最中だ。
「ここ(幻想郷)は空気が澄んでるから星もそうやけど景色が綺麗に見えるなぁ」
私の隣でベンチの背もたれに背中を押し付け、リラックスしながらぼうっと空を見つめる福太郎。
「そういえば外来人なんだよね、福太郎って」
「ん~~、そう呼ばれる立場らしいなぁ。なんやようわからん内に来てもうたからイマイチ実感が薄くて困るんよ。もうこっち来て二ヶ月くらいになるんやけどなぁ」
空を見上げたまま、のんびりとぼやく彼の言葉。
外の世界では妖怪なんて御伽噺にしかいない上、神だってただ困った時に縋るだけの都合の良い物に成り下がっているって聞いていた。
そういう世界で過ごしてきたから、私が知ってる外来人は悉く無知だった。
妖怪を知らないから、無防備に近づく。
すぐそこにある危機を知らないから自分の身を守ることが出来ない。
分類としては同じはずなのに福太郎は『理の違う世界』に来た実感が無いと言う。
それは私の外来人に対する認識から見ると変な事だった。
私は思わず聞き返してしまう。
「え? でも外って妖怪とか神とかって存在出来ないからこっちに来てびっくりしたんじゃないの?」
その言葉に福太郎は、初めて会った時に浮かべていた表情が嘘だったと思えるほどに胡乱な笑みを浮かべた。
「俺のいた世界はそうやないんよ」
「『俺のいた』? それって……」
どういう意味? と続けるよりも早く福太郎は独り言でも呟くように語り始める。
「20年少し前に『異世界』が人間の現実を侵食して……混ざって交ざって雑ざって訳がわからなくなった世界。人外はそんな世界に『順応していって』、人間もまたそんな世界に『順応させられて』……そんな歪な世界が俺の住んでた世界。幻想郷とそんなに変わらない世界」
右肩を撫でるように押さえながら語る福太郎。
ただ昔を懐かしむというには、その姿は痛々し過ぎて。
今、彼が語っている事が思い出すのも嫌な記憶なんだと私に教えてくれた。
「『以前の世界』を知る人間から見れば酷く生き難い場所やった」
空に浮かぶ星を眺めていたはずの彼の目は、今は何も映していない。
「そう、なんだ……大変だった?」
酷く歪な苦笑いにもなってない苦笑いを浮かべながら福太郎は私の間抜けな言葉に答えてくれた。
「生きるのに必死やったから大変やって感じる暇もなかったなぁ。余裕が出来た頃にはそれが当たり前になってたからなんとも思わんかったし」
私は酷く動揺しながら彼の言葉を聞いていた。
普通に良い人だと思っていた人間が、こんなにも歪な面を持っていたなんて思わなかったから。
上手く言葉が出てこない。
無理やりひねり出した言葉じゃ何の意味もない。
考えるんだ、私!
何か、何か言わないと!!
「妖怪やから嫌うとか人間やから好きやとか、そういう切り分けは俺には出来んかった。やけど俺は『あの世界』は嫌いやったな」
そう言い切った彼の目には確かに言葉通りの憎悪が宿っていた。
ガシガシと頭を掻きながら福太郎はそこでため息をつく。
「すまん。なんや一人語りしてもうた。ただの人間のつまらん愚痴やから聞き流しといてくれ」
なんでもない風を装っていたけれど、その言葉は懇願に近かった。
質問をしないでくれという隠し切れない拒絶の意思が読み取れた。
「うん、わかった。じゃあここからは私の話ね?」
「へ? あ、ああ……そっか。聞いてもらったんやったら聞かなあかんな」
私なりの気遣いははっきり言ってバレバレだったけど、福太郎は快くそれを受け入れてくれた。
さぁ、ここからは私が話す番だ。
「私がここ(紅魔館)で働くようになって結構経つんだけどそれより前って根無し草だったんだよね。あっちへ行ったりこっちへ行ったり場所なんて特に決めないで気の向くまま」
「へぇ、そら楽しそうな感じやねぇ」
「いやぁ昔の私って殺伐としてたからさぁ。武者修行って言うかなんていうかこう『私を倒せる者はいないのかーー!』って感じだったんだよね」
思い出話として語るには少し恥ずかしい話だけど、まぁ聞かせる話としてはちょうど良いかもしれない。
思い出話には思い出話でしょ!
私は自分でもよくわからない対抗心を抱きながら語り始めた。
昔の私は一体の妖怪として『強者である事』を望んでいた。
鬼のように楽しむ為の喧嘩ではなく、ただ自身の強さを示す為の殺し合いを求めてのぶらり旅。
一人だから自分が死ねば何も残らない。
一人だから何者にも縛られない。
一人である事は自由で、そして何よりも孤独な事で、でも妖怪としては当たり前の事。
私は強者で在り続けるという果てのない望みの為、出会う者全てに敵対した。
そんな事をしていれば人間も妖怪も黙ってはいなかったけど、どうにでも出来た。
それくらい当時の私と敵対してきた相手とでは力の差が歴然だったから。
敗北なんて知らずに、自分以外のモノ全てが小さく見えていた。
でもいつからか。
私は殺し合いに意味を見出せなくなっていた。
対等に立ち会う事が出来る妖怪を殺す。
歯向かってくる人間を殺す。
邪悪な妖怪だと私を断じて、あるいは友人、知人、家族を殺された恨みを晴らそうと戦いを挑んでくる者たちも殺す。
そこに老若男女の区別なんか無かった。
切っ掛けがなんだったか、今となってはもう思い出せない。
でもふと気づいてしまった。
淡々とした……まるで決められた作業を行う自分に。
「そして今までやってきた事に意味が見出せなくなった。今まで立っていた世界が壊れたって言うのかな?」
「……どこかで聞いたような話やな」
福太郎の相槌にむりやり笑顔を作って続ける。
一度、崩れたらあっという間だった。
戦う気概は無くなり、あれほど見た者全てに殺気立っていた自分が、誰かを見る度に逃げ出す。
一人だから誰にも私の変化は理解できない。
一人だから何も残せない、残らない。
そして私はいつの間にか孤独である事に恐怖を感じるようになってしまっていた。
でも旅をやめる事は出来なかった。
あらゆる場所に私の所業が広がっていたから。
私に居場所なんてもう無くなっていた。
「自業自得なんだけどね」
「……」
福太郎は真剣な顔で私の話を聞いている。
一字一句たりとも聞き逃すまいとでも言うような表情。
ちょっと恥ずかしくなってきたけど、私は話すのをやめなかった。
最後まで話さないと意味が無いんだから。
「そこからどこをどう旅したかは正直、覚えてないの。でも辿り着いた場所は外の世界にあった頃の紅魔館だった」
受け入れる者などなかった私は、そこでお嬢様と出会った。
「面白いわね、貴女。妖怪なのに孤独を怖がるなんて」
今とあまり変わらない姿で、お嬢様は私に言ってくれた。
「そんなに独りが嫌ならウチで雇いましょうか? 給金は最低限の衣食住と……『孤独ではない世界』よ」
「あの言葉がお嬢様の気紛れなのか何か意図する物があったのかどうかはわからなかったけど、それでもその一言で私は救われて。だから私は今ここにいる」
話し終えた私の顔は多分、真っ赤だったと思う。
思わず福太郎から顔をそらして両手で顔を覆う。
改めて思い出すとやっぱり恥ずかしい。
咲夜さんや妖精メイドには絶対、聞かせられない話だ。
確実にからかわれる!!
「そっかぁ……」
恥ずかしさにもだえていると福太郎の呟きが耳に届いた。
振り返るとバツが悪そうに頬を掻く彼の顔が見える。
「レミリアお嬢さんとの出会いが美鈴を変えたんやな」
「うん。多分さ……福太郎もそうなんじゃない?」
そう彼だって嫌いな世界で過ごしてきて変わっているはずだ。
そうでなきゃ『あの世界は嫌いだった』なんて過去形にはならないんだから。
憎悪と一緒に郷愁のような感情が溢れるなんてありえないんだから。
「ああ……そうかぁ、そやなぁ…………俺も、アイツらやあの人たちと出会って変われたんやなぁ」
目尻に浮かんだ涙を隠すように右手で目を覆う福太郎。
「妖怪にだって色々あるし、人間にだって色々あるでしょ。どっちが不幸だ、幸せだとかじゃなくてさ。こうしてお互いの想いを教え合う機会があったって所に目を向けた方が健全だと思うよ、私は」
「ははは、せやね。どうしても後ろ向きになる性格やからなぁ、俺は。泣き言言うて自分を修正していくタイプやし」
「言っちゃなんだけどそれってすっごく難儀なタイプよね?」
私の言葉を受けて、福太郎は何が面白かったのか噴出した。
「だははははは!!!」
「ちょっ! なんでそんなに笑うの!? 面白いところあった!?」
思いっきり笑われたことに憤慨すると彼は笑いながらこう言った。
「それ、友人の妖怪にも言われたわ! あはははッ!!!! なんでやろなぁ。……まだ二ヶ月程度やのになんかすごく懐かしく感じるわ」
嫌いだったと言っていた世界にいるんだろう友人に想いを馳せているんだろう。
遠い目をして空を見上げる彼は、私に向き直ると子供っぽい笑みを浮かべながら礼を言った。
「ありがとなぁ、美鈴。少しすっきりしたし……色々、再確認できたわ」
「あはは、私はただ昔話をしただけだから気にしない気にしない。それじゃ私、そろそろ寝るね」
ピョンとベンチから立ち上がり、福太郎に背を向けて歩き出す。
ちょっと早足になったのは許してほしい。
面と向かってお礼を言われるのが恥ずかしかったから仕方ないんだ、うん仕方ない。
「お休み」
「お休み」
背後から聞こえる声に、しっかり返答して私は館の中へ入っていった。
彼からこっちの姿が見えなくなった瞬間、早足が駆け足になってしまったのは秘密だ。
あ~~、そういえば福太郎の妙な気の流れについて聞けなかったなぁ。
まぁ、いっか。
また機会を待っても問題ないだろうし。
それより今日はなんかすっきり眠れそうだ。
「また明日ね。福太郎。これからもよろしく……紅魔館」
ベッドに横になってそっと呟く。
すっきり眠れるだけじゃなくてなんだか良い夢も見れそうだ。
そんな風に年甲斐もなくうきうきしながら私は程なく来た睡魔に身を任せていった。
紅の門番は絵描きと出会い、期せずして己の過去を思い出す。
それは色々と曝け出させてしまった福太郎への気遣いであり、贖罪でもあったのだが。
彼と共に過去を振り返る内に、無意識に『今の自分』の原点を思い出していた。
避けていたわけではないけれど、敢えて思い出そうともしなかった過去。
そこにいた今とは違う自分。
彼女はその存在を明確に思い出し、そして改めて理解した。
過去の己はもういない。
そして既にいない自分、『過去』に囚われる必要なんてないのだと言うことを。
なぜなら自分は今、こうしている自分に後悔した事などないのだから。
自分とは異なる形ではあったけれど過去に囚われていた福太郎に、自分の想いを伝えられた事に彼女は達成感と満足感を抱いていた。
絵描きは紅の門番と話をし、その緩やかな空気に安堵していた。
妖怪とは思えない人畜無害な態度は傍にいる事が心地良く。
表にこそ出さなかったが妖怪だらけの場所に行く事に緊張していた彼の心を解してくれたのだ。
いきなりナイフを刺されて、しかも平然としている姿には引きもしたが。
親しみやすい彼女の姿は、己が住んでいた『あの場所』と短いながらも勤めていた『場所』を思い出させて。
二人きりなのを良い事に、余計な言葉が口から出てしまいもした。
不器用で、だが直球な慰めを受けて彼は自分があの世界をどう思っているかを再認識する。
可能であるならば、『あの場所で生きていたい』と思えるほどに自分はあの世界が好きなのだと言う事を。
そう思わせてくれた門番に、彼はとても感謝していた。
ここにいる間に、彼女にも絵を描いてやろうと自然と思える程に。
これは迷い込んでしまった絵描きと華人小娘の物語。
あとがき
言うまでもありませんが過去話は捏造です。(挨拶)
作者の白光でございます。
まだまだ続くスランプ街道の中、どうにかこうにか書き上げました。
紅魔館編一人目、美鈴のお話ですがいかがだったでしょうか?
彼女の過去話は完全なるオリジナルですので、らしさがなくなっていないかが心配ですがキャラらしさを感じていただければ幸いです。
ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。
次のお話ですが時系列無視で紅魔館ではないキャラを書くかもしれません。
ちょっと紅魔館編は煮詰まってきた感じがありますので、息抜きがてらに少し浮気をと思います。
まだまだ出ていない魅力的なキャラが多いですが全員、一巡する事を野望にこれからも執筆していきますので長い目でお付き合いしていただければと思います。
最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。
初版 2010/10/14
修正 2010/11/23