秩序だった配置が為されていたはずのエニエスロビー司法の塔の入り口は、散々ともいえる有様だった。
架け橋がかかるのを待たず、入り口の門扉が開くのを待たずに強行突入した海列車は、ものの見事に辺りを破壊しつくした。
「エル・クレスの野郎いきなり蹴り飛ばしやがって、……おかげで助かったが。
それにしても、ロケットマンなんて危なっかしいものよく持ち出してきやがったな。オイ! ココロのババア! 生きてんだろうな!!」
役目を果たし誇らしげに横たわる海列車を横目に、瓦礫の中からフランキーが立ち上がった。
安全運転からは程遠い、豪快すぎる運航のおかげでボコボコになった海列車。
立ちはだかる壁を力づくでぶち破った代償は大きい。
船大工であるフランキーにはおそらくはもう二度と日の目を見ないと分かった。
車体はひしゃげ基本骨子にも歪みが出ている。蒸気機関が火を吹き爆発炎上しなかったのが奇跡のようだ。
そんな車内にいる人間が無事でいられるはずがない。
「あ……鼻血でた」
「鼻血で済むのはおかしいだろうがよ!」
一気に建付けの悪くなった扉より姿を見せたココロとその孫の姿に思わず叫ぶフランキー。
その背後で、
「よっしゃーッ! 着いたァ!!」
瓦礫を吹き飛ばし、やる気満々のルフィが雄たけびを上げる。
大量のがれきに埋もれようともゴム人間であるルフィには関係のないことだった。
ルフィは約束通り送り届けてくれたココロに礼を言うと、瓦礫に山に向かって急かすように叫んだ。
「おいお前らさっさと立ち上がれ、こんぐらい平気だろうが!」
無茶苦茶言ってやがるとフランキーが呆れる中、瓦礫の中より声が聞こえた。
「ゴムのお前と一緒にするんじゃねェ。
……生身の人間がこんな突入させられて無事なわけが―――あるかァ!!」
瓦礫を吹き飛ばし船長に怒りの声を上げる船員(クルー)達。
すこぶる元気だった。
「よし! 全員無事だ」
「お前らもたいがいオカシイからな」
頑丈すぎる海賊たちに思わずフランキーは口に出していた。
「あそこに階段がある。早くロビンを助けに行くぞ!」
ルフィが指差した先には上へと続く大きな階段がある。
ロビンの救出の為に一味はすぐさま動き出した。
この戦いは時間との勝負でもある。
ロビンが正義の門を潜ってしまえば、もう二度と手が届かなくなるのだ。
「待て」
だが、そんな一味に対し不意に声がかけられた。
「さっきの部屋に行ってもニコ・ロビンはいないぞ、チャパパパ!」
見上げれば、CP9の一人フクロウが壁の片隅に張り付くようにして一味を見下ろしている。
フクロウはおもむろに一つの鍵を取り出すと、一味に告げた。
「これはニコ・ロビンを捕えている海楼石の手錠のカギだ。
お前たちが万が一ニコ・ロビンを助け出せても、海楼石はダイヤよりも硬いから手錠は永遠に外れることはない。
それでも良ければ、ニコ・ロビンを助けに行け!」
「じゃあ、よこせ!」
ルフィのゴムの腕が唸る。
間合いと言うものを一切無視した拳が弾丸のように放たれるも、フクロウは一瞬にしてその場を離脱する。
六式が一つ、剃。
クレスも使用するこの技は、味方にすれば頼もしいが敵に回ると厄介極まりない。
「チャパパパ! 慌てるな、まだこの鍵が本物だとは言ってないぞ。
この塔の中にCP9はおれを含めて五人いるが、全員が同じものを持ってお前たちを待っている。欲しければ、取りに来るんだな」
そう伝えると、フクロウは音もなく姿を消した。
彼の言葉通りならば、塔のどこかに潜伏して一味を待つつもりなのだろう。
「やってくれるぜ、こりゃ厄介なことになった」
「どうして? まずはロビンの身柄が最優先よ。鍵はその後に奪い返せばいいじゃない」
悪態をつくサンジにナミが問い返す。
「いやナミさん、そうすれば奴らが鍵を……たとえば海に捨てちまうかもしれない」
海楼石はインぺルダウンの檻にも使われるほど頑丈で、鍵がなければ決して解錠できないことで知られている。
もし鍵が失われた場合、ロビンを繋ぐ海楼石の手錠が外れることはない。
それに脱出する時のことも考えれば、ロビンを開放した方がいいのは分かりきっている。
「でも、あいつらが持ってる鍵が全部本物だとも限らないじゃない」
「いや、どれかは本物だ。
ありゃ自分が負ける姿なんて想像もしてないタイプの奴らだ。それにどのみちアイツ等とやり合うことは避けられねェ」
剣士としての本能か、ゾロが一つの可能性を切って捨てる。
CP9の狙いはロビンを奪還しようとする一味を分断させ、なおかつ自分たちの元へと誘うことだ。
悪辣とも取れる策だが、この策は"CP9が勝利する"という傲慢とも取れる条件を元に成り立っていた。でなければこんな策を考え付く筈もない。
一味の判断は早かった。
そもそも今は迷う時間すら惜しい。
「ルフィを除いて、おれ達は5人いるらしいCP9から5本の鍵を手に入れルフィを追う」
サンジが全員に確認を取り、
「ロビン君が門を潜れば全てが終わる。時間との勝負だな」
そげキングが頷く。
「敗北は時間のロス。全員死んでも勝て!」
「オウッ!!」
ゾロの喝に力強く答え、一味は分かれて走り出す。
そこに迷いはない。
ある意味で一味もCP9と同じだ。
己の力、仲間の力。その二つを信じ、勝つ可能性だけを見ていた。
第十七話 「師弟」
「逞しくなったものだ。
生意気なくせに、妙に大人びていたあの頃からすれば見違えるようだよ。
だが、私にはそれが必然でもあるように感じる。あの頃の君があり、当然の如く今に至ることはね」
CP9も姿を消し、先ほどまでも喧騒が嘘のように空々しいバルコニー。
吹き荒れる海風に<正義>の二文字を背負ったコートをはためかせながら、リベルはクレスの姿を正面に見据え変わらぬ様子で口を開いた。
「そりゃどうも、素直にほめ言葉として受け取っとくよ。
そういうアンタは何も変わらないな。二十年もの歳月が経ったとはとても信じがたいよ」
一切の油断などなく、いかなる攻撃にさらされようとも直ぐに対処できる体制で、クレスは言葉を返す。
目の前にいる相手は<武帝>の異名を持つ伝説の海兵。
クレスが思い描き続けた最強の具現。
「私もほめ言葉として受け取らせてもらうよ。
二十年か、思い返せば少なくとも私にとっては永くも短いような日々だった。
ロビン君から聞かせてもらったよ。過酷な道のりだったようだね。だが、それを乗り越え続けた」
張りつめていく空気を感じながらも、クレスは飄々と言葉を返す。
「ああ、だからアンタにも負けるわけにはいかない。
ロビンと約束しちまった以上、破るわけにいかないからな」
「……そうか。実に良き漢ぶりだ。
君に六式を教えた身としては、非常に好ましく思うよ。
それ故に残念だ。こうして君と戦うこととなってしまった、我が境遇を」
自然体でありながらも、尋常ではない重圧をリベルが放ち始めたのを感じ、クレスは更に心を研ぎ澄ませていく。
浅い息を吐き、心に火をくべる。
灯された熱は血潮と共に体を巡り、迷いすらも燃やし、己の能力を十全に発揮する。
かつて目の前の男に教えを受けた通りに。
「別におれはそこまで悲観してはいないよ」
「ほう、何故だね」
僅かに驚いたようにリベルは問い返す。
「おれは海賊で、アンタは海兵だ」
「成程、確かにそうだね。
―――ならば覚悟はできているな、エル・クレス」
「ああ、負けるわけにはいかないな、アウグスト・リベル」
秩序を尊ぶ者。
自由を望む者。
両極端に位置する両者が相容れることはない。
「剃」
先に動いたのはクレスだった。
静止していた肉体は一歩目で最高速を叩き出す。
余りの速度に残像すらの残さずクレスの姿が消えた。
リベルとの距離は一瞬でゼロに近づく。
自然体でクレスを待ち構えるリベルが動く気配はない。だが、その眼は確実に自身を捉えている。
リベル相手に小細工は無意味、むしろ余計な策は自身に隙を生む。
ただ真っ直ぐに、愚直なまでに。
自身が持つ最高速を追い風に、肉体を制御。
全身を駆動させ、硬く握りしめた拳に力を連動させる。
放たれるは、威力を集約させた渾身の一撃。
大気の壁を打ち破りながら、必殺の威力を込められた拳がリベルの体に突き刺さる。
衝撃が辺りに爆ぜる。
あまりに強すぎる一撃に周りの物質が耐え切れず、悲鳴を上げた。
「良き、一撃だった」
感慨深げにリベルが呟く。
我流"閃甲破靡"。
幼き頃にクレスが自身の長所のみを繋ぎ合せて編み出した技。
一点に集約された一撃は的確に相手を打ち砕く。
その威力たるは幼い身でありながらも、CP9の一人を打ち倒すほどだ。
それを今、心身ともに成長し六式の"奥義"たる六王銃を放てるまでに成長したクレスが放てば、それは正しく必殺となりえる。
だが―――
「だが、この程度かね?」
涼しげな顔で、リベルはクレスの一撃を片手で受け止めていた。
クレスが突き出した拳から感じた感触は、不動の大樹を殴りつけたかのように重い。
瞬間、リベルの体が躍動する。
気が付けばクレスは宙に舞っていた。
その動きは余りに流麗。
リベルの動きは余りに鮮やかすぎて、攻撃を受けた後にしか理解できなかった。
クレスが受けたのはほんの単純な事、ただ圧倒的なまでの体捌きで吹き飛ばされたのだ。
「ッ!」
息をする間もなく、クレスは空中を蹴りつけその場を離脱する。
間髪入れずクレスが先程までいた場所を神速の斬撃が通り過ぎる。尋常ならざる速度で放たれたのは真空の刃"嵐脚"。
乱れた体勢を無理やりに制御させ、バルコニーで嵐脚を放ったリベルへと目を向ける。
しかし、そこにリベルの姿は無かった。
「さて、君はこの一撃受けきれるかな?」
声が聞こえたのは背後。
在り得ない、と言う驚愕すらこの男の前には意味を為さない。
嵐脚を放ってからの接近。この程度ならば六式を扱う者ならばだれでもこなせる。むしろ戦術の基本とさえいえるだろう。
だが、これを同時に行うとすればどうだろう。
嵐脚を放つと同時に剃、月歩で敵の背後を取る。更に言えば、嵐脚を放った瞬間には敵の背後を取っている。
余りにも矛盾する行為。しかしそれを当然のようにリベルは現実にする。
「指銃」
打ち出されたのは、万物を例外なく打ち抜く魔弾。
思わず目を奪われる程の鮮やかな動きは、世界を置き去りにした。
背後という、人間にとって絶対の死角より放たれた一撃は必然のように無防備なクレスに吸い込まれた。
「……ほう」
だが、リベルの拳は空を切る。
リベルの拳が自身を打ち砕く直後、驚異的な瞬発力と柔軟性によってクレスがリベルの一撃を回避せしめたのだ。
予想が外れたのか、楽しげにリベルは息を漏らす。
その感嘆を裏切る事なく、反転し体勢を立て直したクレスは引き絞られた矢のように硬化させた拳を打ち出した。
「指銃"剛砲"ッ!!」
渾身の力が込められたクレスの拳に対し、リベルもまた同じように拳を突き出した。
「指銃"剛砲"」
両者の拳はエニエスロビーの空でぶつかり合った。
一瞬にして衝撃が大気を震わせる。
まるで嵐の中に飛び込んだかのような重圧に押されながらも、クレスは全力でリベルの拳に立ち向かった。
だが、その均衡も一瞬のうちに消え失せる。
拳の先に感じていた重圧が侵食するようにクレスの懐に飛び込んで来たのだ。
そこに居たのは、既に拳を放っていたリベル。
「耐えてみせなさい」
遅れて来た衝撃はクレスを駆け巡り吹き飛ばした。
まるで激流に弄ばれる木片のように司法の塔の窓を突き破り、硬い石壁に叩きつけられる。
吹き飛びそうだった意識を繋ぎとめ、クレスは顔を上げた。
「素晴らしい。よくぞ我が一撃を受けとめた」
クレスの視線の先では、まるで赤絨毯の敷かれた階段を下りるかのように優雅にリベルが空を歩きながらバルコニーの上に立った。
重い身体を何とか起こし、クレスは再びリベルに向け構えを取る。
「相変わらず、……エゲツねェ」
リベルの一撃の寸前、クレスは全身に鉄塊をかける事によりその一撃を受けとめていた。
もしあの瞬間に鉄塊が間に合わなければ、こうしてクレスが立ち上がれた可能性は低かっただろう。
最悪、あの瞬間に呆気なくも勝負が決していた可能性すらある。
「いつ見てもアンタの武技は怖気がするほど、鮮烈だ」
「なに、日々の弛まぬ鍛錬の賜物だよ」
「アホ言え、異質すぎんだよ」
武帝。
リベルの持つこの二つ名は伊達ではない。
如何なる武技をも極めつくしたと言われる男。それがリベルだ。
両足で大地を掴み、腰を落として重心を安定させ、拳を握り、全身を躍動させ、拳を突き出す。
集約され、極限まで研ぎ澄まされたその御技。
鉄の塊である筈の刃物が、存在を昇華させ、名刀として万人がその存在を湛えたのならば、拳を突き出す動きもまた同じ。
リベルの武技を例えるならば、芸術だった。
それも凶悪な、誰もが目を引かれずにはいられない程の。
その鮮烈さたるは、余人の追及を許さない。
世界すらも驚嘆せしめ、置き去りにするほどの極技。
無双。
正しく、その武技に並ぶ者などいなかった。
「それが君と私との差だ」
涼しげにリベルは言う。
世界は想像を絶するほど広く険しい。
頂きに立つリベルとクレスとの間にある距離は、遠い。
「……そうだな」
その事実を知りながらも、クレスは臆す事なくリベルの正面から立ち向かう。
彼我の戦力差など既に承知の上だ。
しかし、それがどうした。
目の前の男がいかに強大で在ったとしても、打ち勝たねば明日は無い。
「ロビンを迎えに行く。
それがアイツと交わした約束だ。その為にアンタは邪魔だ」
「単純だね、好ましいよ。
ならばその想い、一分でも近づけてみるがいい」
そして気が付けば、リベルが目の前で腕をふるっていた。
遅れてクレスがその形跡を確認する。
武技を極めつくしたこの男は、物事における因果すらも凌駕する。
リベルの前ではまず拳が打ち出されたと言う結果が在り、その結果に研ぎ澄まされた所作が追随する。
「ッアアア!!」
辛うじてリベルの振るった拳を察知したクレスは、咄嗟に硬化させた腕で受けとめる。
だが、リベルの一撃はその程度の防御など紙の如く散らす。
故にクレスは渾身の力を込め、リベルの一撃を逸らせた。
僅かに軌道を変えたリベルの拳は拳圧のみで、室内をグチャグチャにかき回す。
「嵐脚“菊先”」
その僅かな隙を縫うように、跳ねあがったクレスの蹴脚がリベルを襲う。
菊の花のように斬撃が走った。
予想外の攻勢だったのか、リベルはその斬撃に身を晒されたかのように見えた。
だがそれは幻影。
研ぎ澄まされたリベルの体捌きは相対する者を幻惑する。
間髪入れず、クレスの鳩尾を衝撃が駆けあがり上空へと吹き飛ばされる。
その一撃も何とか凌ぎきり、再び来るであろうリベルの姿を追おうとして、クレスは目を見開いた。
「剃"幻歩・千遍華"」
目の前に広がるのは、幾多ものリベルの姿だった。
クレスが模倣しルッチすらも手玉に取った、クレスの父、エル・タイラーのみに許されたオリジナル。
剃“幻歩”。
他者のものである筈の技も、リベルは別の終着点へと導いていた。
「……何でもありだな、アンタ」
「それは君の中の常識の話しかね?」
クレスを取り囲むように幾重にも分身したリベル。
その全員より一斉に斬撃が放たれた。
「嵐脚“円陣檻”」
上下左右、四方八方。
クレスに放たれた斬撃は逃げ場無き檻。
為す術も無く、クレスは迫りくる怒涛の如き斬撃に飲み込まれる。
瞬間、紅い光が瞬いた。
◆ ◆ ◆
司法の塔地下、海底通路。
自身の放つ足音のみが淡々と響き続ける、司法の塔と正義を門を繋げる海底に作られた通路。
人の手では破れぬような分厚い鉄の扉より入り、正義の門まで最短距離を辿るこの場所は、司法の塔の構造を把握する者しか知らぬ秘密の通り道だ。
その通路を早足でスパンダムは進み、ルッチを引き連れながら正義の門へとロビンを連行していた。
「今、ものスゲェ音がしたが、気のせいか? 気のせいだよな?」
海賊達がそこまで迫って来る可能性が浮かんだのか、疑心暗鬼に陥ったスパンダムはルッチへと問いかける。
「上で武帝殿が暴れている音か、それとも海賊の誰かが扉を破壊した音では?」
スパンダムの問いかけに、ルッチはぞんざいに答えた。
「あァ!? そんなバカな事があるかァ!
あの分厚い鉄の扉だぞ! 第一奴らが扉を見つけられる筈がねェ。
きっとリベル殿がエル・クレスに止めを刺した音だ。そうに違いねェ!
……なァ、てめェもそう思うだろ、ニコ・ロビン」
海楼石で後ろ手を繋がれたロビンをいたぶる様にスパンダムは問いかける。
だが、ロビンは沈黙を保ち何も答えなかった。
そんなロビンの姿に溜飲を下げたのか、スパンダムが僅かばかりの虚勢を取り戻す。
しかし、その虚勢はルッチが発した言葉に打ち砕かれる。
「いえ、子どもとペットが我々を付けていましたので可能性があります」
「えぇぇぇっ! な、何故お前それを知ってて消さなかった!?」
驚愕するスパンダムに、悪びれることなくルッチは答える。
「指令が出ませんでしたので」
スパンダムが恐慌しルッチを罵るも、ルッチは涼しい顔で聞き流す。
その口元は血の匂いを嗅ぎ取った肉食獣のように歪んでいた。
自分達を追う海賊達に、獰猛な血が反応したのだろう。
(なんとして……この場を脱出しないと)
スパンダムとルッチに正義の門へと連行される間、ロビンは常に逃げ出す機会をうかがい続けて来た。
だが、海楼石の錠で繋がれた状態ではそれも難しい。
能力の無いロビンはただの女でしか無い。力ではルッチにはもちろんの事スパンダムにすら劣る。
このままではロビンは何も出来きずに、正義の門へと連行されてしまう。それだけは何としても避けたかった。
苦境に居るのはロビンだけではないのだ。
助けに来た仲間達は皆命をかけている。ならば、ロビンもそれに答えなければ嘘だ。
ロビンを包み込んだ希望の光。その輝きは決して途絶えることは無い。
クレスと同じく、ロビンもまた仲間たちを信じた。
仲間達は必ず立ちはだかるCP9を倒して、ロビンを助けに来ようとしている。だからロビンも何とかして足掻こうとした。
そして、それはクレスも同じだ。
(……クレスはきっと勝つ)
今司法の塔で最も絶望的な戦いに身を投じているのはクレスだ。
世界中の誰もがクレスの敗北を疑わないだろう。
だが、それでも絶対にクレスは諦めない。
昔からそうだ。クレスはロビンと交わした約束だけは必ず守り通した。
クレスは負けない。
ロビンはそう固く信じ、己もまた諦めず立ち向かい続ける事を決めていた。
◆ ◆ ◆
リベルとクレスが戦闘を繰り広げた司法の塔の一室のあり様は散々たるものだった。
広々とした室内は見事に破壊しつくされ、あちこちに人の手で為されたとは思えないほどの破壊痕が残っている。
窓という窓は割れ、壁という壁は抉れている。
崩れかかったその場所は、廃墟と呼ぶのが相応しい。
「時に世の中には生まれながらに様々なモノを秘めた者が現れる。
例えばそれは力であったり、知能であったりする。幼少より天賦を開花させたものを、人々は神童、または鬼子と呼ぶ。
それは総じて異常な事だ。なぜならば人々が幾多もの時を重ね習得するものを、短期間で学び身に付けるのだから。しかし、それも在りえない事ではない」
玉座に座るが如く積み上がった瓦礫の上に腰掛けながら、リベルは言を紡ぐ。
「真に異常たるは、学ぶこと無きに知る者。
一を教わり瞬間に十に至るのではなく、既に十の姿を知り得ている。そこに至る為の順当な努力すらも内包して。
これはもはや異常という言葉ですら測れない。異常を通り越し、排斥される異端とでも言うべきものだ」
ゆっくりと誰もが跪かずにはいられないほどの重圧を振りまきながら、リベルは立ち上がった。
そして、僅かに目を細め目の前に立つ男に問いかけた。
「そうは思わないかね? クレス君」
リベルの前に立つクレス。
逃げ場無き斬撃に囲まれ為す術も無く倒れる運命にある筈だった。
だが、その身に一切の傷痕は無い。
「さァな、知らねェよ。
それにおれにとってはもうどうでもいい話だ」
「だろうね。では聞こうか、―――何をしたのかな?」
快活な笑みを浮かべるリベルの視線の先でクレスも同じように笑みを作った。
「見れば分かるだろう? アンタの攻撃を避けきったんだよ」
「それにしては劇的過ぎたね。
あの刹那とも取れない時の中で、的確に、針の先を通すような僅かな隙間を見つけ脱出する事など君には不可能に近い」
思案するようににリベルは腕を組むも、クレスは皮肉げに笑みを浮かべるだけだ。
「まァ良いとしようか。
その疑問を解くのは君と拳を交えながらとしよう」
「存分に相手になってやるよ、リベル。
アンタのおかげでやっと安定して使えそうだからな」
するとクレスは仮面を被り直すかのように貌に手を当て、目を閉じた。
それは己のみに許された力。
常にそこにあり、見つけられなかった能力。
クレスがクレスであったが故に発現した、悪魔の残り火。
異端の証明。
開かれたクレスの瞳がまるで血に飢えた魔犬のように鈍く、煌めいた。
―――欺くは己。
「―――“時幻虚己(クロノ・クロック)”―――」
あとがき
お久しぶりで申し訳ないです。作者のくろくまです。
とうとうどうしようかずっと悩み続けたクレスの能力を出してしまいました。
やってしまったかなと後悔事半分、やりきってやろうと気合半分です。
なんとか上手くやって行きたいものです。
次も頑張ります。ありがとうございました。