「―――アウグスト・リベル。
言わずと知れた<武帝>の名を持つ海兵。
<仏のセンゴク>、<英雄ガープ>に並び立ち、今や伝説と化した古の海賊たちと渡り合ってきた男」
司法の塔にあるロブ・ルッチの私室。
5年ぶりにもなる自身の部屋で、クラッシクなソファーに座り、招き入れたカクとカリファの前でルッチは琥珀色の液体の入ったグラスを傾けた。
「まったく、来るのならば事前に言っておいてほしいものじゃ。
侵入者かと思うて身構えてしもうたわ。おかげで久々に寿命が縮むかと思ったわい。長官に至っては見事に気絶しおったがの」
淡々とした様子でカクが言う。
長官たるスパンダムがリベルの放った強烈な“気迫”によって突如気絶したため、なし崩し的に解散となったCP9の面々は、現在各自自由な時間を過ごしていた。
その際に長官の元へと駆け寄り揺り起こそうとしたものはいない。
もとより、CP9のメンバーのスパンダムへと忠誠心はゼロに等しい。
地位も名誉も名声にも、CP9たる彼らには興味がない。
彼らを動かすのは、流れうごめく獰猛な“血”のみである。
彼らがスパンダムに従うのは政府が彼を<CP9長官>という地位を与えている事実。ただそれだけの理由だった。
「それにしても、幼少時のニコ・ロビンとエル・クレスと知り合いだったていうのは本当のようね。
エル・クレスに<六式>を教えたのが彼だとするならば、ルッチと渡り合ったっていう強さにも納得できる。
さすがは、あの<武帝>直々に教導を受け、“天才”とまで言わしめた男という所かしら」
「フン……」
カリファの言葉にルッチは鼻を鳴らす。
<暗殺>の予定こそなかったものの、ルッチは己の全力を持ってクレスと対峙した。
そしてその結果、敗北寸前まで追い込まれている。
純粋な“力”だけならばルッチが上であっただろう。
しかし、クレスの強さはそれ以外のところにもある。その差が結果を生んだ。
「もうどうでもいいさ。
何れにせよ、もはや奴との再戦は叶わぬだろうからな」
苛立ちを通り越し、呆れすら滲ませてルッチはグラスを煽った。
リベルがこの地をと赴いた理由など、<オハラの悪魔達>との関係性を考えればバカでも思いつく。
<武帝>とまで謳われる男が自らの弟子にどのような処断を下すかは分からないが、他の人間に付け入る隙などある筈もなかった。
「それで、問題の武帝殿は今何をしておるんじゃ?」
カクは腕を組み、カリファに問いかける。
「報告の限りでは、罪人達を一緒にいるようよ」
「中の様子は?」
「少将が見張りの兵たちに扉から離れるように言ったそうだから、近づこうとする衛兵なんていないでしょうね」
「……物好きな人じゃ」
カリファからの情報を聞き、カクは呆れたように呟いた。ルッチもまた表情を変えない。
そんな二人の様子に、僅かに眉を寄せたカリファが問いかける。
「さっきから思っていたんだけど、信用してもいいのかしら?」
それは他ならぬリベルのことだった。
ニコ・ロビン並びにエル・クレスとの関係は否定しがたいものがあるのは確実である。
今は海兵という立場であるものの、情に流されないとは考えられない。かつての海兵中将のように。
「その心配はないじゃろ。
あの人を誰だと思っておる。如何なる関係があろうと、今の奴らは海賊じゃ」
「カクの言うとおりだ。
あの男は様々な“貌”の中から、<海兵>であることを選び取り、生きてきた。そしてその意思が決して揺らぐことなどない。
カリファ、お前も知っているはずだ。あの男にその気が合ったならば、―――オハラのでの顛末は別の形で迎えていたかもしれないということを」
カクとルッチの言葉を受け、カリファは素直に引き下がった。
「……そうね、確かに何も問題はなかったわ」
第十四話 「READY」
世界政府の中心であり、世界の法の象徴ともいわれる島、エニエスロビー。
駐在する兵力は1万とも言われ、その独自の地形も相まって、難攻不落と称される裁判所。
誰もが知る政府の三大機関の一つでもあり、平穏という常識によって縛られた諍い無き土地。
だが、現在。
そのエニエスロビーは前代未聞の混乱の中にあった。
「ゴムゴムの“銃乱打”!!」
ゴムの拳が唸りを上げ、まさしく弾幕となって放たれる。
易々と岩を砕き鉄板すら歪ませる拳の乱打は、次々と立ちはだかる番人たちを吹き飛ばした。
「嵐脚“乱”!!」
続いて降り注いだのは、目も眩むほど広範囲に放たれた斬撃の雨。
逃げ惑う兵たちの悲鳴すらも飲み込むかのように、まさしく嵐となって無慈悲にその身を打ち付ける。
拳と斬撃が止んだその場所に、立ち上がれる兵士は一人としていなかった。
「しっかし、キリがねェな」
「当たり前だ、アホ。ここをどこだと思ってやがるんだ」
打倒された兵士達の向こうに、この混乱を引き起こした張本人達の姿があった。
フランキー一家が提案した作戦を待ちきれずに、一足早くにエニエスロビーへと潜入を果たしたルフィとクレスである。
二人はロビンを救出する為に、立ちふさがる兵士たちを薙ぎ払いながら進んでいる最中であった。
包囲する兵士の数は無数とも取れたが、二人は特に気にした様子はなかった。
「怯むな! 的を絞って一斉射撃!!」
階級章より中佐とみられる指揮官の怒号に答え、隊列を成して構えられた銃口から幾つもの弾丸が発射される。
数とは絶対的な力だ。
銃声は幾多にも重なり、まるで雷のように轟々と響く。
弾丸は濃密な弾幕となってクレスを襲った。
「紙絵」
一斉に放たれた弾丸を前に、クレスがその身を躍らせる。
迫る弾幕の厚さなど一切気に留めない。
その動きはまさしく舞い散る木の葉。
クレスに狙いを付けられた弾丸の悉くがクレスの動きに翻弄され空を切った。
だが、そのうちの一部が、流れ弾となってルフィを襲った。
「ふん!」
だが、ルフィは驚異のゴム人間。
恐るべきゴムの弾力の前には一切の銃火器が通用しない。
ルフィに直撃した弾丸はすべて放った人間へと弾き返された。
兵士たちは慌てて、第二射を行おうとするが、引き金を引く前に、恐るべき速度で接近したクレスに打倒される。
しかし、兵士達にも意地があった。
ほかの仲間が攻撃を受けている隙に、無防備に見えたクレスへと近くにいた数十人が一斉に武器を振り下ろす。
(殺った……!!)
兵士たちの顔に喜悦が広がろうとした直後。
鉄同士を打ち合わせたような甲高い音が、彼の表情を凍らせた。
六式が一つ“鉄塊”。
クレスの体は鋼鉄をも同じ。兵士たちでは掠り傷一つ負わせることは出来なかった。
「悪いな」
クレスは呟くと同時にその身を屈めた。
刹那、身を屈めたクレスの真上をルフィの脚が鞭となって薙ぎ払った。
クレスへと武器を突き立てていた兵士たちはまともに直撃を受け、彼方へと吹き飛ばされる。
「指銃―――」
二人の猛攻は終わらない。
クレスは低い姿勢から獣のように駆けると、一瞬において幾人もの兵士たちの合間を駆け抜けた。
その圧倒的な速さの前に、兵士たちは目で捉えることすら叶わない。
舞い込んだ風は弄ぶように吹き抜け、数多の衝撃をもたらした。
「撃風(うちかぜ)」
走り抜けた先で、クレスが指先についていた血を刀のように腕を払って飛ばす。
その背後で、何が起きたのかさえ気づくことなく胸元を打ち抜かれた兵士たちが倒れこんだ。
「……チッ」
進行速度は順調だった。
後から来る仲間たちのことを考え、立ち塞がる海兵たちの相手をしながら進んでいるものの、時間の遅れにすれば微々たるものだ。
客観的に、エニエスロビーの番人たちから見ればなおさら、その進行速度は被害状況と照らし合わせても驚異的だと言えた。
希望的観測なのかもしれないが、ロビンが捉えられて直ぐに正義の門を潜らされると言う事は無い筈である。時間的に間に合う可能性は充分に見いだせる。
しかし、苦々しくクレスは舌を打った。
もちろん、ロビンの現状を考えれば一秒でも辿り着きたいという焦燥があった。
だが、今のクレスを襲う鉛のように重い凶悪な悪寒の正体は、もっと根源的なところにあった。
「……クソ」
悪態は数度目だった。
苛立ちをごまかすように、クレスは立ち向かってきた兵士を殴りつけて昏倒させる。
そしてそのまま、れこもうとする兵士の胸ぐらを掴み上げると、雄叫びを上げながら切りかかってくる集団に向かって投げ飛ばした。
もはやこの程度の敵がいくら束になろうとも、クレスとルフィの間には乗り越えられない隔たりがあった。
おまけに役人たちはクレスとルフィの強さに怯え、<統率された集団>という唯一の長所まで投げ出し始めている。
このまま行けば、ロビンが幽閉された“司法の塔”までは問題なく進むことができるだろう。
退け。
だがそれでも、クレスの本能は矛盾するかのように警鐘を鳴らし続けていた。
これ以上進んではいけない。
これ以上戦ってはいけない。
この先には何かがある。
この先には誰かがいる。
それは逃亡生活の中で幾度となく味わった、本能が告げる<命の危機>。
胸を抉られるかのような嫌な予感というのは、クレスの経験上どんな形であれ必中したと言える。
二十年にも及ぶ逃亡生活の中で培われ、研ぎ澄まされたその感覚の発露が何たるかを、クレスは正確に理解していた。
恐怖だった。
己ではこの先にいる男には決して―――
だが、クレスはその予感を理性によって無理やりに押さえつけた。
もはや今となっては、何もかもが遅い。
クレスは信じ、全てを賭けたのだ。
己の意志を。仲間の力を。
だから信じるしかなかった。
故に何が立ちはだかろうと、仲間と共に乗り越えると。
逃げること無く、打ち砕くと。
「気づいてるか、ルフィ?」
自身の中に渦巻く感情を誤魔化すかのように、クレスはルフィに問いかける。
エニエス・ロビーに降り立ち真正面より敵を退け続け突き進んだ二人。
決して減ることなく、1万もの兵力でもって押しつぶそうとした敵兵達に僅かな変化があった。
クレスの問いかけに対し、ああ、とルフィは真面目な顔で答えた。
「肉ならやらねぇ」
「何の話だッ!」
「ん? おめぇも腹減ったんじゃねェのか?」
「違う!」
全然分かってはいなかった。
クレスは頭を押さえ、後方を差した。
無自覚なのは確かだろうが、この能天気な船長といると、どうも調子が狂わされた。
「敵の数が減って来ている。
もう5分は過ぎてる。アイツ等が来たんだろう。敵はおそらく戦力を二つに分けたんだ」
「ああ、道理で楽になってきたと思ったわけだ」
納得したようにルフィが頷いた。
本当にわかっているのか少し不安になりつつも、クレスは前方に見えつつある裁判所の巨大な石扉へと目を向けた。
「つまるところ、これはチャンスだ。
目指す場所は、正面に見える裁判所のその向こう。
もういちいち相手をしてやる必要もないだろう。ロビンの元まで寄り道なしだ、一気に行くぞ」
「オウッ!!」
ジリジリと距離を詰めようとする衛兵に向け、クレスとルフィが拳を構える。
二人の圧倒的な強さを見せつけられ続けた敵たちはその姿に竦みあがった。
「怯むな! 敵はたった二人だぞ、早く打ち取ってしまえ!!」
指揮官である中佐がルフィとクレスのあまり強さに震える兵士たちに激を飛ばす。
「ですが中佐、あいつら強すぎます。もう怖いです!!」
「そんな言い訳通るか、さっさと行けェ!
数の利がこちらにあることを忘れるな。冷静に対処すればなんとでもなる! ええい! 長官にはまだ連絡が取れんのかァ!!」
「それが未だ通信不可です! ……おそらくまた受話器を落としているのかと」
そんな問答を繰り広げているうちに、クレスとルフィの二人は道をふさぐ兵たちを軒並み吹き飛ばして、指揮官である中佐の元へと迫りつつあった。
中佐は歯噛みし、自ら剣を取って突き進む二人の前へと躍り出た。
恐怖に挫けつつある部下たちを立て直すには、言葉だけでは足りない。
目の前は敵はたった二人だ。
どちらか一人に傷を負わせるだけでも、士気は盛りかえり、形成は逆転するはずだ。
「来い、海賊ども!
ここは世界を束ねる“法の砦”。これ以上貴様らを進ませる訳にはいかんのだ!!」
己の正義を掲げ躍り出た中佐に真っ先に反応したのは、兵士たちを嵐脚で切り飛ばしていたクレスであった。
「成程、この集団の頭はアイツか。先行ってろ、ルフィ」
「おめェはどうすんだ、クレス?」
「3秒もあれば追いつく」
「そうか」
クレスはルフィと別れ、迫りくる中佐の元へと駆けた。
集団を相手に戦う時は、敵の指揮官を倒すのが最も効率的だ。
統率者無き集団など、如何なる屈強な人間がそろっていようと所詮烏合の衆となりえるのだから。
「ぬうッ!」
人の波を風のようにすり抜けて迫るクレスに中佐が瞠目する。
待ち構える時間さえクレスは与えなかった。
中佐が反応するまもなく懐に入り込み、抱いた致命的な驚愕ごと鋼鉄よりもなお固い拳で打ち抜いた。
「指銃“剛砲”!!」
衝撃は中佐を貫通し辺りに突き抜けた。
クレスの拳を受けた中佐は一瞬で意識を飛ばし、その場へと崩れ落ちる。
その効果は決定的だった。
指揮官である中佐の敗北は、辛うじて二人に立ち向かっていった兵士たちから、その勇気さえ消し去っていった。
「さて、退いてもらろうか。
お前らの口上なんか知ったこっちゃねェ。
こちとら時間がねェんだよ。邪魔するとブチ殺すぞ」
クレスの凶相を前に、勇み続けられる兵士は余りに少なかった。
◆ ◆ ◆
寒々しい部屋だとロビンは思った。
外の喧騒が僅かに聞き取れる司法の塔の一室だ。
最小限の明かりによって照らされ、広々としながらも硬い石畳が敷かれた床からは重りのような冷たさが伝わって来る。
入り口の厚く硬い鋼鉄でできた扉や、鉄の柵で強化されたはめ込み式の防弾ガラスなどはその様相をいっそうに助長させた。
だがそれも無理はないだろう。
この部屋は裁判所において裁かれる罪人たちを拘留する場であるのだから。
事実、咎人であるロビンは同じ境遇となったフランキーと共に錠でつながれ、この部屋に留置されていた。
「なにやら外は幾分と騒がしい。
威勢のいいことだ。恐れを知らぬとは正にこのことだな」
そんな部屋にまったく似つかわしくない快活な声が響いた。
どこか楽しむようでもあり、それでありながら深く見定めるようなその姿を、ロビンは困惑のままに眺めるしか無かった。
アウグスト・リベル。
云わずと知れた、武帝の異名を持つ伝説の海兵。そして、幼く純真だった頃のロビンを知る男。
「さて、いつまでその懐疑的な視線を向け続けたままなのかな?
さすがの私も少しは傷つくのだよ。そう畏まらなくてもいいだろう。楽にしたまえ」
リベルの軽口に対し、ロビンは何も答える事ができない。
ただ重い沈黙が流れた。
「オウオウオウ! そりゃ無理だって話だろうが。
てめェとニコ・ロビンがどんな関係かはしらねェが、海賊が海兵相手にそう口を開くもんじゃだろうがよ」
重い沈黙に耐えかねたのか、同じ部屋に拘留されているフランキーが噛みつくように口を開いた。
挑発とも取れる言葉だったが、リベルは特に気にした様子もなく、それもそうかと小さく息を吐いた。
「ならばこれでどうだね?」
リベルはおもむろにロビンとフランキーの傍へと近づくと、鎖で繋がれた咎人と同じように冷たい床に座り込んだ。
この行動には、ロビンもフランキーも目を見開いた。
海兵が、それも武帝とも呼ばれるほどの男が海賊たちと同じ視線で言葉を交わす。
そうあり得る光景ではなかった。
「これで少しは近づけたかな?
別にこうして錠に繋がれた君に何かをするつもりはないのだよ。
ただ、オハラが残した残り火である君の様子を見たいと思っただけなのだ。どうだね、少しだけでもいい取り合ってはもらえないか」
同じ高さとなった視線の先で、ロビンは僅かに困惑を残しながらもリベルの言葉をを受け止めた。
ロビンは別にリベルに対し不信感を抱いているわけではなかった。
ただ困惑が大きすぎたのだ。
故郷を失い、クレスを残し知り合いと呼べる人間は炎の中に消えた。その唯一の例外がリベルだ。
だがリベルは海兵だ。賞金首となって以来、ロビンとリベルの間には決して相容れることのない溝ができた。
会いたくないわけではなかった。だが決して出会っていい相手ではなかった。
だからこそ20年ぶりに再会を果たしたリベルにロビンはどのような感情を抱いてよいか分からずにいた。
「成長したのだね。やはり子は親に似るものだ。
よく似ている、オルビア殿にそしてシルファー殿に」
二人の名を聞いたロビンが顔を上げる。
そこには昔と一切変わることのない、幼きロビンに向けた笑みを浮かべたリベルの姿があった。
「そうでしょうか」
「そうだとも」
念を押すようにリベルは笑みを深くする。
20年もの歳月が経とうとも、やはりリベルの気質は何も変わってはいなかった。
快活、明朗、そして鮮烈。
少し昔を思い出し、ロビンは笑みを作った。
「信用を取り戻せたようで嬉しいよ。
少し話を聞かせてはくれまいかね? 君とクレス君がどんな道を辿ったのかを」
「……はい」
頷き、ロビンは少しずつ語り始めた。
それは他愛無い話であった。
故郷での事。故郷を追われてからの事。船に乗って海賊となった事。
ぽつぽつと、たいして意味のある訳ではない言葉をロビンは綴った。
リベルはロビンの話す言葉に耳を傾けていた。
「外の様子を聞いてもいいですか?」
話が一区切りした時、ロビンはリベルに問いかける。
スパンダムは海賊達が島に乗り込んで来たと言った。ロビンはどうしてもその事が気にかかっていた。
「いいだろう。君は私の要求を聴いてくれた。ならば私も答えるしかあるまい。
クレス君のことならば安心したまえ、彼は未だ健在だよ。詳しくは言えんが、乗り込んできた海賊たちも元気なことだ」
「そう、ですか」
喜び、悲しみ、後悔、期待、不安。そのどれとも取れ、どれでもない。
そんな複雑な感情を持ってロビンはクレス達の無事を告げたリベルの言葉に答えた。
「どうやら、なかなか複雑な様子だね。
嬉しくないようだ。それに純粋に喜べないようでもある。広がるのは不安ばかりといったところかな?」
「ええ、……私は彼らに来てほしくなかった。
来ないように精一杯努力して、クレスや彼らから離れようと努力した。
覚悟も決めていました。こうして捕えられるのは覚悟の上でした。ですが……」
「自身の目論見が破綻し、こうしてクレス君たちが君を取り返しに来たのが不満だということかな?」
「……はい」
今ロビンが抱える感情はロビン自身ではどうしようもないものだった。
精一杯嫌われるように、追いかけて来ないように不用意に傷つけて、結局失敗した。
昔読んだことのある物語の中にこんな話があった。
ある国にわがままなお姫様は自分自身に向けられる愛を試すために、わざと悪い魔法使いの元へと向かい、王子に助けてもらおうとするのだ。
無様。
ロビンは今の自分自身を自嘲するしかなかった。
「君の境遇は十分承知の上だ。
政府からすれば、<古代文字>を解読できる君の潜在的危険度は計り知れるものではない。
だがそれでも、私自身が海兵という厚かましさを承知であえて問おう。……抗おうとは思わなかったのかね?」
「抗えると思っていました」
破れた夢を語るようにロビンは言った。
淡い笑みさえ浮かべ、愚かな自分を笑うかのように。
「クレスと二人なら何でもできる。
彼らと彼らの船ならどこまでも行ける。そう思い続けていました。
でも、そんな筈はなかった。私は破滅を呼んでしまう。今までの希望は仮初で、現実を必死に覆い隠していた結果でしかなかった
「原因はクザン君かな?」
「切欠にすぎません。
いづれは何らかの形で終わりが見えていたのだと思います」
それはロビンがふとした瞬間に思う事でもあった。
望めば望むほど、ロビンが願うものの尽くが儚く消えてしまう可能性を秘めていた。
自分の運命は既に尽きていて、か細い糸が切れるように呆気なく全てが終わる。そう思えてならなかった。
「だから、自ら死を選ぶのかね。
クレス君や巡り合った仲間を守るために」
リベルの言葉にロビンは首を横に振った。
「いいえ、違います。
私の運命が彼らを殺さないためです」
ロビンが抱いていたのはどうしようもない諦めであった。
自身の持つ<闇>は余りに大きくて、決して抱えきれるものではなかった。
だからロビンは死を選ぼうとした。
自分のせいで大切な人たちが傷つくならば、生きる価値なんてない。死んでしまった方がマシだった。
「別にもういいんですよ、リベルおじさん。
幸せを掴むには私は余りに闇に引かれすぎた。迷いはありません。だからどうか―――」
真っ直ぐにロビンはリベルを覗き込む。
ぞっとするほど美しく暗い目だった。
「私を殺してください」
ロビンの言葉にリベルは目を見開き、真っ直ぐにロビンに視線を合わせた。
その視線に今までの穏やかさはなく、研ぎ澄まされた刃のように鋭いものであった。
「バカなこと言ってんじゃねェよ、ニコ・ロビン!
お前の事情はわかったが、仲間が助けに来てんのに死にたがる奴がいるかァ!!」
死を望むロビンにフランキーが声を荒げた。
当然だ。ロビンが望んだ行為は、命を懸けてこの地にやってきた仲間たちの思いを踏みにじるものだった。
「よかろう。君がそれを望むならば私は構わない」
ロビンの言葉を否定せず、リベルは静かに立ち上がると鎖で繋がれたロビンの前まで移動し、その細い首に手をかけようとした。
リベルにとって、ロビンの命を散らすことなど花を手折るほど容易い。
命を刈り取るのに一秒としてかからないだろう。
「オイ、てめェ止めやがれッ!
おめェが命を諦めればアイツ等はお前を救いたくても救えねェんだぞ。どうしてそう死にたがる!」
無抵抗のままロビンが殺されるのを防ごうと、繋がれた鎖を引きちぎらん勢いで暴れ出そうとしたフランキー。
フランキーの怪力を抑えきれず鎖が悲鳴を上げかけたその瞬間、リベルがフランキージロリと睨めつけた。
「“少し黙りたまえ”カティ・フラム君」
「……ッ!」
リベルから放たれた尋常ではないほどの威圧感にフランキーは強制的に黙らされた。
放たれた威圧感は物理的な拘束力を持つほど強烈で、凶悪な海賊相手でも負けなしを誇るフランキーですらも一瞬縫いとめられた。
海軍本部少将<武帝>アウグスト・リベル。
フランキーは“生ける伝説”とまで持て囃される男の実力の片麟を再認識させられる。
「これも運命なのだろう。私も時たま思う事もある。
苦しみ生かされ続ける“生”ほど残酷なものはないとね。
自らで降ろそうとする幕だ。君がそう望むならば、私はそれでも構わないとも思う。
君はオハラの残した鬼子だ。存在自体が脅威となり同時に罪と断じられている。それが耐えられぬのも仕方がなかろう」
「ふざけんじゃねェぞ!
たとえそれがどんなものであったとしてもな、存在することは罪にはならねェ!!」
気炎を上げたフランキーの声が部屋の中に残響する。
ロビンはフランキーに何も言わない。ただ静かに、言葉を残すようにリベルに言う。
「最後に私の願いを聞いてくれますか?」
「よかろう、言ってみなさい」
「どうかクレス達に手を出さないで下さい。
彼らの目的は私ならば、私が死ねば彼らは目的を失う」
「……了承した」
そうしてロビンは目を閉じ、覚悟を決めてしまった。
リベルの手にかかれば、痛みなど感じることなく永遠の闇がロビンを迎え入れるだろう。
それで構わない。それこそが望みだ。
今、ロビンが死ねば、クレス達はこの地へとやってきた理由を無くすこととなる。
リベルはきっと約束を守ってくれる。
何も心配はない。
やさしい彼らのことだ。悲しんでくれるだろうが、やがては前へ進めるはずだ。
そっとロビンは未来を想像した。
楽しげに騒ぎ、力を合わせいくつもの障害を乗り越えていく仲間たち。
その中で、大人びているのにまるで子供のように無邪気に笑うクレス。
荒れ狂う波、様々な進化を遂げた島々を夢の船で渡り行く。
幾つもの苦難もあるだろう。だがきっとその全てを乗り越えて、最後には満開の笑顔で笑いあうのだ。
そんな姿が続いていく筈だ。
ロビンの姿など忘れて。
「……気が変わったよ」
「えっ」
リベルはロビンの首にかけようとしていた腕をそのまま、ロビンの頭にやさしく置いた。
まるで子供をあやすかのように撫でると、ロビンから数歩離れ、再び床に座り込んだ。
「どうしてですか……?」
「気づいていないならばいい。
だが無常なことに時は待ってはくれない。もう一度よく考えなさい。
君自身がどうしたいのかを。高くそびえ立つ苦難に立ち向かうのか。全てを投げ出し死を選ぶのかを」
「リベルおじさん、私は……」
「気が変わったと言った筈だよ、ロビン君」
ロビンは自身に起こった変化に気が付いていなかった。
リベルと同じくロビンの身に起こった変化を見たフランキーは複雑な様子で口を閉ざしていた。
長い溜息をつくように息を吐くと、リベルは戸惑うロビンに向け口を開いた。
「一つ話をさせてくれ。
これはロビン君にとってはもう一人の“母”とも呼べるシルファー殿の話だ」
エル・シルファー。
クレスの実の母親で、幼いロビンを引き取った心優しき女性。
「クレス君の父親であるタイラーのことは知っているね。
誰かの為に己のすべてをかけられる、勇敢な男。誰もが彼をそう評価した。
だが、私に言わせてもらえばあの男はどうしようもなく弱い男だったよ。
人間としての在り方がひどく歪で脆かった。そうだね、おそらく今のクレス君は奴にそっくりなのだろう。
端的に言えば、あの男は“誰かのためにしか生きられない男だった”。自分自身では生きる意味を見いだせなかったんだ」
懐かしむように、リベルは滔々と語った。
「だが、そんな奴には大きな救いがあった。それが妻であるシルファー殿の存在だよ」
シルファーは歪だったタイラーを導いた。
どこまでも正しく、強く、真っ直ぐに。
生きる意味を与え、生きる理由を与え、喜びを与えた。
「彼女は正にタイラーにとっての希望そのものだった。
同時に彼女にとってもタイラーは無くてはならないものだったのだろう。
例えるならば、船と帆だ。帆が無くては船は波に彷徨う。船が無ければ帆は意味を為さない。
二つがそろわなければ意味が無い。だが二つ揃えばどんな波でも乗り越えられる。あの関係には私も少し妬けたよ」
リベルはロビンを正面に見据え語る。
「傲慢とは時に罪ではない。
全てを望むことが悪など誰が決めた。
己の夢を貫くために、偽りなく生きる。それが出来たならばどれだけ清々しいか。そのような者など普通はいないだろう。
だが、それができた者は、例え死に向かう瞬間だとしても不敵に一切の後悔などなく、己の生を誇り笑うのだろう。―――悔いはないとね」
リベルが語ったのは誰のことか。
そして窓から差し込む光を背に、リベルはロビンに問いかける。
果たしてロビンは本当に死に臨む覚悟があったのか。リベルの話のように不敵に笑って死ねたのか。
「決断したまえ。彼らは既にそこまで来ている。
これは前代未聞の大事件だ。彼らの悪名その結果の如何に関わらず全世界に轟くだろう」
音も無く、リベルの背後にある壁が切り刻まれ砕け散った。
リベルが足を一閃させたのだ。
その動きは余りに流麗で、攻撃が放たれた後でしかその事を認識できなかった。
「私は彷徨い続けた“君たち”の結末をを見るために来た。選ぶのは君だ」
四方を囲んでいた壁の一つがいきなり消え去ったことにより、風が部屋の中に舞い込んできた。
風はロビンの髪を揺らし、頬を冷たく流れていく。
気が付けば、ロビン、フランキー共に背後の鎖が切断されていた。
未だ腕には海楼石の錠がつけられているが、これでロビンは自由に動き回れる。
立ち上がった足は自然と前へと向いた。
そして声が聞こえた。
「―――そこにいたか」
細身だが、機械のように一切の無駄のない引き締まった体。
日に当てれば乾草のように柔らかく透いて見える、パサついた黒髪。
どこか仄暗くも、ロビンにとっては安心感を抱かせる瞳。
聞き違えるはずのない声。
瞼を閉じても浮かび上がるその姿。
「おーい! そこにいたのか、ロビン!!」
隣にいるのは麦わら帽子を被った船長。
自身の姿を見て安心したのか、嬉しげに手を振っている。
「……どう、して……」
声は風に乗り、届く。
長年連れ添った幼なじみは、いつものように言った。
「お前がそんなとこにいるからだ」
ただ戸惑うロビンに向け、クレスはまるで幼子を叱るかのように、強く優しくそういった。
「帰るぞ、ロビン」