「しばしお待ちを、直ぐ準備が整います」
チャカの指示により、現在宮殿の各所には大量の爆薬が運び込まれていた。
4000年ものアラバスタの歴史の中で幾代のも王が権力の象徴として所有し、居を構え、維持してきたアルバーナ宮殿。
荘厳な外観だけではなく、職人たちが丹誠を凝らして作り上げた彫像、壁に刻まれた鮮やかな紋様、宮殿内の数々の美術品や調度品など、それら全てが調和したアラバスタが誇る最大の大遺産。
そのアルバーナ宮殿が今、たった一人の小娘の手によって破壊されようとしていた。
後の歴史はこの決断を下したビビを愚かと蔑むのかもしれない。だが、ビビはそんな事はどうでもよかった。無意味な戦いを続ける国民達を救うこと、それが今のビビの全てだった。
「この事態をなんと申し上げればよいのか……」
悔やむようにチャカが言う。
己が不甲斐ないばかりに、ビビに対してこのような決断させてしまったのだと。
「わかってる……」
ビビは戦火に包まれた市内を見下ろした。
「……あなた達は反乱軍を迎え撃つしかなかった。それよりもイガラムを欠いてよく二年以上の暴動を抑えてくれたわ」
ビビはチャカの苦悩を察する。
「ごめんね……急に国を飛びだしたりして、でも……まだ終わりじゃないの。
反乱を止める事出来ても、あいつがいる限り……この国に平和は訪れない……!!」
ビビはぎゅっと拳を握りしめ、ここまで自分を導いた海賊達を思った。海賊達は自らの命を賭けてビビを宮殿まで送り届けてくれたのだ。
そんな彼らにビビが報いる方法があるとすれば、どんな手を使ってでもこの反乱を止める事だった。
「ビビ様────」
チャカは過去とは比べ物にならないくらいに美しく、強くなった王女に、素直な言葉を贈った。
「────二年見ないうちに、貴女はずいぶんいいお顔を為されるようになった」
ただ純粋にやさしいだけでは無い。
現実を知り、現実に打ちのめされながらも、理想のために前に進んだ者が浮かべる事の出来る、高潔で力強い姿。
それは、乾いた砂漠に咲く一輪の花のように、どんな困難にも立ち向かえる強さを備えていた。
王女を成長させたのは、ビビと苦楽を共にした海賊たちなのだろう。チャカはその海賊達に会ってみたくなった。
「この戦争が終結を見た折には、例の海賊達と大晩餐会でも開きたいものですね」
「チャカ……」
チャカの言葉にビビの顔に小さな笑みが生まれた。
誰一人欠ける事無く、海賊達とまた盛大な宴を開く。それがどれほど難しいことか、だが、ビビはその様子を想像し、そうなる事を心から望んだ。
「チャカ様……ッ!!」
その時、宮殿広場への扉が慌ただしく開き、傷だらけ兵士が報告をおこなった。
「宮殿内に何者かが……!!」
「なに!?」
チャカが傷だらけの兵士に駆けより詳細を聞きだそうとした時、鈍い音と共にその兵士が黄金の鉤手によって貫かれ、力なく崩れ落ちた。
「困るねェ」
その瞬間、宮殿広場へと続く門扉がただ一つを残して勢いよく閉じられた。
王女と司令官を残して閉ざされた門に兵士たちがざわめく中、血で濡らした鉤手の男が砂塵と共に我が物顔で宮殿の欄干に腰かけた。
「物騒なマネしてくれるじゃねェか、ミス・ウェンズデー。ここは直におれの家になるんだぜ」
砂漠の魔物が冷徹な瞳にビビを納めた。
「いいもんだな宮殿ってのは────クソ共を見下すにはいい場所だ」
「クロコダイル!!」
この反乱を仕組んだ黒幕。
レインディナーズでルフィが食い止めると約束した男の登場と、それが示す意味に、ビビの全身が凍りついた。
それと同時に、宮殿へと続く最期の扉がゆっくりと閉まってゆき、宮殿の中から白いコートを着た女とパサついた黒髪の男が現れた。
「ぐッ……!!」
苦悶を上げたのは扉に打ち付けられた国王コブラだ。
「パパ!!」
「国王様!!」
二人に緊張が走る広場に、無表情のまま悪魔の子達は歩を進めた。
重い音が響き、最後の扉が閉まった。
「……さァ、始めようか」
張りつけにされたコブラを背に、クレスは冷たい表情で言った。
第十八話 「天候を操る女と鉄を斬る男」
────北ブロック、メディ議事堂裏通り。
ゾロと逸れ、一人きりでミス・ダブルフィンガーと戦うこととなったナミ。
ウソップから託された訳の分からない武器<天候棒>の説明書を手に、ナミは焦りながら逃げ回っていた。
「────じゃあ、死んでもらうけど、よろしくて?」
民家の中に逃げ込み、隠れながら説明書に目を通していた矢先、ナミは隠れていた壁の向こうからミス・ダブルフィンガーの声を聞いた。
「やばっ……見つかった!!」
ナミは出口に向けて走り出す。
ミス・ダブルフィンガーとの力には間には大きな隔たりがあり、立ち向かえば間違いなく殺される。取り合えず今は逃げのびて、<天候棒>を信じ少しでも時間を稼ぐのが先決だった。
ナミが出口のドアに手を触れた瞬間、ミス・ダブルフィンガーが巨大なウニのような姿になって民家の壁を突き破って来た。
「逃がさないわよ、お譲ちゃん」
ナミは咄嗟の判断で方向転換を果たし、ドアから飛びのいた。
その瞬間、勢いよく転がって来たミス・ダブルフィンガーがドアをその能力でくし刺しにする。
もし、ナミがそのまま逃げようとしたならば、ドアを開いた僅かな時間が仇となっていただろう。
「早く逃げなきゃ……!!」
ナミは天候棒で窓硝子を叩き割ってそこから脱出する。
だが、それをそのまま見逃すほどミス・ダブルフィンガーも甘くは無い。
巨大なウニとなったミス・ダブルフィンガーが触れたもの全てを穴だらけにして、再びナミに迫る。
「くし刺しにおなりなさい」
「そんなむごい死に方……御断りよ!!」
ナミは空中で羽織っていたローブを脱ぎ、ミス・ダブルフィンガーに投げつける。
ミス・ダブルフィンガーは当然の如く、そのローブを穴だらけにしたが、その瞬間ナミが勢いよくそのローブを引っ張った。
棘は貫通力に優れるが、ものを切り裂く力は無い。ミス・ダブルフィンガーの体は闘牛のようにナミから逸らされ、そのままの勢いで向かいの民家に突っ込んだ。
「へぇ……戦闘に関してまったくの素人ってわけでもなさそうね」
ナミの身のこなしは素人が早々に真似できる者ではない。しっかりと状況を把握して適切な行動を選択している。
ミス・ダブルフィンガーはナミに対する認識を改め、再び逃げたナミの背中に目を移した。
「うぅ……あの鼻の奴!! 私が死んだら呪ってやる!!」
ナミは路地裏へと入り、物陰に身を潜め、そこで再び説明書に目を通した。
「もっとちゃんとした戦闘用の技は……」
ウソップに天候棒を作ってもらったものの、何かと忙しくて、その扱いについて余り調べられなかったのが悔やまれた。
ナミは飛ぶように説明書の文章を読み進み、無駄な機能が多い天候棒の性質を調べていく。
そして、表面の最後の一文に不吉な文章を発見した。
『────なお、戦闘用の技に関しては裏面に記載する』
「んなアホなァ!!」
乙女らしからぬセリフを吐き、ナミは訝しげに裏面を覗きこんだ。
「え……」
そして、ただの小娘だったナミの“力”は一変する。
煙管をふかして、悠々とミス・ダブルフィンガーがナミが逃げ込んだ路地裏へと歩み寄る。
彼女にとって、多少の経験はあるものの戦う術が素人の域を出ないナミなど、逃げ回る子猫も同じだった。
子猫を追い回すのに多少の苦労はするだろう。だが、子猫相手に命の危険を感じることなどありえないし、ミス・ダブルフィンガーは子猫を追い詰める術をもっていた。
「さて、今度は何処に隠れたのお譲ちゃん? いい加減鬼ごっこも終わりにしたくてよ」
「もう逃げも隠れもしないわよ!!」
スカートに動きやすいように切れ目を入れ、邪魔になりそうなアクセサリーを投げ捨てて、戦う準備を済ませたナミが路地裏から勇ましく現れる。
その手には力強く握られた天候棒。先程までの懐疑的な視線とは違い、頼もしい相棒に向けるような眼をその武器に向けていた。
「これでも8年間泥棒稼業をやってたのよ。どんな死線も一人で乗り越えて来た。その辺の小娘と一緒にされちゃたまんないのよね!!」
「そう、それは結構。どうしたの? 急に強気になっちゃって」
ナミは三節昆の天候棒を三つに分解し、その空洞となっている先端をミス・ダブルフィンガーへと向けた。
「言っとくけどここからが本領よ!!」
────戦闘における『天候棒』組み立て、byウソップ。
ナミは説明書の内容を思い出す。
3本の“棒(タクト)”からなる天候棒(クリマ・タクト)にはそれぞれの棒に特性があり、それぞれにその特性に対応する"気泡"を飛ばすことができた。
1本目は『熱気』の“熱気泡(ヒートボール)”
2本目は『冷気』の“冷気泡(クールボール)”
3本目は『電気』の“電気泡(サンダ―ボール)”
「面白い武器だとは思うけど、こんなオモチャじゃ私は殺せなくてよ」
「うっさいわね!! 分かってるわよ!!」
ちなみに未完成なので威力は物凄く低い。
だが、それでも天候を知りつくした航海士のナミにはこの気泡達が重要な要素となりえた。
呆れ気味のミス・ダブルフィンガーを気にすることなく、ナミは天候棒によって三種の気泡を作り続ける。
「ごめんなさいね……もう付き合いきれないわ」
ミス・ダブルフィンガーは足の裏から棘を伸ばし、凶悪なヒールを作り上げ、地面を突き刺しながらナミに向けて疾走する。
ナミはその様子に、気泡を作り出すのを一時中断して逃げ回る。
「鬼ごっこはもう終わってよ」
「あ……」
接近したミス・ダブルフィンガーから勢いよく突き出た棘が、ナミの足を突き刺した。
がくりとナミの脚から力が抜け、地面にへたり込む。
「スティンガーステップ」
直後、足の裏を能力で殺人スパイクにしたミス・ダブルフィンガーが、容赦なく踏みつけを行う。
ナミは苦し紛れに、十字に交差させた天候棒を投げつける。
天候は暴風。
「サイクロン=テンポ!!」
ブーメランと化した天候棒はミス・ダブルフィンガーの顔に向けて迫るが、能力の棘で受け止められてしまう。
だが、天候棒の回転が止まった瞬間、突如吹き付けた突風が渦巻いて彼女を吹き飛ばした。
トリックはナミが作り出した“熱気泡”と“冷気泡”だ。温度差のある気泡同士が回転していたのを止めた為、そこに爆発的な突風が生まれたのだ。
風に乗り、回転しながら手元に返ってきた天候棒を受け止め、ナミは違う天候を作り出す。
天候は雨。
「レイン=テンポ!!」
天候棒の各所から、ジョウロのように控えめな水があふれ出た。
乾いた砂漠気候を利用し、そこに足りないものを補い出来る事。ぶっつけ本番ではあるが、十分に試す価値はあった。
ナミは己の考えを信じて、必死に“要素”を作り出す。
「何をよそ見してるの? 殺し合いを甘く見てるのではなくて?」
指先を鋭い棘に変えたミス・ダブルフィンガーが、必死で“熱気泡”を作り出しているナミに指先を突き刺した。
鋭い棘はいともあっさりと、ナミに突き刺さり、その急所を貫いた。
「残念」
「何!?」
それはたった今殺した筈のナミの声。驚き、ミス・ダブルフィンガーが視線を彷徨わせる。
突き刺したナミの直ぐ傍に、もう一人のナミの姿があった。すると、突き刺した方のナミがぺロリと舌を出して、その姿をぼやけさせた。
「“冷気泡”で空気の密度を変えたのよ。著しい温度差による光の異常屈折────」
「────まさか、"蜃気楼"!!」
「そう。この武器は私にぴったりみたい」
アスファルトや砂地などの暑い地面に面した空気が熱せられ下方の空気密度が低くなり、上方との著しい密度差によって引き起こる蜃気楼。
ナミは"冷気泡"を使い、狂おしい程の温度差を大気に刻みつけたのだ。歪んだ空気の鏡にその姿を映し出し、ナミ自身はその向うに隠れた。ミス・ダブルフィンガーは見事にナミの策にはまっていた。
「フフ……でもそれがどうしたの?
面白い武器を持っているようだけど実用的な攻撃力がなければ所詮それはお遊戯の道具じゃなくて?」
ミス・ダブルフィンガーは笑う。
「目的がどうあれ、人を殺めることのできるモノを『武器』とそう呼ぶのよ」
ミス・ダブルフィンガーは余裕を崩さない。
ナミの天候棒が戦場の気候を自在に操れたとしても、ミス・ダブルフィンガーを打倒せなければ意味がないのだ。
今の蜃気楼も、ミス・ダブルフィンガーから見れば“逃げの一手”。当然条件がそろってこそ出来た技だ。ミス・ダブルフィンガーの優位は動かない。
「あなたに私は殺せない」
「そんなこと、やってみなくちゃ分からないじゃない!!」
ナミは再び“熱気泡”と“冷気泡”によって“要素”を作り出す。
熱気は「水分」を含みつつ上昇し、下降してきた冷気とぶつかり凝結される。するとそこに出来るのは―――
「やる気みたいね。なら、私もお礼に面白いものを見せてあげてよ」
ミス・ダブルフィンガーが針のように細く尖らせた棘を自身の腕に突き刺した。
突き刺したのは筋肉が活性化するツボだ。そこを刺激したことにより、異常なほどにミス・ダブルフィンガーの腕が固く膨れ上がった。
「トゲトゲ針治療(ドーピング)!!」
「何よそれ!!」
「余所見はダメって言ったでしょ?」
ミス・ダブルフィンガーの腕からサボテンのような荒い棘が生え、鬼が持つトゲトゲの棍棒のように姿を変えた。
増強した筋肉でミス・ダブルフィンガーは容赦なくその腕を振り払った。
「スティンガーフレイル!!」
ナミは咄嗟に頭を庇い、地面に伏せた。
棘の剛腕はその真上を空気を押しのけて通り過ぎ、ナミの後ろにあった石柱を易々と砕いた。
石柱が砕かれたことにより、柱として支えていた民家の一区画が崩壊。ナミは貫かれ鋭い痛みが走る脚を引きずるようにしてそこから脱出する。
「きゃああ!!」
何とか崩落に巻き込まれずに済んだものの、地面を転がり体中に小さな傷が出来た。
立ち上がろうとして、先程までと違う鈍い脚の痛みがナミを襲う。どうやら崩落の際に瓦礫で脚をやられたらしい。
「まったく、逃げの素早さだけは一級品ね」
「くっ……」
ナミは願いを込めて辺りを見渡した。
条件はクリアしている。要素も十分にばら撒いた。もう出来ていてもおかしくは無い。
「あった!! 小さいけど……出来てる」
ナミの視線の先、そこにあったものは雨の降らないアラバスタの気候を無理やり捻じ曲げて作り上げた“雲”だった。
希望が繋がっていることにナミは一安心し、歯を食いしばってその希望を手繰り寄せる。
「まだまだ……!! “熱気泡”!! “冷気泡”!!」
「……いい加減にしなさい」
まったく殺傷力の無い攻撃を続けるナミに業を煮やしたミス・ダブルフィンガーが肉薄し、棘の棍棒と化した腕でナミを殴りつけた。
「スティンガーフレイル!!」
「あァっ!!」
ナミは後ろに避けようとしたものの、ミス・ダブルフィンガーの踏み込みは深く、棘の剛腕でナミの柔肌を削り取った。
そのまま吹き飛ばされ、ナミは地面を転がっていく。
「どう? 覚悟は決まった?」
残酷な笑みをもってミス・ダブルフィンガーは最後の問いかけをおこなう。
ナミは痛みを耐えながら、僅かに笑った。
「……あんたこそ」
電気泡。
ナミは最後の一手を打ち込んで、バッと身を伏せた。
電気泡は静電気程度の電撃を纏った気泡。それ自体では当然威力など無いに等しい。だが、重要なのは均衡を崩すことだ。
ミス・ダブルフィンガーが不穏な気配を感じ後ろを振り向いた。そこで見たモノは大きく成長した黒雲。
熱気泡と冷気泡によって作られた氷の結晶達がぶつかり、擦れ、砕け、またぶつかりと蓄電された静電気の塊に、均衡を崩す、トリガ―たりえる一撃を打ち込めばどうなるか?
「サンダーボルト=テンポ!!」
不気味な雷雲はバチバチと小刻みに大気を震えさせながら、近くの誘電体の避雷針たりえるミス・ダブルフィンガーの体に轟音と共に炸裂する。
「ア゛ああああああああああああァああ!!」
雷雲から稲妻が放たれた。
雷光が辺りを強烈に照らし、炎にも似た熱と毒にも似た強烈な痛みがミス・ダブルフィンガーに駆け巡る。
一瞬の暗転の後、雷撃が止む。そこに立っていたミス・ダブルフィンガーの全身はボロボロで、感電し口から煙も漏れていた。
「許さない……!!」
ギロリと瀕死のミス・ダブルフィンガーの瞳に殺気が灯り、棘のグローブと化した拳でナミを貫いた。
ナミは悲鳴を上げたが既に遅い。ミス・ダブルフィンガーは口元に笑みを作ろうとして、その表情が固まった。
「本日の空は湿度、風共に安定し、大気圧を伴う晴れ晴れとした気候となるでしょう」
くし刺しにしたナミの姿がユラリとぶれた。
蜃気楼。
先程ナミがミス・ダブルフィンガーにおこなったのと同じ方法だ。
「────しかし、一部地域のみ蜃気楼や旋風の心配が必要です」
憎々しげなミス・ダブルフィンガーの視線を受けながらも、航海士は淡々と今日の天候を予測する。
「トルネードにご注意ください」
ナミは“竜巻”の銃口をミス・ダブルフィンガーに向けた。
────“トルネード=テンポ”
天候棒に備えられた中で最大の威力をもつ"天候"。
ウソップ曰く、一発限りの最終手段。喰らって立ち上がれる人間はいない。だが、ハズせば終わり。
ナミの行動は全てこの一撃に繋げるためのものだった。“トルネード=テンポ”がどんな技なのかは分からないが、ナミはウソップを信じた。
ナミの心臓がドクドクと危険を知らせるように打ち鳴らされる。
最終手段の一撃。これを外せば間違いなくナミはミス・ダブルフィンガーに殺されるだろう。脚を痛め逃げる事は難しい。
だが、当てるチャンスは十分にあった。小型とはいえ、ミス・ダブルフィンガーは雷の直撃を受けたのだ。そう動きまわれるものではない。
「大丈夫?」
瀕死の筈のミス・ダブルフィンガーが立ち上がり、ナミは息をのんだ。
「さっきから傷め続けたその左足……実はもう立ってられないんじゃない?」
「まだ動くの!?」
ミス・ダブルフィンガーの髪が逆立ち、巨大なウニのように変わる。
一歩、一歩と雷を受けた後とは思えないほどの力強さで大地を蹴り、ミス・ダブルフィンガーはナミに向けて凶悪な頭突きを繰り出した。
「シ―・アーチン・スティンガー!!」
石壁をも軽く貫通させる棘の頭突き。
ナミは迫りくるミス・ダブルフィンガーに逃げきれない事を悟り、天候棒を構えたまま、左足を差し出した。
「うっ……あァ……ッ!!」
棘がナミの左足を貫通し、根元近くまで突き刺さって傷口を広げる。
駆け抜ける痛みを我慢して、ナミは必死で地面に踏みとどまった。
「痛くも……痒くも……ないわこんなの……!!」
「無理はよくなくてよ?」
必死の様子のナミに、ミス・ダブルフィンガーは薄い笑みを浮かべてジリジリと圧していく。
「……あんたにあのコの痛みがわかる?」
一人分だけでは無い。
一味全員の痛みに、この反乱で傷ついた人々の痛みを一身に受けようとするその姿をナミは思った。
きっと想像も出来ないくらい辛くて痛い筈だ。でも、それでも、ビビはその痛みに耐えて立ち向かっていくのだ。
「それに比べたら……!! 足の一本や二本や三本ッ!! へのカッパ!!」
右足を支えに、突き刺さった左足を強く踏み込んで、ナミは僅かにミス・ダブルフィンガーを押し返した。
ミス・ダブルフィンガーは僅かに後ろによろけた。
その好機をナミは見逃さない。
「トルネード=テンポ!!」
Tの字に組み換え、構えた天候棒の両端から何かが勢いよく打ち出された。
そこから現れたかわいらしいバネ仕掛けのハト人形に、ナミが青ざめ、ミス・ダブルフィンガーは笑みを浮かべた。
「え?」
「え!?」
その驚きは両者のものだ。
役に立たない宴会用の技だと思っていたバネ仕掛けのハト人形が急に動き出し、ミス・ダブルフィンガーの体に絡みついたのだ。
それに伴い、T字型の三節昆の両端が熱気と冷気の噴射を受け、勢いよく回転しだした。
「何? 何なの!!」
「あ、ああああっ!!」
天候棒の回転は止まらない。
ミス・ダブルフィンガーの身体ごと、まるで竜巻の中心のように回転し、その回転が最高潮になった瞬間、ロケットのように打ち出された。
「あああああああああああああああああああああああああッ!!」
悲鳴を上げながらミス・ダブルフィンガーは民家の石壁を綺麗にくり抜きながら彼方へと消えていく。
やがて、悲鳴が途絶え、辺りには静寂が舞い降りた。
打ち出した拍子に後ろに飛ばされたナミは恐る恐る摩擦によって焦げ目がついた人型の穴の向うを見て、遥か向こうに力なく倒れ伏すハトの人形が絡みついたミス・ダブルフィンガーを見つけた。
暫く見つめていたがどうやら起きあがる気配はなさそうだ。
「……勝っちゃった」
ナミは呆然としたまま、辺りを見渡し、勝利に小さく拳を突き上げた。
◆ ◆ ◆
────北ブロック、メディ議事堂表通り。
交差する刃。
奏でるは金属音。
刻まれる斬撃のリズム。
ゾロとMr.1の対決は刃物同士をぶつけ合う激しい打ち合いとなった。
徐々に激しさを増していくゾロの猛攻を、全身刃物のMr.1は汗一つかく事無く淡々と受け止めていく。
今のところは両者は互角、もしくは若干ゾロが押しているように見えたが、ゾロの顔にはMr.1とは対照的に苛立ちが浮かんでいた。
「鬼斬り!!」
裂帛の気合と共に、ゾロは交差させた三刀をなぎ払う。
三刀は全てMr.1へと吸い込まれ、ゾロはその真横をすり抜けた。
ゾロの力に負け、のけぞり宙に投げ出されたMr.1にゾロは追撃の一撃を叩きこむ。
「虎狩り!!」
空中でMr.1を地面に叩きつけるように刀を振り下ろす。
Mr.1はゾロの思惑通り地面に叩きつけられ、辺りに砂埃が舞った。
「言った筈だぞ。おれに打撃斬撃は通じない」
ゾロの猛攻を完全にその身に受けたにも関わらず、両手を広げ余裕の表情でMr.1は立ち上がった。
「……アザ一つ残らねェってのはちょっとショックだな。
これだけ手ごたえを感じて起き上がられるのも初めての経験だよ」
「そりゃそうだろう、今までおれとお前は会ったことがねェんだからな」
「……言ってくれるぜ」
傷一つなく、まだまだ余裕を滲ませるMr.1にゾロの背中から冷たい汗が流れた。
Mr.1と切り結んで結構な時間が経ったが、今だゾロは切り傷どころか、かすり傷すらMr.1につけれていない。
刀は確実にMr.1へと届いていたが、ゾロにはまだ“鉄”の硬度を誇るMr.1の肉体を斬る事が出来ないでいた。
「フン……」
Mr.1が大地を蹴り、ゾロへと肉薄する。
脚を勢いよく振り抜いての処刑鎌のような蹴り、ゾロは体を逸らして避け、続く踵落としを刀で受け止める。
その時ゾロはある事に気が付いた。
Mr.1は全身刃物人間。つまりはその太刀に表も裏もありはしないのだ。触れたモノ全てを例外なく切り裂く。その能力の恐ろしさに戦慄を抱いた。
拳は槍の穂先、薙ぎ払えば刀。
指を立てれば抉り取る鉤爪、立てれば五指全てが斬り裂くナイフ。
蹴りは全てを刈り取る処刑鎌、振り落とせば大地を砕く大剣。
千変万化する刃のバリエーション。Mr.1を相手にするということは考えうる全ての刃を相手取る事にも等しい。
「発泡雛菊斬(スパーリングデイジー)!!」
両腕で放たれる掌底突き。
ゾロは刀を交差させ受け止める。
放たれ、広がりを見せる斬撃の衝撃は、ゾロが背にした石造りの建築をいとも簡単に斬り裂いた。
「吹き飛べ……」
言葉通り、ゾロはMr.1放った技の威力に負け、崩壊を始めた背後の建物の中へと突っ込んだ。
自身に向かい崩落を始めた建物の破片が殺到するのを目にしながら、ゾロの意識は過去へと向かった。
────世の中にはね、何も斬らないことができる剣士がいるんだ。
幼き日のゾロが剣術を教わった師範から聞かされた言葉だ。
師範は言う。なにも斬らない剣士。だが、その剣士は斬ろうと思えばたとえ鉄であろうと何でも斬ることが出来るのだと。
穏やかで、子供相手に剣術を教えていた、約束をかわした幼なじみの父親。名刀と謳われた『和道一文字』をゾロに託した、決して強いとは思えなかった師範。彼の境地にゾロはまだ至っていない。
何でも打ち倒す“豪剣”を目指して鍛錬を重ねたゾロには師範の言葉の意味が未だ理解できないでいた。
師範は最後にこう締めくくった。
────“最強の剣”とは……守りたいものを守り、斬りたいものを斬る力。触れるモノ全てを傷つけるモノは“剣”だとは思わない。
(何一つ斬らない剣は、鉄を斬る……さっぱりわからねェ)
瓦礫に埋もれないがらゾロは師範の言葉を噛みしめる。
鉄を斬ることしかMr.1に勝つ術は無い。ゾロは絶対に鉄を斬らなければならないのだ。
「生きているのは分かっている。さっさと出てこい。でなくば、おれに傷をつける事すら出来やしねェぞ」
「生憎だが、お前にはおれの鉄を斬る雄姿は見せられそうにねェ……」
ゾロは瓦礫の下から立ち上がる。
驚異的な怪力で自身の上に落下してきた何tあるか分からないほぼ原形を残した建物を持ち上げて。
「おれが鉄を斬るときは、てめェがくたばる時だからな……!!」
「……もっともだ」
ゾロは持ち上げた巨大な建物をそのままMr.1に投げつけた。
ガラガラと石材の破片を振り落としながら、その圧倒的な質量を持った物体は腕を組むMr.1の真上へと落下する。
「くだらねェ真似を」
Mr.1の腕がうねりを上げる。
微塵斬(アトミックスパ)。
幾丈もの斬撃が等間隔で建物の上を走り、その全てを微塵に斬り裂いた。
「押して押すこと。これが“豪剣”の極意!!」
ゾロの身体が弾けるように前に出た。
Mr.1が微塵に斬り裂いた建物を吹き飛ばして、その中を駆け抜ける。
前へ、前へ、前へ、
腕を振るえば、刀はうねりを上げる。
振るった刀が弾かれても前へ、受け止められても前へ、鉄の身体を斬り裂けずとも前へ、
三刀全てがまるで別々の生き物のように巧みに蠢き、押して、押して、押し続ける。
ゾロの猛攻にMr.1がうっとおしげにたたらを踏み、ゾロは迷うことなくその懐へ入り込む。
「ウェイ!!」
「………ッ!!」
懐に入り込んだゾロに、Mr.1は大剣と化した脚での薙ぎ払いを放つ。
ゾロはそれを腕に持った二本の刀で受け止めて、ガラ空きの顔に食い千切るように加えた刀を振り抜いた。
刀はMr.1の額を捉えるも、鉄の肉体は斬り裂けない。Mr.1は後ろにのけぞった状態からバク転の要領で手をついて一端体制を整える為に後ろに飛びのいた。
「蟹(ガザミ)────」
そこには冷やりとした二刀の殺気。
まるで、獲物を切り断つ巨大な鋏のようにMr.1の首筋に狙いが定められる。
「────獲り!!」
刀を交差させ、Mr.1の首を断ち切る思いで斬り裂いた。
斬り裂かれ叩きつけられるも、首筋をさする様に撫でながら起きあがるMr.1。彼に傷を与える事は出来なかった。
「憎たらしい野郎だぜ……!!」
「お互い様だ」
苛つくように歯を噛みしめて、Mr.1はゆらりと腕を持ち上げた。
「……言っておくがおれを剣士だなんて思うなよ。てめェの体を斬り裂く武器ならいくらでもある」
持ち上げたMr.1の腕からいくつもの円刃が生まれる。
「螺旋抜刀(スパイラルホロウ)!!」
Mr.1の意志に応じ、まるでチェーンソーのようにそれぞれの円刃が唸りを上げ高速回転を始めた。
「剣士じゃ無けりゃ『発掘屋』かよ?」
「────『殺し屋』だ」
<殺し屋>
Mr.1はかつて西の海でそう呼ばれ、恐れられた男だった。
刀を振り下ろしたゾロとMr.1の“螺旋抜刀”が打ちあわされ、その瞬間ゾロの有する名刀から火花が迸った。
拮抗は長くは続かない。ガリガリとゾロの刀が押し返され、弾かれた。
「おれに発掘作業は無理だ。何もかも抉り斬っちまうからな」
「しまっ………!!」
無防備を晒したゾロの胴をMr.1は容赦なく抉り斬った。
ズタズタに斬り裂かれ、ゾロの膝が崩れ落ちた。だが、それでも殺し屋の攻撃は終わらない。
「ぐあああああ……!!」
無慈悲に膝をつくゾロに再びMr.1の腕が振るわれる。
ゾロが三本全ての刀を取り落とし、苦しげに傷口を抑えた時、刃のような冷たい瞳で更に腕を振るう。
「一瞬の読み違いが招くのは────死だ」
ゾロは血をまき散らしながら石柱に叩きつけられる。
まだ息があるのかゾロは仰向けのまま指先を痙攣させた。
朦朧とした意識の中で、ゾロは大地に拳を立て背は向けまいと振り向いた。背中の傷は剣士の恥だった。
「素手で何をもがくんだ?」
その心意気ごとMr.1は切り捨てる。
「滅裂斬(スパーブレイク)!!」
Mr.1はゾロが背にした石柱ごと全身凶器の肉体で微塵に斬り裂いた。
支えを失ったアーチはガラガラと大量の石材を振り落としながら、血を流し動けないゾロの上に落下した。
崩落は暫く続き、辺りには散乱した石材と砂埃に満たされる。そこにゾロの姿は無い。生きている筈がなかった。
「フン……」
Mr.1はつまらなさげに鼻を鳴らして、背を向ける。
砂漠の乾いた風が吹き込んで、彼をすり抜けた。
すり抜けた風は背後の瓦礫の山に立ちこめた砂埃を徐々に晴らしてゆく。
「…………」
Mr.1の足が止まる。
唾をのみながら、今さっき自身が殺した筈の男が眠る背後を振りむく。
そこにはありえない筈の男が立っていた。
「何で立っていられる……? あれだけ斬られて、あれほどの落石を避けたのか……!?」
瓦礫の散乱するその中で、瓦礫同士が干渉しあって生んだような奇跡的なスペース。一切の瓦礫が落ちてこないその場所に場所に、血だらけの剣士は立っていた。
浅い呼吸を繰り返し、剣士はおもむろに瓦礫の一部をどけ、偶然そこに埋まっていた刀を拾い上げた。少なくともMr.1にはそう感じられた。
「……なるほど」
ゾロはMr.1には分からない呟きを漏らして納得する。
辺りはやけに静かで、自身の鼓動の音だけがやけにうるさく感じれる世界。まさに“死の境地”とも取れる世界。
そんな中で、無数の石が落ちて来た時、ゾロはまるで生き物みたいな気配を感じとっていた。
石には石の、
木には木の、
土には土の、
まるで生命の息吹のように息づく────呼吸。
ゾロは確かに落石から、呼吸を感じた。
握りしめた刀に意識を向ける。
ドクン……
やはり聞こえた。間違いではない。瓦礫の下にある時も確かに感じた。
師範の言葉が甦る。
────世の中には何も斬らない剣士がいるんだ。
何も斬らないってのは“呼吸”を知ること。
それが鉄をも斬る力。
「……刀に意志が伝わる」
ゾロは師範から託された“和道一文字”をおもむろに振るう。
刃は近くの植物を鋭く斬りつけるも傷つけることは無い。だが、やさしく振り下ろした石材は真っ二つに斬り落とした。
ゾロは静かに切っ先をMr.1に向け、Mr.1から放たれる“鉄の呼吸”を静かに感じ取った。
確かに聞こえる鉄の呼吸。後はゾロに鉄を斬るだけの実力があるかどうかだ。
「貴様一体何をした!! あれだけの技を受けて、それだけの血を流して立っていられる筈がねェ!!」
完全に殺したと核心する程の攻撃をおこなうも、なお立ち続けたゾロに、Mr.1が声を荒げた。
ゾロは答えない。ただ静かに時を待った。
「……いいさ、次で完全に息の根を止めてやる」
Mr.1の指先が鋭い鉤爪に変わり、刃となって冷たい光を灯した。
対するゾロは目を閉じて刀を鞘に納め、静かに息を吐いた。
「一刀流居合────」
「微塵斬速力(アトミック・スパート)!!」
Mr.1の足は氷上を滑走するスケート靴のように変わり、地面を斬り裂きながら高速でゾロに迫る。
狙うは首筋。斬り裂けばいくらゾロとて生きてはいまい。Mr.1の鉤爪がゾロの首筋にかかる瞬間、
「────獅子歌歌!!」
刹那は永遠に引き延ばされる。
無限にも等しいその中でゾロの刃が煌めいた。
鉄。呼吸。掌握。
────斬る。
時が戻る。
切り傷からあふれ出たのは敗者の証。
振り抜いた刀から腕に伝わるのは勝者の証。
鉄の肉体はゾロの前に悲鳴を上げ、崩れ落ちた。
「次は……ダイアでも……斬ろうってのか?」
「そりゃもったいないだろ」
「なるほど……」
Mr.1は戦いの最中で成長し、鉄を斬り伏せ、自らを打倒した男に、呆れたように視線を向けた。
「……まいったぜ」
Mr.1は称賛するように呟いて、意識を手放した。
「礼を言う」
────おれはまだまだ強くなれる。
ゾロは皮肉では無く、心からの謝辞を口にした。
あとがき
ナミとゾロの戦いの決着です。
アラバスタ編は佳境ですね。原作で行くと後二巻と少し、もう少し時間がかかりそうです。