アルバーナに向けて疾走するヒッコシクラブの上で、ビビは厳しい顔で後方を見つめ続けた。
「ビビ、大丈夫よルフィなら。
むしろ気の毒なのはあいつ等の方。今までルフィに狙われて無事だった奴らなんていないんだから……!!」
「そ、そうだ!! ビビ心配すんな!! こ、こここ、このおれがっ、ついてるぞ!!」
不安を抑え込みナミとウソップがビビを気遣う。
「いいかビビ……。クロコダイルはルフィが押さえる。
反乱軍が走り始めた瞬間に、この国の"制限時間(リミット)"は決まったんだ。国王軍と反乱軍がぶつかればこの国は消える」
ゾロは振り返ることなく、ルフィの意志を代弁する。
「止める唯一の可能性がお前ならば、何が何でも生き延びろ。たとえこの先、おれ達の誰がどうなってもだ……!!」
仲間達の覚悟にビビは息が詰まった。
「ビビちゃん、これは君が仕掛けた戦いだ。
数年前に国を飛び出して、正体も知れねェこの組織に君が戦いを挑んだんだ」
サンジは巻き上がる砂塵に目を細めた。
「ただし、一人で戦ってると思うな」
サンジはビビに言い残し、ヒッコシクラブの綱を取るチョッパーの手伝いに向かった。
チョッパーも心は同じだ。不安で仕方ないが、それを声に出すことはなかった。
「ルフィさん……」
遠ざかるルフィを視界に納め、ビビは呟く。
ルフィが向かった先に待つのは、クロコダイルにロビンとクレス。
三人ともビビの想像を絶する強さを持つ者達だ。
いくらルフィが強いとはいえ、どうなるかなど分かる筈もない。
だが、仲間達は腹をくくり、覚悟を決めたのだ。
ビビ一人が目をそむけることなど出来る筈もなかった。
「アルバーナで待ってるから!! ルフィさん!!」
ルフィを信じ、ビビはありったけの声で叫んだ。
とても見えるような距離では無かったが、いつもの頼もしい顔で、若き船長が笑った気がした。
第十五話 「決戦はアルバーナ」
乾いた砂漠に足跡を残し、ヒッコシクラブは去って行った。
消えていく仲間達の姿を見届け、灼熱の砂漠の中でルフィは立ち上がった。
「フフフ……、逃げられちゃったわね、王女様に」
「さすがに今からじゃ間に合わないだろうな」
「……どの道エージェント共はアルバーナに集結予定だ。直ぐに連絡を取れ」
クロコダイルは感情の一切か消え去った双眸でルフィを見下す。
「少々、フザケが過ぎたな<麦わらのルフィ>」
「……そいつはな、弱ェくせに目に入るものみんなを助けようとするんだ」
「あ?」
ルフィは、彼にしては珍しく静かな様子で口を開いた。
「何も見捨てられねェからいっつも苦しんでる。この反乱でも誰も死ななきゃいいって思ってる」
「誰も死なねェ? よくいるなそういう平和バカは。本当の戦いを知らねェからだ。てめェもそう思うだろ?」
「うん」
それは非情な世の中の縮図だ。
弱き者は必ず強き者の糧となる。誰かが争えば必ずそこに敗者が生まれ、そして死んでいく。
人の持つ腕は小さい。全てを救えるほど人は万能ではない。
ルフィとて海賊だ。そんな事は百も承知だった。
「……だけどな、あいつはお前がいる限り死ぬまでお前に向かっていくから、おれがここで仕留めるんだ」
「クハハハハ……!! くだらなすぎるぜ。救えねェバカはてめェだな。
他人と慣れ合っちまったが為に死んでいく。おれはそういう奴らをごまんと見捨てて来たぜ」
だが、それでもルフィは救うと言う。
クロコダイルは愚かなルーキーを蔑んだ。
そんなクロコダイルにルフィは拳を鳴らしながら言い放った。
「……じゃあ、お前がバカじゃねェか」
──救えねェバカはお前だ。
ルフィの挑発にクロコダイルの表情が歪んだ。
「クックックック……!!」
「フフフフッ……」
揚げ足を取り、見事にクロコダイルを黙らせたルフィ。
そのやり取りに、クレスとロビンが忍び笑いを漏らした。
「何がおかしい!!」
声を荒げ、クロコダイルは空気のように殺気を纏った。
「てめェ等も死ぬか? <オハラの悪魔達>」
「その気ならお好きに……」
「だが、その名でオレ達を呼んでくれるな。約束云々の前に……反吐が出る」
クレスとロビンはクロコダイルの殺気をかわすように距離を取った。
そしてそのまま、町の方向へと歩き続ける。
「何処へ行く?」
「アルバーナに先に行ってるわ」
「……つかめねェ奴らだぜ」
クロコダイルはその姿を見送ることなく、ルフィに向き合うと、砂時計を放り投げた。
砂時計は砂漠に突き刺さり、サラサラと中の砂を下の階層へと落としていく。
「三分やろう。それ以上はてめェの相手なんぞしてられねェ」
海賊は時に己の海賊旗に砂時計を掲げる事がある。
それは相手に対する"死の宣告"を示しているのだという。
零れ落ちる砂は時を淡々と刻み、クロコダイルがルフィに与えた時間を示した。
「文句でも?」
「いや、いいぞ」
軽く指を鳴らして気合を入れ、ルフィは準備を整えた。
そして、強く一歩を踏み込み、クロコダイルに向けてゴムの拳を飛ばす。
「ゴムゴムの銃(ピストル)!!」
<ゴムゴムの実>のゴム人間。
ルフィはこの"力"で東の海一番の賞金首となった。
ゴムの腕が勢いよく伸び、クロコダイルの頭部を襲う。
だが、クロコダイルはルフィの拳を首を傾けるだけで避け、サラサラと砂となって溶けた。
クロコダイルは全身を砂に変え、ルフィの伸びた腕の周りををまるで大蛇のようにうねりながら進む。
そしてルフィとすれ違う瞬間。
砂の塊から突然、黄金の鉤手が出現した。
「うおッ!!」
後ろに身体を反らし、ルフィはクロコダイルの鉤手をかわす。
「ほう……」
関心するクロコダイルをルフィは逆さになったまま蹴りつける。
「ゴムゴムのスタンプ!!」
勢いよく伸びたルフィの脚は、クロコダイルの頭部を蹴り飛ばした。
しかし、その感触にルフィはたじろいた。クロコダイルは“砂”そのものだ。蹴りつけた脚がそのまま突き抜け、まるで手ごたえがなかったのだ。
「一つだけ言っておくぞ、<麦わらのルフィ>。どう足掻こうと、お前じゃ絶対おれには……」
「ゴムゴムの銃乱打(ガトリング)!!」
ルフィの連続パンチ。思うがままに拳を繰り出しま繰り、殴り、殴りまくる。
ハチの巣のように穴だらけになるクロコダイル。
しかし、悠然と立ち続け、顔にはうすら笑いが浮かんでいる。
「いいか、麦わらのルフィ……こんな蚊のような攻撃をいつまで続けようとも、決してお前はおれに……」
「ゴムゴムのバズーカ!!」
ゴムの弾力を生かした両腕の掌底突き。
クロコダイルの身体が攻撃を受けた胸元を中心に爆散するように砂に変わる。
だが、それでもクロコダイルは余裕のまま立ち続ける。
「ゴムゴムの~~~~~戦斧(オノ)ォ!!」
続けざまに、伸ばしたゴムの脚を収縮させ踏みつける。
形を取り戻しつつあったクロコダイルの身体が、原型が無くなるほど飛び散った。
クロコダイルの姿を見失い、ルフィは取り合えずクロコダイルらしき砂を踏みつける。
「この!! この!! 潰れたか砂ワニ!!」
「……無駄だと言っているんだ」
クロコダイルの姿は砂漠に溶け込み、スラリと元の形を取り戻して、地団太を踏むルフィの背後に現れた。
「このヤロ……!!」
「貴様のようなゴム人間がどうあがこうととも、このおれには絶対に……」
「フンッ!!」
「勝ぺ、──ッ」
ルフィがクロコダイルの口元を殴りつけた為に、クロコダイルの言葉が中断される。
「……"かぺ"?
おめェ、さっきから何が言いてェんだ?」
「……小僧ォ!!」
大真面目な疑問をぶつけたルフィにクロコダイルがブチギレた。
砂時計は確実に時を刻む。
クロコダイルが示した時間は三分。砂時計が残すリミットは後半分であった。
「……もう遊びはこの辺でよかろう。麦わらのルフィ」
風が変わる。
ほぼ無風に近かった乾いた砂漠に、卓越風が吹きつける。
風は砂漠の砂を舞いあげて、対峙する二人にふりかかった。
「……まいったな。あの野郎サラサラしやがって。全然殴れねェ」
「おれとお前では、海賊の格が違うんだ」
クロコダイルの右腕が砂に変わって行く。
「砂漠の宝刀(デザート・スパーダ)!!」
砂となった右腕が鋭い手刀となって振りかざされる。
手刀はまるで高波のように波打ち、砂漠を伝う。
「いっ!!」
呆気にとられたルフィがったが、感じた悪寒に従いそれを避けた。
そしてその威力に戦慄を覚えた。
「砂漠が割れた……!!」
クロコダイルの砂の手刀は砂漠を数十メートルも深く切り裂いていた。
「いい見極めだ。受けりゃ痛ェで済まなかったぜ」
驚くルフィにクロコダイルは次なる一手を繰り出した。
「砂漠の向日葵(デザート・ジラソ―レ)!!」
クロコダイルの掌が砂漠を叩く。
するとボコリと砂漠がルフィを中心としてクレーターのように凹んだ。
「な、何だ!? 何だ!! 砂が流れるぞ!!」
「流砂を知らんのか? 墓標のいらねェ砂漠の便利な棺桶さ」
流砂はルフィをアリ地獄のように飲み込んでいく。
逃げ出そうと走っても、全然前に進まなかった。
「砂漠の戦闘でおれに敵う者はいない」
クロコダイルは過信では無い自信を滲ませる。
「うえッぷ!! 砂に生き埋め何かにされてたまるかァ!!」
ルフィは両腕を伸ばすと地面に叩きつけた。
"ゴムゴムのバズーカ"で衝撃を利用して上に飛び上がり、流砂から脱出することに成功する。
「殴って効かねェならとっ捕まえてやる……ゴムゴムの網!!」
ルフィが両指を絡ませ伸ばし即席の網を作り上げ、クロコダイルを捕まえようとする。
だが、クロコダイルは砂と化した右腕でルフィの指を絡め取ってしまった。
「学習できんのかてめェは? 無駄なんだよ」
「ゴムゴムの鞭!!」
両腕を押さえられたルフィは空中で脚を伸ばしクロコダイルに叩きつける。
ルフィのゴムの脚はクロコダイルを縦に両断するも、また直ぐに元の形に戻って行く。
「まだ繰り返す気か?」
「わっ!!」
うっとおしくなってきたクロコダイルは重力に囚われ落ちてくるルフィを強引に引きよせた。
「三日月型砂丘(バルハン)!!」
クロコダイルの腕が三日月刃となって振るわれ、落ちて来たルフィの腕を捕らえた。
砂漠に叩きつけられたルフィは攻撃を受けた腕を見て、叫び声を上げた。
「うわあああああああ!! 腕がミイラになった!!」
「“砂”だからな。水分を吸収しちまうのさ。そうやって全身の水分を絞り出して干からびて死ぬのもよかろう」
「冗談じゃねェ……!! そうだ!!」
ルフィは骨と皮だけになった腕を庇いながら一目散に自身の荷物のある場所まで走った。
そして、荷物の中にあったストローが付いた小さな樽を見つけ、その中身をゴクリと飲み込む。するとルフィの腕が元に戻った。
「水か……くだらん」
「くだらんことねェ!! この水はユバのカラカラのおっさんが一晩かけて作った水なんだ!!」
ルフィはユバから旅立つ際に、トトから僅かにしみ出て来た水を手渡された。
度重なる日照りに砂嵐に見舞われても、ユバのオアシスは強く生き続けていたのだ。
「おっさんは言ってたぞ!! ユバは砂なんかには負けやしねェって!!」
「……まだなんかやるつもりか?」
ルフィはクロコダイルに大口を開けて飛び付いた。
クロコダイルはため息交じりにルフィを待ちうけ、
「ゴムゴムのバクバク!!」
食われた。
「くだらねェ真似すんじゃねェ!!」
ルフィの口の中からランプの魔人のようにクロコダイルは吐き出て来た。
ゲホゲホと砂であるクロコダイルに喰らいついたルフィが口の中に残っている砂を吐き出す。
何処までが本気か分からないルフィを見下して、クロコダイルは遊びが終わった事を宣言する。
「……死ね。
この逞しいユバの大地と共によ……!!」
砂時計の砂が最期の一粒を落とした。
これからは、弱者をいたぶる残忍な海賊としての時間だ。
「砂嵐(サーブルス)」
クロコダイルがワイングラスを傾けるように腕を差し出して、巨大な砂嵐を作りだした。
砂嵐は辺りの砂を巻き上げてその威力をどんどんと増していく。
近くにいたルフィがその威力に吹き飛ばされそうになった。
「……いい風の乾き具合だ」
上質なワインを評価するようにクロコダイルが言った。
砂嵐はみるみるうちに遠く離れた所からも観察できるまでに成長し、なおも成長し続ける。
「……いいか、麦わらのルフィ。ここらの卓越風は常に北から南へ吹いている。
この砂嵐の子供がこいつに乗って成長しながら南へ下って行くと、デカくなった砂嵐は何処へぶつかると思う?」
「南って、…………ッ!!」
答えに辿り着いたルフィが息を飲んだ。
クロコダイルが邪悪な笑みと共に肯定する。
「ユバさ」
ルフィが怒り狂ってクロコダイルに掴みかかった。
「お前ェ!! 何やってんだ止めろ!! カラカラのおっさんには関係ないだろ!!」
「見ろ、風に乗って少しずつ南下し始めた」
ルフィは砂嵐へと走る。
「止まれ」「止まれェ!!」と叫びながら砂嵐に立ち向かうも、相手にさえされる事無く吹き飛ばされ、砂の大地に転がせられた。
クロコダイルはうすら笑いを浮かべながらその様子を観察する。
「クハハハ……もうお終いか?
悪いことは言わねェ、無駄だ止めとけ。あの砂嵐は風力を増し、やがておれにさえ止められねェ風速を得る」
「フザけんなお前!!」
ルフィはクロコダイルに再び掴みかかった。
「止めろよ!! 今すぐ────」
──────ドスッ
肉を抉る音。
赤い水滴が、砂漠に落ちた。
麦わら帽子が力なく落ちて砂にまみれる。
ルフィから声が失われ、砂漠に静寂が訪れた。
「おれを誰だと思ってる」
クロコダイルの左腕の黄金の鉤手。それがルフィの無防備な腹を突き破っていた。
ルフィは串刺しにされ、力なく、人形のように、痛みを叫ぶ声もなく、宙づりにされた。
「……てめェのような口先だけのルーキーなんざいくらでもいるぜ?
────この<偉大なる航路(グランドライン)>にゃよ……」
辟易するように言い捨て、クロコダイルは哀れな弱者を蔑んだ。
戦いになる事すらなく。
いとも簡単に、決着はついた。
これが、<偉大なる航路>のレベルだ。
これが、<本物の海賊>のレベルだ。
これが、<七武海>のレベルだ。
海は何処までも目眩すら覚える程広く、その身は余りにも小さい。
────<麦わらのルフィ>はクロコダイルに敗北したのだ。
◆ ◆ ◆
「フンッ!! フンッ!!」
ゾロの気合と共に、刀の上に乗ったラクダが上下する。
このラクダは一味が砂漠で見つけたはぐれラクダで、取り合えずナミが『マツゲ』と名付けた女性に目がないエロラクダだ。
その後ろでは、ウソップがチョッパーにいつもより早口で嘘っぽいウンチクを聞かせている。嘘丸出しなのだが、純粋なチョッパーは信じていた。
「フンッ!! フンッ!!」
「ゾロ、あんたそれ余計な体力使うだけじゃないの?」
「……うるせェ」
「放っときゃいいんだよナミさん。
あいつらは何かしてねェと気がまぎれねェのさ」
サンジが煙草を燻らせながら言う。
だが、そう言うサンジも無言の内にいつもより多くの煙草を消費していた。
「器用じゃねェんだ。
……特にこの体力バカは<七武海>のレベルを一度モロに味わってる」
「オイ、てめェ……何が言いてェんだ。はっきり言ってみろ」
「……おめェはビビってんだよ。ルフィが負けちまうんじゃねェかってな」
サンジの言葉はこの場にいる皆の心を代弁していた。
強大な敵に一人で挑んだルフィ。一味はルフィの強さを知っているが、同時に<七武海>のレベルも知っていた。
「おれがビビってるだァ? この素敵マユゲ!!」
「アッ、カァッチ~~~ン!! アッタマきたぜこの……まりもヘッド!!」
「んだとコラァ!!」
「やんのかオラァ!!」
「止めなさいよ、くだらない!!」
一味にはピリピリとした空気が流れていた。
船長が晒された過酷な戦いに、これから起こる大反乱。
先程大きな砂嵐を確認した。それが誰が起こしたかなど想像に難くない。
こんな状態では気が立って当たり前であった。
「平気よみんな!! ルフィさんは負けない!!」
カラ元気とも取れるビビの声に一味は振り向いた。
「約束したじゃない!! 私たちはアルバーナで待ってるって!!」
そう言うビビは、まるで重病人のように全身を汗で濡らし、指先は僅かに震えている。
それでも何とか一味を和ませようとしていた。
「お前ェが一番心配そうじゃねェか!!」
「……あんたは反乱の心配だけしてればいいの」
明らかな強がりを言うビビに一味は毒気を抜かれた。
「……悪かったよビビちゃん」
「お前にフォローされちゃおしまいだぜ」
一味はヒッコシクラブに乗り、真っ直ぐにアルバーナを目指す。
……一人戦うルフィの無事を祈りながら。
◆ ◆ ◆
「見ろ……こんなに」
元反乱軍拠点地『ユバ』。
その中心に位置するオアシスでトトが感嘆する。
「見ろ……!! 水が湧き出てくる」
死んだと思われていたユバのオアシス。
しかし、今トトの目の前に映るのは、かつてのように旅人に水を与え、潤そうというオアシスの姿だ。
それは、日照りにも砂嵐にも負けず、実に四年もの間、たった一人になってもオアシスの復興を続けたトトの努力の成果であり、オアシスが死んでいない証明だった。
「言っただろうルフィ君……強い土地なのさ」
トトは頬笑み、不屈のオアシスを誇る。
「ユバはまだ生きとるよ」
◆ ◆ ◆
「ユバは死ぬ」
鉤手に串刺しにしたルフィをぶら下げながら、クロコダイルは全てを見下すような態度で言い放つ。
「あの最後の砂嵐によってな……。
反乱軍はまた更に怒りの炎を燃やすだろう。他人への陳腐な思いがこの国を殺すんだ」
ルフィは何も言わない。
生死も分からず、言葉を為すことができなかった。
「お前も同じだな<麦わらのルフィ>。つまらねェ情を捨てれば長生きできた」
その時、クロコダイルは己の腕が濡れていることに気がついた。
見れば鉤手に小さな木片が付いている。ルフィが受け取ったユバの水だった。
「こんな水に恩を感じる事もなかったろうな。……ん?」
クロコダイルは僅かな違和感を覚えた。
いつの間にかルフィの腕が、鉤手の付け根を握っている。
その力がどんどん強くなっていくのだ。
「ぐあッ!!」
骨が軋む音が鳴った。
初めて、この砂漠の魔物の口から苦痛というものが漏れた。
無意識のうちにクロコダイルを掴むルフィの腕が万力のようにクロコダイルを握りしめたのだ。
「このガキ……まさかまだ生きて……!!」
クロコダイルはたまらず、ルフィを流砂の中に投げ飛ばした。
ルフィはまだ意識があるのか、地面に落下した瞬間、血が飛び出て苦悶を漏らした。
「苦しそうだな……だが直に楽になれる」
クロコダイルは朦朧としている意識の中で苦痛に耐えるルフィがだんだんと流砂にのまれる様子を眺めた。
もがくように僅かに身体を動かし抵抗するも、ルフィの身体は確実に流砂にのまれ、やがてクロコダイルの視界から消えた。
「くだらねェ時間を過ごした」
砂漠に立つのはクロコダイル一人、砂漠の魔物はつまらなさげに砂漠を後にする。
やがて砂漠には誰もいなくなり、不気味な風の音だけが響いて、唯一残された麦わら帽子を揺らした。
砂漠の風は砂を運び、ルフィとクロコダイルの戦闘痕まで消していく。もう、数十分もすれば足跡も消え、元の果てしなく続く砂漠に戻るだろう。
そんな時だった。
二人分の乾いた砂を踏む小さな音が聞こえてくる。
足音はどんどん近くなって、流砂にのまれたルフィの傍でとまる。
そして、地下へと運ばれる運命にあった若き海賊の傷だらけの身体が────突如咲いた腕に持ち上げられた。
◆ ◆ ◆
ルフィの身体がロビンの能力によって流砂の上に持ち上がる。
クレスはその瞬間砂を蹴って、その傍へと駆け寄って、優しくルフィの身体を抱きかかえた。
そしてそのまま流砂から抜け出して、安全な砂の上にその体を横たえた。
「ア゛……ガッ……」
ルフィの苦悶を聞きながら、クレスは腰元に下げたサイドバックから救急セットを取り出した。
「痛ェが我慢しろ」
もがくように苦しむルフィに、そう前置きしてクレスは傷口に傷薬をぶっかけた。
「ぐああああああああああッ!!」
傷薬が沁み、焼けつくような痛みがルフィを襲う。
「気絶してた方が楽だぞ。力を抜いて、意識を手放せ」
傷口を強引に傷薬で洗い流し、クレスは応急措置を始める。
クレスのそれはサバイバルの知識から派生する我流だったが、要領だけは間違ってはいない。
苦しむルフィの苦悶を聞き流しながら、暴れる身体をロビンに手伝ってもらいながら押さえつけ、処置を終えた。
「ガッ……ハァ……ハァ……」
「じっとしてろ……後は包帯を巻くだけだ」
「…………ありガどウ……」
荒い息でルフィは感謝の言葉を口にした。
クレスは一瞬詰まって、言い訳のように答えた。
「気にするな……サービスだ。
他に何か言いたいことはあるか?」
「……肉゛(にぐ)」
「……治ったら食え」
「クレス……容体は?」
「瀕死だったが、おそらく……大丈夫だろ」
応急処置の完了したルフィは、初めの状態からは随分と楽になったようだ。
驚異的な回復力であった。腹を串刺しにされたのも関わらず、もう、呼吸もだいぶ落ち着き、顔色もマシになっている。
「……何故、戦うの? 『D』の名を持つあなた達は……」
ぽつりとロビンが呟いた。
「……?」
「何者なんでしょうね、あなた達は……」
何を聞いているのか分からない様子のルフィを見て、ロビンは諦めたように視線を外した。
「ごめんなさい。無駄な質問のようね」
ロビンは腕を咲かせ、近くに転がっていた麦わら帽子を拾い上げた。
そして、まとわりついた砂をやさしい手付きで払い、そっとルフィの胸元に置いた。
その時、新たな足音が砂漠に響く。
「見つけたぞ……!!」
後方から聞こえた声に、クレスとロビンが振り向いた。
「思ったより早かったな……」
「でも、タイミング的には丁度いいわね」
剣を杖のように突いて、ふらつく体を庇うようにして現れたのは、クレスに敗れたぺルだった。
クレスは先の戦闘でぺルの背骨に衝撃を与えて昏倒させている。重症では無いものの、暫くはまともな行動は不可能となっていた。
「ビビ様をどうした……!!」
「そう力むな。まだまともには動けねェ筈だぞ」
「黙れ……今度は負けはしない。さっきのようにはいかんぞ」
ぺルはふらつきながらも剣に指をかけ、闘志を滲ませた。
今のぺルは気力だけでクレスに飛びかかりそうな勢いだった。
「ハァ……分かった。
今回はオレの負けでいいから、大人しくしてろ」
クレスはぺルの闘志をかわす。
だが、たとえぺルが襲いかかって来ても倒す自信は十分にあった。
ぺルもそれは十分に分かっていたが、それでも彼は引けなかった。
「その子を助けてあげて、アラバスタの戦士さん。
あなた達の大切なお姫様をこの国まで送り届けてくれた勇敢なナイトですもの」
ロビンとクレスはスタスタとぺルに背を向け、彼から離れていく。
「待て!! 貴様、あの紙切れはどういうことだ!!」
ぺルがクレスを呼びとめる。
「そのままの意味だ、どう受け取ろうとお前の自由だよ」
背を向けたままクレスは答えた。
クレスとロビンは近くに停めてあった<F-ワニ>と呼ばれる乗用のワニに歩み寄る。
「王女様は無事よ。今はアルバーナに向かっているわ。
……事態が事態だから、これからどうなるかわからないけどね」
「多分もう会うことはないだろう。精々頑張れ、オレにはこれくらいしか言えない」
二人はF-ワニに乗り込んだ。
そして、ぺルの方を見る事もなく、発進させ、砂漠の向うに消えた。
「くっ……!!」
クレスとロビンの姿が消え、ぺルは崩れるように膝をついた。
そして荒い息のまま前方を睨み続ける。
(私が敵わねば、誰がビビ様をお守り出来るというのだ……!!)
ぺルは不甲斐ない自身を恥じる。
アラバスタ最強と呼ばれ、護衛騎士の中で随一の実力を持つぺル。
これを裏返せば、王国にぺル以上にビビを守れる戦士がいないということである。故にぺルに敗北は許されず、王家の盾となって守り抜かなければならなかった。
だが、ぺルはクレスに敗れた。
その結果として、ビビを危険に晒してしまうこととなった。クレスとロビンは無事だと言ったが、それが何処まで信用できるか分からなかった。
「!」
ふと見てみると、ぺルの服の裾を握りしめる少年の姿があった。
大怪我をしているらしい少年は、歯を食いしばり、噛みつくように、必死な様子で言葉を紡ぐ。
「肉゛(にぐ)……ッ!!」
残された希望は、鈍く何処までも強く、強く、輝く。
◆ ◆ ◆
砂漠を走るF-ワニ。
その背に設置された乗車席から、何処までも変わらない砂の波紋を眺める。
遮られることの無い強い日差しは敷き詰められた砂をフライパンのように熱していく。
雲が無い何処までも広がる空は、青というよりも、太陽が強すぎて白く見えるほどだ。
だが、風に舞いあげられた砂はそんな世界を霧のように覆っていく。
「……始まったわね」
「ああ、いよいよだ」
流れる景色を瞳に映してロビンは言う。
クレスは静かに答えた。
「たくさんの人が死ぬんでしょうね」
「……ああ」
「みんな騙されて、時代のうねりに飲み込まれて戦うわ」
「そうだな」
「そして、それが偽りだと気付かずに、誰かのエゴとも知らないままに……」
「……だが、もう戦いは始まってる。止まることはないだろうな」
クレスの答えにロビンは無理やりに息を吐き、淡く消えそうな笑みを作った。
「ごめんなさい」
「どうして、謝るんだ?」
「だって、私のわがままにクレスはずっと付き合ってくれたわ」
わがまま。
ロビンの夢は何処までも純粋で、何処までもその道のりは険しかった。
「別に、いやいや付き合ってる訳じゃない。
オレはオレの意志で、お前の夢を応援してんだ。それをお前に謝られる訳にはいかない」
「でも……何度も諦めようって思った事もあるの。
いろいろあったわ。余りにも多すぎて数えきれないくらいに。クレスにも何度も迷惑をかけた」
「でもお前は夢を諦めなかった」
「……そうね。
でも、それが正しいかなんて時々分からなくなるの」
自らの罪を告白し、懺悔するように、ロビンは語る。
消える事の無い罪を、許される訳でもなく滔々と。
「ロビン」
クレスは咎めるように名前を呼んで、腕を引き、大切に、壊さないように、何処までもやさしく、ロビンを抱きしめた。
「……クレス」
子供のように頭に手を置かれ、ロビンは戸惑うように、惹かれるように、クレスの首筋に顔を埋めた。
コート越しに互いの肌が密着して、暖かな熱が生まれる。
「もう、始まっちまったんだ。オレ達も覚悟を決めないといけない」
クレスはやさしく、あやすように、言い聞かせる。
「逃げ出すことも構わない。
でも、そうすればきっとお前は自分を許せなくなっちまう。お前の夢はお前自身だ」
クレスが言うのは自己に対する責任だ。
夢を描いた夢。
夢を追う覚悟。
夢を叶える意思。
それら全てを持ち続けて、今のロビンがいるのだ。
「だがら、そう悲しい事を言うな」
そう言って、クレスはロビンを抱きしめる力を強めた。
ロビンはクレスを受け入れ、その大きな背中に手をまわした。
「……ええ」
ロビンは母のようにクレスを抱きしめ返した。
◆ ◆ ◆
様々な場所で、人々は各々の思惑で動き出した。
────例えば、レインベース。
その地では、一人の海軍曹長が上司から理不尽とも取れる命令を受けた。
上司は、この国の行く末を見極め、そこで自分で何をするかを決めろと言う。
若き曹長は、初心を元に決断を下す。海賊達を追跡すると。
────例えば、砂漠を行く大軍。
若き反乱軍のリーダーは苦渋の決断を下し、国王の持つ首都へと攻勢をかける。
国を守るため、これ以上王の好き勝手にはさせないと。
────例えば、要塞と化した宮殿。
国王軍の司令官は国王不在という非常時において、反乱軍から王国を守ろうと奮闘する。
王は誰よりも清く正しい。我々がこの国を守りきるのだと。
────例えば、首都近くの岸壁の上。
秘密裏に誘拐され、捕らえられた国王は、これから起ころうという戦いを嘆く。
国は人だと。国そのものである国王軍と反乱軍が潰しあっては意味がないと。
────例えば、砂漠を走るカメにひかれた車内。
戦いを煽った者達は、次なる任務のために道を行く。
各々の目的のもとに。組織の指令通り、この国を潰しきると。
────例えば、砂漠を走る巨大蟹。
海賊達は前だけを見据え、仲間のために命をかける。
希望を胸に、これから起きる戦いを何としても阻止するんだと。
────例えば、ユバのオアシス。
枯れた町に一人残った男は、立ち塞がった砂嵐を睨めつける。
男はオアシスを守るように立ち、砂嵐に叫んだ。
何度でも、何度でも、来てみろと。ユバは決して砂嵐には負けやしないと。
────例えば、港町ナノハナ。
閑散とした町に一人の男が立つ。懐かしさよりも先に、焦燥感が胸を突いた。
男は遠くを見つめる、間に合えばいいのだがと。
────例えば、慌ただしくなった首都。
逃げ惑う人々を後目に、靄のような男は静かに口元にカップを運んだ。
無表情で、何を考えているか分からない。そして言葉を紡いだ。お前たちの歩みを見せて貰うぞと。
戦いを嘆く者。
戦う者。
戦いを煽る者達。
その真実を知り阻止する者。
それぞれの思いは行き違い、
──────首都『アルバーナ』で衝突する。
あとがき
クライマックスに向けて盛り上がってきました。
原作で重要というより、好きなシーンがあり過ぎて省けません。
ですが、頑張りたいです。