───────どうしようか?
クレスは少し戸惑っていた。
───────コイツは、例の海賊の仲間でいいんだよな?
クレスの目の前に大柄の男が走って来る。
成り行きは分かる。
目の前に立つ男がやろうとしている事も理解できた。
ただ、巡り合わせが悪かったとしか思えない。
「お、おれの名はMr.プリンスっ!!」
クレスはそう言って殴りかかって来る海賊の一人をどう対処しようか悩んだ。
第十四話 「困惑」
「クソレストラン……だと?」
『へぇ……覚えていてくれてるみてェだな、嬉しいねェ』
クロコダイルは子電伝虫からの声に過去のやり取りを思いだしていた。
過去に一度クロコダイルはMr.3と麦わらの一味の誰かとを間違えて連絡を取ってしまっている。
それは秘密結社という性質上引き起こった事故なのだが、Mr.2からの報告にあった麦わらの一味は全員檻の中にいる筈だった。
しかし、この電伝虫の向うに確実に誰かがいる。それが示すことは麦わらの一味はまだ他にいるということだ。
「おい聞いたか?」
「クソレストランって……」
「サン……、ボッ!!」
「待てルフィ!! もしかして、あいつは敵に知られてないんじゃねェのか?」
ビビも電伝虫からの声に希望を見出した。
どうやらバロックワークスには知られていないようだが、まだ捕まっていない仲間が二人もいるのだ。
海賊達の様子にロビンがクスリと笑みを浮かべたのだが誰にも気づかれることはなかった。
「てめェ一体何者だ?」
『おれか? ……おれは…………"Mr.プリンス"』
「そうか、Mr.プリンス……今どこにいる?」
『……そりゃ言えねェな。言えばおめェおれを殺しに来るだろ?
まぁ、お前におれが殺せるかどうかは別の話で、易々と情報をやる程おれはバカじゃねェ。お前と違ってな、Mr.0』
Mr.プリンスと名乗る男の言葉に、クロコダイルの瞳から温度が消えた。
「プリンス~~~!! 助けてくれェ!!」
「捕まっちまってんだよ!! 時間がねェんだ!!」
ルフィ達は希望をMr.プリンスに託そうと声を張り上げる。
『はは……傍にいるみてェだな、うちの船員(クル―)達は……。──────じゃあ、これからおれは……ッ!!』
そこで、Mr.プリンスの言葉は途絶えた。
換わりに聞こえたのは重々しい銃声。
そして小さなうめき声と、何かが倒れる音。
『ハァ……ハァ……、手こずらせ、やがって……』
そして再び電伝虫から声が響く。
だが、さっきとは異なるのは声の主が違うということだ。
『もしもし!? ……捕らえました、この妙な……男を……ハァ……ハァ……どう、しましょう?』
「場所はどこだ? 言え」
『ええ……、レインベースの……レインディナーズとかい、う……カジノの正門前で……す。ハァハァ……』
「わかった。御苦労」
そして通話は切れた。
「バカが!! 生きてんだろうな、あの野郎!?」
「サンジィ~~~!?」
「そんな……希望が」
「ギャ───ッ!! ギャア──ッ!!」
通話が示す意味を受け、海賊達はうろたえた。
「クハハハハ……!! こりゃいい、行くぞ正門前だ」
「いいの? ミリオンズは誰が社長なのか知らないのよ?」
「なに、別に社長として行くわけじゃない。
クロコダイルとして店の前で起こったゴタゴタを見物するだけだ」
クロコダイルは大笑し、間抜けなMr.プリンスを見に行こうと出口に向けて歩を進める。
だがその時、背後で轟音が響いた。
「ビビ!!」
海賊達が叫ぶ。
バナナワニが突然動き出したビビを仕留めようと噛みついたのだ。
だが、ビビはバナナワニから逃げのび、噛み砕かれた階段の上へと登ることに成功していた。
「何する気だビビ!?」
「この部屋に水が溢れるまでまだ時間がある。外に助けを呼びに行ってくるわ!!」
まだ途切れていない希望を掴むため、ビビは出口へと走り出そうとする。
ビビの知るサンジという男はこの程度で倒れるほど軟な人物では無い。解放さえできればまだ十分に希望はあると考えた。
だが、それを許すクロコダイルではなかった。
「ビビ危ねェ!!」
「!?」
クロコダイルの左腕が砂となって発射され、鉤手がまるで蛇のように伸び、ビビの首を絡め捕る。
そしてそのまま、強制的にビビの体を階段の下へとたたき落とした。
「くだらねェ真似するんじゃねェ!!」
轟音と共にビビの体がバナナワニに砕かれた階段の残骸に叩きつけられる。
ビビはその衝撃で気を失ってしまった。
「ビビ、目を覚ませ!! ワニが来るぞ!!」
檻を鳴らし、海賊達が呼びかけるがビビが起きあがる気配はない。
「そんなに仲間が好きなら揃ってここで死にゃいいだろう。じきに水はワニの餌場を満たしてこの部屋を沈める」
クロコダイルは一度だけ振り返り、海賊達に言葉を贈る。
「なんなら生意気なMr.プリンスもココに運んでやろう。……死体でよければな」
扉が閉まりクロコダイルとロビンの姿が消える。
残されたのは檻に囚われた海賊達と海兵、そしてバナナワニに狙いを定められた王女。
「くそオオオオオオ!!」
悔しげな叫びが響いた。
◆ ◆ ◆
「……こりゃ、一体どういうことだ?」
部下からの報告を受け、カジノの正面入り口へと向かったクロコダイル。
『英雄』と持てはやされるクロコダイルの登場に沸き立つカジノの店内をつまらなさげに通り過ぎ、正面入り口へと続く桟橋を抜けた先にその光景はあった。
「さっき<隼のぺル>にやられた社員達と足して、これで全滅よ。この町にいたビリオンズは」
ロビンが淡々と状況を報告する。
クロコダイルとロビンの目の前に広がっているのは正面入り口で何者かに倒されたビリオンズ達だった。
予想だにしなかったクロコダイルは、苛立ち交じりに入り口近くに立っていた男に質問をぶつける。
「何が起きた……オイ!! Mr.ジョーカー!!」
「何がって……まぁ、見たとおり何じゃねェのか?」
クレス肩をすくめ、苛立つクロコダイルをかわす。
だが、それがクロコダイルには気に入らなかったようで、音もなく左手の鉤手をクレスに振るう。
「フザけてんのか、ああ?」
「……いきなりそれはねェだろうよ、オイ」
クレスはクロコダイルの鉤手を硬化させた右手で受け止め、低い声で言葉を紡ぐ。
「オレが来たのもついさっきだ。……オレにもこの状況は分からねェよ」
「てめェはずっと外にいた筈だ。わからねェとは言わせねェぞ。
……あんまり調子に乗るなよ? てめェの命なんざ、どうとでもなるんだからな」
「……しつこいぞ。これ以上聞かれてもオレには答えられねェよ」
クレスがクロコダイルを睨み返し、渦巻く濁流のように重々しい空気が沈殿し始めた。
クロコダイルは基本的にクレスの事は手駒として使用しても、一切の信用はしていない。クレスが嘘をついている可能性も十分にあり得ると考えていた。
だが、クレスとて裏社会を生き抜いて来た一人だ。クロコダイルの脅しであっても口を割ることはないだろう。
「Mr.0、今はそんな場合ではないのでは?」
ロビンが人が集まり始めた事を気にして、静止を提案する。
クロコダイルは、舌打ちと共にクレスから手を離した。
「……何が起きた?」
クロコダイルは倒れていたビリオンズの一人をつま先で小突き、問いかける。
ビリオンズは前歯の欠けた顔で、何とか言葉を紡いだ。
「Mr.プリンス、と……名乗る男に」
「そいつは何処に行った?」
「あの男なら……、町の南へ……!!」
半ば予想できた答えに、クロコダイルは苛立ちを飲み込んだ。
Mr.プリンスと名乗る男はクロコダイルを謀り、逃走したのだ。
「!」
その時、町の物陰からこちらを覗き込んでいた男が突然逃げ出した。
男は町の人間とぶつかりながらも一目散にクロコダイルから走り去っていった。
「……アイツか」
犯人を見つけ、クロコダイルが怒りの矛先を定める。
乾いた風に溶けるようにクロコダイルの身体がサラサラと砂に変わって行く。
「雑魚が……このおれから逃げられると思うな」
「放っておけば?」
ロビンが冷静にいうが、クロコダイルは応じない。
「黙れ、今まで全員殺してきたんだ。おれをコケにした奴ァな……!!」
自身を謀った罪は、己の手で晴らさなければ気が済まない。
クロコダイルはMr.プリンスを殺すため猛スピードで追い掛けた。
「おお、怖っ」
「……彼にとっては屈辱でしょうしね」
クレスとロビンはそこからいくつか言葉を交わした。
二人だけに聞こえる音量で交わされる会話は誰の耳にも届くことはなかった。
語り終え、クレスが二ヤリとした笑みを見せた。
その時、突然正面入り口が騒がしくなった。
不審に思い二人が目を向ければ、大きな水しぶきが上がり、カジノへと続く桟橋が崩れ落ちてた。
◆ ◆ ◆
「……そんな、橋が落ちた!?」
間一髪で意識を取り戻し、バナナワニから逃げのびたビビは、ルフィ達に必ず助けを呼ぶことを約束し、再びカジノの店内へと戻って来ていた。
傷だらけの身体を庇いながら、フードで顔を隠し、サンジとチョッパーの待つ外に出ようとしたのだが、その時に地震かのような衝撃が走って入り口の桟橋が崩れ落ちたのだ。
「どうしよう……!! 外に出られないの?」
「──────出られねェんじゃねェよ。あいつらがここへ帰ってこれねェのさ」
聞こえて来た声にビビは振り向いた。
そこには変装の為かオシャレなメガネをかけた男がスロット台の前に座っていた。
「サンジさん!!」
ビビの顔に安堵の表情が浮かぶ。
Mr.プリンスと名乗ったサンジは、バロックワークスに撃たれて倒れた筈だった。
だが、目の前に無傷でいる男は間違いなくビビのよく知るサンジという男だ。
「全部……作戦通りだ」
サンジはそう言って、スロットのレバーを引く。
スロットが回り始め、画面下のボタンに光が灯った。
「今、チョッパーが町中を逃げ回ってる」
サンジは煙草をふかし、ゆったりとした手付きで、ボタンをリズムよく押していく。
「急がなきゃな。反乱も始まっちまった」
連続でスロットのマークをそろえ、ラスト一つで大当たりとなる。
サンジは笑みを浮かべ臆することなく、ボタンを押した。
「さて、場所を教えてくれるかい? 王女様(プリンセス)」
プリンスはビビの肩に優しく手を置いて彼女を促した。
二人が走り出した後ろでは大当たり(スリーセブン)のスロットが狂ったようにメダルを吐き出し続けていた。
◆ ◆ ◆
「ああああああああ!! 水がァ!!」
「死ぬ────っ!! 死ぬ────っ!! ぎゃあああああ!!」
檻に囚われているルフィ達はかなり切羽詰まる状況に陥っていた。
クロコダイルの宣言通り水が下層の空間を満たして、ルフィ達のいる秘密地下まで本格的に溢れて来たのだ。
既にルフィ達の膝元まで水がやって来ている。檻が全て沈めば水死は免れない。洒落にならないぐらいピンチだった。
「コラーっ!! バカワニー!! かかってきなさい!!」
「ぬおっ!! どうしたナミ!?」
「あいつらを怒らせてこの檻を噛み砕かせるのよ!!」
バナナワニの力は目の前で見ていた。
獰猛なバナナワニはいとも簡単に石でできた階段を噛み砕いたのだ。
「なるほど名案だ!!」
「かかってこい!! バカバナナ!!」
「や、違うだろ。あいつらはほら基本はワニで頭にバナナがな……」
「ワニもバナナも食いモンだろ?」
「いや待て、例えばモンキーダンスってあるだろ? アレはモンキーだがダンスなんだ。わかるかつまり……」
「やっとる場合か!! って来た────っ!!」
「ぎゃああああああ~~~~~!!」
挑発通りか、バナナワニ海楼石の檻に噛みついた。
ボキボキと音が鳴り、何かが砕ける音がした。
だが、檻は何も変わらない。換わりにバナナワニの歯がボロボロに砕けていた。
「ダメだ!!」
「なんちゅう檻だよこりゃ!!」
「ビビ急いでくれ~~~~っ!!」
「──────おい、お前ら」
その時、ルフィ達の背後で静かに葉巻をふかしていたスモーカーが海賊達に問いかける。
「お前ら何処まで知ってるんだ? クロコダイルは一体何を狙っている……!!」
「?」
クロコダイルの目的はアラバスタの乗っ取りだとルフィ達はビビから説明を受けていた。
スモーカーもクロコダイルの口ぶりからそれを察していたのだが、スモーカーはもっと不吉な予感を感じていた。
「クロコダイルの傍らにいた女……、あの女と、姿は見てねェがもう一人」
「もしかして、Mr.ジョーカーとかいう奴!?」
「……そいつらは世界政府が20年間追い続けて賞金首だ。額は確か女が7900万、男が6200万だった」
「な……!! なんだよその賞金額は!? そ、それがどうかしたのか……!!」
スモーカーは表情を険しくさせながら語る。
「男の姿は見ちゃいねェが、こつら手を組んだ時点でコイツはもうただの国盗りじゃねェ。
放っておきゃ世界中を巻き込む大事件にさえ発展しかねねェってこった」
「世界中って……そんな」
「ちょっと、話がデカすぎるぜ!!」
ナミとウソップがスモーカーの言葉に愕然となる。
「……なに言ってんだお前ら」
ルフィは興味がないと吐き捨てる。
「アイツをブッ飛ばすのに、そんな理由なんていらねェよ!!」
ルフィの言葉にスモーカーは鼻を鳴らした。
「……そうか。
──────で、どうやってココを抜けるんだ?」
忘れていた現実に海賊達は再びうろたえた。
「太腿まで来てるぞ!!」
「いや~~~~っ!!」
「死ぬ――っ!! 死ぬ――っ!! ぎゃあああ!! ぎゃあああ!!」
「あ、おれなんか力抜けて来た」
「我慢しろ!! ビビがそう言っただろ!!」
「ビビ……!! 時間がないのにごめんね……!!」
「(クソ……!! おれにもっと剣の腕があればこんな檻……!!)」
水はどんどん溢れ、辺りを侵食する。
溜まりゆく水は確実に残された命のリミットを刻む。
海賊たちはビビとの約束を信じ、ただ、待つしかなかった。
その時、水面が僅かに揺らいだ。
「食事中は極力音を立てません様に……」
小さな水音が鳴った。
「────反行儀(アンチマナー)キックコース!!」
炸裂する轟音。
突如、バナナワニの巨体が天井近くまで吹き飛んだ。
そして、飲み込んだ石屑を吐き出しながら、腹を上にして水の中に倒れ、大きな波を起こした。
その向うで、黒のスーツを着こなした男が煙草の煙を吐き出す。
「オッス、待ったか?」
「プリンス~~~~~~!!」
待ち人来る。
一味のピンチに颯爽と王子様(プリンス)は登場した。
「サンジくん……よかった」
「あっ!! ナミさ~~~~ん、ほ……ホレた?」
「はいはい……惚れたから早く鍵を探して」
「果てしなきバカだなあいつは」
サンジの登場にルフィは砕かれた階段の上で息を切らして座り込むビビに親指を立てた。
「ビビ~~~~!! よくやったぞ!!」
「うんっ!!」
ビビは満面の笑顔で答えた。
サンジの登場を待っていたかのようにバナナワニが続々と現れる。
野生の勘か、サンジの強さにバナナワニが警戒したのだろう。
「出てきやがったな、次々と……!!」
「行け―!! サンジ、全部ブッ飛ばしてくれェ!!」
グルルル……とエンジンのような唸り声を上げて、バナナワニがサンジを取り囲む。
サンジはゆらりと左足を上げた。
「何本でも房になって、かかってきやがれクソバナナ。
レディに手を出すような行儀の悪ィ奴らには、片っ端からテーブルマナーを叩きこんでやるぜ」
「サンジ、とにかく時間がねェ!! 瞬殺で頼む!!」
海賊達と運命を共にすることになったスモーカーがため息と共に口を開いた。
「今……三番目に入ってきた奴を仕留めろ」
「え?」
「てめェらの耳は飾りか? 鍵を食った奴と唸り声が同じだろ」
「うおっ!! スゲぇ!!」
◆ ◆ ◆
カツカツと苛立たしげな足音が通路に響いていた。
足音の主Mr.プリンスと名乗った大男を追跡していたクロコダイル。
クロコダイルは大男の姿を見失い、捜索を断念し、レインディナーズまで戻って来ていた。
「橋を落として時間稼ぎとは考えたな。
まだ、複数いやがるみてェだなあいつらの仲間は……!!」
「それが私たちの隙をついてあの部屋に?」
「おそらくな、……だが無駄だ。
運よく鍵を食ったワニを当てようとも決してあの扉は開かねェ」
クロコダイルは胸元から、宝石で装飾された鍵を取りだした。
「本物の鍵はココにある」
「悪い人ね」
「ところで、Mr.ジョーカーはどうした?」
「秘密地下に先行させました。彼は桟橋が沈んでも関係ないもの」
「なるほど、結構だ」
クロコダイルはクレスを一切信用していない。だが、今更クレスが何か余計な事をできるとは考えていなかった。
檻の鍵がクロコダイルの手元にある限り絶対に檻は開かない。
また、バナナワニによって気を失っていたビビの処刑も完了している筈である。
たとえMr.プリンスがやって来ていても何もできずに手をこまねいているに違いなかった。
「あの雑魚共……もう許さん。
即刻、この手で皆殺しにしてくれる……!!」
怒りを胸にクロコダイルは秘密地下の扉を開いた。
秘密地下を水が満たすまではまだ時間がある。檻から引きずり出し、八つ裂きにするつもりで、部屋の中を見渡した。
「…………!!」
そして、クロコダイルは呆然と立ち尽くした。
「よう……結構、早かったな」
先行していたクレスから声がかかる。
クレスは座り込み、どこか達観したような表情で部屋の中を見つめている。
「……何だと!?」
驚愕するクロコダイルの視線の先にあったもの。
沈むには早すぎる地下室。
倒され力なく浮かんでいるバナナワニ達。
何故か開いている檻の扉。
そして、誰もいない檻の中。
そこにいる筈の王女と海賊共。────彼らの姿が無かった。
クロコダイルの手の中から檻の鍵が滑り落ちた。
滑り落ちた鍵は、クレスの近くで完全に意識を失っている、処刑した筈の人物。Mr.3の傍に落ちた。
Mr.3の胸元には紙が張り付けてある。
そこにはこう書いてあった。
『アバヨ、クソワニ、Mr.プリンス』
◆ ◆ ◆
少し時間を遡る。
「おお、怖っ……」
「……彼にとっては屈辱の極みでしょうしね」
殺気を振りまきながら去って行ったクロコダイルを見届ける。
その姿が完全に消え去った時にクレスがロビンに小声で話しかけた。
「海賊達も頑張ってるみたいだな」
「あら、知らないんじゃなかったの?」
「いや、それがな……」
クレスはため息を吐きながらロビンに語ることにした。
クレスはぺルにやられた社員達の片づけを手短に終え、ロビンと合流する為にレインディナーズの正面口近くにやって来たのだが、そこで見たものはまたしても倒れ伏す社員達だった。
近くにいる社員に聞こうにも綺麗に顔を蹴り飛ばされていて意識がない。
警戒し、辺りを見渡せば、レンディナーズの正面口の陰で誰かがビリオンズ達を一方的に蹴り飛ばしている。
しかも相当な強さで、まさに瞬殺というのが正しいほどバッタバッタと倒していた。
クレスは海賊達全員が捕まっている訳ではないということを知っていたので、なるほどと納得し、取り合えず物陰から静観することにした。
クレスがロビンから頼まれたのは『ぺルにやられた社員達の後片付け』である。クレスは別にバロックワークスに所属している訳では無いので問題はなかった。
その後、海賊はもう一人の大男と合流し、二人は入り口の陰でボロボロの社員を使って電伝虫で何かをした後で二手に別れた。
一人はカジノに向かい、もう一人は橋を渡り正面入り口前の橋までやって来ていた。
その橋を渡った大男の方が少し問題だった。
大男は倒された仲間を見て集まって来たビリオンズ達に「Mr.プリンス」と名乗りながら殴りかかった。
なるほど陽動かと感心し、それはまだよかったのだが、陽動の大男が以外に小心者で堂々としていればいいものの、あろうことかクレスが身を寄せていた物陰に隠れようとしたのだ。
────オイオイなんでだよ、何でワザワザこっちに来るんだ。
クレスは取り合えず逃げようと思ったのだが、目の前の相手が思ったよりもテンパっていて、クレスの気配を察して殴りかかって来たのだ。
……こうして、逃げるタイミングを逃し、クレス自身も少々困惑することになった。
────うわ、……どうしようか。
クレスに振るわれる剛腕。
先程、社員達を殴り飛ばしていた姿からその威力は折り紙つきだ。
クレスは悩み取り合えず、いつものように受け止める事にした。
「鉄塊」
ガチンと鉄をぶん殴った時特有の音が相手の拳から聞こえた。
思った通り重い拳で、なかなかの威力があったのだが、クレスにとってはどうってことなかった。
「うおおおおおおお!! 硬い!!!」
だが、大男に取っては大問題だったようで、痛む拳を涙目で堪えていた。
「あ、大丈夫か?」
「うおおおおお!! だ、大丈夫に決まってんだろうがァ!!」
「ああ……そう」
思わず問いかけたクレスも結構ぬけていたが、答えた大男もどこかぬけている。
「ええっ……と、まぁ、お大事に」
これ以上ココにいてもしょうがないと思い、クレスは"剃"を使い駆け抜ける。
思えば初めからこうして逃げればよかったのかもしれない。
「えっ……消えた?」
クレスの姿が突如消え困惑する大男。
辺りを見渡し、鼻をひくつかせ、クレスが本当にいなくなった事を再確認すると、取り合えずクレスがいた物陰に身を隠した。
……なぜか隠れ方は逆であったが。
「と、まぁ、そんな感じで……全部見てた」
クレスは平然と嘯いた。
「もう……嘘つき」
「ははっ……まぁ、いいだろ?
クロコダイルの奴は今それどころじゃねェみたいだし」
悪戯を叱るように咎めるロビンにクレスは冗談交じりに答える。
と、その時、背後が騒がしくなったと思ったら突然カジノへの桟橋が崩れ落ちた。
「……へぇ、海賊さん達も考えたわね」
「なるほど、これで暫くは時間稼ぎができるって訳だ」
湖で囲まれたカジノへと続く入り口は桟橋からの一つしかない。
故に、ここを落とせば能力者であるクロコダイルは暫くの間海賊達の元へと向かうことができなくなる。
「これからどうするの? やっぱり、行くの?」
「海賊達って檻の中に捕まってんだろ?」
「そうね。……しかも、鍵はバナナワニのお腹の中にあるわ」
「……なるほど。まぁ、行ってやるしかないか。海楼石の檻はそう壊れるもんじゃない」
「鍵の方は大丈夫なの?」
ロビンの問いかけにクレスは二ヤリと笑った。
「オレがピッキング出来るの知ってるだろ?」
「そうだったわね」
クレスは過去に何度も宝箱を鍵無しで壊さずに開けていた。
「まぁ、確実に開く確証はないけど頑張ってみるわ」
「じゃあ、ボスには私の方で話をつけておくわ」
互いに頷き、クレスは人の少ない場所へと向かおうとする。
「クレス」
ロビンに呼びとめられて、クレスは脚を止めた。
「……無理はしないで」
「そっちもな」
安心させるように笑いかけクレスは走り出した。
人気の無いところから"月歩"によって湖を飛び越し、レインディナ―ズへと降り立つ。
そして、不自然にならない程度に加速して走り、桟橋付近で混乱する人ごみの中を抜けた。
「……ずいぶんと派手な事をしでかしてくれたな」
店内は混乱の坩堝ともいえた。カジノの客のほとんどが係員に詰め寄り彼らを問い詰めている。
この様子では橋を落とした下手人を探し出すことまで手が回らないだろう。おそらく海賊は秘密地下までほぼ素通りだったに違いない。
クレスは係の者に見つからないようにスピードを上げる。
今後の事を考えるとクレスがカジノに入り込んだ時間をぼかす必要があった。
クレスはピッキングは出来るがあくまで、"出来る"というレベルだ。当然時間がかかるだろうし、もしかしたら開かないかもしれない。
その時は海賊達を見捨てる事になるだろうし、最悪、王女とMr.プリンスだけを逃がすことになるだろう。クレスができるのはそこまでだった。
「まったく……中途半端でイライラする」
皮肉げに呟く。
クレスが行ってきた行動は全て中途半端だった。
言葉を変えれば"どっちつかず"なのだ。
ロビンの夢の為にはクロコダイルの計画の成就が必須である。
だが、アラバスタを完全に崩壊させることはロビンが苦しむので許せない。
その両天秤において、ロビンと共に蝙蝠のように綱渡りを演じ切っていた。
「……偽善にも程がある。
まぁ、やらないよりはマシだけどな」
クレスは少しだけ悲しげに顔を歪めて、通路へと走った。
通路の中は予想通り誰もいない。
クロコダイルのVIPルームである秘密地下に向かおうとする者など普通はありえないだろう。
クレスは構わず本気でスピード出した。
「剃!!」
<六式>が一つ“剃”。
爆発的な脚力で地面を蹴り、消えたと錯覚させる程の速度で移動する技だ。
クレスの六式は少々特殊で、本家と性質が異なるが、今回はその性質が良い方向に働いた。
直線はクレスの"剃"を最も生かす。秘密地下への道はほぼ直線の一本道だった。
「さて、どうなってるか?」
息を切らすことなく、扉の前に高速で辿り着きクレスは静かに中の様子を窺った。
窺ったと言うのは、扉の向こうから轟音が聞こえて来たからだ。
クレスはサイドバッグからそっとピッキング用の針金を取り出して、扉の中を覗き込む。
そして手に持った針金を取り落としそうになった。
「おい……マジ、か……?」
◆ ◆ ◆
また轟音が響き、バナナワニが宙を舞った。
「ウラァ!! もういねェのか!!」
「雑魚が……クソ引っ込んでろ」
「たかがワニか……大したことねェな」
築かれるバナナワニの山。
弱肉強食とよく言われるが、目の前の光景は圧倒的過ぎた。
「私があれ一体を倒すのにどれほど……」
「いや、おかしいのはあいつらの強さだから気にすんな」
そこには何故か外に出ている海賊達と王女がいた。
檻は完全に開いていて、錆ついた音を虚しく鳴らしている。
そして、少し離れた所に完全に沈黙したMr.3の姿があった。
Mr.3は<ドルドルの実>の能力者で自由に蝋で形を作ることができた。一味は偶然バナナワニの腹から出て来たMr.3に檻の合鍵を作らせ脱出したのだ。
「あんた達!! 後はココから脱出するだけよ!!」
ナミが一味をを促す。
ルフィが元気よく反応し、あらかじめ決めておいたように秘密地下の壁を砕こうとした。正面から逃げてはクロコダイルとはち合わせる可能性があるのだ。
その時だった。
ずる賢く、しぶといモノは存在した。。
一味が全てを倒したと思っていたバナナワニの内、死んだふりをしていた一匹が隙をついて襲いかかってきたのだ。
「えっ!?」
「マズイ!! 避けろビビ!!」
バナナワニは一番傷ついていて、一番食べやすそうな、ビビに狙いを定めた。
茫然と立ち尽くすビビ。ほんの一瞬の気の緩みだった。
大きな口を開けたバナナワニはビビに喰らいつこうとして、
────新たに表れた人影に顎を砕かれ、地面に叩きつけられた。
◆ ◆ ◆
叩きつけられたワニはその衝撃のまま沈黙する。その威力は凄まじく、ワニの頭が半分ほど厚い床にめり込んでいた。
「意地汚ェな……だから、ワニは嫌いなんだ」
その言葉と共に、クレスはワニの上に立つ。
そして少し、ばつの悪そうな顔で周囲を見渡した。
「Mr.ジョーカー………!?」
困惑するようにビビが声を上げる。
クレスがバナナワニを叩きのめしたタイミングはビビにとっては理解しがたいものだった。
そのほかのメンバーもおおむね同意見で、当然のように、クレスに警戒の視線を向ける。
「待て、オレにやり合うつもりはない」
クレスは両腕を上げて海賊達に示した。
だが、それだけで納得するほど海賊達も甘くはない。
「もう追手がやって来たのか?」
「そう言えばコイツは……妙な技を使うんだったな」
ゾロとサンジがクレスにじりじりと間合いを詰める。
このままでは間違いなく戦闘になると感じ、クレスは勢いよく後ろに飛びのいた。
突如消えたように移動したクレスに二人は驚くも、クレスの姿を二人は目で追ってきていた。
「話を聞けって言っても……無駄だろうな。
まぁ、話は聞かなくてもいいから、取り合えずコッチに向かってくんな……今やり合っても互いに益は無い」
「待ちなさいあんた達!! その男の言う通りよ、今は一刻も早く脱出しなきゃ!!」
「待ったナミさん。何かの罠かもしれない……その可能性十分にある」
「どうせ敵なんだろ? ならココで倒しておいた方が手っ取り早い」
予想できた展開にクレスは臍を噛む。
このままでは、最悪の展開に近かった。
そもそも、バナナワニにビビが襲われなければ姿を見せるつもりはなかったのだ。
だが、イレギュラーは起こってしまった。即断で体を動かしたものの、やはり後悔はあった。
「益は無いとはどういうことだ……エル・クレス?」
海兵のスモーカーが目を細める。
「<白猟のスモーカー>か……面倒な……!!」
クレスは本名を呼ばれたことに苛立ち舌を打つ。
「クソ……まぁ、いい。
益が無いってのは、オレの方としてもお前達には生きていてもらった方が都合が良いだからだよ」
「つまりはクロコダイルと別の目的で動いていると?」
「さぁ、どうだろうな。……そこまでは言えねェよ」
「フン……てめェを叩きのめせば済む話かもしれないぜ?」
「止めとけ、<能力者>。こんな弱点だらけのところで戦うつもりか? オレがここの壁でも砕いたら水が流れ込んでそれでお前は終わりだぞ」
クレスとスモーカーの間で視線が交叉する。
この際、本気で壁を砕くのも悪くないと思え始めた。元々海賊達はそのつもりだったようだし、水が流れ込んでくれば戦闘どころでは無い。
「お、おい!! 止めろって!! 時間がねェんだぞ、早く逃げた方がいいって!!」
クレスの険しい雰囲気を察したのか、ウソップが声を上げる。
だが、その声に答える者は居らず、虚しく響くだけだった。
事態は一刻を争った。クロコダイルがこの場に舞い戻ってしまっては全てが遅いのだ。
クレスの両足に力が籠り始めた、その時だった。
「────いいんじゃねェのか。そいつのこと信用して」
今まで傍観していたルフィが声を上げた。
「なに言ってんだルフィ!! コイツは敵なんだぞ!?」
「ああ、そうだ。戦力がそろっている今が打ち取るチャンスかもしれない」
「なに言ってんだ、おめェら? だってそいつ──────」
そしてルフィはある意味決定的な言葉を口にした。
「──────ビビを助けてくれたんだろ?」
ルフィの言葉にゾロとサンジは黙り込んだ。
その言葉は無意識に否定していた事実を引きずりだした。
ルフィの言葉通り、クレスの行動はビビを助けるために行われたものだった。
敵であるクレスがそれを為したことには不可解な点はあるものの、結果としてビビはバナナワニから守られたのだ。
ビビを守ったクレスが、戦うつもりはないと言った。それはつまり本当に戦うつもりはなかったのだ。
「……もう一度言おう。ここでお前らと事を構えるつもりはない」
「ほら、こう言ってんじゃねェか」
クレスは少なからず驚いていた。
ルフィの言葉には妙な説得力があった。
証拠にゾロとサンジは警戒こそ解いていないものの、戦意を引かせていた。
もし、他の人間が同じことを言ったとしても、今と同じ結果は引き出すことは難しいだろう。
「Mr.ジョーカー、どうしてあなたは私を……?」
ビビにとってクレスは敵以外の何物でもない筈だった。
過去に行われた行動も全て自分達を玩ぶためのものだと思っていたし、何よりクレスはぺルを倒し、イガラムを殺した筈だった。
故に助けるという行為がビビの中では理解できなかった。
「……今回はサービスだ」
クレスは一瞬悩み、小さな声で紡ぎ出した。
「オレは一端部屋を出る。
……逃げるなら、とっとと行くんだな」
「おう!! いい奴じゃねぇかお前ェ!!」
「…………」
ルフィの言葉にクレスは閉口するしか無い。
このルフィという男がクレスには分からなかった。
クレスは何か言い返そうと思ったものの、このままでは何か余計なことまで口にしそうなので無言で秘密地下から退出した。。
扉が閉まる。
通路にはクレスが一人きりだ。
閉じた扉にもたれかかりながら、クレスは何故か無性にロビンの顔が見たくなった。
「………ハァ」
吐き出したため息は、扉の向こうで起こった轟音に紛れてしまう。
海賊達は脱出したようだった。
◆ ◆ ◆
「……いいだろう。今回の事は不問としてやる」
「寛大な処置をありがとよ」
クレスからぼかされた説明を聞き、クロコダイルはまったく信用して無い様子で処断を下した。
クロコダイルは現在、ロビンとクレスを連れ、アルバーナの東側へとやって来ていた。
「あの雑魚共はおれがこの手で殺さねェと気がすまん」
冷たい殺気を振りまくクロコダイル。
海賊達の目的は反乱の阻止だ。故に海賊達の目標は王都アルバーナの筈である。
一刻も早くこの町から離れたいと思っている海賊達は必ず東側の砂漠を越えなければならなかった。
故に、クロコダイルは自ら砂漠へと赴き、海賊達を待ち構えていた。
そして、その予想通りに海賊達はやって来た。
(ヒッコシクラブだと? どんだけ運に恵まれてんだコイツ等は……!?)
クレスは表情には出さずに驚いた。
おそらく徒歩かそれに準ずる方法で移動すると思われた海賊達。
しかし、海賊達はどういう訳か“幻の巨大蟹”と呼ばれ、殆ど姿を見せる事の無いヒッコシクラブに乗っていたのだ。
(だが、それでも……!!)
類稀なる幸運を振り撒いて来た海賊達。
だが、それでもクロコダイルという強大な魔物はこうして立ち塞がった。
「フン……!!」
クロコダイルの左腕が砂に変換され発射される。
伸びた腕は大蛇のようにうねり、そして牙を剥く。
「ビビ!!」
クロコダイルの鉤手が王女を捕まえた。そして怪物が巣穴に引きずり込むように一気に引き寄せる。
王女の体がヒッコシクラブから離れる。その時、ルフィがビビに向かって飛び込んだ。
「コノッ!!」
ルフィはビビの体を鉤手から外すと、ヒッコシクラブの上にビビを投げ飛ばし、代わりに自分がクロコダイルの鉤手に掴まった。
「ルフィさん!!」
「このバカ野郎が……!!」
「お前らは先に行け!! おれ一人でいい!!」
一人クロコダイルの元へとルフィは向かう。
そこにはいつものような頼もしい笑みがあった。
船長の決断を一味は信じた。
海賊達は王女を連れ、首都アルバーナへと向かった。
「アルバーナで待ってるから!!」
不安を押し殺した王女の言葉を残して、海賊達は姿を消した。
残されたのは<麦わらのルフィ>ただ一人。
そして待ちうけるのは<七武海>クロコダイル。
砂漠の魔物が待ちうける戦場に若き海賊は飛び込んだ。
あとがき
今回は前半のほとんどが原作通りだったため、こういった形で出させていただきました。
クレスがルフィの器の大きさを知る回ですね。
次も頑張りたいです。