────その日から、アラバスタ王国のあらゆる土地では一滴の雨さえ降らなくなった。
降雨ゼロなど数千年にも及ぶアラバスタの歴史上においてもあり得なかった大事件。
緑は消え、土地はやせ細り、人々は飢え、町は枯れ、そしてその全てを砂が飲み込んでいく。
壊れていく平穏は人々を絶望で包み込む。
だが、そんな中一ヶ所だけいつもよりも多くの雨が降る土地があった。
首都アルバーナ。王の住む都。
周りの町々が枯れていく中でも、唯一潤っていく王都を人々は “王の奇跡” と呼びたたえた。
その事件が起こるまでは…………
「Mr.ジョーカーもう間もなく入港となります」
「ああ、見ればわかる」
クレスはバロックワークスが所有する運送船の上にいた。隣にロビンはいない。クレス一人だ。
前方には目的地であるアラバスタ王国の港町ナノハナが見える。
「いよいよか……」
クレスは船の積み荷を一瞥し、複雑な心境のの中で、ただそう呟いた。
積み荷が何かは当然知っている。そして自分が何をしようとしているかも当然分かっていた。
その気になれば、この運送船など壊すのは雑作も無い。だが、そうはしない。
「ダンスパウダー……雨を呼び、奪いつくす魔法の粉ね」
積み荷の名を呼ぶ。
正直なところ気が進まなかった。許されるならこの粉を海に捨ててしまいたいくらいだ。
しかし、心ではそう思っても、行動に移すつもりは無かった。
そして、心とは裏腹に口先は滑らかに社員達に的確な指示を出す。
「各員準備を。これは我が社にとって重要な任務の一つだ。失敗は許されない。
船は港に接岸後積み荷を降ろし直ちに出港。通行ルートの確認を怠るな。
実行班は積み荷を予定通り町中まで運びぶちまけろ。出来るだけ人目につく場所が好ましい。
そしてその後は積み荷と国王との関連性をほのめかし退却。後をつけられるな」
「つけられたらどうするんですかい?」
実行班の社員が質問する。へらへらとした笑いを浮かべていた。
大方、後をつけて来た人物の後始末を許可してほしいのだろう。
クレスはその社員に視線を向けた。
「────オレが始末する。場合によれば、しくじった者にも相応の制裁を加える」
簡潔な回答と共に投げかけられた、どこか冷たいクレスの視線。
「わ、わかりやした」
それは質問を投げかけた社員を閉口させた。
「他に質問は無いな。なお、今回はオレが現場の監督となる。
有事の際はオレが何とかする。お前たちは予定通りに任務にあたれ。
お前達の活躍を我が社は決して忘れないだろう。尽力にに期待する」
そして、船は港へと入った。
アラバスタからの風にその帆を膨らませながら、偽りの混乱を運ぶ。
◆ ◆ ◆
────任務は予定通りおこなわれた。
ロビンはクレスからの報告を電伝虫から聞く。
回線越しの為か、どこか他人行儀で事務的な口調に聞こえた。
「御苦労さま。気をつけね」
「ああ、分かった。そっちも気をつけろ」
ガチャリ、と通信が切れる。
最後だけは優しさを感じさせる口調だった。
「聞いての通りよMr.0」
「クハハハハハハ……!! ああ、了解した」
ロビンとクロコダイルはレインディナーズから少し離れた砂漠にいた。
北から南への卓越風が断続的に吹いていた。そのため日が高いのにも関わらず妙に視界が悪い。
「これでこの国の人間は間違いなく反乱を起こすでしょうね」
「ああ、起こしてもらわなければ困る。そのためにわざわざお膳立てを続けて来たんだ。
国王コブラは思った以上に国民に信頼されているようだが、今回の一件でそれも脆く崩れさる」
「儚いものね、この国の信頼も」
「信頼など、この世で一番くだらねェものだ。
所詮、この国の人間の利害の一致の上に築かれたものでしかない」
クロコダイルは口元に笑みを作る。凄みを帯びた凶悪な笑みだ。
「ところで、ミス・オールサンデーこの先に何があるか知っているか」
クロコダイルの質問の意味は分からなかったが、ロビンは事務的に答えた。
「確かオアシスね。名前は “ユバ” だったかしら。この国のの重要な中継地点ね」
「その通り。枯れた村の人間達が国王に任され、せっせと開拓したオアシスだ」
「それが何か?」
「なに……」
クロコダイルはワイングラスを傾けるように腕を前方に差し出した。
「このくだらねェ国の崩壊にちょっとしたプレゼントを用意しただけだ」
瞬間、クロコダイルの手のひらから強烈な砂嵐が生まれた。
その風圧に思わずロビンは顔を腕で覆う。
クロコダイルの “スナスナの実” の能力だ。クロコダイルは砂に関する全ての自然現象を司る。
「この砂嵐は卓越風に乗り、成長しながら南に向かう。さぁ、この崩壊の序曲を祝おうじゃないか」
クロコダイルは砂嵐を解き放つ。それは辺りの砂を巻き上げてみるみるうちにその威力を増した。
「クハハハハハハハハハハハハハハハ…………!!」
吹きすさぶ砂嵐にクロコダイルの笑い声が木霊する。
クロコダイルの目論見通り砂嵐はユバを襲い、甚大な被害をもたらすのであろう。
多くの人を巻き込むであろうその非情な行為を前にしてロビンはただ無言でそれを眺めていた。
第二話 「歯車」
「どうなっている……!! 首謀者はいったい誰なのだ!!?」
アラバスタ王国の護衛隊長のイガラムは自室で頭を抱えていた。
「……ダンスパウダーなどコブラ様が使われる筈が無い」
事の発端はナノハナで起こった事件だ。
国王への献上品だと言う積み荷を乗せた荷台が横転しその中身を町中に散乱させた。積み荷はダンスパウダーと呼ばれる禁忌の粉。
この粉は空にある氷点下の雲の氷粒の成長を促し雨を降らせる。つまりは人工的に雨を降らせる事が出来るのだ。
一件アラバスタにうってつけの品物にも思えるが、この品物には大きな落とし穴があった。
ダンスパウダーは強制的に雲の成長を促すため、周りの地域から雨を奪うのだ。
「……なのに何故か王宮に大量のとダンスパウダーが運び込まれていた」
王宮から大量のダンスパウダーが発見された。
アラバスタは現在一滴すらの雨も降らない異常気象。にも関わらず王都のみに普段よりも多くの雨が降る。
国王コブラ自身も悩ませたこの現象の正体は間違いなく、ダンスパウダーだ。
ならば国民が疑いをどこに向けるかは明白である。王宮には次々に抗議や説明を求める声が届き、国王へ対する不信感も募る一方だ。
今日はいつかの少年が立派に成長して、国を憂い説明を求めににやって来た。
「各地では既に反乱軍の暴動も起こっている。今はまだ小規模だが、いずれ抑えきれない程のうねりを生むだろう」
先日も副官のチャカとぺルに命じ暴動の鎮静化を図った。
出来れば話し合いで解決したかったが、もはやその段階を超えていた。
ぎりっ……とイガラムは奥歯を噛みしめる。
「裏で誰かかが糸を引いているのは確実なのだ」
……だが、それが何者なのかは全く掴めない。
断片的な情報はある。しかし、個々が完全に分離していて全てが後手に回ってる。恐ろしいほどの手際だった。
イガラムが独自で築き上げた情報網を使ったものの成果は芳しく無い。
巨大な組織が関与しているのは突き止めた。しかし、その組織の形態上それ以上はどう考えても踏み込む事は出来ない。
イガラムが思考を巡らせていた時、ノックも無く扉が開かれた。
そしてよく知る少女が入って来た。
「イガラム今のは本当なの……?」
「ビビ様……!!」
焦り、声が裏返った。
ネフェルタリ・ビビアラバスタ王国の王女。長年仕えて来た国王コブラの一人娘だ。
「私に詳しく教えなさい!!」
「な、何のことやら……? わ、わだ……ゴホッ、マ~マ~、私にはわかりません」
イガラムはビビの性格はよく知っている。好奇心旺盛で幼いころからよく手を焼かされた。
「誤魔化さないで!! この国の敵は誰なの!!?」
「ビ、ビビ様!! 声が大きいです。しー、し―」
まずいことになった。
イガラムは動揺を何とか誤魔化そうとするも長年の付き合いになるこの少女には通じない。
こうなれば自分が答えるまで梃子でも動かないだろう。
「イガラム!!」
再び声を張り上げるビビ。その様子はとても真剣だ。
「………………」
ならばいっそ……と、イガラムの中で一つの妙案が生まれた。
己の失態はもはや隠しきれないだろう。誤魔化すことは無理だ。
ならば、正直に話し、ビビの手だけに負える問題では無い事だと言うのを分からせた方がいい。
「……分かりました。お話します」
イガラムはビビに対し己が掴んだ情報をかいつまみ話す。
首謀者は分からない。敵は強大な地下組織。これ以上の捜索は国を危ぶむばかりだと。
だが、イガラムの判断は長年付き合ってきた王女の行動力を見くびっていた事が大誤算だった。
「────だけど、しっぽは掴んだのよね……?」
(しまった……!! しゃべり過ぎたか!!)
顔を上げれば不敵に微笑むビビがあった。
説明は説得に転じる。だが、もはや王女を止める事は出来ない。
例えここで説き伏せられたとしても、いずれ必ず行動に移す筈だ。
もはやこれまでと、イガラムは腹をくくった。
「ならばビビ様……一つだけ質問をさせて下さい。
────死なない覚悟は……おありですか?」
それは重く、残酷な質問だったのだろう。
◆ ◆ ◆
「組織運営は順調……。
そう言えば新たにエージェントが加わったんだっけか?」
専用の執務室でクレスは手もとの資料を読み終え、そう呟いた。
ダンスパウダー事件以降、バロックワークスはアラバスタ王国の裏側で目まぐるしく活動した。
資金集め、社員集め、破壊工作、潜入社員への演技指導。その全てが歯車のようにうまく噛み合い回って行く。
バロックワークスの活動によりアラバスタは確実に崩壊への道を歩んでいた。
「最近起こった問題と言えばMr.7が “東の海” でやられたくらいか……」
クレスは手もとの資料から一枚の書類を取りだした。
そこには一人の男の写真が添付されていた。魔獣ような鋭い眼光の男だ。
「<海賊狩りのゾロ> ……。
コイツのスカウトは失敗だな。どう考えても人に従う人間には思えない。
対応は保留か……まぁ、妥当だな。 “東の海” じゃ地理的にも遠いし問題無いだろう」
資料を机へと投り椅子にもたれかかる。結構な値段のする椅子はクレスを軋む事無く受け止めた。
そして、なんとなく執務用の机で作業をするロビンを眺めていた。
普段と変わらないように見えるが、クレスはどこか違和感を感じていた。
ダンスパウダーの事件以降、ロビンはどこか冷たい印象を受ける。
(まぁ、無理も無いか……)
過去に地下組織に所属した時も同じ事があった。罪悪感で少しまいっているのかもしれない。
慣れたつもりはないが、数々の犯罪行為をおこなってきた。しかし、それは生きるために必要な事でもあったのだ。
しかし、今回は違う。今回は自分で目的を持って動いている。自分のために罪を犯している。
気にするなというのも難しい話だ。
「Mr.ジョーカー、任務に行くからついて来て」
ロビンからの要請。やはり少し声が硬い。
だが、クレスはいつものように返事を返す。そしてロビンの後を追った。
「……ロビン」
クレスはロビンが入り口のドアノブにてをかけた時、後ろから肩を叩いた。
「なに?」
ロビンが振り向く。
するとそこには伸ばされた人差し指。やわらかいロビンの頬をつついた。
「顔が硬いぞ、せっかくの美人が台無しだ」
普段は言わないようなキザなセリフが出た。
言っといて自分で恥ずかしくなったが、とりあえず我慢する。
ロビンは少しの間唖然としていたが、表情を緩め微笑んだ。
「………ふふっ」
「……笑うなよ」
苦笑し、クレスは指を離した。やはり、恥ずかしい。
ロビンはいつものような優しい表情で、
「ありがとう。気をつけるわ」
「どういたしまして」
だが、この表情が一時的なものである事が残念だった。
任務のついでに、通り道の町を視察した。
緑の町と呼ばれたエルマルはその土地のほとんどを砂で覆われていた。
その渇ききった、枯れた町からはかつての様子を垣間見る事は出来ない。
最近、最後の町人が避難し無人となっていた。
「……破壊工作は成功ね」
「そうだな。やはり運河を壊したのが効いたな」
一通り町中を見て回る。
やはり、完膚なきまでに枯れている。
これ以上の散策は無意味だ。
ロビンは事務的に町を見つめていた。
クレスにはその心境は分からない。
クレスはロビンを促し、町からの退却を勧める。
ロビンは無言でうなずいた。
そして二人はバロックワークスのオフィサーエージェント専用の送迎用カメ “バンチ” に乗り次の目的地を目指す。
今回はやや長期の任務となる。海を渡り、直接社員達に指令を出すらしい。
クレスは無機質な表情で前方を向いたロビンを見る。
どうしたものか……と内心でため息をついた。
あとがき
今回は中継ぎのような話ですね。短めかもしれません。
名前だけですが多くのキャラが登場しました。
予定では、後一話くらいで原作に突入します。
次回はデートです。